先月の総幹部会で、細井日達の悪臨終についての証言がありましたが、きょうの総幹部会でも、御開扉について重い証言がありましたね。
発表したのは男子部の平澤崇組長。
彼は顕正会員でありながら、宗門のたばかりに騙され末寺に所属して八年間。住職の甘い言葉に煽動され、「自分には顕正会員を救う使命がある」などと勘違いをして、顕正会に強い敵意を懐いたという。
しかし末寺での八年間の活動を通して、いかに宗門が堕落しているかを自分の眼で見た。そして改悔とともに、これを発表したということですね。
縷々と宗門の腐敗堕落の実態を述べておりましたが、その中で、私がもっとも衝撃を受けたのが「御開扉」についてのことでした。
宗門では、本山登山の人数を末寺単位で「年間何名」とノルマを課していたという。これを受けた末寺住職はノルマを達成するために、平然と信徒に「付け願い」を奨励していたという。「付け願い」とは、御開扉料だけ払えば登山したことになる、という制度だそうです。
これ「御開扉料稼ぎ」以外の何物でもない。まさに戒壇の大御本尊様を「営利の具」としているのです。
宗門は、曽ては池田大作にへつらって国立戒壇を否定して偽戒壇正本堂に協力し、いま学会からの収入がなくなれば、こんどは法華講員の尻を叩いて登山を強要する。何たる無道心か。
いいですか。戒壇の大御本尊は、大聖人様が竜の口の「頸の座」に坐し給うたのちに、全人類成仏のためにと顕わし給うた大御本尊であられる。そして平左衛門の責めにも屈せず、命を捨てられた熱原の方々を「願主」とし給うておられる。
かかる尊無過上の「戒壇の大御本尊様」を、宗門はいま営利の具としているのです。この姿を見て、私は何という不敬、罰当りか、との憤りが込み上げてくる。
しかし、その憤激よりも、もっともっと強い憂いが私にはある。
それは、戒壇の大御本尊のご安危であります。
このような、末寺ごとにノルマを定めての本山登山を強要すれば、御開扉を受ける者の中に、戒壇の大御本尊に対し害意を懐く者が紛れ込めるではないか――という憂いです。
第六天の魔王は、必ず仏様の御命を狙うのです。そして大聖人御入滅後においては、天魔は戒壇の大御本尊を狙うに違いない。
もし、爆発物を隠し持つような悪人が紛れ込んだら、どうなるであろうか。
いかなる事態をも想定して、広宣流布のその日まで、戒壇の大御本尊様を守護し奉るのが、仏弟子の責務ではないか。
ゆえに私は登座後の阿部日顕に対し、連々と
「早く偽戒壇正本堂から戒壇の大御本尊を遷座し奉り、直ちに不敬の御開扉をやめよ」
との諫暁文書を送り続けた。しかし彼は無視し続けた。
そこで私は、阿部日顕が平成一六年八月の全国教師(住職)講習会において「国立戒壇は間違いである」と公言したことをとらえて、事を一挙に決せんと、公開法論を申し入れた。そのとき、法論決着後になすべき義務として
「もし小生が敗れた場合は、直ちに顕正会を解散する。もし貴殿が敗れた場合は、直ちに御開扉を中止すること」とした。
だが阿部日顕はこの対決を逃げた。
次いで登座したのが、現・早瀬日如管長です。この早瀬管長にも、条理を尽くして「不敬そして危険な御開扉を直ちに中止すべし」と諫状を再三送った。しかし未だに無視を続けている。
すでに万策は尽きた。しかし心の安まる日はない。ゆえに私は毎朝の勤行において
「諸天善神、南無本門戒壇の大御本尊、守護し奉り給え」と毎朝、深く祈っております。
戒壇の大御本尊様に万一のことがあるなど、断じてあり得ない。私の憂いは杞憂となるに違いない。しかしこれを憂えるのが、仏弟子の責務ではないか。
ついでに言っておきますが、宗門の碩学といわれた第五九世・堀日亨上人は、大聖人様から日興上人への戒壇の大御本尊のご付嘱は「密附」であるとして、次のごとく仰せられている。
「開山上人は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古)からか、遠き広布を待ちかねて、特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事である……開山上人より三祖日目上人への富士総跡の御譲り状にも『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある」(富士日興上人詳伝)と。
この御指南で「密附」の意も「広布の日まで秘蔵」の意もよくわかりますね。
唯授一人の法体付嘱とは、まさに本門戒壇の大御本尊のご付嘱なのです。
戒壇の大御本尊は生身の大聖人様であられる。この大御本尊を、大聖人から日興上人、日興上人から日目上人へ、さらに代々の上人へと密附されたのです。
よって日興上人・日目上人の時代においては、今日の御開扉などというものはなかった。
この大御本尊は、広宣流布の暁に建てられる本門戒壇に安置し奉るから、「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。この大御本尊を、時いたるまで秘蔵厳護し奉る。これこそが正系門家の最大事なのであります。
しかるに今、学会・宗門は、ともに国立戒壇建立の御遺命を否定して偽戒壇・正本堂を建て、正本堂が崩壊して両者に抗争が始まるや、学会はあろうことか戒壇の大御本尊を捨て、宗門は大御本尊を営利の具として御開扉料稼ぎをしているのである。両者ともに、何たる師敵対、無道心か。
私は「汝ら、大聖人様の御眼恐ろしとは思わぬか」と言いたい。
この正系門家の濁悪を見るにつけ、顕正会こそ、大聖人様の御意のままの折伏を進め、早く広宣流布を実現しなければならぬと、強く思うものであります。
さて、いま三百万への初陣の直中でありますが、全顕正会にみなぎる歓喜と気魄は大へんなものですね。
これも、顕正会が大聖人様に召し出だされた地涌の菩薩の大集団なればこそであります。
世間の濁りを見てごらんなさい。国中に貪・瞋・癡の三毒、すなわち欲と瞋りと癡かさが渦まいてますね。
政治家を見ても、国を思う心などはない。彼らが求めるのは、地位と権力と利権だけです。安倍改造内閣の顔ぶれを見ても、怪しげな者ばかりが顔を並べている。
例えば片山さつき地方創生担当なども、大臣になりたくてなりたくて、やっとなったはいいけれど、さっそく「国税局に口利きをした見返りに100万円を受け取っていた」などと、週刊文春に暴かれている。
片山さつきだけではない。同じような疑惑を持たれているのは、まだまだ多くいる。安倍首相は「安倍内閣は全員野球」と言っていたが、まさに怪しい者ばかりの全員野球です。
また、最近の凶悪犯罪の頻発はどうしたことか。殺人、強盗、詐欺、イジメ、陵辱。目を背けるような残忍凶悪な犯罪が毎日・毎日、複数で起きている。
これらの犯人どもはみな人間の心を失い、ケダモノの心になっているのです。
まさに立正安国論の
「一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って互いに相讒諂し、枉げて辜無きに及ばん」
との仰せそのまま。これを末法濁悪というのであります。
このような濁悪の世に、人を救い、国を救わんと、大聖人様の仰せのままに三大秘法を弘めている顕正会員こそ、まさに地涌の菩薩です。
地涌の菩薩は、蓮華が泥水に染まらぬように、世間の悪には染まらない。いや、世間が濁れば濁るほど、国が傾けば傾くほど、「だから早く広宣流布しなければいけない」との大道念に奮い立つ。
いま正系門家が濁乱の極に達し、「前代未聞の大闘諍」「他国来難」が刻々と迫る中、日蓮大聖人に命かけて忠誠を貫く二百万の仏弟子の大集団が出現したのも、不思議ですね。
すべては、大聖人様のお力によるのであります。
そして顕正会は心が一つ、異体同心です。このような異体同心の二百万の団体、日本国にありますか。どの団体もみな内輪もめばかり、心がバラバラです。日本国において異体同心の大集団は、顕正会ただ一つであります。
これ全員が、大聖人様の御心を我が心に宿すから、異体同心なのです。だから広宣流布の大願も叶う。
大聖人様は弘安二年八月の「異体同心事」という御書に、こう仰せ下されている。
「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし」と。
日本国の人々は人数こそ多いが、同体異心で心がバラバラであるから何事も成就しない。だが、日蓮大聖人の門下は異体同心であるから、人々は少なくとも大事を成し遂げ、必ず三大秘法は広まる。悪は多けれども一善にかつ事なし――と大聖人様は御断言であります。
いいですか。
いよいよ大聖人様が「時を待つべきのみ」と仰せられた広宣流布が、到来せんとしているのです。
このとき、大聖人様に一筋の忠誠を貫く二百万の異体同心の大集団があって、広宣流布の大事が成ぜられぬわけがない。
三百万の初陣の誓願は「三万」ですね。そして月曜日の定期報告によれば、昨日現在の弘通は二万五〇一名でした。
さあ、あとひと月、全員の異体同心で、明るく、堂々と、力強く、初陣「三万」を大きく突破していきたい。みなさん、どうでしょうか。
(大拍手)
さてこの十月は、仏弟子にとって最も大事な御報恩の儀式である御大会式を、二百万顕正会を代表する支隊長・総班長以上の三千三百余名がただ御報恩の真心を以て全国から馳せ参じ、十月十三日、謹んで奉修させて頂きました。
本年の御大会式において、私は「勤行」について申し述べました。
謹んで拝し奉るに、大聖人の御意は、一切衆生に勤行を実践せしめ、一生成仏を得せしめん、との大慈大悲以外にはあられない。よって勤行について改めて、御大会式で申し述べたわけであります。
日寛上人は六巻抄の第五に「当流行事抄」を著わしておられる。「当流」とは富士大石寺門流のこと、「行事」とは儀式や催し物ではない、勤行のことです。すなわち富士大石寺門流の勤行について甚深の御指南を下されたのが、当流行事抄であります。
その冒頭に、こう仰せられている。
「受け難きを受け、値い難きに値う。乃至、一生空しく過ごせば万劫必ず悔ゆ。身命を惜しまず須らく信行に励むべし」と。
私たちは人間に生まれているのを当り前のように思っているが、そうではない。死ねば、次に何に生まれてくるかはわからない。人間に生まれることは極めて稀なのです。人間に生まれたこと自体、有難い果報なのです。
この受け難き人界に生を受けながら、また値い難き成仏の叶う日蓮大聖人の仏法に値いながら、もし勤行を怠けて一生を空しく過ごしたら、必ず悪道に堕して無量劫にわたって後悔する。ゆえに身命を惜しまず信行に励むべし――と仰せ下されているのです。
まさしく勤行こそ仏道修行の根本。これを怠けたら、我が身の成仏も、広宣流布もない。
だから勤行のたびごとに、新しい信心を奮い起こして精進しなければいけない。惰性に流されてはいけない。「ああ、きょうも勤行ができる」との歓喜、恋慕渇仰の思いで、毎日・毎日新しい信心で勤行に励まなければなりません。
この勤行について御大会式で申し述べましたが、その肝要部分を、きょう重ねて述べたい。
まず勤行の修行には「正行」と「助行」の二つがある。
正行とは、本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ること。これこそ大御本尊の仏力・法力によって成仏させて頂く肝心要の修行であるから、これを正行というのです。
そして助行とは、この正行の甚深の功徳を助け顕わすために、方便品と寿量品を読誦すること。
この二品の中では、方便品を「傍」とし、寿量品を「正」とする。そのわけは、方便品は遠く正行甚深の功徳を助顕し、寿量品は近くこれを助顕するゆえです。
まず方便品について言えば、方便品は迹門の肝心です。富士大石寺では「迹門は無得道」としているのに、なぜ迹門の方便品を読むのかといえば
方便品に説かれている十如実相の文、すなわち
「所謂諸法・如是相・如是性・如是體…本末究竟等」
の文が「一念三千」の出処だからです。
ゆえにこの文を借りて、文底深秘の大法たる戒壇の大御本尊の功徳を遠く助顕するのであります。
次に寿量品について言えば――
寿量品で開顕される本地には、「文上顕本」と「文底顕本」の二つがある。
文上顕本とは、五百塵点劫における釈尊の成道を本地として、この本地の本を顕わすのを文上顕本という。
そして文底顕本とは、五百塵点よりさらに大昔の久遠元初における日蓮大聖人の成道を本地として、この久遠元初の本を顕わすのを文底顕本というのです。
文上顕本の寿量品は、釈迦仏の脱益の仏法であるから、これは捨てる。これを所破という。
一方、文底顕本の寿量品には、久遠元初の種子の法体たる南無妙法蓮華経が能く説き顕わされている。ゆえにこの文底下種の寿量品を読誦して、戒壇の大御本尊の功徳を助顕するのであります。
大聖人様は御義口伝に、寿量品の題号を文底の意に約して、こう仰せられている。
「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」と。すなわち南無妙法蓮華経如来の功徳を詮量するのが、文底下種の寿量品なのです。
では、その「南無妙法蓮華経如来」とはいかなる仏様かと言えば、まさしく久遠元初の自受用身、すなわち日蓮大聖人であられる。
ゆえに日寛上人は当流行事抄において、寿量品の
「我実成仏已来・無量無辺・百千万億・那由佗劫」(我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり)
の文について、文底下種の寿量品の意を以てこの文を読めば、こうなるとお示し下されている。その仰せに云く
「日蓮実に自受用身の成道を唱えてより已来無量無辺百千万億劫」と。
いいですか。文底下種の寿量品においては、「我実成仏已来…」の文意は、「日蓮大聖人が久遠元初において成道を遂げられてより、無量無辺百千万億那由佗劫」ということなのです。
まさしく文底下種の寿量品は、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人の御説法なのです。これを勤行のとき、助行として読誦するのであります。このことがわかると、勤行のときに寿量品を読誦するのが、有難くなってくるのです。
さて、日寛上人は当流行事抄の末文において、極めて大事な御法門をご教示下されている。私はこの御文を拝するたびに、これこそ御相承に基づく重大な御法門であると、いつも伏して拝しております。
拝読いたします。
「問う、我等唱え奉る所の本門の題目、其の体何物ぞや。
謂く、本門の大本尊是れなり。
本門の大本尊、其の体、何物ぞや。
謂く、蓮祖大聖人是れなり」
いいですか、こう仰せ下されているのです。
我らが唱え奉るところの本門の題目とは、その体はいったい何か。
謂く、それは本門戒壇の大御本尊であられる。
では、本門戒壇の大御本尊の、その体とは何か。
謂く、まさしく日蓮大聖人であられる――と。
何とも重大な御指南であります。
まさしく本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人の御当体であられる。
ゆえに、私たちがいま遥拝勤行において、戒壇の大御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に通じて、一体にならせて頂けるのです。
恐れ多いことですが、三毒強盛の我ら凡夫が、戒壇の大御本尊と一体、日蓮大聖人と一体にならせて頂ける。凡夫が仏に成らせて頂けるのです。
ゆえに大聖人様は本因妙抄に
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡身即仏身なり」と。
だから三毒強盛の凡夫が、臨終に成仏の相を現ずることができるのです。なんと有難いことか。
顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに、池田大作にへつらう細井日達・阿部日顕により、解散処分となった。そして本山参詣は禁止され、御本尊下附も停止された。
しかし、これこそ御仏意であったのです。
ここに大聖人様は
「ならば直接、戒壇の大御本尊を拝みまいらせよ。信心に距離は関係なし」と道を開いて下さった。そして「御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ」とお教え下された。
この遥拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿なのです。
この遥拝勤行で功徳を頂いた一人ひとりが、歓喜に燃えて折伏に立つ。この大潮流はやがて三百万、一千万、六千万の地涌の菩薩の大集団となって一国を動かし、ついには御遺命の国立戒壇建立に至るのです。
そして、この広宣流布をもたらす基本の修行が一人ひとりの勤行であれば、決して惰性に流されることなく、一回・一回の勤行を、新しい恋慕渇仰の信心で励むことこそ大切なのであります。
さて、話は変わります。
9月30日の沖縄県知事選挙、日本中が驚きましたね。
自民・公明が全力で支援した候補がまさかの敗退をし、弱小の野党が支援した玉城デニー氏が大勝した。玉城氏の得票数は、沖縄の知事選では過去最高の39万6千余票。自民・公明候補を8万票も引き離して勝ったのです。
この選挙結果は安倍首相に大衝撃を与えたが、もっと深刻な衝撃を受けたのが、創価学会・公明党だった。
というのは、学会・公明党はどうしてもこの選挙に勝つ必要があり、背水の陣で臨んだのです。
学会会長・原田稔自ら沖縄入りした。これは異例です。さらに全国の学会男子部幹部6千人が動員され、長期にわたって沖縄に滞在して徹底的に票の掘り起こしをし、期日前投票には車で連れ出したという。
だから誰が見ても、自民・公明の候補が勝つと思われたが、結果は惨敗。
しかも、その敗因が、学会員の造反だった。これが創価学会にとっては大衝撃だったのです。
投開票当日の出口調査では、公明党支持者の3割超が玉城氏に投票していたことが明らかになった。
なぜ学会員は造反したのか。その理由についてさまざまな分析がされているが、世間の分析はみな皮相ですよ。上っ面しか見てない、底流が見えない。学会員の信仰上の心理がわからないのです。
私はこう見ております。
沖縄顕正会員のけなげな戦いにより、広告文と特集号が、沖縄本島だけでなく離島にいたるまでの全学会員に配られ、多くの学会員が動執生疑を起こした。それがこの選挙結果になったのです。
例えば、10月6日のTBSの「報道特集」では、取材を受けた学会歴60年の一壮年の机上には、広告文が置いてあり、それがテレビ画像に映し出されていたという。
ことほどさように、沖縄顕正会員の"学会員を救わん"との戦いは、熱烈だったのです。
それにつけても、このたびの「学会員を救う特集号7」は、まさに決定版ですね。第六天の魔王その身に入る池田大作の正体は、ここに白日の下に晒された。池田大作の悪の根が、ここにハッキリと露われたのです。
大聖人様は、念仏宗の法然が人々を誑かして法華経を捨てさせたその無慚さを、開目抄にこう仰せられている。
「法然いたわしともおもわで、乃至、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛てさせける心こそ無慚に見へ候へ」と。
いま池田大作も、「痛しとも思わで」学会員をたぶらかして、日蓮大聖人の出世の御本懐、一切衆生成仏の根源の法体たる戒壇の大御本尊を捨てさせた。
その手口は巧妙にして用意周到、しかも四十年の時間をかけて徐々に騙し捨てさせたから、学会員は「茹で蛙」のごとくになって、誰も気づかなかった。
しかし「特集号7」に示された三段階の手口を見れば、いかなる学会員もわかる。その三段階とは――
第一段階は、偽戒壇・正本堂の落慶式にローマ法王庁の神父を招くために、「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」と申し出たこと。
第二段階は、学会版経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削除したこと。
第三段階は、学会会長・原田稔に「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と公表せしめたこと。
この三段階のたばかりを以て池田大作は八百万学会員をたぶらかし、戒壇の大御本尊を捨てさせたのであります。
だが、もし戒壇の大御本尊を捨て奉れば、死してのち必ず阿鼻地獄すなわち無間地獄に堕ちる。私はこれが痛々しい、不憫なのです。
法華経には
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」
とある。
この文意は、いま末法においては、もし戒壇の大御本尊を信ぜずに謗る者は、臨終ののち必ず無間地獄に堕ちる――ということです。
先般の御大会式で奉読した立正安国論の結文には、涅槃経を引いて
「阿鼻地獄に在って受くる所の身形・縦横八万四千由延ならん」
と仰せられている。
ここに仰せの「縦横八万四千由延」とは、無間地獄に堕ちて感ずる、耐えがたき大苦の広がりを示しているのです。死後の生命は身を守る術がない。受け身の生命なのです。ゆえに生前とは違って感受性が非常に強い。その生命が、縦横八万四千由延の広がりを持っていたら、どれほどの大苦か。想像を絶する。
また大聖人様は法蓮抄に、中国の書家の烏竜が、法華経を誹謗して無間地獄に堕ちたのち、この過ちを息子にだけはさせまいとして、息子の遺竜の枕辺に立って告げたという故事を引かれ、無間地獄の大苦を次のごとく仰せられている。
「我は是れ汝が父の烏竜なり。仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ、五根より血を出し、頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ。彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼへざりしに、無間の苦は尚百千億倍なり。人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて頸をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとへば数ならず」と。
この世の中の拷問などは、どれほど激しくても無間地獄の大苦に比べれば、物の数ではないのです。しかもこの大苦が間断なく続き、「展転して無数劫に至らん」というのが、謗法による大苦です。
もし三世の生命を知れば、死後の無間地獄に堕つることほど恐ろしいものはない。これを恐れないのは、無智だから、知らないからに過ぎない。
大聖人様は出世本懐成就御書に
「我等凡夫のつたなさは、経論に有る事と遠き事は恐るる心なし」と。
凡夫のつたなさは、経文に書いてあることと、死後の無間地獄のことは「恐るる心なし」と仰せられている。
これ、幼児が氷の冷たさを知らず、焼け火箸の熱さを知らぬのと同じです。
無知で無間地獄の大苦を知らなければ、これを恐れることもない。
しかし無間地獄の前相は、必ずその臨終の相に現われる。そして、ひとたび堕ちたら、もう取り返しがつかない。
だから私は八百万学会員を痛々しく思う、不憫に思うのです。何としても救いたい。そして共に御遺命成就に御奉公する同志になってほしいと、思うばかりであります。
今、この「特集号7」で続々とめざめ、「私も成仏したい」と言って入会する人々の声を全国で聞く。成仏を求める心こそ道念であります。私は嬉しい。
大聖人様は曽谷抄に
「根露れぬれば枝枯れ、源乾けば流れ竭く」
と仰せられている。
池田大作のたばかりの根は、この「特集号7」ですでに露われ畢った。全学会員がめざめて、学会が崩壊すること疑いない。
いよいよ八百万学会員を救う慈悲の戦いを、力強く進めていきたいと、念願しております。
さて最後に申します。
大聖人様が広宣流布前夜に必ず起こると予言された「前代未聞の大闘諍」と「他国来難」は、時計の針のごとく、刻々と迫りつつありますね。
米国は今月20日、ロシアとの間で結ばれていた「中距離核戦力・全廃条約」(INF)の破棄を表明しました。
その理由は「ロシアが条約違反をしたから」などと言っておりますが、本音は、アメリカはロシアのみならず、実は中国の核戦力を強く恐れているのです。この恐怖から、中・ロと対抗するにはアメリカはさらに強力な核開発をしなければならぬ、その足かせになっているのがこのINFである。よってこれを破棄するということなのです。
この条約破棄により、世界は必ず新たな、深刻な、核兵器拡大競争に入っていくこと疑いない。
その先にあるのは、「前代未聞の大闘諍」以外にはないのです。
そして、世界大闘諍の引き金になるのが世界大恐慌ですが、いまその世界大恐慌も始まり出して来ましたね。
御大会式のときも少し触れましたが、リーマン・ショック以降、世界各国の債務はふくれにふくれて、その総額はなんと2京8千兆円にも達している。そして、そのカネの大部分が株式市場に流れ込んでいるのです。
バブルというのは必ず破裂する。このところ、「世界同時株安」が何回も起きているが、乱高下を繰り返しながら、やがて大暴落が起きるのです。
つい先日、IMF(国際通貨基金)が「世界経済はいま大きな下振れリスクに直面している」と警告を発した。
また米国のバンクオブアメリカ・メリルリンチの世界経済についての調査でも、「サイクルの後期にある」と回答したファンドマネージャーの比率が、88%に達した。これは、この調査開始以来の最高記録だという。みな「大恐慌の嵐」がまもなく来ることを感じているのであります。
そして、日本への「他国来難」の前相は天変地夭です。仏法の道理として、他国来難の前には必ず天変地夭が起こる。これは日蓮大聖人に背く日本に対する諸天の怒り、警告であります。
天変は、今年、全国で相次いだ大洪水・台風・殺人的な猛暑を見ればわかりますね。この天変は今後、もっと激しくなる。
そして地夭は巨大地震のことです。首都圏地震については、すでに多くの専門家が「近い」という発言をしております。
南海トラフ巨大地震についても、つい最近、南海地震研究の第1人者といわれている高橋学・立命館大学教授が、次のような見解を発表しております。
「現在、ユーラシアプレート上で、直下型地震が頻発している。特に、今年は静岡県西部や浜名湖付近、そして三重、紀伊半島南端などで直下型地震が発生している。つまり、現在プレートには強く負荷がかけられている状態である。私の研究によれば、あと2~3年以内に、発生する可能性が高い」と。
この南海トラフ地震はマグニチュード9クラスと言われている。もしこれが発生したら史上最悪の被害となる。
そして、この巨大地震を前相として、いよいよその後に他国侵逼が起こるのであります。
もし核を用いての世界大闘諍が起き、さらに日本への他国来難が事実となったら、人類は滅亡し、日本は亡びる。
凡夫は忘れても、この大禍(大きな禍)こそ、日本国が七百年前に、恐れ多くも日蓮大聖人の御頸を刎ね奉るという血の凍るような大逆罪を犯した、その業報であります。
しかし大慈大悲の大聖人様は、この大罰を用いて全日本人を改悔せしめ、広宣流布をあそばす。
このとき、この重大なる御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命を守護し奉り、一筋の忠誠を貫く顕正会以外には、あるべくもない。
二〇年代こそ、まさに広宣流布の決戦場であります。
私は、二百万が予定より一年早く達成したことを、心から有難く思っております。顕正会は大事の御奉公に必ず間に合う。
大聖人様はお待ちあそばす。
さあ、三百万を早く成し遂げたい。
全員で、地涌の菩薩のスクラムを組み、大地ゆるがす大行進を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)