御本尊様の功徳の大歓喜と、広布の大熱気に満ちた本日の総幹部会もたいへん素晴らしく、大感動いたしました。
学会・宗門がことごとく師敵対に陥る中、御遺命の国立戒壇建立だけを見つめて日本を独走している団体は、先生のご遺志を継ぐ顕正会以外にはありません。
まさしく顕正会こそ、大聖人様に召し出された地涌の菩薩の大集団であります。
さて、今月は「兵衛志殿御返事」講義を拝聴いたしました。
先生の講義を通して、七百年の時を超えて、大聖人様の情理を尽くされた御訓誡を直接頂いたごとくの大感動を全身に味わいました。
「もし親が信心に反対したら、その親の言うことに随わず、敢然と諫めることが真の孝養である」
との透徹の道理とともに、親に対する口上までも懇切に御教示下さるその大慈大悲には熱涙が込み上げました。
同時に、後生の大苦を救わんと兵衛志殿に垂れ給うたかかる大慈悲は、今そのまま末代の我ら一人ひとりに、功徳と罰の説法を以て注がれていることを思うほどに有難さに咽びました。
そこに全顕正会員は
「凡夫の仏になる、又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障いできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」
との御金言についての
「顕正会員こそ……この御文を命に刻んでほしい。もし自分に大きな魔障が起きて来たら、『今こそ宿命転換の時だ。この魔障に打ち勝てば成仏が叶うのだ』と、勇み立ってほしい。……顕正会だけが大聖人様の御遺命を奉ずるゆえに三類が起こる。しかし強き強き大信力でこの三類に打ち勝てば、そのとき御遺命が成就するのである」
との仰せを深く心腑に染めるべきであります。
思うに、先生の六十六年の激闘は、私たちに起きてくる三障四魔とは全く次元が異なる第六天の魔王との戦いでありました。
先生は
「賢者はよろこび、愚者は退く」
との大精神で、死罪に等しい解散処分をはじめ公権力やマスコミによる不当なる弾圧等のいかなる困難をも乗り越え、天魔を降してこられたのであります。
かくして唯一御遺命を奉じて立つ三百万にならんとする地涌の菩薩の大集団・顕正会を築きあげられたのであります。
されば、先生のご遺志を継いで御遺命成就に戦う私たちこそ、今般の御書講義を心腑に染め、いよいよ大事の御奉公を果してまいろうではありませんか。
話は変わります。
私は一月ならびに二月度総幹部会において早瀬日如管長を直諫し、ただちにその特集号を早瀬管長ならびに全宗門末寺に発送しました。
顕正会の心ある同志は、先生が強く念願してこられたそのお心を体し、宗門僧侶らにそれを訴えるも、ほとんどの者が信心の欠片もない姿であったと聞いております。
対面や電話でのやりとりに一切応じず、あるいは「国立戒壇は御書にない」などと偽戒壇・正本堂を正当化するための使い古しの邪義にしがみつき、あるいは奉安堂の耐震性については返答に窮し、あるいは何の根拠も示さずその安全性を強弁し、いずれも論に詰まれば
「部外者の顕正会に言われる筋合いはない」
などと逃げを打つという。
思うに、戒壇の大御本尊の御安危を憂えるのに部外者も何もない。
なぜなら、戒壇の大御本尊は、大聖人様が全人類に総じて授与あそばされた御本尊だからであります。関係のない者はこの世の中に一人としていない。
むしろ日本および全世界の人々のために戒壇の大御本尊をお守りする立場にある宗門は、大御本尊の御安危を憂える顕正会の声を真摯に受け止めなければいけないと思う。
そこに本日は、御在世以来の巨大地震であった2011年の「3・11東日本大震災」以降、日本は「大地動乱の時代」に突入した現実と、南海トラフ巨大地震に連動する可能性が高い「富士川河口断層帯巨大地震」が発生したら、奉安堂では戒壇の大御本尊をお守りすることはとうてい出来ないことを改めて示し
重ねて早瀬日如管長に対し、速やかに「不敬の御開扉」を中止し、急ぎ免震構造の堅固なる新御宝蔵を築き、近き広宣流布・国立戒壇建立のその日まで、本門戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ることを、強く求めるものであります。
2011年3月の東日本大震災から、ことしで14年が経ちました。
仏法の眼から見れば3・11東日本巨大地震こそ「広布前夜の大罰の号鐘」であります。
日本の観測史上最大のマグニチュード9・0のこの巨大地震が発生してより、日本列島の広範囲でマグニチュード7クラスの地震が増加し、かねてより先生仰せのごとく「大地動乱の時代」となり、多くの地震学者が「新たな地震の活動期に入った」と口を揃えて警鐘を鳴らしております。
そして東日本大震災によって、いよいよ南海トラフ巨大地震と首都直下地震の発生確率が高まったといわれている。
たとえば地球科学を専門とし、火山と地震について五十年近く研究を続けている京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏は、このような見解を述べております。
「東日本大震災をきっかけとして、日本列島は地震と噴火が頻発する変動期に突入した。すなわち、『大地変動の時代』に突入した」
「我が国は南海トラフ巨大地震、首都直下地震、富士山噴火という三つの激甚災害を間近に控えている」
「東日本大震災を契機に始まった地盤の変位は、日本列島に2000本以上ある活断層の活動度を上げて『大地変動の時代』をもたらした」
「首都直下地震をはじめとして内陸地震は日本中の『どこでいつ起きてもおかしくない』状態にある」と。
この南海トラフ巨大地震(想定規模はマグニチュード9・1)が発生したら、地下の構造から「富士川河口断層帯巨大地震」も連動して発生する可能性が高いのであります。
政府の「地震調査研究推進本部」は、地震が起きた場合に社会や経済に大きな影響を及ぼす114の活断層を「主要活断層帯」と認定して、30年以内の地震発生確率を四段階にランク付けした評価を公表しております。
中でも最も確率が高い「Sランク」に位置づけられる活断層帯は32あります。そのうち上位の8つは1995年の阪神大震災の発生前よりも切迫度が高いという。
その中で二番目に地震の発生確率が高いのが「富士川河口断層帯」なのであります。
政府の地震調査研究推進本部は富士川河口断層帯で発生する地震の規模を「マグニチュード8・0±0・5」と予測しております。
一方、石橋克彦神戸大学名誉教授は東海・東南海・南海地震が連動して発生した場合、富士川河口断層帯から糸魚川―静岡構造線断層帯まで連動する超巨大地震の規模は「マグニチュード9台」としております。
この「糸魚川―静岡構造線断層帯」は日本の活断層の中で最も地震発生確率が高いという。
今後、大石寺の至近を走る富士川河口断層帯で巨大地震が発生したとき、果して奉安堂で戒壇の大御本尊をお守りできるのか。
早瀬管長は、この差し迫った事態に鑑み、万事を差し置き、戒壇の大御本尊の御安泰を図り奉るべきであります。
一月度総幹部会で私は、奉安堂設計者がその耐震想定をマグニチュード7級、700ガルを前提にしていることを指摘しました。
マグニチュード「7」と「9」とでは、約1000倍のエネルギーの違いがあり、また奉安堂が着工された2000年以降、700ガルを超す揺れをもたらした地震はほぼ毎年のように20数回も発生しております。
中でも東日本大震災と昨年元日に発生した能登半島地震はともに約3000ガル、そして最も大きなものは2008年に発生した岩手・宮城内陸地震の約4000ガルであります。
この実状を見れば、奉安堂の耐震想定がいかに甘すぎるかがわかります。
これは本日、初めて明かすことですが、奉安堂が竣工した翌年の2003年(平成15年)6月、奉安堂の耐震性に懸念を懐かれた浅井先生は、宗門の阿部日顕に宛てて書簡を送付されました。
その趣旨は、切迫する巨大地震に鑑みて、その激甚の地震動から戒壇の大御本尊をお守り申し上げるため、免震装置を急ぎ設置するよう強く要請したものであります。
内容は次の通りであります。
「奉安堂が耐震構造であることは存じておりますが、免震構造とは未だ聞き及んでおりません。もし免震でなければ、たとえ建築物は倒壊せずとも、須弥壇に安置し奉る大御本尊は、地震の激烈なる衝撃をそのまま受けることになります。
巨大地震においては『投擲現象』といって、激しい上下動によって巨岩が数メートルも飛ばされることがあります。もしこのような激烈の上下動がそのまま大御本尊を襲い奉ったら、まことに恐れ多い極みであります。
かかる事態を防止するには、御厨子の下に免震装置を備えた台座を置くの外はありません。この方法は、近年文化財の保護に用いられており、上下・水平の両震動を吸収する優れた技術が、すでに開発されております。……
事は御戒壇様の安危に関わることであれば一閻浮提第一の大事。されば顕正会の浅井の言として卑しみ給うことなく、ただ信心に住して速やかに対処なされんこと、満身の毛孔より血を出だすの思いを以て、祈り待つものであります」と。
補足すれば、当時、建物全体を3次元免震構造にするシステムは未だ開発されておらず、3次元免震は文化財などを保護するための台座として実用化され始めた段階でした。
私はこの書簡を送付されたときの先生のお姿を、今でも忘れるものではありません。
先生は
「たとえ恥になっても構わない」
と、ただ大御本尊の御安危を憂えられ、居ても立ってもいられぬ思いで、これを送付されたのであります。
その大聖人様に対し奉る先生の大忠誠心には熱涙が滴るばかりであります。
約二週間後、「大石寺内事部」の名義で返事が届きました。
そこには、宗門における奉安堂の安全性に対する考え方とともに、奉安堂の建設工事を請け負ったゼネコンの設計部が作成した「奉安堂須弥壇の構造安全性について」と題するレポートが添付されておりました。
そのレポートを一見して、あまりに楽観的な内容に強い衝撃を覚えたものであります。
レポートの内容はこのようなものでした。
まず
「奉安堂は日本で起こり得るとされる最大級の地震に対して設計・施工されている」
「耐震性能の検討レベルとしては、最高位のもの」と誇っておりました。
しかし、奉安堂が竣工する以前に東海・西日本を襲った巨大地震をいくつか挙げれば、1854年の安政東海地震・安政南海地震がともにマグニチュード8・4、1891年の濃尾地震がマグニチュード8・0、1944年の昭和東南海地震がマグニチュード7・9、1946年の昭和南海地震がマグニチュード8・0、1995年の兵庫県南部地震(阪神大震災)がマグニチュード7・3を記録していることから、奉安堂の「マグニチュード7級」の想定ではとうてい「最高位」とは言えません。
さらに制震構造の奉安堂自体の「壊われにくさ」「歪みにくさ」「粘り強さ」を強調し、また
「須弥壇の構造壁は耐力・耐火力共に最高グレードの金庫壁」で構成されているなどと、須弥壇が頑丈な構造になっていることを誇示しております。
しかし、仮に建物および須弥壇がいかに強固で壊われにくかったとしても、巨大地震の震動を著しく抑える免震構造でないかぎり、大御本尊に激烈な地震動が直接伝わってしまいます。それこそが最大の問題なのであります。
そして免震構造を採用しなかった理由をこのように述べておりました。
「・いわゆる免震構造と称される構造形式は、基礎等の下部構造と上部構造を機械的な仕組みを用いて切り離すことにより、地震エネルギーの伝播を抑制しようとするもので、一般的には弾力のあるゴムやローラー等のメカニズムが免震装置として用いられています。
・一部の美術館等ではこのような機械的な仕組みを展示品ケースの下部に組み込んで造られている。
・しかし、これら展示品に用いられる免震装置はあくまでも機械的な装置のため、性能を常に確実に発揮するためには、専門技術者による、定期的なメンテナンスを必要とします」と。
いささか理解に苦しみますが、ゼネコン設計部は免震構造を「機械的な装置」ゆえ「定期的なメンテナンスが必要」との理由で採用しなかった旨を述べており、免震構造の利点を過小評価しているのです。
免震構造は現代の耐震工学において非常に有効な地震対策であり、適切に設計・施工をすれば長期間にわたり安定した性能を発揮することは常識であります。
ゆえに政府は、重要な文化財等の損傷を防ぐ必要がある施設などには免震構造を推奨しております。
国土交通省が制定した官庁施設を建てる際の「建築構造設計基準及び参考資料」というガイドラインがあります。
そこには免震構造を用いる基準を次のように定めております。
「建築物に要求される機能が地震応答の低減を特に必要とするもの(わかりやすく言えば、特に地震の揺れを抑えることが求められる建物)に対しては、免震構造の適用について検討する」
として、次の三つの施設をあげております。
「①災害応急対策活動に必要な施設
②危険物を貯蔵又は使用する施設
③収納する文化財等の重要な物品、文書等の損傷を防ぐ必要がある施設」
要するに
「建物の機能の維持が必要な施設および損傷してはならない文化財等を収納する施設においては、免震構造を採り入れることを検討せよ」との基準を設けているのです。
このようなガイドラインが政府によって制定されているということは、免震構造が地震の揺れを著しく小さくすることがすでに実証されているからにほかなりません。
実際に文化財等を保存している美術館や博物館をはじめ、重要防災施設、病院、役所の庁舎、原子力発電所、首相官邸、日銀等において免震技術が採用されております。
また邪宗の寺院ですら、これを採用している。
たとえば奈良の東大寺、西新井大師総持寺本堂などでは免震システムを採り入れております。
邪宗の寺院ですらかくのごとし、いかに況んや戒壇の大御本尊の御座所においてをやであります。
メンテナンスの手間などを理由に巨大地震の揺れを数分の一に軽減させる免震構造を採用しないのは、あまりに無智にして不見識、何より信心がない証拠であります。
そして、私が最も驚き、憤りを覚えたのは次のくだりでした。
「地震の際、そのエネルギーが大御本尊に加わりますが、入力する地震エネルギーは物体の質量に比するものであり、木製と聞き及んでおります大御本尊に加わる外力は、本来、大きなものではありません」と。
この書きぶりの恐れ多さもさることながら、なんと最初から大御本尊に地震のエネルギーが加わることを前提に考えていたのです。
しかも、前段の部分にも共通しますが、この設計部の考え方には、誤った認識と重大な不備があります。
ゼネコン設計部は力学の基本を述べていますが、一般的に地震の揺れによる力は、単純に質量だけで決まるものではなく、地震動の強さ(加速度)や揺れ方の違いや支持条件(固定の仕方)などに大きな影響を受けます。たとえ質量が小さくても、巨大地震の強い揺れを受ければ相応の大きな力が加わります。
また「共振現象」という建物と地震の周波数が一致すると揺れが増幅される現象が発生し、予想以上の震動が加わることもある。
さらに「投擲現象」が発生することもある。
ゆえに「質量が小さいから外力も小さい」と単純化したゼネコン設計部の認識は誤りであります。
またゼネコン設計部は続けて、このようにも説明している。
「御厨子の構造体は須弥壇と建築造りで緊結(きつく締めつけて接合すること)していますから、須弥壇が倒壊しない限り、御厨子も倒れることはありません」と。
これも不適切な仮定に基づくものであります。
たとえ須弥壇が倒壊しなくても、地震による激しい震動は須弥壇から御厨子そして大御本尊に直接伝わります。くり返しますが、このことが大問題なのであります。
また御厨子と地震の周波数が一致すれば共振現象が起こり、予想外の大きな力が加わることもある。
そうすると、緊結されているとはいえ想定を超える揺れが加わり、緊結部分が破断したり、変形する可能性もある。その結果、御厨子が破損したり外れたりする恐れもある。
須弥壇と御厨子が固く接合されているから「須弥壇が倒壊しない限り、御厨子も倒れることはない」との考えは、あまりにも短絡的すぎます。
まして、奉安堂の耐震想定よりも約1000倍も強いエネルギーのマグニチュード9の巨大地震が発生した場合、とうてい大御本尊をお守りすることはできない。
そもそも、奉安堂は「設計思想」が間違っている。
すなわち
戒壇の大御本尊の絶対的な安全性を最優先に設計しているのではなく、あくまで一般的な建築設計の枠組みで、五千名収容の日本で最大級の寺院を建造することに主眼が置かれているのであります。
日寛上人は戒壇の大御本尊の重大尊貴について
「問う、文底深秘の大法、其の体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法、三大秘法の随一、本門戒壇の御本尊の御事なり。故に顕仏未来記に云く『本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか』等云云。故に此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄文段)
と御指南下されている。
かかる、かけがえのない最極無上・尊無過上の法体たる戒壇の大御本尊をお守りする堂宇においては、日本の科学技術の粋を集め、耐震工学をはじめとする関連分野の専門家の意見を取り入れて、いかなる国宝を扱うよりも慎重に検討を重ね、大御本尊の御安泰を何よりも最優先しなければいけない。
ところが阿部日顕は、この最も重大なことを蔑ろにし、池田大作への対抗心から正本堂と同等規模の巨大な奉安堂を造ったことを自慢している。
奉安堂が竣工した当時、週刊誌の見開きグラビアページに「見よ、『大作』!」との大見出しとともに、奉安堂の全景写真が大きく掲載された記事が出たことがありました。
そこには、おもしろおかしくこう書かれていた。
「かつて彼ら(学会)が誇りとしていた正本堂があった場所に、こんな巨大なモノが建てられてしまったのだから、学会のメンツは丸つぶれだ。それにしても、大作サン……、悔しいだろうなあ」と。
この記事は、宗門が奉安堂の写真撮影を許可していることなどから、その意を受けて書かれたものと思われますが、阿部日顕のくだらぬ名利と虚栄心、そして学会員を呼び込み登山させては供養を貪らんとする賤しき性根が如実に表われている。
阿部日顕は、昭和五十三年二月七日、腹心の参謀・河辺慈篤に対し、あろうことか戒壇の大御本尊を「偽物」と断じる許しがたき大悪言を吐いた男であります。
だからこそ、戒壇の大御本尊を正本堂のたばかりに利用し、正本堂なきあとは営利のためにこれを利用し奉ったのであります。
所詮、阿部日顕には戒壇の大御本尊への信がないから、大御本尊への不敬冒涜など眼中にない。
そして巨大地震等の大災害から戒壇の大御本尊を厳護する用心深さが全くない。
そんな天魔その身に入る阿部日顕が、戒壇の大御本尊の御安危を蔑ろにして造った偽戒壇・正本堂に代わる御開扉施設が、奉安堂なのであります。
それにつけても、無道心ゆえに危機意識が欠如している宗門の姿を見ていると、これまで巨大地震が起こるたびに「想定外」という言葉を免罪符のように使って責任逃れをしてきた学者や政治家、そして東京電力旧経営陣などの面々を彷彿とさせる。
1994年1月、マグニチュード6・7のロサンゼルス地震が発生し、高速道路の橋脚が壊われるなど甚大な被害が出た。
当時、日本の建築物の耐震性を過信していた専門家は、それを見て
「日本の高速道路・新幹線は絶対に壊われない」
と胸を張って楽観視しておりました。
ところがその翌年の1995年、「震度7」を初めて記録したあの阪神大震災が発生し、多くの巨大公共建造物が破壊されました。
その中で象徴的だったのは、阪神高速道路がなんと635メートルにもわたって倒壊したことです。
鉄筋コンクリートの太い橋脚は途中で折れて鉄筋が飛び出していた。
それまで地震の専門家は兵庫県に断層があることを認識していながら、地震の発生確率を極めて過小に評価して、「関西には大きな地震は起こらない」と信じ込んでいた。
だから官公庁等の地震対策も「震度5強」までしか想定しておらず、結果、6400人以上の死者のほとんどが、耐震性の低い古い民家で圧迫死するという被害が出たのであります。
そして2011年の3・11東日本大震災では、それに伴う津波で大きな被害がもたらされた。
ことに福島第一原発では約15メートルもの津波が押し寄せ、全電源喪失して原子炉がメルトダウンするという世界最悪レベルの原発災害が発生した。
14年経った現在もその廃炉作業は一向に進まず、未だその見通しすら立たない状況であります。
東電の旧経営陣は事故後の裁判や報道において
「この津波の高さは想定外だった」と事故の責任を回避しようとしましたが、実際にはこの巨大地震と大津波は予測されていたのでした。
遡る2002年7月、政府の地震調査研究推進本部は
「福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけての領域で……マグニチュード8クラスの巨大津波地震が発生する」
と予測しておりました。
そして2008年に東電内部で試算したところ、その地震が発生した場合
「福島第一原発には最大15・7メートルの津波が来襲する可能性がある」
という計算結果を出していたのでした。
しかし当時の東電の経営陣はその試算を信じず、またその対策をすれば4年の工期と数百億円の工費がかかる等の理由から、問題を先送りにして具体的な対策を一切とらなかった。
かくて2011年3月、あの東日本大震災が発生し、約15メートルの津波が福島第一原発を襲ったのでした。
これ、予見されていた地震・津波の対策を東電の旧経営陣が怠ったために、取り返しのつかない重大事故につながったといえます。
先日、強制起訴された東京電力旧経営陣の上告審で「巨大津波は予見できなかった」として経営陣二人の無罪が確定しましたが、指定弁護人は
「現在の原子力行政におもねった不当な判断」と批判しております。
これとは別に、京都大学・工学部出身で原子核工学の専門家であった元共産党衆議院議員・吉井英勝氏も、東日本大震災が発生する6年前の2005年から、日本の原発が地震や津波などによって全電源喪失して冷却機能を失えばメルトダウンを招く可能性があることを国会質問等で再三にわたって追及しておりました。
2006年12月には質問主意書を政府に提出し、その危険性を訴えておりました。
ところが、当時、内閣総理大臣だった安倍晋三は、吉井議員の質問には何ひとつまともに答えず
「我が国において……必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」
などと、無責任きわまる答弁書を提出したのでした。
その後、3・11東日本大震災が発生し、重大事故を起こすに至ったのでした。
その最大の原因は、吉井議員が再三指摘していた「バックアップ電源の喪失」でした。
ここでも、もし安倍晋三がバックアップ電源の検証をして対策を講じていたら、福島原発事故は起きなかったかもしれない。
しかし安倍晋三は吉井議員の意見を見くびり、何の対策もしなかった。
これ「不作為の罪」であり、刑事責任を問われなければならなかったものであります。
また、原子力ムラの面々の国会等での対応も酷いものでした。
吉井議員の同様の指摘に対して、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「論理的には考えうる」としながらも「現実には起こらない」と答弁し
また原子力安全委員会委員長だった鈴木篤之は「他の原発からの電力“融通”も可能だから大丈夫」と答え
同じく原子力安全委員会委員長を務めた班目春樹は浜岡原発を巡る訴訟で
「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対に造れません」と証言していた。
これらの輩は原発事故の後に
「当時の認識の甘さがあったことは深く反省している」等と謝罪しましたが、後の祭りであります。
吉井議員はこのように痛烈に喝破しております。
「国も電力会社も原子力安全・保安院も“原発安全神話”を信仰し、情報を公開せず、国民の安全より企業利益第一主義に走ったのが最大の要因だ」と。
私は現在の宗門の姿も、これと全く同じだと思う。
まさに宗門も
“戒壇の大御本尊の御威徳により必ず守られる”などと強弁し、戒壇の大御本尊の御安危よりも利益第一主義に走り、巨大地震が切迫しても守護の対策を講じようとしない。
わずかでもその危険性があるのであれば、万全の対策を取るべきであります。
それこそが、宗門がなすべき最大の責務であります。
もとより、戒壇の大御本尊は金剛不壊の仏身にてまします。
但し、これを守護し奉る仏弟子は、時に応じ機に応じ、あらゆる危機を想定して御安泰を図り奉らねばならない。それが仏弟子の忠誠心であります。
明治政府が国家神道で統一せんと仏教を排斥しようとし、富士大石寺にも廃仏毀釈の不穏な動きが見られたとき、日霑上人と日胤上人が戒壇の大御本尊を東京本郷の加賀邸の堅固な蔵へ夜陰に密かにお遷し申し上げ、時の鎮まるまでおしまい申し上げたことがあった。
この時、万々の事態に備えての重々の御配慮をなされたという。
かかる御事蹟を見ても、宗門関係者は
「戒壇の大御本尊に万一のことなど起こるはずもない。だから心配は一切不要」などと嘯けるのか。
このようなことを吐く輩は魔の眷属であります。
南海トラフ巨大地震は「来るか来ないか」を議論する次元の話ではなく「いつ来るか」という問題なのです。それに連動する可能性が高い富士川河口断層帯巨大地震もまた然りであります。
私は早瀬日如管長に強く問いたい。
広布前夜の大罰の時代に突入した今、耐震想定が極めて甘く、免震構造ではない奉安堂で、果して戒壇の大御本尊をお守りできるのか。
富士川河口断層帯巨大地震が発生し、万々一の事態が惹起したら、早瀬管長はエセ学者らと同じく「想定外でした」とでも言いわけをするのでしょうか。
世間のことならいざ知らず、ことは戒壇の大御本尊の御安危にかかわること。
戒壇の大御本尊にもしものことあれば、まさに仏法の破滅、全人類の破滅、とうてい取り返しのつくことではありません。
そのときいかに後悔しても、いかに懺悔しても、時すでに遅し、早瀬管長の万死を以てしても償えるものではない。
このこと一閻浮提第一の大事であれば、敢えて強言を構えて重ねて直諫するものであります。
先ほどの日霑上人・日胤上人の必死の処置にしてもそうですが、歴代先師上人はいかに戒壇の大御本尊を専心に護持してこられたのかを深く思うべきであります。
第五十九世・日亨上人はかく仰せられる。
「開山上人は、これ(本門戒壇の大御本尊)を弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古)からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついに今日のごとき常例となったのは、もったいない限りである……」(富士日興上人詳伝)と。
この「密附」「秘蔵」との御言葉から、日興上人が大聖人の御遺命を奉じてひたすら広宣流布の時を待ち給い、その時まで戒壇の大御本尊を御宝蔵の奥深く、秘仏として秘蔵し奉っておられたことが拝せられる。これが富士大石寺の伝統であり、掟なのであります。
また第六十四世・日昇上人は奉安殿落成慶讃文においてこう述べておられる。
「夫れ戒壇の本尊は宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給はるところなり。
上人身魂を尽して護持し大石の寺に奉安し、一閻浮提の座主日目上人に付嘱してより、血脈の法主歴世に奉戴し、或る時は校倉を、或る時は土蔵を宝蔵として奉安し、専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。……
『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願くば宗祖大聖尊の法魂安穏に常住し給わんことを」と。
日興上人をはじめ歴代先師上人が広宣流布の時を待ち、戒壇の大御本尊を専心に護持されてきた思いが命に突き刺さります。
さらに御遺命に違背する前の細井日達も
「大客殿の奥深くに戒壇の大御本尊を安置し奉る相伝」について、このように述べている。
「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇建立という事になるのでございます。それまでは戒壇の御本尊をおしまい申し固く護る。先師方が客殿の後の奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すという事を仰せられて居ります。我が本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後に奥深く戒壇の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておくということになる。……戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にしまってある。蔵してあって拝むのは外から遥拝する。ただ特別の内拝の為にそば迄行って拝めるということである」(大日蓮34年9月号)と。
広宣流布の暁までは御宝蔵におしまい申し上げ、広宣流布・国立戒壇建立までは強信の者だけが特別の内拝を許されていたのであります。
御心に適わぬ参詣をして大聖人様に追い返された内房尼御前の故事、そして歴代先師上人の御心、宗門の相伝に照らせば
現在の宗門が強行している濫りの御開扉がいかに罰当たりの所行であるのかは明らかであります。
各末寺にノルマを課し、法華講員に鞭を当て年に何度も登山を強要し、さらには供養さえ納めればその員数に加えるという「付け願い」なるバカげた制度まで作り、ついには法華講員から怨嗟の声すら上がる始末。
法華講員の中にはいやいや連れてこられて愚癡をこぼし、あるいは御開扉中に居眠りをし、あるいは観光気分で登山する者もいると聞く。
何より、このような隙だらけの御開扉を強行していれば、戒壇の大御本尊への害意を懐く悪人が紛れ込む恐れもある。
かかる不敬の御開扉の目的は、本門戒壇の大御本尊を利用し奉ってのカネ儲けであり、その賤しき心根は邪宗のそれと全く同じである。
正本堂完成後、池田大作が宗門支配を強めんと月例登山を激減させ本山を経済封鎖したとき、細井日達はこう鬱憤をぶちまけた。
「このままじゃ話にもならない。もしどこまでも学会が来なければ、それは正本堂を造ってもらって有難いけれども、……もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして……」と。
この細井の言葉は、その本質をいみじくも表わしております。
御遺命に背いて些かの改悔なき宗門僧侶の生活を養うために、御心に適わぬお目通りを大聖人様に強要する不敬これに勝るはなく、このような御開扉は直ちに中止すべきであります。
そして巨大地震が切迫する今、速やかに3次元免震システムを用いた堅固なる新御宝蔵を建設し、近き広宣流布の暁まで、戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉るべきであります。
もし、その建設費用がないというのなら、顕正会ですべて御供養申し上げたいと思っております。
早瀬日如管長は速やかに決断すべきであります。
先生は祈祷抄の
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」
との一節を引かれ
「なんという強い御確信であられるか。これが大聖人様の御確信であられる。
私はこの仰せ、御遺命守護の御奉公を通して肌身で味わっている」
と仰せられました。
先生の
「正本堂を撤去せよ」との諫暁に対し、宗門僧侶のことごとくが
「太陽が西から昇ることがあっても、正本堂が撤去されることなどあり得ない」と嘲っていたにもかかわらず、ついに諸天の鉄槌により正本堂は打ち砕かれたのであります。
これを以て思うに、全顕正会の赤誠、大聖人様に通ずる時、二つの大事は必ず叶うものと大確信するものであります。
さあ、迎える四月は大聖人様が立宗あそばされた大事の月であります。
昨日の24日現在、全顕正会で誓願の三万にならんとする98%の前進が叶っておりますが、この初陣、なんとしても四万を突破する大折伏を敢行し、本年の二七〇万を確実にしていきたい。
されば、全顕正会員はいかなる魔障競うともそれを悦ぶ賢者となり、「岩に矢の立つ一念心」で不可能を可能とする戦いを断固展開し、以て霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)