きょうの総幹部会も素晴らしいですね。聞いていて、全身が熱くなってまいりました。
はじめに「良き臨終」についての三人の報告、次いで学会から入会した人々の「正義にめざめて」、そして「活動報告」、最後に二つの論題、都合十一人。
一人ひとりの登壇には、信心の熱誠と広宣流布の熱情が滾っており、私は大感動いたしました。
これほど素晴らしい集会は日本に無いですよ。この総幹部会のビデオ放映、ぜひ全日本人が見てほしいと思っております。
そして本年の初陣たる二・三・四月の弘通、まことに力強いですね。
「二万三千」の誓願を立てて前進を開始いたしましたが、二月二一日現在、すでに一万三千四三〇名、五八%の大法弘通がなされております。
いま日本国において、大聖人様の仰せのままに戦っているのは、顕正会だけであります。
さて、この二月は、まさしく「開目抄」の月であります。
ここに改めて、佐渡雪中において開目抄を著わし給うた大聖人様の、大慈大悲の御心を拝し奉りたい。
開目抄は、あの竜の口大法難の五ヶ月後にお認め下された重大な御書です。よってまず、竜の口の頸の座における大聖人様の御尊容を拝し奉ります。
文永八年九月十二日の深夜、大聖人様は竜の口の頸の座に坐し給うた。
この大法難は、邪法の悪坊主どもの讒言を取り上げた幕府の最高権力者・平左衛門による、絶体絶命の死刑であった。
だが、太刀取りが大刀を振り下さんとしたその刹那、思議を絶することが起きた。
突如として「月のごとく光りたる物」が出現したのです。
その光りがいかに強烈であったか。太刀取りは目がくらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちも恐怖のあまり一町ばかり逃げ出し、馬上の武士たちも、あるいは馬から下りて畏まり、あるいは馬上でうずくまってしまった。
もう死刑を執行するどころではない。
砂浜に坐し給うは、ただ大聖人御一人。
大聖人様は大高声で叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが一人として近寄る者はない。
大聖人様は重ねて叫ばれた。
「夜 あけば、いかにいかに。頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」
―夜が明けたらどうする。頸を切るならば急ぎ切るべし。夜が明けたら見苦しいであろう――と。
これ死刑を催促し給うたのです。
だが、声を発する者とてない。
響くは凛々たる大聖人様の御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。
まさしく国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を刎ねることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのであります。かかる思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景は、人類史上どこにもない。
この大現証こそ
日蓮大聖人が立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、名字凡夫の御身の当体が、そのまま久遠元初の自受用身となって成道を遂げ給うた、その御尊容であられる。
この強烈なる大現証を眼前にした幕府首脳らは、茫然自失に陥った。どうしていいかわからなくなってしまったのです。
その後、ひと月もの間、大聖人を依智に留めたまま、鳩首凝議の末、佐渡流罪と決定した。
しかし流罪とは表向きで、内実は機をうかがって頸を切るというのが、平左衛門の魂胆であった。
佐渡で大聖人の住まいとして充てられたのは、死人を捨てる山野に建つ「三昧堂」といわれる一間四面のあばら家であった。この廃屋は屋根も壁もすき間だらけ、床には雪がふりつもっている。とうてい人の住めるところではない。
当時の日本は寒冷期であったから、佐渡の冬は恐らく零下二十度くらいまで下がったと思われる。この極寒を防ぐのは蓑一枚、食糧も乏しい。そのうえ幕府は「今日切る、あす切る」(報恩抄)と、大聖人の御命を狙っていた。
その中で、凍える御手に筆を執り給い、上下二巻にわたる膨大なる開目抄をお認め下されたのであります。
この開目抄がどれほど重大な御書か。大聖人様はかく仰せ下されている。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば、日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり。
此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。
平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなく夢のごとくに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国より責めらるべし」と。
いいですか。
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」とは
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということであります。
大聖人様の御存在は、これほど重く、かつ大であられる。これ大聖人様が、十方三世の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身にして、末法下種の本仏であられるからであります。
この御本仏に敵対すれば、国も亡び、人も亡ぶのです。
その事実を、当時の日本に見てごらんなさい。
平左衛門は大聖人の御頸を刎ね奉った。この大逆罪の罰はたちまち三年後、さらにその七年後と、二度にわたる蒙古の大侵略となって現われた。
当時の大蒙古は、ユーラシア大陸を征服した史上空前の大帝国ですよ。その大帝国が二度にわたって侵略して来たのです。日本は亡んで当然であった。
だが亡びなかったのは、実に日蓮大聖人の絶大威徳と大慈悲によるのであります。
いいですか。
平左衛門はすでに大聖人の御頸を刎ね奉った。日本の柱を倒し奉ったのです。日本は亡んで当然であった。
だが、御頸は刎ねて刎ねられず、日本の柱は倒して倒れず。よって日本も亡んで亡びなかったのです。
もし御頸が刎ねられていたら、日本は完全に滅亡していたに違いない。
また平左衛門の末路を見てごらんなさい。
彼は幕府随一の権勢を誇ったが、熱原の法難より十四年後、謀叛が発覚して父子ともに誅戮された。息子の飯沼判官は、熱原の法華講衆に対し蟇目の矢を射た男ですよ。この平左衛門の父子は、熱原法難の十四年後に誅殺されている。この大罰、日興上人が「弟子分帳」に、後世のため克明に記し留め下されている。
このように、日蓮大聖人に背き奉るならば、国も人も必ず亡びる。
そして、もし一国が三大秘法を持てば国は盤石のごとく安泰となり、個人が持てば、その人は必ず一生成仏の大果報を得るのであります。
だが、竜の口の大法難のとき、門下は大きく動揺した。それというのも、大聖人様は竜の口からそのまま佐渡流罪になって生死も不明、いつお還りになるかも全くわからない。
この法難のあまりの恐ろしさに、信心うすき者はたちまち疑いを生じ、続々と退転したのです。
ここにおいて、大聖人様の大悲やまず。
いま佐渡雪中にまします日蓮大聖人こそ、実に日本および一閻浮提の人々を現当二世にお救い下さる久遠元初の自受用身にして、末法下種の主・師・親であられることをお示し下された。それが開目抄であります。
「開目」とは、目を開かせ見せしむること。何を見せしめ給うたのか。
まさしく日蓮大聖人こそ、末法の一切衆生が帰依すべき「人の本尊」であられることを見せしめ給うたのであります。
いま日本は戦後最大の危機に直面している。それは、強力な核兵器を持ち且つ日本を憎む中国・ロシア・北朝鮮の三国に、いつのまにか包囲されてしまったからです。遠からず、日本への侵略は必ず起きる。
このような事態に立ち至ったのも、国中が未だに大聖人を信ぜず背き続けている。就中、正系門家が御遺命に背き奉ったゆえであります。
今こそ全日本人の目を開かせ、お救い下さる日蓮大聖人の大恩徳を教えなければいけない。
これが広布前夜に生まれ合わせた顕正会の唯一の大使命であります。
いま広宣流布が近づくにつれ、折伏に対する反応も徐々に変化しつつあるを感じますね。
二月五日の顕正新聞「戦後最大危機の日本」特集号は、通常の発行部数では足りず、一〇万部単位で増刷を続けたが、ついに九〇万部の増刷になったとの報告を受けました。
徐々に人々が顕正新聞を手にするようになって来たのです。
これまで目先の安逸におぼれて仏法を無視し、あるいは反発してきた人々も、日本に危機が迫るにつれ「顕正会の言うとおりになって来た」と口にする者が増えてきた。
そしてついには日蓮大聖人の絶大威徳により、必ず日本一同が一時に信ずる時が来るのであります。
ゆえに上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし。爾の時、我も本より信じたり我も本より信じたりと申す人こそ、多く在せずらんめとおぼえ候」と。
「梵天・帝釈等の御計いとして」とは、大聖人の御申し付けを受けた梵天・帝釈等の諸天の働きにより、他国の責めが起こるということ。このとき日本国が一時に信ずるのです。
―その時には、それまで反対していた者まで「我も本より信じていた、我も本より信じていた」というような者が多く出るであろう――と仰せ下されている。
もう先は決まっているのです。広宣流布は「大地を的」として絶対に成るのであります。
だから折伏のとき、たとえ逆縁であっても少しもガッカリするには及ばない。むしろ勇み立ってほしい。
相手が逆縁であろうと順縁であろうと、折伏をする功徳は全く同じです。そして今は逆縁であっても、後には必ず全員が目ざめて入信するのであります。
いいですか。
大聖人御在世の日本国は、逆縁と謗法の者で充満していたではないか。この逆縁・謗法の者を、大聖人様は「逆謗の二人」と仰せられている。この「逆謗の二人」をお救い下さるのが、下種の御本仏の大慈大悲・絶大威徳であられる。
ゆえに教行証御書には
「濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心・寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」と。
また法華初心成仏抄には
「当世の人、何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても、法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」と。
―当世の人々は、そのまま行けばみな南無妙法蓮華経に背く失によって地獄に堕つること疑いないゆえに、とにもかくにも南無妙法蓮華経の大法を強いて説き聞かすべきである。信ずる人は仏に成る。たとえ謗る者があっても、毒鼓の縁となって成仏することができるのである――と。
この「毒鼓の縁」とは、逆縁ということです。折伏されても反対し続け、ついには悪相を現じて死んだ者でも、折伏され耳から聞いた縁により、未来には必ず仏に成ることができるということです。
だから折伏には絶対に徒労がないのです。そしてついには、日本国一同必ず南無妙法蓮華経と唱え奉るにいたるのであります。
ゆえに諸法実相抄には
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝うるなり。未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非ずや。
剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
何とも有難い御文ですね。
―末法において南無妙法蓮華経と我も唱え人にも勧める者は、男子・女子の別はない、みな地涌の菩薩である。地涌の菩薩でなくして、どうして南無妙法蓮華経と唱えることができようか――と仰せ下さる。有難いことですね。
次いで
―日蓮大聖人ただ御一人が、日本国において始めて南無妙法蓮華経と唱え出だされた。そして二人・三人・百人と次第に唱え伝えるようになった。未来もまたそうなるのである。これこそ地涌の菩薩が続々と出現する姿である――と。
そして最後にこう仰せ下さる。
「剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
いいですか。
大聖人様が「大地を的とする」と御断言下さったことが、どうして虚しくなりましょうか。日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布は絶対なのであります。
しかもその時はもう近い――。
なぜか。広宣流布の瑞相たる「大悪」がすでに現われているからです。
大聖人様は減劫御書に
「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば『閻浮提内広令流布』はよも疑い候わじ」と。
―大悪は大善の来たるべき瑞相である。もし一閻浮提(全世界)が大戦争によって打ち乱れるならば、一閻浮提の広宣流布は疑いない――と仰せられる。
いま世界は、米国を中心とする自由主義陣営と、中国を中心とする独裁の全体主義陣営が対立して、世界の覇権を賭して勝負を決せんとしている。もしこの対決が核兵器を使用するに至ったら、これほど大規模そして悲惨な戦争は曽てない。
これまさしく撰時抄に御予言の「前代未聞の大闘諍」そのものです。そしてこのとき、一閻浮提に広宣流布するのです。
そのことを撰時抄には、次のごとく御予言下されている。
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼の憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
すなわち―前代未聞の大闘諍が一閻浮提に起こるとき、全世界の人々は国亡び命を失う恐怖から、救いを求めてあらゆる仏・菩薩に祈りを懸ける。しかしその験がなければ、ついには「彼の憎みつる一の小僧」すなわち日本に御出現の日蓮大聖人を信じて、みな頭を地につけ掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱えるであろう――と。
この御文は、一閻浮提の広宣流布と日本の広宣流布、さらに御在世の逆縁広宣流布と未来の順縁広宣流布、この四つの広宣流布を一つの御文で仰せ下されている。それは原理が共通だからです。
すなわち、国中が仏法に背く、諸天の怒り、天変地夭、前代未聞の大闘諍、大罰による帰依、これが広布の共通原理です。
よって一つの御文で、この四つの広宣流布を教えて下さったのであります。
いいですか。
一閻浮提に広宣流布するとき、まず最初に広宣流布する国は、日蓮大聖人御出現の国であり、「本門戒壇の大御本尊」まします日本であることは言うまでもない。このことは「彼の憎みつる一の小僧を信じて」との御文からも明らかです。
日本国は大聖人御出現の当時 第六天の魔王の働きにより、邪法の悪僧ども、さらに国家権力者、そして民衆一同に、大聖人様を憎み奉った。
だが大蒙古の侵略が事実となったとき、日本一同は、国亡び我が命を失う恐怖から、ついにはそれまで憎んでいた日蓮大聖人の偉大さに始めて目ざめ、心中に改悔を生じ、未来に仏に成るべき種を植えて頂いた。これが大聖人御在世の逆縁広宣流布であります。
そして順縁広布の時にはまず日本に広宣流布する、次いで中国・インド、さらに全世界に広宣流布するのです。
ですから報恩抄には
「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」
と仰せられている。まず日本から広宣流布するのです。
だから日本の広宣流布こそ一閻浮提広宣流布の鍵なのです。
ゆえに第六天の魔王は、日本の広宣流布の前夜にまずこの日本に打ち下り、日蓮大聖人の三大秘法を破壊せんとした。
見てごらんなさい。
第六天の魔王は正系門家における最高権力者・池田大作の身に入った。すると池田は、たちまち大聖人の唯一の御遺命である「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」とたばかった。
宗門はこの池田大作にへつらって、池田に指示されるままに「日蓮正宗・責任役員会」の議決を以て、「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る旨」を公式に決定した。これで正系門家から、大聖人様の御遺命は消滅してしまったのです。
そのうえ池田大作はあろうことか「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」との大謗言を会長・原田稔に公表させ、全学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせ奉った。これ極限の大謗法であります。
一方、宗門は、未だに御遺命を破壊した「日蓮正宗・責任役員会」の議決を取り消していない。そのうえいま、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「営利の具」として御開扉料稼ぎに狂奔している。
学会も宗門も信心を失ってしまったのです。だから大聖人様を忘れている。ゆえに大聖人の御眼も恐れず、このような師敵対・極限の大謗法に陥ったのであります。
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」と。
かくて日本はついに今、磁石が鉄を吸うように、修羅の三国に取り囲まれ侵略されんとしている。
この他国侵逼は諸天の強き誡めであるから、いかに国防に最善を尽くすとも侵略は防げない。
ゆえに撰時抄には
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし」と。
やがて中国をはじめとする三国の残忍きわまる侵略が始まる。
そのとき日本国の人々は、国亡び我が命を失う恐怖から、お救い下さる仏様を始めて心の底から求めるようになる。
このとき、三百万の仏弟子の大集団あって、身命も惜しまず
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を、全日本人の心魂に徹するまで教えるならば、一国は必ず動く。
すべては大聖人様の絶大威徳によって成るのであります。
大聖人様は仰せあそばす。
「剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
この御本仏の御断言を、顕正会員は必ず見せて頂ける。
さあ、全顕正会一結して、大歓喜の中に「大地を的とする」の大確信に立ち、まず本年の初陣に全組織大きく誓願を突破し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)