きょうの総幹部会も素晴らしいですね。
登壇者一人ひとりの、信心の歓喜と燃えるような広宣流布の情熱に、私は心を打たれた。大感動いたしました。
このような素晴らしい集会が日本のどこにあるか。まさに日蓮大聖人の弟子の信心が凝集して、このような感動の集会になるのです。
この総幹部会の感動は直ちに全顕正会に広がる。そして月々に、広宣流布の輪が大きく回わっていくのであります。
さて、顕正会の折伏弘通もいよいよ大規模になって来ましたね。
全員が「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」の広告文を片手に折伏に立っておりますが、この広告文の発行部数がこの五月、ついに七千三〇〇万枚に達したと、報告を受けました。日本の総人口の半数をすでに超えたのであります。
この広告文を見て、反発する者・無視する者もまだ多いでしょう。しかしその反応は、いま大きく変わりつつある。
それは世の中の情勢が一変してきたからです。
そうでしょ。「第三次世界大戦の口火」と言われるロシアのウクライナ侵攻も始まった。北朝鮮の核兵器実験は今年に入ってすでに十数回も行われている。世界中で超インフレと食糧危機が始まってきた。米国と中国が台湾問題で引くに引けない対決の様相が鮮明になってきた。
これから世界は必ず大恐慌と第三次世界大戦に突入すると思われる。20年代のテンポのなんと早いことか。
どうして世の中がこのように急速に変化して来たのか、人々はその原因を知らない。
その不安の中で、人々はお救い下さる仏様を心の奥で求めるようになる。これが「時」なのです。いよいよ広宣流布の時が近づいて来たのであります。
その中で、広告文こそ人々の目を開ける「メス」です。すなわち欲と瞋りと愚かの三毒に覆われている人々の目を開かせ、お救い下さる仏様は日蓮大聖人ただ御一人であられることを見さしめる。それがこの広告文なのであります。
私は広告文と遥拝勤行で必ず広宣流布は成ると、確信しております。
広告文であるから極めて簡略ではあるが、始めて日蓮大聖人の御事を聞く人々にとっては、まことに大事なことがここに示されております。
その要点をきょう改めて、この総幹部会でおさらいしたいと思っております。
いいですか。この広告文には四つの項目があります。
その第一は「人生の目的は成仏にある」です。これに関連して「臨終」の大事が示されている。
人生の目的を知らずに生きているのは、行先不明のバスに乗っているのと同じですね。しかし総理大臣をはじめ全日本人がこのことを知らない。みな目先の欲望に引きずられて虚しく生き、虚しく一生を終える。これが世間の人々の実相であります。
成仏とは、生死を乗り越えて、永遠に崩れぬ無上の幸福境界を言うのです。
では、その境界はどうしたら得られるのか――。
それは
日蓮大聖人が大慈悲を以て全人類に授与して下さった「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人も宿命が変わり現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これ大御本尊の仏力・法力によるのであります。
しかし「死後の未来のことなどわからん」という者もあるに違いない。だが仏法は空理・空論ではない。すべて証拠を以て論ずるのです。
その証拠とは臨終の相であります。
臨終は一生の総決算であると同時に、臨終の相に、その人が未来に受けるべき果報が現われる。だから臨終は人生の最大事なのです。
ゆえに大聖人様は
「されば、先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
と仰せ給う。
では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏の相とはどのようなものかといえば
大聖人様は
「地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、硬く、重くなる。
成仏する者は、臨終ののちに色が白くなり、軽く、そして柔らかくなる」(千日尼抄・取意)
とお示し下されている。
世間の人々はこの重大な現証を誰も知らないですね。もし知ったら、人生観が一変するに違いない。
臨終の相だけは人の意志の及ぶところではない。この因果の法則を説き切るのは、日蓮大聖人の仏法だけです。
地位や財産による幸福はすぐ崩れる。現当二世(現世と当来世)にわたり崩れぬ真の幸福は、成仏以外にはないのです。
日蓮大聖人こそ、我ら凡夫を仏にして下さる大慈大悲の御本仏であられる。
私は顕正会員の「良き臨終」の報告を聞くたびに、なんと有難いことかとの思いが、いつも胸に込み上げてまいります。
大聖人様のこの大恩徳を、広告文を以てまず教えてほしいのであります。
次に「立正安国論の予言的中」のこと。
大聖人様は、当時 日本国に打ち続く天変地夭・大飢饉・大疫病をごらんになって、これ他国侵逼の予兆・前相なりと判じ給い、もしなおも邪法に執着して三大秘法を立てなければ、必ず他国侵逼の大難を受けることを厳然と予言され、国主を諫暁し給うた。
だが、日本は四方を海で囲まれている。「いったいどの国が海をわたって攻めてこようか」と、この御予言を信ずる者は一人もいなかった。
ところが十四年後、ユーラシア大陸を征服した大蒙古が、その圧倒的な兵力を以て海をわたって二度も襲来したのです。
凡夫の誰人にこの御予言がなし得ましょうか。
大聖人様の御予言は、海外情報などを集めての推測ではない。実に、仏法の大道理に基づくもの。そして仏法を守護する諸天に申し付ける絶大威徳を以ての御予言であるから、違うことがないのです。
このことは四条殿に下された次の御文を拝すれば、よーくわかります。
「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天 罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは、是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
―法華経の敵となっている者を、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は罰せよ――と、大聖人様は申しつけておられる。その大罰が他国侵逼であります。
さらに仰せられる。
―このことは憎んで言うのではない。これ人々に改悔の心を起こさせ、死後の無間地獄の大苦を今生のうちに消滅させる大慈大悲なのである――と。
死後の無間地獄の大苦に比べたら、今生のいかなる大苦も物の数ではない。その無間地獄の大苦を、蒙古襲来の罰を以て改悔せしめ、今生のうちに消さしめんとし給う。これほど徹底した大慈大悲はないのです。
まさに「立正安国論の予言的中」こそ、大聖人様の諸天に申しつける絶大威徳をお示し下さるとともに、一切衆生の後生の大苦を救い給う大慈大悲なのであります。
この絶大威徳と大慈大悲の日蓮大聖人こそ、まさしく末法下種の御本仏であられる。
次に「国家権力も御頸 切れず」のこと。
日蓮大聖人の徹底せる邪法破折に対して、教義上の反論が全くできぬ邪宗の高僧らは一同して権力者に讒言し、大聖人の頸を刎ねてほしいと願い出た。幕府内の権力者・平左衛門はこれに応じた。
ここに国家権力による絶体絶命の死刑が執行されたのであります。
文永八年九月十二日の深夜、大聖人様は竜の口刑場の「頸の座」に坐し給うた。
そして大刀まさに振り降ろされんとしたその刹那、凡夫の思議を絶することが起きた。
その状況は、大聖人御自身が次のごとく記し給うておられるので拝読いたします。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物 鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」と。
突如として暗闇の中から、巨大な「月のごとく光りたる物」が出現したのです。その光りがどれほど強烈であったか、練達強剛の太刀取りも眼くらんでその場に倒れ伏した。その衝撃がいかに凄まじかったか、太刀はいくつにも折れて足下に落ちた。
これを見て、頸の座を取り囲んでいた数百人の兵士たちは、いっせいにクモの子を散らすように逃げ出した。馬上の武士たちも馬から下りて畏まり、あるいは馬上でうずくまってしまった。もう頸を切るどころではない。
ひとり砂浜に坐し給う大聖人様は厳然と叫ばれた。
「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ、近く打ちよれや、打ちよれや」と。
だが一人として近寄る者はない。大聖人様は再び大高声で叫ばれた。
「夜 あけば、いかにいかに。頸切るべくわ急ぎ切るべし。夜明けなば見苦しかりなん」と。
―夜が明けたらどうする。頸を切るならば早く切るべし。夜が明けたら見苦しいであろう――と。
死刑を催促し給うたのです。
響くは凛々たる大聖人の御声のみ。返事をする者とてない。全員が腰をぬかし、へたり込んでしまったのです。
まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切ることができず、その御威徳の前にひれ伏してしまったのであります。
このような思議を絶する、荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が、この地球上・人類史上のどこにあったか。
この大現証こそ
日蓮大聖人が立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、宇宙法界を我が身と開く「久遠元初の自受用身」に成り給うた尊い御姿であられる。
凡夫には、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の大本・根源の御本仏たる「久遠元初の自受用身」であられることは想像もつかない。
ゆえに大聖人様は、目に灼き付く強烈な大現証を以て「全人類を救う仏とはかくなるものぞ」ということを一切衆生に見せしめ給うたのであります。
以上、臨終の相に善悪があること、立正安国論の予言的中のこと、そして竜の口の絶大威徳を、簡略に説明いたしましたが、この三つは誰人も否定できない。
それは、理論ではなく厳然たる事実「現証」だからであります。
大聖人様は、現証の大事について次のごとく仰せられている。
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず、又道理・証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)と。
また
「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)と。
ここに名を挙げておられる「善無畏三蔵」は、中国の真言宗の開祖です。大聖人様はこの者の臨終の現証を具さにお示し下されている。それは臨終の相が記録に残っているからです。誰が記録したのかというと、臨終の善悪もわからぬ善無畏の弟子たちが、師の徳をあげるとばかりに、あるがままにその死相を記したのです。それには「黒皮隠々として骨其れ甚だ露わなり」とあった。
これをごらんになった大聖人様は
「人死して後 色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし」(報恩抄)
と仰せられ、善無畏の堕地獄を「決定」されている。
このように、現証ほど大事なものはない。またわかり易いものはない。
ゆえに、始めて日蓮大聖人の御事を聞く人々に、この広告文の三つの現証を以て、大聖人様の偉大さを、やさしく教えてほしいのであります。
そして広告文の最後の項目は「残された時間は少ない」ですね。
いいですか。流罪の地・佐渡の雪中において、大聖人様は次のごとく重大なる御意を仰せ下されている。
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と。
日蓮大聖人を信ずるか背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――との御意であります。これほど重大な仰せはない。
見てごらんなさい。
御在世の日本は、邪法の僧らに唆されて、大聖人の御頸を刎ね奉らんとする血の凍るような大逆罪を犯した。
その結果、どういう大罰を受けたか。圧倒的な大蒙古の侵略を二度も受け、国まさに亡びんとしたではないか。
この大罰を見て国主の北条時宗は改悔した。平左衛門は大悪人であったが、執権・北条時宗は改悔の心を起こしたのです。よって大聖人様の冥々の御守護により、日本国はかろうじて亡国を免れたのであります。
だが、それより七百年――。
日本の人々は未だに大聖人様を信ぜず、背き続けている。
就中、断じて許されざることがある。それは正系門家の師敵対であります。
本来ならば、身命も惜しまず広宣流布に御奉公せねばならぬ正系門家がなんと大聖人に背き奉って、唯一の御遺命たる国立戒壇建立を捨て、偽戒壇・正本堂のたばかりをしたのであります。
なぜ正系門家がこのような師敵対に陥ったのか。それは第六天の魔王の働きによる。「魔は仏法をにくむ」という。
第六天の魔王は御在世には大聖人様の御命を奪わんとし、いま広宣流布前夜、再び出てきて広宣流布と御遺命成就をさせまいとしたのです。
天魔はまず、正系門家において最高権力者であり政治野心に燃える池田大作の身に入った。
すると池田は忽ち「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
宗門における絶対権威は「貫首」であるが、この貫首も池田大作にへつらって、この御遺命破壊に全面協力してしまった。
この御遺命違背の罰により、宗門・学会の間に自界叛逆すなわち仲間割れが起きてきた。
すると池田大作は恐れ多くも「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」との大悪言を、原田稔会長に発表させた。
彼はまことに狡いですね。御遺命破壊のときは、宗門に「責任役員会」を開かせて自身は陰に隠れた。そして戒壇の大御本尊を捨てさせる時には、その大悪言を会長原田に発表させている。何と卑怯な男か。この大悪言こそ、まさに極限の大謗法であります。
一方、宗門の第六十七世・阿部日顕にいたっては、教学部長時代から池田にへつらって「二冊の悪書」を著わして国立戒壇を否定していたが、彼はさらに、部下で参謀役の河辺慈篤に対し、密かに戒壇の大御本尊に対し奉る不敬きわまる謗言を吐いていた。
そのうえ学会との抗争が始まるや、彼はあろうことか、戒壇の大御本尊を敵視している身延派とも連携し、身延派管長に就任する直前の田中日淳をも大石寺に招き入れていたのであります。
学会も宗門も、何たる師敵対、何たる大謗法、何たる無道心か。
所詮、彼らには信心がない。戒壇の大御本尊様に対し奉る信心がない。大聖人の御眼を恐れる道念がない。だから求めるのは己れの名利だけになる。
見てごらんなさい、池田が名利を貪るその姿を――。
学会の機関紙・聖教新聞の4月29日付は、世界の大学および学術機関から池田大作に贈られた名誉学術称号が、ついに「400」に達したことを、仰々しく報じていた。
つづいて5月17日付では「アメリカ・ミネソタ大学から池田先生に名誉人文学博士号」との大見出しが躍っていた。これで池田の名誉博士号は「401」になった。
これらすべてはカネでかき集めたもの。まことに浅ましい限りです。
また池田大作は仏法の世界においては、偽戒壇・正本堂を、その「発願式」において次のように自讃していた。
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)と。
彼は大聖人様の御眼も恐れず、御遺命破壊の正本堂を指して「仏教三千余年、史上空前の偉業」と自讃していた。これあたかも詐欺師が自らの犯行を自讃するのと同じです。
だが、宗門の全僧侶は池田の威を恐れてへつらい、口々にこれを讃嘆した。
さらに宗門は「責任役員会」の議決を以て、「国立戒壇の否定」と「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を公式決定した。
ここに唯一の正系門家・富士大石寺から、御本仏の御遺命は完全に消滅したのであります。
「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」と。
仏法が曲がれば、国家は必ず傾く。
大聖人様は、伝教大師の正系門家・比叡山の濁乱にこと寄せて、日本に他国侵逼が襲うことを次のごとく仰せ下されている。
「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国 我が朝をほろぼさんとす」と。
叡山は、伝教大師が六宗の邪義を破折して「法華経最第一」の正義を打ち立てた、像法時代における日本唯一の正しい寺であった。
だが第三・第四の座主、慈覚・智証が真言の邪法を取り入れて「法華第一」の正義を消滅させてしまった。
このことに寄せて大聖人様は、正系門家における正義の消滅が、日本の命運に関わる「他国侵逼」を招くことを、お示し下されたのであります。
いま末法においては、御本仏日蓮大聖人の正系門家は富士大石寺以外にはない。その正系門家において、いま御遺命が完全に消滅したのである。どうして他国侵逼の大難が起こらぬことがあろうか。
また大聖人様は、広宣流布の前夜には必ず大闘諍が起こることを
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし」
と撰時抄にお示し下されている。
その御予言のごとく、御在世の逆縁広布の時には、世界を席捲した大蒙古が日本に襲来した。順縁広布の時にも「前代未聞の大闘諍」が起こることは疑いない。
大正年間の第一次世界大戦も、昭和の第二次世界大戦も、それには当らない。やがて起こる第三次世界大戦こそ、まさしく「前代未聞の大闘諍」であると、私は確信しております。
そのゆえは、第一次世界大戦では戦車と毒ガスが始めて登場した。また第二次世界大戦では原子爆弾が始めて使用された。しかしその殺戮が全世界に及ぶことはなかった。
だが今や、世界各国が想像を絶する破壊力を持つ核兵器を開発し、それを搭載するミサイルも、北極・南極を経由して敵国を攻撃することが可能になった。全地球上が攻撃対象になったということです。
一例を挙げれば、本年4月20日、ロシア国防省は「新型のICBM(大陸間弾道ミサイル)『サルマト』の発射実験に成功した」と発表した。
このサルマトは10~15の核弾頭搭載が可能で、その威力はアメリカのテキサス州と同等の面積を瞬時に壊滅し得るという。そして本年中にこのサルマトが実戦配備されるとのことです。
ロシアのプーチンは、アメリカをはじめ欧州各国がウクライナを支援していることを念頭に置いて「もしロシアが国家存亡の危機に立ち入ったら、躊躇なく核兵器を使用する」と、何度も繰りかえしている。これは単なる脅しではない、プーチンならば実行すると思われる。
そして日本を見れば、いつのまにか核の強大国、中国・ロシア・北朝鮮の三国に取り囲まれてしまった。
この三国はいずれも軍事独裁国家で、仏法でいえば修羅界です。修羅界の国家は、内には人民を抑圧・粛清し、外には侵略を常とする。
ロシアでは、共産革命を起こしたレーニンの時代に処刑された人民は700万人に上ると推定されている。次のスターリンは300万人を粛清している。
また中国の毛沢東時代には「文化大革命」と「大躍進運動」によって、2000万人が犠牲になっている。
ロシアでは元上院議長で現在野党々首の地位にあるセルゲイ・ミロノフが、つい最近「ロシアは北海道を領有する完全なる権利を有している」と発表したが、ロシアは北海道をも狙っているのであります。
中国はすでに台湾を「自国の領土」として侵攻の機会を虎視眈々と狙っている。もし侵攻が始まれば、日本の尖閣諸島や先島諸島は直ちに戦場となり、沖縄本島にも戦禍が及ぶことが懸念される。
もし台湾が中国の手中に陥れば、日本への海上輸送路(シーレーン)は封鎖され、日本が輸入する食糧・石油等は途絶し、日本は存立し得なくなる。
北朝鮮も、本年に入ってすでに十数回も核ミサイルおよび核弾頭の実験をくり返しているが、その核ミサイルは米国本土と日本列島を狙っている。
このように、いつのまにか日本は、強大な核を持つ三国に取り囲まれてしまったのであります。
大聖人様は弘安四年の十字御書に
「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとくわざわい来たるべし」と。
日本は大慈大悲の御本仏日蓮大聖人ご出現の国である。しかるに御在世には御頸刎ね奉るの大逆罪を犯し、今また広布の前夜にいたって正系門家が御遺命に背き、さらに学会は戒壇の大御本尊をも捨て奉った。
ゆえに磁石が鉄を吸うように、他国侵逼の大難が日本を襲うのです。
この亡国の大難は諸天の責めであるから、たとえ軍事力を増強して国防の最善を尽くすとも、国を守ることはできない。
ゆえに撰時抄には
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生 兵難に値うべし」と。
もし中国の核ミサイルが日本に飛来したら、日本は一瞬にして壊滅する。いや広布前夜の戦争は「一閻浮提の大闘諍」となるから、地球上に無数の核ミサイルが飛び交うに違いない。
そうなれば、人類が絶滅するのであります。
この大惨禍・大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
この絶大威徳は、竜の口において諸天に申しつけて国家権力をもひれ伏さしめ給うた大現証を拝すれば、誰人も理屈ぬきにわかる。
大聖人様はこの絶大威徳を以て、日本を、世界を、お救い下さるのです。
ゆえに開目抄には
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」と。
また新尼抄には
「一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時
諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時
諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時
此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
「此の五字の大曼荼羅」とは、まさしく「本門戒壇の大御本尊」の御事であります。この大御本尊を強く信じ、恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、各国の王はその国を助けることができ、万民は難をのがれることができる――と御断言下されている。
「仏語は実にして虚しからず」と。大聖人様の仰せが虚しくなることは絶対にない。
そして大聖人様は、この亡国の大難起こるとき、広宣流布をあそばす。ゆえに上野抄には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
大聖人様が梵天・帝釈に申しつけて他国侵逼を起こさしめ、そのとき「日本国一時に信ずる事」があるのです。
すでに広宣流布は最終段階であります。このときに召し出だされて御奉公が叶うとは、顕正会はなんと有難い宿縁でありましょうか。
顕正会は、御遺命を守護し奉って理不尽なる解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き通し、その死身弘法は、ついにいま三百万に及ばんとしている。
この不思議も、ただただ大聖人様の御守護によるのであります。
この三百万が一結して、やがて他国侵逼に慄く全日本人に
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を徹底して教えるとき、日本は必ず動くのであります。
最後に、広布の決戦場第三年における、中盤の弘通誓願を発表いたします。
六・七月法戦の誓願は「一万五千」といたします。その内訳は、男子部・六千七〇〇、女子部・五千二〇〇、婦人部・三千一〇〇であります。
さあ、全組織が大歓喜の中に共に励まし合い、誓願を大きく突破して、何としても大聖人様に応え奉ってほしい。こう私は強く念願しております。
しっかり頼みます。(ハイッ)以上。(大拍手)