きょうの総幹部会も、大歓喜と情熱が滾(たぎ)り、まことに素晴らしいですね。
私は、総幹部会で広宣流布の大きな歯車が、一回一回 回わり進みゆくを感じております。総幹部会こそ、顕正会の命であります。
さて、本年の中盤六・七月法戦は、「二万」の誓願を立てて戦いましたが、先ほど発表のごとく、ついに二万二千九二二名の大折伏が成し遂げられました。ただ驚きです。顕正会の力が凄いこと、実感いたしました。
この大折伏は、新型コロナ急拡大の中で国中が怯える中、さらに豪雨・大洪水が列島各地を執拗に襲う中に、成し遂げられたものであります。
地涌の菩薩でなくて、この大法弘通がどうして成し得ようか。私は全顕正会員のけなげな信心を胸に浮べては、ただ涙の出る思いでありました。
すでに学会・宗門は大聖人の御遺命に背いて師敵対に陥ってしまった。
その中で顕正会だけが、大聖人様に一筋の忠誠を貫き、御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立に御奉公ができること、お互いに、なんと有難い宿縁か。いよいよ捨身不退の決意を堅めるものであります。
さて、大聖人様は三大秘法抄に、国立戒壇建立の時の世相について
「末法濁悪の未来」
と仰せ給うておられますが、今こそまさしくその「末法濁悪の未来」に当ると、私は思っております。
見てごらんなさい。
このところ、親が幼児を虐待して死に至らしめている事件が頻々として起きているでしょ。
つい最近ではこの6月、梯沙希という24歳の母親が、3歳の娘を自宅の一室に閉じ込めたまま、8日間も外出してその子を餓死させたという事件があった。この母親は交際相手の男と会うために、8日間も鹿児島に行っていたという。
餓死した幼児の胃袋は空っぽ、極度の脱水症状も見られたという。親に捨てられたこの幼児は、「ママー」と悲痛な声をあげて泣き続けていたに違いない。
このような母親はまさに鬼です。母性本能の欠片もない。
大聖人様は刑部左衛門尉女房御返事に、母の恩についてお説き下さる御文の中で、こう仰せ下されている。
「飛鳥の子を養い、地を走る獣の子に責められ候事、目もあてられず、魂も消えぬべくをぼへ候。其れにつきても母の御恩忘れがたし」と。
―空を飛ぶ鳥が子を育てる時には、自分は餌を食べずとも、身を削って子に餌を与えている。また地を走る獣は、絶え間なく餌をほしがる子に責められて、少しも休むことなく餌を探し求めている。この痛々しいまでの子育ての姿を、大聖人様は「目もあてられず、魂も消えぬべくをぼへ候」――と仰せられるのです。
この大聖人の仰せを拝するとき、我が子を餓死させた母親などは、鳥や獣に劣ること百千万億倍ですね。
また数日前には、息子が両親を殺して自殺を図ったが死に切れずに、警察に自首したという事件があった。〝親殺し〟というのは、死してのち無間地獄に堕ちる、最悪の犯罪ですよ。しかしそれが最近では珍しくなくなった。
況んや他人においておやです。だから詐欺・強盗・性犯罪・殺人等の犯罪がいま国中に満ちているのです。
立正安国論には金光明経を引いて、こう仰せられている。
「一切の人衆皆善心無く」と。
人々がみな善い心を失い、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒ばかり強くなれば、世の中は犯罪で満ちあふれる。今のこの濁乱こそまさに「末法濁悪の未来」に相当るものと、私は思っております。
だが、これはまだ世法における濁悪です。実はこれよりもさらに重大な仏法上の「濁悪」が、いま正系門家で起きているのです。
いいですか。
富士大石寺は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御大法を清らかに正しく伝持してきた、日本で唯一の正系門家です。
すなわち日興上人・日目上人以来七百年、ひたすら日蓮大聖人の出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を秘蔵厳護し奉り、御遺命たる国立戒壇建立を唯一の使命・宿願としてきた宗門であります。
ところがこの正系門家において、あり得べからざることが起きたのです。
それはどういうことか――。一言でいえば、国立戒壇の否定と、戒壇の大御本尊に対し奉る不信であります。
このようなことが七百年来あったでしょうか。まさに、あり得べからざる極限の大謗法・極限の師敵対が、いま起きたのです。
この経緯については先月の総幹部会でも述べましたが、大事なことなので、重ねて簡略に申します。
政治野心に燃える池田大作は「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、国立戒壇を否定するために偽戒壇・正本堂を大石寺に建て、これを宗門に「御遺命の戒壇である」と認めさせようとした。
日興上人の御遺誡には
「衆議たりと雖も仏法に相違有らば、貫首之を摧くべき事」
との一条がある。ゆえに「時の貫首」はこのような大それた悪事は、断固、打ち砕かなければいけない。
ところが「時の貫首」の細井日達と、次の貫首・阿部日顕は、池田の権力と金力にへつらって、ついにこの大それた謀りに協力してしまったのです。
最高の権力者・池田大作と、誰も背くことのできない絶対権威の貫首が、「国立戒壇は間違いだ、正本堂こそ御遺命の戒壇だ」と口を揃えて言ったら、これに異議を唱える者はいない。
かくて、正系門家から国立戒壇建立の御遺命は消滅し、偽戒壇・正本堂を讃嘆する悪声のみが谺(こだま)したのであります。
この御遺命破壊を眼前にして、私は
「この大悪を見ながら知りながら、もし黙っていたら、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」
と思い定めて、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を認め、身を捨てて諫暁に立ち上がった。これが昭和四十五年三月でした。
以後、諫暁は文書と論判で幾たびも激しく繰り返された。八百万学会には強大な権力がある。「時の貫首」には誰人も背けぬ絶対の権威がある。しかし
「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」(四条抄)
との仰せのごとく、正しい道理に勝てる権力も権威もない。
学会はついに屈伏し、文書を以て正本堂の誑惑を二度も訂正し、細井日達管長もまた正本堂の意義を定めた「訓諭」の訂正文を書いて、本山で私に直接、手渡してくれた。
そのうえで「正本堂は御遺命の戒壇ではない。御宝蔵、奉安殿の延長である」として、落成式が行われることになっていたのです。
だが、池田大作には全く改悔がなかった。学会として文書で訂正しておきながら、池田は陰に隠れて、組織内においては「正本堂は御遺命の戒壇である」と宣伝していたのです。
これを知った私は、正本堂落成式一年前の昭和四十六年十一月、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の一書を以て池田大作を直接、糾弾した。池田は宗務当局を盾として、自身は身を隠した。
その翌年の昭和四十七年四月二十八日、正本堂を御遺命の戒壇と定めた「訓諭」が発布された。
これをなさしめたのは池田大作である。よって即日、私は池田会長に「公場対決」を申し入れた。すると池田は「猊下がお許し下さらないから」との趣旨を和泉理事長名儀で伝えてきて、対決を逃避した。
かくて池田は「顕正会が宗門に存在する以上、いつかは必ず正本堂のたばかりは露見する」と恐れ、顕正会を抹殺するために、細井日達に解散処分を下さしめた。これが昭和四十九年八月十二日でした。
この解散処分は、信徒団体にとってはまさに死罪に等しいものです。解散処分を受けて命脈を保てる信徒団体はない。しかし顕正会は微動もしなかった。
そして不思議なことが起きて来たのです――。
それは顕正会の諫暁を機として、それまで一枚岩のごとくであった学会と宗門の間に、深刻な亀裂と抗争が生じて来たのです。この亀裂と抗争は、細井日達の時も、阿部日顕の時も、同じように起きた。だから私は「不思議」と言うのです。
私は思っております。
大聖人様がこの大悪を許し給わないのであると。
ゆえに大聖人様は、顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして学会・宗門に抗争を生ぜしめ、ついに偽戒壇・正本堂を打ち砕かせ給うたのであります。
細井日達の時の不思議を見れば、こうでした。
池田大作は、細井日達が顕正会の正論によって心を動かし、学会を裏切るのではないかとの疑心暗鬼を懐いた。そこで宗門支配をより徹底せんとして、経済封鎖を試みた。それが、学会の「月例登山」を縮小するということだったのです。
この月例登山は総本山の唯一の収入源であったから、これの縮小を以て脅せば、宗門は何でも言うことを聞くと思ったのでしょう。
ところが細井日達は「国立戒壇の放棄」には平然と協力したが、「収入が減る」経済封鎖には強く反発した。ここに宗門対学会の抗争が始まったのです。
しかしこの抗争の最中に細井日達は急死を遂げた。それは、大事の「御相承」をもなし得ずの、急死であった。
これ、大聖人様の深い思し召しによると、私は拝しております。
この急死を見て、池田大作は直ちに阿部日顕を擁立して第六七世貫首として登座せしめた。以来二人は一体となって、十一年後の平成二年秋の「大石寺開創七百年」に、大石寺を「本門寺」と改称すべく直進したのです。
もし、大石寺を「本門寺」と改称すれば偽戒壇・正本堂のたばかりは完結する。これこそが池田大作の執念、最後の陰謀だったのです。
平成二年四月、顕正会の死身弘法は二十万に達した。その平成二年四月に、私は心血を注いで「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を認め、阿部日顕と池田大作に送附した。
この書の内容は、阿部日顕が教学部長時代に池田大作に指示されて書いた「二冊の悪書」における、国立戒壇否定と正本堂の誑惑の邪義を一々に粉砕したうえで、「速やかに偽戒壇・正本堂を撤去せよ」と強く迫ったものです。
この諫状は阿部日顕の肺腑を抉り、心に怖畏を生ぜしめた。
そして不思議なことがまたも起きたのです。
それまで一体のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間に、細井日達の時と同様の疑心暗鬼と抗争がまたも生じたのです。
だがその抗争は、細井日達の時とは比較にならぬ、まさに「修羅と悪竜の合戦」ともいうべき激烈さであった。
池田大作が日顕を「相承を受けてない詐称法主」と罵れば、日顕は池田の法華講・総講頭職を剥奪し、さらに信徒除名処分に付した。
池田はさらに阿部日顕の数々のスキャンダルを暴いては、学会青年部機関紙「創価新報」に大々的に掲載させた。
これに対して阿部日顕は「名誉毀損」で提訴した。だが法廷に立った阿部日顕は学会弁護団の執拗なる尋問によって、かえって耐えがたい屈辱を受けた。
瞋り心頭に発した阿部日顕は、池田大作が「仏教三千余年 史上空前の偉業」と自讃していた正本堂を、ついに瞋りに任せて打ち壊わしてしまった。
すべては、大聖人様がこれをなさしめ給うたのであります。
そして重大なことは――
この激しい抗争の中で、池田大作と阿部日顕には、共に「戒壇の大御本尊様に対し奉る信心が全くない」というその正体が、白日の下に晒されたことです。
いいですか。彼らは、国立戒壇建立の御遺命に背いただけではなく、ついには大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉ったのです。
すなわち
池田大作は平成二十六年十一月七日に、第六代会長・原田稔をして「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言わしめ、これを翌八日の聖教新聞に掲載せしめた。これ八百万学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせたということであります。
一方、阿部日顕は、反学会闘争のためには戒壇の大御本尊を憎嫉する身延とも連携し、さらに「戒壇の大御本尊をもっと誹謗せよ」などと身延派坊主に嗾けた大謗法者・山崎正友とも手を組んだ。
これら二人の所行は、正系門家七百年の歴史において未だ曽てなき、まさに極限の大謗法・極限の師敵対であります。
大聖人様は
「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と仰せ下されている。
正系門家がこのように「濁悪」になれば、もう日本は保たない、必ず亡国となる。ゆえに私は「二〇年代こそ広宣流布の決戦場である」と言い切ったのであります。
いいですか。
大聖人御在世に日本に襲来したのは隣国の大蒙古国であった。そして広宣流布前夜の日本を侵略するのは、やはり西の隣国・中国であると、私は思っております。
中国という国家が侵略的であるのは、共産党独裁政権の世界観から発している体質であるから不変です。これを修羅界の国家というのです。
1949年の「中華人民共和国」の建国以来、初代国家主席・毛沢東は「清王朝の最盛期の版図こそ中国の持つべき領土だ」として、これを国家目標とした。
そして現在の国家主席・習近平は「世界制覇」を堂々と国家目標に掲げているのです。
1970年代には、中国海軍は南シナ海に進出して西沙諸島と南沙諸島を実効支配した。この1970年代というのは、まさに正本堂が完成した年代ですね。この1970年代から中国は太平洋に進出し始めたのです。そして今や中国海軍は東シナ海に進出し、日本の尖閣諸島さらに台湾を脅かすまでに至った。
近年における中国海軍の増強ぶりは異常という以外にない。それは今やアメリカをも凌駕するほどの勢いになっている。
アメリカ海軍情報部(ONI)によれば、中国海軍は1990年代半ばから艦船の増強に力を入れ、2020会計年度末の段階では戦闘艦艇を360隻にするという。これに対して米国の戦闘艦艇は297隻しかない。
さらに中国は空母においてはすでに「遼寧」と「山東」の2隻を保有しているが、20年代には4隻~6隻の体勢になるとしている。米国の空母保有数は現在11隻であるが太平洋には3隻しか配備できないので、中国が圧倒的に有利になるのです。
このように中国は、アメリカに追いつけ追い越せで、軍事力の増強に国力を傾倒している。
そして今、中国が荒らし回わっているのが東シナ海ですね。尖閣諸島の周辺海域には、中国の艦艇が押し寄せて張りついたままです。その日数は7月26日の時点で、すでに104日に達している。
その間、日本漁船への追尾・接近は6回にも及んでいる。そのたびに日本の海上保安庁の巡視艇が「尖閣諸島は日本の領土である。速やかに退去せよ」と通告するが、聞き入れない。
それどころか本年7月の始めには、中国政府は日本政府に対して尖閣諸島の領有権を主張したうえで、「周辺海域での日本漁船の操業は領海侵犯である。立ち入れさせないように」との要求をしていた。まさに「盗っ人猛々し」です。
遠からず中国は必ず尖閣諸島を奪い取る。それは、中国共産党政権の長年の悲願であった「台湾統一」を実現するのに、不可欠だからです。
もし台湾を侵略すれば、次には「沖縄も中国固有の領土だ」と主張して、沖縄を奪おうとするに違いない。
そして中国の究極の侵略の目標は「日本」にあると、私は思っております。
なぜか――。
これを戦略上から見れば、日本を制圧すれば西太平洋は中国の領海となり、太平洋を米国と二分することができる。中国にとっては、これが「世界制覇」の第一段階なのです。
これを聞けば、「日米安全保障条約があるじゃないか」と言う人もいるでしょう。
だが、たとえ日米安保条約があったとしても、米国は日本を守るために米国の国益を犠牲にすることなどは断じてない。よって日本のために核を以ての全面戦争をして、ワシントンがニューヨークが、一瞬にして廃墟になるような国益を害することは絶対にしない。これが日米安保の限界なのです。
さらに深く仏法の上から見れば、日蓮大聖人に背く日本が他国の責めを受けることは、仏法の道理の必然なのであります。
ゆえに弘安四年一月の「十字御書」には、こう仰せられている。
「今 日本国の、法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねき出せり。乃至、影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとくわざわい来たるべし」と。
この御文の中で「法華経をかたきとする」とは「日蓮大聖人をかたきとする」ということです。
いいですか。
大聖人様は大慈大悲を以て、日本および全世界の人々を成仏せしめんと三大秘法をお弘め下された。しかるに当時の日本国は、この大恩徳まします日蓮大聖人を流罪・死罪に処し奉った。この大逆罪を見て諸天は隣国に命じてこれを罰した。かくて磁石が鉄を吸うように、日本は大蒙古の責めを受けたのです。
では、今の日本国はどうか――。
日蓮大聖人の大慈悲の結晶たる「本門戒壇の大御本尊」この国にましますとも、日本一同は未だ信ぜず背き続けている。その間すでに七百年。「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」(下種本仏成道御書)と。もう許される時は過ぎている。諸天は必ず日本を罰する。
さらに重大な失は、正系門家において学会・宗門はこぞって大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を否定した。そのうえで池田大作は戒壇の大御本尊を捨て奉り、一方、阿部日顕は謗法の身延派とも連携し、戒壇の大御本尊の敵たる山崎正友とも手を組んだ。
「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家が犯したこの極限の大謗法・極限の師敵対は、必ず日本の亡国を招く。すなわち圧倒的な戦力を持つ中国の侵略を招く。それは決して遠い将来ではない。ゆえに私は「二〇年代こそ広宣流布の決戦場」と言い切っているのであります。
日本は今、安倍政権の財政規律を無視した無責任な異次元金融緩和によって、財政赤字は1267兆円に膨らみ、その対GDP比は238%で世界最悪です。いつ財政破綻してもおかしくない。
そのうえ首都圏直下と南海トラフ巨大地震も足下に迫っている。もし巨大地震の連発を号鐘として、種々の災難ののちに隣国の侵略を受けたら、そのとき日本は亡びる。
だが、政治家は国家の安危よりも己の名利と利権しか頭にない。財界人は中国貿易の目先の利益のために中国にへつらって国家の安全を忘れている。国民は日々の生活に追われて大局を知る由もない。
大聖人様は富木殿御書に
「夫れ賢人は安きに居て危うきを欲(おも)い、佞人(ねいじん)は危うきに居て安きを欲う」と。
―賢人は、たとえ現在は安穏の中にいても、将来の国家の危機を常に憂えている。しかし心が曲り世にへつらう佞人は、眼前に危機が迫っても、なお目先の安逸を貪る――ということです。
今の日本はこの佞人で満ちている。ゆえに日本は亡国の坂道を転がり落ちていくのであります。
さて、大聖人様は「北条時宗への御状」において
「諫臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」
と仰せ下されている。
―国主を諫める臣下がその国にあればその国は正しさを保つことができ、親を諫める争子が家にあればその家は曲がらない――ということです。
いま広宣流布の前夜、顕正会は、国に在っては諫臣、正系門家に在っては争子であります。
ゆえに正系門家における御遺命破壊を見ては、宗門諫暁に立ち上がったのであります。
この諫暁は三度に及んだ。
その第一回は、昭和四十五年三月二十五日、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を、宗務当局と学会首脳十二人に送附したことに始まる。
先に述べたごとく、これより激しい論判を重ね、その結果、学会は文書を以て正本堂の誑惑を訂正したのです。
第二回の宗門諫暁は、昭和四十六年十一月十五日に「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」を送附したこと。
池田大作は学会として文書を以て正本堂の誑惑を訂正しながら、卑劣にも学会の組織内部では密かに正本堂を「御遺命の戒壇である」と宣伝していた。よって直諫したのです。
またキリスト教の神父を、ローマ法王庁からわざわざ正本堂の完工式に招いていたことも、後日わかった。
そして第三回は、平成二年四月二十八日に、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題して阿部日顕に送附したこと。
この年の十月には「本門寺改称」という、正本堂のたばかりの完結とも言うべき陰謀が実現されんとしていた。この大悪事を打ち砕くために、この諫暁書を認めたのであります。
この書において私は、阿部日顕が曽て池田大作に指示されて著わした「二冊の悪書」を徹底して破折した上で「速やかに偽戒壇・正本堂を撤去せよ」と強く迫った。
この諫暁を機に、それまで一枚岩のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間に亀裂が生じ、醜悪なる抗争の結果、阿部日顕は池田大作が最も自ら自讃していた正本堂を、瞋りに任せてついに打ち壊わしてしまったのです。
すべては大聖人様の御意による。
いいですか。正本堂というのは、国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇ですよ。池田大作は自ら国立戒壇をしきりに否定していたが、口で言うだけでは世間は信じてくれない、そこで事実上の否定として偽戒壇を建てたのです。
ついにその正本堂が崩壊したということは、御遺命破壊のたばかりが根底から消滅したことを意味する。御本仏の御遺命は金剛不壊です。誰人も破壊できない。ここに宗門諫暁は、この正本堂の崩壊を以て最終章に至ったのであります。
次に一国諫暁について言えば、これもすでに二度にわたって行われている。
その第一回は平成九年七月十六日、「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」と題する一書を以て、広く一国に訴えたこと。
この年の三月から五月にかけて大彗星が出現したのです。それは御在世以来の最大と言われる彗星であった。仏法に因って起こる天変と地夭は必ず相呼応する。よって大彗星が出現して大地震が起こらぬはずはない。そして大彗星・大地震は他国侵逼の前相であれば、この大事を一国に告げ知らしむるため、この諫暁をなしたのであります。
第二回の一国諫暁は平成十六年四月二十八日、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の一書を以てなされた。
その冒頭に私は
「まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こる」と記した。
そしてこの七年後の平成二十三年三月十一日、観測史上最大といわれるマグニチュード9・0の「東日本超巨大地震」が発生した。さらに今、首都圏直下と南海トラフ巨大地震の発生が切迫している。まさに巨大地震の連発はもう間もなく始まらんとしている。かくて今、広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入したのであります。
二〇年代に入って、亡国のテンポはまことに速いですね。
わずか0・0001ミリのコロナウィルスが、あっというまに全世界に感染拡大して、今や世界大恐慌を招かんとしている。このような事態を、誰が予想できたか。ひとたび諸天が動けば、まさに凡夫の思議を絶することが起きるのです。
やがて大聖人御予言のごとく「前代未聞の大闘諍」も起こり「他国来難」も事実となる。
このとき、日本および全人類をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に申し付ける、絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」
と仰せあそばす。
亡国に直面してもなす術を知らず、ただ怯えるだけの全日本人に、いよいよ日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲を教え、帰依させなければいけない。
この御奉公をするのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外にはあるべくもない。
私は、二〇年代のしかるべき時に、第三回目の一国諫暁の書を著わし、大聖人様に応え奉らんと決意しております。このとき顕正会の大総会を開催し、全顕正会の熱誠を以て大規模なる諫暁の戦いを起こしたい。
大聖人様に忠誠を貫く仏弟子三百万が一結すれば、日本国は必ず動き、大聖人様の大恩徳は一国に輝く。
そしてやがて
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)
この仰せが事実となるのであります。
さあ、いよいよ三百万をめざして鉄壁の陣容を整え、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)