きょうの総幹部会も素晴らしいですね。
始めの体験発表から活動報告・論題と、総勢十一人でしたが、一人ひとりの登壇が清純な信心と広宣流布の決意に満ち、私はうっとりとして聞いておりました。
月々の総幹部会によって、広宣流布の局面が大きく開けゆくを、私は強く感じております。
さて、広宣流布の決戦場・第二年の初陣たる二・三・四月法戦、全顕正会にみなぎる気魄はまことに凄いですね。
この法戦は「二万」の誓願を立てて前進を開始しましたが、三月二二日の定期報告日ですでに二万を突破し、顕正会の会員総数は「二二四万〇四六八名」となりました。この信心の赤誠、私はただ有難い。
いよいよ四月、歓喜の大前進で、誓願を大きく突破したいと念願をしております。
この力強い前進が叶うのも、顕正会が御遺命を守り奉る唯一の仏弟子の大集団なるがゆえに、大聖人様が御守護下さるのであります。
創価学会を見てごらんなさい――。
今や全く死身弘法の精神は消え失せてしまったでしょ。「世界広布」などという虚しい掛け声だけは聞こえるが、ではいったい日本の広宣流布はどうなったのか、御遺命の戒壇建立はどうなったのか。もう一切言えなくなってしまった。
そして今やっていることは選挙活動だけ。その選挙も獲得票数が大幅に減少しつつある。
どうしてこうなったのか。それは
池田大作が政治野心を懐いて、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇を否定して、偽戒壇・正本堂を建てて御遺命を破壊したこと。
そのうえ、あろうことか、大聖人出世の御本懐であられる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉ったゆえです。
このような大謗法・師敵対をして、どうして池田大作・創価学会が亡びぬことがありましょうか。
大聖人様は建治三年の四条抄において、次のごとく仰せ下されている。
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給はば、蘇我が如くなるべし」と。
いいですか。「日蓮が申す事」の中には、「国立戒壇建立」の御遺命ほど重大なものはない。ゆえにもしこの御遺命に背いたならば、飛鳥時代に日本第一の権勢を振るった蘇我入鹿が一時に亡んだごとく、誰人も身を亡ぼすのです。
池田大作が国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇・正本堂は、すでに崩壊したではないか。さらに池田大作自身も今や「生ける屍」のごとくになってすでに十年余。
まもなく学会が音を立てて崩壊すること、火を見るより明らかであります。
一方、宗門はどうか――。
本来ならば「時の貫首」は、学会のこの御遺命破壊を見たら、断固としてこれを打ち摧かなければいけない。しかるに、細井日達・阿部日顕の二代にわたる貫首は、池田大作の強大な権力と金力にへつらい、これに与同して国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
大聖人様はこのような大悪を断じてお許しにならない。
「もし時の貫首の権威を憚り学会の強大を恐れて、この大悪を黙過したら、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」
私はただこの不忠を恐れて、御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
そして諫暁が進むにつれ、宗門と学会の間に亀裂が生じ、醜悪なる抗争が始まった。まさにこれが罰です。今まで一枚岩のごとくに癒着していたのが、顕正会の諫暁が進むにつれて次第に疑心暗鬼が生じ、お互いに罵り合う、醜い抗争を始めたのです。
学会の経済支援を失った宗門は、そのままでは僧侶の生活が成り立たない。
そこで早瀬日如管長は登座三年後の平成二一年に、法華講員を増やそうとして、「法華講員八十万人体勢の構築」なるものを大々的に打ち出した。すなわち「平成三三年(令和三年)の日蓮大聖人御誕生八百年までに、法華講を八十万人にする」との号令を発したのです。
だが、私は思う。
このようなことを言い出す前に、なぜ御遺命に背いた大罪を、大地に身を投げて大聖人様にお詫び申し上げないのか。
この改悔なくしては、弘通など口にする資格もないではないか。
所詮、学会も宗門も、大聖人様を忘れているのです。大聖人の御眼を恐れてない。これを無道心というのです。
このようにふざけた「八十万人体勢の構築」など、できるわけがない。
その後、宗門は毎年・毎年、折伏が進んでいるような宣伝だけはしていたが、実態は沈滞そのものであった。
その証拠が、毎年正月の一・二・三の三日間に、法華講が総力を挙げて本山に参詣する「初登山」の人数に現われているのです。
早瀬日如管長が登座した直後の平成一八年の初登山人数は「二万七〇三二人」だった。ところがその後、年々減り続け、昨年令和二年には、なんと「一万七一八〇人」に減ってしまった。これは法華講連合会の機関紙「大白法」の発表による。実に登座以来の十五年間で約一万人も減ってしまったのです。
これでどうして「八十万人体勢」などできようか。
しかるに早瀬日如管長は宗門機関誌「大日蓮」に掲載した本年の「年頭の辞」において、突如
「今回、見事に八十万体勢構築の誓願を達成することが出来ました」
と発表した。
ところが、この「年頭の辞」に続けて掲載されている宗務役僧や各布教区代表の「新年の御挨拶」を見ると、みな口をそろえて「今年こそ八十万体勢めざしてがんばります」と言っている。一人として「達成した」などと言ってない(爆笑)。
つまり早瀬管長だけが面子上、大ウソをついた(大笑)ということ。僧侶たちはみな「できやしねえ」(大爆笑)とシラけていたのです。
所詮、今の宗門は信心を失っているのです。
だから、ある時は学会にへつらって国立戒壇を否定して正本堂のたばかりに協力し、学会と争いを起こせば、こんどは身延派の坊主まで本山に招いて連携した。
清浄なる大石寺に、身延派の坊主をいったい何回招いたことか。その中には、身延派管長に就任する直前の……何て言ったかな、あれは、(田中日淳です)そうそう田中日淳だったね、私はこういう身延の坊主の名前はすぐ忘れるようにしている(大爆笑)。
そして今「八十万体勢」などと虚勢を張って、その挙句に大ウソを吐いて平然としているのです。
その行動原理はただ保身だけ。私はこの姿を見て
「大聖人様の御眼を恐れよ」と言いたい。
このように、学会も宗門も大聖人様に背き奉る中に、顕正会だけは一筋の忠誠を貫き通した。
顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに、一万二千のとき死罪に等しき解散処分を受けた。しかし微動もせずにそれを乗り越え、今ついに二二四万の死身弘法を成し遂げ、まもなく三百万に達せんとしている。
この濁悪の日本国の中に、大聖人様の仰せのままに、身を捨てて広宣流布に戦う仏弟子の大集団が出現したこと、何と不思議か。
この不思議、ただ大聖人様の御守護によるのであります。
この三百万が一結して「日蓮大聖人を日本国の柱にせよ」と一国を諫暁するとき、亡国を眼前にした日本は必ず動く。そして広宣流布の道は一気に開くのです。
広布最終段階に、大聖人様に御奉公を申し上げる仏弟子の集団は、もう顕正会以外にはない。私はこの確信を月々日々に深めておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さて話は変わります。
きょうの総幹部会もそうでしたが、全国各地で行われる集会でも、「良き臨終」についての報告がまことに多いですね。
私はこの報告を聞くたびに、有難さが込み上げてくるのです。
そうでしょう。三毒強盛の我ら凡夫が、わずかな信心で成仏させて頂けるのも、これ偏に大聖人様の大慈大悲による、御本尊様の仏力・法力によるのです。
いま顕正会員は、大聖人様の仰せのままの信心をして、仰せのままに成仏を叶えさせて頂けること、なんと有難いことか。
臨終は人生の総決算であると同時に、その臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が現われる。だから臨終は人生の最大事なのです。
大聖人様は御幼少の時から、臨終の大事を見つめておられた。ゆえに妙法尼御前御返事にはこう仰せ下されている。
「日蓮幼少の時より仏法を学し候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり、乃至、されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあら勘へ集めて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と、並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、少しもくもりなし。此の人は地獄に堕ち給う、乃至、人・天とは見へて候」と。
大聖人様は十二歳のとき、学問修行のため清澄山に上られ、三十二歳まで血の滲むようなご研鑽をあそばされた。その中、幼少のときから念願されたことは「臨終の事を習うて後に他事を習うべし」の一事であられた。
そして大聖人様は「一代聖教」を解釈した印度・中国の論師・人師の書釈をあらあら集め、これを鏡として
「一切の諸人の死する時」とは、死ぬときに狂乱して七転八倒して苦しんで死ぬか、あるいは臨終正念で穏やかに死ぬかということ。
「臨終の後」とは、死してのちの相が善相か悪相かということ。
これらを「一代聖教の論師・人師の書釈」を明鏡として引き向けてみたとき、少しもくもりなく、この者は地獄に堕ちた、乃至、人間界・天上界であるということがわかった――と仰せられている。
では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏を遂げる相とはどのようなものか。千日尼御前御返事には
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、あなる事兜羅綿の如し」と。
すなわち、地獄に堕つる者は死してのち、身体全体が黒くなるうえ、遺体がたいへん重くなる。だが成仏する者は、たとえ生前、色が黒くても、死してのち色が白くなり、その遺体は軽く、かつ柔らかになる――と仰せ下されている。
なんとも不思議な現証ですね。臨終だけは人の意志の及ぶところではない。しかるに臨終の法則性をこのように説き切る仏法の凄さ、仏様の御智恵の透徹には、誰人も頭を下げざるを得ない。
しかし、未だ仏法を知らぬ日本の人々は、生命が三世にわたって連続することも、臨終の相に善悪があることも全く知らない。この厳粛なる事実を知るとき、誰人も日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。
よって広告文の始めに、私は臨終のことをまず掲げたのであります。
もし日蓮大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人も一生成仏が叶う。
ゆえに大聖人様は上野抄に
「御臨終のきざみ生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」と。
さらに北条弥源太殿御返事には
「此の事、少しも虚事あるべからず」
とお示し下されている。必ず大聖人様がお迎えに来て下さるのであります。
ただし、信心が弱ければ一生成仏は叶わない。ゆえに新池御書には
「信心弱くして成仏の延びん時、某をうらみさせ給うな」と。
また大聖人様の御心に背くならば、必ず臨終には悪相を現ずる。ゆえに顕立正意抄には
「我弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時、我を恨むべからず」
と厳しく仰せ下されている。
顕正会員は、大聖人様の仰せのままの信心を貫き、何としても一生成仏を遂げさせて頂きたい。ただこの願いだけであります。
さて、以上のごとく、人生の最大事は臨終の善悪ですが、では国家の最大事は何か。それは、国が亡ぶことであります。
建治元年九月の蒙古使御書にはこう仰せられている。
「一切の大事の中に、国の亡ぶるが第一の大事にて候なり」と。
国家の滅亡は、すべての国民に想像を絶する悲惨をもたらす。ゆえにこれを「第一の大事」と仰せ下されているのであります。
では、亡国の根本原因とは何か。
この日本国に、全人類を仏に成さんとして三大秘法をお勧め下さる大慈大悲の日蓮大聖人様が御出現あそばされたにもかかわらず、当時の日本国は、邪法の悪僧らに唆されて一国こぞって大聖人を憎み、流罪・死罪に処し奉った。ここに他国侵逼が起き、日本は亡びんとしたのです。
まさに日蓮大聖人に背き奉ることこそ、亡国の根本原因なのです。
この大事を一言で仰せ下されたのが
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との金文であります。
ゆえに大蒙古の第一回の侵略があった直後の文永十一年十一月、大聖人様は「聖人知三世事」を著わされ、次のごとく仰せられている。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀して刀杖を加え、流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」と。
「一閻浮提第一の聖人」とは、インド出現の熟脱の教主・釈尊より勝れた下種の御本仏、すなわち久遠元初の自受用身ということ。
この御本仏を一国こぞって謗り、御頸を刎ねんとし、流罪に処した。ゆえに仏法守護の梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は、隣国に命じてこの日本を責めしむるのである――と。
この仰せを拝せば、隣国の蒙古が、大聖人様の御化導に符節を合わせるように、急速に軍事超大国に成長した不思議も、よーくわかる気がいたします。
すべては大聖人様を守護し奉る諸天の働きです。そして、この諸天に申しつける絶大威徳の御本仏が日蓮大聖人であられる。
私は、この大蒙古と現在の中国が、まことによく似ていると思っております。その侵略性といい、成長の急速さといい、まさに時に応じて出現した国だと思っております。
蒙古は中央アジアの草原の一遊牧民族が、ジンギスカンの出現によって急速に勢力を拡大し、ついには東は極東の沿海州から西は地中海にいたるまでの、空前絶後の大帝国を築くにいたった。
今でもこれは歴史上の謎です。あの広大な地域を、通信手段もなく交通機関もない時代に、どうやって支配し統制し大帝国を築くことができたのか。
この不思議、やはり仏法にその縁由がある。ゆえに大聖人様の御化導に符節を合わせて、このような超軍事大国が出現したのです。
一方、中国を見れば、1970年代半ばまでは世界の最貧国の一つであったが、日本からODA等の経済支援を得ることに成功し、急速に経済が回復して、今やアメリカに次ぐ世界第二の経済大国にのし上がった。
この中国は、中国共産党の一党独裁の国であるから、そのめざすところは軍事超大国で、世界制覇を国家目標としている。
今やアメリカ本土にまで届く核ミサイルを始めとして、陸軍・海軍・空軍・宇宙部隊と、その戦力はアメリカをも脅かし、全世界に脅威を与えつつある。
中国共産党を仏法の十界に当てはめれば、まさしく「修羅界」そのものです。
ゆえに国内においては、習近平率いる9200万人の共産党員が、14億人の中国人民を抑圧し虐げている。そして外には、他国の領土であろうと平然と領有権を主張し侵略することを常套手段としているのです。
日本との関わりで中国の動きを見れば――
この中国が尖閣諸島の領有権を突如主張したのが1971年です。この年は偽戒壇・正本堂が完成する一年前。まさに御遺命破壊と同時進行で、日本への侵略が始まったのです。
ついで中国は1992年に「領海法」を制定して、東シナ海・南シナ海を中国の領海と規定し、同時に尖閣諸島・南沙諸島・西沙諸島をも中国の領土と規定した。
さらに2010年2月には「国防動員法」を制定し、同年7月1日にこれを施行した。
この国防動員法というのは、一言で言えば戦争動員法です。つまり戦争に必要なヒト・カネ・モノを中国政府が自在に動員できるようにした法律です。
対象となっている「ヒト」について言えば、中国に住んでいる人民だけではない。世界各国に在住している中国人がすべて、この国防動員法が発令されれば中国政府の命令に従わなければならない、その義務を負わせたのがこの法律です。
だから日本に住む中国人も動員されて、「便衣隊」という民兵にされてしまう。
2008年北京オリンピックの際の聖火リレーで、長野では五星紅旗といわれる中国の赤い国旗が沿道に林立したでしょ。このときすでに在日中国人に動員がかけられ、あの騒ぎが起きたのです。
現在、在日中国人は100万人を超えている。もしこれら中国人が動員されて一斉に中国政府の命令のまま民兵として行動を起こしたらどうなるか。
また中国には日本の企業が多数進出しているが、もし国防動員法が発令されれば、その工場も、そこで働く日本人も、すべて中国政府の命令によって動員される。
このように恐ろしい法律が「国防動員法」で、2010年7月1日には施行されているのです。
そのうえで、本年2月1日に「海警法」が施行されたのです。
先般も申しましたが、この海警法というのは「尖閣諸島は中国の領土である」という大ウソを前提としたうえで
「尖閣諸島の中国海域に入り込んだ日本の船舶に対しては、海警局の艦艇は発砲等の武力を行使してよろしい」と決めたものです。
まさに「盗っ人猛々し」の法律であり、日本に対する「宣戦布告」にも等しいものです。
いま機関砲を搭載した中国海警局の武装艦艇は、常時、尖閣周辺の日本領海に侵入して居座っている。
また3月18日には、中国海軍で最大規模の駆逐艦といわれるレンハイ級ミサイル駆逐艦など艦艇3隻が、対馬海峡を通って日本海に侵入している。日本列島はまさに東シナ海も日本海も、中国艦艇で取り囲まれるようになってきた。
中国海軍の戦力はすでに海上自衛隊を大きく上回わっている。そのうえ日本政府には国土を防衛する毅然たる意志がない。
だからアメリカの大統領が替わるたびに、何よりも先に「安保条約第5条の適用」を確認している。恥ずかしいですね。こんな独立国はない。これでは属国ですよ。
中国は明年2月の北京冬季オリンピックまでは動きを抑えるであろうと、私は思っております。
この北京オリンピックには、まさに中国と習近平の威信がかかっている。だから国を挙げて盛大にやるでしょう。しかしウィグルの暴虐が世界に知れ、北京での開催に異をとなえる国々も出て来た。選手団を派遣しない国も出そうです。
しかし中国は国家の威信にかけても強行する。とにかく中国は冬季オリンピックが終わるまでは、ことを起こさないと思われる。
しかしそれが終わったら、いよいよ隙を窺って尖閣を奪い、沖縄を侵し、ついには日本本土を侵略するに違いない。
弘安四年の十字御書の
「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとくわざわい来たるべし」
との仰せはこのことです。
いいですか。
大聖人様の御頸を刎ね奉らんとした血の凍るような大逆罪、その大罰としての他国侵逼の大難は「現当二世にのがれがたし」です。すなわち御在世だけではない、広布前夜の日本にも必ず現われるのです。
大聖人御入滅後すでに七百余年。だが日本一同は未だに大慈大悲の御本仏を信ぜず、背き続けているではないか。
そのうえ、一国を諫めるべき正系門家は、学会・宗門ともに国立戒壇の御遺命に背いて偽戒壇・正本堂のたばかりをし、罰によって仲間割れが起こるや、学会はあろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉り、一方、宗門は大御本尊を「営利の具」として御開扉料稼ぎに狂奔している。なんという無道心、恐れ多いことか。
この師敵対、この大謗法、この無道心、どうして諸天が許しましょうか。
ここに諸天の力用により、圧倒的な軍事力を持つ中国が日本を襲うのです。
だが、大聖人様の大慈大悲と絶大威徳たるや、この亡国の大難を用いて、重大なる御化導をあそばす。
すなわち御在世には、大蒙古の責めにより日本国中が怯え切る中に、一切衆生に対し未来に仏に成るべき種を心田に下して下さった。ゆえに曽谷抄には
「濁悪の衆生、此の大士に遇って仏種を殖うること、例せば水精の月に向かって水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し」と。
これが御在世の逆縁広布です。
そして未来日本国に亡国の他国侵逼が起こるとき、同じく恐怖に戦く日本一同を、大聖人様は一時に信ぜしめて下さる。ゆえに上野抄には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
これが順縁広布であります。
そして日本が広宣流布すれば、三大秘法は直ちに中国に流布する。
このとき中国共産党などは、太陽の前の朝露のごとく一時に消滅する。今でこそ猛々しいが、日本の広宣流布が終わったら、中国共産党は直ちに諸天の働きによって消滅してしまうのです。
いいですか。中国は、天台大師・妙楽大師の出現した国ですよ。天台は「後五百歳遠く妙道に沾う」といい、妙楽は「末法の初め冥利無きにあらず」と述べている。
これらは末法の始めに下種の御本仏が出現して必ず三大秘法が流布するとの予言です。この天台・妙楽が出現した国が、三大秘法にめざめぬはずがない。
またインドは釈迦仏出現の国です。釈尊は法華経の薬王品に「後五百歳中広宣流布」と予言している。末法の始めの五百年に、久遠元初の御本仏が出現して三大秘法が広宣流布するとの予言です。
かくて地球上の全人類が、日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。
ゆえに報恩抄には
「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。乃至、日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
「漢土」とは中国、「月氏」とはインド、「一閻浮提」とは全世界ということです。
なんと雄大なる御予言であられるか。大聖人様の慈悲昿大により、やがて全世界の人々が南無妙法蓮華経と唱え奉るようになり、その唱題の流れは未来永遠に続くと御断言下されているのです。
このとき地球上から、戦争も、飢餓も、大疫病も消滅し、人々は心ゆくまでお題目を唱え、一人残らず一生成仏を遂げさせて頂ける。なんと有難いことか。
そして、この世界広布の鍵は、実に日本の広宣流布にある。日本が広宣流布して、始めて世界に広宣流布するのです。
その日本の広宣流布は、大聖人様の御力により、もう間近であると、私は確信しております。
このとき御奉公を申し上げるのは、御遺命のゆえに解散処分を受けるとも大聖人様に一筋の忠誠を貫き、いま三百万に成らんとしている仏弟子の大集団・顕正会以外にはあるべくもない。
日本国はいま亡国眼前、しかも国内は異体異心でバラバラ。この中に
日蓮大聖人に南無し奉る異体同心の三百万があれば、日本は必ず動く。
さあ、迎える四月は本年初陣の締めくくりの月。全員で歓喜の大行進をしたい。
全組織が誓願を大きく突破して、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)