きょうの総幹部会も素晴らしいですね。一人ひとりの、信心の歓喜・燃えるような広宣流布の大情熱に接して、大感動いたしました。
そしてきょうも、良き「臨終」について三人の体験発表がありましたね。
大聖人様は上野殿には
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」
また弥源太殿御返事には
「此の事、少しもそら事あるべからず」
と仰せ下されている。
私はよき臨終の報告を聞くたびに、大聖人様の大慈大悲と御本尊の仏力法力は何と有難いのか、との思いが胸に込み上げてまいります。
さて、広宣流布の決戦場20年代に突入して、世間の濁乱のテンポはまことに速くなってきましたね。
「総罰」たる新型コロナは急速に世界に拡大し、第三次世界大戦の口火たるロシアのウクライナ侵略も世界を驚動させつつある。
その中、決戦場第三年の初陣二・三・四月法戦は、「二万」の誓願を立てて前進を開始いたしましたが、さきほど発表のごとく、誓願を大きく突破する二万八千一四五名の大折伏が、ついに成し遂げられました。
大聖人様に応え奉らんと、ただ真心を尽くした全顕正会員の熱烈なる信心を思えば、有難さでいっぱいであります。
また毎月開催されている男子部・女子部・婦人部の総部集会も、いよいよ水かさを増してきましたね。月々に参加人数の記録が更新されつつある。未活動だった人たちも続々と広布の戦列に加わりつつある。
顕正会の弘通の戦いは、コロナをも乗り越えておりますが、学会・宗門は開店休業です。だがコロナ禍は一国謗法のゆえに起きているのです。コロナを恐れてどうなるのか。そこに用心深く、しかも力づよく、広宣流布を進めているのが顕正会の戦いであります。
いま顕正会の活動の基本路線は――
毎月本部会館で開催される総幹部会の大感動を本として、各部の総部集会を開いて広宣流布を力づよく進めていく、これが顕正会の基本路線であります。
コロナがどれほど猖獗を極めようと、オンライン形式のこの活動ならば、一切 妨げられることはない。かえって広宣流布はしんしんと進むのであります。
さらに今、まじめな学会員が続々と正義にめざめ、国立戒壇建立に戦う同志となっていること、まことに嬉しい。
私は、全学会員がめざめると確信している。信心がない者は別ですよ。一分でも信心があるならば、「これこそ大聖人様の仰せのとおりの信心なんだ」と必ずめざめる。「学会」だ「顕正会」だというのではない、「日蓮大聖人の弟子」として、一体になって広宣流布の御奉公をするのは当然ではないか。
かくて、信心で打ち固めた三百万の仏弟子の大集団が、大聖人様の御心のままに一国を諫暁し、日本を救っていくのであります。
何より大事なことは「遥拝勤行」の徹底です。遥拝勤行こそ仏道修行の基本であります。
どうか新しく入信・入会した同志に、しっかりと
「戒壇の大御本尊を直接拝し奉る遥拝勤行こそ『忠誠の証』であり、『時に適った信行』である。ゆえに大功徳が頂けるのだ」
ということを、しっかりと教えてほしいと念願しております。
このことは先月の総幹部会でも申しましたが、大事なことなので重ねて申します。
まず遥拝勤行が「忠誠の証」であることについて述べます。
そもそも広宣流布の暁の国立戒壇建立は、日蓮大聖人の唯一の御遺命であります。
大聖人様は御入滅に際して日興上人に
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
と御遺命あそばされた。
以来、正系門家・富士大石寺においては、七百年来、国立戒壇建立を唯一の宿願・大目的として来たのであります。
このことは、創価学会の池田大作すら、曽ては
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)
と述べていたことを見ても、よくわかりますね。
だが池田大作はこの「国立戒壇」を弊履のごとく投げ捨てた。
それは、彼が政治野心を懐いて「公明党」を結成したことに起因しているのです。この政治進出を見て、マスコミ・評論家等が一斉に「国立戒壇は憲法違反である」などと当らざる批判をした。彼はこの批判を恐れて「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、忽ち国立戒壇を否定し、俄に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽ったのです。
そしてこの大それた謀りをなすに当って、池田は卑劣にも己れは身を隠して、これを宗門が自発的に決定したごとくの形を取らせた。
かくて、二度にわたる「日蓮正宗・責任役員会」が開催され、「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を定めた「訓諭」の発布が議決された。
ここに、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇は、正系門家から完全に消滅してしまったのであります。
正系門家のこの重大な師敵対をごらんあそばせば、大聖人様はいかが思しめされるか。
大聖人様は滝泉寺申状に
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と。
また日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」
と御遺誡下されている。
もし「法主」の権威を憚り、学会の強大を恐れて、この御遺命破壊の大悪を黙過したら、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる――ただこの一念で、私は御遺命守護の御奉公に立ち上がったのであります。
これを見て池田大作は宗門を動かし、顕正会(当時妙信講)を潰さんとした。解散処分が下ることは必至であった。
解散処分が下れば、本山登山も禁止され、御本尊下附も中止となり、「猊下に背いた団体」との悪罵中傷は必ず宗門に満ちる。講の命脈を保つことはとうてい不可能となる。
だが、国立戒壇の御遺命を捨てて参詣して大聖人様はお喜び下さるか。かえってお叱りを受けるに違いない。私は講の安穏よりも、大聖人様への忠誠を選んだ。
そして諫暁を開始してより四年後の昭和四十九年八月十二日、ついに解散処分が下った。
その宣告書には「日蓮正宗管長・細井日達」の名を以て、次のごとくの解散処分理由が示されていた。
「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』に対し異議を唱えたゆえ」と。
この「宣告書」こそ、まさしく顕正会の「忠誠の証」を示したものです。
この宣告書を手にしたとき
「大事の御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であってはいかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ」
との思いが湧いた。
だが、広宣流布はどうなるのか――。御遺命に背いたうえに戒壇の大御本尊に対し奉る信をも失った学会、またこの学会にへつらう宗門、これら無道心の輩に、どうして広宣流布の御奉公ができようか。
このとき私は、遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とうと決意した。
いや、大聖人様がこの一筋の道をお教え下さったのであります。
思えば、戒壇の大御本尊様は、日興上人に密附された秘仏にてましまし、広宣流布の時まで、御宝蔵に秘蔵厳護し奉るべき大御本尊であられる。いつごろからか、深信の者に特別の内拝が許されたが、現今のごとく、営利目的で戒壇の大御本尊を利用し奉るなどは言語道断。大聖人様から強きお叱りを受けるに違いない。
第五十九世・堀日亨上人は「富士日興上人詳伝」にこう仰せられている。
「開山上人は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古)からか、遠き広布を待ちかねて、特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事である。(中略)開山上人より三祖日目上人への富士総跡の御譲り状にも『日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊』として、戒壇本尊とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある」と。
この仰せのごとく、戒壇の大御本尊は日興上人に密附された秘仏であられる。日興上人は、この大御本尊を正しき広宣流布の時まで秘蔵すべし、との御心であられた。
ゆえに上代には「御開扉」などはなかったのです。
歴代先師上人は毎朝、丑寅の勤行のあと、座を移して、御宝蔵にまします戒壇の大御本尊を遥拝し奉っておられた。しかるに、今日のごとき営利目的の御開扉などは御罰をも蒙る。だから「正本堂崩壊」「大扉開かず」の大現証があったのであります。
いま顕正会は、御遺命を守り奉ったゆえに解散処分を受け、自然と日興上人・日目上人の上代に立ち還り、遥拝勤行で広宣流布に驀進している。これこそ「忠誠の証」であります。
次に、遥拝勤行こそ「広布前夜の時に適った信行」であることについて述べます。
いいですか。
宗門は二度にわたって「日蓮正宗・責任役員会」を開催して、御遺命を破壊したのです。
だが、この公式決定は未だに取り消されていない。国立戒壇建立は否定されたままになっている。これで平然としていられるのは、無道心だからです。
「大聖人様の御眼恐ろしとは思わぬか」と私は叫びたい。
早く改悔して、先の「責任役員会」と同じ手続きを以て、この師敵対の公式決定を取り消さなければいけない。
真の改悔とは、口先だけではいけない。大田抄に大聖人様がお示しのごとくでなければいけない。
すなわち世親は「舌を切らんと欲す」と言い、馬鳴菩薩は「自ら頭を刎ねん」と願い、吉蔵は天台大師を屈請して「身を肉橋と為し頭に両足を承く」と。
これらの賢人はみな、後生の大苦を恐れるがゆえに、このように心から懺悔したのです。
だが、今の宗門にはこの懺悔が全く見られない。これを無慚・無愧・無道心というのです。
この無慚・無愧そして師敵対は、阿部日顕を一例として見ればよくわかるので、少し説明します。
阿部日顕は、宗門の教学部長時代からすでに池田大作にへつらって、国立戒壇否定と正本堂のたばかりのために二冊の悪書を書いた。それが「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」です。この二冊はまさに三大秘法抄の御聖意を徹底して踏みにじった大謗法の書であります。
さらに彼は昭和五十三年二月七日、腹心の参謀・河辺慈篤を帝国ホテルの一室に招き、密かに戒壇の大御本尊に対し奉る許されざる誹謗をした。この事実は、河辺慈篤の当時のメモによって確認されている。私はその悪言を伝えるのはあまりに恐れ多いから、敢えてしない。要するに阿部日顕には、戒壇の大御本尊に対し奉る信心が全くなかったのです。
当時、宗門・学会抗争が起きていた。阿部は学会に内通していたことが発覚して宗門内で窮地に立っていた。もう出世はできぬと前途に希望を失っていた。この憤懣から日ごろ心に懐いていた恐るべき大悪言を口にしたと思われる。
その翌年の昭和五十四年七月、細井日達管長は急逝した。この突然の死に宗門全体が動揺している中に、阿部は池田の擁立を受けて猊座に就いてしまった。
その後、彼は十一年間にわたり池田大作と一体になって「本門寺改称」の陰謀を進めたのです。
「本門寺改称」というのは〝日本国の三分の一が入信すれば広宣流布だ〟と偽ることを前提にして、そのとき大石寺の寺号を「本門寺」と改称せんとする陰謀であった。
もしこの改称が実現すれば、大石寺の正本堂はそのまま「本門寺本堂」になり、一期弘法付嘱書の「本門寺の戒壇」と偽ることができる――というもの。これが池田大作の最後の執念、最後の陰謀であった。
「本門寺改称」を実現する期日は、阿部の登座より十一年後の、平成二年の大石寺開創七百年の御大会式と、二人は決めていた。
この年の四月、私は「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を認め、阿部日顕に送付した。この諫状の趣旨は、阿部日顕の「二冊の悪書」を徹底して粉砕し、「正本堂を取り壊して懺悔せよ」というものであった。阿部日顕は肺腑を抉られ心に怖畏を生じたと思われる。
ついに彼は大石寺開創七百年慶讃法要において、池田大作との約束を果すことが恐ろしくて出来なくなった。法要の席上、読み上げた慶讃文の中で彼はことさら
「大本門寺の寺号公称は、広宣流布の未来にある」と述べた。
ついに池田を裏切ったのである。
これを眼前にして池田大作は瞋り心頭に発した。これより宗門と学会は「修羅と悪竜の合戦」そのままの、醜悪にして凄絶なる大抗争に陥った。
すると阿部は対学会闘争のために、あろうことか、戒壇の大御本尊を敵視している身延派と連携し、身延の大謗法の悪僧どもを相次いで大石寺に招いたのです。
いいですか。このように大聖人様に背き奉る悪行を重ね、なお全く恥じることのない阿部日顕に、果して御本尊を書写し奉る資格がありましょうか。
このような悪僧が宗門に蟠踞していることこそ、正系門家における「末法濁悪」が極に達したことを物語っているのです。
かかる時は、直接、戒壇の大御本尊を遥拝し奉ることこそ、まさしく時に適った信行なのであります。
「御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
この仰せのままに遥拝勤行をすることこそ、時に適った信行なのであります。
信心に距離は全く関係ない。いかに遠く離れていようとも「日蓮大聖人 眼前にまします」の信心に住し、恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊に通じ、現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得させて頂ける。
まさしく遥拝勤行こそ「忠誠の証」であるとともに、「広布前夜の時に適った信行」なのであります。
解散処分のとき、顕正会はわずか一万二千であった。だが今や三百万になんなんとしている。末法濁悪の日本国の中に、三百万の清らかなる仏弟子の大集団が出現することは、なんと不思議なことか。
これ大聖人様の御守護以外にはないのであります。
今後「前代未聞の大闘諍」が起こるとき、そして「他国侵逼」が迫るとき、この恋慕渇仰の遥拝勤行は必ず日本国に満ち満ちる。そして全国民の熱烈なる信心が凝集して「勅宣・御教書」すなわち国家意志が表明されるとき、ついに御遺命の国立戒壇は富士山天生原に建立され、いよいよ戒壇の大御本尊様が御出ましあそばすのであります。
それは決して遠い未来ではない、もう眼前であると、私は確信しております。
そのゆえは、「前代未聞の大闘諍」たる第三次世界大戦が、刻々と迫りつつあるからです。
この大闘諍の予兆・前相として、いま曽てない大規模な異常気象が世界規模で発生し、世界各地が難民であふれている。
世界気象機関(WMO)の発表によれば、洪水や旱魃などによる災害は1970年代の10年間は711件であったが、2010年代は3000件に増大し、難民の数は紛争原因の3倍にも当る3000万人に増加したという。さらに2050年までの予測では、最大2億1600万人が難民になると警告しております。
撰時抄には
「其の時、天変地夭盛んなるべし」
と仰せられ、次いで
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし」
と仰せられているが
まさしく曽てない大量難民を生ぜしめたこの異常気象こそ、「前代未聞の大闘諍」の予兆なのであります。
そして今やロシアのウクライナ侵攻により第三次世界大戦の口火が切られた。この侵略は早期には終結しそうにない。
もし長期化すれば、全世界がインフレと食糧危機に陥るのであります。
米国はすでにインフレが深刻ですね。4月12日の米労働省の発表によれば、米国の3月の消費者物価指数(CPI)は対前年比で8・5%も上昇している。
トルコに至っては、3月の消費者物価指数は前年同月比で61%にも達している。
いずれ全世界が、このようなインフレに襲われるのです。
なぜかと言えば、ウクライナとロシアは合計で、小麦は3割、トウモロコシは2割を世界に輸出している。またロシアは石油・天然ガスの大量輸出国です。これらが停止となれば影響は全世界に及ぶ。
ことに石油・天然ガスと食糧を全面的に輸入に頼っている日本は、円安と相俟って、いよいよこれから超インフレと食糧危機が深刻になってくること疑いない。
まさにロシアのウクライナ侵攻によって、世界の状況は一変したのです。
米国に次ぐ軍事大国である中国とロシアは、事実上の同盟関係にある。
北京オリンピックの開会式に自由主義諸国はみんな外交的ボイコットをしたが、ロシアのプーチンは出席して2月4日、二人だけで1時間30分にわたり密談をしている。その20日後の24日に、ウクライナ侵攻が始まったのです。すべては打ち合わせた上でのことに違いない。
この二国は力を合わせて、現在の米国主導の国際秩序を壊わそうとしているのです。一国だけではとうていアメリカに敵し得ないが、二国が手を結べば事は成ると思っている。
また北朝鮮も人民を飢餓状態にしたまま、核兵器の開発には余念がない。今年も核ミサイルの発射実験を幾たびも繰りかえしている。この核ミサイルが狙っているのは、アメリカ本土と日本列島以外にはない。この背後には中国とロシアの強力な支援があるのです。
中国・ロシア・北朝鮮の三国は、まさに世界における「悪の枢軸」であります。いずれも軍事独裁国家で、仏法で言えば修羅界の国です。修羅界の国家は、内には人民を虐げ、外には他国を侵略することを常とする。
現在、世界には1万3000発の核弾頭が存在しているが、ロシアの核弾頭保有数は世界トップで6255発。2位・米国の5550発を大きく引き離している。
そのうえ4月20日、ロシアの国防省は新型のICBM(大陸間弾道ミサイル)「サルマト」の発射実験に成功したと発表した。
この「サルマト」はロシア最大級のICBMです。10~15の核弾頭搭載が可能で、その威力はアメリカ・テキサス州と同等の面積を壊滅し得る破壊力がある。射程は1万8000キロ。従来の北極経由に加え、南極経由でもアメリカを攻撃できる。そして、年内に実戦配備することができると言われている。
プーチンは「現代のあらゆるミサイル防衛システムをも避けて飛べる新型のミサイルである」と豪語しております。
さらにプーチンは「もしロシアが危急存亡に至ったら、躊躇なく核兵器を使う」旨を、幾たびも公言している。形勢不利になれば、プーチンは何をするかわからない。
また中国は前々から「台湾統一」を狙っております。いずれタイミングを見計らって、侵略を開始すること疑いない。
そのとき尖閣諸島・先島諸島は戦場になる。台湾有事は即日本の有事なのです。もし台湾が奪われれば、日本への海上輸送路(シーレーン)は封鎖され、輸入で存立している日本は国家存亡の危機を迎える。
たとえ日米安保条約があっても、アメリカは核の全面戦争になることを恐れて、日本を守るための軍事行動は起こさない。日本に危機が迫ったら「日本こそまず戦うべきである」と言うに違いない。
そのとき日本は、中国の強大な核ミサイルによって血祭りに上げられる。これまさしく大聖人御予言の「他国来難」であります。
このとき日本をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願やぶるべからず」
と仰せられ
また新尼抄には
「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
「此の五字の大曼荼羅」とは戒壇の大御本尊の御事であります。
さらに四十九院申状には
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」
と仰せ下されている。
まさに日本および全世界の一切衆生をお救い下さるのは、日蓮大聖人ただ御一人であられる。
そして大聖人様は「一閻浮提の大闘諍」起こるとき、「他国来難」の起こるとき、この大罰を用いて一時に広宣流布をあそばすのであります。
ゆえに上野殿御返事には
「ただをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と仰せ下されている。
私たちはこの大現証を、この目で必ず見せて頂けるのです。
広布最終段階に生まれ合わせ、この重大御化導のお手伝いをさせて頂けるとは、顕正会員はなんと有難い宿縁でありましょうか。
さあ、早く信心で打ち固めた三百万の仏弟子の大集団を築き、日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲を全日本人に徹底して教え、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)