きょうの総幹部会も素晴らしいですね。一人ひとりの熱烈な登壇に、私は大感動いたしました。
そして、毎月の総幹部会ごとに、広宣流布の道が新しく切り開かれゆくを、私は実感しております。
さて、先般十月十三日、御本仏日蓮大聖人の第七四〇年の御大会式を謹んで奉修させて頂き、感激でいっぱいであります。
御大会式は、日蓮大聖人の弟子たる我らにとって、最も重大な御報恩の儀式であります。
大聖人様は、天台・伝教はもちろん釈迦仏すら受けることのなかった流罪・死罪の大難を、大慈悲のゆえに耐え忍ばれ、ついに全人類成仏の法体たる文底深秘の「本門戒壇の大御本尊」を、一閻浮提の一切衆生に授与して下さった。そしてこの大御本尊を日興上人に付嘱され、広宣流布の暁の「国立戒壇建立」を御遺命し給い、安詳として御入滅あそばされたのであります。
その大恩徳・大慈大悲を偲び奉れば、我ら末弟、ただひれ伏して合掌し奉るのみであります。
同時に思うことは、大聖人御入滅よりすでに七四〇年、未だに広宣流布していないこと、ただ申しわけない――との思いが胸に込み上げてまいります。
ここに日興上人の
「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」
との御遺誡を胸に、いよいよ死身弘法の決意、堅く固めるものであります。
その中、私は確信しております。「もう広宣流布は近い」と。
そのゆえは、正系門家において、日興上人・日目上人以来七百年、未だ見たこともない大悪が起きたからであります。
大聖人様は文永十二年の「大悪大善御書」に
「大事には小瑞なし、大悪起これば大善きたる」
と仰せ下されている。
いま起きている大悪とは何か。それは――
大聖人様の唯一の御遺命であり、正系門家七百年の悲願・宿願であった「国立戒壇建立」が、消滅してしまったということです。
すなわち、政治野心に燃える池田大作は「国立戒壇は世間の批判を受けて選挙に不利をもたらす」として、俄に国立戒壇を否定したうえで偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽った。
この大それた謀り、もし「時の貫首」がこれを承認しなければ、絶対になし得るものではない。
だが悲しいかな、細井日達・阿部日顕の二代にわたる貫首は、池田大作の強大な権力と財力にへつらって、唯々としてこの謀りに協力してしまった。
かくて、御本仏の唯一の御遺命たる「国立戒壇」は、正系門家から消滅したのであります。
だが、大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、ついに正本堂を打ち砕かせ給うた。
三五〇億円もの巨費を投じて「末法万年までの正本堂」と謳われていた巨大な大殿堂が、壊われるなどということ、誰が予想し得たであろうか。
だが大聖人様はお許しあそばさない。よって音を立てて崩壊したのであります。
この間、宗門と学会においては醜い仲間割れが起きた。
そしてついに、学会はあろうことか「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と公表し、恐れ多くも戒壇の大御本尊を捨て奉った。これ極限の大謗法であります。
一方、宗門は対学会闘争を有利にするため、戒壇大御本尊の敵たる身延派とも連携し、幾たびも身延僧を大石寺に招いた。その中には、身延派管長に就任する直前の田中日淳もいた。この際には宗門能化の高野日海が、袈裟衣の正装で大石寺の山門まで出迎え、山内を案内して正本堂まで見せたのち、蓮葉庵において饗応している。
どうして「戒壇の大御本尊の敵」を大石寺に招いて、もてなしなどができるのか。彼らはすでに大聖人の御眼も恐れぬ無道心だったのです。
だから学会と抗争に陥ったことで収入が減るや、こんどは戒壇の大御本尊を「営利の具」とし奉り、「付け願い」まで許して御開扉料稼ぎに狂奔するに至ったのです。何とも恐れ多い限りであります。
学会・宗門ともに大聖人の御眼を恐れぬこの無道心。何たる師敵対、何たる大謗法か。
かかる大悪は、正系門家七百年の歴史において未だ曽て見ざるところ。この未曽有の大悪が起きたことこそ、まさしく大善たる「広宣流布近し」の大瑞ではないか。
ここにおいて私は、大聖人様の仰せの
「大事には小瑞なし、大悪起これば大善きたる」
の御意を、いま深く胸に刻むものであります。
さて、先般の御大会式においては、大聖人様の御入滅は「滅に非ざる滅」であり、実には滅し給わず、常に此にましまして法をお説き下されていることを拝し奉りました。
このことを寿量品の自我偈には
「為度衆生故・方便現涅槃・而実不滅度・常住此説法」(衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く)と。
「衆生を度せんがために涅槃を現ず」とは、もし仏様が入滅なさらず、いつでもお値いすることができるということになれば、衆生はかえって「憍恣を起こし」「厭怠を懐き」と。
すなわちいつでも値えるのだとの思いを懐き、恋慕渇仰の心など起こさない。そうなれば成仏は叶わない。仏様には値い難いとの思いがあって、始めて恋慕渇仰し奉ることができるのです。
いま宗門は「登山しろ、登山しろ」「付け願いでもいい」などと登山を強要しているが、これで恋慕渇仰の心を起こしますか。戒壇の大御本尊様を「営利の具」とし奉ること、何とも恐れ多いではないか。
堀日亨上人は「富士日興上人詳伝」に
「日興上人への戒壇の大御本尊の御付嘱は密附である。戒壇の大御本尊は秘仏であられる。ゆえに広宣流布までは御宝蔵に秘蔵し奉る」(取意)と仰せられている。
信心うすく慢心している者には、常住不滅の大聖人様の御姿が見えない。このことを自我偈には
「我常住於此・以諸神通力・令顛倒衆生・雖近而不見」(我常に此に住すれども、諸の神通力を以て、顛倒の衆生をして、近しと雖も而も見えざらしむ)と。
池田大作などは、成仏を願う心よりも名利と権力を求める心が強い。これを「顛倒の衆生」というのです。だから大聖人様を軽んじて、己れの名利と政治野心に心を奪われる。このような「顛倒の衆生」には大聖人様が見えない。したがって大聖人の御眼を恐れる心もない。
ゆえに宗門との争いが始まるや、池田大作は恐れ気もなく戒壇の大御本尊を捨て奉ったのであります。
顕正会は「国立戒壇」の御遺命を守り奉ったゆえに理不尽な解散処分を受けるとも、一念も大聖人様を忘れ奉らず、戒壇の大御本尊に対し奉る信心はいよいよ深く澄み切っている。
ゆえに顕正会員の唱え奉るお題目は、直ちに日蓮大聖人・戒壇の大御本尊に通じ、大功徳が頂けるのであります。
きょうの総幹部会でも、御本尊様の功徳を讃嘆する声、また良き臨終の報告が相次いだが、私は聞くたびに、何と有難いことかとの思いが胸に湧きます。
そしてこのたびの御大会式では、「久遠元初の自受用身」と「応仏昇進の自受用身」との差異、すなわち日蓮大聖人と釈迦仏との勝劣を、日寛上人の御指南に基づいて拝させて頂いた。すなわち
「一には、本地と垂迹。
二には、自行と化他。
三には、名字凡身と色相荘厳。
四には、人法体一と人法勝劣。
五には、下種の教主と脱益の化主」
この五つです。この頭文字を「本・自・名・人・下」と憶えて、この大事な御法門を胸に刻んでほしい。まことに甚深・秘奥の御法門であります。
身延をはじめ、すべての邪宗日蓮宗の諸派が、大聖人様を御本仏と信じられないのも、この大事の立て分けがわからないからです。
いま広布前夜に戦う顕正会員は、恋慕渇仰・一念信解で広宣流布を進めるとともに、一人ひとりの胸の奥にこの御相伝の大事な御法門を懐いて、いよいよ
「日蓮大聖人様こそ久遠元初の自受用身であられる」
との金剛信に立ち、力づよく広布を進めてほしいと念願をしております。
さて、総選挙も酣となって来ましたね。しかしどの候補者も言うことは、目先のことだけ、バラマキだけ、そして己れの当選だけ。まさに「今だけ、カネだけ、自分だけ」です。誰一人として国を憂える者はいない。大聖人仰せの「佞人は危うきに居て安きを欲う」(富木殿御書)そのものであります。
先月の総幹部会で私は「今の日本が直面している大難は、国家財政の破綻と他国侵逼である」と申しました。
そのことについて、きょう少し触れておきます。
まず財政破綻のこと。
こんどの総選挙で、これに触れた政治家は一人もいないですね。彼らはみな無責任なのです。そしてわからないのです。
もし財政破綻すれば、国民がどれほどの苦難に陥るか。それを知ってか知らずか、彼らはただ目先の人気取りだけに気を取られている。
私は前々から「安倍晋三首相の財政規律を無視した異次元金融緩和なるものは、日本を破産国家にするものである」と叫び続けてまいりました。
そして今、ついに現役の財務省事務次官が、財政破綻を憂える声を上げましたね。
その人は矢野康治・財務次官です。彼は「文藝春秋」十一月号で、「このままでは国家財政は破綻する」と題して、10ページにわたる諫めの論文を発表した。
その内容の一部を紹介します。
「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない。言わねば卑怯でさえあると思う」
「すでに国の長期債務は九百七十三兆円、地方の債務を併せると一千百六十六兆円に上ります。GDPの二・二倍であり、先進国でずば抜けて大きな借金を抱えている。それなのに、さらに財政赤字を膨らませる話ばかりが飛び交っているのです」
「今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、その山をさらに大きくしながら航海を続けているのです」
「このままでは日本は沈没してしまいます。ここは声だけでも大きく発して世の一部の楽観論をお諫めしなくてはならない」
そしてその最後に
「先ほどのタイタニック号の喩えでいえば、衝突するまでの距離はわからないけれど、日本が氷山に向かって突進していることは確かなのです。この破滅的な衝突を避けるには、『不都合な真実』もきちんと直視し、先送りすることなく、最も賢明なやり方で対処していかねばなりません。そうしなければ、将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます」
と結んでいる。
この捨身の諫言に対して、安倍晋三は吐き捨てるようにこう言った。
「あれは間違った見解だよ。日本国債は自国通貨建てなんだから、デフォルト(債務不履行)などはない。ああいう形で発表するのは非常識だ」と。
「桜を見る会」では118回も虚偽答弁をした安倍の言葉だから、誰も信じないでしょうが「デタラメもいい加減にせよ」と私は言いたい。
この無責任男が、日本を世界最悪の借金国家、氷山に激突寸前の国家にしてしまったのであります。
矢野論文は、財政破綻したときの悲惨については言及してないので、私が言う。
どういうことが起こるかを言えば、それはまず、ハイパーインフレ(激烈なインフレ)です。
なぜかというと、アベノミクスの異次元金融緩和なるものは、新発の国債を、事実上 直接、日銀に買い取らせ、日銀に一万円札をどんどん刷らせるという「財政ファイナンス」を、日銀に強要するものだからです。
そもそも日銀が新発国債を直接引き受ける「財政ファイナンス」は、法律で禁じられている。財政法第五条によって明確に禁止されているのです。
そのゆえは必ずハイパーインフレを招き、さらに国債の暴落と、国債を大量に抱えている日銀に債務超過をもたらすからです。
日銀が債務超過に陥れば日本円の信用は著しく毀損され、紙幣はただの紙切れになってしまう。
こうなれば国家破産です。この非常事態を解決するには、国家が徴税権を駆使して国民から重税を搾り取る以外にないのです。
これが実行された先例がある。日本が敗戦した翌年の昭和21年です。戦時中の日本は戦費を調達するために国債を濫発し、ついに財政破綻にいたった。
そのとき政府はどんな手を打ったかというと、まず「国家非常事態宣言」を宣言し、「財産税」の徴集を始めた。
まず「預金封鎖」で資産を差し押さえ、「新円切り換え」によってタンス預金をすべてあぶり出し、財産税で国民の資産を根こそぎ召し上げたのです。
保有資産額に応じて適用される累進税率は、最高税率がなんと90%という苛酷なもので、国民は塗炭の苦しみに陥った。
このように、国家が財政破綻すれば、最終的には国民がその尻ぬぐいをさせられるのです。
安倍晋三の約八年にわたる異次元金融緩和の尻ぬぐいをさせられる日も、まもなくと思われる。だがそのとき、政治家は一人も責任を取らないのであります。
次に他国侵逼について述べます。
日本は国防に関しては極めて関心が薄い。だからこんどの総選挙においても、国家防衛について真剣に論じている候補者は一人もいない。
それというのも、日本は国家にとって最も大事な国防を、他国に委ねているからです。
「日本国憲法」を見てごらんなさい。
まず憲法の精神を謳った前文にはこうある。
「日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。
だが日本のまわりにある中国・北朝鮮・ロシアを見れば、ことごとく侵略性の強い独裁軍事国家ばかりではないか。
そうでしょ。中国は日本の領土の尖閣諸島を奪おうとしているし、北朝鮮は日本国民を拉致して未だに還さない。ロシアは日本との中立不可侵条約を破って北方領土を略奪した。このような国々のどこに「公正と信義」がありますか。
ないものをあると信頼したうえで「われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのだから、この憲法は虚構です、フィクションです、お伽噺なのです。
そしてこの前文を承けて第九条では「戦争の放棄」と「陸・海・空軍等の戦力不保持」と、「交戦権の否認」が定められている。
いいですか。日本が戦争を放棄するのはいい、戦力を持たないのもいい。だが、もし他国の侵略を受けたら、どのようにして国を守るのか。これでは国家の存立は不可能ではないか。こんな無責任な憲法はないのです。
どうしてこのような現実離れした「虚構の憲法」ができたのかというと――
この「日本国憲法」は、敗戦によって日本が占領され、その占領下の昭和21年2月に、米軍総司令部(GHQ)に属する米軍将校10数人、すなわち弁護士資格を持つケーディス大佐を中心とした将校10数人が、わずか10日間で一気に書き上げ、それを日本に押し付けたものだからです。
占領軍がこの憲法を作った最大の目的は、日本が再びアメリカを脅かす国にならぬようにすることだった。すなわち日本を永久に非武装にしておくことであった。それが第九条の規定となったのです。
だが、これでは国家は存立し得ない。そこでアメリカが日本を守ってやろうということになり、憲法制定5年後の昭和26年に「日米安全保障条約」が締結された。
そして戦後の日本は、この日米安全保障条約だけを頼りとして「安全と生存を保持」して来たのであります。
だから、日本で新政権が発足したとき、あるいはアメリカの政権が交代したとき、日本の総理大臣は必ずアメリカの大統領に安全保障の確認をしている。
岸田文雄首相も、就任早々、アメリカのバイデン大統領との電話会談でこれを確認し、「尖閣諸島は日米安全保障条約第五条の適用対象であるとの明言を得た」と発表している。何とも情けない話ですね。これでは属国と同じ、半独立国家にすぎない。
かくて、日本はアメリカの庇護のもと、ヌクヌクと平和を享受しカネ儲けだけに専念して来たのです。
そして国民も「イザとなったら、アメリカ軍がすぐに駆けつけて助けてくれる」と思い込んでいる。
だから日本は国防について関心が薄いのであります。
だが、日本周辺ではこのところ、風雲急を告げている。私は広宣流布の決戦場たる20年代のテンポの速さを、ひしひしと感じております。
いいですか。
北朝鮮は相次いで弾道ミサイルを日本海に撃ち込んでいるではないか。9月には複雑な軌道を高速で飛ぶ「極超音速ミサイル」を発射した。これで北朝鮮の危険度は格段に上がった。ゆえに岸信夫防衛大臣は10月15日、「北朝鮮の軍事動向は、重大かつ差し迫った脅威となった」と表明した。
さらに北朝鮮は10月19日には、新型の潜水艦発射の弾道ミサイルの実験に成功した。
中国も今年に入って、弾道ミサイルの発射が頻度を増している。8月には核弾頭搭載可能な「極超音速ミサイル」の発射実験を行なっている。この極超音速ミサイルは「マッハ20」(音速の20倍)の凄い速さです。方向も自在に変えられるので、迎撃が不可能といわれている。
ロシアも同じような極超音速ミサイルをすでに開発している。
そして中国とロシアは、すでに事実上の軍事同盟を結んでいるのです。
今月18日には、中国海軍とロシア海軍の艦艇計10隻が津軽海峡を通過した。両国の海軍はその直前まで、日本海で合同演習を行なっていたのです。そして津軽海峡を共に通過したのち、日本列島をぐるっと回わって鹿児島県の大隅海峡を通過して、東シナ海に抜けた。これまさに、中国・ロシア一体になって日本を威嚇しているのであります。
そして中国はいま、台湾侵攻を虎視眈々と狙っている。
その背景としては――
中国の不動産大手の「恒大集団」が33兆円の借金を抱えて債務危機に陥ったように、中国ではいま不動産バブルが大崩落しつつある。恒大集団だけではない、多くの不動産会社が倒産の危機にある。まさに不動産バブルの大崩壊なのです。
また中国の人口はあまり増えない。老人ばかりで若者が少なくなっている。ために生産性は上がらず、格差が広がり、人民のあいだに怨嗟の声が広がりつつある。
これを解決するには規制改革や国営企業の改革を断行しなければならない。
しかし人民の不満を逸らすためには、何よりも対外的緊張を作り出すことが最も有効と中国首脳は考えている。これが台湾侵攻を断行する背景の一つであります。
10月9日に開催された辛亥革命110周年記念大会において、習近平国家主席は「台湾統一」について
「必ず実現しなければならないし、必ず実現できる」と自信を示した。
さらに彼は、台湾への肩入れを強める米国などを念頭に置いて
「台湾問題は純粋に内政問題であり、いかなる外部からの干渉も容認しない。主権と領土を守る中国人民の、断固たる決心と意志と力を見くびるべきではない」と牽制した。
米国のバイデン政権も台湾を見殺しにはできない。さりとて中国との全面戦争は避けたい。そこで属国日本に尖兵としての役割を果させる。そのためには「安全保障関連法」を利用する。日本を尖兵として弾よけにするのです。
この日本に対し、中国はどう動くか。
この7月、中国は「核攻撃での日本平定」と題する動画を作成し、これを中国全土に拡散させた。
その内容は「日本が台湾有事において軍事介入したら、中国は即座に日本への核攻撃に踏み切る」というものです。
その中で強調されていることは「日本は曽ての日中戦争において3500万人の中国人民を殺した」などと誇張したうえで、「今また中国を侵略しようとしている。だから日本に対してだけは核兵器の先制攻撃をするのだ」と言い切っている。中国人民に日本への憎悪を植えつけ、核の先制攻撃の必要性を強調しているのです。
まさに台湾の有事は即日本の有事なのです。しかもそれは遠い将来ではない。もう眼前に迫っている亡国の大難であります。
では、なぜこのように急テンポで大難が日本に迫って来たのか。世間の人々は誰もその根本原因を知らない。
大聖人様は富木殿御返事に
「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」と。
また「法門申さるべき様の事」には、比叡山で修学した三位房に対し、伝教大師の正系門家・比叡山の濁乱にこと寄せて、他国侵逼について次のごとく仰せ下されている。
「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国 我が朝をほろぼさんとす」と。
叡山は、伝教大師が六宗の邪義を破折して「法華第一」の正義を打ち立てた、像法時代における日本唯一の正法の寺であった。しかし第三・第四の座主 慈覚・智証が真言の邪法を取り入れ、「法華経第一」の正義を消滅させてしまった。
このことに寄せて、大聖人様は他国侵逼の大難起こることをお示し下されたのであります。
いま末法においては、御本仏日蓮大聖人の唯一の正系門家は富士大石寺以外にはない。
しかるにこの正系門家において、学会・宗門ともに、大聖人様の唯一の御遺命たる「国立戒壇」を否定した。
さらに学会はあろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉り、宗門は「戒壇の大御本尊の敵」たる身延とも連携し、いま大御本尊を「営利の具」に利用し奉っている。
学会・宗門ともに、何たる師敵対、何たる大謗法、何たる無道心か。
正系門家がこのように大聖人様に背き奉れば、日本は必ず他国の逼めを受けるのです。
この亡国の大難は諸天の責めであるから、たとえ国防の最善を尽くすとも、国を守ることはできない。
ゆえに撰時抄には
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生 兵難に値うべし」と。
もし中国の核ミサイルが日本に襲来したら、日本は一瞬にして潰滅する。
いや、広布前夜の戦争は「一閻浮提の大闘諍」となるから、地球上に無数の核ミサイルが飛び交うであろう。そのとき、人類が絶滅するのであります。
この大惨禍・大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします、日蓮大聖人ただ御一人であられる。
この絶大威徳は、竜の口において、諸天に申し付けて国家権力をもひれ伏さしめ給うた大現証を拝すれば、理屈ぬきです。
大聖人様はこの絶大威徳を以て、日本を、世界を、お救い下さるのです。
ゆえに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願やぶるべからず」
と御誓願あそばされている。
そして大聖人様は、この亡国の大難起こるとき、広宣流布をあそばす。
ゆえに上野抄には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
この「梵天・帝釈等の御計い」とは、大聖人様のお申し付けによること、申すまでもない。
さらに全世界への広宣流布について、報恩抄には次のごとく仰せ下されている。
「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」
「日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
いいですか。
「日本乃至漢土(中国)・月氏(インド)・一閻浮提(全世界)に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」とは、全地球上に広宣流布するということ。
そして
「日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
南無妙法蓮華経の唱えが、末法万年・尽未来際まで流れゆくのは、実に「日蓮が慈悲昿大ならば」のゆえであられる。ただ大聖人御一人の大慈大悲によるのです。
池田大作は曽て「日本の広宣流布はもう実現した。あとは世界広布だ」などと嘯いていたが、これ第六天の魔王その身に入る者の戯言に過ぎない。
まさしく広宣流布は、日蓮大聖人御一人の「慈悲昿大」により成されるのであります。
だから私は、広宣流布ができるとかできないとか、心配したことがない。我ら弟子は、大聖人様があそばす広宣流布のお手伝いをさせて頂くだけなのであります。
そして今、日本の広宣流布は、いよいよ最終段階を迎えたごとくであります。
このときに召し出だされ、御奉公が叶うとは、顕正会は何という宿縁か。
御遺命に背いた学会・宗門には、もうその資格がない。
顕正会は、御遺命を守り奉って理不尽な解散処分を受けるとも、ただ一筋の忠誠を貫き、その死身弘法はついに三百万に及ばんとしている。この不思議、ただ大聖人様の御守護以外にはない。
この濁悪の日本国に、大聖人様に南無し奉る三百万の仏弟子の大集団が、やがて出現するのです。
大聖人様は弘安二年八月の「異体同心事」に
「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども一善にかつ事なし」と。
三百万が一結して、日蓮大聖人の大恩徳を日本の人々に教え立正安国を叫ぶとき、日本は必ず動く。
これを思うとき、私は胸が熱くなってまいります。
三百万こそ、広宣流布を決する重大関門であります。
さあ、本年最後の法戦十一月、明るく共に励まし合い、みごと誓願大突破の戦いを成し遂げ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)