きょうの総幹部会も、まことに素晴らしいですね。最初の「正義にめざめて」から「体験発表」そして最後にいたるまで、まことに感動の連続でした。
これほどの総幹部会、わずかな人数で聞いているのは勿体ないですね。
総幹部会は一回ごとに広宣流布の歯車を回わしていく大事な集会です。それがコロナ対策で、已むなく代表幹部わずか四百名の参加となっている。それではまことにもったいない。
そこで、これをオンラインあるいはDVDにして大勢が視聴できるようにしたら、ソニックシティでやっていた時の何倍もの人々が視聴できるようになったとのこと、有難いと思っております。
この総幹部会は、二百十九万顕正会のすみずみまで届かなければいけないと私は思っております。
さて、二〇年代の第一年も、いよいよ最終法戦の九・十・十一月を迎えました。
二〇年代に入ってからのテンポはまことに速いですね。
世界を見れば、新型コロナの凄まじい感染拡大によって、ついに世界経済が崩れ始めてきた。このようなこと、誰人も想像できなかったことです。
今月17日の内閣府の発表によれば、2020年度4月~6月期の国内総生産(GDP)は、年率換算でなんと27・8%のマイナスであった。これはリーマン・ショックを超える戦後最悪の下落です。
日本だけではない。世界各国でいま4月~6月期のGDPの発表が相次いでおりますが、欧米でも急激な景気悪化が鮮明になっている。米国は32・9%、英国は59・8%、EUは40・2%、いずれもマイナスです。
この数字はまさしく、世界大恐慌の入り口が見えて来たということです。これから一年ごとに、世界経済は凄まじい様相を示してくると思われる。
その中でことに日本は、世界最悪の借金国家ですよ。財政破綻はもう間もなくと思われる。
また日本の食糧自給率はあまりみな意識してないのですが、実は38%しかない。6割以上を外国から輸入しているのです。
世界貿易機関(WTO)が4月23日に公表した報告書によれば、新型コロナの世界的蔓延と、異常気象やサバクトビバッタの異常繁殖等により、世界80ヶ国が食糧等の輸出禁止・制限措置を導入しているという。
もし他国からの輸入がストップしたら、日本は直ちに食糧危機になるのであります。
さらに日本には、尖閣諸島周辺海域への侵犯に見るごとく、中国の圧倒的な軍事力による侵略が刻々と近づきつつある。
大聖人様は弘安年中の「総罰」について、出世本懐成就御書(旧称・聖人御難事)にはこう仰せ下されている。
「日本国の大疫病と、大飢渇と、同士討ちと、他国より責めらるゝは総罰なり」と。
この御在世の総罰はまさしく、大慈大悲の日蓮大聖人を、日本一同が憎嫉して流罪・死罪に処し奉った大罰です。仏法守護の諸天が許すわけがないのです。
そして広布前夜の今、再びこの総罰が現われて来た。
これ日本一同が、大恩徳まします大聖人様を未だに信ぜず、背き奉っていることと
さらに重い失による。それは
正系門家があろうことか、学会・宗門ともに大聖人様の御遺命たる「国立戒壇」を否定し、そのうえ池田大作は戒壇の大御本尊を捨て奉り、阿部日顕は戒壇の大御本尊を誹謗する身延派とも連携したことです。
顕正会は、学会・宗門が国立戒壇を否定したとき
「もしこれを見ながら黙止すれば、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」と思い定め、御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
そして一万二千のとき解散処分を受けたが、その中にも死身弘法は一時も止むことなく、ついに今、二百十八万九千余の仏弟子の大集団となったのであります。
「極限の大謗法」「極限の師敵対」に陥った学会・宗門には、もう広宣流布に戦う資格も力もない。
顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。
そして今ここに、本年の最終法戦を迎えたのであります。
私はこの最終法戦において、二二二万を成し遂げたいと念願しております。あと三万二〇三名の弘通でこれは成る。
さあ、全顕正会の熱烈な信心の力で、大歓喜の中に、この二二二万を成し遂げて大聖人様に応え奉りたい。
こう決意しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さてここで、「開目抄」の重大意義について、少しく述べたいと思っております。
大聖人様は竜の口の頸の座において、久遠元初の自受用身の成道をお遂げあそばされたのち、本間六郎左衛門の邸に約ひと月逗留され、それから佐渡へ流罪となられた。
本間六郎左衛門の邸にひと月間逗留されたというのは、幕府が竜の口の大現証を眼前にして、茫然自失してしまったということです。幕府は大聖人をどう扱ったらいいかわからない。そこで取りあえず、佐渡の守護職である本間六郎左衛門の邸に一時預けるということになったのです。
そして大聖人様が佐渡にお着きになってから、直ちに筆を執って顕わし給うたのが、この「開目抄」であります。いかに重大な御書であるかがわかりますね。
「開目」とは、目を開かせ、見さしむるの意です。
では、一切衆生の目を開かせて、何を見さしめ給うたのか。それは
いま佐渡雪中にまします日蓮大聖人こそ、全人類をお救い下さる、久遠元初の自受用身・末法下種の本仏・人の本尊であられる――ということであります。
この開目抄について大聖人は御自ら、下種本仏成道御書(旧称・種々御振舞御書)において、次のごとく仰せられている。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば、日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり」と。
幕府の中では、佐渡に流してから命を奪うという考えがあった。だから「今日切る、あす切る」(報恩抄)というような空気が流れていた。ことに平左衛門などは「佐渡で必ず」と狙い続けていたのです。ゆえに
「頸切らるゝならば、日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり」
と仰せ給うておられるのです。
大聖人様が佐渡に流され、配所の塚原三昧堂に入られたのが十一月一日。それから直ちに勘え給うて三月のちの翌年二月、雪ふりつもるあばら屋の三昧堂において、蓑を着たまま凍える御手に筆を執り、お認め下されたのがこの開目抄です。
当時の日本は寒冷期であった。ことに北国の佐渡は寒い。氷点下二十度ぐらいまで下がったと思われる。そのうえ着物は薄く食物も乏しい。その中で、長文の開目抄をお認め下されたのです。ただ恐れ多く、そして有難さの極みです。
その御尊容、瞼に浮かぶようであります。
次いで仰せられる。
「此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬えば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなくゆめの如くに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し」と。
ここに、大聖人様は「開目抄」の深意を明かし給うておられる。
その深意とは
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
ということです。
まさしく、日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も人類の存亡も決するということ。
日本にとって人類にとって、日蓮大聖人ほど重き御存在はないのです。
この絶大威徳は、竜の口の大現証を拝見すればよーくわかりますね。
キリストなどは磔になって横死をしている。これはつたない凡夫だからです。仏様に横死などはあり得ない。釈迦仏ですらそうです。況んや久遠元初の自受用身においておやであります。
その絶大威徳を拝します。
大聖人様は文永八年九月十二日の深夜、竜の口の刑場に向かわれた。
その報せを受けて、四条金吾殿は取る物も取りあえず駈けつけ、大聖人の馬の轡にすがりお供申し上げた。
国家権力による死罪は絶体絶命ですよ。ゆえに四条殿はこのとき決意していたのです。
「もし大聖人様の御頸が刎ねられたら、その場を去らずに追い腹切ってお供申し上げる」……と。
そして刑場に着いた。四条殿は頸の座を眼前にしたとき、思わず……
「只今なり」と、言って泣き伏した。
これをごらんになった大聖人様は
「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」
と仰せになられた……。
やがて大聖人様は泰然として頸の座に坐し給うた。
太刀取りの越智三郎、大聖人の傍に立つ。そして大刀まさに降り下ろされんとしたその刹那、凡夫の思議を絶することが起きた。
突如として「月のごとく光りたる物」が出現したのです。
この情景は、大聖人御自身の御筆で次のごとく記されている。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。
十二日の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。
太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」と。
この「月のごとく光りたる物」の光がどれほど強烈であったか。練達強剛の太刀取りが眼くらんでその場に倒れ伏してしまったのです。それだけではない。数百人の警護の兵士たちも、恐怖のあまり一斉に「一町計り」すなわち百メートルも逃げ出してしまった。さらに馬に乗っていた武士たちも、あるいは馬から降りてその場に畏まり、あるいは馬の上でうずくまってしまったのです。
頸の座にましますは、大聖人ただ御一人。大聖人様は厳然と叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが、一人として近寄る者はない。大聖人様は再び大音声で仰せられた。
「頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」と。
頸を切るならば急いで切れ。もし夜が明けたら見苦しいであろう――と。死刑を催促されたのです。
響くは凛々たる大聖人の御声のみ。返事をする者とてない。みなことごとく腰を抜かし、へたり込んでしまったのです。
まさしく国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切ること能わず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのであります。
このような思議を絶する、荘厳・崇高そして威厳に満ちた光景は、この地球上・人類史上において、未だ曽てない。
この大現証こそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身と成り給い、末法下種の本仏・人の本尊と顕われ給うた御姿であられた。
いいですか。
宇宙的力用を有する諸天善神は、御本仏を厳然と守護し奉るのです。ゆえにいかなる大悪人も、国家権力も、大聖人様の御命を奪うことはできない。
出世本懐成就御書にはこう仰せられている。
「設い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば、梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたかるべしと存じ給うべし」と。
―たとえ第六天の魔王その身に入る平左衛門のような者であろうとも、大聖人には梵天・帝釈・日月・四天等、天照太神・八幡等の諸天善神が厳然と守護するゆえに、罰することはできないと知るべきである――と仰せあそばす。
このように、大聖人様の御境界は金剛不壊なのであります。
この御本仏を、もし一国こぞって信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、そのとき日本国は金剛不壊の仏国となる。
ゆえに日蓮大聖人こそまさしく「日本の柱」であられる。
御在世において、天魔その身に入る平左衛門は、あろうことか、この「日本の柱」を倒した。大聖人の御頸を刎ね奉ったのです。
その大罰は直ちに顕われ、翌年二月には北条一門の内乱すなわち同士討ちが起き、さらにその二年後には大蒙古が襲い、その七年後には再度の蒙古大侵略があった。
このとき、日本はもう亡んで当然であった。
だが、この大蒙古の責めでも日本が亡びなかったのは、実に御頸は刎ねて刎ねられず、日本の柱は倒して倒されず。よって日本も亡んで亡びなかったのです。まさに大聖人様の冥々の御守護によること、この大慈大悲、深く拝し奉るべきであります。
そしていよいよ広宣流布の暁には、一国の総意により国立戒壇が建立される。その国立戒壇に、日蓮大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、日本は金剛不壊の仏国となる。
されば国立戒壇こそ「日本の柱」であり、その実現こそが、大聖人様の唯一の御遺命なのであります。
しかるに今、正系門家において、学会・宗門ともに国立戒壇を否定し、そのうえ池田大作は戒壇の大御本尊をも捨て奉り、一方、阿部日顕は、戒壇の大御本尊を憎む身延派とも連携した。
これまさに極限の大謗法・極限の師敵対であります。
大聖人様は
「宅に柱なければたもたず」
と仰せられている。
正系門家において、日本の柱たる日蓮大聖人に背き、国立戒壇を否定したら、もう日本は保たない。私は何よりこのことを憂えております。
早く広宣流布して、憲法を改正し、日本の柱たる国立戒壇を建立し、大聖人様に応え奉らなければならぬ。もうその時が来ているのです。
ちなみに、今の「日本国憲法」を見てごらんなさい。
戦勝国アメリカが日本に与えた憲法とはいえ、この憲法は、日本をアメリカに依存しなければ生存できない国にしている。だから文面にはないけれど、まさに「アメリカを日本の柱」とした憲法なのであります。
まず前文(まえがき)にはこうある。
「日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
いいですか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。おかしな日本語ですがそれはともかくとして、日本のまわりの国々を見れば――
北朝鮮は核ミサイルを開発して日本を脅しているし、ロシアは敗戦時の日本に対して不可侵条約を無視して北方領土を略奪し、今や米国を凌ぐ世界第一位の核保有国として日本に圧力を加えている。また中国の異常な軍事力増強はいま、日本をはじめ東アジア全体に脅威を与えている。
これらの国々のどこに「平和を愛し」「公正と信義」などがあるのか。このような国々を信頼して「われらの安全と生存を保持しようと決意した」などと述べているこの前文は、まったくの空理・空論の戯言にすぎない。
だが、この前文を承けて「第九条」が定められているのです。その第九条には「戦争の放棄」と「戦力の不保持」と「交戦権の否認」が謳われている。
これで、国家の生存が成り立ちますか。
日本が戦争を放棄するのはいいとしても、戦争は日本を放棄してくれない。もし他国が日本に侵略して来たら、日本はどのようにして国を守るのか。
この九条はわかり易く言えば、「私の家のまわりには泥棒がいない、だから戸締まりはしない」というに等しい。
この第九条も、前文と同じく空理・空論・たわごとですね。これでは国家は生存し得ない。
それを知りぬいているアメリカは、「日米安全保障条約」を締結して「日本を守ってやる」と約束したのです。
そもそもこの「日本国憲法」は、アメリカが占領政策の一環として日本に与えたものです。
ゆえにその目的は、日本が再び軍事大国となってアメリカを脅かす国にならないようにすることと、日本をアメリカに依存しなければ生存し得ぬ国にすることにあった。かくて「日本の柱はアメリカ」となったのです。
だから昭和27年に「講和条約」と「日米安保条約」が同時に発効して占領期は終わったが、日本は真の独立国家ではなく、アメリカの保護国・属国のような立場で、今日まで来ているのです。
いいですか。アメリカに国家の「安全と生存」を委ねている日本にとって、すでに日米安全保障条約は、まさに日本の命綱になっているのです。
しかし私は、いつまでもこの条約が続くとは思えない。それは偏に、アメリカの「意志」と「能力」にかかっているからです。
その「意志」について言えば――
トランプ大統領は昨年6月の25日・26日・29日の3回にわたって、日米安全保障条約について言及している。
25日にはブルームバーグとの私的会話で「日米安保条約破棄」の可能性について言及している。
また26日のFOXテレビとの電話インタビューではこう言った。
「日本が攻撃されれば、われわれはあらゆる犠牲を払っても日本を守る。しかし米国が攻撃されても、日本はわれわれを助ける必要が全くない。彼らはソニーのテレビでその攻撃を見ていられる」と。痛烈な皮肉ですね。
さらに29日の「G20大阪サミット」終了後の記者会見では、日米安保条約の「不公平さ」を重ねて述べている。
これがトランプ大統領の特異な性格に基づく衝動的な発言であったなら受け流すこともできるが、今から3年前に、アメリカの新聞の中でも最大部数を誇るウォール・ストリート・ジャーナルが、社説ですでに次のごとく主張しているのです。
「日本の憲法九条は戦争を放棄し、軍隊の保有を禁じているが、もう不要となった。日本はアメリカの安全保障の傘下に避難したままでいることに満足して来た。自衛隊は、日本が外部から直接に攻撃された場合にのみ自衛を許されるという意味の条項によって正当化されてきた」
「だが、この憲法九条はもはや日本にとって危険となって来た。なぜなら憲法九条の制約は、日本の同盟諸国との集団自衛を阻止するからだ。北朝鮮の核兵器は今や日本や世界への脅威となった。中国は軍事力の行使範囲を拡大している。日本は今や防衛のために集団自衛が必要となったのだ」と。
これを見れば、日米同盟に対する批判は決してトランプ大統領の個人的見解ではなく、すでに大新聞の「社説」であり、共和党・民主党においてもこのような論調になりつつある。すなわち米国全体が日米同盟の不公平さに気づき出してきたのです。
終戦直後のときには、日本に力がないから「守ってやろう」と言って保護国にしたが、いま日本がこれだけ経済力を持ち、一方、アメリカの経済力が衰えてくると、その不公平さが目立ってくるのです。
それが日米安保に対する穏かならざる気運を醸成する。これがアメリカの「意志」についての私の危惧であります。
またアメリカの「能力」について言えば――
アメリカはすでにオバマ政権のとき、「アメリカは世界の警察をやめる」と明言している。これはアメリカの衰退を物語っている。
一方、共産党独裁の中国は、アメリカに追いつけ追い越せで、核ミサイルをはじめとして軍事力の増強に狂奔している。
すでに「アメリカ一強」という時代ではなくなっているのです。
このような状況の中で、中国の侵略が日本におよぶとき、アメリカは果して「いかなる犠牲を払ってまで」して日本を防衛するであろうか。
そのようなことはあり得ない。米国自身が存亡の危機に立たされれば中国と戦うであろうが、日本のために米国が中国と全面戦争をするなどということはあり得ないのです。
かくて日本は寿量品の「自惟孤露・無復恃怙」(自ら惟るに、孤露にして復恃怙無し)となる。すなわち日本は孤立して、もう誰も助けてくれないという状況になる。
そして、中国・北朝鮮という修羅の大国に侵されて国亡ぶという事態になる。
このとき、日本をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に申し付ける、絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに大聖人様は
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず」
と仰せられ、さらに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」
との大誓願を宣示あそばされているのであります。
「一閻浮提の大闘諍」がいま起こらんとし、日本が亡国とならんとしている今こそ、全日本人に
「日蓮大聖人こそ日本の柱」「国立戒壇建立こそ日本の柱」
という大事を教えなければいけない。
この御奉公をなすのは、御遺命を守り奉った顕正会以外にはあるべくもない。
国立戒壇を否定するために建てられた偽戒壇・正本堂はすでに崩壊した。「破邪」の次には、必ず「立正」がある。
全日本人に、末法下種の御本仏・日蓮大聖人の大恩徳を教え、早く国立戒壇を建立して、大聖人様に応え奉らなければいけない。
そこに私は「遥拝勤行と広告文で必ず広宣流布が成る」の大確信を、月々日々に強めております。
この遥拝勤行こそ忠誠の証であり、御遺命を守護し奉ったゆえに解散処分を受けた顕正会に対し、大聖人様が教えて下さった信行。まさしく広宣流布最終段階の信行なのであります。
ここに私はいま深く思うことがある。
いいですか。
国立戒壇建立の御遺命というのは、日興上人ただ御一人に「本門弘通の大導師」として「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と御遺命されたものです。
そして日興上人の跡を継ぎ給うた歴代先師上人はまた、ただ御一人の「本門弘通の大導師」であられ、国立戒壇建立を唯一の御遺命と拝しておられる。
しかるに、今の六六世・六七世の細井日達・阿部日顕は、いったいどうしたのか。
池田大作の権力・金力にへつらって大聖人様の御遺命に背き、国立戒壇を否定して偽戒壇・正本堂を讃えた。
さらにこの正本堂の完工式には、池田大作がローマ法王庁から招いた神父数名が最前列に座していた。細井日達・阿部日顕がこれを知らぬはずがない。二人はまさに、邪法の神父で穢した偽戒壇・正本堂に、戒壇の大御本尊を遷し奉ったのである。この恐れ多さは言語を絶する。
このような師敵対をして、どうして御本尊を書写する資格があるのか。大聖人様に背き奉っては、恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う。
だが二人は平然と書写している。これ大聖人の御眼を恐れぬ無道心と思わざるを得ない。
日興上人は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と御教誡し給うておられる。
ここに今、直接、戒壇の大御本尊様を、距離を乗り越えて拝みまいらせる遥拝勤行こそが、広布最終段階の信行なのであります。
日本列島のどこに住んでいようとも、距離を乗り越えて、直接、大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊様を拝み奉る。この忠誠の唱題は直ちに大聖人様に通じて大功徳が頂ける。そしてついには広宣流布の大願も叶うのであります。
大聖人様は弘安二年八月の「異体同心事」にこう仰せられている。
「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども一善にかつ事なし」と。
―日本国の人々は数は多いけれども、心がバラバラであるから何ごとも成就しない。だが大聖人の一門は異体同心であるから、人々は少なくとも必ず大事を成じて、法華経の肝心たる三大秘法は広宣流布する。悪は多けれども一善に勝つことはない――と仰せ下されているのです。
今の日本も、同体異心でバラバラですよ。その中で、大聖人様に忠誠を貫く三百万の仏弟子が一結して
「日蓮大聖人以外にお救い下さる仏様はない。早く国立戒壇を建立して日本を救おう」
と大諫暁をするとき、亡国を眼前にして怯えるだけの日本の人々は、必ず目を開く。そして日本は動く。
さらに大聖人様は諸法実相抄に
「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
御本仏が「大地を的とする」と断言あそばされたことが、どうして虚しくなりましょうか。
やがて、戒壇の大御本尊を恋慕して唱え奉る唱題の声は、北は北海道から南は沖縄に至るまで、日本列島に満ち満ちる。
そして、全員が国立戒壇の建立を熱願するとき、それが「唯願説之」となって、ついに戒壇の大御本尊様は国立戒壇に御出ましあそばすのであります。
三百万こそ、広宣流布の重大な節目であります。
さあ、本年の最終法戦の九・十・十一月、何としても二二二万を大きく突破して、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)