きょうの総幹部会も素晴らしいですね。熱烈なる信心が迸っている、みなぎっております。
この素晴らしい総幹部会を、どうか全顕正会員に伝えてほしいと、私は願っております。
さて、先般十月十三日、御本仏日蓮大聖人の第七三九年の御大会式を、謹んで奉修させて頂きましたが、ただ有難さでいっぱいであります。
学会などは御大会式を全く奉修しないですね。それも当然です。恐れ多くも戒壇の大御本尊を捨て奉った輩に、御大会を奉修しようなどの信心が、あるわけがない。
また宗門は形だけは奉修しているが、これまた曽ては学会にへつらって国立戒壇を否定し御遺命に背いた。そして未だに改悔もせぬまま、御大会式をやっている。
いったい、どのような思いで御宝前に座しているのか。「大聖人の御眼、恐ろしと思わぬか」と私は言いたい。
この正系門家濁乱の中で、顕正会だけは御遺命守護の忠誠を貫き、ただ御報恩の赤誠のみで奉修させて頂けること、何とも有難い。
ことに本年は、広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入して最初の御大会であれば、いよいよ身を捨てての御奉公、深く誓い奉ったものであります。
そして講演において私は、大聖人様の崇高・甚深なる御境界を拝し奉るべく
まず「久遠元初の自受用身」と「末法下種の主・師・親」の御意を拝し奉り
次いで、大聖人一代三十年の御化導の肝要すなわち
「立宗の時 我が身即久遠元初の自受用身と知り給い、竜の口の時 我が身即久遠元初の自受用身と顕われ給い、そしてその御証得の全体を本門戒壇の大御本尊に図顕あそばされ全人類に授与して下さった」ことを述べ
次いで
「本門戒壇の大御本尊こそ日蓮大聖人の御当体であられ、文底秘沈の大法の実体である」ことを述べ
次いで「一期弘法付嘱書」を拝読して
「国立戒壇建立こそ大聖人様の唯一の御遺命であられる。このこと深く拝し奉らなければいけない」ことを述べ
最後に
「いま広布の前夜にいたって、天魔その身に入る池田大作はあろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉り、一方、宗門の阿部日顕は戒壇の大御本尊を憎む身延派とも手を結んだ。これら『極限の師敵対』どうして諸天が許そうか。ここに『前代未聞の大闘諍』が起き、日本は亡国となる」
「このとき日本をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に対して、御命令を下し給う絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる」
と申し述べました。
この御大会式の講演は大事であれば、全顕正会員が心腑に染め、二〇年代を戦う糧にしてほしいと念願しております。
さて、大聖人様は三大秘法抄に、国立戒壇建立の時の社会状況について
「末法濁悪の未来」
と仰せ下されておりますが、今こそこの「末法濁悪」の直中と、私は感じております。
どうです、最近の日本の犯罪の多さは――。
殺人・強盗・詐欺・誘拐・監禁・傷害・性犯罪等々、これらの犯罪がいま国中に渦を巻いてますね。
その中でも、最も心を暗くさせるのは家庭内の犯罪です。
24歳の母親が、3歳の娘を一室に閉じこめたまま男に会いに行って、8日間も留守にして、ついに幼児を餓死せしめたという事件がありましたね。数日前に刑事告発され、いよいよ裁判が始まりますが、まことに動物にも劣る。
またつい最近、20代の父親が泣きやまぬ1ヶ月の子を玄関のドアに投げつけて殺したという事件もあった。
また21歳の孫娘が、90歳の祖母の口にタオルを詰め込んで窒息死させている。
また息子が、97歳の母親を保冷枕で殴り殺したという事件もあった。
まさに立正安国論に仰せの
「一切の人衆皆善心無く」そのままですね。
広布前夜の濁った世の中になると、人々がみな貪欲・瞋恚・愚癡の三毒が強くなってくる。だから犯罪が頻発して止どめようがなくなるのです。
これはもう学校の教育でもどうしようもない、警察も手に負えない。お手上げです。
文科省が22日に発表した、小学・中学・高校などを対象にした「いじめ」の調査によれば、いじめは過去最高の61万件。その中でネットでのいじめは5年で倍になったという。弱い者いじめなど、まことに卑怯・卑劣ですね。
また自殺者の急増も最近目立つ。警察庁の発表によれば、本年8月の自殺者の数は1854人で、昨年同月に比べて急増したという。
まさに貪・瞋・癡の三毒が強くなれば他を害する人間になり、また生命力が弱くなれば環境に押し潰され、いじめられる人間となる。
いずれも地獄・餓鬼・畜生・修羅の濁った心、濁った命から発するのです。
ではこの濁った心は、どうしたら清らかになるのか。
それが、日蓮大聖人の仏法であります。
もし御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人の心にも大聖人様が宿って下さる。そのとき、三悪道・四悪道の心は一変して自利利他の働きになる。
ゆえに四信五品抄には
「濁水心無けれども、月を得て自ら清めり」と。
どれほど濁った水でも、月が映れば自然と清んでくる――と仰せ下さる。
いかに三毒強き者も、生命力弱き者も、ひとたび御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに大聖人様が宿って下さる。
そうなれば強く清らかな生命となり、自然と自利利他の境界となる。自殺などの悩みは忽ちに消し飛んでしまう。そして一生成仏の大利益が頂けるのです。
大聖人様は下種本仏成道御書にこう仰せ下されている。
「人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり」と。
いま日本の人々は魂を失っている。だから「死人」と同じなのです。
早く全日本人が日蓮大聖人を我が魂としなければいけない。
すなわち、日蓮大聖人を命かけて信じまいらせ、その御名を南無妙法蓮華経と唱え奉るとき、その人は仏様の子供となる。これが「地涌の菩薩」なのであります。
諸法実相抄には
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と。
大聖人様に同意し奉るならば、その人はもう地涌の菩薩なのです。
さらに
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と。
―末法において南無妙法蓮華経と我も唱え他人にも勧める者は、男性・女性の区別はない、みな地涌の菩薩である。地涌の菩薩でなくて、どうしてこのお題目が唱えられようか――と。
さらに
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へ伝うるなり。未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非ずや。
剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と。
この地球上で始めて南無妙法蓮華経と唱え出だされたのは、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人ただ御一人であられる。その御唱えが次第に伝わっていく。これ御本仏の眷属たる地涌の菩薩が次々と出現するということです。
そして広宣流布の時には、日本一同が南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、「大地を的とするなるべし」と御断言下されている。何と有難いことか。
大聖人様が「大地を的とする」と御断言されたことが虚しくなることがありましょうか。この広宣流布に向かっていま顕正会は驀進している。そしていよいよ広布の決戦場に到達しているのであります。
地涌の菩薩は「蓮華」に譬えられている。蓮華は泥水に染まらない。地涌の菩薩も世間の濁りには染まらない。いや染まらないだけではない、世の中が濁れば濁るほど、「だから早く広宣流布しなければ…」との決意に立つ。これが地涌の菩薩であります。
また地涌の菩薩は「志念堅固にして大忍辱力あり」と法華経の涌出品には説かれている。
すなわち広宣流布の一念信が堅く、いかなる悪口中傷にもへこたれないということです。
だから、たとえ逆縁が続いても、弱い心を起こさず、この「志念堅固にして大忍辱力あり」こそ地涌の菩薩の資格なのだと、この思いを胸に抱きしめてほしい。
広宣流布前夜に生まれ合わせた顕正会員こそ、ともに励まして御奉公を貫き、大聖人様に応え奉りたいと、私は念願しております。
さて、話は変わります。
広宣流布前夜の日本における「同士討ち」すなわち自界叛逆について述べたいと思っております。
出世本懐成就御書には「総罰」について、次のごとく仰せられている。
「日本国の大疫病と、大飢渇と、どしうちと、他国より責めらるゝは総罰なり」と。
この総罰は、日本一同が日蓮大聖人に背き迫害したゆえに、「始めは事なきやうにて終に亡びざるは候はず」との仰せのままに、ついに弘安年中にいたって現われたものであります。
すでに大聖人御入滅後七百有余年、日本の人々は未だに大聖人様を信ぜず、背き続けている。
さらにそれよりも重大な失は、いま正系門家において、学会は国立戒壇建立の御遺命に背いたのみならず、あろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉った。一方、宗門の阿部日顕は対学会闘争のために、戒壇の大御本尊を敵視する身延派とも手を結んだ。
これらの「極限の大謗法・師敵対」、どうして諸天が許そうか。
ここに、大聖人仰せの総罰が、広布前夜の日本に再び現われてくるのであります。
見てごらんなさい。
総罰の中の「大疫病」とは、いま全世界に蔓延している新型コロナウィルスではないか。
「大飢渇」とは、食糧危機だけではない。いま発生しつつある世界大恐慌がこれに当る。やがて大規模な失業が発生して大衆に生活苦をもたらす。これが「大飢渇」です。
そして「どしうち」とは自界叛逆。「他国より責めらるる」とは他国侵逼。この二つは、これから起こる亡国の二難であります。
「どしうち」が先に起き、そののち他国侵逼が起こることは、諸抄に示されているとおりです。すなわち自界叛逆は他国侵逼の先相・前触れなのであります。
この他国侵逼について思うに、いま日本を侵略する国は、隣の中国以外にはあり得ない。
中国は共産党の独裁政権で「世界制覇」を公然と国家目標に掲げている国です。具体的にはこうも述べている。
「2020年代にアジアから米国勢力を駆逐し、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」と。まさに修羅界の国であります。
いま中国の軍事力は、アメリカ本土に届く核ミサイル「DF41」をはじめ、海軍力も宇宙・サイバー分野においても、米国と肩を並べつつある。
実はこの中国は、毛沢東が1966年(昭和41年)に起こした「文化大革命」と称する国内の覇権争いによって、経済が崩壊してしまったのです。だから1970年代半ばまでは、世界の最貧国の一つと言われていた。
それがなぜ今、アメリカを脅かすほどの軍事超大国になったのか――。
それは、毛沢東国家主席の片腕で政治的手腕に勝れた周恩来首相が、日本の池田大作を利用したことによるのです。
周恩来は、「中国経済を建て直すには、日本の力を利用する以外にない」と考えていた。しかし当時の日本は佐藤栄作氏が総理大臣だった。この政権は台湾と親密で、中国に対しては厳しい姿勢をとり続けていたのです。
なぜ佐藤政権が台湾を大事にしたかというと、台湾の蒋介石総統は日中戦争においては日本と戦ったが、日本が敗れて極東軍事裁判が行われたとき、ソ連(現在のロシア)が「日本の天皇を絞首刑にしろ」と強く主張した。他の国々もこれに賛成した。このとき、蒋介石総統だけは強くそれに反対したのです。
この蒋介石は中国人であるが、日本の陸軍士官学校を卒業している。だから日本のことをよく知っている。この人だけが「天皇を絞首刑にすること、自分は断固反対する」と述べ、大勢もそれに靡き、辛うじて天皇の絞首刑が防がれ、皇室の命が繋がったのです。佐藤栄作総理もこのことはよく知っていたに違いない。
私もこのことには恩義を感じております。
それは、日本の皇室には仏法守護の大使命があるからです。今はまだこの使命にめざめていないが、時いたれば、桓武天皇のごとく、仏法を守護されるのです。国立戒壇建立のときは、その南西方角に王城(宮城)が建てられることが、日興上人の「富士一跡門徒存知の事」には示されております。
それはさておき、佐藤政権においては台湾と親交を結び、中国には厳しい姿勢を取り続けていたのです。
そこで周恩来は「民(民間)を以て官(政府)を動かす」として、創価学会・池田大作に目を付けたのです。
周恩来は、創価学会が三百万を達成したころから学会の動向に関心を懐き、部下の孫平化に「創価学会と接触して調査するように」と指示していたという。
そして創価学会の接触には、有吉佐和子という有名な女流作家が利用された。有吉さんは文学を通じて中国に知己が多く、幾たびも訪中を重ねていた人です。
周恩来はあるときこの有吉さんを招いて、こう告げたという。「創価学会の池田会長をぜひ中国に招待したい。ついてはこの旨を、あなたから池田会長に伝えてほしい」と。
有吉佐和子は昭和40年6月、池田会長と面談し、この旨を伝えた。
これより、いよいよ池田大作の「日中国交正常化」をめざす活動が始まったのです。
彼はまず秋谷栄之助青年部長を中心とする青年グループを訪中させた。
次いで昭和43年9月、池田大作は自ら学会の学生部総会において2万人を前にして、「日中国交正常化」について提言なるものを発表した。その内容は「国交正常化」に加えて「中国の国連加盟」や「日中貿易の促進」までも含めた、まさに中国を喜ばせるもの、中国にへつらうようなものであった。
次いで池田大作は昭和46年7月、公明党議員団をはじめて訪中させた。
そしてその翌年の第3次公明党訪中団に対して、なんと周恩来が直接、日中国交正常化についての自身の腹案を述べたのです。
このとき、公明党の竹入委員長は畏まって、その口述を一字半句も洩らさず筆記して、そのメモを帰国後、直ちに、時の総理大臣・田中角栄に手渡した。
そのメモには「日中戦争における賠償は求めない」などの文言が並べられていた。これを見て田中角栄もすっかり乗り気になり、日中国交回復の決断をしたのです。
まさに池田大作・公明党が、日中の橋渡しをし、それに田中総理大臣が乗ったのであります。
かくて昭和47年(1972年)――私はこの年号だけは忘れたことがない。すなわち偽戒壇・正本堂が完成した年ですよ。そしてこの年の9月29日、ついに「日中国交正常化」が成立したのであります。
池田大作はこの2年後の昭和49年、初めて訪中した。以後、彼の訪中は10回に及んでいる。かくて学会と中国の関係は、双方の利害が一致して驚くほど深まっていった。
そして日本政府は「日中国交正常化」以後、平成30年まで、実に40年間も、中国に対してODA等で莫大な経済支援を続けた。この支援により中国経済は息を吹き返し、今日の軍事超大国となったのであります。
しかるに今、中国は恩を感ずるどころか、中国の核ミサイルは日本に向けられている。また中国の艦船は尖閣諸島を取り囲んで動かない。まさに恩を仇で返している。日本は自分の首を絞める縄を、中国に作らせてしまったのです。
まさしく池田大作は、周恩来のワナに嵌められたのであります。
周恩来はこう見ぬいていたに違いない。
「政治野心と功名心に燃える池田大作なら、日中国交回復という歴史的な大テーマに必ず乗ってくる」と。
そしてそのとおりになってしまったのです。
これを仏法の上から見れば
第六天の魔王は、池田大作に御遺命破壊をさせるとともに、日本を侵略する隣国の軍事的増強までもなさしめた、ということです。
だから時系列で見ると、「御遺命破壊」と「日中国交回復」は同時進行です。
すなわち池田大作が学会本部総会で始めて正本堂の建設計画を発表したのが昭和39年5月。その翌年の6月、有吉佐和子が始めて池田大作と面談して周恩来の伝言を伝えている。これから池田大作の活動が始まったのです。
また「正本堂」の完成は昭和47年10月。「日中国交正常化」の成立はそのひと月前、まさに同時進行だったのであります。
さて、米中の対決は日を追うごとに厳しさを増していますね。アメリカ大統領選がまもなく行われますが、トランプが勝とうが、バイデンが勝とうが、この構図は変わらない。
米中対立の狭間にあって、果して日本は存立し得るのか。
日本は昭和20年の敗戦以来、独立国家として基本的権利である自国の防衛すら制約され、これをアメリカに委ねて基地を貸すだけの、属国的な平和を享受して来たのです。
しかし、いつまでもこのような属国的平和が続くわけはない。
いま中国はあらゆる謀略を駆使して、日米の離間を謀っております。
中国のスパイ活動は凄いですよ。これはと思う日本人に目を付けて、学者であれ政治家であれ、次々と賄賂で中国に協力させていく。このような謀略をすでに長期にわたり、大規模に行ない、離間を謀りつつあるのです。
米中の対決が激しくなるにつれ、日本は「米国に付くのか」「中国に付くのか」が、双方から厳しく求められてくる。
つい先日、米国のポンペオ国務長官が来日して、日本・米国・豪州・インドの外相会議を仕切っていたのも、この表われです。これに対して中国は「中国包囲網の形成である」として猛反発している。
日本の立場からすれば、同盟関係にある米国に付くのが当然です。
だが、もし米中戦争が始まったら、中国は真っ先に、米軍基地が多数設けられている日本を、核ミサイルで潰滅させるに違いない。
かといって中国に付けば、チベット・ウィグル・香港等の先例を見ればよくわかる。忽ち日本もそのようになってしまう。
ここで国論が二分するのです。米国に付くべきか、中国に付くべきかと。
しかし常識から見れば、中国に付くという選択肢はあり得ないのです。
だがいま、自民党の中にも、与党の中にも、中国寄りの勢力が力を得つつある。
自民党の二階俊博幹事長は菅政権を成立させた実力者で、いま自民党を仕切っている最高実力者ですよ。
この二階の、中国への傾倒ぶりは異様ですね。彼は平成12年には5000人、平成27年には3000人というケタ違いの訪中団を組織して中国へ渡っている。
また中国の清華大学といえば、国務院教育部直属の国家重点大学ですが、二階幹事長はどういうわけか、この大学の名誉客員教授に任命され、この大学で基調講演までしている。
また新型コロナが中国で猖獗を極めたとき、彼は33万着の防護服を習近平に送り、その礼状まで公表されている。この防護服は東京都が備蓄していたものを小池都知事に提供させたのです。当然、東京都の防護服は不足する。しかし小池は都議会の承認も得ずに、心を通じている二階にそれを渡してしまった。
また習近平の「国賓訪日」を推進しているのも二階だといわれている。彼は「21年にはこれを実現したい」と言っている。
この二階は、アメリカの保守派からも「中国に媚びる政治家の筆頭」として名指しで批判されている。
とにかく二階は中国と太いパイプで繋がっているのです。このパイプの実態は誰にもわからない。
さらに前述のごとく、池田大作以下、創価学会・公明党の親中ぶりも異常です。まさにいま親中派の一大勢力になっている。
また日本政府は「観光立国」を掲げているが、これも膨大な訪日中国人によって成り立っているのです。
貿易上の利益から親中派になっている財界人も多い。
このような情況で、もし日本の国論が二分して親米・親中の争いが始まれば、まさにこれこそ「どしうち」となる。そしてこの「どしうち」が他国侵逼を招くのであります。
強大な核兵器を保有する中国の他国侵逼は、日本を瞬時に潰滅させ得る。
中国の多弾頭核ミサイル「DF41」は一基に数個の核弾頭が搭載されており、数ヶ所の大都市を同時に襲うことができる。この一基で、数千万人を瞬時に殺すことができるという。アメリカすらこの破壊力に脅威を感じているのです。
日本が亡国を遁れる術はない。
このとき日本をお救い下さるのは、諸天に申し付ける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せあそばす。
そして大聖人様の徹底せる御化導たるや、実にこの他国侵逼の大罰を用いて、一時に広宣流布をあそばすのです。
ゆえに上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
また撰時抄には
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ、或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼の憎みつる一の小僧を信じて、乃至、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」
と御断言下されている。
このとき、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に教え、広宣流布のお手伝いを申し上げるのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外にはあるべくもない。
いいですか。
仏法の上からは、親米も親中もないのです。仏法はそんな小さなレベルではない。
日本はアメリカの属国でもなければ、中国の手下でもない。
日本は一閻浮提第一の御本仏・日蓮大聖人が御出現あそばした国であります。
日蓮大聖人の本国だから「日本」という。三大秘法広宣流布の根本の妙国だから「日本」という。
これは私が言うのではない。日寛上人の仰せであります。
日蓮大聖人こそ日本の柱であられる。
そして大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉る国立戒壇を建立してこそ、始めて日本は金剛不壊の仏国となり、世界をも救う国となるのであります。
顕正会は、この大確信に立って、広布最終段階の大事な御奉公を貫きたい。
三百万の仏弟子の大集団が一結して、大聖人様の御心のままに一国を諫暁するとき、日本は必ず動く。
さあ、本年最後の十一月法戦、ともに励まし、明るく二百二十二万を成し遂げ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)