きょうの総幹部会も素晴らしいですね。
始めの「体験発表」から、計十二人。私は一人ひとりの登壇を聞いていて、その信心の赤誠と広布の大情熱に大感動いたしました。
今の日本に、これほど清らかで情熱的な集会がどこにあろうか。この総幹部会の大熱気こそが、広宣流布の輪を回わしていくのであります。
どうか全顕正会員に、この総幹部会のビデオを見せてほしい。そして打って一丸、いよいよ広宣流布を力強く進めていきたいと念願をしております。
さて、広宣流布の決戦場たる20年代に突入して、日本の濁乱といい、世界の動乱といい、そのテンポはまことに速くなってきましたね。
その中、本年初陣の二・三・四月法戦は「二万三千」の誓願を立てて前進を開始いたしましたが、さきほど発表のごとく「三万一千三二八名」の大折伏が、ついに成し遂げられました。誓願比一三六%。まことに凄いですね。
さきほどの「折伏成果発表」で、「三万一千三二八名」と発表されたときの大拍手、まるで広宣流布ができたみたいだ(大笑)。
これが地涌の菩薩の大集団なのです。
ただ「大聖人様に応え奉らん」との一念、燃えるような全顕正会員の弘通の赤誠を思えば、私はただただ有難さが込み上げてまいります。
いま顕正会には「遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る」との確信が滾っております。
この遥拝勤行と広告文こそ、まさしく広布前夜の「自行」と「化他」であり、時に適った唯一の信行であります。
このこと、よくよく心腑に染めてほしい。大事なことなので、改めて述べたい。
昭和三十九年、池田大作は政治野心を懐いて公明党を結成し「衆議院進出」を宣言した。これを見て、共産党をはじめとして評論家・マスコミ等が一斉に、池田がそれまで政治進出の理由としていた「国立戒壇」を取り上げて、「国立戒壇は憲法違反である」との批判を、執拗に展開した。
池田はこの批判を恐れて、忽ち国立戒壇を否定し、俄に大石寺境内に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、このたばかりを宗門に「公式決定」とするよう求めた。
宗門は池田大作にへつらって、「日蓮正宗・責任役員会」を二度にわたって開催し、池田が求めるままに「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を議決した。
ここに、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる「国立戒壇建立」は、正系門家から消滅したのであります。
正系門家のこの重大な師敵対をごらんあそばせば、大聖人様はいかが思しめされるか。
大聖人様は滝泉寺申状に
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と仰せ下されている。
また日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と御遺誡下されている。
もし法主の権威を憚り、学会の強大を恐れて、この御遺命破壊の大悪を黙過したら、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる――私はただこの一念で、御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
これを見て池田大作は宗門を動かし、顕正会に解散処分を下さしめんとした。
解散処分が下れば「本山登山」「御本尊下附」も禁止され、顕正会の命脈を保つことはとうてい不可能となる。
だが、国立戒壇の御遺命を捨てて本山登山をして、大聖人様はお喜び下さるか――。
かえってお叱りを受けるに違いない。
それは、内房尼御前の故事を見ればよくわかります。
この尼御前は老齢の身で、はるばる身延にまします大聖人の御許を訪れた。だが大聖人様は御目通りを許されなかった。
それはなぜか――。
そのわけを大聖人様は尼御前の縁者である三沢小次郎殿への御書に、次のごとく仰せられている。
「内房の御事は、御年寄らせ給いて御わたりありし、いたわしく思いまいらせ候いしかども、氏神へ参りてあるついでと候いしかば、見参に入るならば定めて罪深かるべし。
その故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君への見参は世間にも恐れ候。其の上 尼の御身になり給いては、まず仏を先とすべし。かたがたの御失ありしかば、見参せず候。乃至
尼ごぜんは親のごとくの御としなり。御なげき痛わしく候いしかども、此の義を知らせまいらせんためなり」と。
―内房尼御前のこと、老齢の身で遠い身延まで参られたことはまことにいたわしく思うけれども、「氏神に参詣のついでに」と伝えられたので、もし目通りをするならば、かえって罪を作ることになる。
そのゆえは、神は所従(家来)であり、法華経は主君である。所従のついでに主君の許に参るということは、世間ですら道理に背く。そのうえ尼の身になった以上はまず仏を先とすべきである。さまざまな失あるゆえに目通りをしなかったのである。
尼御前は親のごとくの御年である。その歎きを思えば痛わしく思うけれども、この義を知らせまいらせんがために、目通りを許さなかったのである――と。
まことに、情理を尽くして仏法の筋目をお教え下されている。尼御前もこれでよくよくわかったに違いない。まさに大慈悲の御教導であられる。
この仰せを拝せば、大聖人様の御心に背いての参詣は、かえってお叱りを蒙るのです。
いま御遺命に背いたまま登山すれば、かえって不敬となり、罪を作るのであります。
もう一つ、言います。
大聖人様の御心に背いてお題目を唱えても、全く功徳がないということ。
このことは「松野殿御返事」に明らかですね。入信早々の松野殿は、大聖人様にお手紙で次のような質問を申し上げた。
「此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱え申し候なり。但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と、我等が唱え申す題目の功徳と、何程の多少候べきや」
―私は入信以来、退転なく十如是(方便品)と自我偈を読み奉り、お題目を唱えておりますが、大聖人様のお唱えあそばす題目の功徳と、我らが唱え申す題目の功徳と、どれほどの違いがありましょうか――と。
これに対し大聖人様は
「更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の燃せる火も智者の燃せる火も、其の差別なきなり」と。
そのうえで大聖人様は
「但し此の経の心に背きて唱えば、其の差別有るべきなり」
と仰せ下されている。
「此の経の心に背きて唱えば」とは、その深意は、御本仏日蓮大聖人の御心に背いて唱えても、功徳はない――ということです。
この仰せを拝すれば、いま学会も宗門も、御遺命に背いたままお題目を唱えているではないか。だから功徳はない、かえって罰を受けるのであります。
今日のごとく、正系門家が御遺命に背き師敵対に陥っているときには、距離を乗り越えて直接、戒壇の大御本尊様を拝み奉る遥拝勤行こそ、まさに時に適った信行なのであります。
信心に距離は関係ない。大聖人様は千里も離れた佐渡で恋慕渇仰のけなげな信心に立つ千日尼御前に対し、次のごとく仰せ下されている。
「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ」と。
―月は地球から四万由旬も遠く離れているが、大地の池には直ちに影を映す―
―と。すなわち、恋慕渇仰して題目を唱え奉れば、凡夫の我らの心に直ちに大聖人様が宿って下さるということです。「雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ」とは、中国の雷門に置かれていた鼓は、打てば直ちに千万里遠くまで聞こえたという。これ、恋慕渇仰の唱題は直ちに大聖人様に通ずるということの譬えであります。
さらに仰せ下さる。
「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。
―御面を見るとか見ないではない。心こそ大切なのである。恋慕渇仰の信心さえあれば直ちに通ずるのである――と。
なんと有難い仰せでありましょうか。
この仰せを胸に、顕正会は一万二千のとき、死罪に等しき解散処分を受けるともそれを乗り越え、ついに今、三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている。
大聖人様の御守護なくして、どうしてこの不思議がありましょうか。
やがて、この恋慕渇仰の遥拝勤行は必ず日本国に満ち満ちる。そして一国の総意により、国家意志の表明たる「勅宣並びに御教書」も申し下され、御遺命のままの「本門戒壇」すなわち国立戒壇が建立される。そしてその金剛宝座に、ついに本門戒壇の大御本尊が御出ましあそばす。
すべては大聖人様の絶大威徳によって、この大事が成るのであります。
次に広告文について簡略に申します。
この広告文は、日蓮大聖人の大恩徳を未だ知らぬ全日本人の目を開かせる「開目のメス」であります。
「道理・証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)の仰せのごとく、現証ほどわかりやすいものはない。ゆえに大聖人様の大恩徳を示すのに、ここに三つの現証を挙げたのであります。
その第一が「臨終の相に善悪あり」です。
世間の人々はこの事実を知らない。もし知ったら人生観が一変するに違いない。
臨終に「成仏の相」を現ずるには、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る以外にはない。
全人類に戒壇の大御本尊を授与して下さった日蓮大聖人こそ、まさに大慈大悲の御本仏であられる。
第二の現証は「立正安国論の御予言的中」です。
立正安国論には、正しい仏法に背き続けるならば必ず他国侵逼・自界叛逆の二難が起こることが予言されている。この御予言は蒙古襲来の十四年前になされている。未だ全く萠しもない時に御予言あそばしたのであります。
撰時抄には「三世を知るを聖人という」と。
大聖人様は御本仏であられるから未萠を知り給うた。そして日本国の一切衆生を死後の無間地獄の大苦から救うために、諸天に申しつけて蒙古を襲来せしめ、この大罰を以て人々を改悔せしめ、「入阿鼻獄」からお救い下されたのです。
まさに立正安国論の予言的中こそ、諸天に申しつける絶大威徳の御本仏たることの証明であるとともに、一切衆生を無間地獄の大苦からお救い下さった大慈大悲なのであります。
第三の現証は「国家権力も御頸切れず」です。
この大法難は、国家権力による絶体絶命の死罪であった。だが太刀取りが御頸を刎ねんとしたその刹那、凡夫の思議を絶することが起きた。
これは人々の言い伝えなどではない。大聖人御自身が次のごとく記し留め給うておられるのです。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。
太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」と。
まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を刎ねること能わず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。
このような思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、人類史上のどこにあったか。
この大現証こそ
日蓮大聖人が、立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、名字凡夫の御身の当体がそのまま久遠元初の自受用身と成って成道を遂げ給うた、その御尊容であられる。
凡夫には、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の根源の仏様、すなわち久遠元初の自受用身であられることは想像だにできない。
ゆえに大聖人様は目に灼きつく強烈な現証を以て、「全人類を救う本仏とはかくなるものぞ」ということを、一切衆生に見せしめ給うたのであります。
以上、三つの現証を以て、大聖人様の絶大威徳と大慈大悲を拝し奉った。
顕正会の思いはただ一つ。「早く全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を知らしめたい」ただその忠誠心だけで、この広告文は作られたのであります。
一方、池田大作の大慢心はどうです。彼は己れの名利を求めることしか考えない。大聖人様を全く無視している。これが天魔その身に入る者の所行なのであります。
見てごらんなさい。
創価学会の公式サイトには「池田大作先生の足跡」と題して、池田が世界の大学・学術機関等から贈られた名誉称号のすべてが示されている。その数なんと「401」。これだけ貰ったのは世界中にない、いや人類史上ないでしょうね(笑)。
その名誉称号の種類は、「名誉教授」「名誉博士」「名誉法学博士」あるいは「名誉哲学博士」など無数。あまり多いので池田大作博士も、何が何だかわからないに違いない(大笑)。
これらはみな、カネで買ったものですよ。まさに「名利の餓鬼」であります。
大慢心のあまり、彼は全く大聖人様の大恩徳を無視している。いや無視というより、「自分のほうが大聖人より勝れている」とさえ、学会員には思わせている。
その一例を挙げます。
観心本尊抄には
「当に知るべし、此の四菩薩 折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、攝受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
との大事な御文がある。
この御文の意を日寛上人は次のごとく釈しておられる。
「折伏に二義有り。一には法体の折伏、謂く『法華折伏破権門理』の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏、謂く、涅槃経に云く『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし』等云云。仙予国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍摂受と名づくるなり。或は復兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と。
―折伏には二義あり。一つには法体の折伏。すなわち「法華折伏・破権門理」とのごとく、大聖人様が念仏・真言・禅・律等の邪法を折伏して、ついに三大秘法を顕わし給うた。この大聖人様の御振舞いが法体の折伏である。
二には化儀の折伏。涅槃経には「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」と。すなわち正法を護持する者は戒律や威儀を修する必要はない。まさに「刀剣・弓箭・鉾槊」等の武器を以って、正法護持の聖僧を守護する。これが化儀の折伏である。
いま化儀の折伏と対比して、法体の折伏をなお摂受というのであると。
「或は復兼ねて順縁広布の時を判ずるか」とは、あるいはまた前以て、順縁広布の時、本化国主が出現して大聖人様の仏法を守護することを判じ給うたか――と日寛上人は御指南下されている。
この御指南は、折伏には「法体の折伏」と「化儀の折伏」の二義があるとして、大聖人様の破邪・立正の御化導を「法体の折伏」すなわち「摂受」とし、国主が武力・権力を用いて謗法の悪人を対治するのを「化儀の折伏」すなわち「折伏」としておられるが、これは勝劣を論じたものではないのです。
すなわち仙予国王・有徳王のごとく武器を用いての実力行使を「化儀の折伏」とし、それと対比して、大聖人様の聖僧としての「法体の折伏」をなお「摂受」と名づけられたのです。
いいですか。
大聖人様が身命も惜しまず最大深秘の三大秘法を弘通して下さればこそ、末法の全人類の成仏が叶うのではないか。そしてこの大法を守護する国主等も大功徳を得るのではないか。
まさに日蓮大聖人こそ、末法ただ一人の大恩徳まします下種の御本仏であられるのであります。
しかるに池田大作は、この観心本尊抄の御文意をねじ曲げて、〝自分のほうが大聖人より勝れている〟などと宣伝した。
どのようにねじ曲げたかというと――
昭和三十八年の「大白蓮華」二月号には、学会教学部の助教授試験の「模範答案」として次のごとき一文が掲載されている。設問は観心本尊抄の御文に関わるもので、「地涌の四菩薩が摂受を行ずると、折伏を行ずることについて論ぜよ」というものであった。
その模範答案に云く
「大聖人は七百年前に御出現になり、法体の広宣流布をなさった。このときは、正法・像法二千年には、もちろん未曽有の大折伏であり、それにともなう大難もあったのであるが、しかし、法体の広宣流布は、未だ、現在会長・池田先生のもとに、創価学会が化儀の広布に向かって、あらゆる分野で折伏教化、または選挙戦における権力と戦っていることに対すれば、摂受になるということである」と。
なんと「池田会長が選挙で権力と戦っていることに比べれば、大聖人の弘通は未だ摂受で劣っている」などと侮ずっている。これを言わせているのは池田であります。
その翌昭和三十九年、池田は学会本部総会で始めて「正本堂建立」と「衆議院進出」を宣言した。
先にも述べたごとく、この衆院進出を見て、共産党はじめ評論家・マスコミ等が一斉に批判した。これらの批判は、池田がそれまで政治進出の理由としてきた「国立戒壇」を取り上げ「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と主張するものであった。
この批判を恐れて池田大作は、それまで自身が
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と言い切っていたにもかかわらず、「御書には『国立戒壇』などという言葉はどこにもない」(学生部第7回総会)として、「国立戒壇」を否定したうえ、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽ったのです。
さらに池田はこの大ウソを利用して「御遺命の戒壇を建立したのは自分だ」などと自讃するに至った。
昭和四十二年十月の正本堂発願式では、「発誓願文」なるものを、導師を務める細井日達管長の面前で麗麗しく読み上げた。
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」と。
池田は大聖人の御眼も恐れず、偽戒壇・正本堂を「仏教三千余年、史上空前の偉業」と讃え、それを成し遂げたのは自分であると、誇っているのです。
「仏教三千余年、史上空前の偉業」などと言ったら、大聖人を乗り越えてしまうではないか。
だが、このような大慢心、このような御遺命破壊の大悪事を眼前にしても、宗門はなお池田にへつらって、その後、二度にわたり「日蓮正宗・責任役員会」を開催して、「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を議決し、これを宗門の公式決定としたのです。
ここに、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる「国立戒壇」は、正系門家から消滅してしまったのであります。
いいですか。
御遺命の「本門戒壇」とは、いかなる「時」、いかなる「手続」を以て、いかなる「場所」に建てられるべきかは、御入滅の年に認め給うた三大秘法抄に明確に定められている。これに背いたら師敵対になる。大聖人様に背き奉ることになるのです。
いま学会員は悪師・池田大作に騙されて、知らず知らずのうちに師敵対に陥り、罰を受けつつあること、なんとも不憫であります。
ゆえにいま学会員こそ、三大秘法抄の御聖意をよくよく拝してほしい。
よってここに改めて説明します。
まず戒壇建立についてのお定めを拝し奉る。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり」と。
この御文において、戒壇建立の「時」についてのお定めが
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」の御文です。
では「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とはどういうことか。
これ、一国の政治が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法であり、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護することです。
それは具体的にはどのような姿相になるのかといえば、次の御文に
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある。
すなわち日本国の国主たる天皇も、大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るにおいては、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとくの、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時――これが戒壇建立の「時」であると仰せ下されている。
大聖人様は「末法濁悪の未来」に、このような国家状況が必ず出現することを、ここに断言しておられるのであります。
次に戒壇建立の「手続」については
「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。
「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当る。まさに「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を戒壇建立の手続とせよということです。
この手続こそ、日蓮大聖人が全人類に授与し給うた「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が国家の命運を賭しても守護し奉るとの意志表明であり、このことは日本国の王臣が「守護付嘱」に応え奉った姿でもある。
御遺命の本門戒壇は、このように「勅宣・御教書」すなわち国家意志の表明を建立の必要手続とするゆえに、富士大石寺門流ではこれを端的に「国立戒壇」と呼称してきたのであります。
次に戒壇建立の「場所」については
「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。
ここには地名の特定が略されているが、日興上人への御付嘱状を拝見すれば「富士山」たることはいうまでもない。さらに日興上人は広漠たる富士山麓の中には、南麓の昿々たる勝地「天生原」を戒壇の建立の地と定めておられる。
ゆえに日興上人の「大石寺大坊棟札」には
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」と。
ちなみに「三堂」とは、本門戒壇堂と、日蓮大聖人御影堂と、天照太神の垂迹堂であります。
さらに日寛上人は報恩抄の文段に
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と。
日寛上人が「天生原」とハッキリと仰せになっておられるのです。
以上のごとく三大秘法抄の御聖文を正しく拝すれば、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」は太陽のごとく明らかです。
まさしく御遺命の戒壇とは「広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇」であります。
しかるに、池田大作は己れの政治野心と名利から「国立戒壇」を否定して、偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」とたばかった。
このような大それた御遺命破壊を大聖人様は断じて許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして学会と宗門に抗争を起こさしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うたのであります。
だが、天魔その身に入る池田大作は些かの改悔もなく、その後さらに、あろうことか、日蓮大聖人の出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉った。
すなわち平成二十六年十一月七日、創価学会会長・原田稔は全国総県長会議において「所定の手続を経て、総務会で議決された」と前置きしたうえで次のように述べた。
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と。
この大悪言は池田が原田に言わせたものである。これぞまさしく極限の大謗法であり、天魔その身に入る者でなければ吐けぬ魔言であります。
池田はこれを翌八日付の聖教新聞に公表させ、六百万学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせ奉ったのであります。
法華経の譬喩品には
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。
「此の経」とは、いま末法においては、法華経の肝心・文底秘沈の大法たる「本門戒壇の大御本尊」の御事である。もしこの大御本尊を謗るならば、「其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。池田大作はまさにこの大重罪を犯したのです。
曽谷抄には「師なりとも誤りある者をば捨つべし」と仰せ下されている。
学会員は早くこの悪師を捨て、大聖人様の仰せのままの信心をしなければいけない。
私は学会員を憎いと思ったことは一度もない。ただ不憫に思っております。
せっかく大聖人様に縁し、戒壇の大御本尊を信ずる身になれたのに、いま悪師にたぶらかされて、今生には功徳を失い、死後には「入阿鼻獄」となる。これほどの悲惨はない。
私は六百万学会員を救いたい。
早く全学会員が正義にめざめて、ともに大聖人様に忠誠を尽くし、御遺命成就に戦う同志とならんこと、心から念願しております。
いま正系門家は濁乱の極にある。
そうでしょう。七百年来の宿願であった「国立戒壇建立」は打ち捨てられ、そのうえ池田大作は戒壇の大御本尊をも捨て奉った。
一方、宗門は、学会と醜い抗争に陥るや、阿部日顕は戒壇の大御本尊に敵対する身延派とも連携し、身延の邪僧どもを幾たびも大石寺に招いて歓待した。
そのうえ今、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「営利の具」として、御開扉料稼ぎに狂奔している。
このように宗門が信心を失い濁乱したことは、七百年来、日興上人以来、一度もない。
大聖人様は
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」
と仰せ給う。
この正系門家の濁乱こそ、必ず日本の亡国を招くのです。
かくて日本は今、磁石が鉄を吸うように、核兵器を持つ侵略国家の中国・ロシア・北朝鮮に包囲されてしまった。
やがて中国を中心とする三国の、残忍きわまる侵略は必ず始まる。
これは諸天の治罰であれば、いかなる防衛努力も役には立たない。
ゆえに撰時抄には
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし」と。
強力な核兵器を用いての侵略が、どれほどの悲惨をもたらすか。
これ、日本が大慈大悲の御本仏・日蓮大聖人に背き続けてきた報いであります。
だが大聖人様はこの大罰を用いて、一時に広宣流布をあそばし、日本をお救い下さる。
ゆえに上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
この重大御化導をお手伝い申し上げる仏弟子の大集団は、御遺命を守護したゆえに解散処分を受けるともいささかも退せず、ついにいま三百万に成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。
広宣流布の最終段階に大事な御奉公が叶うとは、顕正会はなんと有難い宿縁でありましょうか。
さあ、四月二十八日には新しい広告文も出来する。いよいよ一国をゆるがす大折伏を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)