きょうの総幹部会もまことに素晴らしいですね。
一人ひとりの登壇に信心の歓喜と広宣流布の熱情がたぎっている。私は大感動いたしました。
このように清らかで強靱な団体は、日本国の中で顕正会だけです。いま日本国中が三悪道・四悪道、宗門も学会も堕落している。
その中で、日蓮大聖人の御意だけを見つめ、真剣に広宣流布を進めているのは顕正会だけであります。
そして先ほどの「活動報告」にもありましたが、弘通はイタリアにまで及んでいるのですね。
私の執務室の壁には日本列島の大きな地図を貼ってあるが、「イタリアのフィレンツェ」なんて聞くと(笑)、日本の地図ではもう間に合わない。
こんどは大きな世界地図を天井に貼ろうと思っております(大笑)。
さて、本年は広布決戦場の第三年――。世間を見れば、「総罰」たるコロナが全世界に蔓延し、二月には第三次世界大戦の口火ともいうべき、ロシアの暴虐なる侵略が始まった。そして日本を見れば、人心の荒廃はまさに「末法濁悪」そのものであります。
その中で、顕正会の大法弘通はいよいよ力強く、「二万」の誓願を立てて開始した二・三・四月法戦は、三月二一日現在で一万八千一三〇名、率にして九一%に達しております。
大事な本年の初陣、何としても「二万」を大きく突破して大聖人様に応え奉らんと、私は強く念願しておりますが、みなさん、どうでしょうか。
(大拍手)大聖人様は竜の口大法難の直前、全門下に対し次のごとく大教令を下し給うた。
「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。
和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし」と。
「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字」とは、法華経本門寿量品の文底に秘沈された三大秘法ということ。この三大秘法を大聖人様は、大難を忍ばれ弘通して下さったのであります。そして
「和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし」と。
これまさに広宣流布の大教令・仏勅であります。
また二祖日興上人は御入滅に際し
「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」
と御遺誡下されている。
しかるに、広布前夜の今になって、なんと正系門家が御遺命に背くという師敵対に陥ってしまった。
この濁乱の中、大聖人様の仏勅のまま、日興上人の御遺誡のままに、一筋に広宣流布に戦っているのは、理不尽なる解散処分をも乗り越え、いま三百万の仏弟子の大集団にならんとしている顕正会だけであります。
もし顕正会の前進が遅れたら、何とも大聖人様に申しわけないと、いつも私は思っております。
その中、私は月々に喜びを感じております。
それは、男子部・女子部・婦人部において、毎月、総部単位の集会がオンラインで行われておりますが、その参加人数が月々にめざましく伸びつつあることです。
ついこの間まで数百あるいは千人規模だった総部集会が、今では三千名を超えるところも続々と出てきた。
これだけの人数になると、以前ならば公会堂を借りなければできなかったところ、コロナによってオンライン形式になったことで何千名でも可能になった。
ここに私は願っております。入信しても未活動の人がまだ多い。どうか、これらの人々を総部集会に参加させ、改めて強き信心に立たせてほしい。
かくて、信心で打ち固めた三百万の仏弟子の大集団が、いよいよ亡国の日本を揺り動かし、救っていくのであります。
ところで、先般発刊された「創価学会必ず崩壊」特集号は爆発的ですね。通常の発行部数ではとうてい間に合わず、さらに65万部も増刷したとのことです。
私は、まじめな学会員が不憫なのです。せっかく大聖人様の正しい仏法に縁したのに、悪師・池田大作に誑かされ、「国立戒壇」の御遺命を捨てたのみならず、さらに戒壇の大御本尊をも捨て奉る身となり、ついに「入阿鼻獄」となる。これが何とも不憫なのです。
早く正義にめざめて、共に御遺命成就に戦う同志になってほしいと、願うばかりであります。
さて、顕正会の体験発表では「良き臨終」のこと、まことに多く聞きますね。そのたびに私は、有難さがこみ上げてまいります。
我ら三毒深き凡夫が、わずかな信心で成仏させて頂けること、ただ大聖人様の大慈大悲によるのです。
ゆえに上野殿御返事には
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」
と仰せ下され、ついで文末には
「かつへて食をねがい、渇して水をしたうがごとく、恋いて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、乃至、法華経には信心をいたさせ給え。さなくしては後悔あるべし」と。
―飢えたときに食物を求め、喉がカラカラに渇いたときに水を求めるように、恋人の顔が見たいように、病気のとき薬を求めるように――と。
これが恋慕渇仰です。
この恋慕渇仰の思いを以て南無妙法蓮華経と唱えなさい。さもなければ後悔するであろう――との大慈悲の仰せであります。
さらに、臨終について仰せ下された弥源太殿御返事を拝します。
この弥源太殿は北条弥源太という方で、北条一門の中でただ一人、大聖人様に帰依した人です。立正安国論奏進のころから日蓮大聖人に心を寄せ、たびたび大聖人の御許にも通われていた人であります。
この弥源太殿は重き病に罹ったとき、佐渡にまします大聖人様に三条小鍛冶宗近の名刀を献上している。宗近は平安時代の刀匠で、これは国宝級の名刀です。
弥源太殿御返事には、まずこの刀について
「御祈禱のために御太刀同じく刀、あはせて二つ送り給びて候。此の太刀はしかるべきかぢ作り候かと覚へ候。あまくに・或は鬼きり・或はやつるぎ、異朝にはかむしゃう・ばくやが剣に争でかことなるべきや。
此れを法華経にまいらせ給う。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬へば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。
後生には此の刀を杖とたのみ給うべし。法華経は三世の諸仏発心の杖にて候ぞかし」と。
こう仰せられたのち、臨終の大事について、次のごとく御教示下されている。
いいですか。
「但日蓮を杖・柱ともたのみ給うべし。けはしき山、あしき道、杖をつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。南無妙法蓮華経は死出の山にては杖・柱となり給へ。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給うべし。
日蓮さきに立ち候はゞ、御迎へにまいり候事もやあらんずらん。乃至、此の事少しもそら事あるべからず」と。
―ただ日蓮を杖・柱ともたのみ給うべしと。どんな嶮しき山でも、悪い道でも、杖を突いていれば倒れない。ことに手を引かれれば転ぶことはない。「死出の山」とは臨終の後の生命が通る嶮しき道の譬えです。南無妙法蓮華経はこの「死出の山」においては杖・柱となり、釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取って下さる――と。そして
「日蓮さきに立ち候はゞ御迎へにまいり候事もやあらんずらん。乃至、此の事少しもそら事あるべからず」
と仰せ下されている。
いいですか。上野殿御返事には
「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし」
と仰せられ、いま弥源太殿御返事には
「此の事少しもそら事あるべからず」
と仰せられているのです。
仏様の御言葉には嘘・偽りは断じてない。ゆえに自我偈には「仏語実不虚」(仏語は実にして虚しからず)とある。
大聖人様は、必ず臨終のとき、お迎えに来て下さるのです。なんと有難いことか。
だから、三毒強盛の我ら凡夫が、臨終に成仏の相を現ずることが叶うのです。
仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのままの御守護が頂けるのであります。
それにつけてもいま深く思うことは、なぜ広布前夜の今になって、正系門家が学会・宗門ともに国立戒壇建立の御遺命に背いてしまったのか、ということです。
富士大石寺の清き流れにおいて、日興上人・日目上人以来七百年、国立戒壇が否定されたことはただの一度もない。歴代の貫首上人はみな異口同音に「国立戒壇建立」を唯一の宿願とされて来たのです。その文証を二・三挙げます。
第六十四世・日昇上人は奉安殿落慶の慶讃文において
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」と。
また大学匠として内外に知られている第六十五世・日淳上人は、本山の元旦勤行に寄せてこう仰せられている。
「この元朝勤行とても……二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)と。
さらに第六十六世・細井日達管長すら、日淳上人から御相承を受けた直後においては
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と。
いや、御遺命破壊の元凶たる池田大作すら
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)
と述べていた。
以上を見れば、正系門家七百年の唯一の宿願が「国立戒壇建立」にあったことは、太陽のごとく明らかであります。
しかるに、この大事な御遺命が破壊されるという大悪が正系門家に起きた。それも一個人の見解ではない、宗門の公式決定として国立戒壇が否定され、俄に建てられた偽戒壇・正本堂が「御遺命の戒壇なり」と決定されたのであります。
なぜこのようなことが起きたのか。仏法の上からその本質を見れば、これこそ第六天の魔王の働きによるのです。
この大宇宙には、仏法を守護する諸天善神が存在すると同時に、仏法を破壊せんとする第六天の魔王も存在する。
そして、この第六天の魔王が仏法を破壊するときは、まず智者・指導者の身に入って、仏法を壊乱するのです。
大聖人様は最蓮房御返事に
「第六天の魔王智者の身に入りて、正師を邪師となし善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。
日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」と。
第六天の魔王は何よりも大聖人の御身に入らんとした。だが用心堅固の大聖人の御身に入ることはできない。そのとき天魔は良観等の悪僧ども、あるいは平左衛門などの権力者の身に入って、大聖人の御命を奪わんとするのです。
だが、大聖人様の御身は金剛不壊であられる。かえって迫害は御本仏成道の助けとなったのであります。
この第六天の魔王は、大聖人御在世だけではなく、広宣流布の時にも再び妨害をする。すなわち御本仏の御遺命を破壊せんとするのです。
昭和三十年代、正系門家において最高の権力者は、創価学会第三代会長の池田大作であった。
彼は強大な組織力と財力を背景にして、宗門を圧迫していた。「時の貫首」をはじめ全僧侶はただ彼の威を恐れ、恐々として諂うのみであった。
第六天の魔王はこの池田大作の身に入ったのです。
やがて池田は慢心し、大野心を懐くにいたる。それは政権を奪取して日本国の最高権力者たらんとする野望であった。
当時彼は、大幹部を集めた席で
「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」などと発言していた。
その権力獲得の道具が、「公明党」であった。
池田は学会員を選挙に駆り立てる口実に「国立戒壇」を利用した。すなわち「国立戒壇建立のために選挙をやるのだ」と言っては煽った。学会員はこの言葉を信じて、寝食を忘れて選挙に戦ったのです。
昭和三十九年、池田は正式に公明党を結成し、衆議院進出を宣言した。これを見て、共産党をはじめマスコミ・評論家等は一斉に、池田がそれまで政界進出の口実にしていた「国立戒壇」を取り上げ、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と批判を始めた。
池田はこの批判を強く恐れた――。
しかし、この批判は当らないのです。なぜなら、国立戒壇は広宣流布の暁に始めて実現するものです。広宣流布すれば、マッカーサーが敗戦国・日本に押しつけた「日本国憲法」は、当然、仏法を根本にした憲法に改正される。そのうえで建立される戒壇であれば、「憲法違反」などという批判は当らないのです。
だが、池田はこの批判を強く恐れた。
ということは、彼が叫んでいた「国立戒壇」は、学会員を選挙に駆り立てるための口実に過ぎなかったのです。彼には「国立戒壇」が仏国実現の唯一の秘術であることも、三大秘法抄に示されている御本仏究極の御遺命の重大さも、全くわかっていなかったのです。
だから「国立戒壇」への批判が選挙に不利をもたらすと見るや、忽ち彼は国立戒壇を否定し、それに代わる偽戒壇・正本堂を俄に建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ったのです。
この大それた謀りをなすのに、池田は卑劣にも己れは身を隠して、これを宗門にやらせた。すなわち「日蓮正宗が自ら責任役員会を開いて、これを議決した」という形を取らせたのです。
宗門は昭和四十五年四月二十七日、「日蓮正宗・責任役員会」を開催した。
出席者は代表役員(管長)細井日達、責任役員(総監)早瀬道応、同じく責任役員(重役)佐藤日成の三人。
議題は「国立戒壇の名称不使用の件」。
この議題について、次のような議決がなされた。
「本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当につき、今後一切右名称は使用しないこととする」と。
これが国立戒壇を否定した宗門の公式決定であった。
このとき国立戒壇否定の理由として挙げた「本宗教義の本質より鑑み」とはいったい何ごとか。
三大秘法抄には「王仏冥合」「王臣受持」の上に「勅宣・御教書」すなわち「国家意志の表明」を手続きとして戒壇を建立すべしと、厳重に定め給うておられるではないか。「国家意志の表明」を手続きとして建立される戒壇こそ、まさしく「国立戒壇」ではないか。
この三大秘法抄の厳重なる御定めこそまさしく「本宗教義の本質」ではないのか。
しかるに宗門は学会の意向に諂って、このようなデタラメな決議をしてしまったのです。
ついで宗門は、昭和四十七年四月二十七日の「日蓮正宗・責任役員会」において、「訓諭の公布」を議決した。
その「訓諭」は「日蓮正宗管長・細井日達」の名を以て、正本堂の意義を内外に表明するものとされていた。だがその内容は、「正本堂は御遺命の戒壇に当る」という虚言を、くどくどと連ねた、まさしく御遺命破壊の「訓諭」であった。
以上、二つの「日蓮正宗・責任役員会」によって、日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇は否定され、偽戒壇・正本堂が御遺命の戒壇とスリ替えられた。
これは個人の見解ではない、宗門の機関決定、公式決定であるから重大なのです。ここに大聖人様の唯一の御遺命は、正系門家から消滅してしまったのであります。
正系門家のこの重大な師敵対をごらんあそばせば、大聖人様はいかが思しめされるか。
大聖人様は滝泉寺申状に
「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と。
また撰時抄には
「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」
と仰せ給う。
また日興上人は
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」
と御遺誡下されている。
もし「法主」の権威を憚り、学会の強大を恐れて、この御遺命破壊の大悪を黙過したら、これこそ大聖人様に対し奉る最大の不忠になる。大聖人様に申しわけない――ただこの一念で、私は御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
これを見て池田大作は、何としても顕正会(当時妙信講)を潰さんとした。
池田の手先となっていた宗務院役僧、ことに教学部長・阿部信雄(のちの阿部日顕)は「国立戒壇を捨てなければ登山させない、解散処分もある」との脅しを繰りかえした。
だが、国立戒壇を捨てて参詣して、大聖人様はお喜び下さるか。かえってお叱りを受けるに違いない。私は講の安穏よりも、大聖人様への忠誠を選んだ。
そしてついに、諫暁を開始してより四年後の昭和四十九年八月十二日、覚悟のごとく解散処分が下った。
その宣告書には「日蓮正宗管長・細井日達」の名を以て、次のごとくの処分理由が示されていた。
「国立戒壇の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付の『訓諭』に対し異議を唱えたゆえに」と。
まさに妙信講は国立戒壇の御遺命のゆえに、信徒団体として死罪にも等しい解散処分を受けたのであります。
この宣告書を手にしたとき
「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であってはいかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ。御遺命を守るに『懈怠の弟子、ゆるき行者』とのお叱りだけは免れる」
との思いが湧いた。
だが、広宣流布はどうなるのか――。御遺命に背いたうえに戒壇の大御本尊をも捨て奉った創価学会、またこの学会にへつらって「国立戒壇否定」と「偽戒壇・正本堂」を公式決定した宗門に、広宣流布に戦う資格はすでにない。
私は、遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立とうと決意した。
思えば、戒壇の大御本尊様は日興上人に密附された「秘仏」にてましまし、広宣流布の時まで御宝蔵に秘蔵厳護されるべき大御本尊であられる。いつごろからか、深信の者に特別の内拝が許されたが、現今のごとく営利目的で御開扉するなどは言語道断、不敬の極み。大聖人様より強きお叱りを受けるに違いない。
内房尼御前は氏神詣での帰りに身延の大聖人様のもとに参詣したが、大聖人様は御目通りを許されなかった。大聖人様の御意に叶わぬ参詣は、かえって罪を作るのである。
熱原の方々は入信わずか一年であった。大聖人様に御目通りを頂く機会もなく、個人授与の御本尊も頂いてはいなかった。だが、大聖人様を恋慕渇仰して身命も惜しまぬその純粋・熱烈な信心は、大聖人様の御意に叶い、ついに戒壇の大御本尊の「願主」たるを許されている。
この御在世の信心が、解散処分を機に、澎湃として顕正会に湧き上がって来たのである。
いいですか。
信心に距離は全く関係ないのです。
どれほど遠く離れていようとも「日蓮大聖人 眼前にまします」の思いで恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊に通じて、現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得させて頂ける。これが現当二世の大利益であります。
重ねて申します。信心に距離は全く関係がないのです。
もし信心がなければ、眼前に大御本尊ましますとも通ずることはなく、もし有難い お慕わしいの恋慕渇仰の信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに大御本尊に通ずるのであります。
ゆえに大聖人様は、身延から千里も離れた佐渡に住する千日尼御前に対し
「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。
―御面を見るとか見ないではない、心こそ大切なのである――と仰せ下されている。
これこそ遥拝勤行の大精神であります。
いま宗門では収入を図るため、末寺単位で登山人数を割り当て「付け願いでもいいから」などと言って法華講員を登山に駆り立てている。
このようなことをすれば、寿量品の経文にあるように、かえって人々は「?恣」の心「厭怠」の思いを懐く。何とも恐れ多い限りであります。
いま顕正会員は、御遺命のゆえに解散処分を受け登山を妨害されるとも、戒壇の大御本尊に対し奉る恋慕渇仰はいよいよ深く、澄み切っている。
そしてひたすら遥拝勤行に励み、広宣流布を進めている。
遥拝勤行こそ、まさしく「忠誠の証」であります。
そしてこの遥拝勤行こそ、広布前夜の今、まさしく時に適った信行なのであります。
解散処分のとき、顕正会はわずか一万二千であった。だが今、三百万になんなんとしている。濁悪の日本国の中に、三百万の清らかなる仏弟子の大集団が出現することは、何という不思議なことか。
これ、大聖人様が御守護下された以外には絶対にない。
今後「前代未聞の大闘諍」起こるとき、「他国侵逼」迫るとき、この恋慕渇仰の遥拝勤行は、必ず日本国中に満ちる。そして全国民の熱烈なる信心が凝集して「勅宣・御教書」が申し下されるとき、ついに御遺命の「本門の戒壇」すなわち国立戒壇が富士山天生原に建立され、いよいよ戒壇の大御本尊様が御出ましあそばすのであります。
さて、大聖人様は建治元年の減劫御書に次のごとく仰せ下されている。
「大悪は大善の来たるべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候わじ」
―全世界が大動乱に陥るならば、全世界広宣流布は疑いなし――と。
いまロシアがウクライナに暴虐なる侵略を開始した。これ「一閻浮提の大闘諍」の口火であります。これに相呼応して、ロシアよりもさらに強大で残忍な独裁国家・中国が、アメリカの覇権に挑まんとしている。まさに一閻浮提うち乱れての、核を用いての大闘諍がいま起こらんとしているのです。
この激動の中で、平和憲法と日米安保条約だけを頼りとしている日本が、どうして存立することができようか。
大聖人様は「宅に柱なければたもたず」と仰せられている。
大慈悲を以て三大秘法を授与して下さった日蓮大聖人こそ、日本国の柱であられる。
しかるに日本国は、この御本仏を流罪・死罪に処し奉り、未だに改悔していない。剰えいま正系門家が御遺命に背いている。
ここに諸天は怒り、隣国をしてこの日本を治罰せしむる。
この「他国侵逼の大難」いよいよ日本国に迫るとき、始めて日本一同は大聖人様の大恩徳にめざめる。
撰時抄にはそのときの姿を
「各々声をつるべて『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と唱え、掌を合せて『たすけ給え、日蓮の御房・日蓮の御房』とさけび候はんずるにや」と。
また上野抄には
「ただをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
この時は、もう遠い将来ではない。いま刻々と近づきつつある。
この広布最終段階に召し出されて大事な御奉公が叶うとは、顕正会はなんという有難い宿縁か。
三百万こそ、まさしく広布の一大関門であります。
さあ、全顕正会一致結束、大歓喜の中に早く三百万を成し遂げ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)