本日の総幹部会も信心の熱誠と広宣流布の大情熱たぎる登壇が相次ぎ、大感動を禁じ得ませんでした。
御大会式と浅井先生の一周忌法要が奉修された大事の本年の最終法戦、全顕正会員の涙の出るような赤誠により、さきほど発表のごとく三万の誓願を大きく突破する、実に空前の四万四千九二八名、誓願比にして一五〇%の大折伏が敢行されました。
誓願を約一万五千名も突破するこの爆発的前進に心から驚くとともに、全顕正会員の真心には頭が下がる思いであります。まことにご苦労さまでした。
この列島を揺さぶる大前進が叶ったこと、ひとえに大聖人様が我ら末弟を守護し給い、そして先生がグイグイと手を引いて下さっておられるゆえであります。
けさ私は、先生の御霊前に額ずき、顕正会「第二の原点」を刻んだ今法戦の弘通成果を霊山にまします先生にこのようにご報告申し上げました。
「先生の一周忌を見つめ、ただご報恩の一念だけで戦い抜いた全顕正会員の信心は、まことに立派でございました。みなが見違える成長を先生にごらん頂かんと、あらゆる困難や魔障を乗り越え、涙ぐましい戦いを展開し、その弘通の赤誠、ついに空前の四万五千になんなんとする大折伏に顕わすことが叶いました。これで令和十年までの三百万の道が大きく開けてまいりました」と。
その際、脳裏に浮かんだのは、生前の先生が法戦最終日の翌朝に
「全顕正会で凄い大折伏が成されたぞ!有難いな」
とお喜びになっておられたその満面の笑みであり、思わず涙があふれました。
先生はこの最終法戦の期を画する大前進をごらんになり
「みなさん、よくがんばってくれました。ご苦労さま」
と、一人ひとりの戦いを労って下さっておられるに違いありません。
そしてこの大折伏によって、三百万までの残りは四〇万九千余名となりました。
先生がご決意された2028年・令和10年までの三百万は断じて成るものと強く確信いたします。
さて、迎える十二月は、本年の「総仕上げ」であり、また明年への「序走」の月であります。
活動の大綱は先ほど行成副理事長から説明があったとおりですが、私からも少しくふれておきます。
まず、教学試験について。
本年も大勢の人たちが入信・入会してきておりますが、それらの同志に、基礎教学書を通して、日蓮大聖人の尊さ、御本尊様の有難さを教えていきたいのであります。
先生は顕正会の教学についてかく仰せであります。
「顕正会の教学は、しりたげな法門を名利のために学ぶのではない。信に始まって信に終わる。
信心があれば、日蓮大聖人の仏法を少しでも知りたいと思う。そして学べばますます信は深まり、絶対信を得る。この信心が成仏につながるのである」と。
教学を学ぶに当っては、心のない暗記をする必要はありません。繰り返し繰り返し命に刷り込む思いで基礎教学書を拝読することが大事であります。
そして読み終えたときに
「なんと尊い仏様にお値いできたものか。なんと有難い御本尊様に縁できたものか。これで私も成仏させて頂けるのだ」
と心から「有難い」という思いが湧いてくればそれでよい。それこそが「教学を学ぶ目的」であります。
この歓喜が、成仏への唯一の実践法たる恋慕渇仰の信心口唱となり、また宿命転換の大利益を頂ける折伏の実践へと繋がり、かくて一人ひとりが力ある広宣流布の人材に成長していくのであります。
先生は、現代人に日蓮大聖人の仏法をわかりやすく伝えたいと、平成元年に基礎教学書の元になった「折伏理論解説書」を発刊された際、こう仰せ下さいました。
「過去何十年も大聖人様の御書を拝読しては、感激した御文をノートに書き留めてきた。それをどのように理解せしめていくか思索を重ねた。
夜寝ていても目が覚めて『こういう表現で書こう』とヒントが浮かぶと夜中の何時でも起きて忘れないうちにメモをとった。それをまとめたのが折伏理論書である。これには顕正会発足以来の私の思いが詰まっている」と。
その折伏理論書を土台として大幅に筆を加えられたものが「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」であります。
海のごとく広く深い日蓮大聖人の仏法の肝要を、愚鈍の我らが平易な言葉で学ぶことができるのは、決して当り前のことではありません。
お若きころから日寛上人の御指南を通して御書の極理を師伝され、血の滲むご研鑽を重ねられた先生が、心血を注いで著わして下さった基礎教学書なくしては決して叶うものではなく、これこそ先生のご信心の結晶というべき重書であります。
そして、日蓮大聖人の大事の御遺命と、広布前夜の正系門家にいかなる大魔障が襲い、それを先生がいかに身命を賭して守り奉られたのか、御遺命守護の戦いを通して、先生の仏法上の重きお立場をしかと拝することができます。
されば、先生の
「まさに広宣流布のための『基礎教学書』である。全顕正会員が熟読し、心肝に染めてほしいと念願している」
とのお心を体し、深く学んでいかねばなりません。
そして三級試験は基礎教学書に加えて「平成二年の諫暁書」すなわち「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」が出題範囲になっております。
以前にもお伝えしましたが、先生はこの諫暁書を認めておられるときにかく仰せ下さいました。
「この諫暁書を書きながら、強く感じたことがある。
それは、阿部教学部長の深く巧みなる誑惑を破折しているうちに、自然と国立戒壇実現への道が、はっきりと浮かび上がってきたことである。顕正会の一国広布への戦いの道が、この悪書のおかげではっきり見えてきた。
私は書きながら、“すべて大聖人様が手を取って教えて下さった”ということを、肌身に感じ、喜びおさえがたきものをおぼえた」と。
三大秘法抄の文々句々をズタズタに切り刻み、御本仏の御聖意をねじ曲げに曲げた阿部日顕等のたばかりを破折された先生のお筆は、あたかも剣豪の太刀捌きのごとく痛快きわまりなく、日蓮大聖人の御金言と、日寛上人等の歴代先師上人の御指南を縦横無尽に引用され、あらゆる邪難を自在に一刀両断するさまは「巧於難問答の行者」そのもので、大忠誠心から発するその護法のご一念にはただ圧倒され、言葉にならぬ感動と興奮を抑え切れません。
その中に、「王仏冥合」「王臣受持」のうえに「勅宣・御教書」の発布という国家意志の公式表明を以て富士山天生原に建立される国立戒壇こそが日蓮大聖人の御遺命であり、それこそが日本を金剛不壊の仏国と化す唯一の秘術であることが太陽のごとく明らかになり
さらには、真の国主たる皇室の重大使命をはじめ、仏法の眼から見た憲法論、さらには個人と国家・国家と仏法の関係等を詳らかにされる先生の卓抜のご見識は誰人も比肩すること能わず、広布前夜にかかる重大事を顕わされた先生に畏敬の念でいっぱいになりました。
まことに御遺命破壊という未曽有の大悪を以て、かえって御遺命の本義・御本仏の御聖意を燦然と輝かしめられた「変毒為薬」と拝し、かかる歴史的重書を恣に学ばせて頂ける我らの宿縁を強く噛みしめるべきであります。
そして、この諫暁書と横浜アリーナ大総会における先生の捨身の師子吼によって、それまで一枚岩であった池田大作と阿部日顕は「修羅と悪竜の合戦」のごとき凄絶・醜悪なる死闘を展開し、ついに偽戒壇・正本堂は轟音とともに崩壊したのであります。
先生は諫暁書の「あとがき」に
「すべては諫暁書のままになったのである」
と記しておられますが、立正安国論奥書の
「未来亦然る可きか。此の書は徴有る文なり」
との一節が彷彿とし、御遺命の国立戒壇も凡慮を絶する不思議を以て必ず事実となるとの大確信が込み上げてまいります。
どうか、これまでに入信した同志を励まし教学をともに学ぶ中、多くの人材を育て、広布の決戦場第六年を戦う万全の態勢を整えていこうではありませんか。
次に広布御供養について。
広宣流布を進める上で、どうしても必要な経費が生じてまいります。それを支えているのが、年に一度の広布御供養であります。
顕正会が妙信講として活動していたころ、講の運営経費は初代講頭先生が人にも言わずに黙ってそのすべてを負担しておられました。
次第にそのことを知り及んだ有志の幹部が「それでは申しわけない」と協力するようになり、それが現在の広布御供養の制度になったのであります。
何より浅井先生御自らが顕正会員の誰よりも率先して広布御供養に参加しておられました。
しかも先生は同志に無理があってはいけないと上限まで定めて下さり、数年前にはその上限を八万円から六万円に引き下げられました。
いつも先生は
「本来、宗教の正邪は教義によって決すべきところ、難しいことは抜きにして金銭に対する姿勢を見れば、その正邪は一目瞭然である」
と仰せになっておられました。
億単位の寄付も珍しくない統一教会の高額献金などはその典型ですが、邪教はインチキ教義で人を騙してカネを毟り取るのであります。
申すまでもなく、顕正会は広宣流布だけを目的とした仏弟子の集団であります。
かつて先生は顕正会の目的と、それをなし遂げた時、いかにすべきかについてかく指導下さいました。
「顕正会は、俗にいう『宗教団体』ではない。宗教屋がメシを食うための、坊主がメシを食うための団体ではない。日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立に戦うことを唯一の目的とする仏弟子の集団である。よって、この使命を終えたならば、解散するのが当然ではないかと、私は前々から思っている。
顕正会がなにも永遠である必要はない。永遠なのは、戒壇の大御本尊様と、富士大石寺だけなのである。私たちは仏弟子として与えられた使命を果たせば、それでよい」と。
先生の崇高なお心に涙が込み上げてまいります。
かかる顕正会の唯一の目的である広宣流布を力強く推進するために、必要な金子をみなで大聖人様に供養し奉り、それを使わせて頂く。それが広布御供養の精神であります。
年に一度の、しかも上限を定めた御供養だけでダイナミックな前進が叶うのは一切無駄遣いをしないからであります。
たとえば、先生は地方会館の御入仏式などに赴かれた際、ご自宅から昼食のにぎり飯を持参され、帰りに私が弁当などのお食事をご用意しても、顕正会の経費で精算されたことはただの一度もなく、潔癖なまでに公私の立て分けを厳格になさっておられました。
十数年前に国税庁の資料調査課、通称「リョウチョウ」と呼ばれる、大口の案件や不正が見込まれる案件などを担当する部署が顕正会の調査に入ったことがありました。
「リョウチョウ」といえば、申告書の問題点を見つける能力や不正を解明する調査スキルは「マルサ」を超えるともいわれ、国税の「最強部隊」と評されております。
その調査の際、私と顧問税理士と経理担当責任者が対応に当りましたが、リョウチョウの主査が
「私たちはいろんな宗教団体を見ているので先入観がありましたが、調べるにしたがって、顕正会さんが本当にまじめな団体であることがよくわかりました」
「顕正会には交際費などは全くないんですね。会長先生は本を書いても印税を取ってないんですね」
と驚いていたことが印象的でした。
池田大作などは生前、名誉学術称号などを世界中から買い漁り、あるいは贅を尽くした池田個人の専用室を全国の会館に作らせるという、その王侯貴族のような驕りのために財務を使っていたと聞きます。
また御遺命を売り渡した宗門は、坊主の生活のために法華講員の懐を狙い、供養を搾取しております。
これらはいずれも、大聖人様に、そして広宣流布には全く通じない。
御遺命実現に向かって活動している顕正会の広布御供養だけが、唯一大聖人様に通じる御供養なのであります。
だから大功徳が一人ひとりの身に具わるのであります。
されば全幹部は
「灯火に油を添える」
の思いで、誇りを持って力強く推進してほしいと思っております。
話は変わります。
本日も正義にめざめた三人の元学会員の胸を打つ登壇がありましたが、以前に先生が
「学会員は信じ奉る戒壇の大御本尊をも捨ててしまった。そして柱と頼む池田大作は『生ける屍』になってしまった。
これで保つか。だから学会は必ず崩壊する」
と断じておられたことが思い起こされます。
学会員が「柱」と頼んでいた池田大作の死亡が公表されてからのこの一年で、学会崩壊のテンポは一気に加速しております。
その姿をいくつか挙げます。
まず、十月二十七日に行われた衆院選において、自民・公明の与党が過半数を割り込み、大敗を喫しました。
自民党の敗因は「政治とカネ」いわゆる裏金問題で国民の厳しい審判が下ったものにほかなりませんが、連立を組む公明党は裏金とは直接関係ないものの、選挙前の32議席から8議席も減らして24議席となり、なんと代表・副代表・中堅議員が軒並み落選するという歴史的な大惨敗を味わいました。
公明党の選挙において注目すべき点は、比例代表の得票数であります。
今回、比例得票数が初めて600万票を割り込んで過去最低の596万票に落ち込み、三年前の2021年に行われた前回の衆院選の711万票から115万票も減らしました。
公明党の得票数のピークは2005年の衆院選における898万票でしたので、約20年で300万票も減少し、三分の二となってしまいました。
他の政党はそのときどきの風で浮動票が動くところ、公明党は学会の組織票が主なので、これを見れば学会の凋落ぶりは誰の目にも明らかであります。
ことに今回の衆院選は、池田大作の死亡が公表された後に初めて行われた国政選挙でもあり、池田の一周忌を衆院選勝利で迎えようと、学会は相当な力の入れようだったことが伝えられております。
聞けば、岸田前首相が総裁選への不出馬を表明した直後から学会は組織を挙げて動いており、会長の原田稔は公明党候補者が立つ地域に何度も入ってはその選挙区の学会員に檄を飛ばし、また九月一日に実施予定だった教学試験を台風の接近を理由に選挙後の十二月に延期してまで衆院選に力を集中しておりました。その結果があの惨敗でした。
同時にこのことで、図らずも公明党の人材が払底している状況が露呈してしまったのです。
今回の衆院選のひと月前の九月二十八日、これまで十五年間、公明党の代表を務めていた山口那津男が退任し、幹事長だった石井啓一が公明党代表に就任し、この選挙に臨みました。
そうしたところ、公明党は小選挙区で石井ら11人を擁立したものの当選したのはわずか4人だけで、なんと代表の石井啓一をはじめ副代表の佐藤茂樹ならびに中堅議員ら7人が相次いで落選し、中でも「常勝関西」と呼ばれて強い地盤を誇っていた大阪では4人の候補者全員が落ちるという憂き目にあいました。
この責任を取る形で石井は代表就任からわずかひと月あまりで辞任させられ、新たな代表にはこれまで国交大臣を務めていた斉藤鉄夫が就任するというドタバタ劇を演じました。
前代表の山口那津男は退任の際に「齢七十を超えた私としては次の世代にバトンを譲るべきだと決断した」と代表辞任の理由を“党の若返りを図るため”と説明しておりましたが、結局は公明党の内規で定められた議員の「定年」を無視する形で、山口と同じ七十二歳の斉藤鉄夫が新代表に就かざるを得ないほど人材が乏しい内情が露わになってしまったのであります。
振り返れば、かつて財務副大臣を務め、公明党の幹事長代理で「公明党のホープ」「将来の公明党代表」と嘱望されていた遠山清彦は2021年1月、コロナの緊急事態宣言発令下に銀座の高級クラブで豪遊していたことが発覚して議員辞職を余儀なくされ、その後に貸金業法違反で起訴され、有罪が確定しました。
さらに公明党・参議院議員で大阪本部の副代表・農林水産大臣政務官だった熊野正士は、学会二世の独身女性に対し、卑劣で悪質なセクハラを行なったという不祥事を「週刊文春」「週刊新潮」に大々的に報じられ、議員辞職しました。これらは氷山の一角であります。
先生は
「『魚は頭から腐る』という。池田大作の信心が腐っているから、学会の政治部である公明党も腐ってくるのである」
と仰せられましたが、今や尻尾まで腐りきり、人材が底を突いてしまったのであります。
巷間、公明党の得票数の減少は「自民党の裏金問題の煽りを受けた」とか「支持母体である学会の活動家の高齢化が原因」などと言われていますが、それらはあくまで表面上の原因であり、根本的には日蓮大聖人に背き奉る学会がいよいよ崩壊の時を迎えたゆえ、やることなすこと、すべてが裏目に出てガタガタになっているのであります。
先日、それを象徴するような出来事がありました。
十一月五日に学会が大規模施設を建設している大阪市の老舗宴会場「太閤園」跡地で大型の杭打ち機が横転し、男性一人に怪我をさせて、道路を挟んだ藤田美術館の一部を損壊させる事故がありました。
二流のゼネコンならいざ知らず、一流の大手ゼネコンが施工する現場でこのような事故が起きることは通常ではあり得ないことです。
この「太閤園」とは、明治時代の関西財界の大御所・藤田伝三郎の邸宅跡地で総面積は約7600坪を超え、日本庭園や築百年余りの料亭などが存在する関西を代表する宴会場・結婚式場でした。
藤田観光によって60余年にわたり運営されてきたもののコロナ禍で業績が悪化したため売りに出され、学会が周辺相場よりもかなりの高額で購入しました。
学会は2030年の創立100周年の記念事業として、この場所に「関西池田記念大講堂」を建設し、2027年の完成をめざして工事を行なっておりました。
会長の原田稔はこの大講堂を「東の広宣流布大誓堂と並び立つ西の大講堂」として、東京信濃町の学会本部と双璧をなす重要な施設と銘打っておりましたが、先の衆院選で「常勝関西」と言われた大阪の議席をすべて失うという大惨敗を喫した直後に「常勝関西の“師弟の大殿堂”」と謳われた施設の工事現場で杭打ち機が横転するというあり得ない事故が発生したのです。
これ、近く学会が崩壊することを象徴するような現証であります。
また、最近では学会の大幹部の造反もおきております。
その造反者とは、学会で副会長や全国副教学部長などを歴任し、学会内では著名な書籍において副教学部長として池田大作と対談まで行い、本部職員を定年退職した須田某という男です。
須田は昨年十一月十八日に発刊された「創価学会教学要綱」を糾弾する書籍を本年八月に発刊し、会長の原田稔に対しこの書籍と公開書簡を送り付け、この内紛劇が週刊誌で報じられたことで、学会内部に激震が走ったようです。
この者は、原田らが教学要綱において大聖人様を釈迦仏より下位に位置づけ、三宝の内容を改変するなどの教義変更を行なったことを指摘して
「日興門流から離脱して身延派に同ずる『隠れ身延派』と言っても過言ではない」
「会員に気づかせないよう、こっそり教義改変を進める態度は『だまし』と言われても止むを得ない」
などと厳しく非難しております。
補足しておきますが、須田がまともなのかと言えば決してそうではなく、かく言う須田も「同じ穴の狢」であります。
なぜなら須田は、原田らを批判してみせても、池田大作が国立戒壇を否定して偽戒壇・正本堂を建てた御遺命破壊については肯定し、恐れ多くも戒壇の大御本尊に対し奉り許し難い大悪言を吐いているからです。
所詮、御本仏に弓を引く輩であることに何ら変わりはなく、第六天の魔王その身に入る池田大作一党の醜い内紛でしかありません。
この須田夫妻はただちに処分され、その後、学会執行部はわざわざ学会の機関紙の一面を割いて記名のない「男子部教学室」名義の反論文を掲載しました。学会執行部の慌てぶりが窺われます。
対する須田も再反論し、現在、泥沼化の様相を呈しておりますが、末端の一般会員ではなく、学会の副会長まで務めた教学部の元重鎮が反旗を翻し、また須田に同調する学会員も少なくないところを見ると、学会の内部分裂・組織崩壊が表面化してきたものと言えます。
今後、学会執行部に不満を持つ学会幹部やその関係者らが、池田大作一党のさまざまな悪事を告発しはじめてもおかしくはありません。
池田大作が犯した仏法上の大悪事は、御本仏の御遺命破壊にあることは言うまでもありません。
しかし、浅井先生の連々たる諫暁によって偽戒壇・正本堂は音を立てて崩壊し、そのたばかりは潰え去り、第六天の魔王その身に入りし池田大作は「入阿鼻獄」となって、すでにその身を亡ぼしております。
そしていよいよ学会が崩壊するときは、世法上の悪事が次々と噴き出してくるものと確信いたします。
池田大作一党の世法における悪事を見れば――
池田の側近幹部らが実行した日本共産党の宮本顕治委員長宅の電話盗聴事件。
これは学会顧問弁護士の山崎正友が複数名の学会幹部とともに行なった盗聴事件で、裁判では当時副会長だった北条浩の関与も認定されております。
学会員による「集団替え玉投票事件」や「投票所襲撃事件」などの選挙違反事案では、当時、池田は公明党委員長の竹入義勝を使ってその揉み消しを図っております。
また元公明党委員長の矢野絢也は、池田大作に反旗を翻したのち、平成21年に「黒い手帖」、平成23年には「乱脈経理 創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント」という書籍を出して、そのどす黒い実態を明かしております。
ことに後者の書籍では、学会と池田への税務調査を潰したことを克明に記しております。
平成2年、国税庁の「リョウチョウ」による調査で学会本部は蜂の巣をつついたような大混乱に陥り、事態収拾を図るため池田大作は政治権力を使ったのだという。
すなわち、池田の命を受けた矢野が国税庁長官らと話し合い、竹下登元総理の力も借りて、本来課税されるべき莫大な税金をゼロにしたというのです。
矢野はその本において
「私は、国税庁に働きかけて学会と池田氏個人への税務調査を妨害し、ウヤムヤにした」
と告白し、税務調査を受けるに当っての池田大作の姿と国税庁の調査結果について、こう記しております。
「税務調査と相次ぐスキャンダルの発覚に池田氏は激しく動揺し、まるで悲鳴をあげるように学会と公明党首脳らにわめき散らし、叱りつけた。池田氏がパニックになったのは他でもない、池田氏自身が国税庁のターゲットになっていたからだ。国税庁は池田氏の個人所得を洗い出し、法に基づき厳格な課税を実施する構えをみせていた」
「特に第二次税務調査は池田氏の脱税まがいの事実を把握しながら、それを今後の宿題として先送りし、事実上黙認する結果となった。つまり課税なしとなった」と。
そして矢野は池田大作が連立与党政権にこだわる理由について
「国税にマークされ、のたうち回る思いをした池田氏が野党である公明党に歯がゆい思いを募らせたことは想像にかたくない。そこで『政権にはいらないと』という発言になるのだが、その後、池田氏の野望は細川連立、自自公連立、自公連立政権として実現した。……そもそも連立政権誕生の動機が、税務調査逃れと国税交渉のトラウマであった」
などと、その動機を記しております。
一般庶民からは遠慮なく取り立てる国税庁が政治権力を使う者に対しては手心を加えるなど、このような不公平が許されてよいはずがない。
さらに池田大作が暴力団を利用してさまざまな工作を行なってきたことが、日本最大の暴力団・山口組の傘下で武闘派として知られていた「後藤組」の組長・後藤忠政という人物によって暴露されております。
この後藤組長が組を解散し、引退した後に著わした自伝「憚りながら」において、正本堂や墓地の土地取得に絡む問題を発端として、以降、池田大作が後藤組を利用してきた実態が白日の下に晒されました。
この本の中で後藤組長は、卑怯な池田大作への怒りを滲ませてこのように記しています。
「池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ」
「池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やX(元公明党最高顧問の藤井富雄と思われる)をパイプ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ」と。
先生は
“いずれ諸天が池田大作の悪事をすべて白日の下に晒してくれる”とされたうえで
「彼は、御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命を破壊せんとしたうえ、世法においては暴力団を使って悪事を強行した。
池田大作のこの力、まさしく『形は人なれども力は第六天の力なり』である。しかし
もう大聖人様がお許しにならない。正本堂が音を立てて崩れたように、池田大作・創価学会も、近く必ず音を立てて崩壊すると私は確信している」
と断じられました。
今後、学会・公明党の凋落とともに、さまざまな悪事が暴かれていくことは疑いありません。
まさしく昨年十一月の池田大作の死亡公表こそ、学会の崩壊を告げる号鐘であります。
大聖人様は異体同心事に
「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ」と。
殷の紂王とは、古代中国において悪徳の王の典例とされている暴虐な君主です。
「酒池肉林」という言葉がありますが、殷の紂王は池に酒を満たし、木々に肉を掛け、昼夜を分かたず酒宴を張り、一方、人民からは高い税金を取り立て、骨までしゃぶるような惨い悪政を行い、また無慈悲な処刑を行うなど数々の悪行を働いておりました。
ゆえに、七十万騎の大軍を擁していたけれども、みな心はバラバラで、一人も心服する者はなかった。
そして周の武王と軍をした。周の武王が擁したのは八百騎であったものの、武王には徳があり、人格が優れた名君であったので、みな心を一つにして戦い、ついに七十万騎の殷の紂王を破ったという。
かつて先生はたびたび池田大作を「殷の紂王」にたとえて、大聖人様の御心に異体同心する顕正会の諫暁によって、学会は必ず亡びることを指導下さっておられましたが、いまそれが事実となってきているのであります。
また先生は幾度となく
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」(四条金吾殿御返事)
との仰せを引かれ、学会の崩壊を断じておられました。
日本に仏法が渡ってきたときに聖徳太子とともにそれを守護した豪族の蘇我氏が、その功徳によって一族が強大な権力を持ったことで次第に心に驕りが生じ、馬子の孫の入鹿にいたっては大慢心のあまり崇峻天皇まで暗殺した。結果、中大兄皇子によって誅戮され、一族は一時に滅亡しました。
学会も初代・二代はまじめな信心であったものの、三代会長の池田大作にいたって大慢心を起こし、大聖人様を軽んじ、ついには己れの政治野心のために「国立戒壇」まで否定して正本堂の誑惑をなすに至った。
「日蓮が申す事」の中には国立戒壇建立の御遺命ほど重いものはない。
まして、あろうことか戒壇の大御本尊様を捨て奉り、学会はついに大聖人様を凡夫視するという未曽有の邪教化に陥ったのであれば、なおのことであります。
日蓮大聖人の御金言虚しからずんば、学会は崩壊すること断じて疑いありません。
先般の御大会式において一期弘法付嘱書の大事を拝し奉りました。
下種の御本仏・日蓮大聖人が末法に御出現され、全人類を救済するために流罪・死罪の大難を耐え忍ばれ御化導あそばされた、その一代三十年を括られて八十八文字に要言し給うたのが御付嘱状であります。
ゆえに御付嘱状の一段目には
「日蓮一期の弘法 白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す……」
とて、日蓮大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を日興上人に付嘱し、「本門弘通の大導師」に任じ給うたことが記されております。
二段目の
「国主此の法を立てらるれば……」
以下の御文は、国主が信じ奉る広宣流布の時至れば、富士山に「本門寺の戒壇」すなわち国立戒壇を建立せよ、との御遺命であります。
これほど重大な御状はない。
池田大作一党は付嘱の法体たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉り、大聖人究極の大願たる「国立戒壇」の御遺命に背き奉ったのであります。
これ、御付嘱状の末文の
「就中、我が門弟等此の状を守るべきなり」
との厳しき御誡めに背く甚重の師敵対・極限の大謗法でなくて何か。
だから六百万学会員は功徳を失い、臨終に悪相を現じ、後生は「入阿鼻獄」必定なのであります。
この無間地獄の大苦について先生は、先般の日曜勤行において立正安国論の
「若し執心飜らず亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん」
との御文を引かれ、大要次のごとく指導下さいました。
「人として最も恐るべきものは死後の堕獄であるにもかかわらず、凡夫は無智なるがゆえに『死後のことはわからない』とそれを恐れない。たとえれば、赤ん坊が氷の冷たさを知らず、焼け火箸の熱さを知らず、手で掴んでしまうのと同じである。
しかし、夜に書いた文字が灯りを消してもなくならないように、三世の因果は鎖の輪のごとく来世まで繋がり、もし今生に謗法を犯すなら死後の生命は一中劫すなわち三億二千万年の間、地獄の苦を受けていき、それを終えるとまた一中劫と展転無数劫する無間地獄の大苦を味わう。それに比べれば現世の苦悩など遊んでいるようなものである」と。
「仏語は実にして虚しからず」
とて、仏様の仰せにウソは絶対になく、それが観念論ではない証拠として、臨終に成仏・不成仏の相が現われるのであります。
大聖人様は
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」(千日尼御前御返事)
と仰せ給う。
死後に地獄に堕つる人は臨終の後に色が黒くなり、体重が重くなり、硬くなる。
一方、成仏した人は色白く、軽く柔らかくなるのであります。
ここに全学会員は、御金言に毫末も相違せぬ浅井先生の美事な成仏の妙相と、片や誰にも見せられなかった池田大作の悪臨終に刮目し、早く悪師を捨てて正しき師匠・浅井先生に師事すべきであります。
いま「特別追悼号」を読んで大勢の学会員が毎月続々と顕正会に入会して、燎原の火のごとく学会員を救う戦いが展開されております。この姿こそ学会の崩壊が甚だ近い証拠であります。
急ぎ六百万学会員を救い、ともに御遺命成就に戦う同志としてまいらんと願うばかりであります。
さて、去る十五日、日目上人御報恩勤行会で拝聴した浅井先生のご講演は大感動でありました。
ことに「建武の中興」を聞き及ばれた日目上人の、何としても大聖人様の御意を天子の耳に入れしめんと、最後の天奏に臨まれた忠誠心には熱涙を禁じ得ませんでした。
七十四歳の御老齢でお身体もお弱りになり、たび重なる国諫の長旅と大法弘通の東奔西走により踝を痛めまいらせていた日目上人は、京都への天奏を決行すれば再び大石寺に帰る能わざることを誰よりも御存知であられた。しかるに
「これをなさねば、大聖人様に申しわけない。もし途上、命尽きるとも、そのときは供の弟子に申状を奏上せしめん」
との御決意であられたと、先生はお教え下さいました。
かかる日目上人の忠誠心は、先生のお心そのものと謹んで拝察しております。
まさに顕正会の発足から御逝去の直前まで、休まれる暇もなく広布の陣頭指揮を執られた先生の尊きお姿は、日目上人の御精神を広布前夜の今に移されたものにほかならず、先生は常に
「先師の地望を遂げんが為に……」
とのお心で、御遺命守護そして御遺命成就に戦い抜かれたのであります。
そして私自身、次のくだりが強烈に命に刺さりました。
「日尊・日郷の二人は、日目上人の御遺骨を奉持して、申状を代奏し奉った。これ、日目上人がそこにましましたと同じである。まさに日目上人は、御自ら身命を抛たれて大聖人様の大願を、天子の耳に入れしめ給うたのである」と。
後醍醐天皇の耳に大聖人様の大願を入れしめんがために、もしもご自身の命尽きたときには、供の二人の高弟に代奏せしめんとされたその周到なる御用意こそ、日目上人の透徹の忠誠心と無限の責任感によるものと、大地にめり込む思いになりました。
翻って先生もまた、命尽くるまで御遺命成就に戦われ、その最後の戦いを我ら弟子に託されたのであります。
ゆえに、日尊・日郷が日目上人の御遺骨を奉持して申状を代奏したごとく
私は、来たる第三度の一国諫暁に、先生のご遺志を奉じてそのお心のままに立たせて頂く所存であります。
これすなわち、先生がなされる一国諫暁そのものであります。
まさに今もなお先生は、大聖人様の大願たる国立戒壇建立に顕正会をして戦わしめておられるものと私は拝しております。
いま世界情勢を見れば、かつてないほど激変しております。
先のアメリカの大統領選においてドナルド・トランプが次期大統領に選出されました。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプの政策をみる限り、大統領の任期が満了する2028年までの4年間で世界はますます混沌・激動の様相を呈するものと思われます。
また先日、残りの任期がわずかになったアメリカのバイデン大統領はウクライナに対し米国製の長距離ミサイルの使用を許可し、イギリスも同様の決断をしましたが、きわめて危険な判断を下したと言わざるを得ません。
ウクライナがその欧米のミサイルを使用してロシア領内を攻撃したことで、ロシアは直ちに報復措置をとり、マッハ10で飛行する核弾頭搭載可能な新型の極超音速中距離弾道ミサイル「オレシニク」をウクライナに撃ち込みました。
このミサイルは既存の防衛システムでは探知が難しく、迎撃は不可能だといわれています。
ロシアの司令官はこのオレシニクについて「欧州全土の標的の攻撃が可能」で
「大量に発射すれば核兵器の使用に匹敵する」とも主張しております。
同時にプーチン大統領は
「ウクライナでの地域紛争は世界的な性質のものになった」と恫喝し、また核兵器の使用条件を大幅に引き下げた「核ドクトリン」を承認したことで、ロシアが核兵器を使用するリスクがいちだんと高まりました。
一方、核保有国イスラエルと核開発中のイランの対立も激化し、またロシアと事実上の軍事同盟を結びウクライナへ軍隊を派兵した北朝鮮の金正恩総書記は、アメリカ等の西側諸国がウクライナに軍事的介入をしていることで
「多くの国が巻き込まれ、第三次世界大戦が起きかねない」
と非難し、戦争準備を急いでおります。
また韓国は北朝鮮がウクライナ戦争に派兵して実戦経験を積むことへの危機感を募らせ、ウクライナへの武器供与を示唆しました。
今後、朝鮮半島有事になれば北朝鮮の支援のためロシア軍が派兵され、日本にとっても容易ならざる事態へと発展してまいります。
そして中国は目下、不動産バブルが崩壊したことで内政不安が深刻になり、習近平国家主席は人民の不満を和らげるために台湾侵攻を早めてもおかしくはありません。
その時、アメリカの下請けになった日本の自衛隊が出動すれば、日本は中国の核ミサイルの標的となり血祭りに上げられる。
すでに世界はアメリカ中心の自由主義陣営と、中国・ロシア・北朝鮮等を中核とする全体主義陣営に二分され、核を使用した第三次世界大戦が確実に近づいてきております。
この大闘諍こそ、大聖人様が撰時抄に仰せられた
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし」
との御予言どおりの広布前夜の大戦乱であります。
この前代未聞の大闘諍も、そして日本への他国侵逼も「仏法より事起こる」ものであれば、日本一同が日蓮大聖人に心の底から帰依し奉り、「国立戒壇」を建立する以外に、日本が助かる道は断じてない。
そこに、日本を動かす三百万を急がなければならない所以があるのであります。
いま私は、一周忌法要を終えてからの前進こそが、真価が問われるものと心しております。
されば、本年の総仕上げにして明年への序走の十二月、二大綱目の推進を軸に令和十年までの三百万を早める油断なき大前進をなし、以て霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。以上。(大拍手)