きょうの総幹部会も、一人ひとりの登壇、まことに立派で気魄に満ち、素晴らしいですね。
大感動いたしました。
さて、本年の初陣二・三・四月法戦も、中盤を迎えました。いよいよ三百万への前進、一段と力強く進めたいと念願しております。
大聖人様は三大秘法抄に、広宣流布前夜の日本の様相を「末法濁悪の未来」と仰せになっておられますが―どうです。今のこの世の中、まさに「末法濁悪」そのものでしょ。
いまテレビで大きく伝えられていますね。千葉の野田では、父親が10歳の娘に常に暴力を振るい、耐えかねた少女が学校の教師に「何とかなりませんか」と訴えたところ、それが父親に知れ、かえって風呂場で虐待のすえに殺されたという。
これが人間のすることか。まことに目を背けざるを得ぬ残虐さです。
大聖人様は刑部左衛門尉女房御返事に、動物ですら子への愛情は己れを犠牲にするほどの痛々しさであると、次のように仰せられている。
「飛鳥の子を養い、地を走る獣の子に責められ候事、目もあてられず、魂も消えぬべくをぼへ候」と。
空を飛ぶ鳥が雛を育てるための献身。また地を走る獣が、餌を欲しがる子のためにひたすら餌を運ぶ姿は、痛々しく「目もあてられず、魂も消えぬべくをぼへ候」と仰せ下されている。
まして人間の親においておやですね。ところが今や人間が、動物以下になってしまった。親が平気で子を殺す、母性本能などはいつのまにか無くなってしまった。
またいま、子が親を殺す事件もいたる所で頻発してますね。肉親の間ですら、この惨たらしさ。況んや他人においておやです。
毎日のテレビ報道は犯罪の連続でしょ。殺人・強盗・放火・性犯罪・詐欺は枚挙に暇がない。特殊詐欺といわれる「振り込め詐欺」の被害額は、昨年だけで365億円に達したという。
これは人の心が悪くなったのですね。人の心がみな地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪道になってしまったのです。
立正安国論には「一切の人衆皆善心無く」と仰せられている。
では、どうしてそうなってしまったのか。
立正安国論には金光明経を引いてお示し下されている。その元意を拝すれば、こういうことです。
―この日本国に、文底深秘の大法すなわち「本門戒壇の大御本尊」がましますとも、国主は捨てて顧みず、人々はこれを信ぜず尊重しなければ、国土を守るべき諸天善神はこの国を捨て去る。そのとき国に種々の災禍が起こり、国主はその地位を失い、一国の秩序が乱れる。その結果「一切の人衆皆善心無く」という状態になり、ついには他国の侵略を招き、人民は大苦悩を受ける――と。
いいですか。人心悪化の根本原因は、まさに「仏法より事起こる」のであります。
この国に日蓮大聖人の三大秘法ましますとも、一国が無視するだけではない。いまや正系門家すら大聖人の御遺命に背き奉っている。ゆえに諸天はこの国を捨て去り、ついには他国の責めを招くに至る。これが広宣流布前夜の日本の姿なのであります。
このとき私たちは、この濁悪の日本国にあって、衆に先んじて大聖人様を信じ奉る身になれた。この宿縁、何とも有難いですね。
諸法実相抄には
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と。
顕正会は大聖人に同心し奉り、御遺命のままに国立戒壇建立をめざし一筋に戦っている。ゆえに顕正会員はみな、地涌の菩薩であります。
蓮華が泥水に染まらないように、地涌の菩薩は世間の濁りには染まらない。いや世間が濁れば濁るほど、「早く広宣流布しなければ」との決意に立つ。これが地涌の菩薩であります。
いま学会・宗門が「国立戒壇建立」の御遺命を捨てたのは、彼らは己れの政治野心や保身を第一として、最も大事な大聖人様のことを忘れ、大聖人の御眼 恐ろしとは思わないからです。
だからこそ御遺命を曲げても平気、偽戒壇・正本堂をも平気で讃嘆した。
そして正本堂が崩壊しても、なお「国立戒壇」だけは否定している。所詮、彼らは無智で無道心なのです。
顕正会は一念も御本仏を忘れ奉らず、世間の名利は一切求めず、ただ日蓮大聖人の大恩徳を顕わすことだけを命としている。
ゆえに大聖人様の不可思議な御守護を頂いて、理不尽な解散処分を受けても潰れず、いま日本国を独走する唯一の仏弟子の大集団となったのであります。
そしていま、顕正会に「恋慕渇仰」の信心がみなぎっていること、何とも私は有難いと思っております。
学会から入会した人たちからよく聞きますね。「学会当時には『恋慕渇仰』などという言葉は一度も聞いたことがない」と。
そりゃそうですよ。大聖人様を忘れている学会に、恋慕渇仰の信心など、起こるはずがない。
また「仏様に対して『恋慕』というのはどうも…」などと言う人もいる。これは「恋慕」というのは男女間のことだけだと思っているからです。男女間の恋慕などは、いくら熱烈でも成仏には繋がらない。仏様を恋慕し奉るとき、始めて成仏の道に繋がるのです。
実は「恋慕渇仰」という言葉は、世間の言葉ではない。本来、仏法から発しているのです。
三千年前の釈迦仏の経文にある。どこにあるかというと、なんと法華経の寿量品に三箇所も説かれている。長行に一箇所、自我偈に二箇所です。
まず長行には
「心懐恋慕・渇仰於仏・便種善根」(心に恋慕を懐き仏を渇仰して、便ち善根を種ゆべし)
仏様を恋慕渇仰することが、成仏に繋がるのである――と。
また自我偈には
「咸皆懐恋慕・而生渇仰心」(咸く皆恋慕を懐いて、渇仰の心を生ず)と。
さらに自我偈にはもう一つ。
「令其生渇仰・因其心恋慕・乃出為説法」(其をして渇仰を生ぜしむ、其の心の恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く)
衆生が恋慕渇仰するがゆえに、仏様は出でて法を説いて下さる――と。
熱原の法華講衆の命かけての恋慕渇仰によって、大聖人様はついに本門戒壇の大御本尊様を御建立下されたのであります。
このように寿量品には、三箇所にわたって「恋慕渇仰」の大事が説かれている。
それは仏様を恋慕することが、我ら凡夫が成仏させて頂く唯一の道だからであります。
仏法は哲学みたいに無味乾燥なものではない。
大慈大悲の仏様を、その御魂たる御本尊様を、ただ恋慕渇仰する信心だけで、自然と凡夫が仏に成らせて頂けるのです。
いいですか。
恋慕とは「お慕わしい」という思い。渇仰とは、仏様には値い難い、すなわち「有難い」という思いです。
日蓮大聖人・御本尊を「お慕わしい」「有難い」と恋慕渇仰して、日蓮大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、「名は必ず体にいたる徳あり」(十章抄)で、自然と我ら凡夫が大聖人・御本尊と一体になり、成仏させて頂ける。
ゆえに現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。自然とそういう境界にならせて頂けるのです。
この恋慕渇仰の大事を、大聖人様は若き上野殿に、次のごとく御教示下されている。
「かつへて食をねがい、渇して水をしたうがごとく、恋いて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、乃至、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし」と。
飢えているときに食べ物を求めるように、ノドがカラカラに乾いているときに水を求めるように、また恋しい人に何としても会いたいように、病気のときに薬を頼むように、この思いを以て、御本尊には信心していきなさい。さもなければ後悔するであろう――と。
まさしくこれが、恋慕渇仰の信心です。
また佐渡に住む千日尼御前・国府尼御前の二人に宛てられた御書にも、こう仰せられている。
「日蓮をこいしくをはせば、常に出ずる日、ゆうべにいづる月ををがませ給え。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいり、あひまいらせん」と。
この「日月にかげをうかぶる身」については、日寛上人が甚深のご指南を下されているが、その法門上の深義はともかく、大聖人様は恋慕渇仰の情に約して、千日尼の信心をお励まし下されている。
そして一生成仏を遂げたのち、「後生には霊山浄土にまいり、値いまいらせん」と仰せあそばす。
何とお慈悲に満ちた有難い仰せか。涙が出てまいります。
佐渡の千日尼御前も、また鎌倉から命かけて佐渡へ渡った日妙殿も、恐らく難しい御法門などはわからなかったと思われる。しかしみな恋慕渇仰の信心一筋だったのです。
あの熱原の法華講衆も、日興上人の御教導によって一筋に、大聖人様を御本仏と信じまいらせ、恋慕渇仰の大信心に立たれたのです。
恋慕渇仰とは、すなわち不惜身命の信心である。仏法のためには身命も惜しまぬ信心、これが恋慕渇仰の究極の姿。これが御在世の信心なのであります。
いま広布の前夜、末法濁悪の直中、正系門家も濁乱のとき、顕正会はひとりこの御在世の信心に立ち還って、何としても御遺命成就の御奉公を貫かねばなりません。
大聖人様の絶大威力により、必ず広宣流布・国立戒壇は遠からず成る。
さもなければ、日本が、人類が、亡びる。そういう最終段階にいま到達しているのであります。
さて、先ほど辞令を授与いたしましたが、このたび新たに「教学部」を設けました。
顕正会が三百万・五百万と力強く前進するに伴い、顕正会と国立戒壇に対する怨嫉は、今後ますます激しくなる。
これは当然のことですね。広宣流布の最終段階にいたれば、いよいよ「三類の強敵」が現われ、大聖人様の御遺命のままに戦う唯一の集団顕正会に対して、悪口怨嫉しないわけがない。国立戒壇を否定しないわけがないのです。
これら怨嫉のゆえの邪義・邪説を粉砕するために、「教学部」を新設したのであります。
教学部のなすべきことは、正義の論陣を張ること。法論を担当すること。教学資料を整理・蒐集すること。の三つであります。
すでに起きている宗門の怨嫉を見てごらんなさい。
いま各末寺ごとにリーフレットを作っては、顕正会を悪口中傷し、国立戒壇を誹謗している。
これらは、いま法華講員が相次いで御遺命の正義にめざめて顕正会に入会しているので、職業坊主どもが居たたまれず、顕正会を悪口中傷している、ということであります。
だが、御本仏の御遺命たる「国立戒壇」の誹謗だけは、断じて許せない。
どんな誹謗をしているか。その一例として、埼玉県川越の本種寺が作ったリーフレットを紹介します。この寺の住職は能化の佐藤日栄だそうです。
表の標題には「顕正会の主張する国立戒壇は、日蓮大聖人の教義ではありません」とある。
そして裏面には「国立戒壇には重大な問題があります」として、次のような邪論を述べている。
「国立とは『国が設立し、管理していること(広辞苑)』です。仮に国立で戒壇を建立すれば、そこに安置する本門戒壇の大御本尊を国家の手に委ねてしまうことになり、もし将来、国家の方針が変わったら、大御本尊を御護りすることができなくなってしまいます」と。
まことにバカげた言い分ですね。広辞苑などを援用して、勝手に「国立戒壇」の定義・内容をねじ曲げている。いったい、顕正会がいつ、どこで、「国が設立し、管理するような戒壇を建てよ」などと言ったことがあるか。
国立戒壇というのは、国がおカネを出して建てるとか、管理するとかの次元の問題ではないのです。
顕正会が主張する国立戒壇とは、三大秘法抄の「勅宣並びに御教書を申し下して」との御聖意に基づくものです。
すなわち「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当る。
まさしく「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、「仏法を守護し奉るとの国家意志の公式表明を戒壇建立の手続とせよ」との御定めなのであります。
この手続こそ、日蓮大聖人が全人類の成仏のために総じて授与あそばされた「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が国家の命運を賭しても守護し奉るとの意志表明なのです。
御遺命の本門戒壇は、このように「勅宣・御教書」すなわち国家意志の表明を建立の必要手続とするゆえに、富士大石寺門流では近世これを端的に「国立戒壇」と呼称して来たのです。
では、日興上人以来明治にいたるまでの歴代先師上人は、御遺命の本門戒壇をどのように表現されてきたのかと言えば、「国立戒壇」との呼称こそないが、ことごとく三大秘法抄・一期弘法付嘱書の御文を引いて、広宣流布の暁の「勅宣・御教書」による戒壇を即、御遺命の戒壇とされている。これまさしく「国立戒壇」ではないか。
このように表現は変わっても、富士大石寺においては日興上人以来七百年、すべての先師上人が「国立戒壇」を熱願されて来たのであります。
ゆえに六四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」と仰せられ
また六五世・日淳上人。この御方は顕正会の発足を認証して下さった猊下でありますが、こう仰せられている。
「この元朝勤行(元旦勤行)とても、……二祖日興上人が、宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」と。
このように歴代先師上人はことごとく「国立戒壇」を熱願されてきた。六六世・細井日達すら、登座直後には「国立戒壇」を強調しているのです。
ところが、政治野心に燃える池田大作が「国立戒壇は選挙の邪魔になる」として、国立戒壇否定のために偽戒壇・正本堂を建てると、細井日達以下全僧侶は池田にへつらって正本堂を「御遺命の戒壇」と讃嘆した。
いまリーフレットを作っている坊主たちもみな偽戒壇を讃えていたのです。
だが大聖人様は正本堂の誑惑・大悪を許し給わず、顕正会をして諫暁せしめ、正本堂を打ち砕き給うた。
ところが正本堂が崩壊したのちも、無道心の禿人どもは、国立戒壇の正義に法華講員がめざめるのを恐れて、いま顕正会を悪口し、国立戒壇を誹謗しているというわけです。
このような御遺命に背く悪侶を許してはいけない。
いま全国で顕正会の幹部が、国立戒壇誹謗の末寺住職と法論を戦わせているが、大いに結構です。
「師子身中の虫」は「呵責し、駈遣し、挙処」しなければいけない、駆除しなければいけないのです。
どうか全幹部が、「基礎教学書」の第九章・十章と「平成二年の阿部日顕への諫暁書」をくり返し読んで心腑に染め、「巧於難問答の行者」になってほしい。
そして法論において、もし要請があれば、全国いかなる所でも、このたび任命された教学部委員が応援に駆けつけます。
大聖人様は法論に際しての心構えを、教行証御書に次のごとく御教示下されている。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず。彼々の経々と法華経と、勝劣・浅深、成仏・不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず、何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、その過有らんやと意得て宗論すべし」と。
いいですか。法華経已前に説かれた四十余年の方便の経々を爾前経と言う。念仏・真言・禅・律等の諸宗はみなこの爾前経を依経としている。この御文は、権実相対の立場で仰せられているのです。
―「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と。もし釈尊出世の本懐たる法華経と爾前経と、いずれが勝れいずれが劣り、どちらが成仏の法でどちらが不成仏の法かを判ずるときは、たとえ法論の相手が爾前迹門の釈尊であっても物の数ではない、恐れてはいけない。況んやそれ以下の者どもにおいておや――と、師子王のごとき御気魄を、ここにお示し下されている。
いま大聖人様の御遺命たる「国立戒壇」を否定する輩には、ここに仰せ下された気魄を以て、その邪義を粉砕しなければいけない。
それにつけても、三百万への大前進が始まった今、勝れた「教学部」ができたこと、私は嬉しく思っております。
さて、一月の総幹部会で私は「安倍首相のウソはすでに病膏肓。しかしその化けの皮もいよいよ剥がれんとしている」と申しました。
いま次々と安倍政権に行き詰まりが見えて来ましたね。少々説明します。
まず北方領土問題。
北方領土は我が国固有の領土ですよ。このことは1855年(安政2年)に調印された日露通好条約によって確定したのです。それ以来、択捉・国後・色丹・歯舞の北方四島が、他国に帰属したことは全くない。まさに日本固有の領土なのです。
だが敗戦のとき、ソ連(現在のロシア)に不法占拠され、そのまま今日にいたっているのです。
当時、日本とソ連の間では、中立不可侵条約が結ばれていた。にもかかわらず、日本の敗戦間際、もう継戦能力がなくなった状況を見て、ソ連は中立不可侵条約を一方的に破棄して、突如、満州・樺太・千島に攻め込んで来た。これが8月9日、終戦の6日前であった。
そしてさらに終戦の13日後に、今度は北方四島を奪い、その不法占拠が今に続いているのです。
このとき、満州には155万人の在留邦人がいた。この日本人に対して、どれほどの暴虐行為をしたことか。ソ連兵は機関銃を突きつけて金品を強奪し、殺戮し、婦女子を陵辱した。この残虐行為で命を奪われた日本人は24万人にのぼっている。
このような残虐行為の末に北方領土を占領して、今にいたるまで居座っているのです。
ゆえに日本政府は終戦以来、四島返還を求め続けて来た。だがソ連は頑として返還に応じなかった。
その中で、安倍首相は「四島返還」の方針を突如変更して、四島ではなく、いちばん小さな色丹・歯舞の二島だけでいいからと舵を切った。そしてプーチンといま交渉を始めたのです。
安倍首相にしてみれば、これまで1ミリも動かなかった北方領土問題が、自分の手で二島だけでも返ってくれば、大きなレガシー(政治的な遺産)になると思っているのでしょう。
この功名心に駆られて安倍晋三は「自分とプーチン大統領の手で、必ずや平和条約を結ぶ」というセリフを、口癖のように叫ぶようになった。
ところが、プーチンの忠実な部下であるラブロフ外相はそれに水をさすように
「もし交渉を進めたいのであれば、日本側は、第二次世界大戦の結果として北方四島がロシアの領土になったことを認めるのが、何より先決事項である」と繰り返している。
そしてプーチンも、先月、25回目の日露首脳会談では、領土問題には一切ふれずに経済要求だけを突きつけ、安倍首相は3000億円を出すことを約束している。
さらにプーチンは「もし二島を返還すれば、アメリカがこの二島に軍事基地を設けるのではないか」として、日米安保にも難癖をつけている。要するに、返還する意志などさらさらないのです。
プーチンの肚の中は、「領土などは一島も返さずに、経済協力だけをさせる」というところにある。
25回も会っていながら、その肚も見抜けず、プーチンの手のひらで踊らされている安倍首相の軽薄さ、見るに堪えないですね。
これで北方領土は完全に行き詰まりであります。
次に憲法改定問題。
これも安倍首相はレガシーの一つに考えているごとくです。
ゆえに安倍首相は9条改定の新たな口実として、「自衛隊員の募集において、6割以上の自治体が協力を拒否している」などと言い出し、これを自衛隊憲法明記の理由にしている。
しかし、「6割以上が非協力」との発言は、実は昨年12月に開かれた日本会議系の「美しい日本の憲法を作る国民の会」(共同代表・櫻井よしこ)の改憲集会で配られたビラの内容を、そのまま利用したもので、実際は完全拒否したのはわずか「0・3%」だったということがわかった。
また安倍首相の「憲法9条の1項・2項はそのままにして、3項に『自衛隊』を書き込む」との主張も、いかにも矛盾でしょう。
2項には「陸・海・空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。
その2項の次に、「自衛隊を設ける」では平仄が合わない。こんな矛盾した法律条文がありますか。
で、実は、これも日本会議の提案を、そのまま安倍首相は流用していたのです。
このように安倍首相の改憲というのは、「神国日本」を作らんとしている日本会議に引きずられている。だから危険なのです。
まして改憲の真の狙いが「緊急事態条項」にあるとしたら、これほど危険なことはない。ナチスの手口のように、日本はあっという間に独裁国家になってしまう。
しかし安倍首相のこの改憲の野望も、いまや完全に行き詰まりつつある。
さらにいま「毎月勤労統計」における不正発覚により、国家の基幹統計への信が問われている。
安倍政権はなぜこのような不正に手を染めたのか。それは、アベノミクスがいかにも成功しているかのように見せるためです。国民を騙すためです。
これまで安倍首相が叫んでいた「賃金は上昇している」「GDPは過去最高水準」などというのも、この統計数字をごまかしたうえでの発表だったのです。まさに「ウソつき内閣」の面目躍如であります。
そして沖縄の辺野古埋め立て問題。
きのう、埋め立ての是非を問う県民投票が行われましたが、圧倒的多数が「埋め立て反対」でしたね。
そもそも沖縄の基地問題の本質はどういうところにあるかというと――日本の国土面積の0・6%しかない沖縄に、在日米軍基地の74%が集中していることにあるのです。こんな不条理なことはない。
しかも沖縄は、敗戦直前に米軍が上陸して地上戦になったとき、全県民が日本軍に献身的に協力して、なんと県民の4人に1人が命を失った。10万人が犠牲になっているのです。
だから沖縄方面の軍司令官だった大田実海軍少将は、戦いに敗れて自決をする直前、海軍省次官に打電している。その電文に云く
「沖縄県民、斯く戦えり。……後世特別の御高配、賜らんことを」と。
しかるに安倍首相は、沖縄にばかり犠牲を強いて平然としている。彼には思いやる心情が全くないのです。なぜ普天間飛行場の県外移設を真剣に考え、米国と交渉しないのか。
しかも埋め立て海域はマヨネーズのような軟弱地盤で、深さは最深で90メートル、打ち込む杭は7万7000本。そんな深海に杭を打つ船は日本にはない。たとえ打っても、地盤沈下は避けられない。つまり使用不能の基地を、米軍に言われるままに造っているのです。
安倍晋三という人物は、米国に隷従している総理大臣です。だからあのトランプに対し、頼まれればノーベル平和賞の推薦文でも書くのです。
これまでも、どれほどみっともない諂いを見せてきたことか。
大統領選の最中、ヒラリー・クリントンのほうが優勢と見るや、ニューヨークに飛んでホテルでヒラリーと面談してゴマをすった。
ところが、トランプが当選するや、その数日後、彼はトランプの自宅へ飛んでいった。まだ大統領に就任してない時に来たので、トランプのほうが驚いた。そして娘夫婦の3人と会っている。
そして翌年2月の大統領就任直後には、今度はトランプのゴルフ好きと金色好みを知って、金メッキのゴルフ道具一式を持って訪問し、ネクタイも金色のネクタイを締めていった。
それぐらい諂うのだから、トランプのノーベル平和賞の推薦文だって平然と書く。
さらにトランプの言いなりになって、5兆数千億円もの米国兵器を買わされている。まさに米国に対しては隷属ですね。
だから、米軍に言われるままに、軟弱地盤の上に使用不能な基地でも造るのです。
しかし、今回の県民投票の結果を無視して土砂投入を強行するならば、それは何をもたらすか。
全沖縄県民の憤りが極限に達したとき、どういう結果を招くかを思うとき、私は日本のため、不安を感じております。
さて、先日の総幹部会でも申しましたが、安倍晋三のウソの中でも、最大のペテン政策は「異次元金融緩和」であります。
政府の財政赤字は、すべて日銀に一万円札を刷らせて補填させている。その結果、日本政府の借金総額は、昨年の10月末で1326兆円に膨れあがり、GDP比は238%に達した。これは世界で最悪。遠からず日本は必ず財政破綻・国家破産をする。
そしてその尻ぬぐいとして、全国民の資産が徴税によって奪われるのです。敗戦後の国家破産においては、財産税の税率は25~90%であった。今回も同様と思われる。
いいですか。政権維持のために、「異次元金融緩和」などというペテン政策で日本経済を破壊し、国民を大苦に陥れる政治家どもは、まさに犯罪者なのであります。
そしていま「首都圏直下」と「南海トラフ」という巨大地震が刻々と迫りつつある。
私は仏法のうえから、「巨大地震の連発こそ日本の破局、世界大闘諍の号鐘である」ということを、前々から言って来ました。
日本の経済崩壊は、世界の経済崩壊の引き金になり、世界恐慌を招く。そしてこの世界大恐慌が、各国間に瞋恚と疑心暗鬼を生じさせ、それが世界大闘諍を引き起こすのであります。
今度の世界大闘諍は、各国が必ず核兵器を使うから、人類の史上、未だ曽てない悲惨なものとなる。
この大闘諍こそまさしく、大聖人様が広宣流布の前に起こると御予言された「前代未聞の大闘諍」であります。
この大闘諍は、いかなる国も、いかなる政治家も、止めることはできない。そして、もしこの大闘諍が始まったら、人類は絶滅するのであります。
このとき、日本および全人類をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人、唯御一人であられる。
ゆえに大聖人様は佐渡の雪中において
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と師子吼あそばされた。これ、諸天に申しつける絶大威徳まします大聖人様の、大慈大悲のお叫びであります。
そしてこのとき、日蓮大聖人の大恩徳を、全日本人に知らせ教える仏弟子の大集団は、顕正会以外にはない。
顕正会は、国立戒壇建立の御遺命を守り奉ったゆえに、死罪に等しき解散処分を受けたが、大聖人様の御守護により潰れもせず、いま三百万をめざし、日本国を独走している。
日蓮大聖人に南無し奉るこの地涌の菩薩の大集団が三百万になるとき、全日本人は一人残らず、大聖人様の重き重き御存在を知り、必ず動執生疑を起こす。
さらに顕正会が五百万になれば、日本が動く。いよいよ「日本国一時に信ずる事あるべし」の前段階になる。
すべては大聖人様の大悲願力により、広宣流布は一気に到来するのであります。
さあ、迎える三月、いよいよ三百万を見つめ、共に励まし、明るく堂々と折伏を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)