本日の登壇も、最初から最後まで素晴らしい内容で、こみ上げる感動を抑えがたきものであります。
いま全顕正会には、浅井先生が昨年に留め置かれた
「あと5年以内に成すべし」
とのご命令を体し、2028年・令和10年までに三百万を断じて成さんとの凄まじい闘志と、十月十三日の御大会式と十六日の浅井先生の一周忌を見つめたご報恩の思いと熱鉄のごとき大情熱が滾っております。
「和党ども二陣三陣つづきて……」
との御本仏の大教令を命に刻んで戦う全顕正会員の涙の出るような赤誠により、一昨日の月曜の時点で、なんと二万になんなんとする一万九千九一五名・誓願比六六%の力強い前進がなされております。
この勢いがさらに加速していくならば、誓願の三万を遥かに突破する、四万をも視野に入れた空前の大折伏が敢行されるものと確信いたします。
今たいへん有難く思うことは、先生の四十九日にあたる昨年十二月三日から再開した日曜勤行の大感動が、週ごとに大きなうねりになっていることであります。
入信あるいは入会したばかりの人や、これまで長いあいだ未活動だった人たちが、浅井先生のご指導にふれては大感激し、難しいことはわからずとも、恋慕渇仰の信心口唱に励む中、忽ちに頂く功徳の歓喜で猛然と折伏に奮い立つ姿は
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(諸法実相抄)
との仰せのごとくで、いま毎週の日曜勤行から五十展転の大波動が起きております。
そして先輩幹部が驚くような確信と情熱で立ち上がる、それら新しい人材の台頭、その成長の早さは目を見張るばかりです。
その姿を見て脳裏に浮かぶは、出世の本懐成就の時いたり、忽然と出現した熱原の方々の姿であります。
日興上人の御教導によって、燎原の火のごとく熱原一帯にお題目を唱える者が続々と出てきて、その不惜身命の「唯願説之」の信心は大聖人様の御心に適い奉り、本門戒壇の大御本尊の「願主」たるを許された。
いま広布最終段階にいたり、浅井先生のご信心によって、御在世における日興上人・日目上人の「広宣流布 朝夕近し」の大情熱が、そして熱原の方々の恋慕渇仰・不惜身命の信心が澎湃として蘇り、御遺命成就を見つめた熱烈な死身弘法が展開されていること、まことに不思議を感じます。
すべては仏力の所作であれば、今後、広宣流布が近づくにつれ、この大潮流はますます勢いを増していくこと疑いありません。
されば、さらに大勢の同志を日曜勤行に呼びかけ、その感激を語り合う中に、北海道から沖縄にいたる全国各地に、そしてあらゆる社会の階層に広布の人材を雲集して、三百万の大陣を急ぎ構築してまいろうではありませんか。
先ほど三人の感動的な体験発表がありましたが、顕正会にみなぎる御本尊様の功徳の体験は枚挙に暇がありません。
顕正会員は、先生が確立された遥拝勤行で、大聖人様・戒壇の大御本尊に通ずるお題目を唱え奉るゆえに、現当二世の大功徳が頂ける。なんと有難いことでしょうか。
そして、成仏した証拠は最後、臨終に現われるのであります。
昨年十月十六日に御逝去された浅井先生の臨終の相は、御金言どおりのまことに素晴らしき妙相でありました。
これ先生のご信心が、その戦いの一切が、大聖人様の御意に寸分も違わぬ証拠であれば、先生の指さされるままに前進していけば、私たちは現世の生活が守られ、一生成仏も叶い、また広宣流布の大願も必ず成るのであります。
そして先ほどの神﨑管理室長の登壇にありました、西澤礼子本部幹事の良き臨終は、言葉に尽くせぬ有難さをおぼえました。
西澤本部幹事は四十七年前の昭和五十二年に入信してより、女子部および婦人部の幹部を歴任し、同時に本部職員として、先生のお膝元で一切ブレることなく、一筋にけなげな御奉公を貫き通した人材でした。
私は西澤本部幹事が臨終を迎えた日の翌日、三者の主要幹部とともに葬儀場に赴いて唱題回向してまいりました。
その際に目の当りにした、色白く、唇は紅をさしたごとくの、嬉しそうに微笑むような柔和な妙相には、驚きを隠せませんでした。
あたかも大聖人様がお迎えに来て下さった大法悦に浸り、霊山において浅井先生と相見え、大歓喜しているかのように見えました。
私は悲しみよりも、凡夫を仏にして下さる日蓮大聖人の大慈大悲が命に迫り、正しき師匠に師事し、大聖人様の御心のままの信行が叶う有難さが幾重にも込み上げました。
大聖人様は、死後に地獄に堕つる相、また成仏の相について、千日尼御前御返事に克明に仰せられております。
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、あなる事兜羅綿の如し」と。
すなわち、地獄に堕つる者は、生前どれほど色の白い人でも、臨終ののちに遺体が黒くなり、身体がたいへん重くなる。
一方、成仏する者は、たとえ大柄の女性でも、あるいは色黒き者でも、臨終ののち色変じて白色となり、遺体は軽く、柔らかく、かつ柔和な相となる――と仰せ給う。
この厳然たる臨終の証拠は、誰人も否定できません。
先生は顕正会員の良き臨終について、こう仰せ下さいました。
「私は、顕正会員が『良き臨終を遂げた』という報告を各部の部長から毎日のように聞くが、そのたびにいつも有難さが込み上げてくる。だから私はその報告を、いい加減な気持ちで聞いたことがない。
大聖人様の大慈大悲、御本尊様の仏力・法力で、我ら凡夫がわずかな信心で成仏させて頂ける。なんと有難いことか。
顕正会員は、大聖人仰せのままの信心を実践させて頂いているから、このようによき臨終を遂げるのである」と。
謹んで思うに、かかる先生のお心は、大聖人様の御心をそのまま我が身に体されたものと拝します。
それは、どのような御心か――。
大聖人様は諫暁八幡抄にかく仰せられる。
「今日蓮は、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」と。
まさに大聖人様は、母親がむずかる赤ん坊の口に乳を入れんとはげむ大慈悲をもって、「幸せになるお薬」「即身成仏の大良薬」を私たちにお勧め下さったのであります。
それも平穏の中にではない。流罪・死罪の大難に値い給うとも、ただ一切衆生のために南無妙法蓮華経をお勧め下された。これが仏様の大慈大悲であります。
また撰時抄にはかく仰せ給う。
「されば我が弟子等、心みに法華経のごとく身命も惜しまず修行して、此の度仏法の実否を心みよ」と。
この御文の中に「心みに」あるいは「心みよ」と二度も仰せ下さっておられます。
このことについて先生は
「大聖人様がいかに『仏法の絶対』を、我ら弟子に打ち込まんとしておられるか。その御心をここに拝する思いである」
と、その御意をご教示下さいました。
そしてこの「実否」の二文字は、宗門版や学会版の御書にも、あるいは身延版の御書にもなく、あるとき先生は御真跡と照合してみたところ、その御文の脇に「の実否」と加筆されていたので、それより「実否」を加えて引用しておられます。
この
「仏法の実否を心みよ」
とは、仏法が実かウソかを試してみよ――ということです。
この御文は、大聖人様が身命も惜しまぬ御修行によって、竜の口の頸の座において久遠元初の自受用身・末法下種の本仏と顕われ給うた、その御自身の実証体験を裏づけとしての仰せゆえに、まことに重いのであります。
先生は、かかる大聖人様の大慈大悲の御心をそのまま我が身に体しておられたゆえに、顕正会員一人ひとりの良き臨終の報告を聞かれるたびに、大聖人様がいかにお喜びあそばされるかと、このうえない有難さを噛みしめておられたのだと拝察します。
いま私自身、このたびの西澤本部幹事や西山組長等の顕正会の同志の良き臨終を見聞きするたびに
「なんと有難いことか」
との先生の仰せが身に沁み入るとともに、先生のご遺志を継いで広宣流布に邁進する現在の顕正会の前進が、御意に適い奉るの証拠を大聖人様が見せて下さったのだと、先生から大切な同志をお預かりする者として、それが何より有難く、涙が込み上げてまいります。
そして先ほどの撰時抄の上の御文に
「法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて、而も一分の解なからん人々は、彼等の大聖には百千億倍のまさりなり」
との仰せがあります。
この御文について、先生はこのように指導下さいました。
「いまこの御文を、我ら大聖人の末弟の立場で拝すれば、こうなる。
『戒壇の大御本尊より外に仏に成る道はなしと強く信じまいらせ、而も一分の解なき人々』と。
これが今の顕正会員の立場に当る。この清らかな信心に立つ者は、たとえ何もわからなくとも、一生成仏が叶うのである。
それにつけても思うことは、いま広宣流布の前夜になって、創価学会はあろうことか戒壇の大御本尊様への信を捨ててしまった。極限の大謗法を犯してしまった。
騙された会員たちは、現世には罰を受け、最後臨終には悪相を現ずる。まことに不憫である。……臨終は一回しかないから、失敗したら取り返しがつかない。
だから大聖人様は
『一生空しく過して万歳悔ゆることなかれ』
と仰せ下さる。
池田大作一党に騙されて臨終に悪相を現ずること、まことに不憫である。早く学会員を救わなければと、思うばかりである」と。
この学会員を救わんとされた先生のご慈愛を、私は全学会員に伝えたい。
戒壇の大御本尊を捨てさせられて今生は罰に呻吟し、後生は「入阿鼻獄」となる学会員は、早く悪師を捨てて正しき師匠・浅井先生に師事し、共に御遺命成就に戦う同志となるべきであります。
さて、今月は「聖人等御返事」のまことに重大なる講義を拝聴いたしました。
先生は、御本仏の御化導における熱原の大法難の重大意義と、成仏の鍵である
「仏法のために身命を惜しまぬ人、必ず仏に成る」
との御意を示されるために、「弟子檀那中御状」「開目抄」「如説修行抄」の要文を併せて指導下さいましたが
国立戒壇建立に戦う「唯願説之」の信心をご教示頂けた有難さが込み上げ、本講義こそ、いまご遺志を継いで戦う私たちのために先生が下さったものと涙があふれました。
そして、第六天の魔王その身に入りし平左衛門の、御本仏の出世の本懐成就を阻止せんとした異常な怨嫉・迫害の中、大聖人様の師子王心を心に映し、国家権力の弾圧にも屈せず不惜身命の信心を貫かれ、ついに出世の本懐たる戒壇の大御本尊の「願主」となった熱原の方々の「唯願説之」を具に伺っては、粛然たる思いに包まれました。
何より大聖人様が、捕縛された熱原の方々の身を案じられ、日興上人の案文に筆を加えられた滝泉寺申状を以て、御本仏の大境界より幕府を諫暁あそばされたこと。
また早馬で届けられた日興上人のお手紙により、神四郎殿等の三人が頸刎ねられるを知り給うた大聖人様が、直ちに熱原の方々への万感の思いと厳たる賞罰を示し給い、平左衛門への強烈なる御叱責をご指示された聖人等御返事を認められたこと。
その際、大聖人様の御心のままに法難の指揮を執られた日興上人を始めて「聖人」と称嘆あそばされたこと等
この熱原の大法難に対する大聖人様の容易ならざる御意が、かつてない臨場感を以て命に突き刺さりました。
先日の竜の口法難御報恩勤行会における、思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた御本仏成道の御尊容と併せ、このたび出世の本懐成就の重大事を如実に拝してはゾクゾクする大感動が込み上げ、末法下種の御本仏のご化導におけるこの二つの最大事こそ、全日本人が、いや全人類がしかと心腑に染めるべきものであります。
同時に私自身、今般あらためて思ったことは、先生の激闘は
「仏法のために身命を惜しまぬ人、必ず仏に成る」
との、大聖人様の御意を身読されたものに他ならぬということであります。
先生の御遺命守護の戦いを拝見すれば――
池田大作に操られた宗務院が、妙信講(顕正会の前身)を抑え込むために処分をちらつかせてきた際、先生は
「もしかゝる道理を尽くさず暴戻の断罪を行うならば、それも亦良し。御遺命を守護して身命を喪えば、在家の本分これに過ぎたるは無しと、心中より悦ぶものである」
と、解散処分を怖れるどころか、むしろ喜びとされ、阿部総監代務者へ公場対決を迫る強烈なる書面を突きつけられました。
これ、弟子檀那中御状の
「定めて日蓮が弟子檀那、流罪・死罪一定ならんのみ。少しも之を驚くこと莫れ。方々への強言申すに及ばず、是れ併ら而強毒之の故なり。日蓮庶幾せしむる所に候」と。
この「日蓮庶幾せしむる所」の「庶幾」とは望み願うこと、すなわち御自身の身に迫る流罪・死罪の大難を心から願われた大聖人様の御精神と全く同じであります。
また池田の意を受けた宗務院が登山に託けて「国立戒壇」を捨てさせようとした時に、先生は
「もし、妙信講が下劣なる圧力に屈して、国立戒壇の正義を捨てて御登山を許されたとしても、果して大聖人はお喜びあそばすであろうか。恐らくは激しくお叱りあそばすに違いない。……
妙信講はいかなる脅迫にも誘惑にも負けない。
大聖人は『智者に我が義やぶられずば用いじとなり』と仰せである。妙信講は大聖人の弟子である。国立戒壇がまさしく大聖人の御遺命であり、しかも誰人も此の義を破れぬ以上、妙信講はいかなる圧力にも屈しない。ただ身命を期として、ますます正義を守り奉るのみである」
と叫ばれました。
これ、開目抄における
「智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし」
との、大聖人様の全人類救済の金剛のごとき大誓願を身に宛てられたご決意であります。
かくて、死罪に等しい解散処分を蒙るも
「これに勝る喜びはない」
「大聖人様に……これで一分でも申しわけが立つ」
と、どこまでも忠誠を貫き通された先生を、大聖人様は
「彼等御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云云。偏に只事に非ず」
と深く御感あそばされたものと、恐れながら拝するものであります。
そして先生は
「『毒を変じて薬となす』の仰せ、深く思わなければいけない」
として、熱原の方々がこの大難によって仏果を得て、まさに砂を金に替えたこと。
また御本仏のご化導に約されて、この大難により「願主」が出現して、久遠元初の自受用身の御内証を「本門戒壇の大御本尊」と顕わすことが成就し給い、全人類成仏の法体が確立されたことこそ、まさしく「毒を変じて薬となす」であることを指導下さいました。
翻って、この「変毒為薬」を、先生の戦いに約して言わせて頂けば
潰れて当然の解散処分を蒙ったことで先生は
「御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
との御精神のまま、かえって広布最終段階の信行たる「遥拝勤行」を確立され、解散処分当時一万二千だった顕正会を、日本で唯一御遺命を奉じて立つ三百万になんなんとする仏弟子の大集団になさしめられました。
もし解散処分を蒙ることなく宗門の中にいたら、学会・宗門の「修羅と悪竜の合戦」のごとき醜悪きわまる大抗争に巻き込まれ、御遺命破壊の二代の悪貫首の本尊を拝まされ、広布最終段階の信行たる「遥拝勤行」は確立されなかったのであります。
まさに第六天の魔王その身に入る池田大作が、御遺命の国立戒壇を死守された先生が率いられる顕正会を重科に沈めんと「解散処分」に付せしめるも、先生の大忠誠心により、かえって「御遺命成就」への大道が開かれた不思議を深く噛みしめるものであります。
解散処分の翌年、先生は、かかる非道なる弾圧を受けても微動だにしない顕正会の強靭さに驚愕した学会幹部が頻りに
「妙信講には黒幕がついているのではないか。自民党か共産党か、あるいは身延の邪教か、さもなければあんなにいつまでも強いはずがない」
と下衆の勘ぐりをしていたことにふれて、かく師子吼されました。
「およそ宗門七百年の歴史において、国立戒壇を叫んで解散させられた講中もなければ、また時の貫首の権威を以てしても潰れなかった講中も未だ曽てなかった。まさしく〝末代の不思議これに過ぎたるはなし〟と私は思っている。……確かに妙信講の後ろには、どなたかがついていらっしゃる。誰人におわするか、すなわちたった御一人、御本仏日蓮大聖人が妙信講にはついておられる」と。
解散処分より五十年の大節を迎えた今、偽戒壇・正本堂がわずか二十六年で音を立てて崩壊し、池田大作・細井日達・阿部日顕の三悪人が「入阿鼻獄」となり、片や顕正会は唯一御遺命を奉じる三百万になんなんとする仏弟子の大集団となったこと等、先生の戦いに伴う数々の大現証を見れば、まさに
「須臾に賞罰有らんか」
とのごとくであり
「末代の不思議これに過ぎたるはなし」
の仰せ、まことに千鈞の重みであります。
ここに先生の「忠誠の証」たる「解散処分」によって確立された遥拝勤行が一国に満つる姿こそ、国立戒壇の金剛宝座に戒壇の大御本尊様にお出ましを願う「唯願説之」であれば、いよいよその大気運を一国に漲らせる戦いを展開してまいろうではありませんか。
話は変わります。
先月、私は
「先生の『諫臣・争子』のお立場を拝し、第三度の一国諫暁の重大御奉公を見つめていきたい」
として、先生が諸天の働きを前提として言い置かれた、巨大地震の連発・国家破産・異常気象・食糧危機・大疫病が一つひとつ事実になり、そして他国侵逼も岸田首相がバイデン大統領に言われるまま安保政策を転換して、自衛隊を米軍の指揮下におく等、日米同盟がかつてないほど強固な軍事同盟に引きあげられたことで、日本が中国の核ミサイルの標的になり、血祭りに上げられることが現実味を帯びてきたことを述べました。
併せて今、かつて先生がご指摘下さった通り、AIいわゆる人工知能の急速な発達で「人類絶滅」が危惧されるようになってきております。
具体的には、AIの進化が「前代未聞の大闘諍」たる第三次世界大戦を早める要因になっているということです。
現在AIは、「分単位」と言われるほど驚異的な速度で進化を遂げております。
もちろんそのAIの技術により、複雑で難解な諸問題を解決できたり、人々の生活の向上や経済成長をもたらしたり、さらには自然災害等の予測や対応が期待されるなど、大きなメリットが謳われております。
しかしその反面、それが悪用された場合の、犯罪の巧妙化や偽情報による社会の混乱さらには「人類絶滅」という深刻なリスクも指摘されております。
著名なAI研究者であり「AIのゴッドファーザー」と呼ばれるトロント大学のジェフリー・ヒントン名誉教授は、コンピューター上で人間の脳の神経回路を数学的に模倣する研究を主導し、AIの学習手法を開発して目覚ましい成果をあげ、莫大な報酬でアメリカの主要IT企業「グーグル」に迎え入れられたものの、昨年五月に同社を退職しました。
その理由は
「このままAIを開発し続ければ大変なことになる。これからはAIの危険性に警鐘を鳴らすために活動したい」
というものでした。
同氏は、AI技術が急速に進化する中で、悪人がAIに悪い目標を与え、大量の偽情報をネット上に拡散したり、生物テロ・サイバー戦争が起こされたりする懸念を懐いており、何よりAIが軍事利用されて
「今後十年以内に、自律的に人間を殺すキラーロボットが登場し、大規模実戦配備が現実のものになる」と述べております。
この「自律的」とは、他の介入なくその目的を達成するために自ら判断して意思決定を行うことです。
さらに
「AIが自動的に攻撃目標を設定し、敵を破壊できるシステムが開発されたら、戦争の制御を不可能にし、広範囲にわたる被害をもたらす可能性がある」
「AIが人類存亡の危機をもたらす恐れがある」
などと警告しております。
一方、人工知能の開発を行なっているアメリカの企業「オープンAI」の研究者だったレオポルド・アッシェンブレナー氏は、AI技術の急速な進展とその影響について、このようなシナリオを公開しました。
それによれば――
2027年までに「AGI」といわれる「汎用人工知能」すなわち人間以上の知能を持つAIが開発され、これが実現すると、AI自体がAIの研究を自動化することで科学技術が指数関数的に劇的な進化をとげ、その後さらに進化した「ASI」といわれる「人工超知能」すなわち人間の知能を遥かに超越した圧倒的な知的能力をもつAIが開発され、ロボット工学・科学技術・経済・軍事などのあらゆる分野に革命的な変化をもたらし、これは人類にとっての大きな可能性であると同時に、大きなリスクをもたらすと言っております。
ことにAI超大国への野望を懐く中国等の権威主義国家によって「超知能」が悪用されれば、核兵器・生物兵器・化学兵器の高度化が図られ、それは未曽有の脅威になる危険性を孕んでおり、既存の軍事技術の均衡が崩れ、先制攻撃や国際的な緊張が高まる可能性があると。
さらに、もしAIが暴走して人類に敵対し、人間の意図を超えた行動をとれば人類の存在を脅かす恐れがあるとして
「ASIは人類史上で最も強力な技術、そして核兵器を超える最も強力な兵器となるだろう」
「高い確率で世界戦争の引き金を引く」
「その危機は2030年ごろまでに現実になる」
と警告しております。
またオープンAIの現役および元従業員らのグループは、AIの危険性に警鐘を鳴らす書簡を公開し、その中で
「人間が自律型AIシステムの制御を失い、それが人類の絶滅につながる恐れがある」
と懸念を表明しております。
さらにアメリカの非営利団体は
「AIによる人類絶滅のリスクを軽減することは、パンデミックや核戦争などと並び世界の優先事項であるべき」
との声明を発表し、オープンAIのCEOなど三五〇人がこれに共同で署名しております。
これらの話はまるでSF映画のような世界であり、数年前であれば荒唐無稽な与太話にしか聞こえませんでしたが、これがAIの最先端技術を知る専門家らが危惧する、AIのメリットの裏に存在する容易ならざるリスクであり、現実なのであります。
実際に現在、世界各国はAIを軍事利用した「AI兵器」の開発にしのぎを削っております。
これまでに戦争の形を大きく変えた「火薬」そして「核兵器」に次いで、「AI」は「第三の軍事革命」と言われ、世界中で深刻な懸念が拡がっております。
国連のグテーレス事務総長は昨年七月
「人類を滅亡に至らせるような兵器も生まれている」
として、軍事分野でのAIの応用が進んで、人類が兵器を制御できなくなる危険性について警鐘を鳴らしております。
ことに世界的にその扱いの規制が議論されているのが「自律型致死兵器システム」(LAWS)というものです。
このLAWSは、攻撃対象の選定から攻撃の可否の判断までもAI自身が行う兵器で、そのプロセスに人間の意思が関与しない、いわゆる「殺人ロボット」です。
今後、LAWSの開発競争が激化した場合、戦争が自動化され、それは人間の意思決定を介さないので戦争の勃発がより容易に、かつ瞬時にエスカレートして、世界的な戦争に発展する危険があると言われております。
AIは感情や倫理的判断を持たずに行動するので、兵器の使用がより残虐になり、国際法を無視した無差別殺害が行われ、あるいはサイバー攻撃でLAWSがハッキングされて制御を失えば、その兵器が敵対勢力に逆に利用されて無秩序な破壊が拡がるリスクもあります。
さらにこのLAWSの技術が軍事独裁国家やテロ組織などに拡散すると、制御不能な破滅的な戦争が、世界規模で連鎖的に勃発する危険性が指摘されております。
昨年十二月末の国連総会において
「LAWSが戦争で使用されれば、民間人の犠牲が深刻化する恐れがある」
「LAWSは世界の安全保障に脅威を与える懸念があり、対応を急がねばならない」
という趣旨の決議案が百五十二ヶ国の圧倒的多数で採択されましたが、ロシアやベラルーシなどの四ヶ国はこれに反対し、中国・北朝鮮・イラン・イスラエル等の十一ヶ国は棄権しました。
ロシアのプーチン大統領は“AIを制する国が世界を支配する”とAI兵器の開発を促進し
また中国の習近平国家主席も通常兵器や核戦力の増強に加えて、AIを用いた兵器の積極的活用を示す「智能化戦争」を目標に掲げ、国を挙げてその開発を加速させております。
現在、世界には一万数千発という、地球を何度も破壊し得るほどの核兵器が存在しております。これまでは感情を持つ人間が制御していたので「恐怖の均衡」が保たれてきました。
ところがAI技術が進歩して、人の意思を介さない自律型のAI兵器が次々と開発され、ついには核ミサイルの発射までAIが制御するようになり、もしそれが暴走したら、いったいどうなるのでしょうか。
本年五月に開催された「国際賢人会議」では、AIなどの技術革新が核戦争の危険性を高めることへの懸念が示され、核攻撃の標的の決定やミサイル発射の判断など、核運用をAIに委ねた場合の問題が議論されました。
このようにAIという新たな要素が加わったことで、「前代未聞の大闘諍」たる核兵器を用いた第三次世界大戦がいちだんと近づいたと言えます。
所詮、いくら科学技術が進歩したところで、それを利用する人間の生命が濁っていれば、その技術は人々を幸福にするどころか、むしろ人類絶滅の危機すらもたらすのであります。
大聖人様は、二振りの刀を献上された北条弥源太殿に対し、かく仰せ給うておられます。
「此れを法華経にまいらせ給う。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬へば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や」と。
軍をする弥源太殿が持つ刀は人を切る悪の刀である。ところが今これを御宝前にまいらせれば、弥源太殿の後生を助ける杖となるのである――と。
先生はこの一節について、かく指導下さいました。
「刀に善悪はない。使う人によって善にも悪にもなる、その働きが変わってくるのである。刀を持つ者が地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界の濁った生命ならば、刀もそれに応じた働きになる。
刀だけではない、物事はすべてそうである。人の生命が濁っていたら幸福のためと思ってその人が手にしたものが、すべて不幸の原因となってくる。……
私が最も心配しているのは、科学技術が修羅界の戦争に使われていることである。今の科学技術は大量破壊兵器の開発に使われている。毒ガスの化学兵器、天然痘などの感染症を起こす生物兵器、そして恐ろしい核兵器。これらはまさに一人でも多く、一秒でも早く人を殺すことを目的として作られている。
そして石油と食糧の奪い合いを元にして、いよいよ『前代未聞の大闘諍』を地球上で繰り広げようとしている。これが起きたら、人類は滅亡である。
この末法闘諍の全人類をお救い下さるために大聖人様は御出現下さった。
広宣流布になればすべてが妙法化される。
ことに妙法化されなければならないのは国家権力である。国家権力ほど人間にとって大きな支配力を持つものはない。これが妙法化されてくる。
さらに、あらゆる科学技術が妙法化されれば衆生に利益をもたらすのである」と。
かかるご指導がいま強く身に迫り
「広宣流布は時代の要請」
との先生の仰せが、強烈に耳朶を打ちました。
もう日蓮大聖人の仏法を立てない以上、どうにもならない時代を迎えたのであります。
大聖人様は新尼抄に、広布前夜の世界の様相、その三災七難の大悲惨と、それを遁れる術について次のごとく仰せ下されている。
「諸天怒りをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並び起こり、一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、乃至、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
まず「諸天怒りをなし」とあるように、これら広布前夜のもろもろの災難のすべては諸天の力用によることを刮目すべきであります。
この三災七難の根本原因こそ「仏法より事起こる」もの、すなわち日本一同の仏法違背と、正系門家の極限の大謗法と師敵対という二悪が鼻を並べるがゆえであります。
そこに大彗星が出現し、大地が大波のごとく躍るような巨大地震が発生し、大旱魃・大火災・大洪水・大風等の異常気象が荒れ狂い、大疫病たるウイルスによる感染症は猖獗を極め、大飢饉に見舞われ、ついには人々が殺気立って世界規模の大戦乱が起こり、結果、雨が降りしきるように人々が大量死して無間地獄に堕つる悲惨が現出する――その時に
「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」
とて、大聖人様が全人類のためにこの日本国に留め置かれた「本門戒壇の大御本尊」を強く信じまいらせ南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、国も、国民も、この大難をのがれることができるのである――と仰せ下さる。
さらに四十九院申状には
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
この「第三の秘法」とは文底深秘の大法、すなわちその体は実に日蓮大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」の御事であります。
「一閻浮提の中の大合戦」が起こらんとする時、そして「他国来難」がいよいよ始まらんとする時、この「本門戒壇の大御本尊」を日本一同に信じ南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、たとえ一閻浮提の大闘諍が起き、日本が他国侵逼を受けるとも、その兵乱に勝つことができる――と仰せ給う。
竜の口の大現証や蒙古の責めの予言的中という諸天を従え申しつけ給う御本仏の絶大威徳を拝すれば、これらの仰せ、まことに実感を以て拝することができます。
そしてこの「前代未聞の大闘諍」「他国来難」が起こるとき、人々は国亡び我が命を失う恐ろしさから、今まで軽んじ憎んでいた日蓮大聖人を心から信じ、日本一同、頭を地につけ掌を合わせて
「南無妙法蓮華経」「南無日蓮大聖人」と、声をつるべて唱えるようになるのです。
慢心した凡夫には仏法の道理が耳に入らない。しかし
「大慢のものは敵に随う」(撰時抄)とある。
大慢心の者ほど、国亡び、我が命も危なくなるという大罰を受けるとき、手を合わせるようになるのであります。
かくて、日本が広宣流布して御遺命の国立戒壇が建立されれば、日本はいかなる国からも侵されない金剛不壊の仏国になり、世界をも救う国になる。
この地球上において、かかる仏国土が一つ実現すれば、瞬く間に地球上が事の寂光土になる。
そうなれば戦争も飢餓も疫病もなくなる。この地球上に生まれてきた人々はことごとく日蓮大聖人の三大秘法を行じて一生の内に成仏させて頂ける。これが大聖人様の究極の御願業であります。
先生は、過去の二度の一国諫暁、および連々と発刊された特集号、そして広告文において
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の重大聖語を以て、日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決するという、日本にとって、人類にとって、日蓮大聖人はそれほど重大な御存在であられることを、全日本人に徹底して告げ知らしめてこられました。
そして、先生が言い置かれた事前告知の諫暁が一つひとつ事実となり、いよいよ三百万が一結して、その眼前の大罰を指さして、ただ怯えるだけの全日本人に、日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲を教え帰依を迫るとき、日本は必ず動くのであります。
大聖人様は「前代未聞の大闘諍」そして日本への「他国侵逼」という大罰を用いて広宣流布をあそばす。
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
との仰せは、そのとき事実となる。
この大聖人様の順縁広布の御化導のお手伝いを申し上げるのは、御遺命を命かけて守り奉られた浅井先生が築きあげられた、顕正会以外には断じてあるべくもない。
さあ、本年の最終法戦も残りふた月。全組織が空前の大折伏を敢行し、大成長した姿を浅井先生にごらん頂こうではありませんか。
以上。(大拍手)