きょうの総幹部会も、一人ひとりの登壇まことに素晴らしいですね。大感動いたしました。
そして本年の最終法戦九・十・十一月は、先ほど発表のごとく、三万五四九名の大折伏が成し遂げられ、ついに念願していた二二二万を突破することができました。
新型コロナの猛威で国中が怯えている中でのこの大折伏、まことに凄い。ただ驚きであります。
みなさんの、真心を尽くし切っての大法弘通、私はただ有難く、涙の出るような思いであります。
見てごらんなさい、今の日本の濁悪を——
まさに大聖人様仰せのごとく「末法濁悪」そのもの、「一切の人衆皆善心無く」そのものでしょう。人々の心は貪・瞋・癡の三毒でいっぱい。すなわち欲ばりで、怒りっぽく、癡かしい。だから聞くに堪えぬ、見るに堪えぬ犯罪が国中に充満するのです。
この濁悪の中で、顕正会は大聖人様の仰せのままに、人を救い国を救わんと、敢然と三大秘法を弘めている。このような清らかな団体が、日本国のどこにありましょうか。
顕正会こそまさしく仏弟子の大集団、地涌の菩薩の大集団であります。
さあ、いよいよ広宣流布の大事な節目たる三百万を見つめて、本日から新しい前進を開始したい。
迎える十二月・一月においては、何よりも、この法戦で入信した新しい同志を「絶対信」に立たせてほしい。
竜の口の大現証を拝すれば、誰人も絶対信が湧いてくる。国家権力も御頸が切れずにひれ伏してしまった。この大聖人様の御姿を拝見するだけで、命かけて信じ奉ることができる。「何があっても大丈夫」との確信が湧いてくるのです。
また、大聖人様の大難を忍び給うた大慈大悲を拝すれば、「有難い」「お慕わしい」との恋慕渇仰の思いが湧いてくる。
さらに、人生の目的は成仏にあり、臨終こそ大事であることなどを、やさしく語り合ってほしい。
そして本門戒壇の大御本尊こそ、大聖人様の大慈大悲の結晶であることを教えて、朝晩 怠けずに遥拝勤行に励むことを勧めてほしい。
素直に遥拝勤行に励めば、そのお題目は直ちに戒壇の大御本尊に通じて功徳が出てくるのであります。
最近は功徳の出方が早いですね。これも「時」なのです。広宣流布が近づくにつれ、諸天の励みが違うのです。
大聖人様は弘安二年の出世本懐成就御書に
「今は各々励むらむ」と。
—始めは諸天善神の働きが鈍かったけれども、いま弘安年中にいたって、いよいよ諸天の励みが強くなって来た——と仰せであります。
広宣流布もいよいよ大詰めが近づいてくると、功徳の出方も早い、罰の出方も早い。
これすべて、大聖人様が諸天に命じ給うゆえの現証であると、私は拝しております。
いいですか。
遥拝勤行こそ、大聖人様への「忠誠の証」なのです。
このこと少し説明いたします。
日蓮大聖人の唯一の御遺命は、広宣流布の暁の国立戒壇建立である。このことは三大秘法抄・一期弘法抄に太陽のごとく明らかですね。ゆえに富士大石寺においては、日興上人・日目上人以来七百年、この国立戒壇建立を唯一の使命・宿願として来たのであります。
創価学会の池田大作すら、曽ては次のごとく国立戒壇を主張していた。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と。どうです、立派なものでしょう。
ところが池田はやがて政治野心を懐いて、公明党の衆議院進出を決めた。これに伴い、世間からは「国立戒壇」に対する批判が巻き起こって来た。それは「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」などという不当な批判です。
だが池田はこの批判を恐れたのです。
そして「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として国立戒壇を捨て、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、このたばかりを宗門にも強要した。
時の貫首・細井日達と次の貫首・阿部日顕は、池田にへつらってこれに協力した。
かくて正系門家から国立戒壇建立の御遺命は消滅してしまったのであります。
これを眼前にして私は
「この御遺命破壊を見ながら知りながら、もし黙っていたら、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」
と思い定めて、学会・宗門を強烈に諫暁した。
池田大作は己の身を守るために宗門を動かし、顕正会を解散処分に付さしめた。
もし顕正会が宗務院の命令に従って、「国立戒壇を捨てて正本堂を御遺命の戒壇と認めます」と言っていたら、解散処分などはなかった。顕正会は安穏であった。
だが私は、顕正会の安穏よりも大聖人様への忠誠を選んだ。そして遥拝勤行による広宣流布の御奉公を決意した。
ゆえに「遥拝勤行こそ忠誠の証である」というのであります。
信心に距離は関係ないのです。たとえ戒壇の大御本尊様からどれほど遠く離れた地に住んでいようとも、大聖人様を恋慕渇仰して、大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、そのお題目は直ちに日蓮大聖人様に通ずる、戒壇の大御本尊様に通ずる。そして大功徳を頂き、臨終には成仏の相を現ずることができるのです。
ゆえに大聖人様は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ。
御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。乃至、
御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
と仰せ下されているのであります。
もし御遺命に背いたまま登山したら、かえって大聖人様のお叱りを受ける。そのことは内房尼御前の故事を見れば明らかですね。
いいですか。
広宣流布の前夜には、第六天の魔王は必ず正系門家を襲って、国立戒壇建立の御遺命を捨てさせるのです。
第六天の魔王は釈尊のときですら、「九横の大難」を以て妨害した。況んや御本仏日蓮大聖人の御出現のときには流罪・死罪の大難を以て御命をも奪わんとした。
その第六天の魔王が、広宣流布の前夜に正系門家を襲わぬはずがない。必ずや御本仏の唯一の御遺命たる国立戒壇を捨てさせるのです。
この時は、たとえ解散処分を受けるとも御遺命を守護し奉り、遥拝勤行で広宣流布を進めることこそ、大聖人様の御意に叶うのであります。
第六天の魔王の働きについて、大聖人様は最蓮房御返事に次のごとく仰せられている。
「予、日本の体を見るに、第六天の魔王智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。
日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」と。
第六天の魔王は仏法を破壊せんとして、智者とおぼしき者たちの身に入って、正師を邪師となし、善師を悪師にしてしまう。当時の邪宗の高僧らはすべてこの邪師・悪師です。
そして第六天の魔王がもっとも狙っていたのは、大聖人の御身に入ることです。だが、大聖人様は
「第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」
と仰せられている。
この御文を拝して、いま池田大作の姿を見るに、彼は第六天の魔王に対する用心深さなど、全くない、油断だらけです。
彼が求めるのは世俗の権力と名利だけ。そして大慢心をしていた。
どれほど慢心をしていたかというと——
昭和四十年当時、彼は学会の大幹部を集めた席に御用評論家たちを同席させ、次のように述べていた。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(高瀬広居著「人間革命をめざす池田大作—その思想と生き方」)と。
とてつもない大慢心でしょ。とても正気の沙汰とは思えない。
第六天の魔王はこの大慢心の男の身に入り、正系門家の内部から、御本仏の御遺命を破壊せんとしたのです。
天魔がその身に入るや、池田大作はたちまち国立戒壇を否定し、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
そして誰人も背けぬ絶対権威である「時の貫首」を誑かしてこの大悪事に協力させたのです。
池田ひとりではこのような大それたことを正系門家全体に受け入れさせることはできない。そこで、誰人も背けぬ「時の貫首」の権威を利用したのです。
第二祖日興上人は、広宣流布の前夜にはこのようなこともあるべしと慮られ、「遺誡置文二十六箇条」を定めおかれた。
その中の一条に次のようなお定めがある。
「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」と。
—たとえ多数の力を背景にした意見であっても、それが大聖人の御意に違っていたら、貫首は断固としてこれを打ち摧かなければいけない——と。これは貫首に対するお誡めですね。
だが、もし「時の貫首」が仏法相違の悪義を構えたら、正系門家の僧俗はどうすべきか。
時の貫首上人は御相承を受けて血脈を継いでおられる。だから私たちは絶対として尊信するのです。ところが第六天の魔王が、その絶対権威の言葉を以て大聖人様の御意と違うことを言わせたら、正系門家はどうしようもなくなってしまう。まことに恐ろしいことです。
そこに日興上人は、さらに大事の一条を定め置き下されたのです。すなわち
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と。
—たとえ時の貫首であっても、もし大聖人の仰せに違う己義を構えたら、その貫首も、その己義も、用いてはいけない——と。
これは「末法万年の総貫首」である日興上人だからこそ仰せになれることです。
この二ヶ条について、堀日亨上人は「稀に起こるべき不祥事であるとしか思えない」(富士日興上人詳伝)と仰せられているが、広宣流布の前夜には、第六天の魔王の働きにより、御遺命破壊というような大悪事も起こるのです。
ゆえに日興上人はその用心として、この二ヶ条を定め置かれたのであります。
私はこの定めのままに御遺命を守護し奉り、たとえ解散処分を受けるとも、遥拝勤行で広宣流布を進めんと決意したのです。
私はこの遥拝勤行こそ、広布最終段階の信行であると確信しております。
いいですか。やがて北は北海道から南は沖縄にいたるまでの日本列島全体に、恋慕渇仰の唱題の声が満つるとき、ついに国家意志の表明たる「勅宣・御教書」も発布されて国立戒壇が建立される。そしてその国立戒壇に、いよいよ本門戒壇の大御本尊様が御出ましあそばすのであります。
その時は、決して遠くない。
すでに偽戒壇・正本堂は崩壊したではないか。破邪の次には必ず立正がある。立正とは国立戒壇建立です。
すべては大聖人様の絶大威徳により成されるものであれば、国立戒壇建立は「大地を的」とする。
そしてこのとき御奉公を申し上げるのは、御遺命を守り奉った顕正会以外にはないのであります。
さて、世界の情勢は激変ですね。激変の基本的構図は、アメリカが衰退し、中国が台頭して来たということです。
アメリカは近年まで、圧倒的な経済力と軍事力で世界を仕切って来た覇権国であった。
ところが、二〇〇八年のリーマン・ショックによって大きな打撃を受けて経済が衰え、それに伴い軍事費の削減を毎年続けざるを得なくなった。そこで、世界各国に派遣していた米駐留軍を引き揚げるというようなことが、最近起きているのです。
もうアメリカは世界を仕切ることができなくなった。アメリカは内向きになってしまったのです。
だからオバマ大統領は「アメリカはもう世界の警察官ではない」と言い、トランプ大統領はもっとはっきりと「アメリカ・ファースト」すなわち「アメリカの利益第一」と言い出したのです。
また今回の大統領選挙を見ても、国内の分裂は深刻ですね。
「バイデンの勝利が確実」と言われながらも、投票総数の約半分の7100万票を獲得したトランプは、未だに敗北宣言してませんよ。それどころか選挙の不正を訴えて法廷闘争を展開し、その帰趨はどうなるか、まだ誰にもわからない。
日本のマスコミはみな「もうこれで決まった」「バイデンで決まった」などと言っているが、トランプは「そうではない」と確信を持っているらしい。バイデン父子のスキャンダルもいま燻り出してきた。一部には、投票日の一ヶ月後の「ディセンバー・サプライズが起こるであろう」などとも伝えられている。
またいまアメリカでは、銃を所持する怪しげな団体がいくつも横行してますね。こんなこと、近年のアメリカではなかったですよ。
さらに人種問題はアメリカの宿痾(長い間なおらない病気)です。これは過去に、アフリカから多数の黒人を拉致し、奴隷として酷使してきたことに起因している。その虐められてきた黒人の人口が次第に増え、今や白人を追い抜かんとしている。この人種問題の禍根はまことに深い。
事程左様に、アメリカは歴史的な衰退期に入ったのです。
一方、中国は、先月の総幹部会でも述べましたが、1970年代半ばまでは世界の最貧国の一つと言われていた。しかし周恩来の池田大作籠絡により、日本からの莫大な経済支援を取り込むことに成功し、経済は急速に立ち直り、2010年にはなんと、日本を抜いて世界第二位の経済大国になったのです。驚くべきことです。
しかもその間、中国の軍事費はGDP成長率を上回わる比率で膨張し続け、今や東アジアにおける軍事力のバランスは完全に崩れるに至った。
アメリカ国防総省の今年の年次報告によれば、中国の軍事力はすでに幾つかの点においてアメリカを凌駕しているという。たとえば中国は戦艦・潜水艦をすでに350隻も保有し、アメリカの296隻を上回わっている。
また中国はアメリカ本土に届く核ミサイル「DF41」を保有している。これが多弾頭核ミサイルです。
さらに東シナ海・南シナ海に二種類の極超音速弾道ミサイルを配備した。この弾道ミサイルは海水面すれすれに飛んで右にも左にも動けるので、迎撃することができない。
このうち一種はアメリカの航空母艦の東シナ海への侵入を阻止するためで「空母キラー」と言われている。
もう一種はグァム島の米軍基地まで襲えるので、「グァムキラー」とも言われている。
さらに宇宙、サイバー分野においても中国はアメリカを脅かし始めている。
この中国は、共産党の独裁政権で極めて侵略性が強い。「世界制覇」を公然と国家目標に掲げているが、まずアジアへの侵略を第一ステップとして、その計画を次のように発表している。
「2020年代に、アジアから米国勢力を駆逐し、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」と。
これが当面の中国の目標です。「アジアに君臨する」とは、日本を征服するということです。
広宣流布の決戦場たる20年代をめざして、中国がこのような目標を掲げていること、私は不思議に感じております。
まさに御在世の大蒙古のような国が、日本のすぐ隣に出現したのです。これも大聖人様の御化導を助け奉る諸天の働きであると、私は思っております。
いいですか。
御在世には、大慈大悲の御本仏に対し日本一同は怨をなし、流罪・死罪に処し奉った。ゆえに諸天はこの国を罰して、大蒙古に責めしめたのです。
そして今、大聖人御入滅以来七百年、日本一同は未だに御本仏に背き続けている。
就中、最大の悪事は、正系門家が第六天の魔王に誑かされて大聖人様に背き奉ったことです。
見てごらんなさい。学会・宗門は共に国立戒壇の御遺命を抛ってしまったではないか。そのうえ池田大作はあろうことか戒壇の大御本尊を捨て奉り、阿部日顕は戒壇の大御本尊を誹謗する身延派とも手を結んだ。
この「極限の大謗法・師敵対」、諸天どうして怒りをなさぬことがあろうか。
ここに今、諸天は大中華帝国をして、この日本を責めしめんとしているのであります。
弘安四年の十字御書に仰せの
「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとく、わざわい来たるべし」
とはこのことです。磁石が鉄を吸うごとく、大聖人様に背く日本は必ず災いを招くのです。
いま中国は日本侵略の手始めとして、尖閣諸島に触手を伸ばしつつある。
これに怯えて日本の歴代総理は、オバマ大統領にも、トランプ大統領にも、「日米安保条約第5条が適用されるかどうか」を確認している。
菅総理大臣も11月12日、次期大統領就任が確実になりつつあると言われているバイデン氏に電話した際、「バイデン氏が『尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象である』と明言してくれた」と喜んでいた。しかしこれら米大統領の発言は外交辞令にすぎない。
まことに情けない話ですね。尖閣諸島は日本の領土ですよ。日本が防衛するのは当然なのに、日本政府はアメリカ頼み一辺倒で、それを確認しては国民に公表している。
だから国民は「もし中国が尖閣諸島を攻撃したり占領した場合は、アメリカが直ちに強力な軍隊を投じて、中国軍を追い払って日本を守ってくれる」とばかり思っている。
しかしこれは日本の一方的な願望にすぎない。片思いなのです。
日米安保条約第5条は、果してそのような取り決めをしているのであろうか。その条文を見れば——
「(もし日本が武力攻撃を受けた場合には)自国の憲法上の規定及び手続に従って、共通の危険に対処する」
とあるだけです。
すなわち尖閣攻撃のような事態が発生した場合には、アメリカとしては、アメリカ合衆国憲法や各種法令・手続に従って行動すると決められているだけなのです。
そこで当然、ホワイトハウスや連邦議会は協議するでしょう。その結果を推測すれば、次のようになると思われる。
「尖閣諸島での日中間のトラブルに対してアメリカ軍を投入することは、中国との軍事衝突の可能性がある。アメリカとしては、核の全面戦争になりかねない危険を冒してまで、日本の岩だけしかない小さな無人島に軍隊を投入することはできない」と。
つまりアメリカは、日本と心中することはできない、しない、ということです。
これが日米安保条約第5条の限界です。いや国家間の条約の、これが限界なのです。
そもそも日本国の防衛をアメリカに委ねていること自体が、独立国としてはあり得ない、おかしいことです。
しかしこれは敗戦時に、戦勝国アメリカが日本を無力化する目的で作った憲法によってこうなったわけですが、アメリカが衰退して来た今日では、「アメリカに防衛義務がある」などとの思い込みは、もう通用しなくなっている。
では、日本は国土防衛のために強大な軍備をする以外にないのではないか——ということになるが、これも憲法の制約があってなし得ない。
いや、たとえこれを成し得たとしても、仏法の眼を以て見るならば、諸天の責めによる他国侵逼ならば、いかに強大な軍備をしようとも国を守ることはできないのです。
大聖人様は下山抄に
「真の天の責めにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋いとして、十方世界の四天王を集めて波際に立ち並べて防がするとも……」
と仰せられて、諸天の責めによる他国侵逼であるならば、いかなる国防・軍備も虚しい——とお教え下されている。
重ねて申します。
御在世の他国侵逼は、日蓮大聖人を流罪・死罪に処し奉ったゆえの大罰であり、諸天の責めなのです。
そしていま起こらんとしている他国侵逼は、正系門家が国立戒壇建立の御遺命に背き、さらに戒壇の大御本尊に不敬をなし奉っているゆえの諸天の罰なのであります。
これは諸天の責めであるから、いかなる手段・方法を以てしてもこれを防ぐことはできない。
やがて日本は、中国の圧倒的な軍事力によって蹂躙され、潰滅される。これがどれほど悲惨なことか。
だが世界のどの国も、この日本を救ってくれない。いかなる仏・菩薩も日本を守ってはくれない。
このとき、日本をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします、日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せられ、さらに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願やぶるべからず」
と仰せあそばす。
まさしく
日蓮大聖人こそ「日本の柱」であられる。
この日蓮大聖人を、日本国一同が信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊を国立戒壇に安置し奉るとき、始めて日本は金剛不壊の仏国となる。
ゆえに立正安国論の末文には「仏国其れ衰えんや」「宝土何ぞ壊れんや」と仰せられているのです。
この重大なる御化導は、大聖人様の絶大威徳と慈悲昿大によって為されるものであるから、必ず成る。
そしてこの御化導のお手伝いを申し上げるのは、御遺命を守り奉った顕正会以外にはあるべくもない。
顕正会は御遺命のゆえに解散処分を受けた。だが潰れもせず、当時一万二千だった弱小集団が、今や二二二万を超え、さらに三百万を見つめて驀進している。
濁悪の日本国の中で、師敵対に陥った正系門家の中で、大聖人様に命かけて忠誠を貫く三百万の仏弟子が出現するとは、なんと不思議なことか。
すべては大聖人様の御守護によるのであります。
この三百万が一結して、亡国寸前の日本国を諫暁するとき、日本は必ず動く。
これこそ大聖人御馬前の戦いであります。
さあ、迎える十二月・一月、人材を育て、抜擢して、三百万への大陣容を整え、いよいよ大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)