きょうの総幹部会も素晴らしいですね。
一人ひとりの登壇には、信心の真心と広宣流布の熱情が滾り、私は大感動いたしました。
この濁った日本の中で、顕正会ほど清らかな団体はないですね。これ大聖人様に一筋の忠誠を貫く地涌の菩薩の集団なるがゆえであります。
法華経の涌出品には、地涌の菩薩の姿が次のように説かれている。
「不染世間法・如蓮華在水」(世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し)と。
―地涌の菩薩が「世間の法」つまり世間の濁りには染まらないことは、あたかも蓮の華が泥水の中にあってしかも泥水に汚れないごとくである――と。
いま顕正会は御本仏日蓮大聖人の弟子の大集団・地涌の菩薩の大集団です。ゆえに世間がいかに濁るとも、それには染まらない。
いよいよ一筋の忠誠を貫かんと思うばかりであります。
さて、顕正会はいま末法濁悪の日本国において、遥拝勤行と広告文を以て広宣流布を力強く進めておりますが、この遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成ると、私は確信しております。
きょうは、この二つが広宣流布の戦いにおいていかに大事であるかを、改めて述べたいと思っております。
この遥拝勤行は、顕正会が理不尽な解散処分を受けたときから始まったのです。これまさに時に適った信行であります。
この解散処分はなぜ起きたのかといえば
正系門家の中で最大の権力者となった池田大作が、「国立戒壇」の御遺命を堅持する顕正会を憎み抹殺せんとして、宗門にこれをなさしめたのであります。
だが三大秘法抄を拝見すれば、日蓮大聖人が全門下に御遺命あそばされた「本門戒壇」とは、まさしく
「広宣流布の暁に『勅宣並びに御教書』すなわち国家意志の公式表明を以て、富士山に建立される国立戒壇」であることは、太陽のごとく明らかであります。
ゆえに第五十九世・日亨上人は
「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)と。
また第六十四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年 今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)
さらに第六十五世・日淳上人は
「この元朝勤行とても……二祖日興上人が、宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)
と仰せられている。
およそ富士大石寺の血脈付法の貫首上人にして「国立戒壇」を熱願されなかったお方は、七百年来一人としておられない。
正系門家の信徒団体の一つである創価学会も、かつては当然のごとく国立戒壇を唯一の目的としていた。
ゆえに学会第二代の戸田会長も、三大秘法抄を講じては
「『戒壇を建立すべきものか』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(大白蓮華66号)と述べている。
さらに第三代会長の池田大作すら曽ては
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と言い切っていた。
以上を見れば、富士大石寺門流の唯一の宿願が「国立戒壇の建立」にあったことは明々白々であります。
しかるに、この大事の御遺命がまさに破壊されんとする大悪が正系門家に起きたのです。
これこそ第六天の魔王の働きによる。この宇宙法界には、仏法を守護する諸天が存在すると同時に、仏法を破壊せんとする魔の働きもある。この魔の生命活動の中心的存在を「第六天の魔王」という。
この第六天の魔王が、信心うすく大慢心の池田大作の身に入って、正系門家の内部から「国立戒壇」を消滅させようとしたのです。
池田は学会が巨大化するにつれて政治野心を懐き、昭和三十九年には公明党を結成し、衆議院進出を宣言した。
これを見て、共産党をはじめマスコミ・評論家等は一斉に、池田大作がそれまで政界進出の口実にしていた「国立戒壇」を取り上げ、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」との批判を開始した。
すると池田大作はこの批判を強く恐れた。
しかしこの批判は当らないのです。なぜなら、国立戒壇は広宣流布の暁に建立されるものだからです。
広宣流布になれば憲法も当然改正される。先般も申しましたが、現行憲法は敗戦直後の日本にアメリカが押しつけた、まさしく「占領基本法」とも言うべきものです。すなわちこの憲法は、アメリカの庇護がなければ日本が存立し得ないというお粗末な欠陥憲法です。
広宣流布の暁には日蓮大聖人の仏法を根底にした、日本・世界のための「王仏冥合」の憲法が制定されることは理の当然です。しかるのちに国立戒壇が建立されるのであるから、「憲法違反」などの世間の批判などは当らないのです。
だが、池田大作はこの批判を強く恐れた。
佐渡御書の
「おごる者は、必ず強敵に値うておそるる心出来するなり」
とはこのことです。
臆病そして天魔その身に入った池田大作は、世間の批判を受けるや忽ちに国立戒壇を否定し、俄に大石寺の境内に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇である」と偽った。そしてこの謀りを、宗門に公式に承認するよう求めた。
日興上人は「遺誡置文」の中の一条に
「衆議たりと雖も、仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」
と御遺誡下されている。
すなわち、数を頼んだ多数の意見であっても、それが大聖人の仰せに背くものであるならば、貫首は断固としてこれを摧かなければいけない――ということです。
だが、時の貫首は池田大作にへつらって「日蓮正宗・責任役員会」を二度までも開催して、「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を宗門の公式決定とした。ここに正系門家から、大聖人様の御遺命はまさに消滅せんとしたのであります。
大聖人様は滝泉寺申状に
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と。
この御遺命破壊の大事を見てもし黙止するならば、まさしく大聖人様に対し奉る最大の不忠になる――。私はただこの一念で、御遺命守護に立ち上がった。
これを見て池田大作は宗門を動かし、顕正会に解散処分を下さしめんとした。
もし解散処分が下れば「本山登山」は禁止される。「御本尊下附」もあり得ない。顕正会の命脈を保つことはとうてい不可能となる。
池田の意を承けて当時、宗務院から再三にわたり、「解散処分」をちらつかせての脅しがあった。
だが私は顕正会の安穏よりも、大聖人様への忠誠を選んだ。
かくて諫暁を開始してから四年後の昭和四十九年八月十二日、ついに解散処分が下った。
その「宣告書」には、「日蓮正宗管長」の名を以て、処分理由が次のごとく記されていた。
「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』に対し異議を唱えたゆえ」と。
つまり、顕正会は国立戒壇に固執して、正本堂を「御遺命の戒壇」と認めないから解散処分にした――ということです。
この「宣告書」こそ、まさしく顕正会の「忠誠の証」であります。
この宣告書を手にしたとき、私の胸には
「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、顕正会が安穏であっては、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ」との思いが湧いた。
だが、広宣流布はどうなる――。
このとき私は「遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とう」と決意した。
いや、大聖人様がこの一筋の道をお教え下されたのであります。
いいですか。信心に距離は関係ないのです。日本列島のどこから、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊を拝みまいらせようと、切なる恋慕渇仰の信心さえあれば、直ちに戒壇の大御本尊に通じて現当二世の大利益が頂ける。すなわち現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのです。
まさに信心に距離は関係ない。大事なことは、恋慕渇仰の信心があるか、ないかです。
ゆえに大聖人様は身延の山から、佐渡に住む千日尼御前に対して
「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
と仰せ下されている。時に当って何とも有難い御教示であります。
この仰せを胸に、顕正会は一万二千のとき死罪に等しき解散処分を受けるとも、今ついに三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている。
大聖人様の御守護なくして、どうしてこの不思議がありましょうか。
やがて、大聖人様の御意に適い奉る恋慕渇仰の遥拝勤行は、必ず日本国に満ち満ちる。そして一国の総意を背景として、国家意志の表明たる「勅宣並びに御教書」も申し下され、御遺命のままの「本門戒壇」すなわち国立戒壇が、富士山天生原に建立される。そしてその金剛宝座に、ついに戒壇の大御本尊様が御出ましあそばす――。
すべては大聖人様の絶大威徳によって成るのであります。
次に広告文の大事について申し述べます。
広告文は「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」の趣旨を簡潔にまとめたものです。
この広告文こそ、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教えて目を開かせる「開目のメス」であります。
この広告文は平成二十八年に始めて作りましたが、その発行部数は本年三月七日現在で、なんと八千二〇〇万枚に達しました。日本の総人口 一億二千万余をも、まもなく突破する。
この広告文を見て素直に信ずる人は順縁、反発する人は逆縁です。しかし「広宣流布は大地を的とする」から、やがて全員が入信するのです。
私は、全顕正会員がこの広告文を片手に、大聖人様の大恩徳・偉大さを真心こめて讃嘆し折伏する姿を思い浮かべては、有難さが胸に込み上げてまいります。
そしてこのたび、広告文を新しくすることにいたしました。
これまでの広告文はいかにも活字が小さい、これでは読みにくい。しかも裏が白になっている、これでは勿体ない。そこで、全体の活字を大きくして裏面も活用した。文言も少しく加えました。しかし趣旨は全く変わらない。
この新しい広告文は四月二十八日を期して発行いたします。
いよいよ新しい広告文を以て、大規模な「開目の戦い」を進めたいと念願しております。
広告文にも示しましたが、人生の目的は「成仏」にあるのです。このこと顕正会員ならみな知っているが、一般世間では総理大臣をはじめ人々はこの大事を知らない。
そのような人生は、行き先不明のバスに乗っているのと同じですね。ただ目先の欲望に引きずられて虚しく生き、虚しく一生を終えるだけ。これで確信ある人生が送れるわけがないのです。
広告文には三つの現証を以て、大聖人様の大恩徳が示されております。
一つは、「臨終の相に善悪がある」こと。
二つには、「立正安国論の御予言的中」のこと。
三つには、「国家権力も御頸 切れず」として、竜の口の大現証であります。
大聖人様は三三蔵祈雨事という御書に
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず、又道理・証文よりも現証にはすぎず」と。
この仰せのごとく、現証ほどハッキリしているものはないのです。
広告文はまさしく三つの現証を挙げて、日蓮大聖人こそ末法の全人類を根底からお救い下さる唯一人の御本仏であられることを顕わしたものであります。
以下、三つの現証について、改めて簡略に説明いたします。
まず第一の現証は「臨終の相に善悪がある」こと。
臨終は一生の総決算であります。この臨終の相に、その人が未来に受けるべき果報(結果と報い)が現われるのです。
人は一生のあいだには善悪さまざまなことをする。その善悪の報いが臨終の相に出るのです。そして世法の善悪よりも、仏法上の善悪のほうが臨終に強い影響を及ぼすのであります。
大聖人様は、地獄に堕つる相とはどのようなものか。また成仏の相とはどのようなものかを、克明にお教え下されている。
世間の人々はこのことを知らない。もし知ったら、人生観が一変するに違いない。
臨終の相だけは、人の意志の及ぶところではない。三世にわたるこの因果の法則を説き切るのは、日蓮大聖人の仏法以外にはないのです。
まさに日蓮大聖人こそ、我ら凡夫を仏にして下さる大慈大悲の御本仏であられる。
第二の現証は「立正安国論の御予言的中」です。
国家の興亡盛衰の根本原因は、正しい仏法を信ずるか、背くかによる。
大聖人御在世の日本は、一同に念仏・真言等の邪法を信じていた。その中で大聖人様は「母の赤子の口に乳を入れん」(諫暁八幡抄)の大慈大悲を以て、人々に「一切の邪法を捨てて南無妙法蓮華経と唱えよ」とお勧め下された。
これを見て邪法の坊主らは憎悪を懐き、民衆を煽動して大聖人様を憎ませた。かくて大聖人を罵る声は一国に満ちた。
その中、正嘉元年に前代未聞の巨大地震が発生し、以来、連々として異常気象・大飢饉・大疫病等が続き、人民の過半が死を招くに至った。
この惨状を眼前にされた大聖人様は、これ日本国が他国侵逼の大難を受けて亡ぶ前相であると判じ給い、日本国を救うため、立正安国論を以て国主を諫暁あそばされた。
この立正安国論には、他国侵逼と自界叛逆が必ず起こることを、次のごとく厳然と御予言下されている。
「先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん。若し残る所の難、悪法の科に依って並び起こり競い来らば、其の時何んが為んや」と。
「先難」とは正嘉元年の大地震をはじめとした天変地夭です。これはすでに明らかではないか。ならば、この後に起きる災難をどうして疑うことができようか。もし残る所の大難が悪法の科によって並び起こり競い来たるならば「其の時何んが為んや」と。
続けて
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」と。
この他国侵逼の御予言こそ、立正安国論の肝要の御文です。
このご予言は、蒙古襲来の十四年前のことです。未だ何の萠しもない時における御断言です。これを見るとき、大聖人の御予言は、海外情勢などを集めて推測する世間一般の予測とは全く次元を異にするものということがわかる。
まさに、仏法を守護する諸天に申し付ける絶大威徳を以ての御断定であるから、違うことがないのです。
ゆえに四条金吾殿御返事には
「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天 罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」
と仰せ下されている。
いいですか。ここにハッキリと「諸天に申しつけて候」と仰せでしょう。久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられればこそ、諸天に対し御命令される威徳がましますのです。
そして「あへて憎みては申さず」と。死後の無間地獄の大苦に比べれば、今生のいかなる苦難も物の数ではない。ここに大聖人様は、この無間地獄の大苦を、蒙古襲来という大罰を以て改悔せしめ、今生のうちにその大苦を消さしめ給うたのです。これほど徹底した大慈大悲はないでしょう。
ゆえに佐渡御書には
「現世に云いおく言の違わざらんを以て、後生の疑いをなすべからず」と。
まさに立正安国論の御予言的中こそ、日蓮大聖人の御本仏としての絶大威徳の証明であると同時に、一切衆生の死後の大苦をもお救い下さる大慈大悲であられること、深く拝し奉るべきであります。
第三の現証は「国家権力も御頸切れず」です。
文永八年九月十二日の深夜、大聖人様は「竜の口刑場」の頸の座に坐し給うた。この大法難は、邪法の坊主らの讒言を取り上げた国家権力者による絶体絶命の死刑であった。
だが、太刀取りが御頸刎ねんとしたその刹那、思議を絶することが起きた。
これは人々の言い伝えなどではない。大聖人御自身が、次のごとくその情景を記し留め給うておられるのです。
拝読いたします。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。
太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」と。
――「月のごとく光りたる物」が鞠のように突如として出現して、南東から北西にかけて光りわたった。十二日の夜がまだ明けぬ前で、人々の顔も見えない中であったが、物のひかりは月夜のようで、人々の顔もはっきり見えた。
太刀取りは目がくらんでその場に倒れ伏し、兵士たちはみな怖じ恐れ興さめて一町ばかり逃げ出した。馬上の武士たちも、或いは馬より下りて畏まり、或いは馬上でうずくまってしまった――と。
まさに全員が度肝を抜かれてひれ伏してしまったのです。もう頸を切るどころではない。
砂浜に坐し給うは日蓮大聖人ただ御一人。
大聖人は大高声で叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが一人として近寄る者はない。大聖人様は重ねて叫ばれた。
「夜 あけば、いかにいかに。頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜 明けなば見苦しかりなん」と。
これ死刑の催促です。だが、声を発する者とてない。
響くは大聖人様の凛々たる御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。
まさしく国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を刎ね奉ることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。
このような思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、人類史上、地球上のどこにあったか。
この大現証こそ
日蓮大聖人が、立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、名字凡夫の御身の当体がそのまま、久遠元初の自受用身と成って成道を遂げ給うた、その御尊容であられる。
凡夫には、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の根源の仏様、すなわち久遠元初の自受用身であられることは想像もつかない。ゆえに大聖人様は、目に灼きつく強烈なる事実・現証を以て、「全人類を救う仏とはかくなるものぞ」ということを、一切衆生に見せしめ給うたのであります。
以上、三つの現証を以て、大聖人様の絶大威徳・大慈大悲を拝し奉りました。
この三つの現証は誰人も否定できない。これは単なる理論ではない、厳然たる事実であるから否定できないのです。我ら末弟、いよいよ大確信に立って広宣流布に立たなければ、何とも申しわけないですね。
さらに全顕正会員は
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を心腑に染めてほしい。
大聖人様は竜の口大法難に引き続き、佐渡へ流罪となった。まことに恐れ多い限りです。
佐渡で住まいとして充てられたのは、死人を捨てる野原に建つ一間四面の「三昧堂」と称する廃屋であった。ここは屋根も壁もすき間だらけ、寒風は吹き抜け、床には雪がふりつもっていた。とうてい人の住めるところではない。
この極寒を防ぐのは茅で編んだ蓑一枚、食糧も乏しい。そのうえ幕府は「今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年」(報恩抄)と、大聖人の御命を狙っていたのです。
その中で、凍える御手に筆を執り、上下二巻にわたる膨大なる開目抄をお認め下されたのであります。
この開目抄がどれほど重大な御書か。大聖人様はかく仰せられている。
「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば、日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり。
此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。
平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなく夢のごとくに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国より責めらるべし」と。
ここに仰せの
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」とは
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということです。
大聖人様の御存在はこれほど重く、かつ大であられる。そのゆえは、日蓮大聖人こそ十方三世の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身にして、末法下種の主・師・親であられるからであります。
この御本仏に背き敵対すれば、国も亡び、人も亡ぶ。
この事実は御在世の日本を見ればよくわかる。
権力者・平左衛門は大聖人の御頸を刎ね奉った。その大罰は直ちに、史上空前の大帝国・蒙古の大侵略となって現われたではないか。
日本は亡んで当然であった。だが亡びなかったのは、実に日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲によるのです。
いいですか。
平左衛門はすでに大聖人の御頸を刎ね奉った、日本の柱を倒したのです。ゆえに日本は亡んで当然であった。
だが、御頸は刎ねて刎ねられず、日本の柱は倒して倒れず。よって日本も、亡んで亡びなかったのであります。
もし御頸が刎ねられていたら、日本は完全に滅亡していたに違いない。御本仏の絶大威徳と大慈大悲、ただ伏して拝すべきであります。
そして大聖人様は弘安二年十月十二日、全人類成仏の大良薬たる「本門戒壇の大御本尊」を日本国に留め置き給うた。
この大御本尊こそ、日蓮大聖人の御当体であられ、出世の御本懐であられる。
だが、大聖人御入滅よりすでに七百有余年――。
未だに日本の人々は日蓮大聖人を信ぜず、背き続けている。
就中、正系門家が広布前夜にいたって御遺命に背いた。すなわち天魔その身に入る池田大作は、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として「国立戒壇」を否定し、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
そして宗門はこの池田にへつらい、この御遺命破壊に全面協力した。
さらに池田は「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」との極限の大謗法の悪言を会長・原田稔に発表させ、六百万学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせ奉った。
一方、宗門は、御遺命違背の罰により学会との仲間割れが起こるや、戒壇の大御本尊を敵視する身延派とも連携し、身延派管長に就任直前の田中日淳をも大石寺に招き入れた。そのうえいま恐れ多くも、戒壇の大御本尊を「営利の具」として御開扉料稼ぎに狂奔している。
学会も宗門も信心を失ってしまったのです。だから大聖人の御眼を恐れず、このような師敵対に陥ったのであります。
正系門家の濁乱は必ず国家に危機をもたらす。
大聖人様は富木抄に
「仏法やうやく顛倒しければ、世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」と。
また十字御書には
「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげの添うがごとくわざわい来たるべし」と。
かくて日本はついに今、磁石が鉄を吸うように、修羅の軍事独裁国家の中国・ロシア・北朝鮮の三国に包囲されてしまった。
遠からず、中国を中心とする三国の残忍きわまる侵略は必ず始まる――。
このところ急速に世界の動きが慌ただしくなって来たでしょう。
中国の国家主席・習近平はいまロシアを公式訪問し、ロシア大統領・プーチンとサシで四時間半にも及ぶ非公式の会談をしている。中国とロシアは、米国を中心とした現在の国際秩序を壊わして「世界制覇」を狙っているのです。
日本の岸田総理は、この中国・ロシア会談にぶつけるようにウクライナを訪問して、ゼレンスキーと会談しロシア批判をくり返している。これは米国に指示・命令されてのことです。
また中国がロシアに接近するのは、台湾をめぐって米国と抜き差しならぬ関係に陥りつつあるゆえでもある。習近平は三月の全人代でも改めて「台湾統一の推進」を強調している。
これに危機感を強めた台湾の蔡英文総統は、三月末から四月初めにかけてアメリカを訪問し、米国の下院議長マッカーシーと会談すると発表している。米国の下院議長というのは、大統領の継承順位が副大統領に次ぐ二位の要職ですよ。この会談は必ず中国の猛反発を招き、台湾侵攻が早まると思われる。
台湾侵攻こそ、第三次世界大戦のまさしく発火点であります。アメリカも中国との対決姿勢を一段と強める。そして日本はアメリカの尖兵的役割を担わされる。中国はこの日本を憎み、血祭りに上げる。
これ日本が、御本仏日蓮大聖人に背き続けた罰であります。
そのとき日本の人々は、国亡び、我が命を失う恐怖から、始めてお救い下さる仏様を心の底から求めるようになる。「衆生に此の機有って仏を感ず」(御義口伝)とは、このことです。
このとき、三百万の仏弟子の大集団あって身命も惜しまず
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を、全日本人の心魂に徹するまで教えるならば、一国は必ず動く。
すべては大聖人様の絶大威徳と大慈大悲によって成るのであります。
この広布最終段階に御奉公させて頂くのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外には、断じてあるべくもない。
さあ、全顕正会員はいよいよ恋慕渇仰の遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成るとの大確信に立って、全組織が誓願を突破し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)