広布の大熱気に包まれた本日の総幹部会もまことに素晴らしいです。
一人ひとりの気魄に満ちた登壇には大感動をおぼえました。
さきほどの登壇でも教学を学んだ感激の発表がありましたが、この一月に実施された登用・五級・四級試験の受験者の合計は、昨年を上回わる、実に三万人になんなんとし、いま教学を学んだ大感動が全顕正会に渦まいております。
ことに登用試験においては、過去最高の約二万人もの人たちが受験したということであります。
末法濁悪の世の中において、日蓮大聖人の甚深の仏法を、これほど大勢の人々が真剣に学んでいる団体は、顕正会以外には絶対にありません。
浅井先生は教学を学ぶ意義について、次のように指導下さいました。
「顕正会の教学は、物知りになるためでもなければ、名利のために学ぶのでもない。
その目的はただ一つ――。
大聖人様を恋慕渇仰する信心を深めるためである。この信心が深まれば、自然と一生成仏も叶い、広宣流布の決意も湧いてくる」と。
まさしく仏様を恋慕することが信心の究極の姿であり、我ら凡夫が成仏させて頂く唯一の道なのであります。
このことは、顕正会の中にいると当り前に思うかも知れませんが、学会や宗門における教学は、ただ知識を学ぶだけで、そこには「お慕わしい」「有難い」という恋慕渇仰の思いは絶対に湧いてきません。
なぜか。
大聖人様を忘れ奉った者に、御本仏を恋慕渇仰する思いなど湧くはずがないからであります。
たとえば宗門には「日蓮正宗教学研鑽所」なる組織があります。そこに所属する宗門僧侶は、邪宗・日蓮宗の身延等が主催する学術大会で、謗法の坊主と肩を並べて研究論文なるものを発表しております。
身延等の学者への対抗心か知りませんが、こんなものは一生成仏と広宣流布とは全く関係がなく、ただ知識をひけらかして悦に入るだけの下らないものであります。
大聖人様は
「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」(新池御書)
と仰せ給うておられます。
「有解無信」とは、解があって信がない。少々仏法の理屈はわかっても、信心がない者は「更に成仏すべからず」と。
「有信無解」とは、信があって解がない者。たとえ教学がわからなくとも、信心のある者は成仏するのであると。
要は、成仏をさせて頂けるか否かは、智恵のある・なしではなく、恋慕渇仰の信心の有無によるのであります。
先生は、大聖人様が佐渡の千日尼御前・国府尼御前の二人に、身延の山から送られたお手紙の中で下さった
「日蓮をこいしくをはせば、常に出ずる日、ゆうべにいづる月ををがませ給え」
との御文について、こう仰せになっておられます。
「この御文を、いま広布前夜の私たちの立場で拝すれば
大聖人様を恋いしく思うならば、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊様を遥拝し奉れ――ということになる。
千日尼御前を始めとして御在世の方々は、皆、理屈ぬきに大聖人様を恋慕渇仰し奉っていた。だから一生成仏が叶ったのである。
この恋慕渇仰の信心を一言で表わせば、まさしく『お慕わしい』『有難い』になる。
だから私は、『お慕わしい』『有難い』との思いを以て、大聖人様の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れ――と言うのである。
この恋慕渇仰が成仏につながるのである」と。
また、大聖人門下の女性としてただ一人、御流罪の地・佐渡にまします大聖人様の御許に参詣を遂げた日妙殿は
「もし大聖人様が虚しくなるならば、この世で信ずる何がある。大聖人様は絶対の仏様である」
と強く信じまいらせ、佐渡にまします大聖人様を見奉らんと、命かけての求道心を起こし、大聖人様より「日妙聖人」との名を賜っております。
幼子を連れて、鎌倉からはるばる千里の道を踏み分けて、佐渡の島に渡って大聖人様にお目通りした。
大聖人様はこの日妙殿に賜ったお手紙に
「ごんじち(権実)は知りがたし」
と、御法門のことは権実相対の捌きもわからないであろうとお認めになられ、追而書に
「いまは法華経をしらせ給うて仏にならせ給うべき女人なり」
と仰せ給うておられます。
いまは法華経を知った身である。必ず仏に成る女性である――と。
権実相対もわからないのに、法華経がわかる立場になったということはどういうことかといえば
大聖人様こそ生きておられる下種の法華経であられるから、日蓮大聖人を信じ切れば、難しい法門の捌きはわからずとも、大聖人様と一体にならせて頂くことができるということなのであります。
一方、熱原の大法難のときに退転・叛逆して不慮の死をとげた三位房は、教学はできたが信心が薄っぺらで、大聖人様に南無し奉る信心がなかったのです。
ただ大聖人様の口マネをして、「法門しりたげ」に、あたかも自分が覚ったような顔をして語っていた。
大聖人様はこの三位房の心を見ぬかれて、こうお叱りになっておられます。
「此の法門は、汝等が如き者は人毎に座毎に日毎に談ずべくんば、三世諸仏の御罰を蒙るべきなり。日蓮己証なりと常に申せし是れなり」と。
大聖人ただ御一人のお覚りを、さも自分が覚ったような顔をして偉そうにいうその慢心と名利を、厳しくお叱りになっておられるのです。
また三位房は京都にいたとき、朝廷に仕える高位の人の前で法門を論ずることができたことを誇り、そのことを「面目」などと書いて、大聖人様にご報告しているのです。
その際、大聖人様はこうお叱りになっておられます。
「面目なんど申すは、かたがた詮ずるところ、日蓮をいやしみてかけるか」と。
名利の心が強い三位房は、相手にへつらい、大聖人を下げ、法を下げ、ただ「朝廷に仕える高位の人が話を聞いてくれた」と自慢するような態度だったのです。
だが、御本仏の御境界からこれを見ればどうなるか。御本仏は、梵天・帝釈・四天といった諸天を随え、申し付けられる御境界であられます。大梵天王などは、三千大千世界を領しているといわれております。その三千大千世界に比べれば地球の中の小さな日本国はケシ粒のような存在であります。
ゆえに大聖人様はこの日本国の主を、仏法の上からは「わづかの小島の主」「ただ島の長なるべし」と仰せになっておられます。その長に仕える者に召し出されたに過ぎないのに、その者を「上」などと書いたうえ「面目」などと言って来たから、大聖人様は
「日蓮をいやしみてかけるか」
とお叱りになられた。
まさに我が名利のために世間にへつらい、大聖人を下げるその信心の薄さをお叱りになっておられるのであります。
このように、たとえ教学の知識があっても信心がなければ成仏は叶わず、恋慕渇仰の信心さえあればそれが成仏に繋がるのであります。
いま全顕正会には、上野殿、熱原の方々、千日尼御前、日妙殿のような、御在世と全く同じ恋慕渇仰の信心がみなぎっております。
これひとえに、浅井先生が基礎教学書をはじめ、何度も何度も情感をこめて大聖人様の大慈大悲・絶大威徳を私たち顕正会員に懇切に指導下さったゆえであれば、師恩報謝の念が込み上げてまいります。
されば、教学試験を通してますます深めた恋慕渇仰の信心で、いよいよスケールを変えた大前進を展開せんと決意いたします。
さて学会は、池田大作の死亡を公表した「創立の日」の昨年11月18日に合わせて「創価学会教学要綱」なる書籍を発刊いたしました。
これは「創価学会の教学の根幹」を解説し、「学会の宗教的独自性」を示した学会における公式な教学の要綱だそうですが、そのあまりにも酷い内容には、開いた口が塞がりませんでした。
学会はこれまでの「極限の大謗法」に加えて、今般ついに、大聖人様が「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」であられることをも否定するに至りました。
これ「未曽有の邪教化」と断じて憚らず、もはや学会は末期的と言えます。
かねてより学会は
「日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と……唯一正当性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある」
などと言っておりましたが、今般、正系門家・富士大石寺の教義において、学会にとって不都合な内容を捨て去ったのでした。
戒壇の大御本尊の唯一絶対なることと、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをお示し下さった日寛上人の御指南が邪魔になった池田大作一党は、「日寛教学」などと侮蔑し、ついにそれを捨てるに至り、結局は世間に迎合して、信心のない者に受け容れやすい「釈尊」や「法華経」を前面に押し出した教義に改変したのであります。
「『法華経』を軸に、釈尊、日蓮大聖人、創価学会へと連なる系譜」
などと言っているところに、それがよく表われております。
ここに至る経緯を振り返ればこういうことです。
先生の強烈なる諫暁によって、学会は平成二年末ごろから、宗門と「修羅と悪竜の合戦」のごとき抗争に陥り、平成三年に破門されるに至りました。
第六天の魔王その身に入りし池田大作は、まず平成四年に学会の経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削除しました。
翌五年には、池田大作がバチカン信徒評議会・評議員で上智大学名誉教授を務めていたクリスチャンの安斉伸に「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」との言辞を過去に弄していたことを聖教新聞に載せました。
次いで平成十四年には、それまで会則に記してあった「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」との言葉を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」に変更し
その十二年後の平成二十六年十一月七日、会長の原田稔に
「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」
と言わしめたのであります。
それまで学会員が信仰の対象にしてきた「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉るという「極限の大謗法」をいきなり行えば、学会員への衝撃があまりに大きいので、池田大作一党は長い年月をかけて全学会員を「茹で蛙」のようにして、徐々に戒壇の大御本尊を忘れさせ、ついには捨てさせ奉ったのであります。
「極限の大謗法」については、教学要綱でも次のように述べております。
「宗門と決別して二十年以上が経ち、創価学会の信仰観がさらに深まっていく中で、大聖人の仏法の本義の上から『本門の本尊』の定義を明確にし、その上で広宣流布を阻む日蓮正宗の総本山にある『弘安二年の御本尊』は受持の対象としないことを明らかにしたのである」と。
恐ろしい魔の言葉であります。
先生は〝戒壇の大御本尊を出世の御本懐とする文証はない〟とか〝大聖人が顕わされた御本尊はどれも同じ〟などという馬鹿げた愚論について、次のごとく痛烈に破折しておられます。
出世本懐成就御書を拝せよ
出世本懐成就御書を拝せば、天日のごとく明らかではないか。
「去ぬる建長五年四月二十八日に、乃至、此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其の中の大難申す計りなし、先々に申すがごとし。
余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」
と仰せあそばす。顕正会員なら、この御文を耳にするだけでハッキリわかる。
まず御文の冒頭に、建長五年の立宗より「今に二十七年、弘安二年なり」と仰せられ、この年の重大さをまず標示されている。
次に、釈尊は四十余年、天台は三十余年、伝教は二十余年と、それぞれが出世の本懐を遂げられた年数を挙げられたのち、これと対比して「余は二十七年なり」と仰せられている。
この「余は二十七年なり」の御意は、まさしく「余は立宗より二十七年の弘安二年に出世の本懐を遂げたり」との、重大なる御宣言であること、一点の疑いの余地もない。
身延派の見解と同じ
この太陽のごとく明らかな御文を見ても、たとえば毒気深入そして怨嫉の心の強き身延派の坊主どもは、これを出世の本懐成就の仰せとは見ない。彼らは「日蓮聖人遺文辞典」の中でこう言っている。
「本抄に『二十七年』とあるのは、日蓮の法華経弘通開始以来二七年間、その間の大難は門下一同周知の通りであり、今度熱原の者たちは不惜身命の強信をもって弾圧に耐えているが、たゆむ心なく法難に勝ち抜けと、強盛の信を勧めた文である」と。
つまり「余は二十七年なり」とは、大聖人が大難を受けてきた年数に過ぎない、と言っているのである。
これでは、大聖人様は大難だけを受けて、出世の本懐はお遂げになってない、ということになる。出世の本懐をお遂げにならない仏様がどこにあるか。
もっとも彼らは、大聖人様を久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏とはとうてい拝せない、また戒壇の大御本尊に大怨嫉を懐いている。よって出世の本懐成就を否定するのである。
そして驚いたことには、いま学会が、この身延派と同じことを言うようになってしまった。天魔が身に入れば、みな同じようになると見える。……
出世の御本懐とは本門戒壇の大御本尊
では、本抄に仰せの「出世の本懐成就」とは、何を指し給うのか――。
それは、大聖人究極の大願たる広宣流布の暁に建立される本門戒壇に安置し奉る、大御本尊の御建立そのものであられる。
そしてその大御本尊は、実に弘安二年十月十二日に御図顕あそばされている。
「本門戒壇也」の金文
いま謹んでこの大御本尊を拝し奉るに、中央の下部に、大聖人様の大いなる御判形がまします。そしてその御判形の真下に
「本門戒壇也」の五文字が厳然と認められている。
このゆえに、この大御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と、富士大石寺では七百年来、申し上げているのである。
大聖人御真筆の御本尊数多ましますといえども、「本門戒壇也」と御認めあそばされた御本尊が、日本国の何処にあろうか。
ただ富士大石寺に七百年来秘蔵し奉る「本門戒壇の大御本尊」のみである。
いま身延の真似をして「文証がない」などと嘯く池田大作一党よ――。
出世本懐成就御書の聖文と、弘安二年の大御本尊の「本門戒壇也」の金文こそ、まさに紛うかたなき重大なる文証ではないか。
これが信じられないのは、師敵対の逆徒・第六天の眷属という以外にはない。
かかる先生の仰せ、全学会員は深刻に受け止めるべきであります。
そして、「極限の大謗法」から九年を経て、学会は池田大作の死亡を発表した日に発刊した今般の教学要綱において、日蓮大聖人が「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」であられることをも否定したのであります。
その内容について少しく説明します。
たとえばこの本には、日蓮大聖人のお立場について、外用・内証の辺に準じて、一応は「上行菩薩」と「末法の御本仏」と書いてはおりますが、その内容たるや驚くべきものであります。
まず、竜の口大法難・佐渡御流罪という大難を乗り越える中に「大聖人は境涯の大転換を果たされた」として、外用の辺である〝上行菩薩の使命を自覚した〟と述べてはいるものの、内証深秘の辺である「久遠元初の自受用身」としての御成道の意義については一切ふれておりません。
しかもその書きぶりも「上行菩薩の再誕」とも断定せず、「上行菩薩としての役割を果たす立場」とか「上行菩薩としての使命を果たされたものであると解釈できる」などとの、腰の引けた記述にとどめ、世間に阿っております。
なぜ竜の口大法難における「久遠元初の自受用身」の御成道の重大意義を隠すのか。
開目抄に仰せ給う
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」
との御文について日寛上人は
「此の文の元意は、蓮祖大聖、名字凡夫の御身の当体、全く是れ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕われ給う明文なり」
と、その深意を御指南下されております。
世間に阿諛迎合する学会にとっては、あくまで仏教の始まりは釈尊で、それよりも根源の仏である「久遠元初の自受用身」の存在が不都合なのであります。
そして「末法の御本仏」の意義については、曖昧模糊として、一見してよくわからない説明をしています。
すなわち
「末法の万人成仏の法を明かした『教主』であるという意義から、大聖人を『末法の御本仏』と仰ぐのである。またそうした尊崇の意義を込め、『大聖人』と尊称している」と。
一応、大聖人様を「末法の御本仏」とは呼称しているものの、実はこの「御本仏」という言葉の意味を全くの別物に変えてしまったのです。
どのように変えたのかと言うと――
本書の巻末の注釈には次のように記されております。
「日蓮正宗の教義では、『御本仏』という表現には、日蓮大聖人が根本の仏であり、久遠実成の釈尊も、その仮現(垂迹)であるという含意があるが、創価学会では、『末法という現在において現実に人々を救う教えを説いた仏』という意味で、大聖人を『末法の御本仏』と尊称する」と。
繰り返します。
「日蓮正宗の教義では、『御本仏』という表現には、日蓮大聖人が根本の仏であり、久遠実成の釈尊も、その仮現(垂迹)であるという含意があるが、創価学会では、『末法という現在において現実に人々を救う教えを説いた仏』という意味で、大聖人を『末法の御本仏』と尊称する」と。
世間に阿って「釈尊」「法華経」を中心としたい学会は、なんと五百塵点劫を溯ること復倍上数・久々遠々の久遠元初における最初の仏である「久遠元初の自受用身」を本仏とするその下種の化導を、完全に隠してしまったのであります。
この注釈に学会の本音が表われております。
これ「摧尊入卑」の極みであります。
この意味するところは
日蓮大聖人が三世十方の諸仏の本源の一仏である「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」にてましますことの否定にほかなりません。
まさしくこれこそ、学会が邪教化したことを決定づける重大な教義改変であります。
大聖人様は本因妙抄に
「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」と。
さらに百六箇抄に
「今日蓮が修行は、久遠名字の振舞に芥爾計りも違わざるなり」
と仰せ給うておられますが、大聖人の御振舞いは、久遠元初の自受用身の御振舞いを、そのまま末法に再現されたものであります。
これこそ、久遠元初の自受用身 即 日蓮大聖人の文証であります。
ゆえに日寛上人は
「若し外用の浅近に拠れば、上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば、本地自受用の再誕日蓮なり。故に知りぬ。本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(文底秘沈抄)と御指南下さっておられます。
学会の第二代会長・戸田城聖も
「御内証の深秘は、日蓮大聖人こそ、われわれ末代凡夫を教えみちびかれる御本仏であられる。かかる久遠元初の自受用身の御当体であらせられる大聖人の御肉体が、そのまま大御本尊であらせられるのである」と述べております。
かつて先生は
「身延派や立正佼成会・霊友会等でも『南無妙法蓮華経』とは唱える。しかし彼らは日蓮大聖人を御本仏と信じていない、戒壇の大御本尊を信じていない。そのような輩が、いかに題目を唱えたとしても、題目の体を知らないのであるから成仏できない。かえって題目の杖をついて地獄に堕つるのである」
と仰せられましたが、今や学会はそれらとまったく同じであります。
ことに、日蓮大聖人の一代御化導の肝心について先生は
「日蓮大聖人の一代御化導における二つの最大事とは、まさしく竜の口において久遠元初の自受用身に成り給うたことと、弘安二年に本門戒壇の大御本尊を建立あそばされたことである」
と指導下さいました。
なぜ「久遠元初の自受用身」の御成道と「戒壇の大御本尊」の御建立が御化導の最大事かといえば――
全人類の誰ひとりとして仏に成る道を知らない中で、大聖人様が竜の口において、宇宙法界を即我が身と開く久遠元初の自受用身と成り給うたことは、やがて全人類が成仏させて頂けることを意味しており
また、一切衆生を仏に成らしめんと、大慈大悲を起こされた大聖人様が竜の口で証得された御自身のお覚りの全体を、一幅の御本尊に図顕され、末法の全人類に授与して下さったのが、弘安二年十月十二日の「本門戒壇の大御本尊」であられるゆえであります。
学会は出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉ったうえに、大聖人様が「久遠元初の自受用身」にてましますことを否定したのであります。
これ、「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」というほかはありません。
大聖人様は
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」(四条金吾殿御返事)と仰せ給うておられます。
「日蓮が申す事」の中には「国立戒壇建立」の御遺命ほど重大なものはありません。ゆえにもしこの御遺命に背いたならば、蘇我入鹿が一時に亡んだごとく、誰人も身を亡ぼすのであります。
まして戒壇の大御本尊様を捨て奉り、さらには日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定した学会は、近く必ず崩壊すること間違いありません。
学会員は早く悪師を捨てて、無二の師匠・浅井先生に師事すべきであります。
そして学会の甚だしい逸脱ぶりを見るとき、大聖人御入滅後、忽ちに師敵対に陥った五老僧の姿が彷彿といたします。
日興上人と疎遠になるに随って、五老僧の信心が逸脱した理由について先生は、日興上人のごとくの常随給仕の功もなく、不惜身命の決意も甘く、未だ大聖人の仏法の奥底に達していなかったゆえに、時が経つにつれて、日興上人の富士門流と鎌倉方と呼ばれる五老僧の間に天地のごとき法義上の差異が生じたことを指導下さいました。
大聖人様の本弟子たる五老僧にして然り、いかに況んや第六天の魔王その身に入りし悪師・池田大作を師と仰ぐ学会においておやであります。
それだけに、たとえ死罪に等しい理不尽な解散処分を蒙り、以来、一度も戒壇の大御本尊様にお目通りが叶わずとも、恋慕渇仰の信心いよいよ強く、唯お一人、大聖人様の御意のみを見つめ峻厳極まる御奉公を貫き通された先生の、その只人ならぬ鉄石の大忠誠心を拝しては、久遠元初からの大宿縁を感じ、ただただ畏敬の念でいっぱいになるとともに、先生に師事し得た私たちの宿縁の有難さを噛みしめるばかりであります。
去る一月二十一日に拝聴した日曜勤行の指導において、先生は日寛上人の御事蹟を指導下さいましたが、有難くて有難くて、涙が止まりませんでした。
先生は
「大聖人様の御書の極理は、日寛上人の御指南を頂いて、始めて鏡に懸けて見るごとく、その御意がわかるのである」
と仰せ下さったうえで、日寛上人の御法門書を絶対と信じる所以について
「そのゆえは、日寛上人は御自身の臨終を証拠として『これを信ぜよ』と仰せられているからである」
として、羅什三蔵の「舌焼けず」の故事にちなみ、ソバを食し、一声笑ったあとに、お題目を唱える中に死するであろうと予言された通りの日寛上人の立派な御臨終の姿を懇切にお教え下さいました。
かかる不世出の大学匠・大智者にして、御自身の臨終の証拠を以て所説の正しさを証明された日寛上人の教学を捨てた学会の所行は、「愚の骨頂」であります。
そして、私は、日寛上人の御指南を〝絶対と信ずる〟として、日寛上人の智目を通して仏法の奥底・御書の元意を、平易な言葉で現代人にわかりやすくご教示下さった先生のご指導を〝絶対〟と拝します。
なぜなら、偽戒壇・正本堂の崩壊等にみる先生の戦いに伴う数々の不思議の大現証とともに、先生ご自身が美事なる臨終の証拠を以て、その正しさを私たちに見せて下さったゆえであります。
私たちは、先生が指さされたままに前進していけば、必ず一生成仏と広宣流布の大願を叶えさせて頂けるのであります。
話は変わりますが
昨日の一月二十三日は、先生の百箇日でした。
私は顕正会を代表して、親族でその法要を謹んで執り行わせて頂きました。
その際、胸にこみ上げてきたものは、日目上人が大聖人様の百箇日法要を終えるや、直ちに身を捨てて死身弘法を開始された御姿でした。
日目上人は日興上人のお許しを得て、大聖人様の百箇日法要を終えるや直ちに大石寺から、多くの親類・縁者が住む奥州・三迫新田、現在の宮城県登米市に向かわれました。
百箇日法要は弘安六年の一月ですから、ちょうど今くらいの時期であります。草鞋をお履きになって片道二十余日をかけての道中、いかに身を刺すような厳しい寒さだったのか。
途中には山があり川もある。そして山には狼や山賊が住んでいる。日目上人は短き護身用の刀を常に身に帯されて歩まれた。
御本仏の御入滅という深い深い悲しみを懐かれた日目上人が、御遺命成就への熱鉄の決意を滾らせて東北弘通に赴かれた御姿を想像するだけで、涙が出てまいります。
交通手段も通信手段もない中での、あの驚異的弘通を拝見するほどに、御報恩の思いから発する「広宣流布 朝夕近し」の大情熱が、いかに凄まじいものであったのかを、伏して拝するばかりであります。
そこに、先生の百箇日法要の翌日に、決戦場・第五年の戦闘開始の総幹部会が開催されたことに、衝き上げる熱き闘志を抑えられません。
本年の初陣二・三・四月法戦、私は、三百万を急がれた浅井先生のお心を体し「三万」の誓願を立てさせて頂きました。
三者各部の誓願は、男子部一万四千五〇〇名、女子部一万名、婦人部五千五〇〇名であります。
この初陣、何としても全組織が誓願を大きく突破して、三百万を早める前進をなしてまいらんと決意しております。
先に述べたごとくの、学会の「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」を見ては
「日蓮を用いぬるとも、悪しく敬わば国亡ぶべし」(下種本仏成道御書)
との御金言が脳裏を過ぎり、亡国がいよいよ早まることを確信いたします。
本年の元日にはマグニチュード7・6、最大震度7を記録した能登半島の巨大地震が発生しましたが、4メートルもの海底隆起は「数千年に1回の現象」と産総研地質調査総合センター・グループ長の宍倉正展氏は述べております。
またこの地震に関して、立命館大学環太平洋文明研究センター特任教授の高橋学氏は
「能登半島地震は、南海トラフ地震の前段階とも考えられる。政府は二〇一八年に〝三〇年以内に70~80%の確率〟で南海トラフ地震が発生すると予測したが、近年の活発なプレートの動きを見ると、あまり猶予はなく来年4月の大阪万博までに発生することも考えられる。さらに、南海トラフ地震が関東地方の南方沖にある相模トラフでの地震を誘発して『スーパー南海地震』に発展する可能性もある」
と警鐘を鳴らしております。
政府が「国家の存亡に関わる」と表現した首都圏直下と「国難ともいえる巨大地震」との文言を以て警告した南海トラフの巨大地震が発生したら、日本は壊滅いたします。
一方、1月13日の台湾総統選挙で、「台湾独立」志向が強く、これまで中国が敵視してきた与党民進党の頼清徳副総統が当選したことを受け、中国の王毅外相は「中国は完全統一を実現する」と台湾統一を強調し、中国のSNSでは「台湾の武力統一」を求める声が上がりはじめ、台湾情勢は緊張が高まってきております。
また北朝鮮の金正恩は、ロシア・北朝鮮の軍事面での協力関係が深まったことに自信をつけ、韓国を「第一の敵国、不変の主敵」と位置づけ、威嚇を強めております。
先日、アメリカの著名な北朝鮮の専門家らが
「金正恩は戦争への戦略的決断をした」
「朝鮮半島の状況は朝鮮戦争が起きた一九五〇年六月以来、最も危険」
との見解を示しましたが、朝鮮半島情勢も俄に緊迫の度を増してきております。
先生は
「もし台湾有事と朝鮮半島有事が同時に発生したら、アメリカの尖兵的役割を果しつつある日本は直ちに巻き込まれ、血祭りに上げられる。中国をはじめとする三国の核ミサイルの攻撃を受ければ、日本列島は瞬時に壊滅する。そしてこのとき米国は、国運を賭することまでして日本を守ることは絶対にあり得ない」
と断ぜられましたが、他国侵逼がいよいよ眼前に迫るを実感いたします。
だからこそ、顕正会の前進がそれに遅れてはならないのであります。
極限の大謗法を犯し、邪教化した学会に、あるいは戒壇の大御本尊を「営利の具」として不敬の「御開扉」をくり返し、供養を貪るだけの無道心の宗門に、御遺命成就に戦う資格も力もあるはずもなく、先生のご遺志を継いで新たな前進を開始した顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのかと、熱鉄の決意が衝き上げてまいります。
さあ、迎えた決戦場・第五年の初陣、全組織が誓願大突破の証拠を以て、三百万を一日でも早める戦いを展開し、霊山よりお見守り下さる浅井先生に、全員でお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)