きょうの総幹部会も素晴らしいですね。始めの体験発表から終わりの論題にいたるまで十一人、一人ひとりの登壇に、信心の歓喜と広宣流布の熱鉄の情熱がたぎり、大感動いたしました。
そしてこの総幹部会の感動が直ちに全顕正会に伝わって、それが広宣流布の戦いの原動力になるのであります。
いま日本国は、一国総罰たるコロナの感染拡大でみな怯えておりますが、その中で
大聖人様の仰せのままに三大秘法を弘め、人を救い、国を救わんと戦っている仏弟子の大集団は、ただ顕正会だけであります。
この清らかさ、まさに「末法濁悪の泥沼に咲く蓮華のごとし」と、私は思っております。
この二・三・四月法戦、「二万」の誓願を立てて前進をしておりますが、二月二一日現在で、すでに一万一千八二八名、五九%の大法弘通が成し遂げられております。
全顕正会員の熱烈なる信心、ただ有難い。
何としても大事な本年の初陣、「二万」を大きく突破して、大聖人様に応え奉らんと強く念願しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さてこのところ、人心の荒廃は目にあまるものがありますね。世の中がおかしくなって来たのです。おかしな事件ばかり立て続けに起きているでしょ。
昨年夏以降の主な事件だけでも――
8月には、都内の小田急線の中で36歳の男が女性を次々と切りつけ、10人が重軽傷を負うという事件があった。逮捕された男は「幸せそうな女性を見ると、殺したくなった」と供述していた。
憶えているでしょ、この事件。このとき私は「顕正会員の女子部・婦人部は気をつけなければいかん」(笑)「幸せそうな顔してはいけない」と言っておいた(大笑)。
10月31日には、京王線で8月の事件を模倣した事件が起きた。24歳の男が乗客を刺してライターオイルを撒いて車両に火を放った。この事件では17人が重軽傷を負った。犯人は「仕事や友人関係でトラブルがあり、死のうと思ったができず、2人以上殺せば自分が死刑になると思った」と述べている。
11月8日には、熊本県内を走行中の新幹線でまた放火未遂事件があった。69歳の男が車両の床にライターオイルを撒いて火を点けた。幸い火はすぐ消されたが、逮捕された男は「京王線の事件をマネしようとした」と言っている。
12月17日には、大阪の雑居ビル内4階のクリニックで、放火事件が起き、医師をはじめ25人が煙に巻かれて死亡した。大きな事件でしたね。
そして本年に入って
1月15日には、東大医学部志望の17歳の少年が、大学入学共通テスト会場の東大門前で、受験生ら3人を包丁で次々と刺すという事件が起きた。
1月27日には、埼玉県ふじみ野市で、66歳の男が、自分の母親が死んだのち、母親の訪問診療を担当していた医師ら7人のスタッフを自宅に呼び寄せ、「心臓マッサージをしてくれ」と無体なことを求めた。医師がていねいに説明して断わると、いきなり散弾銃で医師を殺害し、スタッフ1人に重傷を負わせた。
男は警察の調べに対し「母が死んで、この先いいことがないと思った。医師やクリニックの人を殺して自殺しようと思った」と述べていた。
2月9日には岡山で、5歳の女児を、34歳の母親と38歳の内縁の夫が暴行で死に至らしめたとの容疑で逮捕されている。
内縁の夫は、小さな椅子の上に置いた両手鍋の中に女児を約6時間にわたって立たせ続け、暴行を加えて死に至らしめたという。しかも2人は、鍋の中に立っている女児を見ながら、その傍らでジャレ合っていたことが、警察が押収した監視カメラで確認されている。
以上、最近6ヶ月のおかしな事件だけを挙げましたが、まさに人の心が荒み切っていますね。
こんな輩は人間ではなく、ケダモノですよ。生命の永遠も知らず、三世の因果もわきまえず、欲と瞋りと愚かの三毒のままに行動すればこうなるのです。
大聖人様は立正安国論に金光明経を引いて、こう仰せ下されている。
「一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って互いに相讒諂し、枉げて辜無きに及ばん」と。
―一切の人々がみな善い心を失い、縛ったり、殺したり、瞋り争うことばかりで、ついには罪のない人にまでその災いがおよぶ――と。
このような人心の荒廃は、政治の力でも教育の力でも、どうにもならない。
三毒の心を根底から変えて下さるのは、日蓮大聖人の三大秘法だけであります。
いいですか。
日蓮大聖人の御魂たる御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかに欲と瞋りと愚かにまみれた者でも、その心に大聖人様が宿って下さるのです。
このことを松野殿女房御返事には
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う」と。
この「釈迦仏」とはインド出現の釈迦仏ではないですよ。釈迦仏といっても、蔵・通・別・迹・本・文底と、六種類ある。蔵教を説いた釈尊、通教を説いた釈尊、別教を説いた釈尊、そして法華経迹門の釈尊、本門の釈尊、さらに根源の文底下種の釈尊がまします。
いまここに仰せの「釈迦仏懐まれ給う」の釈迦仏とは文底下種の釈尊、すなわち久遠元初の自受用身・日蓮大聖人の御事です。
日蓮大聖人が我が心に宿って下されば、心法が変わる、命も変わる。
貪欲の心は成仏を願う心に、瞋恚は慈悲の心に、愚癡は智恵に変わってくる。今まで自害害他、自分も不幸で人をも不幸にする命だったのが、自利利他の命に変わってくる。
勿体なくも我ら凡夫が、大聖人様の分身にならせて頂けるのです。
だから現世の生活も守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのです。
まさに人心の荒廃を根底から解決して下さるのは、日蓮大聖人の三大秘法だけなのであります。
先ほど立正安国論に御引用の金光明経の一部を引きましたが、御引用の全文を、日寛上人の御指南により元意の上から拝せば、その大旨は次のごとくです。
―この日本国において、「本門戒壇の大御本尊」ましますとも、国主はこれを流布せしめず、国中の人々もこの御本尊を信ぜず背き続けるならば、諸天善神はその国土を捨て去る。もし諸天が国土を捨ておわるならば、国主はその地位を失い、一切の人衆もみな善心がなくなってしまう。このとき、さまざまな天変地夭ののち、他国侵逼の大難が必ず起こる――と説かれているのです。
まさしく「国主の地位喪失」と「一切の人衆皆善心無く」の二つは、他国侵逼の前相・予兆なのです。
いま「国主の地位」は憲法第一条に
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と定められ、きわめて不安定になってしまった。
また「一切の人衆皆善心無く」は、もう説明するまでもない。誰の目にも明らかであります。
さればこの二つを前相・予兆として、後災たる他国侵逼の大難が起こることは疑いない。
そのうえ今、第六天の魔王の障碍により、なんと、大聖人様に忠誠を尽くすべき正系門家が師敵対に陥ってしまった。
こんなこと、曽ては全く考えられなかった。一般世間の者がどれほど善心を失うとも、正系門家だけは「だから早く広宣流布しなければいけない、大聖人様の仰せのままに戦わなければ…」との心を起こした。だが、いまや、正系門家一同が師敵対になってしまったのです。
このようなこと、七百年来の宗門の歴史に曽てない。だが、広宣流布の前夜には第六天の魔王の障碍により起こるのです。
すなわち第六天の魔王は、正系門家において最大の権力者たる池田大作の身に入った。すると彼はたちまち「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」との思いを懐き、国立戒壇を否定したうえで偽戒壇・正本堂を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽った。
まだ広宣流布もしていないのにどうして御遺命の戒壇が建つのか。三大秘法抄・一期弘法付嘱書の仰せに背いていることは明々白々ではないか。
しかるに池田大作は「時の貫首」に圧力をかけ、これを承認させようとした。
このとき、時の貫首上人が「衆議たりと雖も仏法に相違あらば、貫首之を摧くべき事」との日興上人の御遺誡のままに、これを摧いて下されば事は収まった。
だが、二代にわたる貫首は池田大作の権力・金力にへつらって、このたばかりに全面協力をしてしまった。
かくて、日蓮大聖人の唯一の御遺命たる「広宣流布の暁の国立戒壇建立」は、正系門家から完全に消滅してしまったのであります。
この御遺命破壊の罰により、学会と宗門の間で醜い抗争が始まった。
すると池田大作はあろうことか、本門戒壇の大御本尊様をも捨て奉った。これ極限の大謗法であります。
一方、宗門の阿部日顕は、対学会闘争の利を図って、戒壇の大御本尊を敵視している身延派とも連携し、これら大謗法の悪僧どもを相次いで大石寺に招き入れた。
そして今や戒壇の大御本尊を「営利の具」として、法華講員の尻を叩いては御開扉料稼ぎに狂奔している。
まことに恐れ多いことです。戒壇の大御本尊様は、広宣流布の時まで御宝蔵の奥深くに秘蔵厳護し奉らなければならぬのです。
学会・宗門ともに何たる無道心、何たる師敵対か。
所詮、池田大作も阿部日顕も、戒壇の大御本尊様に対し奉る信心が全くないのです。だからこのような大それた師敵対を平然となし得るのであります。
正系門家一同のこの師敵対こそ、前に述べた「一切の人衆皆善心無く」よりも、亡国を招くことにおいて百千万億倍の大悪、亡国の根本原因であります。
だが、大聖人様はこの大悪を断じてお許しにならない。ゆえに悪の元凶たる池田は亡び、学会は必ず崩壊するのであります。
建治三年の四条金吾殿御返事を拝してごらんなさい。
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」
と仰せ下されている。
ここに仰せの「蘇我」とは大和朝廷の豪族で、宿禰・馬子の代までは、朝鮮から渡ってきた仏法を崇め聖徳太子とともに仏法を守護した。よってその功徳で一門 大いに栄えたが、蘇我の入鹿の代にいたって、驕り高ぶり目にあまる悪行を重ねたので、蘇我一族は一時に滅亡したのです。
これを例として、大聖人様は
―たとえ我が門下であっても、信心も薄く大聖人の仰せに背く者は、必ず蘇我のごとく身を亡ぼす――と厳しく仰せ下されたのであります。
いいですか。
池田大作は大慢心を起こしたゆえに、大聖人様を蔑り、最も大事な御遺命である「国立戒壇」を否定したうえ、偽戒壇・正本堂の発願式では、正本堂建立の己の功績を誇って「発誓願文」なるもので、こう宣言した。
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」と。
言いも言ったりですね。「仏教三千余年、史上空前の偉業」と言ったら、大聖人様の御化導をも越えてしまうではないか。池田はこれほど慢心していたのです。
そのうえで、あろうことか、大聖人出世の御本懐であられる「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉った。
まさに池田大作こそ
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば…」
とのお叱りに当る大悪人です。だから必ずや蘇我の入鹿のごとくになるのであります。
彼は平成22年(2010年)の5月を最後に、学会員の前から突如、姿を消した。以後、一度も姿を現わしていない。以来12年にならんとしているが、彼が生きているのか死んでいるのか、誰にもわからない。
しかし池田大作は聖教新聞に、ときどき長大な論文を書いている。これまさに池田大作の名のとおり、「代作」なのです(爆笑)。
いま彼は、現身に阿鼻の業苦を味わいつつ「生ける屍」になっていると思われる。
戒壇の大御本尊を八百万学会員に捨てさせた罪がどれほど重いか。その罰で池田大作は「生ける屍」になってしまったのです。そうなったら、もう学会は保たない。
そうでしょう。いまや学会員は信じ奉る戒壇の大御本尊をも捨ててしまった。そして柱と頼む池田大作は「生ける屍」になってしまった。
これで保ちますか。だから学会は必ず崩壊するのです。
その兆候はすでに現われている。学会の内部が、いま腐敗し始めてきた。
昨年12月28日、公明党元衆議院議員で元財務副大臣の遠山清彦が「貸金業法違反」で東京地検特捜部から起訴された。
ここに言う「貸金業法違反事件」とは、財務省が所管する日本政策金融公庫のコロナ対策特別融資を、貸金業の登録をしないまま違法に仲介し、企業から多額の謝礼金を受け取っていたというものです。
起訴状によると、遠山は財務副大臣在任中を含む2020年3月から21年6月にかけて、公庫の融資担当者を111回も複数の企業などに紹介し、業者から1000万円の謝礼を受け取っていたという。
公明党は曽ては「清潔」「クリーン」を金看板にして、「政界浄化の公明党」などと胸を張ってきた政党ですよ。
その公明党の中でも遠山は、創価高校・創価大学出身の生粋の〝学会っ子〟で、その後、英国に留学して「平和学博士号」まで取得し、「公明党のホープ」「公明党のプリンス」「次の次の委員長」などと期待されていた。
その遠山が昨年1月、銀座の高級クラブで豪遊していた事実を週刊文春によってスクープされ、2月には議員辞職を余儀なくされ、そのうえ今回の貸金業法違反で起訴されたのです。
彼は銀座のクラブで遊びたわむれながら、その席に業者を呼びつけ、100万円単位で謝礼金を受け取っていたという。
腐敗もまさに極まれりですね。
だが、腐敗は遠山一人に止どまらない。いま公明党の国会議員も地方議員も、同じようなことで摘発された事例は枚挙にいとまがない。
「魚は頭から腐る」という。池田大作の信心が腐っているから、学会の政治部である公明党も腐ってくるのです。
学会の活動は、今や選挙だけですね。その選挙活動の主力は、まじめに動く学会の婦人部です。この婦人部も、今回の遠山事件を見て激怒しているという。そうでしょ。手弁当で票を集めて当選させた議員どもがこの堕落では、怒りが込み上げるのも当然であります。
学会の堕落はさらに今も進行中です。
学会は、昨年11月18日の創価学会創立記念日に「創価学会 社会憲章」なるものを制定した。これは学会の社会的使命と行動規範を明文化したもので、学会の最高法規に準ずる「憲章」と言われている。
学会ではこの憲章を、著名な評論家・佐藤優に絶讃させているが、まことに見えすいている。
この憲章の第2項には
「創価学会は、草の根の対話と交流を通して日蓮仏法への理解を促進し、一人一人の幸福の実現に貢献する」とある。
「日蓮仏法」とは何ごとか。大聖人を軽視する彼らの心算がここに表われている。
続く第3項では
「創価学会は、思想、良心、信教の自由を尊重し、これを促進する」とある。
さらに第4項では
「創価学会は、仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重して、人類が直面する根本的な課題の解決について対話し、協力していく」とある。
この二つの項目は、大聖人様の折伏の大精神を全く否定するものです。「仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重する」とは何ごとか。
大聖人様の折伏は自讃毀他ではない。三大秘法だけが一切衆生成仏の大法であり、国家安泰・世界平和の唯一の正法である。他宗はことごとく人を不幸にする邪法である。ゆえに邪法を捨てて正法を立てよ、と仰せ給うのです。
まさに破邪・立正の折伏こそ大慈大悲なのです。
ゆえに開目抄には、大聖人の折伏を批判する輩に対し、涅槃の疏を引いて、こう仰せ下されている。
「慈無くして詐り親むは是れ彼が怨なり。乃至、彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」と。
いま学会は、選挙の票ほしさに世間にへつらい、大聖人の御意に背く「憲章」まで新たに作ったというわけです。
日興上人は「御弟子悉く師敵対せられ候いぬ」と仰せ給うておられるが、いま広布の前夜、第六天の魔王のたばかりにより、一国を諫めるべき正系門家がここまで師敵対に陥ってしまったのです。
その元凶はまさしく、戒壇の大御本尊を捨て奉り、御遺命を破壊した池田大作であります。
大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず。ゆえに「日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」との厳しき仰せのままに池田大作は亡び、創価学会は必ず崩壊するのであります。
この悪師に付いて阿鼻獄に入る学会員を思えば、まことに不憫です。学会の人たちは本当にまじめですよ。何としても全学会員を救いたい。私は強く念願しております。
さて、私がいま最大の関心を以て見つめているのは「中国の台湾攻略」と「ロシアのウクライナ侵略」です。これは第三次世界大戦の口火となる可能性があるからです。
中国の台湾攻略について論ずれば――
中国の習近平国家主席は、今年秋の共産党大会で、三期目の国家主席の地位を得て独裁体制を盤石にしたいと思っている。それには「台湾統一」という、党内を納得させる成果がどうしても必要になる。
習近平は昨年10月9日の辛亥革命110周年記念式典において、アメリカの干渉を念頭に置いてこう述べた。
「台湾問題は完全に中国の内政で、外部のいかなる干渉も許さない」と。
さらに台湾統一については
「歴史的任務は必ず実現しなければならないし、必ず実現できる」
と自信満々で言い切った。
北京オリンピックが閉幕した今、中国がいつ台湾攻略に動き出しても不思議はない。
そしてこの台湾有事は、即日本の有事なのです。
もし台湾への侵攻が始まれば、同海域の尖閣諸島・先島諸島はたちまち戦場になり、沖縄本島にも重大な影響が及ぶ。
それだけではない。もし台湾が中国に併合されたら、日本へのシーレーン(海上輸送路)も封鎖され、日本はまさに危急存亡の危機に陥るのです。
一方、ロシアのウクライナ侵攻は、プーチン大統領の、旧ソ連当時の領地回復をめざす野心から起きているのです。
旧ソ連は1991年に崩壊した。このときソ連邦の一部になっていた東欧諸国の多くが離脱した。ここにプーチンは、ロシアと国境を接し、世界有数の穀倉地帯であるウクライナをまず取り戻そうとして、今回19万人の軍隊を派遣し、ウクライナを三方から包囲したのです。
そして一昨日の22日、プーチンはウクライナ東部の親ロシア派地域の2ヶ所を独立国家として承認し、ロシア軍を「平和維持部隊」として同地域に派遣することを国防省に命じた。これは明らかに軍事侵攻の開始であるから、世界に強い緊張が走った。
今後どうなるか。
プーチンはソ連のスパイ組織「KGB」の出身であるから、謀略は御手のものです。予断は全く許されない。
いま、東西同時に発生した台湾問題とウクライナ問題を見て思うことは、第二次世界大戦以後の米国主導の世界秩序がいまゆらぎ、いよいよ第三次世界大戦が始まりつつあるということであります。
米国は現在、準内戦ともいえる国内分断に追われ、同盟強化のリーダーシップもおぼつかない。この状況を見て中国・ロシアが結束して、米国主導の秩序を壊わそうとして、いま動き出しているのです。
また核兵器の拡散も世界の平和を脅かしつつある。東西冷戦中には、米国・ソ連が圧倒的な核戦力を持ち、よくも悪くも「恐怖の均衡」によって辛うじて大戦争が防がれてきたのです。
しかし今この構図が崩れてきた。これまでの米国・ロシア・中国・フランス・英国の5ヶ国に加えて、いまインド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮も核武装し、世界中の核弾頭はいまや1万3000発ともいわれている。
第三次世界大戦が勃発すれば、これらの核弾頭は地球上を飛び交う。
アメリカの属国で尖兵的な役割を担わされている日本は、真っ先に中国によって血祭りに上げられよう。人類も絶滅に瀕する。
この第三次世界大戦こそ、大聖人様が広布の前夜に必ず起こると御予言下された「前代未聞の大闘諍」そのものであります。
この大戦争の悲惨をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします、末法の御本仏日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに撰時抄には
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ、或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」
と御断言下されている。
また新尼抄には
「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
さらに四十九院申状には
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」
と仰せ下されている。
まさに、日本および全世界の人々をお救い下さるのは、日蓮大聖人ただ御一人であられる。
そして大聖人様は「一閻浮提の大闘諍」起こるとき、「他国来難」の起こるとき、この大罰を用いて、一時に広宣流布をあそばすのであります。
ゆえに上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
と仰せあそばす。
いいですか。「一時に信ずる」のです。
諸天の治罰として他国侵逼おこるとき、政治家は頼りにならず、防衛努力も虚しくなる。日本が亡びんとし、わが命も危うくなるという危機が迫ったとき、始めて日本一同が日蓮大聖人の偉大な御存在にめざめてくる。顕正会の折伏に耳をかたむける。そして一同に求めてくるのです。
もうそのときには入信勤行も間に合わない。「遥拝勤行はどうしたらできるのか」と、向こうから進んで求め、日本国中が一斉に遥拝勤行を始める。それが「日本国一時に信ずる事あるべし」との仰せであります。
最終段階におけるこの重大御化導をお手伝いさせて頂ける集団は、御遺命のゆえに理不尽な解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、いま三百万の仏弟子の大集団にならんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。
大事な時に召し出だされた顕正会は、なんと有難い宿縁でありましょうか。
さあ、広布決戦場第三年の初陣、大歓喜の中に「二万」の誓願を大きく突破して、何としても全員で、大聖人様にお応えし奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)