きょうの総幹部会も熱烈なる信心がみなぎり、大感動であります。
そしてきょうの会場は、白いマスクでいっぱいですね。お花畑に来たみたいだ(大笑)。
大聖人様の御在世には、正嘉の立正安国論御述作の前と、弘安元年から弘安二年にかけて、大疫病が発生しております。
大聖人様はこれを「総罰」であると仰せられ、その惨状を「日本国三分の二は病み、半分は死しぬ」と仰せられている。
当時の大疫病がどういうウィルスかは知れませんが、日本全体が大聖人様に背き、三大秘法に背いて、その罰が現われたのであります。
いま広宣流布の前夜においても、いよいよこれから三災七難が出て来る。そしてその罰によって、日本国がめざめるのであります。
ゆえに広宣流布の前夜のこの三災七難、私たちは大確信に立って乗り越えたい。同時に油断なく、用心深く、しなやかに乗り越えて行きたい。
ですから、流行って来たら、総幹部会でも、マスクなど遠慮なく付けて結構です。そしてきょうは会歌の大合唱もやめました。みんな大きな声だから唾が飛ぶ(爆笑)。
とにかく、しなやかに、そして力強く乗り越えて広宣流布を進めていく。これが二〇年代を迎えての、私の思いであります。
さて、広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入して、最初の法戦の二・三・四月、全顕正会にみなぎる歓喜と情熱は凄いですね。
昨日の月曜日、二月二四日現在で、折伏弘通は実に一万三千六六六名に達しております。日本国中が新型コロナウィルスで不安・騒然としている中で、広宣流布はこのようにしんしんと進んでいるのです。
いま顕正会には、日蓮大聖人の仏法を以て人を救い、国を救わんとの情熱がみなぎっている。そしてどの組織も歓喜の力で広宣流布が進んでいること、私は何より有難く思っております。
堀日亨上人は「富士日興上人詳伝」において
「日興上人の御門下においては“広宣流布 朝夕近し”の情熱が満ちていた」
と仰せられている。
だからこそ、交通機関もない当時において、北は東北から南は九州に至るまでの、あの驚異的な弘通がなされたのです。
しかし日昭・日朗・日向・日頂・日持等の五老僧の門流では、このような弘通は全く見られない。
所詮、大聖人様の御意に背いたら、御遺命に背いたら、死身弘法などはとうていあり得ないのであります。
先般、日興上人御報恩勤行会を奉修させて頂きましたが、その折、拝読した「原殿御返事」において、日興上人は次のごとく仰せられている。
「御弟子悉く師敵対せられ候ぬ」
―五人の老僧はことごとく本師・大聖人に背き奉った、師敵対に陥ってしまった――と。
そうでしょ。
大聖人御入滅後、五老僧はたちまち「日蓮大聖人の弟子」という立場を捨てた。そして幕府に捧げる書状には、己れの肩書きを「天台沙門」としたり、あるいは「日蓮聖人の法門は天台宗なり」などと言ったり、あるいは釈迦の仏像を本尊にしたり、あるいは神社参詣をしたり、あるいは念仏・真言等の坊主と肩を並べて国家安泰の祈祷をしたりと、まさに師敵対に陥ったのです。
なぜ五老僧ともあろう者が、このように忽ち大聖人に背き奉ったのかと言えば、理由は二つある。
一つには臆病のゆえです。
彼らは鎌倉幕府の弾圧を恐れた。もし「日蓮大聖人の弟子」と名乗れば弾圧がある。そこで「天台沙門」と名乗って国家権力にへつらったのです。
もう一つは、智解浅きゆえです。
彼らには大聖人御弘通の大法が、天台・伝教も未だ弘めぬ、ただ本門寿量品の文底に秘沈された三大秘法であることが解らなかった。
法華取要抄という御書は、佐渡からお還りになって身延御入山を待つようにしてお認めになられた重書ですが、その中でこう仰せ下されている。
「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と。
―釈尊滅後二千余年の間、インドの大論師といわれた竜樹・天親も、中国で法華経を弘めた天台も、日本の伝教も、未だ弘め給わぬ秘法、それこそが「本門の本尊と戒壇と題目の五字」すなわち三大秘法である――とハッキリと仰せられている。
しかし「日蓮聖人の法門は天台宗だ」などと思い込んでいる五老僧たちには、この文底深秘の大法は全くわからなかった。いわんや、大聖人様が釈尊よりも勝れたる久遠元初の自受用身、末法下種の御本仏であられるとは、思慮も及ばない。これを「雖近而不見」(近しと雖も而も見えず)というのです。
このように智解浅く、不惜身命の決意もなかった五老僧だから、日興上人と疎遠になるに随って、ついに大聖人の御義に背く師敵対に陥ってしまったのであります。
これを見て日興上人は
「御弟子悉く師敵対せられ候ぬ」
と仰せられ、続けて
「日興一人、本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意忘るること無く候」と。
―日興一人、御本仏日蓮大聖人の正義を知り、広宣流布・国立戒壇建立の御遺命を遂げ奉るべき立場にある者であれば、その本意、忘れたことはない――と。
まさに大聖人様から血脈相承を受けた「本門弘通の大導師」としての、鉄石の御決意をここにお示し下されている。
かくて身延を離山され、富士大石寺を建立されたのであります。
以来、七百年。正系門家・富士大石寺は「広宣流布・国立戒壇建立」を、唯一の宿願・唯一の大目的として来たのであります。
その文証を挙げます。
第五九世・日亨上人は
「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)と。
第六四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿落成慶讃文、昭和30年11月)と。
第六五世・日淳上人は
「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる、その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)と。
文中の「国家的に建立せられる」とは、一団体・一宗門で建てるのではなく、広宣流布の暁に、天皇も大臣も一同に戒壇の大御本尊を信じ奉り、身命を賭し国家の命運を賭しても、この戒壇の大御本尊を守り奉ることを国家意志として表明した時、始めて立てられる戒壇こそが大聖人御遺命の戒壇である。これを「国家的に戒壇が建立せられる」と、日淳上人は仰せられているのです。
さらに日淳上人は
「この元朝勤行とても…二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて、国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮、昭和34年1月号)と。
これらの文証を見れば、正系門家・富士大石寺が、日興上人・日目上人以来七百年、ただただ日蓮大聖人の御遺命たる「国立戒壇建立」を悲願・宿願とされて来たこと、太陽のごとく明らかであります。
ところが広宣流布前夜の今になって、第六天の魔王のたばかりによって、国立戒壇建立という大事の御遺命は消滅してしまったのです。
それは宗門においては第六六世・細井日達の時、創価学会においては第三代・池田大作の時であった。
しかしこの細井日達も、日淳上人から御相承を受けて登座した直後においては、正論を述べていたのです。
昭和三五年一月の宗門機関誌「大日蓮」を見れば
「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」と。
また同月の学会機関誌「大白蓮華」には
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」
と書いている。
また池田大作も昭和三一年四月の「大白蓮華」には
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」
と明記している。
このように細井日達も池田大作も、曽ては当然のごとく「国立戒壇」の正義を叫んでいたのであります。
だが、第六天の魔王は広宣流布の前夜に至って、正系門家から国立戒壇建立の御遺命を抜き取らんとしたのです。
以下、その経緯を簡略に説明します。
第六天の魔王はまず、八百万学会員を率いて大慢心している池田大作の身に入った。
やがて池田は政治野心を起こして公明党を結成し、衆議院に進出することを宣言した。
これを見て、共産党をはじめ評論家・マスコミ等が一斉に、学会がそれまで主張していた「国立戒壇」を取り上げて、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と批判した。
しかしこの批判は当らないのです。そもそも国立戒壇というのは、広宣流布の暁に全国民の総意によって、仏法に基づく新しい憲法が制定されたうえで建立されるものです。したがって現憲法の下で建立されるのではないから、「憲法違反」などという批判は全く当らない。
だが、天魔その身に入る池田大作はこの批判を恐れた。魔が入ると臆病になるのです。
彼はたちまち「国立戒壇は御書にはない」などと言い出し、自ら国立戒壇を否定したうえで、偽戒壇・正本堂を大石寺境内に建て、これを「時の貫首」に「御遺命の戒壇である」と承認させようとした。「時の貫首」は細井日達であった。
日興上人は未来にこのようなことあることを慮られて、「遺誡置文二十六箇条」に次のような御誡めをされている。
「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」と。
―たとえ多数の意見であったとしても、それが大聖人の御義に違っているならば、貫首は断固としてこれを打ち摧かなければいけない――と。
だが細井日達は、貫首として命を賭しても守るべき御本仏の御遺命を、池田大作に売り渡してしまった。それは、池田の威を恐れ、かつ莫大な供養金に心を蕩かされたからです。
かくて昭和四十二年十月、「正本堂発願式」が行われた。この発願式には細井日達の導師のもと、宗門の高僧と学会大幹部が参列した。席上、池田大作は「正本堂は事の戒壇であり、宗門の宿願はここに成就する」旨を記した「発誓願文」を、誇らしげに読み上げた。
やがて正本堂の工事が始まり、正本堂の落成は昭和四十七年と決まった。
池田大作はこの落成式において、細井日達に「広宣流布はすでに達成」「御遺命の戒壇はここに成就」と宣言させる魂胆であった。
もし「法主」が宗門の公式決定としてこれを内外に宣言したら、そのとき御遺命は完全に破壊される。
それは、流罪・死罪を忍び給うた大聖人様の一代三十年の御化導が、水泡に帰するを意味する。
このとき、大聖人様の厳たる御命令が私の耳朶を打った。
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」
「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」と。
また日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と。
もし時の貫首の権威を憚り、学会の権力の強大を恐れて、この大悪を見ながら黙っていたら、これこそ「大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。大聖人様に申しわけない」――ただこの一念で、私は御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
昭和四十五年三月、私は「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を認め、宗門・学会の首脳十二人に送付した。この諫暁書は池田大作の肺腑を抉った。
以後、連々たる諫暁は今日にいたるまで五十年。その間、学会は正本堂のたばかりを二度にわたって文書で訂正し、細井日達もまた「訓諭」の誤りを文書で訂正した。
しかし彼らの訂正は、私に追い詰められ、逃げ場を失った挙句の訂正であり、本心からの改悔ではなかった。ゆえに彼らはついに、「邪魔者は消せ」とばかりに、顕正会を解散処分にしたのです。
だが、顕正会は微動もせず、諫暁はいよいよ強まった。
そのうちに学会と宗門の間で争いが始まった。これまさに罰であります。
そしてこの抗争の最中に、細井日達は大事の御相承をもなし得ずに急死してしまった。
次いで、池田と相謀って猊座を簒奪した阿部日顕は、池田大作と一体になって、偽戒壇・正本堂の最後の仕上げである「本門寺改称」という陰謀実現に向かって直進した。
だが不思議にも、またしても細井日達の時と同じように、阿部日顕と池田大作との間で争いが始まった。この抗争は「修羅と悪竜の合戦」を思わせるほどの激しく醜いものだった。
池田大作は阿部日顕を猊座から引きずり降そうとして、日顕のスキャンダルを徹底して暴いた。
その結果、阿部日顕は池田大作が最大の誇りとしていた正本堂を、瞋りに任せてついに打ち砕いてしまった。
まさに誰人も予想だになし得ぬことが起きたのです。
これすべて、大聖人様の御計いであられる。
いいですか。池田大作は政治・選挙のために国立戒壇を捨て、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。そして二人の貫首は池田大作にへつらってこの大悪に協力した。かくて正系門家から、国立戒壇建立の御遺命は消滅したのであります。
だが、大聖人様は断じてこの大悪を許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、ついに正本堂を打ち砕かせ給うた。これこそ目に灼きつく大現証であります。
またこの悪事に加わった三人の末路を見れば――
池田大作はすでに「生ける屍」となって九年。
細井日達は大事の「御相承」もなし得ずに急死して、臨終に堕獄の相を現じた。
阿部日顕は四十年間にわたり「詐称法主」と言われ続け、その間、国立戒壇の誹謗を続けたが、長い病苦の末に昨年九月二十日に命終した。その臨終の相も今は隠されているが、やがて明らかになること疑いない。
これらを見れば、まさに「大陣すでに破れぬ、余党は物のかずならず」との仰せのままであります。
かくて、第六天の魔王が企んだ御遺命破壊のたばかりも、ようやく最終章を迎えたのであります。
だが、未だに国立戒壇は否定されたままになっている。
それはどういうことかと言えば――
細井日達は昭和四十五年五月三日の学会本部総会において、「国立戒壇の永久放棄」を内外に宣言した。これは日蓮正宗としての公式表明です。この総会には内外多数の報道関係者も招かれていた。
また阿部日顕は、平成十六年の「全国教師講習会」における講義録を昨年二月、一冊にまとめ、「近現代における戒壇問題の経緯と真義」と称して発刊したが、その中で「国立戒壇は間違いだ」との謗言を改めて強調している。これが昨年二月。
このように二代の貫首が公言した「国立戒壇の否定」は、未だそのままになっている。
そのうえ宗門は昨年、「顕正会破折Q&A」と題する冊子を発刊して「国立戒壇」を散々に誹謗し、さらに教学部長・水島公正は法華講講習会において、「国立戒壇は御書にはない」などと痴論を述べている。
これらを早瀬日如管長が知らぬはずがない。
ゆえに私は昨年七月の総幹部会において早瀬管長に対し
「日蓮大聖人の唯一の御遺命は国立戒壇建立であると、早く宣示したまえ」と直諫したのです。
しかし、今にいたるまで宣示はない。まことに優柔不断であります。
宣示がなければ、正系門家から国立戒壇建立の御遺命は消滅したままではないか。その間、すでに五十余年――。
私は声を大にして言いたい。
「大聖人様に対し奉り、申しわけないとは思わぬか」と。
「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家における御遺命消滅は必ず日本を傾けるのです。
ゆえに大聖人様は伝教大師の正系門家・叡山にことよせて、次のごとく仰せ下されている。
「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆへに、異国我が朝をほろぼさんとす」(法門申さるべき様の事)と。
そして「時」はもう待ってくれない。
見てごらんなさい。
二〇年代に突入して、世界は俄に騒然として来たではないか。
正月早々にイラン問題が起き、つづいて新型コロナウィルスが発生して世界を恐怖に陥れた。
まずイラン問題。
1月3日、アメリカ軍はイランの革命防衛隊の対外工作機関「コッズ部隊」の司令官・スレイマニを、無人機・ドローンで殺害した。これにより中東情勢は一気に緊迫した。
革命防衛隊というのは、ロウハーニー大統領が率いている軍隊ではなく、イスラム教聖職者で最高指導者のハメネイの直属軍事組織です。その総兵力は12万5千。たいへんな兵力ですね。
この革命防衛隊は、イラクやシリアで凄まじい破壊活動を行なっており、中東の大きな波乱要因となっている。
イランはこの革命防衛隊を尖兵として、イラク・シリアそしてレバノンにいたるまでの、いわゆる「三日月形の領土」を支配しようとしている。その最終の目的は、イランを盟主とするイスラム・シーア派の帝国を作らんとするところにあるのです。
そうなれば、サウジアラビアなど他のスンニ派系のアラブ諸国との緊張が高まる。
もっと重大なことは、レバノンとシリアがイランの勢力圏に陥れば、イスラエルとの軍事対決は不可避となる。そのイスラエルは核兵器を持っている。まさしく破局的な中東戦争が起こるということです。
そのような中での、米軍によるスレイマニ司令官の暗殺であった。これでイラン国内の反米感情は一気に高まった。
そしてこの反米感情を背景として今月21日、イラン国会議員の選挙が行われたが、アメリカに敵対する保守強硬派が全議席の7割超を獲得し、圧勝した。
今後イランは、いよいよ反米で一結して、中東動乱の発火点になること疑いない。
さらにいま、世界を不安に陥れている新型コロナウィルスの拡大――。
日本にも広がって来ましたね。全世界に爆発的に広がるパンデミックになるかどうか。今はその瀬戸際といわれている。
大聖人様は弘安二年の出世本懐成就御書で、こう仰せられている。
「日本国の大疫病と、大けかちと、同士討ちと、他国よりせめらるゝは総罰なり」と。
ここに仰せの「大疫病」とは、弘安元年から二年にかけて発生した大流行病のこと。
「大けかち」とは、飢饉・食糧危機のこと。今日でいえば経済崩壊による生活苦もこの中に入る。
「同士討ち」とは、当時、北条一門の中で仲間割れが起き京都・鎌倉で合戦が起きたこと。すなわち内戦です。
「他国よりせめらるる」とは文字どおり他国侵逼の大難であります。
これらの大災難は、国中が、大恩徳まします日蓮大聖人に背くゆえに起こる「総罰」なのです。
就中、今日においては、正系門家が御遺命に背いていることこそ最も罪が重い。これこそ根本原因であります。
その総罰が次々と現われてくるのが、まさしく広宣流布の決戦場たる二〇年代なのです。
いま世界経済がすでに下降局面に入っていることは、IMF等の発表により明らかです。
その中でも日本は1千兆円を超す大借金があるうえ、アベノミクスによる無責任な異次元金融緩和で財政破綻は必至です。もう残された時間は少ない。内閣府が発表した昨年10月~12月期のGDPは、前期比で6・3%減になった。今後、先に行くほど悪くなる。
そのうえに新型コロナの懸念が世界に広がり、いよいよ経済崩壊が始まってきたのです。
まず株式市場の大暴落が始まって来た。
きのう(24日)韓国が約4%暴落した。そしてけさ取引が終えたニューヨーク市場は1千ドルを超える大暴落。これは史上3番目の暴落です。
それを受けて、けさから始まった日本も取引中に1000円を超える暴落。いよいよ大暴落が世界的に始まって来たな――という思いがいたします。
さらに海外からの日本経済への先行き懸念も広がって、円を売る動きが活発化し、21日には1ドル=112円台に下落した。
やがて物価が急激に上昇するハイパーインフレが始まってくる。これは通貨の信認が崩れて来るということです。日銀で発行する、あるいは世界各国の中央銀行が発行する通貨の信認が崩れるのです。
その予兆として今、金(ゴールド)が暴騰して40年来の高値を付けている。いよいよ経済崩壊がこれから始まるのです。
国家の財政が破綻すれば、その尻拭いは必ず国民に押しつけられる。そのとき政府は銀行預金を封鎖し、新しい通貨に切り換えて国民の資産を把握し、重税を課する。国民はハイパーインフレと重税の二重苦で塗炭の苦しみに喘ぐ。
次いで国内が分裂して「同士討ち」が起き、その後、いよいよ国が亡ぶ他国侵逼が起こるのです。
日本は今、核兵器を保有する中国・ロシア・北朝鮮に取り囲まれている。これら三国はいずれもアメリカによる経済制裁によって、財政危機に陥っている。ところがこの三国はいずれも際限のない軍事膨張を続けている。まさに修羅の独裁国家なのです。
これら三国とアメリカが抜き差しならぬ対決にいたることは、もう目に見えている。
やがて全世界を巻き込み、核兵器を用いての世界大闘諍が始まれば、そのとき世界は終わる。人類は滅亡する。
この大闘諍こそ、大聖人様が、広宣流布の前には必ず起こるとして御予言された「前代未聞の大闘諍」「他国来難」であります。
この大闘諍から、日本を救い、世界をお救い下さる御方は、宇宙的力用を有する諸天を従え、その諸天に申しつける絶大威徳まします、末法下種の御本仏・日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに大聖人様は佐渡雪中において
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と師子吼あそばされたのであります。
日本の人々は、この偉大な御本仏が日本にましますことを未だ知らない。これ門下の怠慢であり、非力のゆえであります。
顕正会こそ、この大事の御奉公をなさねばならない。
いま顕正会に「広宣流布 朝夕近し」の大情熱が滾っていること、私は何より嬉しい。
御遺命に背いた輩に、死身弘法などできるはずがない。彼らはすでに、広宣流布を進める資格も力も失っているのです。
見てごらんなさい。
学会は政治野心のゆえに国立戒壇の御遺命を捨てた。そのうえ今や戒壇の大御本尊をも捨て奉った。
また宗門はこの学会にへつらって国立戒壇を捨てた。そのうえ今や、恐れ多くも戒壇の大御本尊を営利の具として不敬きわまる御開扉を強行している。
ゆえにいま学会も宗門も、広宣流布の弘通は全く進まないのです。
所詮、御遺命に背いては、死身弘法などあり得るはずもないのであります。
宗門の本年の「法華講・正月登山」は、機関紙「大白法」によれば、元日・二日・三日の総計で、わずか「一万七千一八〇人」であったという。これは早瀬日如管長が登座した平成十七年以来の最低です。
こんなことで、どうして広宣流布ができようか。
オママゴトはやめて、ただ御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉り、真摯に出なおさなければいけない。
顕正会は八千のとき御遺命守護の諫暁に立ち、一万二千のとき理不尽な解散処分を受けた。だが微動もせず、今や二百十三万余の仏弟子の大集団となって日本国を独走している。
この不思議、ただ大聖人様の御守護以外にはないのです。
もう顕正会以外に、広宣流布を戦う仏弟子の大集団はない。
大聖人様はお待ちあそばす。
早く三百万・五百万となって、亡国眼前の日本国を揺り動かし、何としても大聖人様に応え奉りたい。
そして二〇年代は広宣流布の決戦場であれば、日本には三災七難が打ち続く。しかし、どれほど世の中が乱れようとも、大聖人様は必ず我ら弟子を御守護下さる。
ゆえに呵責謗法滅罪抄には
「何なる世の乱れにも、各々をば、法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」
と仰せあそばす。
この有難い仰せを胸に、いよいよ全顕正会一結して歓喜の大行進を起こし、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)