きょうの総幹部会は、始めから終わりまで、凄いですね。素晴らしい。大感動いたしました。
さて、本年の最終法戦九・十・十一月は、広宣流布の決戦場たる二〇年代突入を眼前にして、何としても二百十三万を大きく突破したいと念願して戦ってきた法戦でした。
そして先ほど発表されたごとく、ついに九・十・十一月法戦としては過去最高の三万五千三九三名の大折伏が叶い、その結果、顕正会の会員総数は、ついに二百十三万七千名となりました。(大拍手)
この二百十三万七千の地涌の菩薩が団結して、いよいよ広宣流布の決戦場に臨むのだ、大聖人様の御照覧を賜われるのだと思えば、ただ胸躍り、全身が引き締まるをおぼえるものであります。
みなさんには、台風が相次ぐ悪天候が続いた中、真心こめての、涙の出るような大法弘通、私はただただ有難く思っております。
そしてこの法戦で、ことに感じたことがある。それは――
広告文に対する反応が以前とは変わって来たということです。「以前は全く受け付けなかった人々が多かったが、最近は耳を傾け求める人々が目に付くようになった」という報告、多く聞きますね。
これは、人々がそこはかとなく、日本の将来・自身の将来に対して、不安を感じ始めているのです。
ゆえに人生の杖・柱を求める。心の奥で、お救い下さる仏様を求めているのだと、私は思っております。
最近の異常気象の激しさを見てごらんなさい。
昨年は西日本で大洪水があった。そして本年は猛烈な台風が次々と日本を襲い、列島は泥水で覆われた。台風19号においては、その被害総額さえ、未だに不明といわれている。
また地震活動を見れば、日本における観測史上の最大「マグニチュード9・0」といわれた八年前の東日本超巨大地震によって、日本列島は地殻が不安定になり、「大地動乱の時代に入った」と、地震学者は口をそろえている。
いよいよこれから「首都圏直下」「南海トラフ」等の巨大地震が相次いで起こる、そういう時代になって来たのです。まさに天変地夭ですね。
また経済を見れば、今や世界同時不況が迫りつつある。
中国・アメリカ・日本・EU、これらの国々が同時に不況になり、それが世界恐慌になる。どの国が発火点になってもおかしくない。
その時期は、遅くとも二〇年代半ばと思われる。これ、仏法でいえば「大飢渇」であります。
さらに日本のまわりを見わたせば、日本はいつのまにか中国・北朝鮮・ロシアによって取り囲まれている。これら三国はいずれも強大な核兵器を持ち、日本に敵意を懐いている。
まさに他国侵逼の舞台装置が、自然と整って来てしまった。これが諸天の働きなのであります。
大聖人様は立正安国論において、災難が起こる原理を次のようにお示し下されている。
「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」と。
この御意を拝せば
もし国中の人々が日蓮大聖人に背くならば、国土を守護する諸天善神はこの国を捨て去り、さらに仏法護持の聖人も去り給う。ここに魔や鬼が国土に乱入し、災難が並び起こる――ということです。
今の日本を見れば、人々は未だに日蓮大聖人を信ぜず、背いている。
そのうえ、一国を諫めるべき正系門家が日蓮大聖人の御遺命に背いて「国立戒壇」を否定している。この御遺命違背こそ亡国を招く最大の原因。そしてこの違背はすでに五十余年に及んでいる。
ここに諸天は怒り、まず天変地夭を以てこの国を罰するのです。
これを見て人々は、日本の将来・自身の将来に不安を感じ、杖・柱と頼るべき仏様を心の奥で求め始めている。これが今の日本の人々の姿なのであります。
さらに諸天の誡めが厳しくなり、ついに他国来難によって日本が国家存亡の危機に立たされる時、顕正会が叫び続けている
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大な御金言が、始めて人々の心魂に徹し、一同に手を合わせて「助け給え、南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と、必ず唱え奉るようになる。
その究極の一時点が、大聖人御予言の
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
であります。
まさに広宣流布は一時に成るのです。そして顕正会の弘通のテンポは、この一時点をめざして、月ごとに、年ごとに、加速度を付けていくのであります。
さて本年二月、阿部日顕の、「道理から言っても国立戒壇は誤りですから、…『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」との大謗法の言葉が再び掲載された悪書が、発刊されましたね。
これを見て、私は三月の総幹部会でこう言った。
「長きにわたった正系門家における御遺命破壊のたばかりも、いよいよ最終章に至った。正系門家が、いつまでも無智・無道心の禿人ばかりであるわけがない。…正系門家の中から、必ずや正義にめざめて立つ『有羞の僧』が二人・三人と出現することを私は確信している。広宣流布の時には日目上人が御出現になる。その広宣流布はもう近い。ならばどうして、日目上人御出現の露払いとして、正直にして少欲知足、道念ある有羞の僧が次々と出現しないわけがあろうか」と。
そして十一月の初め、一通の文書が顕正会本部に宛てて送られてきました。それが先ほど横田理事が読み上げたものであります。
私はこの文書を読んだとき、感動した。足立淳正住職には欲も名利も保身もない。ゆえに「国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命である」と強く言い切ったのです。
このように正義を述べれば、どのような仕打ちをされるかわからない。しかし足立住職は大聖人様への忠誠心から、捨身でこの決意を表明した。
私はその信心が嬉しかった。「あゝ有羞の僧が出て来たな」という思いが湧いてまいりました。
今後、正信会からも宗門からも、続々と「有羞の僧」が出てくること、私は確信しております。もう「時」が来ているのです。
さもなければ、大聖人様に申しわけないのであります。
ついでに言っておきます。
宗門では未だに「国立戒壇は御書にはない」などと言う悪僧どもがおりますね。だから法華講員まで真似をしている。
ここで改めて破折をしておきます。
いいですか。この幼稚なたばかりは誰が言い始めたかというと、池田大作です。彼が昭和四十年に言い出したものです。昭和四十年といえば、池田が学会総会で始めて「正本堂建立」を口にした、その翌年に当る。
云く
「戸田先生もわれわれも、いちじ『国立戒壇建立』といってきました。しかしどこを捜しても、御書には『国立戒壇建立』ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです」(聖教新聞・昭和40年9月22日付)と。
池田は、公明党の衆議院進出に伴って「国立戒壇」が評論家・マスコミ等の批判を受けたことから、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」と考え、国立戒壇を捨ててしまったのです。
しかるに彼は「大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃった」などとヌケヌケ言う。なにが「ちゃーんと」だ。
これを承けて、阿部日顕も「国立戒壇論の誤りについて」という悪書の中で、こう書いた。
「戒壇について言及された御文は、御書四百余篇中、三大秘法抄と一期弘法抄のみであるが、それらの御文にも国立戒壇の語はない」(取意)と。
これらのたばかり、まことに許し難い。
いいですか。
「御書に『国立戒壇』という言葉がないから国立戒壇は誤りだ」というのなら、法華経に「一念三千」という言葉はないのに、この言葉を用いた天台大師は誤ったことになるが、どうか。
そうではないでしょ。
たとえ法華経に「一念三千」という文言はなくとも、その義がある。すなわち法華経の所詮はまさしく「一念三千」である。ゆえに天台は「一念三千」の文言を用いたのであります。
ゆえに大聖人様は義浄房御書に
「されば今経(法華経)の所詮は、十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゝしき大事にては候なれ。此の法門は摩訶止観と申す文にしるされて候」
と仰せられている。
法華経の所詮は一念三千である。このことを天台大師は摩訶止観に説いている、と仰せられているのです。
ちなみに、一念三千の法門にも重々の浅深がある。すなわち法華経の迹門に説かれている諸法実相に約しての理の一念三千と、本門文上の本因・本果・本国土の三妙合論に約しての事の一念三千と、寿量文底秘沈の人法体一・事の一念三千です。
そして、文底秘沈の事の一念三千に対比すれば、迹門・理の一念三千も、本門・事の一念三千も、共に理の一念三千となり、文底秘沈の一念三千だけが事の一念三千となるのです。
天台・伝教は、迹門理の一念三千と文上本門の事の一念三千だけは説き顕わしたが、寿量文底秘沈の事の一念三千については、胸の内には知るといえども未だ述べていない。それは天台・伝教が迹化の菩薩で、その資格なきゆえです。
この文底の大事は、末法下種の御本仏・日蓮大聖人でなければ説き顕わすことができないのです。
ゆえに開目抄には
「一念三千の法門は、但法華経の、本門寿量品の、文の底に秘して沈め給えり。竜樹・天親知ってしかも未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみこれを懐けり」
と仰せられている。
この文底秘沈の大法こそ、久遠元初の自受用身が証得された、人法体一の事の一念三千で、その体はまさしく「本門戒壇の大御本尊」であられる。そしてこの大御本尊こそ三大秘法の随一なのであります。
されば文底の眼を開けて見れば、法華経はまさしく三大秘法を説き顕わした経なのです。
ゆえに三大秘法抄の結文にはこう仰せられている。
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。秘すべし秘すべし」と。
法華経を、諸仏が世に出現する一大事と説かれている所以は、実に寿量品の文底に三大秘法が説かれているからである。ゆえに「秘すべし秘すべし」と仰せられているのです。
以上のごとく、たとえ法華経に「一念三千」という言葉はなくとも、その所詮の義に約して天台はこれを「一念三千」と述べ
大聖人様はさらに一重深く、所詮の義を
「寿量品の事の一念三千の三大秘法」(義浄房御書)
と仰せあそばされているのであります。
この道理は、三大秘法抄の御文と国立戒壇についても、同じです。すなわち
たとえ三大秘法抄に「国立戒壇」という文言はなくとも、所詮の義は「国立戒壇」である。ゆえに端的にこれを「国立戒壇」というのであります。
三大秘法抄にまさしく国立戒壇が説き示されていることを、ここに改めて拝します。
まず本文を拝し奉る。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して……」と。
この御文の意を拝せば
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪にめざめて、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法であり、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識すること。
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」とは、天皇も、大臣も、国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るということ。
「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とは、昔、有徳王が身命を捨てて覚徳比丘を守ったごとく、戒壇の大御本尊を守護し奉るにおいては、身命も惜しまぬという大護法心が国主以下全国民にみなぎった時――ということ。
「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、「勅宣」とは天皇の詔勅、「御教書」とは時の行政府の令書。これを申し下すとは、国家意志の表明がなされるということです。すなわち、仏法を守護し奉るとの国家意志の表明を戒壇建立の必要手続とせよ、ということであります。
いいですか。この御定めのままに建立される戒壇は、まさしく「国立戒壇」ではないか。
そして「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」と「国立戒壇」の関係を言えば、まさしく
三大秘法抄の御文を要言すれば一期弘法付嘱書の「国主此の法を立てらるれば」の御文となり、その御文をさらに約言すれば「国立戒壇」となるのであります。
ゆえに歴代先師上人は、三大秘法抄・御付嘱状に御遺命された戒壇を、端的に「国立戒壇」と仰せられているのです。
されば第五十九世・日亨上人は
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)と。
さらに第六十四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と。
さらに第六十五世・日淳上人は
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)
また
「この元朝勤行とても……二祖日興上人が、宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)と。
このように歴代先師上人は、三大秘法抄・一期弘法抄の御意をそのまま「国立戒壇」として、叫び続けて来られたのであります。
しかるに、今なお池田大作・阿部日顕のたばかりの真似をして「国立戒壇」を否定する悪僧があるならば、それこそ御本仏に敵対する逆賊である。速かに宗門追放しなければいけない。
立正安国論には法を壊る者に対しては
「呵責し駈遣し挙処せよ」
と仰せられている。つまり追放せよということです。
また滝泉寺申状には
「法を壊る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なり」
と。この御誡めを拝して、いま宗門の僧侶はどう思っているのか。
いいですか――。
池田大作が御遺命を破壊して「国立戒壇」を捨てた時も、さらに偽戒壇・正本堂を建てて「御遺命の戒壇」と偽わった時も、宗門僧侶は一人としてこの御遺命破壊を責めなかった。たとえ「時の貫首」が池田に協力していたとはいえ、それならば、なぜ「時の貫首」を諫めなかったのか。旁もって、大聖人様に対し奉る不忠ではないか。
宗門僧侶はいま改めて、「国立戒壇こそ大聖人様の唯一の御遺命でございました」と、一人ひとりが御本尊様に申し上げ、立場を鮮明にしなければいけない。
さもなければ、けじめが付かない。大聖人様に申しわけないではないか。こう私は思っております。
さて、迎える十二月は本年の総仕上げ、そして明年への準備の月であります。
さきほど行成副理事長から「十二月の前進」として発表がありました。大事なことなので少し付け加えます。
登用試験。
本年も大勢の人々が入信・入会しております。私の願いは、「全員が登用試験に参加してほしい」ということです。合格するとかしないは問題ではない。「基礎教学書」を心肝に染めて、信心を深めてほしいのです。
学ぶことにより、日蓮大聖人の大慈大悲を知り、「有難い」「お慕わしい」との恋慕渇仰の思いが湧く。この信心で南無妙法蓮華経と唱え奉れば、必ず成仏させて頂けるのであります。
そして一人ひとりが、大聖人様の御遺命のまま国立戒壇建立に戦っている仏弟子の大集団は、顕正会以外にはないとの大確信に立ち、地涌の菩薩の使命を果してほしいのであります。
五級試験の出題範囲は「基礎教学書」と「最後に申すべき事」ですね。
「基礎教学書」については登用試験のときよりも、より深く、より正確に学んでほしい。
そして「最後に申すべき事」について言えば
私は平成十七年に、国立戒壇をあくまで否定する阿部日顕に対し、事を一挙に決せんとして公開法論での対決を申し入れた。だが阿部日顕は逃げた。よって彼の三大謗法を挙げて止どめを刺したのが、この一書であります。
この書の文末にはこう記した。
「これが小生の最後の諫めである。
もしこの言を卑んで一分の改悔もなければ、後生の大苦こそまさに恐るべし。
顕立正意抄の仰せに云く
『我が弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』と。
以上、用捨は貴殿に任す。
小生はただ謹んで御本仏日蓮大聖人に言上し奉り、御裁断を仰ぎ奉るのみである」と。
そしてその二ヶ月後、不思議なことが起きたのです。阿部日顕が御開扉の導師を務めんとした時、大扉がどうしても開かなかった。この現証に怖畏を感じた日顕は、翌月ついに猊座を退いた。
このような現証を伴った一書であるから、しっかり学んでほしいと思っております。
三級試験は「立正安国論」ですね。
立正安国論は実に、日蓮大聖人の一代御化導を貫く大綱の御書です。
ゆえに大聖人様の一代御化導は立正安国論に始まり、立正安国論に終わっておられる。すなわち
本論によって国家諫暁が開始され、それより「三類の強敵」が競い起こり、この三類を用いて大聖人様は竜の口において久遠元初の自受用身の成道を遂げ給うた。
また立正安国論に御予言された自界叛逆・他国侵逼の二難は、一分も違わず符合した。このことにより、末法下種の御本仏であられることが立証され、さらに他国侵逼の大難現前の大現証を期として、大聖人様は出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を建立あそばされた。
そして御入滅に際し、門下一同に講じ給うたのが、この立正安国論であられた。
かく拝すれば、大聖人様の一代御化導はまさしく立正安国論に始まり、立正安国論に終わっておられる。
さればこの一書に、大聖人様の御願業のすべてが込められている。
しかも立正安国論奏進の際の御決意は、教機時国抄の仰せに云く「身命定めて喪わんか」と。この不惜身命の尊い御心を拝して、しっかり学んでほしいと念願しております。
まず本部会館。
昨年十一月、本部会館の地続きで東側の産業道路に面する約一千坪の土地を取得することができましたが、いよいよ明年はここに「第三青年会館」を建設いたします。完成は明年十二月の予定であります。
これで本部会館の陣容は、本部棟を中心として、西に第一青年会館、北に第二青年会館、東に第三青年会館。さらに少し離れて顕正新聞社の第一別館・第二別館が肩を並べる威容となりました。
いよいよ広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入する前夜に、このように本部の陣容が鉄壁になったこと、ただ大聖人様の御守護によるものと、有難さでいっぱいであります。
次に地方会館について言えば
本年は十一月三日に新仙台会館が落成し、感激の御入仏式が挙行されました。
そして明年は、日本海に面した鳥取県で初の会館が建ちます。山陰地方にいよいよ広宣流布の潮流が起きてきたこと、まことに嬉しい。
さらに明後年には新・新潟会館を建設いたします。
新潟県には現在すでに新潟会館・長岡会館・三条会館・佐渡会館の四会館があるが、新潟の男子部・女子部・婦人部の熱烈な弘通によって、どの会館も手狭になって来ている。ことに中心の新潟会館においては、もう収容能力をはるかに超えております。よって北陸随一の大規模な新・新潟会館を建設することにいたしました。
いいですか。あらゆる邪教はカネ儲けだけを目的としている。これは一つの例外もない。彼らはデタラメな教義で人々を騙しては、法外なカネを貪っている。よく体験発表で聞きますが、統一教会で「一億円を騙し取られた」というような人もおりますね。
一方、正系門家においても、現在の宗門僧侶は大聖人様への忠誠を失っている。
だから池田大作が御遺命の国立戒壇を否定しても、また偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と偽っても、平然としていた。少しも御遺命を守ろうなどという心は起こさなかった。
まさに大聖人を忘れ、学会にへつらうだけだった。そうしていれば寺の収入が増えるからです。
ところがその後、学会と宗門が醜い争いに陥った。これ、御遺命に背いたゆえの罰です。そして学会からの収入がなくなると、こんどは法華講員に対して「供養しろ、供養しろ」と住職は言う。これを「食法餓鬼」というのです。仏法を食いものにする餓鬼です。
彼らには、広宣流布も御遺命も眼中にない、関心事は寺の収入だけです。まさに日寛上人仰せの「名利の僧等の、仏法を以て渡世の橋と為すが如し」そのままです。
顕正会は、カネを貪ったことは一度もない。
そうでしょ。元旦勤行も、御大会式も、その他あらゆる集会も、一切、金銭を集めたことがないですよ。ただ大聖人様への御報恩と、広宣流布の情熱だけで、あらゆる集会が行われているのです。
そして、広宣流布を進める必要経費は、年一回の、しかも六万円を上限とした広布御供養だけで賄われている。
このように清らかな仏弟子の集団は、日本国の中で顕正会だけである、と私は誇りに思っております。
まさに顕正会の広布御供養とは――
大聖人様があそばす広宣流布のお手伝いをするために、会長以下の有志全員が、力に応じて、大聖人様に供養し奉るものなのです。
これが広布御供養の大精神であります。
この清らかな広布御供養は、必ず大聖人様に通ずる。ゆえにその功徳は我が身に還ってくるのであります。どうか、この誇りを以て、広布御供養を推進してほしいと念願しております。
さて、今月三日の新仙台会館御入仏式において、私は「御生骨」について述べさせて頂きました。
この御生骨は、日興上人・日目上人以来、唯授一人の血脈付法の証拠として、また広宣流布は必ず成るの証明として、代々の貫首上人の御手から御手へと伝えられて来た富士大石寺の重大な秘宝であります。
まことに凡慮を絶する不思議とはこのことです。とうてい凡夫の智恵の及ぶところではない。しかし誰人も否定できない厳然たる現証であります。
そして徳川時代の第三十七世・日琫上人の御宝蔵における御説法本には
「金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべしとなり」と。
すなわち、大聖人様が日興上人への血脈付法の証拠としてこの御生骨を賜わり、そのとき「広宣流布の時、光明を放つべし」と仰せあそばされたのであります。
この御生骨については、まことに大事なことであるから、私は過去三回、言及いたしました。平成十二年の東北代表者会議と、平成十九年の千葉本館御入仏式と、平成二十八年の垂井会館御入仏式の三回です。そしてこんどで四回目。まさに広宣流布の決戦場に突入する前に、四回、述べさせて頂いた。
ただし、これを最後といたします。もう広宣流布が近いからです。
あとはもう「御金言に云く、広宣流布の時、光明を放つべし」の大現証を拝観させて頂くだけであります。
さあ明年から、いよいよ広布の決戦場たる二〇年代に突入する。
早く大聖人様の御馬前に馳せ参じて御意のままの戦いを貫き
広宣流布ついに成るの日、全員で、紅の涙の中に、光り輝く御生骨を拝観させて頂こうではありませんか。
以上。(大拍手)