御遺命とは何か
日蓮大聖人は、本門戒壇を建立して日本および全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済することを究極の大願とあそばされた。
ただし、この本門戒壇は一国の総意に基づく国家的な建立であるから、日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布の暁でなければ実現できない。御在世には未だその時いたらず、よって未来国立戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」を二祖日興上人に付し、この大事を日興上人に御遺命されたのである。
されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命である。もしこれを忘れれば仏弟子ではなく、もしこれに背く者あれば魔の眷属である。
仏法と国家
大聖人の一代の御化導を拝見するに、立宗以来、母が赤子の口に乳を入れんとはげむ大慈悲を以て人々に「南無妙法蓮華経と唱えよ」と勧め給うと共に、立正安国論をはじめ十一通申状・一昨日御書・四十九院申状・滝泉寺申状・園城寺申状等と、一時の休みもなく、一代を貫き身命を賭して国主への諫暁をあそばされている。
このように大聖人の御化導が、個人への信仰の勧めにとどまらず、国主に対し国家次元での三大秘法受持を迫られているのは何ゆえであろうか。
それは、個人の幸福が国家と共にある。すなわち国家の興亡盛衰が全国民の幸・不幸に深く関っているからに他ならない。
ゆえに立正安国論には
「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を祈るべきものか」と。
もし他国の侵略によって国が亡び、内戦によって家を失ったならば、いずれのところにか生きのびる所があろう、よって我が身の安全を思うならばまず国家の安泰を願うべきである――と示されている。
同じく安国論に
「国に衰微なく土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん」と。
国家・国土の安泰・静謐があってこそ、初めて個人の身の安全・心の安定がもたらされる――と仰せられる。
さらに蒙古使御書には
「一切の大事の中に、国の亡びるが第一の大事にて候なり」と。
国家の滅亡はすべての国民に想像を絶する悲惨をもたらす。ゆえにこれを「第一の大事」と仰せられる。まさに国家は、国民一人ひとりを細胞とする社会的な有機体、一つの生命体である。ゆえに国が亡べば、構成員たる国民一同にその悲惨がおよぶのである。
今日、ことさら国家の存在を軽視あるいは無視しようとする風潮がある。これは敗戦による自虐史観から生じたものであるが、国家の本質を見誤ってはならない。
およそ人間は国家を離れては生存し得ない。山中において一人で生活することはできない。集団生活をし、社会を作り、相互扶助することによって始めて生存することができる。「一切衆生は互いに相助くる恩重し」(十法界明因果抄)と。これが「一切衆生の恩」である。
そして、社会を作り集団生活をするには、集団内の秩序を持ち外敵から集団を防衛しなくてはならぬ。この機能を果たすのが公権力すなわち統治権力である。ここに国家が成立する。
政治学では国家の成立要素として領土・人民・主権の三つを挙げるが、この主権を仏法では「王法」という。大事なことは、この王法の在り方によって、国家の命運が決するということである。
もし王法が修羅界であれば、内には人民を虐げ外には他国を侵略する国となる。もし王法が衰微すれば、国内は秩序を失って内乱を誘発し外からは他国の侵略を招く。
ここに大聖人は、王法は仏法に冥ぜよ、とお教え下さるのである。
もし王法が仏界化すれば、国家権力は慈悲の働きとなり、内には国民を守って幸福をもたらし、外には他国をも利益する。このとき諸天はその国を守護するゆえに、国土には三災七難が消滅し、国は真の安泰を得る。これが仏国である。
では、どうしたらこの仏国が実現するのか。ここに本門戒壇建立の重大意義がある。具体的に言えば――
日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布のとき、仏法を守護し奉る旨の国家意志の公式表明を手続として、国立戒壇を建立して「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、日本は仏国となる。
まさしく本門戒壇の建立こそ、本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国とする唯一の秘術なのである。
本門戒壇についての御教示
本門戒壇についての御教示は、佐渡以後の「法華行者値難事」「法華取要抄」「報恩抄」「教行証御書」等にその名目だけが挙げられているが、未だ本門戒壇の内容については全く明かされてない。
そして御入滅の弘安五年にいたって、始めて三大秘法抄と一期弘法付嘱書に、これを明示し給うたのである。
本門戒壇は広宣流布の時を待って建立される重大事であり、その実現には大難事が伴う。ゆえに富木殿御返事には
「伝教大師 御本意の円宗を日本に弘めんとし、但定・慧は存生に之を弘め、円戒は死後に之を顕はす。事法たる故に一重の大難之有るか」と。
伝教大師の迹門の戒壇ですら存生には成らず、滅後に建立されていることを例として、「事法たる故に一重の大難之有るか」と仰せられている。「事法たる故」の文意について第五九世・日亨上人は、「事法であるから、すなわち国立戒壇であるから容易な事でなかろうと、乃至、暗示せられたのである」(富士日興上人詳伝)と釈されている。
このゆえにただ御胸中に秘められ、御入滅の年にいたって始めてこれを明かし給うたのである。以て、本門戒壇の重大さを深く思うべきである。
三大秘法抄
まず弘安五年四月八日の三大秘法抄を拝見する。
本抄は下総の有力信徒・太田金吾への賜書で、本門戒壇について将来、門下の中で異義が生じた場合を慮られて記しおかれたものである。ゆえに文末に
「予年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加うべし。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存する間、貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮なし」との仰せを拝する。
この三大秘法抄には、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」が、次のごとく明示されている。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」と。
まず「時」については
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と定められている。
「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護することである。
それは具体的にはどのような姿相になるのかといえば、次文に
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある。すなわち日本国の国主たる天皇も、大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るためには、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとく、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時――と仰せられる。
大聖人は末法濁悪の未来日本国に、このような国家状況が必ず現出することを、ここに断言しておられるのである。
次に戒壇建立の「手続」については
「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当ろう。まさしく「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を建立の手続とせよということである。
この手続こそ、日蓮大聖人が全人類に授与された「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が国家の命運を賭しても守護し奉るとの意志表明であり、このことは日本国の王臣が「守護付嘱」に応え奉った姿でもある。
御遺命の本門戒壇は、このように「勅宣・御教書」すなわち国家意志の表明を建立の必要手続とするゆえに、富士大石寺門流ではこれを端的に「国立戒壇」と呼称してきたのである。
では、なぜ大聖人は「国家意志の公式表明」を戒壇建立の必要手続と定められたのであろうか。
謹んで聖意を案ずるに、戒壇建立の目的は偏えに仏国の実現にある。仏国の実現は、一個人・一団体・一宗門だけの建立ではとうてい叶わない。国家次元の三大秘法受持があって始めて実現する。その国家受持の具体的姿相こそ「王仏冥合」「王臣受持」のうえになされる「勅宣・御教書」の発布なのである。
もし国家意志の表明により建立された本門戒壇に、御本仏日蓮大聖人の法魂たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となる。御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないか。「日蓮は日本の人の魂なり」「日蓮は日本国の柱なり」の御金言は、このとき始めて事相となるのである。
次に「場所」については
「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。
ここには地名の特定が略されているが、日興上人への御付嘱状を拝見すれば「富士山」たることは言を俟たない。さらに日興上人は広漠たる富士山麓の中には、南麓の「天生原」を戒壇建立の地と定めておられる。天生原は大石寺の東方四キロに位置する昿々たる勝地である。
ゆえに日興上人の「大石寺大坊棟札」には
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」
と記されている。ちなみに「三堂」とは、本門戒壇堂・日蓮大聖人御影堂・垂迹堂をいう。
また第二十六世・日寛上人は
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法 乃至 国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)と。
この「事の戒壇」とは、申すまでもなく広宣流布の暁に事相に建てられる戒壇である。
さらに第五十六世・日応上人は御宝蔵説法本に
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって……」と示されている。
以上、三大秘法抄の聖文を拝すれば、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」は太陽のごとく明らかである。まさしく御遺命の戒壇とは「広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇」である。
次の「時を待つべきのみ」とは、広宣流布以前に建立することを堅く禁じた御制誡であり、同時に「広宣流布は大地を的とする」との御確信がこの御文に込められている。
「事の戒法と申すは是れなり」とは本門戒壇の建立が即「事の戒法」に当るということ。
戒とは防非止悪(非行を防ぎ悪行を止める)の意であるが、国立戒壇を建立すれば、本門戒壇の大御本尊の力用により、国家そのものが防非止悪の当体となる。そのとき、国家権力が内には人民を安穏ならしめ、外には他国を利益する慈悲の働きになる。
またこの仏国に生ずる国民も、自ずと一人ひとりが戒を持つ当体となる。世間の道徳や小乗経の戒律は外からの規律であるが、本門の大戒は、御本尊を信じ妙法を唱えることにより我が心に仏様が宿り、自然と我が生命が貪・瞋・癡の自害々他の境界から、自利々他の働きに変わってくる。よって国立戒壇が建立されれば、いま日本社会に充満している凶悪犯罪などは、朝露のごとく消滅するのである。
「三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」とは、本門戒壇の利益の広大を示されたものである。
この国立戒壇は日本のためだけではなく、中国・インドおよび全世界の人々の懺悔滅罪の戒法でもある。いや人間界だけではなく、その利益は梵天・帝釈・日月・四天等の天界にまでも及ぶ。何と広大無辺の大利益ではないか。そしてこの仏国を諸天が守護することは、この「大梵天王・帝釈等も来下して……」の御文に明らかである。
思うに、本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が日本および全世界の人々に総じて授与された御本尊である。かかる全人類成仏のための大法を、日本が国家の命運を賭しても守り奉る。これが日本国の使命である。日本は日蓮大聖人の本国であり、三大秘法が世界に広宣流布する根本の妙国なるがゆえに、この義務と大任を世界に対して負うのである。
かかる崇高な国家目的を持つ国が世界のどこにあろう。人の境界に十界があるごとく、国にも十界がある。戦禍におびえる国は地獄界、飢餓に苦しむ国は餓鬼界、没道義の国は畜生界、飽くなき侵略をする国は修羅界である。その中で、全人類成仏の大法を、全人類のために、国運を賭しても護持する国があれば、それはまさしく仏界の国ではないか。これが国立戒壇の精神なのである。
日本に本門戒壇が建立されれば、この大波動は直ちに全世界におよぶ。そして世界の人々がこの本門戒壇を中心として「一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」(報恩抄)の時いたれば、世界が仏国土となる。この時、地球上から戦争・飢餓・疫病等の三災は消滅し、この地球に生を受けた人々はことごとく三大秘法を行じて、一生のうちに成仏を遂げることが叶うのである。
ゆえに教行証御書に云く
「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生 仏に成るべき事こそ、有難けれ有難けれ」と。
大聖人の究極の大願はここにあられる。そしてこれを実現する鍵こそが、日本における国立戒壇建立なのである。
一期弘法付嘱書
次に一期弘法付嘱書を拝する。
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是れなり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」
この御文は師弟不二の御境界であられる日興上人への御付嘱状であれば、一代の施化を括り要を以てお示し下されている。
「日蓮一期の弘法」とは、大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の御事である。いまこの大御本尊を日興上人に付嘱して「本門弘通の大導師」に任ぜられ、広宣流布の時いたれば富士山に本門戒壇を建立すべしと命じ給うておられる。
「国主此の法を立てらるれば」の一文に、三大秘法抄に示された「時」と「手続」が含まれている。そして三大秘法抄には略された建立の場所を「富士山」と特定されたことは重大である。
富士山は日本列島の中央に位置し、日本第一の名山である。その名は郡名を取って「富士山」と通称されているが、古来よりの実名は「大日蓮華山」である。日本は日蓮大聖人の本国にして三大秘法の本国土である。その日本国の中にも、この大日蓮華山こそ文底深秘の大法の住処、本門戒壇建立の霊地なのである。
この富士山に、広布の時いたれば国立戒壇を建立せよ――と御遺命されているのである。
そして文末には
「就中、我が門弟等、此の状を守るべきなり」と。
この重大の御遺命に背く者は、まさに師敵対の逆徒、魔の眷属である。
富士大石寺歴代上人の文証
富士大石寺歴代上人の文証
日蓮大聖人のこの重き御遺命を奉じて、冨士大石寺歴代上人が七百年来、異口同音に広宣流布の暁の国立戒壇を叫び続けてこられた、その文証を挙げてみよう。
二祖日興上人
「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(門徒存知事)
「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」(大石寺大坊棟札)
二十六世・日寛上人
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法、乃至、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と云云」(報恩抄文段)
三十一世・日因上人
「国主此の法を持ち広宣流布御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置する事、御遺状の面に分明なり」
三十七世・日琫上人
「仏の金言空しからずんば、時至り天子・将軍も御帰依これ有り。此の時においては富士山の麓・天生原に戒壇堂造立あって……」(御宝蔵説法本)
四十八世・日量上人
「事の戒壇とは、正しく広宣流布の時至って勅宣・御教書を申し下して戒壇建立の時を、事の戒壇というなり」(本因妙得意抄)
五十六世・日応上人
「上一人より下万民に至るまで此の三大秘法を持ち奉る時節あり、これを事の広宣流布という。その時、天皇陛下より勅宣を賜わり、富士山の麓に天生ヶ原と申す曠々たる勝地あり、ここに本門戒壇堂建立あって……」(御宝蔵説法本)
以上は明治以前の先師上人の御指南である。「国立戒壇」の文言こそ用いておられないが、意は国立戒壇建立を指すこと、天日のごとく明らかである。
次いで大正以降の歴代上人の文証を挙げる。
五十九世・日亨上人
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華十一号)
「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
六十四世・日昇上人
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)
六十五世・日淳上人
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)
「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮聖人の教義)
「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日、思いつきで執行されたというものでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります。大石寺大坊棟札に『修理を加え、丑寅の勤行怠慢なく、広宣流布を待つ可し』とあるのが、それであります」(大日蓮34年1月号)と。
およそ血脈付法の正師にして、国立戒壇を熱願されなかった貫首上人は七百年間一人としておられない。
細井管長も曽ては国立戒壇
創価学会に迎合して国立戒壇を否定した六十六代細井日達上人(以下、細井管長と呼ぶ)ですら、登座直後においては歴代上人と同じく、御遺命の正義を次のように述べていた。
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)
「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮35年1月号)
「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)と。
創価学会も曽ては国立戒壇
創価学会も曽ては当然のごとく国立戒壇を唯一の目的としていた。
同会第二代戸田会長は
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(大白蓮華五十八号)
「我等が政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華六十三号)
また三大秘法抄を講じては
「『戒壇を建立すべきものか』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(大白蓮華六十六号)と述べている。
御遺命破壊の元凶たる第三代会長・池田大作すら曽ては
「『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」(大白蓮華五十六号)
また
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と言い切っていた。
以上を見れば、冨士大石寺門流七百年の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあったこと、太陽のごとく明らかであろう。
御遺命破壊の大悪起こる
しかるに、この大事な御遺命がまさに破壊されんとする大悪が、正系門家に起きたのである。
あろうことか、宗門の公式決定として「国立戒壇」が否定され、俄に建てられた正本堂が「御遺命の戒壇」と決定されたのであった。
広布前夜の魔障
これこそ広布前夜の正系門家を襲った魔障といえよう。宇宙法界には、仏法を守護する諸天が存在すると同時に、仏法を破壊せんとする魔の働きもある。この魔の生命活動の中心的存在を「第六天の魔王」という。この第六天の魔王が仏法を破壊せんとする時は、まず智者・指導者の身に入って仏法を内から壊乱する。
大聖人は最蓮房御返事に
「第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」と。
智者といわれた真言の弘法・念仏の法然等が法華経を敵視したのも、叡山の第三・第四の座主たる慈覚・智証が本師・伝教大師に背いて法華経を捨てたのも、みなこの第六天の魔王がその身に入ったからに他ならない。
それだけではない。第六天の魔王は御本仏の御身まで狙う。だが大聖人は「兼ねての用心深ければ身によせつけず」で入ることができない。このような時には、魔は国主等の身に入って、御本仏を迫害せしむる。
この第六天の魔王が、広宣流布前夜に、どうして拱手傍観していようか。必ず正系門家の指導的地位にある者の身に入って、これを誑すのである。
当時、宗門を左右し得る実力者は、創価学会第三代会長・池田大作であった。彼は強大な組織力と金力を背景に日蓮正宗を圧伏していた。「時の貫首」をはじめ全僧侶は、ただ彼の威を恐れ阿諛追従するのみであった。
ここに池田は慢心し大野心を懐くに至る。それは、政権を奪取して日本国の最高権力者たらんとする野望だった。昭和四十年当時、彼はその夢を、居並ぶ大幹部ならびに同席させていた御用評論家に語っている。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(「人間革命をめざす池田大作その思想と生き方」高瀬広居)と。
このとてつもない大慢心は、あたかも時の天子をも凌駕せんとしたかの蘇我入鹿を彷彿させる。第六天の魔王はこの信心薄き大慢心の男の身に入り、正系門家の内部から「国立戒壇」を消滅させんとしたのである。
「国立戒壇」否定の動機
池田大作は学会員を選挙に駆り立てる口実に、前々からしきりに「国立戒壇」を利用していた。
「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのでございます」(大白蓮華34年6月号)
この言葉を信じて、学会員は寝食を忘れて選挙に戦った。そして昭和三十九年、池田は公明党を結成し、衆院進出を宣言する。いよいよ政権獲得に乗り出したのだ。
これを見て、共産党をはじめマスコミ・評論家等は一斉に、池田がそれまで政界進出の口実にしていた「国立戒壇」を取りあげ、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と批判を始めた。
池田はこの批判を強く恐れたのである。
だが、実はこの批判は当らない。なぜなら、国立戒壇の建立は広宣流布の暁に実現されるゆえである。その時には当然国民の総意により、仏法に基づく憲法改正が行われる。その上で建立される戒壇であれば、「憲法違反」などの非難は当らない。また国立戒壇建立は御本仏の一期の大願であれば、たとえ三類の怨敵が競い起こるとも仏弟子ならば恐れない。
だが、池田はこれを恐れた。ということは、彼が叫んでいた「国立戒壇」は学会員を選挙に駆り立てるための口実に過ぎなかったのだ。彼には、国立戒壇が仏国実現の唯一の秘術であることも、御本仏一期の御遺命の重さも、全くわかっていなかったのだ。
だから国立戒壇への批判が選挙に不利をもたらすと見るや、この御遺命が邪魔になった。そして恐るべき思いが彼の胸中に湧いた――。それが国立戒壇の放棄・否定であった。
しかし口だけで「国立戒壇」を否定しても、世間は信じてくれない。そこで国立戒壇に替わる偽戒壇を建てることにした。すなわち大石寺の境内に巨大な偽戒壇「正本堂」を建て、これを「日蓮大聖人の御遺命の戒壇」と偽れば、国立戒壇は完全に否定されるのである。
「法主」を籠絡
この大それたたばかりは、池田ひとりではなし得ない。どうしても時の「法主」(貫首)の権威が必要であった。
時の「法主」は第六十六世・細井日達管長であった。前述のごとくこの管長も登座直後には
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華三十五年一月号)
「事の戒壇とは、富士山に、戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮三十六年五月号)等と正義を述べていた。
だが、池田の要請を受けるや、たちまちに「国立戒壇」の御遺命を抛ち、正本堂を御遺命の戒壇とする悪義を承認してしまった。
日興上人は遺誡置文に
「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば、貫首之を摧くべき事」と。――たとえ多数を頼んでの意見であっても、それが大聖人の御意に違っていたら、貫首は断固としてこれを打ち摧かなければならない――とのお誡めである。
しかるに細井管長は、冨士大石寺の貫首として命を賭しても守らねばならぬ大事の御遺命を、なんと池田大作に売り渡したのである。池田の〝威圧〟に屈し、莫大の〝供養金〟に心を蕩されたのであった。
「法主」の承認を得た池田は、鬼の首でも取ったごとく、「法主」の〝権威〟をふりかざし「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を学会の集会で声高に叫んだ。
「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下(法主)が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと」(聖教新聞40年9月22日)
なんと恥しらずか――。「国立戒壇の建立こそ、創価学会の唯一の大目的」と叫んでいたのは池田自身ではなかったのか。それを「評論家ども」のせいにしている。しかしながらこの池田発言には、国立戒壇の放棄が「評論家ども」の批判を恐れてのゆえであったこと、また正本堂のたばかりに「法主」を利用したことが、はしなくも表れている。
さらにこの年(昭和四十年)の九月、池田は細井管長に正本堂募財の訓諭を発布させる。その訓諭には「蔵の宝に執着することなく……」とあった。
学会員は正本堂を御遺命の戒壇と信じたゆえに、血のにじむ供養をした。当時、全国の質屋の前には家財道具を持って並ぶ学会員の列ができ、生命保険も一斉に解約され、世間の話題になった。
この痛ましき、欺き集めた供養の総額は三百数十億円にも達した。そしてその全額が供養奉呈式において、「法主」から池田に戻された。始めから仕組まれていたのである。
誑惑の大合唱
正本堂のたばかりが成功すると見た池田大作の言動は、時間とともに露骨さを増すようになった。
昭和四十一年の「立正安国論講義」では
「本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」
四十二年の学会本部総会では
「三大秘法抄にいわく『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり』と。(中略)この戒壇建立を日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて滅後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命はいたずらに虚妄となるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご予言どおり、(中略)七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。(中略)世界平和の新しい根本道場である正本堂は、時とともに輝きを増し、末法万年尽未来際まで、不滅の大殿堂となることは、絶対に間違いない。(中略)なお、正本堂完成により、三大秘法が、ここにいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の『立正』の二字が完ぺきとなったのであります」(大日蓮42年6月号)
さらに同年十月に行われた正本堂発願式では、誇らしげに宣言する。
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)と。
天魔の入った池田大作は、もう御本仏の御眼を恐れることなく、この大欺瞞をかえって「仏教三千余年、史上空前の偉業」と讃え、これを成し遂げた自身の功績を誇ったのである。
これを承けて、学会の主要書籍にも誑惑の文字が躍った。
「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。(中略)昭和四十七年には、事の戒壇たる正本堂が建立される」(折伏教典)
さらに
「日蓮大聖人は本門の題目流布と、本門の本尊を建立され、本門事の戒壇の建立は日興上人をはじめ後世の弟子檀那にたくされた。(中略)時来って日蓮大聖人大御本尊建立以来六百九十三年目にして、宗門においては第六十六世日達上人、創価学会においては第三代池田大作会長の時代に、本門の戒壇建立が実現せんとしている」(仏教哲学大辞典)
「正本堂の建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり、世界にいまだ曽てない大殿堂である」(同前)と。
細井管長も、初めは御遺命に背く恐れからか曖昧な表現が多かったが、次第にその発言が大胆になる。
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華二〇一号)と。
ここにいう「王仏冥合」とは、池田を「王」とし細井管長を「仏」とする、まやかしの王仏冥合である。正本堂が偽戒壇であるから、「王仏冥合」も「広宣流布」もすべてがごまかしとなる。
まことに白を黒といい、東を西といい、天を地というほどの見えすいたたばかりである。だが、宗門の最高権威たる「法主」と、最高権力者の池田大作が心を合わせて断言するところであれば、無智の八百万信徒はこれを信じ、無道心の一千僧侶また先を争ってこの悪義になびいた。
報恩抄には
「例せば国の長とある人、東を西といい、天を地といい出しぬれば、万民はかくのごとく心うべし。後にいやしき者出来して、汝等が西は東、汝等が天は地なりといわば、用うることなき上、我が長の心に叶わんがために今の人を罵り打ちなんどすべし」と。
当時の宗門の姿は、まさにこの御文を彷彿させるものであった。
昭和四十二年の正本堂発願式に参列した宗門高僧たちの諛言を並べてみよう。
阿部信雄・教学部長(第六七世・日顕管長)
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」
大村寿顕・宗会議員(教学部長)
「この大御本尊御安置の本門戒壇堂の建立をば『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に遺命せられたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちりと組み合わさって、ここに新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります」
佐藤慈英・宗会議長
「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇堂となるので御座居ます」
椎名法英・宗会議員
「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」
菅野慈雲・宗会議員
「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」と。
どうしたら、このような諂い、見えすいた嘘、大聖人に背き奉る誑言が吐けるのか。
所詮、これら僧侶たちには信心がないのだ。池田にへつらって我が身を長養することしか考えてないのだ。まさしく「法師の皮を著たる畜生」「法師と云う名字をぬすめる盗人」(松野抄)とのお叱りが、そのまま当る禿人どもである。
かくて正系門家から「国立戒壇」の御遺命は消滅し「正本堂」を讃える悪声のみがこだました。第六天の魔王はものの見事に、正系門家から御本仏の御遺命・七百年来の宿願を奪い去ったのである。