本日の総幹部会もまことに胸を打つ登壇が相次ぎ、大感動いたしました。
いま全顕正会には、浅井先生が心中密かに思い定めておられた2028年・令和10年まで、すなわちあと四年以内に断じて三百万を成さんとの燃える大情熱が滾っております。
その中に、全幹部が人材を見つけ・育て・抜擢する大事を弁え、今月は先ほど発表された人事以外で、部幹事ならびに隊長・区長・支区部長が37名、その他大勢の人材が抜擢されましたこと、有難い限りであります。
そして本日の総幹部会を以て、いよいよ本年の最終法戦の戦闘開始であります。
先般も述べたとおり、この法戦の最中の十月十三日には、仏弟子にとって最も大事な御大会式を厳修し、その三日後の十六日には、先生の一周忌を迎えます。
私は、先生の一周忌には見違える成長を遂げた顕正会の姿を、霊山にまします先生にごらん頂かんと、心に決めております。
そこに、この法戦に臨むにあたり、私たちはこれまで先生が幾度となく打ち込んで下さった、大聖人様が竜の口大法難の直前に全門下へ下し給うた広宣流布の大教令を、よくよく命に刻んでまいりたい。
すなわち下種本仏成道御書には
「仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにもいまだひろめ給わぬ、法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。
和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし」と。
釈迦滅後、迦葉・阿難、天台・伝教すら弘めることのできなかった最大深秘の正法・末法の全人類成仏の大法たる南無妙法蓮華経を、大聖人様が全世界に弘めるべく、その戦いを開始あそばされた。ここに門下一同に対し、“我が弟子たちよ、二陣・三陣と続いて迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えよかし”と御命令下されているのであります。
先生はこの御教令について
「何という烈々の御気魄か。まさに御本仏の師子王心を拝し奉るの思いである。私はこの御教令を忘れたことがない」
と仰せになっておられます。
今のような交通手段も通信手段もない御在世において、「広宣流布 朝夕近し」の大情熱でなされた日興上人・日目上人の、列島を打ち覆うあの驚異的な御弘通は、まさにこの「二陣・三陣」であられます。
また広宣流布の前夜、死罪に等しい解散処分を蒙るとも、あるいは公権力による不当な弾圧を受けるとも、それを撥ねのけ、三百万になんなんとする仏弟子の大集団を築かれた先生の身命を賭した死身弘法も、大聖人様のこの御教令を承けられたものにほかなりません。
ここに今
「迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし」
との、迹化の菩薩を超える広布の大情熱について、かつて先生が中国・唐の時代の天台宗と律宗を究めた勝れた僧侶・鑑真の姿を通して指導下さったことが思い起こされます。
鑑真は大聖人御出現の五百年前の人で、日本から唐に渡っていた二人の留学僧の請いを受け、“何としても自分が日本に渡ろう”と決意したのでした。
しかし唐の法律では日本に渡ることが禁止されておりました。また日本への渡航を試みた人の大半が死亡する等、それは命の危険を伴うものでした。
唐において位の高い僧侶であった鑑真が国禁を犯し、また命の危険すら顧みず、なぜ日本に渡ったのかについては、仏教史学研究者の多くが不思議に感じているところであります。
鑑真が日本へ渡航するにあたっては、東シナ海の荒波で何度も難破し、五回までは渡航に失敗しております。
六回目にようやく沖縄に漂着し、沖縄から九州にたどり着き、奈良の都に入りました。
その長い間に潮風に当たり失明までしております。
この鑑真は何のために日本に渡ったのでしょうか――
一般的に知られているのは、奈良の東大寺に小乗経の戒壇を築き、聖武天皇に初めて小乗戒の授戒をしたことですが、実はもっと重大な使命がありました。
それは、日本に天台の三大部、いわゆる玄義・文句・止観を渡すことでした。この三大部とは、天台大師が法華経の深義を註釈したもので、天台宗の根本聖典とされております。
鑑真はこれを日本に届けるために命をかけて渡航したのです。しかし届けただけで、弘めることはしなかった。そっと置いて、そのままにしておいたのです。
それは近き将来、必ず然るべき人がこの三大部を見るに違いないとの確信があったからであります。
果たせるかな、その数十年後に伝教大師が出現して、この三大部を開いたのです。
日曜勤行でも拝しましたが、伝教大師はこの天台の三大部を見て「法華経最第一」を確信し、桓武天皇に奏上して南都六宗の代表と公場対決し、ついに京都の比叡山に法華経迹門の戒壇を建立して日本の仏法を統一したのであります。
この伝教大師の弘通こそ、実に末法の御本仏・日蓮大聖人御出現の序分・露払いであります。
かく見ると、鑑真が日本に渡って来たのも、遠くは大聖人の御化導を助けまいらせるためであり、鑑真の胸の奥に「何としても日本に渡りたい」との衝き上げるような思いが湧いたことこそ、仏様の力なのであります。
先生はかつてかく仰せ下さいました。
「御本仏の弟子ならば、私たちは鑑真を超える信力・行力に立たなくてはいけない。『……和党ども二陣・三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし』と。
これは門下全体に下された広宣流布の大号令である。この仰せを拝すれば、もうじっとしていられない、という思いが湧いてくる。大聖人様は『天台・伝教にも越えよかし』と仰せられる。いわんや鑑真においてをやである」と。
ここに謹んで思うに、第六天の魔王によるいかなる大障碍も、耐え難き弾圧や謀略も、そのすべてを撥ねのけられた先生の、やみ難き広宣流布の大情熱は、大聖人様のお力と拝するほかはありません。
さらに言えば、今こうして私たち拙い凡夫が、先生の御逝去という未だかつて味わったことのない衝撃と悲しみを乗り越え、かえって燃える大情熱・ご報恩の思いを滾らせて大難事の広宣流布に勇み立っていることも、また大聖人様のお力なのであります。
されば、先生の一周忌を迎えるに当たり、先生が常に身に体し戦われた御本仏の広布の大教令を全員が心腑に染め、いよいよ大猛進していこうではありませんか。
さて本日は、浅井先生の「諫臣・争子」のお立場を拝し、第三度の一国諫暁の重大御奉公を見つめていきたい。
かつて先生は顕正会の立場について
「諫臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」(北条時宗への御状)すなわち
国主を諫める臣下がその国にあればその国は正しさを保つことができ、親を諫める争子が家にあればその家は曲がらない――との仰せを引かれ
「いま広宣流布の前夜、顕正会は、国に在っては諫臣、正系門家に在っては争子である」
と高らかに宣示されました。
正系門家における争子としての先生の戦いにより、国立戒壇の御遺命は死守され、偽戒壇・正本堂は轟音とともに崩壊するに至りました。
これは先生の三度にわたる宗門諫暁によってなされました。
その顛末を簡略に述べます。
政治野心に燃える池田大作にとって、世間から抵抗が強い国立戒壇さえ放棄すれば「憲法違反」などの批判を躱せ、選挙を有利に戦える。また正本堂を「御遺命の戒壇」としてしまえば、七百年来の宿願を成しとげたものとして、我が身をあげることができる。
そこに第六天の魔王その身に入った池田大作は「時の貫首」の権威を利用して、この大誑惑をなしたのであります。
昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における細井日達の説法を以て、池田は「猊下が正本堂を御遺命の戒壇と断定された」と筆に口に大宣伝し、昭和四十二年の正本堂発願式で、いよいよ誑惑の大合唱は激しくなりました。
先生は大聖人様に聞き奉らんと、改めて御書四百余篇と歴代先師上人の御指南を満身の毛孔から汗の噴き出る思いで拝され、護法の一念を四万二千余字に込め、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を認め、昭和四十五年三月末、宗務役僧および御遺命破壊の元凶たる学会首脳の都合十二人に送付されたのであります。これ第一の諫暁書であります。
この書の内容は、正本堂が御遺命の戒壇ではないことを論証し、さらに大聖人様を軽んずる池田大作の慢心を強烈に破し、最後に宗務当局に対し、池田の誑惑を摧くべしと訴えたものであります。
この諫暁書は学会首脳と宗門高僧の肺腑をえぐり、度肝を抜くほどの強い衝撃を与えたのでした。
あるとき、学会副会長の森田一哉が先生に対し、池田大作はこの諫暁書を読んで深い溜息とともに椅子に腰かけ、へたり込んでしまったことを伝えてきたそうです。
また諫暁書を送付した翌々日に本山から出頭要請があり、「時の貫首」である細井日達が直々に先生に面会を求めたことを見ても、その衝撃の大きさを物語っております。
池田大作の意を受けた細井日達は
「戒壇の大御本尊まします所は『事の戒壇』といえる」
などと先生をたばかってきたものの、先生の正論の前に細井日達は本心を吐露し、最後には
「諫めてくれたのは妙信講だけだ。浅井さんの信心に、私は負けました」
と率直に述べたのでした。
しかし、その後の細井日達は、先生の正しい道理にふれれば本音を出すものの、池田大作に会えば忽ちそれに迎合するという、風にそよぐ葦のごとく、態度を二転三転させていくのでした。
「国立戒壇は憲法違反ではないか」という共産党の質問主意書に怯えた学会は政府に対し、国家と無関係に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、国立戒壇を否定する欺瞞回答をしたのでした。
さらに、学会本部総会において池田大作は細井日達に、国立戒壇の永久放棄宣言をなさしめました。
これをごらんになった先生は第十四回総会を開き
「妙信講は講中の命運を賭しても、誑惑の訂正を迫る決意である。もし妙信講が憎いとならば、潰したらよい。しかし正義だけは取り入れて頂きたい。さもなければ国が保たない」
と叫ばれました。
かかる先生の容易ならざるご決意を知った宗務院の取り次ぎにより、先生と学会首脳との度重なる会談が実現し、正本堂の意義を訂正する「確認書」が作成されました。
ところが裏では依然として「正本堂は御遺命の戒壇」と宣伝していた池田大作の卑劣に対し強く憤られた先生は、第二の諫暁書たる「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」を認め直諫されたのでした。昭和四十六年十一月十五日のことです。
この内容は、池田大作の違約を強く詰り、正本堂の誑惑を重ねて克明に挙げられた上で、全宗門信徒に対し正本堂は御遺命の戒壇ではないことを公表し、政府に対しては偽りの回答を撤回し、国立戒壇の正義を示すことを求めたものであります。
この諫暁書を一読した池田大作は狼狽し、自ら早瀬総監を法道院に訪ね、事態の収拾を依頼したのでした。
その後、池田大作は細井日達に“正本堂は御遺命の戒壇を前以て建てておいたもの”とする「訓諭」を出さしめるとともに、阿部信雄教学部長(後の阿部日顕)に「国立戒壇論の誤りについて」を執筆させました。
先生の強烈なる諫暁に居たたまれなくなった宗務院の早瀬総監と阿部教学部長が辞表を提出したので、池田大作は細井日達に先生への説得に当たらせたものの、かえって先生に詰められた細井日達は「訓諭」を訂正することを約束したのでした。
結局、細井日達は再び学会の巻き返しにあい、もうどうにもならなくなった細井日達から全権を委任された先生と学会首脳との法論が実現し、ついに正本堂落成式直前に学会が屈伏し、聖教新聞紙上で誑惑を訂正したのでした。
宗門に顕正会が存在する限り、学会の悪事が露見することを恐れた池田大作は細井日達をして顕正会を解散処分に付せしめました。
ところが不思議にも、池田大作と細井日達の間に俄に亀裂が生じ、その抗争に性心を弄した細井日達は、貫首としての最大の責務である「御相承」をもなし得ずに急死。
その異常事態に全僧侶が茫然自失している中に、池田大作と示し合わせていた阿部日顕が自己申告で登座したのでした。
それより池田と阿部は一体になって御遺命破壊の完結たる「本門寺改称」という大陰謀実現に向かって動き出しました。
「本門寺改称」が企まれた平成二年、この年の四月に先生は二十万の死身弘法を背景に心血を注いで「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する長文の一書を認め、阿部日顕に送付されました。これが第三の諫暁書であります。
この書の内容は、かつて阿部日顕が物した「二冊の悪書」における誑惑の根を断ち切られたうえで、戒壇の大御本尊の御遷座と偽戒壇・正本堂の撤去を強く求めたものであります。
この諫状は阿部日顕の肺腑を抉り、心に怖畏を生ぜしめました。
この諫暁書を執筆されている最中に先生は、第一の諫暁書は宗務当局に宛て、第二の諫暁書は池田大作に宛てたところ、第三の諫暁書は阿部日顕に宛てたその理由を
「阿部日顕は教義の裁定権を有し、誑惑を摧く権能を有するゆえ」
と述べられ、昭和四十五年の第一回諫暁から二十年の間に御仏意によって細井日達が何度も本音を吐き、また池田の腹心・顧問弁護士の山崎正友や教学部長の原島嵩が造反して池田の悪事をすべて暴露するという多くの現証が出てきたことを以て
「第一回目、第二回目の諫暁は道理の上から正邪を論じた。いま大聖人様が二十年の間に現証を見せて下さり、止めを刺すときがきた。私は大聖人様に祈りを込めて諫暁書を認めている。顕正会の諫暁と死身弘法の赤誠、大聖人様に達するのとき、諸天は必ず動く」
と師子吼されました。
この年の七月、二万人の横浜アリーナ大総会を開催された先生は“二十万顕正会員の総登山を以て本門寺改称の陰謀を断固粉砕せん”との捨身のご決意を表明されました。
この先生の必死護法のご覚悟は、池田の心胆を寒からしめた。
ここでまた不思議が起きたのであります。
あれほど一体になっていた池田大作と阿部日顕の間に、細井日達のときと同じように疑心暗鬼と亀裂が生じたのです。
平成二年十月十二日の大石寺開創七百年慶讃法要の席で阿部日顕は、わざと池田に当てつけるように
「大本門寺の寺号公称は、広宣流布の未来にある」(取意)
と述べたのでした。
この“裏切り”を眼前にして池田大作は憤怒し、それより「修羅と悪竜の合戦」そのままの、凄絶にして醜悪極まる大抗争が勃発したのであります。
その中、池田からスキャンダルを暴かれ、嬲り者にされて憤激が頂点に達した阿部日顕は、池田大作が「仏教三千余年史上空前の偉業」と自讃していた正本堂を、ついに打ち壊わしてしまったのであります。
まことに、このような不思議があり得ましょうか。
学会・宗門が一枚岩であれば正本堂の崩壊などはおよそ不可能であったところ、先生の諫暁によって諸天が動き、それまでの池田大作と阿部日顕の蜜月関係は一転、日本国中が呆れるほどの醜い大抗争が俄に起こり、正本堂が撤去されたのでした。
まさしく先生の後ろには御本仏・日蓮大聖人がついておられたのであり、換言すれば、未曽有の大悪を許し給わぬ大聖人様が先生をして諫暁せしめ、ついに正本堂を打ち砕き給うたものと、伏して拝するものであります。
ここに第六天の魔王が、御本仏の御遺命を破壊せんとした企みは、先生の三度にわたる諫暁により、凡慮を絶する不思議を伴い、ついに崩壊し畢ったのであります。
次に諫臣として立たれた一国諫暁について。
先生はこの正本堂崩壊に至る宗門諫暁の顛末を以て広宣流布のご確信をこう述べておられます。
「宗門における御遺命守護完結の姿は広宣流布のモデルケースである。今度は日本の国家を単位とした大きな現証が起きてくる。
すべては大聖人様の御力による。私たちはそのお手伝いをさせて頂いているのである」と。
これまで先生は二度にわたって一国諫暁を行なっておられます。
第一回は今から二十七年前の平成九年七月十六日、五十万の死身弘法を背景として
「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」の一書を以てなされました。
御在世以来の最大と言われる大彗星の出現をごらんになった先生は、仏法によって起こる天変と地夭は必ず相呼応するものであれば、大彗星が出現して大地震が起こらぬはずはなく、またそれこそ他国侵逼の前相であれば、この大事をいよいよ一国に告げ知らしめんと敢然と一国諫暁に立たれたのであります。
第二回はそれより七年後、今から二十年前の平成十六年四月二十八日、百万の死身弘法を背景として
「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の一書を以てなされました。
この諫暁書を認められた所以について先生はかく仰せ下さいました。
「なぜこの書を著わしたかといえば
日本はすでに亡国の前夜を迎えている。ではその亡国はいかなる災難によってもたらされるのかといえば――
まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、そののち亡国の大難たる自界叛逆・他国侵逼が起こり、ついに亡国に至る――これ日本一同、大慈大悲の日蓮大聖人に背き続けてきたゆえである。
しかし、もしこのことを前もって全日本人に告げ知らしめておかなければ、亡国の大難が起きたとき、日本の人々はただ恐れおののくだけで、この大難が何ゆえ起きたのか知る由もない。そうであれば、日蓮大聖人に帰依することもない。さればそのとき日本は本当に亡んでしまう。
よって前もって、日蓮大聖人に背くゆえに亡国の大災難が起こるということを、全日本人に告げ知らせ、以て『日本国一時に信ずる事あるべし』の御金言を仰がんと、本書を著わした次第である」と。
また一国諫暁に臨まれるご精神について
「私はへつらってわかってもらおうなどとは思わない。よし、憎まば憎め、すべてを大聖人様に任せ奉る、そして諸天の働きを待つという思いである。
たとえ国中の者が悪口をいい嘲笑しようとも、『もし言ったとおりになったら、そのときどうする』この確信で、私はいく」と。
さらに、一国諫暁によって諸天が必ず動くご確信を、かく述べられました。
「この御本仏のご威徳を、全日本人に知らしむる戦いをなすのは誰か。それは、いま濁乱の世に生まれ出でた、百万の地涌の大集団以外にはない。もしこの戦いを見て、諸天が見て見ぬふりをするならば、諸天は必ず大聖人様から罰を受けると、私は確信している」と。
当時、多くの人々は日本の亡国が迫るも火宅にあそぶ子供のごとく「覚らず、知らず、驚かず、怖じず」であり、また顕正会を怨嫉する学会・宗門の無道心の輩に至っては「顕正会は大地震だ、他国侵逼だのと世間を脅している。そんなことが起こるはずがない」と悪口・嘲笑しておりました。
しかし、その後の日本の姿を見れば、まさしく先生が諫暁書に言い置かれたとおりの世相となっております。たとえ悪口は言えたとしても、これらの現証を否定できる者は一人もおりません。
具体的に挙げます。
「巨大地震」は平成23年にマグニチュード9・0の国内観測史上で最大の東日本大震災が発生し、それより「大地動乱の時代」に突入しました。マグニチュード3~6の規模の地震の頻度は東日本大震災の以前と比べて約5倍に急増しております。
震度7の地震は平成28年に九州熊本で二度、平成30年には北海道の胆振地方中東部で、また本年元日には石川県能登半島で発生しました。
そして、今月8日には南海トラフ地震の想定震源域である宮崎県沖の日向灘を震源とするマグニチュード7・1、最大震度6弱の地震が発生しました。
今回の地震について東京大学地震研究所の笠原順三名誉教授はこのように警鐘を鳴らしております。
「危険度が数倍高くなったと言っているが、それは(地震の発生が)非常に接近してきたことを意味している。30年以内ではなくて、10年以内ではなくて、もっと短くなっている可能性がある」
「能登半島地震から日向灘地震、南海トラフ地震にうつるとすると、半年か、1年くらいは相当注意しないといけない。仮に連動したとすると非常に危険である」と。
この南海トラフ巨大地震の被害は想像を超えるものであります。
内閣府が平成24年に発表した被害想定では、最大で34メートルの津波が起こるとされ、10メートル以上の津波が太平洋沿岸の100市町村を襲うことが予測されています。
また震度6弱が想定される地域は21府県292市町村、震度6強が想定される地域は21府県239市町村、震度7が想定される地域は10県151市町村にも及び、死者・行方不明者は32万3千人、経済被害は220兆3千億円と言われております。
本年1月、立命館大学環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は
「スーパー南海地震が起きると、日本列島はマグニチュード9クラスの激震に揺さぶられることになる。国は“最悪のシナリオ”で死者数32万人と想定しているが、甘いと言わざるをえない。
私の試算では、少なくとも津波だけで50万人が命を落とします。この50万人という数字は、海に面した場所で暮らす住民の1%が亡くなった想定で試算した、いわば最低ラインです」
と、私たちの想像を遥かに超えた甚大な被害に見舞われると警告しております。
そして、この南海トラフ巨大地震とともにその発生が近づいているのが、日本の総人口の約三分の一の4400万人がひしめきあい、政治・経済等が一極集中している首都圏の直下地震であります。
国の中央防災会議は、首都圏直下地震が発生した際の被害想定を死者・行方不明者が最大で二万三千人、経済的被害額は142兆円にのぼると試算していますが、実際にはこのようなもので収まるかどうかはわからない。
以前にも伝えた通り、土木学会は首都圏直下地震が発生した場合、復興するまでの長期的な被害総額は政府の想定を遥かに上回わる1000兆円にものぼると試算しており、また6年前に同学会が試算した南海トラフ巨大地震の長期的な被害総額は1410兆円、これらの巨大地震が発生したら、国家破産寸前の日本は止めをさされます。
それでなくても日本は「国家破産」がいよいよ近づいてきております。
安倍晋三が推し進めたアベノミクスにより政府は放漫財政・バラマキを重ね、8月9日の財務省の発表によると、政府債務残高は1311兆円になり、過去最大を更新しました。
これは対GDP比で254・5%(2024年末、データはIMF)、先進国の中で最悪です。昭和20年の敗戦時に日本が始めて国家破産したときの政府債務は対GDP比204%であったことを思えば、すでに国家破産してもおかしくない。
しかし現在どうして破産しないのかといえば
日銀が政府の下請けになって、政府が発行する借金の証文たる国債を買い支え、政府の資金繰りを助けているからであります。
安倍晋三元首相と黒田東彦前日銀総裁が「異次元金融緩和」の名のもとに行なってきたのは「禁じ手」と言われる事実上の「財政ファイナンス」であります。
「財政ファイナンス」とは政府が発行する国債を中央銀行に買わせ、中央銀行に印刷させた紙幣で政府の歳出を賄うことであります。こんなことが罷り通るなら、政府は税収を気にせず、いくらでも中央銀行に紙幣を増刷させればよいことになる。
なぜ財政ファイナンスが禁じ手なのかといえば、これを行えば財政規律が失われ、中央銀行による通貨の増発に歯止めが掛からなくなり、ハイパーインフレを引き起こすなど深刻な経済問題をもたらすためです。これはかつてのドイツなどが財政ファイナンスを行なった結果、天文学的なハイパーインフレに見舞われた歴史的教訓なのです。
ところが第二次安倍政権から岸田政権に至るまで異次元金融緩和の名のもとに事実上の財政ファイナンスを十年以上も続けた結果、日銀は国債の発行残高の五割強にあたる六百兆円近くの国債を保有するに至り、極めて異常な状態になってしまったのであります。
その異次元緩和の副作用で極端な円安になり、輸入物価が高騰したことなどで、いよいよ日銀は異次元金融緩和政策を修正せざるを得なくなりました。
今後、金利が上がれば日銀は債務超過に陥り、日銀の信認が失われれば円と国債と株式は暴落する。また1300兆円以上もの債務を抱えた政府は国債の利払い費の負担が増大し、財政維持が困難になり、財政破綻に至るのであります。
あるいはハイパーインフレが起これば、国民は塗炭の苦しみを味わうのであります。
いずれにしても、財政破綻・国家破産はもはや不可避であります。
そして「異常気象」は世界的規模で起こってまいりました。
今や地球温暖化どころではなく「地球沸騰化の時代」といわれ、記録的大雨による洪水、干ばつ、森林火災などの異常気象は世界中で悲惨な大災害をもたらしております。
また「大飢饉」は、台湾有事等によりシーレーンが封鎖されて輸入がストップしたら、食糧自給率38%の日本はたちまち飢餓に直面いたします。
そして「大疫病」は新型コロナが世界的に流行して夥しい数の死者が出て、未だに終息しておりません。
何より最も恐るべき「他国侵逼」が刻々と迫りつつあります。
本年四月、岸田首相はアメリカに国賓待遇で招かれました。
バイデン大統領と岸田首相は首脳会談を行い、日米同盟を「日米および世界のため、複雑に絡み合う課題に対処できるグローバルなパートナーシップ」と位置づける共同声明を発表しました。
それを具体的に煮詰めるために本年7月28日に日米両政府は外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)を都内で開催しました。
この席でアメリカは在日米軍司令部を「統合軍事司令部」に再編し、日本が来年三月に創設する自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦司令部」を重要なカウンターパートとしました。
これにより自衛隊は米軍の指揮下に組み込まれていくことは自明であります。
またアメリカの「核の傘」を含む戦力で日本を守る「拡大抑止」についても初の閣僚会合が開かれ、中国・ロシア・北朝鮮を念頭に、それをいっそう強化することが合意されました。
これを受けて中国は直ちに反発しております。
中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹紙である「環球時報」というメディアがあります。この英字版の7月28日の記事で専門家の声をこのように伝えております。
「日米軍事同盟における自衛隊の役割を高めようとするアメリカの意図により、東京は核兵器の紛争を含む他国からの反撃の最前線に立たされることになる」と。
複数の米軍幹部は予てより中国による台湾侵攻の時期を「2027年」もしくは「もっと間近に迫っている」と述べておりましたが、本年3月20日の議会証言でも、米インド太平洋軍のアキリーノ前司令官は、中国人民解放軍は第二次世界大戦以来の規模で軍備と核兵器を増強しており、2027年までに台湾に侵攻しようとする習近平国家主席の目標を達成しつつあることを「あらゆる兆候が示している」と証言しました。
台湾有事の際、米軍の下請けとして自衛隊が動けば、日本は中国との軍事衝突の最前線に立たされ、核攻撃の対象になるのであります。
そのときアメリカは国益を犠牲にして、中国と全面対決してまで日本を守ることは断じてあり得ない。
かくて「自惟孤露・無復恃怙」となった日本は、中国の強大な核ミサイルにより血祭りに上げられるのであります。
このように先生が諫暁書で言い置かれた亡国の大難は、日本一同が末法下種の御本仏・日蓮大聖人に背き続け、就中、正系門家が御遺命の国立戒壇を抛ち、極限の大謗法・師敵対に陥ったゆえの「仏法より事起こる」ものであるから、たとえ世法レベルの善政を敷いたとしても三大秘法を立てなければそれを遁れる術はない。
先生は
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の御聖意について、なぜ日蓮大聖人に帰依するか背くかによって、日本国の有無そして人類の存亡すら決するのか、これを理解するには仏法守護の諸天の働きを弁えなければいけないとして、いずれの一国諫暁の書においても、大聖人様の御化導に伴う諸天守護の大現証を挙げ、それを克明にお示し下さいました。
そして、このように仰せであります。
「諸天の存在は、一般の常識を超えるから理解しがたいとも思われるが、現証あればこれを信じなくてはならない。もし諸天が実在しないとするならば、諸天の働きを前提としてなされた大聖人の御予言が、どうして符合することがあろうか。この現証を以て信ずべきである。……宇宙的スケールと力用を有する諸天が守護するゆえに、大聖人に背けば誰人も身がもたず国も亡び、また帰依すれば身も栄え国も安泰になるのである」と。
この仰せを先生の諫暁に約して言わせて頂けば――
諸天の働きを前提としてなされた先生の事前告知が符合したということは、この現証を以て諸天の存在を信ずるべきであり、であるならば諸天を従え申しつける御本仏・日蓮大聖人に帰依すれば身も栄え国も安泰になることを知るべきであると。
すでに日蓮大聖人の大恩徳を顕わした広告文の発行部数は一億部、さらに顕正会員による折伏は月々にその熱烈さを増し、今や列島の至るところで交錯しております。
そこに、先生の二度におよぶ一国諫暁の「事前告知」が一つひとつ事実となる中、三百万が一結して眼前の大罰を指さして
「日蓮大聖人を日本国の柱にせよ」
と一国を諫暁するとき、亡国眼前の日本は必ず動く。
そして、大聖人様は「一閻浮提の大闘諍」起こるとき、「他国来難」の起こるとき、この大罰を用いて一時に広宣流布をあそばす。
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)は事実になるのであります。
謹んで思うに――
日蓮大聖人の大恩徳をその御聖意のままに全日本人に広く教え帰依を迫る先生の大規模なる諫暁は、まさしく御在世以来のものであります。
正系門家の悉くが師敵対に陥るという未曽有の大悪が起き、ゆえに亡国を迎える日本にあって、「諫臣・争子」として諫暁を重ねてこられた先生こそ、大聖人様が召し出された「遣使還告」のお方と拝するものであります。
そうでなくて、どうしてたったお一人で第六天の魔王と四つに組んで戦い、偽戒壇・正本堂を崩壊に至らしめることができましょうか。
またどうして全日本人に対して大聖人様の大恩徳を顕わすことができましょうか。
かかる仏法上、重大なお立場だからこそ、先生の諫暁によって
「虎うそぶけば大風ふく、竜ぎんずれば雲をこる」
との御金言のごとく、一国一同が
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を深刻に理解せねばならぬ客観情勢が作られるのであります。
そこにいま我らは「浅井先生の弟子」として、そのご遺志を継ぎ、第三度の一国諫暁の御奉公に立たせて頂ける大宿縁を思えば「舞をも舞いぬべし」の大歓喜が込み上げてまいります。
そして、今こそ「総罰」が現われる広布前夜であれば、激化する三災七難を覚悟しなければなりません。
しかし、大聖人様は必ず私たち弟子を御守護下さるのであります。
ゆえに呵責謗法滅罪抄には
「何なる世の乱れにも、各々をば、法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」
と仰せあそばす。
何とももったいないほどの仰せであります。
されば私たちは、たとえ地球が壊われるようなことがあろうとも、日蓮大聖人への信心だけは決して破らない絶対信に立ち、広布前夜の大罰を乗り越えて広宣流布を力強く進めていきたい。
最後に九・十・十一月法戦の誓願を発表いたします。
顕正会全体の誓願は「三万」といたします。
三者各部の誓願は、男子部1万4千100名、女子部1万500名、婦人部5千400名であります。
さあ、先生の一周忌を迎える本年の最終法戦、全組織が誓願を大きく突破する美事なる戦いを展開し、以て霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)