本日の総幹部会も大熱気がたぎり、一人ひとりの登壇に大感動いたしました。
有難いことに、いま全顕正会には、浅井先生のご遺志を継いで急ぎ三百万をなさんとの決意がみなぎり、涙の出るような折伏戦が果敢に展開されております。
けさの時点において、顕正会全体で二万三三二名・八一%という、まことに力強い弘通がなされております。
ただ人を救い国を救わんと、いかなる魔障や困難をものともせず、「志念堅固・大忍辱力」で広宣流布に驀進するその大情熱こそ
「是れあに地涌の義に非ずや」
の姿そのものであり、顕正会が「地涌の菩薩」の大集団たる証であります。
このような純粋で清らかな集団が世間のどこにありましょうか。
世の中を見れば、上は政治家から下は小学生にいたるまで箍がはずれ、まさに「末法濁悪の未来」そのものの様相を呈しております。
先生は「立正安国論」を引かれた日曜勤行のご指導において、国中が正しい仏法に背くならば国土を守護する諸天善神はその国を捨て去り、そこに魔および鬼が乱入して国土に災難が起こる原理をご教示下さいました。
「其の国当に種種の災禍有りて国位を喪失すべし」
との経文のまま、本来の国主たる天皇が「象徴」となってその地位を失うゆえに、政治家は恐れるものがなくなり、国民を騙しては選挙と己れのポストのことしか考えなくなるとのご指摘のとおり、昨今の政治の劣化は目に余るものがあり、暗澹たる思いになります。
岸田首相は裏金問題をめぐって「信頼回復に火の玉になる」などと勇ましいことを言いながら、肝心の裏金づくりの経緯や実態などを一切解明しようとせず、結局、裏金づくりの抜け穴を残した改正政治資金規正法を可決・成立させましたが、国民を愚弄するにもほどがあります。
その内容たるや、政治を歪める企業・団体献金を温存し、使途が不透明な政策活動費の廃止をせず、「連座制」も導入せず、あたかも「これからも裏金を作ります」といわんばかりのシロモノで、実効性の乏しい「ザル法」であります。
これ、泥棒に自分たちを取り締まる法律を作らせるような茶番にほかなりません。
そして支持率が下げ止まらない自民党の内部からは、公然と岸田おろしの声が上がりはじめましたが、それらの議員らも所詮は「岸田では次の選挙に勝てない」という己れの選挙、自分の生き残りのことしか考えておらず、国家・国民のことを真剣に憂えている政治家はおりません。
まさに日本の政治は劣化の極にあります。
一方、「一切の人衆皆善心無く」との仰せのごとく、毎日毎日、殺人・強盗・詐欺・薬物・性犯罪等の犯罪が次から次へと発生しております。また幼児虐待やイジメもどうにもならない。
一国一同みな善い心を失い、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒ばかりが強くなってくる。もう政治の力でも経済の力でもダメ。教育の力も無力になってくるのであります。
この「国位喪失」「人衆が善心を失う」という姿は先難に過ぎず、その後に後災たる他国侵逼の大難が起こるのであります。
日曜勤行において先生は、大聖人様が日本の仏法を統一した伝教大師の事例をお示し下された
「日本の仏法唯一門なり、王法も二に非ず。法定まり、国清めり」(四信五品抄)
との重大な一節について
「仏法と国家の関係を一言でズバリとお教え下されている。
一国に正しい仏法が立てば、王法も乱れずに安定する。すなわち、仏法が定まるから、国が清んでくる。まさに立正安国の大道理をお示し下されている」
と指導下さいました。
もし日本一同が日蓮大聖人を信じて国立戒壇が建立されれば、このとき国自体が防非止悪(非を防ぎ、悪を止める)の当体になり、凶悪犯罪などは太陽の前の朝露のごとく、たちまち一国から消える。
また国家自体が自利利他になるから、他の国を利益し、他の国からも侵されない日本になる。これが王仏冥合・国立戒壇の大功徳であります。
されば迎える七月
「之を顕わさば、身命定めて喪わんか」(教機時国抄)
と、身命におよぶ大難を御覚悟のうえで、立正安国論を奏進あそばされた大聖人様の大慈大悲の御意を命に刻み、怒濤の大前進を展開していこうではありませんか。
さて、この六月に拝聴した「四条金吾殿御返事」講義は時に当ってまことに重大で、先生から御遺命成就を託された私たち顕正会員は、よくよく心腑に染めるべきであります。
私自身、偽戒壇・正本堂崩壊の不思議と、その大悪事をなした池田大作・細井日達・阿部日顕ら三悪人の「入阿鼻獄」の末路
片や、浅井先生の素晴らしい成仏の妙相を眼前にした今だからこそ、平成二十二年に本講義を拝聴したときとは全く異なる大感動と、理屈ぬきの強い実感が胸に押し寄せました。
ご講演の冒頭、先生は、本抄御述作の背景にふれられ、大聖人御門下に良観の策謀による卑劣な迫害が熱原の大法難まで相次いで起こる中、その大難に屈せず大聖人様に南無し奉った門下の信心こそが、出世の本懐成就への「唯願説之」であったことをご教示下さいました。
そして、その迫害の渦中にあった四条殿に対し、広宣流布への金剛のごとき大確信をお示し下さった大聖人様の大慈大悲が、そのまま先生のご遺志を継いで御遺命成就に戦う私たちに注がれている有難さを痛いほど感じては感涙にむせび、いよいよ「立正」成就への「唯願説之」の御奉公を果たしてまいらんと、決意を新たにいたしました。
先生は本抄の大意を一言にして
「広宣流布は、日蓮大聖人ただ御一人の偉大な仏力によって成る」
とお示し下さいました。
大聖人様は、日本に仏教が渡来したとき、釈迦仏の賞罰によって広まったことを先例として
「されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり」
とお示し下され、この御意について先生は
「いかに況んや久遠元初の自受用身・末法下種の本仏においておや」
とて、日蓮大聖人にお味方する者は必ず勝ち、敵対する者は必ず亡ぶことを、私たちの命の奥底に打ち込んで下さいました。
ことにこのことは、大聖人様への大忠誠で貫かれた浅井先生の戦いの上に実証されており、その不思議の現証を具に拝見しては御遺命成就への確信はいや増すばかりであります。
まず「神国日本」を作らんとした安倍晋三元首相の末路はどうなったでしょうか。
「神国はじめて仏国となりぬ」(曽谷抄)とて、聖徳太子が物部守屋に勝ち、始めて仏法が日本に確立され、「仏は主君、神は所従」になったにもかかわらず、安倍晋三はその事実を覆し、日本最大の極右団体「日本会議」および「神社本庁」と結託して、日本を「神の国」にしようと、明治憲法のごとく天皇を絶対化して「国家神道」を復活させ、戦前の日本を取り戻そうとしました。
彼は「日本会議 国会議員懇談会」と「神道政治連盟 国会議員懇談会」に属す議員で内閣を組閣したのみならず、安倍晋三自らそれぞれの会長と顧問に就任していた。
さらには、日本会議のフロント活動をしているジャーナリストの櫻井よしこが主催する「憲法改正」を実現するための組織「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の集会に毎年、欠かさずビデオメッセージを送っておりました。
日寛上人は日本国の特質について
「日本国は本因妙の教主・日蓮大聖人の本国にして、本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり」
と御指南であります。
しかるに、安倍晋三は神を主と崇め、あろうことか末法下種の御本仏・日蓮大聖人を無視・軽賎したのであります。
そのようなことをすれば、その謗法の失により、その人は亡び、国は必ず傾くのであります。
ゆえに先生は顕正会の会合で、平成25年2月から令和3年11月にいたるまで、実に62回にわたってこれを責め、その内容を掲載した顕正新聞を何度も安倍晋三に送付されました。
安倍は「体調不良」を理由に二度も総理大臣を辞任しながら、なおも政権の座を狙い「神国日本」を作らんと容易ならざる執念を燃やしておりました。
そうしたところ、令和4年7月8日の白昼、安倍晋三は銃弾に斃れ、その野望は永遠に潰え去ったのであります。
これ、日蓮大聖人に敵対し、下種仏法の広宣流布を阻む者は必ず亡ぶの現証であります。
次に広布前夜、第六天の魔王その身に入る池田大作がなした正本堂の誑惑の顛末を見るとき、御本仏の厳たる賞罰は歴然であります。
宗門における最高権力者・池田大作と、絶対権威の「時の貫首」が一体になってなした正本堂の誑惑であれば、学会と宗門が一枚岩であったら、正本堂の撤去などは絶対に実現不可能でありました。
しかるに、先生の連々たる強烈な諫暁により、細井日達と阿部日顕のいずれにおいても池田大作との間に自界叛逆が起こり、ついに偽戒壇・正本堂は、わずか二十六年で、轟音とともに崩壊したのであります。
そして、御本仏一期の御遺命を破壊せんとした池田大作・細井日達・阿部日顕ら三悪人の末路は果してどうなったのか。
池田大作は二〇一〇年(平成二二年)五月以降、十三年以上も一切公の場に姿を見せず「生ける屍」となり、ついに昨年十一月十八日、学会執行部によりその死亡が公表されました。
ところが、家族葬で荼毘に付したのちにそれが発表されるという極めて不自然なものでした。
誰にも見せられないほどの悪臨終だったこと、一点の疑いもありません。
また細井日達は昭和五十四年七月に、大事の「御相承」をもなし得ず、突然の心臓発作によって急死しました。その悪臨終のさまは四十年を経て、諸天の働きによって白日の下に晒されました。
さらに阿部日顕は仲違いした学会から「詐称法主」と言われ続け、「大扉開かず」の現証に畏怖して猊座から退座したものの、晩年は病苦に苛まれ、これも令和元年九月、悪相を現じて死亡しました。
いずれも
「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」(顕立正意抄)
の御金言のとおり「入阿鼻獄」となり、御本仏の厳しき賞罰を末法万年尽未来際まで刻みつけたのであります。
そして先生は本講義において、日本に仏法を確立し、末法の御本仏・日蓮大聖人の露払いをなした聖徳太子と伝教大師について、法華経の会座に連なった観音菩薩・薬王菩薩が中国に垂迹して南岳大師・天台大師となって法華経を弘め、その後身として、日本において聖徳太子・伝教大師となって大事の使命を果たしたことをご教示下さいました。
ことにそれらの垂迹示現を裏づける現証として、聖徳太子が小野妹子に前の世に南岳大師として所持していた羅什三蔵訳の法華経を持ち帰らせたことや、片や唐に渡った伝教大師が「天台大師自ら出世して開き給うべし」と言われた、天台が遺した十五の経蔵を開き、道邃和尚に「天台大師の後身」と礼拝された事蹟には「前生所持」「宿縁」の不思議を感じるばかりでありました。
熟脱の釈迦仏法にして然り、いかにいわんや日蓮大聖人の下種仏法においておや。
三大秘法広宣流布の時には、日興上人の再誕たる本化国主が、前生所持の「本門戒壇の大御本尊」を必ず御尋ねになって命かけて守護し奉り
また日目上人が宗門に御出現になり、国立戒壇すなわち本門寺の「座主」になり給うこと疑いなきところであります。
同時に御遺命成就の前夜、正系門家の悉くが御本仏一期の御遺命に違背するという未曽有の大悪が出来したとき、大聖人様の三大秘法の甚深の義を解説され、広宣流布に備えて下さった、古今無双にして非凡絶倫の大学匠たる日寛上人の御指南を以て、それを徹底して打ち摧かれ、いよいよ来る御遺命成就の大善の露払いをなされた先生の、仏法上の重きお立場を、恐れながら拝するものであります。
先生は十六歳のころ、解説書などは一切用いられず、立正安国論を拝読して発心され、それより日蓮大聖人の御書そして日寛上人の六巻抄等の研鑽に精魂を傾注されたのでした。
二十歳を過ぎたころ、先生は中島円妙院日彰上人から、六巻抄の講義を受けられたのでした。
この中島円妙院日彰上人とは、戦時中に大石寺塔中・久成坊の住職を務め、敗戦直前の宗門の非常事態のとき、管長代務者をお務めになり、その功により、のちに上人号を授与されたお方であります。
この方は大学匠で、宗門の化儀に関しては権威といわれておりました。
先生は八十代後半の日彰上人が東京品川の妙光寺で隠居されている時に、たまたま妙光寺の信徒有志が日彰上人に乞うて開催されることになった六巻抄講義に参加されたのでした。
その六巻抄講義は、最初は二・三十人集まっていたものの、難解であったので、月ごとに参加する信徒が徐々に減っていき、最後は、浅井先生お一人になってしまったのでした。
先生が
「私ひとりのためにわざわざ講義を行なって頂いて申しわけない」
とおっしゃったところ、日彰上人は
「一人でも真剣に聞いて会得してくれれば自分は満足」とずっと講義を続けて下さったそうです。
図らずも受講者が先生お一人になったことで、一対一でじっくりと六巻抄の講義をお受けになることができ、先生は
「その後、一人で真剣に、何度も何度もくり返し六巻抄を拝読して、大聖人様の仏法の奥義が胸に収まってきた」
とおっしゃっておられました。
隠居されていた日彰上人は一日中でも御法門のことを語られたそうで、先生は月に二度ほど御法門のことを尋ねに赴かれ、あるとき法道院の某信徒からもらった「日柱上人から堀上人に御相承されたときのこと」に関する訝しい書面について、日彰上人にお伺いされたのでした。
そのことを機として、日彰上人とお値いするたびに、明治以降の宗門のことや、歴代猊下のお振舞いについて、お聞きするのも憚られるようなことまで、先生は後々のために克明にお聞きになり
「それが、現在の濁乱の宗門がいかにあるべきかを判断する上で大きな参考になっている」
と教えて下さいました。
私はこのようなことを先生から、個人的にも何度となく伺いました。
この管長代務者を務められた日彰上人と先生の縁は決して偶然などではなく、その後に先生が御遺命守護ならびに一国広布の戦いを起こされる上での必然だったのだと、その不思議に身震いするものであります。
先生は六巻抄の重大さと広布前夜の戦いについて、このように仰せであります。
「日寛上人は次の猊下の日詳上人に六巻抄を授けられた。その際、『此の書、六巻の師子王ある時は、国中の諸宗・諸門の狐兎、一党して当山に襲来すといえども敢えて驚怖するに足らず。尤も秘蔵すべし、尤も秘蔵すべし』と仰せになった。
まさに広布の時の全邪宗との戦いに備えて、日寛上人は心血を注いで準備をしておかれた。この六巻抄を著わすために御出現になられたのである。
『以て後世の弟子に贈る。此れは是れ偏えに広宣流布の為なり』と仰せになった、その時が今きたのである」
「宗門では六巻抄を軽んじている。以前からそういう傾向があった。信心のない者がいくら金をかけて資料ばかり集めても仕方がない。
日淳上人は〝教学は資料を集めることではない。資料をいくら集めても見識がなければそれを生かせない〟と仰せになっておられる。
すべては御書に書かれている。その御書を拝読する鍵は〝極理・相伝〟にある。その相伝の極理は日寛上人がこの六巻抄に全部留めておられる。
要するに六巻抄における日寛上人の智目を通して、御書を拝読して胸に収まってくれば、智恵が出てきて、それを生かして戦える。
しかし、宗門は宝の持ち腐れで日寛上人を軽んじている。
だから御遺命の本門戒壇について、わかったつもりであっても誑惑する者が出たら僧侶千人があっという間にわからなくなってしまった。
ゆえに教学というのは、日寛上人の極理・師伝を通して御書を命に染めた時に、はじめて生きてくる。その教学を学ばなければ広宣流布のエネルギーにはならない」
「私は若い時から富士大石寺に伝わる大聖人様の極理、その御法門を『富士の地下水』に達するまで学ばなければ、本当の力ある御奉公ができるはずがないとずっと思い続けてきた。
日興上人は『御書を心肝に染め、極理を師伝し』と仰せになられた。
いまから四百年前に出現された日寛上人が、あの偉大な智徳を以て御書の極理を師伝して今日に残して下さった。
その日寛上人の御指南を広布前夜に戦うべき私たちが命で受けて立つのである。
その『富士の地下水』に到達したならば、こんどは誰にでもわかる平易な言葉をもって、大聖人様の大恩徳、御本尊の御利益を大確信で日本国の一切大衆に教え伝えていく。これが広宣流布に戦う者の姿なのである」と。
これまで私たちは、先生から、総幹部会・日曜勤行・御書講義等の数多のご指導を頂いてまいりましたが、先生は日寛上人の智目を通して、極めて平易な言葉を以て、大聖人様の御聖意を噛んで含めるように私たちに、いや全日本人にお教え下さったのであります。
その究極こそ、恋慕渇仰の「遥拝勤行」と、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてまします大聖人様の大恩徳・大慈大悲を誰も否定できぬ現証をもって顕わされた「広告文」であり、これこそが広布最終段階における自行と化他の信行そのものなのであります。
たとえば、宗門には「日蓮正宗教学研鑽所」なる研究機関のようなものがあります。そこでは身延派等の影響を受けてか、難解で学術的な研究を行なっておりますが、そのような研究をしてたとえ学者になったところで、大聖人様を恋慕渇仰する信心がなければ成仏には結びつかないし、広宣流布に資するものでもない。
実にくだらないものであります。先生は
「日寛上人の御指南なくば、どうして御遺命守護の御奉公ができたであろうか」
と仰せられましたが、日寛上人が広宣流布のために著わされた六巻抄を心腑に染め、命をかけて御遺命を守護し奉られ、身を捨てて広宣流布に戦われたお方は、先生を措いておられません。
なれば日寛上人の
「之を後代の君子に贈る」あるいは
「以て後世の弟子に贈る」
との仰せは先生に宛てられたものと、伏して拝するものであります。
かかるお方でなくして、どうしてたったお一人で、宗門の最高権力者・池田大作と絶対権威の「時の貫首」が一体になってなしたその大誑惑を、打ち摧くことなどなし得ましょうか。
先生の諫暁を、あるいは捨て置き、あるいは「怪しからん」と直ちに処分してもおかしくなかったところ、学会首脳をはじめ細井日達ならびに宗務役僧らが、何度も何度も対応を余儀なくされ、戦時中の軍部のごとく驕った学会が、ついに二度も文書で訂正し、細井日達は宗門の最高指南たる「訓諭」の訂正をも約束したのであります。
基礎教学書に、その訓諭の訂正文の写真が掲載されております。
それをよく見ると、細井日達の曖昧な言い回わしを修正された先生のご筆跡を拝見できます。
想像するに、細井日達は、先生の後ろに厳然たる大聖人様の御威徳を感じていたに違いなく、「時の貫首」をも承伏せしめる先生の師子王のごときご威厳に、低頭のほかはありません。
このことは、先ほどの大平副総男子部長の登壇にあった、法廷闘争の際に傍聴席で先生の証言を聞いていた元宗門僧侶が
「あの方は勇ましくて凄く強い。誰も勝てない。絶対に敵に回わしたくない。私は絶対に嫌だ」と述懐していたことや
学会弁護団が手足竦んで尋問の続行が不可能になったこと。
あるいは、宗務院の阿部教学部長と早瀬日慈総監が、先生の強烈なる責めに居たたまれなくなり、辞表を提出して有馬温泉に逃げ出したこと。
さらに池田大作の意向を受けて説得にきた細井日達が、先生と会えば正義を口にし、「きょう、私は死ぬ気で来ている」と、辞世の句をも用意するほどの覚悟を堅めて先生との対面に臨んだこと。
そして池田大作も阿部日顕も、先生との公場対決から完全逃避したことなどを見ても実感いたします。
大聖人様の御遺命を守護し奉るためには、身命を抛ち、その大悪を徹底粉砕された先生の、何ものをも恐れぬ師子王心と圧倒的な強さ、大聖人様の御心に寸分も違わぬ峻厳なる私心なき大忠誠心、「富士の地下水」に到達された透徹の教学力、まさに先生にしか絶対になし得ぬ戦いであります。
かかる先生が、第六天の魔王の障碍により濁乱極まる宗門にお出になり、偽戒壇・正本堂を崩壊に至らしめたこと、すべては御本仏・日蓮大聖人の御化導の内なのだと、思わずにはいられません。
私は先生の大河のごとき偉大な激闘と、御金言のごとくの素晴らしき成仏の妙相を思い返すたびに、その確信がいや増すものであります。
併せて、かかる先生の広宣流布への大情熱により、顕正会が死罪に等しい解散処分を乗り越え、また公権力による不当なる弾圧を撥ねのけ、一国広布に向けて日本で独走してきた不思議に刮目するものであります。
これこそ
「下種御本仏の絶大威力によって広宣流布は成しとげられる」
との四条抄の御意が事実となる姿にほかなりません。
先般、ある著名な宗教学者が、いくつかの宗教団体を取り上げた書籍を発刊しました。
この宗教学者は以前から顕正会に対して怨嫉心を懐いており、これまでもたびたび批判的な論評をしておりました。
その者がこの著書の中で10数ページの紙面を使って顕正会のことを取り上げていたのです。
内容を一瞥したところ、正確さに欠けるところはあるものの、それなりに客観的な視点で顕正会のことを分析しておりました。
中でも興味深く感じたことは、その宗教学者が、平成の約30年間で、顕正会が日本の宗教団体の中で最も伸びていることに驚いていたことでした。
その内容を少しく紹介します。
まずこのように書いております。
「創価学会もかつては熱心に折伏を行っていたが、今はそうではない。折伏という要素は、今日では顕正会特有の問題になってきた」と。
これ、オママゴトの勧誘しかできない宗門を含め、いまや選挙活動のみとなり、似非摂受に陥った学会と対比して、顕正会だけが大聖人様の御心のまま御遺命の国立戒壇を見つめて「折伏」を実践していることを証明しているものと言えます。
さらにこのようにも記しております。
「顕正会の会員は、『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』といった冊子を大量に配っている。それを開いてみると、序章では、『まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆(国内の分裂抗争)と他国侵逼(外敵の侵略)が起こるのである』と太字で記されている。
この冊子が最初に作られたのは2004年のことで、その後、東日本大震災、新型コロナの流行、そして能登半島地震が起こったことを考えると、顕正会の予言は適中したようにも見える」と。
先生の一国諫暁に諸天が感応し、諫暁書の通りの世相になっていることを、顕正会に批判的な学者ですら認めざるを得なくなっているのです。
そして昭和四十年代、正本堂が御遺命の戒壇であるか否かが論争になり、その解釈が曖昧な日蓮正宗と創価学会側は、妙信講から批判されたことで捉え方が揺れることがあったことや、細井日達から講中解散処分を受け、その時の信徒数はわずか一万名だった妙信講が、解散処分後から信徒数を大きく伸ばしていったことにその学者は驚き、このように述べております。
「(顕正会は)2023年11月の時点では、247万4240人になっている。高度経済成長の時代の創価学会の拡大もめざましいが、顕正会もかなりの勢いで伸びてきたことになる」
「平成の約30年間に……各宗教団体は軒並み信者数を減らしていった。創価学会もその例外ではなく……いったいなぜ顕正会は、平成の時代に急速な拡大を実現できたのだろうか」と。
この宗教学者は別の書籍で、平成の約30年間で仏教教団は2300万人も信徒が激減したことを挙げて
「宗教は、新宗教を含め、すでに時代遅れのものになっている感がある。宗教は用済みになったのかもしれない。日本の宗教は、今や間違いなく消滅の危機にさらされている」
と、退潮著しいその現状を解説しております。
このような中で、まさに先生が率いられる顕正会だけが列島を打ち覆う死身弘法を展開し、いまや日本で唯一独走していること、何たる不思議かと改めて思った次第です。
一方、少し古い記事ですが、経済誌の週刊「東洋経済」(令和4年10月8日号)では「宗教
カネと政治」というタイトルをつけて特集を組んでおりました。
その中に主な新宗教法人の一覧が出ておりましたが、公称信者数の1位は「創価学会」でした。
次が1100万人の「幸福の科学」。しかしこの会員数は実態とかなり乖離しており、教団を離脱した大川隆法の前妻や長男、その他ジャーナリストなどによればその実態は1万3000人から3万人ていどだそうです。
そして3番目に顕正会が位置しておりました。
学会は凋落著しく、幸福の科学はくだんのごとくで、消滅の危機に瀕している既成仏教やその他の団体を含め、顕正会が日本を独走していることが見て取れました。
私たちは顕正会の中にいると「折伏が遅れて申しわけない」と常に思っておりますが、外から見たら、顕正会の折伏の勢いは学会・宗門を遥かに凌駕し、そしてあらゆる邪教が消滅の危機に瀕する中、他を圧するものなのであります。
これ偏に御本仏の仏勅に応え奉らんとされた先生の広布の大道心によるものであり、仏様の賞罰の御力、いわゆる功徳と罰によって広宣流布がグングン進んでいる姿そのものであります。
今後、顕正会の怒濤の大前進は、さらに一国が注視するに違いありません。
全日本人が、この顕正会の「広宣流布 朝夕近し」の大情熱を見て
「なぜ顕正会員はこんなにも熱烈なのか」
「顕正会員が『帰依せよ』と叫ぶ日蓮大聖人とは、いかなる御方なのか」
「この仏法には本当に功徳と罰があるのか」
などと動執生疑を起こすこと疑いありません。
そして一国に「総罰」が激しく現われ、ついに他国侵逼という大罰を経て、全日本人が、我が身が亡び、国亡ぶの恐ろしさの中に、大慈大悲の御本仏の偉大な御存在に始めて気づき
「助け給え、南無日蓮大聖人」と手を合わせ
「日本国一時に信ずる事あるべし」
が事実となるのであります。
話は変わります。
すでに「未曽有の邪教化」に陥った学会に折伏の精神がないことは今さら言うまでもありませんが、去る5月12日の聖教新聞の第一面を見て、目を疑いました。
なんとそこには
「原田会長がカトリック教会の中心・バチカンでフランシスコ教皇と会見」
との見出しが躍り、会長の原田稔がローマ教皇と握手をしている写真が大きく掲載されていたのです。
関係者が撮影したと思しき動画によれば、この日、原田稔らは磔になったキリストの像が壁にかかっている、おぞましいバチカン宮殿の一室でローマ教皇と面談し、その際に原田は
「本日は個別会見の機会を頂きまして……」とか「……心より御礼を申し上げます」などと終始へりくだり、能登半島の名産品の土産をローマ教皇に渡しておりました。
それに同行した寺崎広嗣・創価学会副会長・SGI(創価学会インタナショナル)平和運動総局長も、ローマ教皇との面会を終えた別れ際に「これからの閣下のリーダーシップをお祈りしております」などと揉み手をするように諂っておりました。
学会はこれまでも、2017年11月に、池田大作の長男で創価学会主任副会長・SGI副会長の池田博正がローマ教皇と対面して握手をしている写真を聖教新聞に掲載いたしました。
そのときの見出しには
「SGI訪問団 ローマ教皇と謁見」
と書いてありました。
バカも休み休み言えと言いたい。
「謁見」という言葉は「貴人または目上の人に面会すること」という意味です。ローマ教皇へのこの諂い、どこまで腐り切っているのかと言葉を失いました。
熱原の大法難のときに退転して、大聖人様に叛逆し不可解な死を遂げるという大罰を受けた三位房という男がおりました。
三位房が文永七年に京都へ行って、関白のところに招かれて「法門を論ずることができた。面目を施すことができた」と大聖人様に手紙を書いてきた際、大聖人様は
「日蓮をいやしみてかけるか」
とお叱りになっておられます。
大聖人様は梵天・帝釈・四天という諸天を随え、申し付けられる御境界にてまします。
かかる御本仏・日蓮大聖人の弟子たる者が、天皇に仕える関白などに誉められて「面目」などということは、大聖人様の仏法上のお立場を軽しめ蔑むことにあたるからであります。
ましてや邪教カトリックのトップであるローマ教皇への諂いであれば言語道断です。
原田稔にしても池田博正にしても、ローマ教皇に握手をしてもらっては喜び、それを聖教新聞に報ずることができるのは、大聖人様を忘れ奉り、その御眼を恐れぬゆえですが、それもこれも、第六天の魔王その身に入りし池田大作にその源があることは言わずもがなであります。
それにつけても、いま聖教新聞の第一面に堂々と謗法与同の写真が掲載されても、何の痛痒も感じないまで信心がおかしくなってしまった学会員が不憫でならず、師を違える恐ろしさを感じるばかりであります。
大聖人様は立正安国論に
「主人咲み止めて曰く、辛きを蓼葉に習い、臭きを溷厠に忘る。善言を聞きて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷い誠に深く、其の罪浅からず」と。
すなわち、主人は莞爾と笑みをたたえて、憤り帰らんとする客を止めていわく。
辛い蓼の葉を食べている虫はその辛さを知らず、臭い便所に住む虫にはその臭さがわからない。これと同じように、汝は長年邪法に染まってきたから邪を邪と思わず、かえって善言を聞いて悪言と思い、謗法者を指して聖人といい、正師を疑って悪侶のように思っている。その迷いはまことに深く、その罪は浅くない――と仰せ給うておられますが、今の六百万学会員の姿のごとくであります。
大聖人様はこの御文の後に、法然に対する執着が深い客に対し
「事の起りを聞け、委しく其の趣を談ぜん」
と、法然の大謗法たるゆえんを権実の道理によって明白に教えておられます。
長年、学会に籍をおいて池田大作への執着が強い学会員に対しては、天魔その身に入る池田の大謗法たるゆえんを、よくよく教えることが肝心であります。
まず池田大作は、己れの政治野心と名利のために、国立戒壇を否定して正本堂の誑惑をなし、御本仏一期の御遺命を破壊せんとしたこと。
そして平成26年11月7日、学会会長・原田稔に
「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」
と公表させ、あろうことか大聖人出世の御本懐であり、一切衆生成仏の法体たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉るという「極限の大謗法」を犯したことであります。
大聖人様はかく仰せ給う。
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」(四条金吾殿御返事)と。
「日蓮が申す事」の中には、国立戒壇建立の御遺命ほど重いものはない。また国立戒壇に安置し奉るべき出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉ること以上の大謗法はない。
誰にも見せられず密かに荼毘に付した池田大作の悪臨終を見れば、もはや多くの説明の要もなく、その罪の重さは邪法で人々を誑かした諸宗の元祖の百千万億倍であります。
学会は近く崩壊すること断じて疑いない。
六百万学会員は早く悪師を捨て、正しき浅井先生に師事すべきであります。
いま世間に目を転ずれば、世界と日本を取り巻く客観情勢は風雲急を告げるがごとくであります。
去る5月30日、アメリカの主要メディアは、バイデン大統領がウクライナに対してそれまで禁止していた、アメリカが供与した兵器でロシア領内を攻撃することを限定的に認める決断を下したことを報じました。
アメリカ以外の西側諸国も同様の動きを見せております。
これに対しロシアのプーチン大統領は6月5日、外国の記者団に対し、アメリカを含む複数の国がウクライナに自国の武器を使ってロシア領内の標的を攻撃することを許可したことに言及し
「こうした動きは非常に深刻な問題を引き起こす」と警告しました。そしてウクライナにロシア攻撃を許可した国に対し報復攻撃することを示唆しました。
さらに今月17日には、アメリカのサリバン大統領補佐官が
「アメリカが容認したウクライナによるロシア領内への攻撃の対象地域を、ロシア軍が侵攻を試みているすべての場所に拡大する」と述べました。
これまでロシアのプーチン大統領は
「ロシアへのいかなる攻撃も核による反撃を呼ぶ可能性がある」とくり返し警告しております。
そして本年1月、メドベージェフ安全保障会議副議長は
「ウクライナが、アメリカとその同盟国から供与された兵器でロシア国内のミサイル基地を攻撃すれば、ロシアは核兵器で反撃する可能性がある」と述べ、今月に入りロシア大統領府は
「核ドクトリン(基本原則)を見直し、核兵器使用について判断する時間を短縮する可能性がある」と発表しております。
今般のアメリカの方針転換は、ウクライナ戦争をさらにエスカレートさせ、NATOとロシアの直接交戦のリスクを高め、核兵器を使用した第三次世界大戦に進む危険性を孕んでおります。
さらに今月19日、ロシアのプーチン大統領が24年ぶりに北朝鮮を訪れ、金正恩総書記と首脳会談を行い、事実上の軍事同盟といえる「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結しました。
この新条約には、ロシアと北朝鮮のいずれかが武力侵攻を受け戦争状態となった場合、互いに軍事的援助等を行うことが定められました。
一方、5月20日、台湾では新しい総統に頼清徳氏が就任しましたが、予てより頼氏を「台湾独立派」として警戒していた中国は、それより台湾に対し圧力を強めております。
同日、中国の王毅外相は
「『台湾独立』という行為は、国際秩序に対する最大の挑戦で台湾海峡の現状に対する最も危険な変更」と牽制しました。
また中国政府で台湾政策を担当する陳斌華報道官は
「台湾独立は、いかなる形式であろうと決して容認しないし、容赦もしない。祖国は統一されなければならないし、必然的に統一される」として、台湾統一への強い意志を示しました。
5月24日には、中国の人民解放軍が台湾を包囲する形で軍事演習を行いました。これ、いざとなれば台湾を全面封鎖できることを誇示したものと言えます。
そして今月21日には、中国は台湾独立をめざす勢力による「国家分裂」行為を取り締まるための新たな指針を発表し、同日施行しました。最高刑として死刑を適用するのだそうです。
このように日本に直ちに甚大な影響を及ぼす台湾情勢も俄に緊迫の度を増しております。
修羅の軍事独裁国家にして核の超大国である中国・ロシア・北朝鮮の軍事力は月々日々に増大し、この三国はアメリカ中心の現在の世界秩序を覆し、世界の覇権を奪わんと着々と動いている。
かくて「前代未聞の大闘諍」と日本への「他国来難」が、いよいよ迫りつつあるのであります。
その根本原因は、まさしく日本一同の仏法違背と正系門家の師敵対にあるのです。
大聖人様は新尼抄に
「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」
と仰せ給う。
その根本解決の唯一の術である「国立戒壇建立」を叫ぶ資格と実力を有するのは、浅井先生のご遺志を継ぎ、その大忠誠心に異体同心して戦う、広布の一大生命体である顕正会以外には断じてあるべくもない。
さあ、立正安国論の月・七月、三百万を早めるべく、全組織が誓願を大きく突破する死身弘法を展開し、以て霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。以上。(大拍手)