きょうの総幹部会は、一人ひとりの熱烈なる信心が迸り、私は涙の出るような思いで聞いておりました。
その中で中村弘一君の臨終について、男子部の村上豪利支隊長から発表がありました。
中村君は昭和三十六年の入信だと先ほど聞きました。当時、顕正会は発足からまだ四年後で、会員は三千名にも至らなかったので、私は一人ひとり、よく憶えております。
中村弘一君は夫婦ともに純信な信心を貫き、当時、男子部の幹部として一筋に戦ってくれました。
きょう始めて、亡くなったと聞きました。その良き臨終を聞いて、何とも有難く、涙が出てまいりました。
大聖人様の仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのとおりの臨終を遂げることができるのです。
顕正会はただ大聖人様の仰せのままの信心を貫いて来た。顕正会が恐れるのは、大聖人様の御眼だけだった。
だから御守護を頂き、みな功徳を頂いているのです。
いいですか。いま学会も宗門もみな功徳を失っている。なぜか、みな大聖人様を忘れているからです。
そうでしょ。
学会は選挙だけが目的。そして宗門は職業僧侶ばかり。だから学会にへつらって御遺命の国立戒壇を捨てた。
共に大聖人様を全く忘れているのです。
顕正会は大聖人様の御眼だけを恐れて御奉公を貫いてきた。そして全会員は大聖人様を恋慕渇仰して勤行に励んでいる。だから唱え奉るお題目は大聖人様に通じ、戒壇の大御本尊に通じ、大功徳が頂けるのです。
その証拠として、中村弘一君が昭和三十六年以来、退転なく信心を貫いて、今、良い臨終を遂げた。このことを聞き、改めて私は有難さを感じた次第であります。
さてきょうの総幹部会は、新型コロナウィルスの感染拡大に対応して、例月の大宮ソニックシティを使用せず、本部会館の大御本尊様の御前で、首都圏の代表幹部だけで開催いたしました。
私は、新型コロナがいま広布の前夜に総罰として日本を襲うとも、顕正会はそれを用心深くかつしなやかに乗り越え、広宣流布をたくましく進めていきたいと念願しております。
ですから、いつもの総幹部会はあの広い大会場にギッシリ鮨詰めですが、きょうは実に秩序整然ですね(笑)。みんな決まった位置にきちんと座って、まるで雛祭りのお雛さまみたいだ(爆笑)。
今後、総幹部会は、新型ウィルスが「失礼いたしました」と言って日本を去るまで、この形式で続けていきたいと思っております。
しかしこの本部会館で、大御本尊様の御前での熱烈な総幹部会、かえって有難いですね。
いま折伏弘通は、一昨日・二十四日の月曜報告では「二万四一五名」に達したとのことであります。
国中がコロナ不安で慄いている中で、このように広宣流布がしんしんと進んでいること、まさに地涌の菩薩の大集団なればこそと、ただ有難く思うものであります。
それにつけても、広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入するや、全世界の様相が一変しましたね。本当にあっという間であります。
新型コロナが急速に世界に拡大してきたと思ったら、世界中の株式相場が大暴落して世界恐慌にいたるような様相になって来たのです。
誰がこのようなことを予想できたか。まことにあっというまに変わるのです。
これを以て思うに、大聖人様が
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
と仰せられたこの「一時に」ということも、実感ですね。時いたって大聖人様の申しつけによって諸天がひとたび動けば、広宣流布は「一時」に成るのであります。
さて、この新型コロナは中国の武漢市が発生源ですね。その後、韓国・イラン・イタリア・アメリカ・スペイン・ドイツ・フランス・英国等々に次々と広がり、世界保健機関(WHO)は3月11日、ついに世界的感染爆発を意味する「パンデミック」を宣言するに至った。
WHOの3月25日の発表によれば、感染した国と地域は198に上る。もう全世界ということですよ。感染の起きてないのは南極大陸だけだという。だから安全なのは南極大陸のシロクマだけ(爆笑)。
そして感染者数は前の日から4万人以上増えて累計37万人超。死者の数は1万6千231人に上ったと。
感染拡大のペースも加速してますね。最初の10万人までは67日かかったが、10万人から20万人までの日数は11日。さらにその後4日で30万人になったという。ことにヨーロッパでは、イタリアの死者数が6千人を超すなど深刻化しております。
発生の大元の中国は「すでに感染を克服した」などと収束宣言を出しておりますが、中国の数字は全く信用できない。すべて中国共産党の都合でどうにでもなる数字です。
日本の感染者数も少ない。これも信用できない。日本の場合はPCR検査もわざと限定的にして、ことさら感染者を少なく見せかけている。これは、東京オリンピック開催に影響を及ぼしては…という安倍政権の思惑によるのです。しかしそのオリンピックも、ついに延期になってしまった。
19日に開かれた、政府の新型コロナ対策専門家会議では、次のような提言がまとめられていた。
「今後、感染源がわからない患者が継続的に増加して全国に拡大すれば、どこかの地域を発端として、爆発的な感染拡大を伴う大規模な流行に繋がりかねない」
「もし爆発的感染拡大が起きると、数週間にわたって都市を閉鎖したりする『ロックダウン』と呼ばれる強硬措置を、取らざるを得なくなる」と。
この提言を受けてか、毎日新聞(3月21日付)のコラムには「東京の感染 見えている?」と題して、「これだけの人口密集地で、これだけの巨大な経済活動が営まれている。ひとたび感染爆発が起きたら手がつけられないだろう」との一文があったが、私も全く同感です。
そしてきのう、小池東京都知事は緊急記者会見を開いて
「東京は感染爆発の重大局面を迎えている。もしこのままの推移が続けば、ロックダウン(都市封鎖)もあり得る」などと言っていた。
アメリカのトランプ大統領も「国家非常事態宣言」を出した。世界各国も、各都市も、相次いで「非常事態宣言」を出している。
そのような中、国連のグテレス事務総長は19日、新型コロナの感染拡大について
「われわれはウィルスと戦争をしている」と述べたのち、「世界的な景気後退はほぼ確実だ。恐らく記録的な規模になる」との認識を示した。
まさに目に見えないウィルスが地球を襲い、今その脅威に人類が慄いているのであります。
では、この新型コロナの世界的流行が、どれだけ世界経済を痛めつけているかを見てみます――。
まず世界的な株価の大暴落により、世界の時価総額は過去最高を記録した本年1月20日の88兆ドルから、3月31日には68兆9千億ドルへと約22%減少した。
ニューヨーク市場のダウ工業株平均の史上最高値は本年2月の2万9千551ドルであったが、これが3月18日の終値では1万9千898ドル、約1万ドルも暴落した。
この暴落の過程において、自動的に売買を全面的に停止させるサーキットブレーカーが、今月4回目の発動をしたが、その後も下げが止まらず、一時1万9千ドルも割り込んだ。
このような荒い値動きは、90年前の1929年の世界大恐慌以来のことで、誰も先が全く見通せない。
1929年の大恐慌の時は、2年10ヶ月も下げ続け、その間89.6%の大暴落を経て、株価はやっと下げ止まった。残りはわずか10%になってしまったのです。
こんどはその世界大恐慌と同じ、あるいはもっとひどくなるとも言われている。
日本では株価の下支えをするために、安倍政権の要請により日銀が「上場投資信託」のETFを買い続けていた。このETFは日本株と連動する。
そこで今回のコロナ・ショックで、日銀が保有しているETFの含み損が、いま膨れ続けている。このまま行けば日銀は大赤字となって、債務超過の中央銀行に転落する。
日銀の元審議委員の木内登英氏は「通貨の信認が揺らぎかねない」と警鐘を鳴らしているが、「禁じ手」の株買いを事実上したあげく債務超過に陥った中央銀行が発行する通貨が、いつまでも信認されるわけがないのです。
黒田東彦・日銀総裁の国会における証言によれば、日経平均1万9千500円が損益分岐点だそうです。もう日銀は債務超過になっているのです。
まして、日本にはすでに1千兆円を超える大借金がある。この大借金は政府が垂れ流す財政赤字を、日銀がせっせとお札を刷っては補填してきた、その累積です。いつまでもこのような放漫財政が許されるはずがない。
まもなく財政破綻・国家破産が必ず起こる。その尻ぬぐいはすべて国民に押しつけられる。
そのとき国民は、ハイパーインフレと重税の二重苦で喘ぐようになる。
私は、財政健全化など眼中に置かずに国民を騙してきた安倍政権の無責任さに、怒りを覚えております。
その中で今、ついに広宣流布の決戦場たる二〇年代を迎えたのです。
二〇年代に突入するや、突如として新型コロナが世界に蔓延し、世界大恐慌が起こらんとしていること、まことに不思議であります。
なぜこのようなことが突然起こるのか――。
これ、宇宙的力用を以て大聖人様の御化導を助けまいらせる諸天の働きであり、これこそ一国全体への総罰です。
そしてこの総罰こそ「広宣流布いよいよ近し」の前相・兆なのであります。
大聖人様が出世の御本懐を遂げ給うた弘安二年にも、前々年から引き続いての大疫病が、国中に蔓延しております。その惨状を弘安元年二月の松野殿御返事には、次のごとくお示し下されている。
「去年の春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家・百家に五十家、皆やみ死し、或いは身はやまねども心は大苦に値へり。やむ者よりも怖し。
たまたま生き残りたれども、或いは影の如く添ゐし子もなく、眼の如く面をならべし夫妻もなく、天地の如く憑みし父母もおはせず、生きても何かせん。心あらん人々争でか世を厭はざらん」と。
―昨年の春から今年の二月まで続いている大疫により、半分は死に絶えた。
そして、たまたま生き残った者も、家の中を見れば、いつもそばを離れなかった子も居なくなり、いつも一緒だった夫婦も自分一人になり、天地のごとく頼りとしてきた父母も姿を消してしまった。生きていてもどうしようもない。ただ世を厭うばかりである――と。
たいへんな惨状ですね。
これが御在世に起きた大疫病、まさに一国全体の総罰であります。
いいですか。
日蓮大聖人は久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられる。一切衆生を仏に成さんとの大慈悲を以て「南無妙法蓮華経と唱えよ」とお勧め下された。
だが当時の日本国は、念仏・真言等の悪僧たちの讒言によって、国主以下全民衆がかえって大聖人を憎み、悪口罵詈し、ついには流罪・死罪に処した。
これを見て、仏法守護の諸天善神が一国を罰した。それが御在世における総罰だったのであります。
この罰について、大聖人様は弘安二年十月の出世本懐成就御書に次のごとく仰せ下されている。
「末法の法華経の行者を軽賎する王臣・万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず。乃至
罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病と、大飢渇と、同士討ちと、他国より責めらるゝは総罰なり。疫病は冥罰なり。大田等は現罰なり、別罰なり」と。
いいですか。
「末法の法華経の行者」とは、申すまでもなく日蓮大聖人の御事。この御本仏を軽んじ賎しめ迫害する王臣・万民、始めは罰などないように見えても、ついには必ず亡ぶのである――と。
そして罰には総罰・別罰・顕罰・冥罰の四つがある。総罰とは、国全体が受ける罰。別罰とは、個人・個人が別々に受ける罰。顕罰とは、目に見えてはっきりあらわれる罰。冥罰とは、目には見えないがいつのまにか亡んでいく罰です。
「日本国の大疫病と、大飢渇と、同士討ちと、他国より責めらるゝは総罰なり」と。
「大疫病」というのは、いまのコロナウィルス感染症のようなものです。
「大飢渇」とは、大飢饉により食糧がなくなり、渇水で飲料水がなくなること。現代においては、経済崩壊により生活が成り立たないのもこの飢渇に入る。
しかし今の日本でも、食糧がなくなるという「飢渇」が起こり得る。日本の食糧自給率は30%ですよ。もし外国からの輸入が止まったら、たちまち食糧危機に陥るのです。
今、「サバク トビ バッタ」というのが異常繁殖してきたことが伝えられてますね。
このバッタの繁殖力の凄まじさは、現在約4千億匹だそうですが、6ヶ月後には18兆匹になるという。わかりますか「18兆匹」って(大笑)。わずか半年でそこまで増えてしまう。これが群がって空を飛ぶと、太陽の光さえ遮られるという。
このバッタは、アフリカで発生したのです。そしてアフリカで野山の青葉を食い尽くし、海を越えて中東に渡り、次にインドを襲い、いまいよいよ中国の国境にまで押し寄せている。もし中国に入って田畠を食いつぶしたら、中国が食糧危機になる。日本に食糧を輸出するなどできなくなる。アメリカもこのところ気象異常が激しい。ここに今の日本にも、飢渇が起こる可能性があるのです。
「同士討ち」とは、国内で争いが起こること、すなわち内乱です。
「他国より責められる」とは、文字どおり他国侵逼です。以上が総罰です。
そして疫病は総罰であると同時に、目に見えないウィルスによる災難であるから「冥罰」でもある。
「大田等は現罰なり、別罰なり」とは、あの熱原の大法難のとき、政所の役人の大田親昌・長崎時綱、さらに大聖人様のおそばに仕えながら行智に誑かされて退転した大進房・三位房の四人は、法華講衆を逮捕せんとして、馬に乗って襲ったが、四人ともに落馬して、苦しみ抜いて死んだのです。まことに不思議な罰です。このことを「大田等は現罰なり、別罰なり」と仰せられているのです。
さらにこのほかの現罰を見れば、小松原の法難のとき、大聖人様に切りつけて御額に傷を負わせ奉った東条景信も、その後まもなく大苦悶の中に狂い死にをしている。
また平左衛門は、熱原の神四郎殿等の頸を刎ねてから十四年目に、謀反を疑われ、神四郎殿等の頭を刎ねた自邸の庭で殺戮されている。日興上人はこれを「法華の現罰を蒙れり」と弟子分帳に記されております。
そして今、大聖人様の御在世に現われたこの総罰、すなわち「大疫病と大飢渇と同士討ちと他国より責めらるゝ」――これがいま日本に現われ始めたが、これこそ「広宣流布いよいよ近し」の前相であると、私は確信しております。
そしてこの総罰は、まさしく一国の謗法に依るのです。
日本は御本仏日蓮大聖人が出現し給うた本国であり、三大秘法広宣流布の根本の妙国である。
にもかかわらず、日本一同は未だに大聖人様を信ぜず、背き奉っている。
就中、最も重大な違背は、日興上人・日目上人以来七百年、大聖人の御遺命たる国立戒壇建立を唯一の宿願としてきた正系門家が、今あろうことか、御遺命に背いて「国立戒壇」を抛ってしまった。これこそ亡国の根本原因であります。
「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と。
正系門家が御本仏の御遺命に背いて、日本が傾かぬはずがない、日本が亡びぬ道理がない。その前相として、今、諸天の治罰たる総罰が現われて来たのです。
顕正会は、何としても大事な御遺命を守護し奉り大聖人様に応え奉らなければいけない。これが顕正会の使命であります。
ここに改めて、国立戒壇建立の御遺命がいかに重大かを簡略に述べます。
いいですか。
国立戒壇の建立こそ、大聖人様の究極の大願であられる。すなわち
広宣流布の暁に建立される国立戒壇に「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、戒壇の大御本尊の無量無辺の功徳と広大深遠の妙用によって、日本は直ちに仏国と成り、ひいては全世界が仏国土となる。
このとき地球上から戦争も飢餓も疫病も消滅し、世界は真の寂光土となる。ゆえに国立戒壇建立こそ大聖人の究極の大願であられるのです。
大聖人御弘通の三大秘法とは、本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目ですが、これを大聖人様はどのような順序でお示し下されたかを拝すれば――
まず「本門の題目」は、立宗の始めから「南無妙法蓮華経と唱えよ」と、母が赤子の口に乳を含めるの大慈悲を以て、これを一切衆生にお勧め下された。
次いで「本門の本尊」は、竜の口の巨難を経られて佐渡に至ったのち、開目抄において、日蓮大聖人こそ末法下種の「人の本尊」であることを顕わされ、次いで翌年の観心本尊抄において、文底深秘の大法たる「人即法の本尊」を明かし給うた。
しかし「本門の戒壇」については、その名目だけは佐渡以後これを明かし給うておられるが、内容については御入滅の弘安五年まで、深く秘されている。
そして弘安五年四月に大田金吾に賜った「三大秘法抄」と、同年九月の日興上人への「一期弘法付嘱書」において、始めてこれを明かし給うたのです。
ゆえに三大秘法抄の末文には
「予、年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加うべし。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間、貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し」と。
最重要御書といわれる観心本尊抄の「設い他見に及ぶとも、三人四人座を並べて之を読むこと勿れ」とのお誡めと比しても、格段の厳重さである。
以て、本門戒壇すなわち国立戒壇の建立が、いかに重大であるかを拝すべきであります。
ここに三大秘法抄を拝し奉れば、本門戒壇の建立について、いかなる時、いかなる手続で、いかなる場所に建てられるべきかが、明示下されている。
まず「時」については
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と定められている。すなわち
―国家が宗教の正邪にめざめて、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し
日本国の国主たる天皇も、国政を司る大臣も、全国民も、一同に「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り
この大御本尊を守護し奉るにおいては、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとくの、身命をも惜しまぬ大護法心が日本にみなぎった時――と仰せられている。
次に戒壇建立の「手続」については
「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。
「勅宣」とは天皇の詔勅、「御教書」とは行政府の令書、「申し下す」とは、国家意志を表明するの意です。
すなわち、日蓮大聖人が全人類成仏のために授与して下さった「本門戒壇の大御本尊様」を、国家の命運を賭しても守護し奉るとの国家意志の公式表明を、戒壇建立の必要手続とせよ――と定め給うておられる。
次いで建立の「場所」については
「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。
この御文意は、富士山南麓の昿々たる勝地「天生原」を指しておられる。このことは、日興上人への御付嘱状および日寛上人の報恩抄文段に明らかであります。
以上のごとく三大秘法抄の厳格なる定めを拝すれば、御遺命の本門戒壇というのは、一団体や一宗門が、「時」も「手続」も「場所」も無視して勝手に建てることなど、断じて許されるものではない。
正本堂などは、池田大作が選挙に不利を招くとして、「国立戒壇」を否定するために、俄に建てた偽戒壇なのであります。
まさしく御遺命の本門戒壇とは、「王仏冥合」「王臣受持」のうえに、仏法守護を誓い奉る国家意志の表明がなされたのちに建立されるもの。これを端的に言えば、まさに「国立戒壇」なのであります。
いいですか。三大秘法抄の御文を要言すれば御付嘱状の「国主此の法を立てらるれば…」の御文になり、さらにこれを約言すれば「国立戒壇」になる。すべて同じ意であります。
ゆえに第五十九世・日亨上人は
「未来勅建国立戒壇」(富士日興上人詳伝)と仰せられ
第六十四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と仰せられ
第六十五世・日淳上人は
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)
また
「この元朝勤行とても……二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)と仰せられている。
さらに細井日達管長すら登座直後においては
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)
と述べていた。
あの池田大作すら曽ては
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)と主張していたのです。
ところが、広布前夜の今、第六天の魔王は正系門家から「国立戒壇」の御遺命を抜き取らんとした。
天魔はどうしたかというと、政治野心に燃える池田大作の身に入ったのです。
魔が入ると、大聖人の御眼を恐れなくなる。やがて池田大作は
「国立戒壇などは御書にない」などと言い放って国立戒壇を否定し、その上で偽戒壇・正本堂を大石寺境内に建て、これを時の貫首・細井日達に「御遺命の戒壇と認めよ」と強く求めた。
細井日達は「諂いの人」であった。ゆえに池田大作の威を恐れ、金力に心を蕩かされ、ついにこれを認めてしまった。かくて正系門家から国立戒壇建立の御遺命は消滅してしまったのであります。
池田大作はこの大悪をなすに当って、まことに用意周到で用心深かった。
彼は細井日達管長が顕正会の正論に触れて変心することを恐れていたのです。
というのも、私が第一回の諫暁書「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を提出したとき、池田大作は「猊下の権威で浅井を説得してほしい」と要請したのです。細井管長は直ちに私を本山に呼んだ。そして「事の戒壇」の定義を勝手に変更して、正本堂を御遺命の戒壇と認めるよう私に迫った。しかし私が問い詰めるうちに、理に詰った細井管長はついに
「御遺命の本門戒壇とは国立戒壇で、天母山に建てられる。正本堂はそれとは違う」
と、胸の奥の本心を吐露してくれたのです。
そこで私は
「猊下の御本意を伺い、こんなに有難いことはございません。しかし学会員も法華講員もまだ正本堂を御遺命の戒壇と思い込んでおります。これはいかがしたら…」
と申し上げた。すると細井管長は
「いや、私から皆が間違わぬよう、よく伝えておきます」と宣べられ、さらに「数日後に御虫払法要があるから、そのときの説法で必ず言います」
とまで約束してくれた。そして約束どおり四月六日の御虫払法要において
「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉る」
と説法された。
このとき眼前では正本堂が建設中であった。その正本堂を前にして、大聖人様の三大秘法抄の仰せを「未来の大理想として信じ奉る」と明言されたのであるから、まさしくこの説法は偽戒壇・正本堂の否定であった。
これを見て池田大作は、「浅井を説得しろ」と頼んだのに、これではかえって説得されてしまったと憤り、以後、細井管長の変心を警戒していたのです。
よって池田は用心深く、単に細井管長の個人的な見解ではなく、「日蓮正宗・責任役員会」の議決を以て、国立戒壇の否定と、正本堂を御遺命の戒壇と定めた「訓諭」を発布させたのです。
かくて、国立戒壇否定と正本堂の大誑惑は、一細井日達の個人的見解ではなく、日蓮正宗の公式決定、宗門の公的意志となった。
この二通の「宗教法人『日蓮正宗』責任役員会・議事録」には、代表役員・細井日達、責任役員・早瀬道応、同・佐藤日成の三人の署名がある。
この中の早瀬道応とは後に能化・総監となった日慈であり、現・日如管長の父親です。また佐藤日成とは、こんど裁判で負けた川越の本種寺住職・佐藤日栄の父親です。
この細井日達・早瀬道応・佐藤日成の署名・捺印がこの議事録にはっきりとなされているのです。
彼らは、大聖人様の御眼も恐れず、このような決定的御遺命破壊に手を貸してしまったのであります。
なぜいま私は、このような議事録を敢えて発表するのか――。
それは、国立戒壇の否定が宗門の公式決定としてなされたのであるならば、その取り消しも、「日蓮正宗・責任役員会議決」を以てなされるべきだからです。
早瀬日如管長がたとえ今、口頭で「国立戒壇が正しい」と述べたとしても、それは個人の見解になってしまう。国立戒壇否定が責任役員会議決でなされ、宗門の公的意志となった以上、同じ手続を以てこれを否定しなければいけない。
私はそれをいま早瀬管長に求めるゆえに、この議事録を敢えて持ち出したのです。
私は昨年七月の総幹部会において、早瀬日如管長に対し
「正本堂崩壊の後も、未だに国立戒壇否定はそのままになっている。早く『日蓮大聖人の御遺命は国立戒壇である』と宣言し給え」
と直諫した。だが今に至るまで、何の応対もない。
ここに思うに、早瀬日如管長は昭和四十年六月以来、宗門の議決機関である「宗会」の議員であった。
だから当然、昭和四十五年四月の国立戒壇否定の議事録の内容も知っていたに違いない。だが、この御遺命破壊を見てもこれに与同していたのである。
また昭和五十年十月四日の「宗会議員決議書」なる文書には、当時「宗会議員・早瀬義寛」の名を以て署名をしていた。
この「宗会議員決議書」はいかなる文書かと言うと、解散処分を受けても微動もせず、なおも強く諫暁を続ける顕正会を見て、池田大作が、宗門・学会全体に「猊下に背く顕正会(当時・妙信講)」を印象づけるために作成させたものです。
ゆえにまず宗門に「宗会議員決議書」を昭和五十年十月四日付で作成させ、その四日後に「創価学会副会長室決議」を作制し、これを共に広く宗門・学会に頒布しているのです。
この「宗会議員決議書」の中には、次のような文言がある。
「近来法主上人の再々の御指南にもかかわらず異義を唱える者がありますが、これこそ大謗法と断ぜざるを得ません」と。これ御遺命たる国立戒壇を死守する顕正会を「大謗法者」と断じたものである。
このような決議書に「宗会議員・早瀬義寛」は十六人の議員と共に署名している。
学会にへつらっての所行とはいえ、いかにも情けない。これも大聖人様を忘れているからこそ、このようなことができるのである。
これらの前科ある上は、なおさら「日蓮正宗・責任役員会」の議決を以て「国立戒壇否定」を取り消し、その上で、管長として御遺命の正義を宣示しなければいけない。
さもなければ、大聖人様に申しわけないではないか。もう優柔不断は許されない。
思えば顕正会は、昭和三十二年の発足以来、ただ大聖人様の御眼のみを恐れて御奉公を貫いてきた。信心の耳で大聖人様の御命令を聞き奉り一筋の道を突き進んで来た。これが顕正会の行動原理であり、根本の大精神であります。
ゆえに大事の御遺命が破壊されるを見ては、「もしこの大悪を見て黙止するならば、大聖人様に大不忠になる、申しわけない」とただこの一念だけで学会・宗門への諫暁に立った。
これが八千のときであった。そして一万二千のとき解散処分を受けた。この解散処分は富士大石寺の信徒団体にとっては死罪に等しきものであった。だが潰れもせず、顕正会は今や二百十五万余の仏弟子の大集団となって、日本を独走している。
この不思議、大聖人様の御守護以外には断じてあり得ない。
同時に私はこの不思議に、大聖人様の厳たる御命令を拝し奉っている。
学会も宗門も御遺命に背いたゆえに、すでに広宣流布に戦う資格も力も失っている。しかも日本の亡国は刻々と近づきつつある。
このとき、顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。
私は早く三百万を成し遂げ、未だ日蓮大聖人の大恩徳を知らぬ全日本人に、動執生疑を起こさせたい。すなわち「この日本をお救い下さるのは、大慈大悲の日蓮大聖人ただ御一人であられる。大聖人を無視しての、いかなる政策も軍備も虚しい」と、動執生疑を起こさせたい。
さらに五百万になれば、必ず日本は動く。
大聖人様はお待ちあそばす。
さあ、迎える立宗の月・四月、いよいよ力強く、しかも用心堅固に広宣流布を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)