きょうの北東北大会、まことにみごと。素晴らしいですね。
みなさんの熱烈なる信心、そして清純なる信心に、私は大感動いたしました。
大感動で身体が熱くなって、さきほど上着を脱いでしまった(笑)。
この北東北大会は、二〇年代を見つめて順々に開いてきた八つの地方大会の最後、締めくくりですね。
それがこのように盛大・熱烈に行われたこと、心から有難く思っております。
実は私は前々から「二〇二〇年代は広宣流布の決戦場である」と思い続けておりました。
そのわけは――
日蓮大聖人の正系門家である富士大石寺は、日興上人・日目上人以来七百年、大聖人様の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立だけを宿願として来たのです。
ところがこの正系門家において、広布前夜の今になって、「国立戒壇」が否定され、俄に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」とするという、とんでもない謀りがなされたのです。
なぜこんなことが起きたのかと言えば、正系門家の中で最大の信徒団体である創価学会のトップ・池田大作が、政治野心を懐いて選挙に狂奔するうちに、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」との邪見を起こし、細井日達と阿部日顕の二代にわたる貫首を籠絡して、この正本堂のたばかりに協力をさせたからです。
かくて正系門家・富士大石寺から、国立戒壇建立の御遺命は消え失せてしまった。
大聖人様は
「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と仰せられている。
もし正系門家において仏法が曲げられたら、国家が傾く、日本が危うくなる。すでに中国の軍事力は大膨張して日本は重大な脅威にさらされている。その根本原因はまさしく、この御遺命破壊から起きているのであります。
ここに私は「二〇年代こそ広宣流布の決戦場である」と思い定め、二〇年代に突入するまでに、何としても広布の基盤たる二百万を成し遂げ、同時に、全顕正会員を強き信心で打ち固め、全員が地涌の菩薩の自覚に立ってほしいと念願して、日本列島を八つの地域に分けて、順次、地方大会を開催して来たのであります。
有難いことに二百万の大法弘通は、予定より一年も早く昨年七月に達成し、今、三百万を見つめて驀進している。
そして地方大会は、四年前の二〇一五年の南東北大会を皮切りに
二〇一六年には九州大会と近畿大会を
二〇一七年には中部大会と中国・四国大会を
二〇一八年には北関東大会と新潟大会を
そして本年二〇一九年に、八つの地方大会の締めくくりとして、本日、この北東北大会が開催されたのであります。
締めくくりの大会が、このように熱烈・盛大に開かれたこと、何とも有難い。
さあ、いよいよ来年から、広布の決戦場たる二〇年代に突入する。
この広布最終段階の戦い、大聖人様は必ず御照覧あそばす。
北東北こそ、みごとこの戦いの先陣を切ってほしい。こう私は強く念願をしておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さて、この奥州・東北に、始めて日蓮大聖人の仏法を弘めて下さった御方は、第三祖日目上人であります。
東北のみなさんは、このことを深く胸に刻んでほしい。
日目上人は十五歳のとき、伊豆の走湯山で修学中に日興上人に値い奉って直ちに御弟子になった。そして十七歳のとき、日興上人に伴われて身延山の大聖人様の御許に詣で、以来、大聖人御存生七ヶ年の間、常随給仕の誠を尽くされたのであります。
弘安五年十月、大聖人様は一切の御化導を終えられ、安詳として御入滅あそばされた。
その御葬送において、御柩を十六人の御弟子が担い奉った。前陣八人・後陣八人で担い奉った。
日目上人は前陣の右側で……担いまいらせた。……このときの……日目上人の御悲しみの深さは、いかばかりであられたか。
しかしそのお悲しみの中に日目上人は、大聖人様が留め置かれた最大深秘の三大秘法を、日興上人の御下で命かけて弘通することを堅く誓い奉られたのであります。
大聖人様の百箇日法要が奉修されたのち、日目上人は東北への弘通を日興上人に願い出られた。
当時の東北は、念仏・真言等の邪法ばかりが蔓延り、三大秘法の光は全く届いていなかった。
奥州三迫新田、現在の宮城県登米市新田。ここは日目上人の亡き父上の所領であり、親族も多く住んでいた。日目上人はまず親族を次々と入信せしめ、その協力のもと、次々と三つの法華堂を建立されている。それが現在の本源寺・上行寺・妙教寺であります。
当時の東北弘通がどれほど困難であったか――。
身延から奥州へは片道二十数日。途中には嶮しい山があり、大河があり、山賊もいる。日目上人はこの難儀を乗り越えて、幾たびも身延から奥州にお通いになった。これが東北に三大秘法が広まる始めだったのであります。
また日目上人は日蓮大聖人・日興上人の代奏として、実に国家諫暁を四十二度もなされている。
その最初が、弘安四年に大聖人様の御命令によって、京都の後宇多天皇に申状を奏進されたことです。以来、大聖人御入滅後においては日興上人の代奏として国諫をされている。
一国逆縁の中に国諫をあそばすことは、一回・一回がまさに命がけです。
当時は、もし国主が正しい仏法にめざめて三大秘法を受持すれば、一国がこれに従う。ゆえに国主に対する諫暁をあそばされたのです。
しかしいま順縁広布の時は、下から上に行くのです。全国民が御本尊様の功徳にめざめ、一人ひとりが大聖人様の大恩徳にめざめて南無妙法蓮華経と唱え奉る。この大潮流が一国にみなぎる時、「本化国主」も出現し、「勅宣・御教書」も申し下され、ついに三大秘法抄に仰せのままの「国立戒壇」が建立されるのです。
まさに御在世の逆縁広宣流布も、未来の順縁広布も、すべて日蓮大聖人御一人の大悲願力によってなされるのであります。
そして広宣流布の前夜には、日蓮大聖人の御縁に牽かれて、地涌の菩薩が続々と出てくるのです。
諸法実相抄にはこう仰せられている。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝うるなり。未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非ずや」
―始めは日蓮大聖人ただ御一人が南無妙法蓮華経と唱え出だし給うたが、やがて二人・三人・百人と次第に唱え伝えるようになった。未来もまた同じである。これこそ地涌の菩薩が出現してくる姿ではないか――と仰せられる。
さらに
「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」
―そして広宣流布の時には、日本一同が南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的とするところである――と御断言あそばされている。
大聖人様が「大地を的とする」と御断言されたことが、どうして虚しくなりましょうか。必ずや日本国中に、日蓮大聖人を恋慕して南無妙法蓮華経と唱え奉る声が満ち満ちるのであります。
まさしく今こそ、広宣流布の前夜であります。もう広宣流布は近いのです。
この時を迎え、早く日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に知らせなければいけない、教えなければいけない。そのために私は「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」の広告文を作った。
この広告文、いま広く折伏に活用されてますね。その発行部数は、四月末で三千七百万枚に達しました。さらにこの広告文は全国の地方新聞に数ヶ月間隔で、全面広告として掲載されております。
大聖人御入滅後七百三十余年、これほど大規模な「開目」の戦いは未だ曽てない。これも広宣流布の前夜なればこその戦いであります。
いいですか。
この広告文には、誰人も否定できない三つの現証が示されております。
難しい教義だけでは一般の人々にはわからない。しかし目に見える事実の証拠ならば誰にもわかる。そこで日蓮大聖人様の偉大さ・大恩徳を示す三つの現証を、ここに挙げたのです。
その第一は「人生の目的は成仏にある」として「臨終の相」の現証を示した。
第二は「立正安国論の予言的中」の現証。
第三は「国家権力も御頸切れず」の竜の口の大現証であります。
この三つの現証は事実であるから、誰も否定できない。たとえ聞いて反発する者があろうと、事実の前には信ぜざるを得ない。ついには日本一同が大聖人様に手を合わせ、南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。
私はこのことを早く全日本人に知らせたい。必ずわかる。みな知らないだけです。
これを知らせないのは門下の怠慢であると私は思っております。
もうそういう時が来た。よって顕正会が先駆けて、全日本人にこの三つの現証を教える大運動をいま起こしているのであります。
この広告文について、きょう、この北東北大会には入信早々の人も大勢来ていると思うので、改めて少し説明をいたします。いよいよ大確信に立って、東北広布を進めてほしいと念願しております。
まず第一の「人生の目的は成仏にある」そして「臨終の証拠」について――。
人生の目的を知らずに生きているのは、行き先不明のバスに乗っかっているのと同じです。
バスならば、行き先不明では不安でたまらないが、人生においては、目的を知らないでも、目先の欲望に引きづられるままに生き、気のついたときには死の床にいる。こういう虚しい人生を繰り返しているのが、凡夫の人生の実相ですね。
仏法を知らない人は、幸福は自分の努力や才能でつかめるなどと思っているが
大聖人様はこう仰せ下されている。
「運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」(四条金吾殿御返事)と。
「自分には才能がある」「努力さえすれば」などと言っている者も、ひとたび福運が尽きれば、いかなる才能も努力も役に立たない。また果報が尽きれば、今まで従っていた者まですべて背き、一人ぼっちになってしまう――ということです。
日産自動車を復興させ経営者として才能を謳われていたカルロス・ゴーンも、あっというまに転落する。
まさに「運きはまりぬれば兵法もいらず」ですね。
だから、すぐ崩れてしまう見せかけの幸福ではなく、生死を乗り越えて永遠に崩れない無上の幸福を、人生の目的としなければいけない。その幸福境界を成仏というのです。
もし日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わってくる。人は生まれたときから顔・形が違うように性格も違う。持って生まれた命の傾向が一人ひとりみな違う。この命の癖にしたがって運命があり、宿命があるのです。
だが信心をすると、この宿命が変わってくる。ゆえに現世に幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのです。
このように仏法による幸福は現世だけではなく、死後の未来世にいたるまで永遠に崩れない。これを「現当二世の大利益」というのです。
「死んだ先のことなどわからない」などと言う人もいるでしょう。
しかし仏法は空理空論ではない、観念論ではない。証拠を以て論ずる。その証拠が「臨終の相」なのであります。
いいですか。臨終というのは一生の総決算ですよ。その人が一生のうちにどんなことをやって来たか、善悪ともにその総決算が臨終の相に出るのです。
同時にその臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報、結果と報いが現われる。だから臨終は人生の最大事なのであります。
ゆえに大聖人様は妙法尼御前御返事に
「日蓮幼少の時より仏法を学し候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。乃至、されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せられている。
では、死後に地獄に堕つる相、また成仏の相とはどのようなものか。
大聖人様は千日尼御前御返事に、克明に仰せられている。
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」と。
すなわち、地獄に堕つる者は、死してのち遺体が黒くなるのです。生前どれほど色の白い人でも、臨終ののちに黒くなってくる。そして身がたいへん重くなる。
一方、成仏する者は、ここに仰せのように「七尺・八尺の女人なれども」と、七尺・八尺というと二メートル以上の「大女」ということですかね(大笑)。いま「大女」などと言うと「差別だ」といわれる(笑)。そのような大きな女性でも、あるいは色黒き者でも、臨終ののち色変じて白色となり、遺体は軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる。
これは厳然たる事実で、誰人も否定できない。
私は、顕正会員が「良き臨終を遂げた」という報告を各部の部長から毎日のように聞きますが、そのたびにいつも、有難さが込み上げてくる。だから私はその報告を、いい加減な気持ちで聞いたことがない。
大聖人様の大慈大悲、御本尊様の仏力・法力で、我ら凡夫がわずかな信心で成仏させて頂ける。なんと有難いことか。
顕正会員は、大聖人仰せのままの信心を実践させて頂いているから、このようによき臨終を遂げるのです。その報告、私は一度も、いい加減な気持ちで聞いたことはありません。
そして最近では、顕正会員が多くなって来たせいか各地の病院で、臨終の相に善悪があることを知る医師が増えて来ましたね。すべての医師がこのことを知った時が、広宣流布であります。
次に「立正安国論の予言的中」のこと。
日蓮大聖人は、個人だけではなく、国家をも根底からお救い下さる仏様であられる。
仏法は国家の興亡盛衰を決する根本の法則なのです。政治が悪ければ国が傾くことは誰にもわかる、しかしこれは表面の因果にすぎない。国家の興亡盛衰の根本原因は、実に仏法によるのであります。
ゆえに神国王御書には
「我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず」と。
―自分の顔を見るには、磨かれた鏡を用いればよい。だが国家の興亡盛衰を知るには、仏法の鏡を用いなければいけない――と仰せられる。
正嘉元年八月、前代未聞の巨大地震が起きた。そしてこの巨大地震を機として、年ごとに異常気象が激しくなり、大飢饉・大疫病が打ち続き、人民の過半が死に至るという惨状を呈した。
大聖人様はこの大災難をごらんになって
「これ他国の侵略により日本が亡ぶ先兆なり」
と知り給い、日本の人々を現当二世に救うべく「立正安国論」を著わされ、時の国主・北条時頼に奏進あそばされたのであります。
当時、他国が日本を襲う萠しなどは全くなかった。誰もが「日本は四方を海で囲まれている、どこの国が攻めて来るというのか」と言って、立正安国論の「他国侵逼」のご予言を信ずる者は一人もいなかった。
その中で、大聖人ただ御一人が「他国侵逼」を厳然と予言されたのです。
そしてその御予言は、十四年後の文永十一年、さらに弘安四年と、二度にわたる大蒙古の襲来により、事実となっているのです。
仏様でなくて、どうしてこのような御予言がなし得ましょうか。
撰時抄には「未萠をしるを聖人という」また「三世を知るを聖人という」と仰せられている。
まさしく日蓮大聖人こそ、末法下種の御本仏・久遠元初の自受用身であられる。ゆえに、未来に起こることを知り給うたのです。
立正安国論にはその冒頭に、災難が起こる原理が示されております。すなわち
国中が正しい仏法に背いて邪法に執着するならば、仏法と国土を守護する諸天善神はその国土を捨てて相去る。よって魔・鬼が国土に乱入して、災難が起こる――と示されている。
諸天善神の存在は、仏法を知らぬ人には信じられないかもしれない。目に見えないし、凡夫の思慮が及ばぬ存在だからです。
だが、この大宇宙には厳然として梵天・帝釈・日月・四天等の諸天が存在しているのです。見えないからと言って否定してはいけない。
たとえばブラックホールは、一〇〇年も前にアインシュタインがその存在を理論上から予言していた。しかし誰もそれを信じなかった。
ところがつい最近、世界中の天文台の協力によって、ついにブラックホールの存在が証明され、新聞各紙に大きく報道されましたね。私はこれを思い出す。
諸天善神も目に見えないからと言って、その存在を否定してはいけない。諸天は、大宇宙に厳然として存在し、仏様の御化導を常に守護しているのです。
ですから、この国に御本仏出現して一切衆生を救わんとするに、もし国中が邪法の僧等の唆しによってこの御本仏を信ぜず、悪口・罵詈・杖木等で責めるならば、諸天はまず天変地夭を以て一国を諫める。
それでもなお流罪・死罪等の理不尽な迫害を続けるならば、ついに諸天は隣国をしてこの日本を責めしむる。そして御本仏を守護し奉るのです。
ゆえに、第一回の蒙古襲来直後の文永十一年に著わされた「聖人知三世事」には、こう仰せ下されている。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀し、刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」と。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」とは、日蓮大聖人こそ、熟脱の教主釈尊に勝る世界第一の下種の御本仏、久遠元初の自受用身である――ということ。
しかるに日本国の人々はこれを知らず、国主より万民にいたるまで日蓮大聖人を軽んじ毀り、刀杖を加え流罪・死罪に処するがゆえに、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は、隣国に命じてこの日本を責めしめるのである――と仰せられる。
まさに立正安国論における他国侵逼の予言的中こそ、日蓮大聖人が末法下種の御本仏・久遠元初の自受用身であられることを立証する大現証なのであります。
また、この予言的中は、日本国の人々を改悔せしめ、死後、無間地獄の大苦を今生に消さしむるという大慈大悲であられる。
ゆえに佐渡御書には
「現世に云をく言の違わざらんをもて、後生の疑いをなすべからず」と。
立正安国論の予言が一分も違わずに的中したことを以て、もし改悔しなければ死後、無間地獄に堕ちることも疑ってはならぬ――と日本一同に仰せられている。
日寛上人はこの御文を拝して
「此において暫時 筆を閣き、紅涙白紙に点ず」(撰時抄文段)と記されている。
日寛上人ほどの御方ですから、大聖人様の大慈大悲が、実感として胸にお迫りになるのでありましょう。
また「王舎城事」には
「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天 罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
まず、日蓮大聖人と南無妙法蓮華経を憎み敵対する人々を、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は、罰して人々に見懲りさせよ、と申しつけた――と仰せられている。
どういうことか――。
日本国の人々は、下種の御本仏に敵対することが、死後 無間地獄に堕ちて耐えがたい大苦を受ける原因になることを知らないのです。これを大聖人様は不憫に思われ、諸天に命じて、蒙古の責めという現世の大罰を以て懲りさせ、改悔せしめよ――と仰せられているのです。
まさに大聖人様が諸天に申しつける絶大威徳まします御本仏であられること、この御文により、はっきりとわかりますね。
ゆえに
「日蓮 法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし」と。
大聖人が「法華経の行者」すなわち末法下種の本仏であるかないかは、この一事を見ればわかる――と仰せられる。そうなのです。諸天に申し付け給うたことが、そのとおりになる。まさしく日蓮大聖人こそ、下種の御本仏・久遠元初の自受用身であられるのです。
そして最後に
「あへて憎みては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」
蒙古の責めを諸天に申し付けたのは、国主や日本の人々を憎んで言うのではない。これこそ大慈大悲の力、すなわち無間地獄の大苦を今生のうちに消さしめんとするものである――と。
釈尊は、末法下種の御本仏を憎み迫害する罪を法華経の譬喩品に
「其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更生れん。是の如く展転して無数劫に至らん」と説いている。
御本仏を怨む罪報は、死してのち阿鼻獄に入るが、その期間は一劫や二劫ではない、「無数劫」という想像もできない長年月にわたり、耐えがたい大苦に遭う、と説かれているのです。
大聖人様はこれを最大の不憫と思しめされ、この無間地獄の大苦を今生に消さしめるため、蒙古襲来という現世の大罰を見さしめ改悔せしめ給うたのです。まさに大慈大悲であられる。
かくて日本国の一切衆生は、この蒙古の責めの大恐怖の中に、日蓮大聖人の御名と南無妙法蓮華経を深く命に刻み、未来に仏に成るべき種を植えて頂いた。これが御在世における逆縁広宣流布であります。
そして未来には、正系門家が御遺命に違背し、国民一同も未だ日蓮大聖人を信ぜぬゆえに、「前代未聞の大闘諍」「他国来難」が起こる。その恐怖の中に今度は日本一同、日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、ついには国立戒壇が建立される。これが順縁広布であります。
すべては、日蓮大聖人ただ御一人の大慈大悲によるのであります。
そして現証の第三は「国家権力も御頸切れず」すなわち竜の口の大現証です。これこそ最も重大な現証であります。
これは国家権力による死刑罪であるから絶体絶命です。しかも大聖人様は少しもお逃げにならない、身を隠されない。堂々とその大難をお受けになられている。国中の人々はもうこれで「必ず頸を刎ねられる」と思ったに違いない。
さて、この竜の口の大法難はなぜ起きたのかというと、国中の念仏・真言・禅・律等の邪宗の坊主たちの怨嫉によるのです。
彼らは、日蓮大聖人の破折によって自宗の誤りが明らかになったので、やがて自身の地位も失せ、利権も失うであろうことを恐れたのです。
そこで民衆を煽動して「日蓮房は阿弥陀仏の敵だ」などと言っては憎ませ、さらに国家権力者に讒言して大聖人様を陥れんとした。
その中でもことに、民衆から「生き仏」と崇められていた真言律宗の良観と、幕府内の最高実力者・平左衛門の怨嫉は深く激しかった。二人は結託して、何としても大聖人の御命を奪わんとした。ここに国家権力による絶体絶命の死刑が執行されたのであります。
文永八年九月十二日の夕刻、平左衛門は自ら数百人の武装兵士を率いて、大聖人の庵室を襲った。ただ御一人の、しかも逃げも隠れもしない日蓮大聖人に対し奉り、この仰々しい召し取りは何事か。
これ、大聖人を国家を危うくする謀反人と見せかけるための演出です。そして裁判にもかけず、その日のうちに大聖人の御頸を刎ねんと企んだのであります。
この日の深夜、子の刻(午前零時ごろ)、大聖人様は数百人の武装兵士に囲まれて、竜の口の刑場へと馬で向われた。
途中、由比ヶ浜に出たところで、大聖人様は馬を止め、近くに住む強信の武士・四条金吾殿のもとへ「熊王」という少年を遣わされた。
報を受けて四条殿は驚愕し、裸足のまま駆けつけ、大聖人の馬の轡に取り縋り、竜の口まで御供申し上げた。
このとき四条殿は「もし大聖人の御頸が刎ねられたら、その場を去らず、追い腹切って御供を…」と決意していた。
ついに竜の口に到着した。暗闇の中で大勢の兵士たちがうごめき屯している。その中央こそ頸の座であった。
これを眼前にした四条金吾殿は
「只今なり」
と言って、その場で泣き伏した。
これを見て大聖人様は
「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」
と仰せられた。
やがて大聖人様は泰然と、頸の座に坐し給うた。太刀取りの越智三郎その傍に立つ。
そして大刀一閃、まさに降り下ろされんとしたその刹那、思議を絶することが起きた。
江の島の方より突如「月のごとく光りたる物」が出現し、光りわたったのです。
その光がいかに強烈であったか、太刀取りの越智三郎は眼くらんでその場に倒れ伏した。その衝撃がいかに凄まじかったか、刀はいくつにも折れて足下に落下した。
これを見て、兵士たちは肝を潰し、恐怖のあまり一斉に百メートルほども逃げ出し、みなことごとく砂浜にひれ伏してしまった。
頸の座にましますは大聖人ただ御一人。大聖人様は高声で叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ、近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが一人として近寄る者はいない。大聖人様は再び高声で叫ばれた。
「頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」
―頸を切るならば早く切るべし、夜が明けたら見苦しいであろう――と。死刑を催促あそばされたのです。
しかし返事をする者とてない。全員が腰を抜かし、へたり込んでしまったのです。
まさに国家権力が、ただ一人の大聖人様の御頸を刎ねんとして刎ねられず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。
このような思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、人類史上、この地球上のどこにあったか。
この大現証こそ、立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身と成り給い、末法下種の本仏と顕われ給うた御姿だったのであります。
この大現証はもう理屈ぬきですね。目に灼きつく強烈な事実を以て、一切衆生に「仏とはかくなるものぞ」ということを見せて下さったのであります。
この大現証を目の当りにした兵士たちの反応はどうであったか。
彼らは当夜、大聖人様を本間六郎左衛門の邸まで送って一夜を明かし、その翌朝、一同して、手を交え頭を下げて大聖人の御前に進み出て、こう言った。
「このたびのこと、いったい貴方さまはいかなる御人なのでございましょうか。我らが信ずる阿弥陀仏を謗っていると聞いて今まで憎んでおりましたが、昨夜来、まのあたりに拝みまいらせたことなどを見れば、あまりの尊とさに、これまで唱えていた念仏は、もう捨てました」と。
兵士たちの殺意は、一変して帰依となったのです。
私は思う。この兵士たちの姿は広宣流布の時の全日本人の姿であると。やがて全日本人が、大聖人様の絶大威徳と大慈大悲にめざめて、南無妙法蓮華経と唱え奉る時が必ず来るのであります。
以上、広告文に示した三つの現証について説明をいたしました。
私は昨年の北関東大会において
「広告文と遥拝勤行で広宣流布はできる」
と言い切りましたが、月々日々にその確信を深めております。
これこそ広布最終段階における戦いの姿なのです。御遺命を守護し奉ったゆえに解散処分を受けた顕正会に対し
大聖人様がこの広告文と遥拝勤行の大道を教えて下さったと、私は深く拝しております。
この広告文こそ全日本人の目を開かしめるメスであります。
そして遥拝勤行――。
御遺命守護のゆえに顕正会は理不尽なる解散処分を受けた。これは池田大作が顕正会の息の根を止めんとして、細井日達・阿部日顕に執行せしめたものです。
解散処分になれば、登山もできない、御本尊下附も中止となる、僧侶も葬儀に行かない。そうなれば顕正会は必ず潰れる。顕正会さえなくなれば、もう「国立戒壇」を叫ぶ者はいない、正本堂を否定する者もいなくなる。これを狙って、池田とそれにへつらう細井日達・阿部日顕は処分を強行したのです。
しかし大聖人様は「それならば、細井日達・阿部日顕の本尊を拝む必要はない。戒壇の大御本尊を直接拝みまいらせよ」――と遥拝勤行を教えて下さったのです。
以来、顕正会員は距離を乗り越え、一筋に大聖人様を恋慕渇仰して、直接、戒壇の大御本尊を拝み奉っている。
顕正会員は、大聖人様に通ずるお題目を唱え奉るゆえに大功徳を頂いている。なんと有難いことか。
一方、御遺命に背いている学会員・法華講員は罰ばかりです。これ大聖人の御心に背き奉るゆえであります。
私は「広告文と遥拝勤行で必ず広宣流布はできる」こと、深く確信しております。
広宣流布はもう遠くない、まことに近いのです。
大聖人様は「一時に信ずる事あるべし」と仰せられている。
だらだらと長い時間がかかるのではない。時いたれば一時にみな信ずるのです。
また日寛上人は
「如来の金言は、大海の潮の時を差えざるが如く、春の後に夏の来たるが如く、秋毫も差うこと無し。
もししからば終には上一人より下万民に至るまで、一同に他事を捨てて皆、南無妙法蓮華経と唱うべし。順縁広布、何ぞ須く之を疑うべけんや。時を待つべきのみ云云」(撰時抄文段)と。
潮が満ちてこない時は海は動かないように見えるが、時いたれば潮は一気に満ちてくる。もうその時が来ているのであります。
見てごらんなさい。このところの世界の動き、たいへん不安定になって来ましたね。
米国と中国の貿易戦争は相互の関税の掛け合いとなり、世界経済に大変調をもたらすようになった。世界の株式全体の価値は四〇〇兆円も減った。
私はこの貿易戦争は必ず世界大恐慌を招くにいたると思っております。第二次世界大戦の前例を見るまでもない、世界大恐慌は世界大戦争の先兆です。
なぜ、この米中貿易戦争が深刻なのかというと、その根底に、米中両国の世界覇権をめぐる抜き差しならぬ対決があるからです。
中国はすでに経済においてはアメリカに次ぐ世界第二位です。そしてこの中国の軍事膨張が、いまアメリカに重大な脅威を与えつつあるのです。
中国の核ミサイルはすでに米国本土を射程に収めているし、中国の軍事力は宇宙空間・サイバー空間にまで及んでいる。
また中国海軍は太平洋に進出し、南シナ海ではすでに軍事基地を構築し、東南アジア諸国を圧迫している。一昨日にはフィリピンのドゥテルテ大統領が講演において「一触即発の状態にある」とも述べていた。
さらに東シナ海では、日本の尖閣諸島をも奪わんとする動きを見せ、さらに台湾攻略も見据えて今その準備を進めている。またチベットとウィグル民族に対する残酷な弾圧は、とうてい許されるものではない。
中国の習近平国家主席は今や、毛沢東以来の独裁皇帝になった感がある。
この共産主義・独裁国家の中国が、もしアメリカを凌ぐ軍事力を持つに至ったとき、アメリカは国家存亡の危機に立つ。このことに警鐘乱打したのが、昨年10月のペンス副大統領の歴史的演説だったのであります。
米国はもう後には引けない。中国も後には引かない。
ここに、もし先制攻撃を受けたら取り返しがつかないとの疑心暗鬼が両国に生ずる時、最悪の事態が起こる。そのことを、私は憂えております。
もしこの戦争が始まったら、米国と中国の狭間に立っている日本は、否応なしに戦争の当事者に立たされる。
アメリカは日本に対して「自衛隊を米軍の指揮下に入れて共に戦え」と言うに違いない。中国は日本にある米軍基地を真っ先に叩く。かくて日本は真っ先に戦争の当事者となって逃げようがない。ここに「他国来難」が事実となるのです。
大聖人様は広宣流布前夜に「前代未聞の大闘諍」と「他国来難」が必ず起こることを御予言下されているが、いま恐るべきこの大難は、刻々と日本に迫りつつあるではないか。もし核を用いての大闘諍が始まれば、日本は亡び、人類は滅亡する。
この大難をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
この亡国の大難のとき、大聖人様はこの大罰を用いて広宣流布をあそばす。
このとき御奉公を申し上げるのは、解散処分を受けるとも御遺命を守り奉った顕正会以外には、あるべくもない。
顕正会は会員わずか八千のとき諫暁に立った。そして一万二千で解散処分を受けた。だが潰れもせず、今や三百万をめざして日本国を独走している。この不思議、誰人に予想できたであろうか。
これ偏えに、大聖人様の御守護以外には全くない。
学会・宗門は御遺命に背いたゆえに、すでに広宣流布に戦う資格も力も失ってしまった。
顕正会がなさずして、誰人がこの御奉公をなすのか。
さあ、広布最終段階のこの戦い、日目上人の御足跡残る東北顕正会こそ、みごとその先陣を切り、何としても大聖人様に応え奉ってほしい。しっかり頼みます。
以上。(大拍手)