きょうの総幹部会も素晴らしいですね。一人ひとりの信心の熱誠の叫びに、私は胸打たれる思いでありました。
この大感動が、明日からネット配信を通して全国の顕正会員に伝わる。そしてその感動と決意により、広宣流布が滔々と進むのです。だから総幹部会は大事なのであります。
さて、本年最後の法戦九・十・十一月は、「二万」の誓願を立てて前進を開始いたしましたが、先ほど発表のごとく、誓願を大きく超える二万七千五九〇名の大折伏が、ついに成し遂げられました。もの凄いですね。
この大折伏を成し遂げた全顕正会員の熱烈な信心、弘通の真心を思うとき、ただ有難さでいっぱいであります。
いま正系門家において、大聖人様の仏勅、日興上人の御遺誡のままに、広宣流布を見つめて戦っているのは顕正会だけであります。
すでに学会は戒壇の大御本尊をも捨て奉り、崩壊しつつある。
そして宗門はいま餓鬼道に堕しつつある。
そうでしょう。宗門は、学会からカネが入るときは学会にへつらって、池田大作が国立戒壇を否定して正本堂を「御遺命の戒壇」と謀っても、これを承諾してほめ讃えた。
そしていま学会からの供養が入らなくなると、こんどは法華講員の尻を叩いて「御供養、御供養」という。さきほどの登壇にもありましたね。「葬儀で三百万円の供養を要求してきた」と。なんという貪欲の坊主か。
そしていま、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「営利の具」として、「付け願いでもいい」などと勧めている。「本山登山しなくても、御開扉料さえ出せばご祈念してくれる」のだそうです。
学会も宗門も、大聖人様の御眼を恐れない、大聖人様を忘れているのです。このような輩、広宣流布ができるわけがない。
いよいよ顕正会こそ、大聖人様の仰せのままに、一筋の御奉公に立たなければなりません。
大聖人様は竜の口大法難の直前、全門下に対し、次のごとく広宣流布の仏勅・大教令を下し給うておられる。
「仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも、いまだひろめ給わぬ、法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。
和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし。わづかの小島の主等が威さんを怖じては、閻魔王の責めをばいかんがすべき。仏の御使となのりながら臆せんは無下の人々なり」(下種本仏成道抄)と。
いいですか。
釈尊滅後二千二百二十余年の間、迦葉・阿難、乃至、天台・伝教等も未だ弘めなかった、法華経の肝心たる文底深秘の三大秘法が、いま末法の始めに全世界に広宣流布すべきその瑞相に、日蓮大聖人ただ御一人がさきがけし給うたのであります。
そして門下一同に対して
「二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし」
と大号令を下し給うておられる。
「わづかの小島の主等」とは、当時、日本国の国主であった北条一門のこと。人々が恐れる最高権力者さえも、大聖人様の御眼には「わづかの小島の主」に過ぎない。これら権力者の威しを怖じ恐れて退転したならば、死んでから閻魔王の責めをどうするのか。仏の使いと名乗りながら臆するは、まことにはかない人々である――と仰せ下されている。
まさに師子王のごとき御気魄ですね。これが、大聖人様が全門下に下された広宣流布の仏勅・大教令であります。
また二祖・日興上人は「御遺誡二十六箇条」に
「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」と。
随力弘通とは、それぞれの立場と力に応じて真心の弘通をせよということです。
顕正会は、三百数十名で昭和三十二年に発足したときから、この大聖人様の仏勅と日興上人の御遺誡を胸に、一筋に広宣流布の御奉公を貫いて来たのです。
だが、広宣流布の前夜には必ず第六天の魔王が、御本仏の御遺命を破壊せんとする。
第六天の魔王は、御在世には大聖人様の御命を奪わんとし奉ったが、広布前夜には大事な御遺命を破壊せんとする。これを乗り越えたとき、広宣流布が到来するのであります。
第六天の魔王は大慢心の池田大作の身に入った。
すると彼は忽ち「国立戒壇は選挙の邪魔になる」として国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂を建てた。そしてこれを「御遺命の戒壇」とたばかった。
このような大それた謀りは「時の貫首」こそ打ち摧くべきである。
ゆえに日興上人は御遺誡に
「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」と。
ところが二代にわたる貫首は、池田大作の強大な権力と財力にへつらって、このたばかりを摧くどころか全面協力した。かくて正系門家から国立戒壇建立の御遺命は完全に消滅したのであります。
大聖人様はいかが思しめされるか――。
滝泉寺申状には
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と。
また撰時抄には
「むしろ身命を喪うとも、教を匿さざれ」と。
また日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」
と厳しく御遺誡せられている。
もし学会の強大を恐れ、「法主」の権威を憚って、この御遺命破壊の大悪を黙過したら、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。大聖人様に申しわけない――ただこの一念で、私は御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
これより必死の諫暁は二十八年に及んだ。そして凡夫の思慮を絶することが起きたのです。
時は平成十年。総工費三百五十億円をかけ、絢爛豪華を誇った偽戒壇・正本堂は、ついに轟音とともに打ち砕かれ、地上からその姿を消してしまった。
これすべて、御遺命破壊の大悪を断じて許し給わぬ大聖人様の絶大威徳によるのであります。
この間のことを顧みれば、昭和四十九年八月十二日には、顕正会(当時妙信講)に対し、理不尽なる解散処分が下された。
その処分理由は
「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、さらに正本堂を御遺命の戒壇と定めた訓諭に異議を唱えたゆえに」
というものであった。すなわち、妙信講は国立戒壇を主張し、正本堂を認めないから解散処分にした、ということです。
この解散処分は、信徒団体にとってはまさに死罪に等しいものです。
そうでしょ。その処分内容はどういうものかというと――
本山登山は禁止する。御本尊の下附はしない。葬儀に僧侶を派遣しない。妙信講が所属する末寺妙縁寺には出入を禁ずる――というものであった。これで命脈を保てる信徒団体はあり得ない。
この解散処分は池田大作が宗門になさしめたものです。彼は顕正会が存在する限り、正本堂のたばかりは必ず露見すると恐れて、顕正会を抹殺せんとしたのです。
この「宣告書」を手にしたとき、私の胸には
「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であっては、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ。御遺命を守るに『懈怠の弟子』とのお叱りだけは免れる」
との思いが湧いた。
だが、広宣流布はいったいどうなるのか――。
御遺命に背いて平然としている学会・宗門に、広宣流布への大道念などあるわけがない。
このとき私は「遥拝勤行で広宣流布の御奉公を貫かん」と決意した。
大聖人様は
「御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
と仰せ下されている。
信心に距離は関係ない。どれほど遠く離れていようとも、恋慕渇仰して唱え奉るお題目は、直ちに大聖人様に通じ、戒壇の大御本尊様に通じ、大功徳が頂ける。
熱原の方々は大聖人様にお目にかかれなかったが、あの重大な御奉公をなされているではないか。
遥拝勤行こそ「忠誠の証」である。広布最終段階の信行である――この思いが沸々と胸に込み上げてまいりました。
この解散処分を受けたとき、顕正会はわずか一万二千であった。今ついにその死身弘法は三百万に達せんとしている。
末法濁悪の日本国の中で、また正系門家全体が御遺命に背く中で、大聖人様に一筋の忠誠を貫く三百万の仏弟子の大集団が出現するとは、何という不思議なことか。
これ大聖人様の御守護以外にはない。同時に厳たる御命令です。すなわち「いよいよ油断なく広宣流布を進めよ」との御命令であります。
来年は、広布の決戦場たる20年代に突入して第三年である。世界の混乱と日本の傾きはますます急テンポになると思われる。
いよいよ明年から広宣流布の加速度をつけ、何としても大聖人様に応え奉らんと私は決意しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さて、いま皇室が、大きく揺れ動いて来ましたね。
秋篠宮家の長女・眞子さんが、小室圭という青年と恋に落ち、皇籍を離脱して結婚し、日本を捨て二人でニューヨークの生活を始めたというのが、その発端であります。
この衝撃的な事実は心ある日本の人々を驚動させた。街頭では「結婚反対」とのプラカードを掲げた100人規模のデモ行進も行われた。また小室圭氏の母・佳代さんの金銭トラブルも週刊・月刊誌等で相次いで報道されるようになった。
著名な歴史学者の保阪正康氏は「文藝春秋」12月号で
「今回の眞子さんのご結婚問題が、皇室にもたらした影響は想像以上に大きく、このまま推移していくと天皇制の崩壊にも繋がりかねない」との、強い危惧の念を表明した。
また月刊誌「選択」は「『小室眞子さんの乱』という政治事件」と題して厳しい論評を掲載している。
伝えられるところによれば、眞子さんと小室圭氏は2012年、ICUの交換留学説明会で、小室氏が眞子さんの後ろの席に座ったことから親しくなり、1年後には、わずか22歳の若さの小室圭氏が、眞子さんにプロポーズしたという。
また圭氏が就職先に提出した履歴書には、虚偽が幾つもあったという。
さらに母・佳代さんにも金銭トラブルがあった。それは遺族年金の不正受給と傷病手当金の不正受給等。また息子・圭の学費を元婚約者から400万も借りて未返済というものです。さらに圭氏の父および祖父母の3人の自殺に関連して、佳代さんが反社会系の人の参加を求めて交渉したことなどが、広く伝えられている。
このようなことを知っても、眞子さんは佳代を支援する意志を示し、結婚への意志は揺るがなかった。
私には、眞子さんが小室母子に搦めとられたように見える。
昨年11月に眞子さんは「結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくための、必要な選択です」と主張した文書を公表している。
そして結婚と同時に皇室を離脱してアメリカに移住した。まさに彼女は皇室を捨て、日本を捨てたのです。「私」を優先して「公」を抛ったのです。
このような自分勝手な行動は、彼女の立場では許されない。
そうでしょ。彼女は次の天皇と定められている秋篠宮皇嗣の長女であり、その次の天皇になられる悠仁親王殿下の姉である。私的な「我」を通すことなど、許されない立場なのです。
何よりも将来、悠仁親王が即位されて立派な天皇におなりになったとき、その義兄が虚偽に塗れた佞人では、皇室の尊厳と信頼が損なわれるではないか。私はこれを心配する。
ここで思うことは、眞子さんが個人の自由を求めて「私」を優先するのも、天皇家の嫡系である内親王としての自覚がないからです。このことは秋篠宮にも大きな責任があるように思える。
皇族は天皇家を守護する藩屏なのです。天皇を守ることが皇族の第一の義務なのです。それが眞子さんにはわかっていない。
いや、この義務さえ、まだ世法上のレベルのことであって、もっともっと重大な使命が皇室にはある。
それは何か。すなわち
仏法を守護するという一大使命であります。
いいですか。
日本の皇室は、二千数百年にわたって永続している。このような王室は世界のどこにもない。世界の王室は続々と潰れているのです。その中で、日本の皇室だけは二千数百年も永続してきた。
そうでしょう。後鳥羽上皇以下三上皇が島流しになった「承久の乱」があっても、南北両朝並立という異常事態が発生しても、さらに織田信長等が政権を掌握した戦国時代でも、さらに占領軍の最高司令官マッカーサーですら、皇室を潰せなかった。
なぜこのように永続しているのか。
それは「仏法守護」という一大使命が、日本の皇室にはあるからです。
この日本は、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばす国である。ゆえに前もって、日蓮大聖人と三大秘法を守護し奉る王法が存在している。それが天照太神以来の万世一系の皇室なのです。
大聖人様は弘安四年に、最初で最後の申状を後宇多天皇に奏進され、その申状に「三時弘経次第」を添え給うた。
その三時弘経次第には、天照太神の「勅」として、次のような文言がある。
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべきの地なり。宜しく爾し就いて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌とともに窮り無かるべし」と。
この文意は
―みずみずしい稲穂が豊かに稔るこの日本国は、これ我が子孫が王となるべき地である。よって宜しく就いてこれを統治せよ。皇位を継承した天子が栄えることは、まさに天壌(天地)とともに窮りないであろう――ということです。
この天壌無窮の皇室が、仏法を守護した事例は、聖徳太子と桓武天皇のお振舞いを見れば明らかです。
日本に始めて仏法が、朝鮮半島の「百済の国」から渡ってきたとき、聖徳太子は出現された。
当時、豪族の物部氏は日本古来の神を崇めて、仏法を強く排斥した。
これを見て、聖徳太子は崇仏派の豪族・蘇我氏とともに敢然と物部と戦ってこれを打ち破り、始めて日本に仏法を打ち立てた。このときわずか十四歳です。
さらに聖徳太子は仏法を根本とした「十七ヶ条の憲法」を制定し、これを国家統一の指導原理とした。その第二条には
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」
とある。
まさに聖徳太子は、日蓮大聖人御出現の露払いとしての重大使命を果されたのであります。
また第五十代・桓武天皇は、伝教大師と南都六宗の代表を公場対決せしめ、邪正を明らかにせしめたのち、伝教大師を擁護して法華経迹門の戒壇建立に全魂を傾けた。これも大聖人御出現の露払いであります。
大聖人様は弘安元年の「法華初心成仏抄」において、桓武天皇を「今に賢王の名を留め給へり」と讃嘆あそばされたうえで、広宣流布の時の国主について、次のごとく仰せられている。
「今の国主も又是くの如し。現世安穏・後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給わば、万国に其の身を仰がれ、後代に賢人の名を留め給うべし。知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん」と。
―もし日本国の国主が、人々を現当二世に救うこの三大秘法を信じて一国に弘めるならば、その国主は万国にその身を仰がれ、後代に賢人の名を留めるであろう。人々は知らずとも、その国主こそまさに無辺行菩薩の化身である――と仰せ下されている。
この無辺行菩薩とは、上行菩薩の御化導を一体不二の御立場で扶けまいらせる大菩薩、すなわち日興上人の御事であります。
御相伝によれば、広宣流布の時にはこの無辺行菩薩が皇室に誕生され、万世一系の皇統を嗣がれる旨が示されている。これが「本化国主」であります。
ゆえに日興上人の「富士一跡門徒存知事」には
「是れ偏に広宣流布の時、本化国主御尋ね有らん期まで、深く敬重し奉るべし」
とある。この「本化国主」との仰せ、まことに重大であります。
この仰せを拝すれば、「本化国主」は広宣流布の時、必ず前生受持の「本門戒壇の大御本尊」を尋ねて、これを国立戒壇に安置し奉るべく「勅宣」を下されるのです。
これには前例がある。
観音菩薩の垂迹である中国の南岳大師、その後身たる聖徳太子は、前生所持の法華経を求めるために、小野妹子を遣隋使として中国に派遣し、南岳大師が所持していた法華経を取り寄せているのです。
いま末法において、無辺行菩薩・日興上人の後身たる「本化国主」が、前生受持の「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」を深く敬重し奉り、身命を賭して護持し給うこと、何の不思議もない。
これこそ三大秘法抄の
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」
との仰せの具体的な姿であります。
さらに日興上人は、国立戒壇と王城(皇居)との位置関係について、次のごとく仰せられている。
「一、王城の事。
右、王城においては殊に勝地を撰ぶべきなり。就中、仏法と王法とは本源躰一なり、居処随って相離るべからざるか。乃至、然れば駿河国富士山は広博の地なり。一には扶桑国なり、二には四神相応の勝地なり。尤も本門寺(国立戒壇)と王城と一所なるべき由、且つは往古の佳例なり、且つは日蓮大聖人の本願の所なり」と。
「往古の佳例なり」とは、伝教大師建立の比叡山・迹門の戒壇と、京都の王城は一つの所に建てられている。その前例を仰せられているのです。
まさに戒壇の大御本尊まします国立戒壇と王城が、相離れず、一つの所に建てられるべきが、ここに明確にお示し下されている。
すなわち、日本国の国主たる天皇が、国家・国民を代表して戒壇の大御本尊を守護し奉る。その大精神が「国立戒壇のすぐそばに王城を建てる」ということなのです。
これこそ、三大秘法抄に定められた「王仏冥合」「王臣受持」そして「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」の事相であり、これこそ大聖人様の究極の御本願・大願であられるのであります。
だが、広宣流布前夜には、必ず第六天の魔王が仏法を破壊せんとする。それに誑かされたのが、今の学会・宗門の姿です。
天魔その身に入った池田大作は恐れ気もなく、御本仏の唯一の御遺命たる国立戒壇を否定して偽戒壇・正本堂を建てた。宗門はこれにへつらい全面協力した。
その罰によって学会と宗門が抗争に陥るや、池田大作はあろうことか戒壇の大御本尊様をも捨て奉った。
一方宗門は、大御本尊の敵たる身延の悪僧どもとも手を結び、今や大御本尊を「営利の具」として御開扉料稼ぎに狂奔している。
このような無道心の輩に、大聖人様の深秘の御本願・究極の御遺命が、わかるはずもない。
顕正会は、一念も大聖人様を忘れ奉らず、理不尽な解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、その死身弘法はいま三百万に及ばんとしている。
この不思議、ただ大聖人様の御守護によるのです。
報恩抄には
「日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
広宣流布は、日蓮大聖人ただ御一人の慈悲昿大により成されるのであります。
広布最終段階の今、大聖人様の深秘の御本願、究極の御遺命成就のお手伝いをさせて頂けるとは、顕正会はなんと有難い宿縁か。
広布の決戦場20年代に入って、世界の動きはいよいよ急テンポであります。米国・中国の厳しい対立は「前代未聞の大闘諍」を招かんとしているし、世界恐慌を招くインフレもいま始まってきた。中国の日本侵略もいよいよ眼前に迫りつつある。
この亡国を遁れる術は、日蓮大聖人の仏法を立てる以外にはない。
佐渡雪中で大聖人様が仰せられた
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
この大師子吼を、早く全日本人に教えなければいけない。
さあ、全顕正会一結して、早く三百万を成し遂げ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)