本日の総幹部会も、御本尊様の功徳の歓喜と広宣流布の情熱がみなぎり、大感動いたしました。
浅井先生のご遺志を継いで御本仏の御遺命成就に戦う顕正会こそ、末法濁世に咲く白蓮華、地涌の菩薩の大集団であります。
この五月は、機関紙購読推進の中に人材育成が力強く図られ、有難い思いであります。
つねづね先生は、百人・千人・万人を率いて立つ力ある広布の人材が雲のごとく出ずることを念願しておられました。
今後、新しく入信してくる人たちをはじめ、いまだ信心の大事が掴めずにいる未活動者を毎週の日曜勤行に呼びかけ、その感激を語り合う中に広布の人材に育て、戦いの裾野を限りなく拡げていきたい。
そして第三度の一国諫暁を見据え、社会のあらゆる階層に地涌の流類を急ぎ糾合していかねばなりません。
いま正系門家を見るに、学会・宗門ともに度し難いまでの師敵対に陥っております。
まず学会は、池田大作が御遺命を破壊したのみならず、あろうことか「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」として、出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉るという極限の大謗法を犯した。
そして令和五年十一月、池田大作の死亡公表とともに発刊された「創価学会 教学要綱」において、大聖人様が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定し、凡夫視するという未曽有の邪教化に陥りましたが、学会の邪教化は止まるところを知りません。
会長の原田稔は本年四月二十一日に、ローマ・カトリック教会の前教皇のフランシスコが死亡したことを受け、その翌日、哀悼の意を表し、このような弔電を送っている。
「人類の幸福と平和、地球環境の永続のため、人間愛と正義を示し続けてきた教皇の歩みに敬意を表明し、その意志を継ぎ、平和を願う人々と連帯し、人類の未来のために前進したい」と。
大聖人様は立正安国論に
「謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん」
と、禁断謗法と国家安泰の原理を明かされ
「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり」
と立正安国の御聖旨を結勧し給うておられる。
しかるに原田は、謗法のローマ教皇に「敬意を表明し、その意志を継ぐ」などと平然と言ってのけた。
そして五月八日に新しいローマ教皇が決まるや、その翌日、原田は学会を代表して新ローマ教皇への期待を寄せる祝電を送った。
原田は昨年の五月にも、バチカン市国を訪ねて前ローマ教皇と会見し、それを聖教新聞でこれ見よがしに大々的に報じさせております。
この会見は、昭和五十年にローマ教皇との会見を行う予定だった池田大作の意志を体現したものだという。
池田大作は昭和四十七年の正本堂落成法要に、ローマ法王庁から神父を招くため、バチカン信徒評議会・評議員で上智大学名誉教授の安斉伸という高位のカトリックの信徒と接触した。
この対談で池田は「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」などという大謗法の言葉を述べて安斉の歓心を買った。
このときすでに池田大作は、戒壇の大御本尊を侮蔑していたのであります。
かくて正本堂の完工式には、わざわざローマ法王庁特使の神父を招いて、共に世界平和を祈っているのです。
一連の原田の行動は、池田大作を軌範としていることは言うまでもありません。
これら池田大作一党の姿は、大聖人御入滅後わずか数年にして幕府にへつらい、その意のままに念仏・真言等の邪法の僧等と肩を並べて国家の祈りをした五老僧に酷似しております。
日興上人は五老僧の謗法与同に対して、こうお叱りになっておられます。
「文永免許の古、先師素意の分、既に以て顕われ畢んぬ。何ぞ僣聖・道門の怨敵に交わり坐して、鎮に天長地久の御願を祈らんや」と。
「文永免許の古、先師素意の分」とはどういうことかといえば――
文永十一年三月に大聖人の佐渡流罪を許した幕府は、大聖人を懐柔しようとした。
蒙古襲来の危機が迫り、大聖人様の御威徳を目の当りにして、只ならぬ御方であるとわかっていた幕府は、大聖人様に「諸宗と共に蒙古調伏を祷ってほしい」と考えていた。
ゆえに赦免に際して、幕府は大聖人様に「布教も許す」「広大な領地に坊を作って寄進し、帰依せん」とまで申し出た。
ただし、念仏・真言・禅宗等と仲良く共存し、国家の祈りを共にしてほしい、と言ったのです。
大聖人様は、この懐柔策を弄する平左衛門に対して改めて諸宗の誤りを示され、ことに真言宗こそ亡国の悪法であり、もし蒙古調伏に真言師を用いるならば「いよいよ急いで此の国ほろぶべし」と強く諫暁あそばされた。
そして「蒙古はいつごろ襲来するか」との平左衛門の問いに対し
「よも今年は過ごし候わじ」
とご断言され、身延に入山あそばしたのであります。
これが「文永免許の古、先師素意の分」ということです。
日興上人は、かかる大聖人様の御心に背いて、なぜ僣聖増上慢・道門増上慢の怨敵と肩を並べて国家の祈りなどをするのかと、五人を強く破折しておられる。
また日布上人はこの大聖人様の御振舞いについて
「佐渡流罪から……大聖人様は赦免となって帰られた。そのとき、このような強い諫暁をあそばして、もし平左衛門の逆鱗に触れたら直ちに命を奪われるか、あるいは再び佐渡に追い帰されるかもしれない。もし、もう一度佐渡流罪となったらそれこそ命はない。それをご覚悟のうえで三たびの諫暁をあそばすとは何という勇烈か」
と述べておられます。
まことに、大聖人に対し奉る忠誠心を失い保身に走れば、たちまちに折伏の精神は消え失せ、邪法とも交わるようになる。
天魔その身に入った池田大作一党も全く同じであります。
六百万学会員は、御本仏一期の御遺命を破壊し、出世の御本懐たる戒壇の大御本尊を捨て奉り、邪教化の一途をたどる池田大作ならびにその一党に付くならば「師は針のごとく、弟子は糸のごとし」で、今生には功徳を失い、後生は入阿鼻獄となる。
早く悪師を捨てて、正しき師匠・浅井先生に師事すべきであります。
かたや宗門も、池田大作の御遺命破壊の大悪事に加担しておきながら、いささかの改悔もない。
しかるに、このような宗門が、教学要綱において「本門の戒壇」の教義を改変した学会を批判しているのだから、その厚顔無恥には恐れ入るものです。
宗門の度し難いまでの無慚無愧・無道心・卑怯ぶりを示す象徴的なことゆえ、今般、あえて触れておく次第であります。
その前に、まず学会が「本門の戒壇」について、どのように教義を改変したのかを少しく見てみます。
池田大作一党は教学要綱において、このように記している。
「一九七二年十月に日蓮正宗の総本山である大石寺に建設された正本堂は(中略)広宣流布の象徴として、創価学会が全面的に推進して建立したものである。
その上で、大聖人が示された『本門の戒壇』には、特定の建造物を超える意義がある」として、「それぞれの家庭などで御本尊に向かって題目を唱える場が……さらに……各会館も、『本門の戒壇』の意義を持つ」と。
つまり学会は、「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と戒壇の大御本尊を捨て奉ったゆえに、戒壇の大御本尊を安置し奉る建物を「本門の戒壇」と言えなくなった。だから「本門の戒壇」を特定の建造物ではなく、各家庭の仏間や学会の会館にしたということです。
すでに御遺命に違背して久しい学会であれば、このような逸脱は驚くには及ばない。
「本門の戒壇」とは、まさしく広宣流布の暁に、仏法を守護し奉るとの国家意志の公式表明を手続として、富士山天生原に建立される国立戒壇であります。
このことは、大聖人の己心深くに秘めさせ給う重大事ゆえに、御入滅の年の弘安五年にいたって始めて「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」に明かし給うておられる。
先生は三大秘法の大旨について、かく指導であります。
「まさに本門の題目によって個人の成仏が叶い、本門の戒壇によって国家・国土の成仏が叶うのである。そしてそのすべては、本門戒壇の大御本尊の無量無辺の功徳より発するのである」と。
まさに本門戒壇建立こそ、国家・国土を成仏せしめる秘術なのであります。
この重大なる御聖意をご存知なのは、御遺命を身命を賭して死守せられた浅井先生唯お一人であり、その重き重きお立場にひれ伏すとともに、かかる先生のご遺志を継ぎ、その実現に戦わせて頂ける私たちの宿縁に咽ぶのほかはありません。
話を戻します。
この学会の「本門の戒壇」の教義改変について、宗門は法華講連合会の機関紙「大白法」(令和6年12月1日号)に「御遺命の戒壇建立を全否定」と題した記事を掲載しました。
この記事は僧侶が書いたものと思われますが、早瀬日如管長の監督の下で発行されている機関紙であれば、その責任はすべて早瀬管長に帰するものであります。
くだんの記事には、先ほどの「本門の戒壇」に関する学会の教義改変についてこう記している。
「正本堂建立を自賛したかと思えば、何とその直後に、“『本門の戒壇』には、特定の建造物を超えた意義がある”などと、にわかには信じがたい暴言を吐いている。正本堂建立に参加した当時の八百万信徒の真心と功績を、ただの一文で全否定してしまったのである」と。
学会の「本門の戒壇」の教義改変は、確かにとんでもないことに違いありません。
しかし、池田大作の金力・権力にへつらい、偽戒壇・正本堂の誑惑に全面協力して御遺命破壊に加担した宗門に、学会を批判する資格はない。
「八百万信徒の真心と功績を全否定した」などと言っているが、正本堂が「御遺命の戒壇」ではないとわかっていながら、池田に言われるままにそれを「御遺命の戒壇」と意義づけて八百万学会員を騙し、痛ましいまでの供養をさせたのはいったい誰なのか。
昭和四十年九月十二日、細井日達は正本堂の供養を勧める「訓諭」を発布した。
すなわち
「資力の限りを尽して供養し奉り……蔵の宝に執著することなく大本尊に供養して…」と。
この訓諭に併せて宗務院は次の通達を付した。
「今回の正本堂建立は…大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於て成就されることなのであります」と。
この宗務院の通達は、恐れげもなく直截に正本堂を「大聖人の御遺命の戒壇」と断言している。
ちなみにこの通達は、阿部教学部長が書いたものであります。
このように池田大作・細井日達・宗務院が一体になって供養を募るキャンペーンを行なったゆえに、全学会員は涙ぐましい真心を以て応えた。
当時、全国の質屋の前に学会員の行列ができ、あるいは生命保険の一斉解約も始まり、世間の話題になった。
また若い青年男女は結婚費用を供養に充てたので、各末寺には結婚式の予約の取消の電話が相次いだという。
しかし、先生の連々たる諫暁によって自界叛逆の罰が現われ、学会と大抗争を演じるや、阿部は池田憎しの瞋恚の思いで正本堂を取り壊わしたのであります。
そのような宗門が、「正本堂建立に参加した当時の八百万信徒の真心と功績を、ただの一文で全否定してしまった」などと、よくぞ言えたものです。
そして宗門はその記事の中で、かつての池田の講演を引いて、教学要綱との矛盾を指摘している。
それは次の池田の言葉であります。
「本門の戒壇建立とは、大聖人様の至上命令である。そして、わが日蓮正宗創価学会のただひとつの目的であることは、論をまたない」と。
大白法は、この池田の言葉と教学要綱の内容が相違することを以て
「学会執行部はこの矛盾をどう説明するのか」と嘯いている。
しかし宗門が卑怯なところは、引用したこの池田の講演が国立戒壇について述べていることを、敢えて隠していることです。
この講演は昭和三十四年のもので、その題名は「国立戒壇の建立とわれら学会員の行く手」というものです。先ほどの池田の発言のあとにはこのような言葉が続いている。
「この戒壇こそ、末法万年にわたり、民衆を救済するものであると思う。したがって国立の戒壇建立は、全民衆の要望によって成就されるものである」と。
池田大作は、「国立戒壇建立」こそが大聖人の至上命令であり、学会の唯一の目的であると言っているのです。
昭和三十四年といえば第六十五世・日淳上人が猊座におられたときで、宗門も「国立戒壇」を高らかに叫んでいたときであります。
これらの事実を敢えて隠し、都合のいい部分だけを切り取って学会の教義改変を批判する宗門の姑息には、長大息のほかはありません。
仮にも、かつての池田の言葉を以て現在の学会の矛盾を指摘するのであれば、当時、学会・宗門ともに国立戒壇こそ日蓮大聖人の御遺命であることを堂々と叫んでいた事実を明かし、それこそが正義であることを認めなければおかしい。
そして大白法の記事はこのように締め括られている。
「広宣流布と本門寺の戒壇建立こそ御本仏の御遺命であり、弟子檀那として夢寐にも忘れてはならない大目標である」
「要するに学会は、自分たちの勝手な都合で、大御本尊だけでなく御遺命の戒壇建立をも完全に捨て去ったのである。このような学会の三大秘法破壊ともいうべき大逆罪を御本仏が断じて許されるはずはない」と。
池田に諂って唯々諾々と御遺命の国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂の誑惑を助けた宗門の大罪を棚に上げて、いったいどの口がいうのかと言いたい。
御遺命破壊の主犯たる学会が悪いことは言うまでもない。しかし
「自分たちの勝手な都合で、……御遺命の戒壇建立をも完全に捨て去った」のは共犯の宗門もまったくの同罪、同じ穴の狢ではないか。
御遺命破壊という大逆罪を「御本仏が断じて許されるはずはない」との認識が一分でもあるのなら、どうして改悔をしないのか。
先生の身命を賭した連々たる諫暁によって偽戒壇・正本堂が崩壊したにもかかわらず「『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」と御遺命の国立戒壇を異常なまでに怨嫉した阿部日顕のたばかりに、未だにすがり続ける早瀬管長が率いる宗門が、このような偉そうなことをよく言えたものです。
世親菩薩・馬鳴菩薩・嘉祥大師は、自身の誤りを悟りその罪を滅せんと、自らの舌を切らんとし、頭を刎ねんとし、あるいは身を肉橋にした。それこそが真の懺悔であります。
ウソと詭弁とたばかりで御遺命破壊の大罪をごまかしているうちは、とうてい真の懺悔とはいえない。
早瀬管長は、細井日達・阿部日顕が犯した御遺命違背と、自らの与同の大罪を大聖人様にお詫びし、御遺命の国立戒壇を宣示し、五体投地の懺悔をして一から出直さなければいけない。
それをなさぬ以上、宗門はますます凋落の一途をたどり餓鬼道に堕すること必定であります。
そして、かかる正系門家の濁乱が「前代未聞の大闘諍」と日本への「他国侵逼」を招くのであります。
さて、話は変わります。
かねてより先生が思い定めてこられた20年代の「広布の決戦場」も第六年に至り、諸天の治罰のテンポが加速しているさまには驚くばかりであります。
常に先生は20年代に広布前夜の「総罰」が現われてくる客観情勢を睨み
「急がねば間に合わない」
と、逆算の戦いを展開しておられました。
そこに、先生が心中深くご決意されていた三年後の二〇二八年・令和十年までに断じて三百万をなし、第三度の一国諫暁に立たせて頂かんとの決意を新たにするものであります。
本年一月にアメリカの大統領にドナルド・トランプが再就任してからわずか四ヶ月で、世界は激動と混迷の様相を呈しております。
トランプ大統領は「アメリカを再び偉大な国にする」とのスローガンを掲げ、保護主義やナショナリズムを基盤とする政策を矢継ぎ早に打ち出しておりますが、アメリカ国内をはじめ世界を振り回わし、これまでの秩序を破壊せんとしているがごとくであります。
ことにアメリカの貿易赤字を削減して、国内の製造業を復活させて白人中間層に仕事を取り戻すために、世界各国に攻撃的な高関税を課しました。
しかしトランプの高関税政策は「非主流派」と言われる経済学者らの主張をもとに作られており、これを強引に推し進めれば経済に深刻なる影響を与え得る。
多くの経済学者は“高関税政策はインフレと景気後退、そしてスタグフレーションのリスクを高め、アメリカの消費者と企業に広範な悪影響を及ぼす”と指摘しています。
スタグフレーションとは「物価上昇」と「経済停滞」が同時に進行する深刻な経済問題です。
これに陥ると、物価上昇に賃金の上昇が追いつかないので家計が圧迫され、また企業の業績が悪化して失業者が増える。
そして伝統的な政策が効果を発揮しにくいので、解決が極めて困難なのであります。
アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)をはじめ金融界等から、スタグフレーションへの懸念が表明されております。
トランプ大統領は本年四月上旬、世界各国に対して相互関税を打ち出しました。これは高関税を武器にして相手国から貿易不均衡の是正などの譲歩を引き出そうとするものですが、金融市場が激しく動揺すれば、たちまち相互関税の適用を90日停止したり
また中国に課した異常な145%の高関税の影響で中国の安価な商品がアメリカへ輸入されなくなることがわかると、途端に中国への関税を大幅に下げて90日の交渉期間を設けたり
昨日23日にはEUとの協議が「行き詰まっている」との理由で、EUからの輸入品に50%の追加関税を課すことを言ってみたり
アメリカ国内でiPhoneを製造しない場合、アップルに少なくとも25%の関税を課すと言う等、発言を二転三転させたり、場当たり的な言動をくり返しては世界中を翻弄している。
これらトランプ関税の影響は未だ序章に過ぎず、アメリカをはじめ日本そして世界の実体経済に深刻な影響が出てくるのは、これからです。
アメリカの経済史を専門とするジョージア大学のスコット・レイノルズ・ネルソン教授は、十九世紀初頭以降にアメリカが経験した六回の恐慌のうち五回は、関税や禁輸措置によって直接的に引き起こされたか、もしくは状況が著しく悪化したとして、こう警告しております。
「トランプの関税政策は誰かが立ち上がって止めない限り、破壊的な結果をもたらす」と。
大聖人様は一国総罰の一つに「大飢渇」を挙げておられます。
現代における「大飢渇」とは、人々が食べていかれない大不況、いわゆる世界恐慌がこれに当る。
いま世界恐慌がいよいよ近づいてきているのであります。
不羈奔放なトランプ大統領のことなので、今後どのような行動をとるかは予測不能であります。
しかし20年代の後半にいたり、覇権を握るアメリカの大統領に利己主義で特異な性格のトランプが再就任したことで、中国やロシア等の軍事独裁国家を利するように自由主義陣営の同盟国の分断が加速し、そして世界大恐慌と第三次世界大戦にいたるシナリオが現実化してきたことだけは確かであります。
一方、「広宣流布の決戦場」たる20年代に突入してから、世界のいたるところで軍事的な緊張が俄に高まってきております。
その大きな転換点ともいうべきものは、二〇二二年二月から始まったロシアによるウクライナ侵攻です。
当時、先生はウクライナ戦争によって「第三次世界大戦の口火が切られた」と断じられましたが、仏法の眼を以てのその鋭いご見識にはひれ伏すものであります。
スウェーデンのウプサラ大学の紛争データプログラムの統計によれば、国家が関与する武力紛争数は、最新のデータである二〇二三年は59にものぼり、一九四六年の統計開始以来で最多になっています。
ロシアによるウクライナ侵攻は未だに終結のしるしすら見えずに長期化しておりますが、これによってロシアとNATOの対立も激化している。
イギリスの国際戦略研究所は
「ロシアは早ければ二〇二七年にもNATO諸国とりわけバルト三国に対して重大な軍事的脅威を与える可能性がある」
と警告を発しております。
ロシアの侵攻はウクライナ戦争で終わることはない。
さらに中東では、二〇二三年十月のハマスによるイスラエル攻撃以降、イスラエルの報復作戦によって、ガザ地区の死者は四万三千人に上ると言われている。
イスラエルの強硬な軍事対応はレバノンやイランとの緊張を高め、中東情勢を不安定化させております。
またアフリカのスーダンでは二〇二三年四月から政府軍と準軍事組織「RSF」との間で内戦が勃発し、死者数は二万八千人以上と言われている。この紛争は深刻な人道危機を引き起こし、一千二百万人以上が避難を強いられている。
そして今月、インドとパキスタンは領有権を争うカシミール地方で起きたテロ事件をめぐって互いに軍事行動を起こし、現在、かろうじて停戦合意はしているものの、未だに不安定な情勢が続いている。
この両国は多数の核弾頭を保有しているだけに、ひとつ間違えば核戦争に突入する可能性もある。
そして、これら戦争や紛争の増加に伴って、世界の軍事費は増大の一途をたどっております。
ストックホルム国際平和研究所の発表によれば、二〇二四年の世界の軍事費は前年比で九・四%増の二兆七千二〇〇億ドル、日本円で三九〇兆円に及び、軍事支出を増やした国は一〇〇ヶ国を超し、一九八八年の統計開始以降、過去最高を記録している。
同研究所は今後、さらに軍事費が増大すると予測しております。
この前年比九・四%の軍事費の増加は、単なる数字以上の深い意味を持っている。
混沌とした世界において各国が軍備増強に鎬を削れば、「相互不信」と、さらなる「軍拡の連鎖」をもたらすのであります。
実際、トランプ大統領は二〇二六年度のアメリカの国防予算を一兆一〇〇億ドル(日本円に換算して一四四兆円)要求した。これは前年度比で十三%を超して過去最大、この中には「ゴールデンドーム」と称する最先端のミサイル防衛体制や次世代戦闘機F47の開発、そして核戦力を強化し、近代化することも含まれている。
これらは中国の異常な軍備増強に強い危機感を懐くトランプの考えが反映されており、急速に核戦力を強化している中国との対決を見据えたものといえます。
このように世界で軍事的緊張が高まる中での、人工知能(AI)の著しい進歩は、第三次世界大戦を早めるものと言わざるをえない。
凄まじい速度で進化を遂げるAI技術が軍事転用され、自律型致死兵器(LAWS)が戦場に投入される日もそう遠くはないでしょう。
もし人間の判断を介さず、感情のないAIが誤作動して暴走すれば、その被害は甚大となる。
またAI兵器がハッキングされたら、乗っ取られた国の兵器が自国のインフラや味方を攻撃して、それに対する報復が行われれば制御不能な大規模戦争に発展する可能性もある。
まして核兵器とAIが連動するような事態になれば、人類滅亡の世界最終戦争に至るのであります。
国連では自律型致死兵器の開発やその使用に対して規制を求めてはいるものの、アメリカ・中国・ロシアなどの軍事大国は「戦略的優位性の確保」を理由に、規制には慎重な姿勢を取っている。
実際トランプは、大統領に再就任した直後の本年一月二十三日に「人工知能に対する規制緩和を指示する大統領令」に署名しております。
それまでの、AIの安全性の確保を重視したバイデンの大統領令を廃止し、トランプは安全性よりも規制緩和を優先し、間接的に軍事目的での活用を許容している。
これまでの歴史を見れば、世界大戦はある日、突然起こるものではありません。
第二次世界大戦の前夜を見ても、世界恐慌による経済的困窮や民衆の不満や怒りが人々を追い込み、また世界各地で起きた地域戦争や内戦が、世界規模の大戦争に繋がっているのであります。
まさに今の時代は、そのような情勢になりつつある。
このような激動と混迷の世界で、極めて侵略性の強い「修羅の大国」中国は、アジアの覇者となって中華大帝国を築かんとしております。
この中国に、諸天は日本侵略の意志を必ず懐かしめる。
そしてその前に、中国が「核心的利益の核心」と位置づける台湾の侵攻を始めるに違いない。
創刊一八〇年以上の歴史を持つイギリスの「エコノミスト」という週刊新聞があります。その鋭い分析には定評があり、世界で重要な政治経済紙の一つと言われております。
このエコノミスト誌が本年五月三日
「超大国による決戦は意外に早い?迫り来る台湾有事」と題したこのような記事を掲載しました。
「米国の保護主義と、同盟国に対する強硬姿勢は米国を再び偉大にするとされているが、実際には台湾を防衛する能力を低下させている。
この矛盾を中国が見逃すはずはない。
習近平氏は少し前まで、台湾を支配したいなら時機を待つべきだと考えていた。それが理にかなったやり方だった。
しかし今は違う。時は来た、チャンスがムダになる前に動かねばならないと結論づけるかもしれない」と。
トランプ大統領がしかけた貿易戦争によって、中国の台湾に対する軍事行動が前倒しされる可能性を指摘しているのであります。
中国が台湾侵攻に動いたとき、日本がその最前線に立たされることは、本年三月にアメリカのヘグセス国防長官が述べた
「西太平洋におけるあらゆる有事に直面した場合、日本は最前線に立つことになる」
とのアメリカの本音を見れば疑う余地もない。
またトランプ大統領のことなので、台湾有事の際、米軍を関与させずに日本の自衛隊を最前線に立たせ、梯子を外された自衛隊だけが戦う状況が作られてもおかしくない。
いずれにしても、そのとき日本全土が戦場となり、中国の核ミサイルの標的となって血祭りにあげられることは自明であります。
大聖人様は撰時抄に「前代未聞の大闘諍」「他国来難」と「広宣流布」との関係について、次のごとく仰せられている。
「其の時、天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用いずば、隣国に仰せつけて彼々の国々の悪王・悪比丘等を責めらるるならば、前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。
其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼の憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。
―もし国中の人々が日蓮大聖人の仏法に背くならば、諸天はまず「天変地夭」を以てその国を誡める。しかし国主等がその諫めを用いなければ、諸天はついに隣国に命じてその国を責めしめる。かくて「前代未聞の大闘諍」が地球規模で起こる。
そのとき、人々は国が亡び我が命を失う恐怖から、一切の仏・菩薩等に祈る。しかしその験もなく万策尽きたとき、ついに人々は、それまで憎んでいた日蓮大聖人を信じ、頭を地につけ掌を合わせて、一同に「南無妙法蓮華経」と唱えるに至る――と仰せられている。
先生が常に指導下さった
「大聖人様は『前代未聞の大闘諍』『他国侵逼』起こるの時、この大罰を用いて全日本人を改悔せしめ、必ず広宣流布をあそばす」
とは、このことであります。
大聖人御入滅後七百年、今まさに
「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」(下種本仏成道御書)
との時が到来したごとくであります。
大戦乱の前ぶれである「天変地夭」はすでに日本および全世界で起きている。
また核兵器を用いた「前代未聞の大闘諍」はもはや絵空事ではない。現実になりつつある。
しかも日本の隣には、御在世の大蒙古を彷彿とするような軍事超大国・中国が急速に台頭し、いよいよ日本の存立を脅かすようになってきております。
このような客観情勢が整ってきたのも
「仏法より事起こる」の大罰であります。
すなわち、日本一同の違背と正系門家の違背がその根本原因であります。
七百年前の日本国は、大聖人様の御頸を刎ね奉らんとする血の凍るような大逆罪を犯すも、今にいたるまで大聖人に背き続けている。
さらに重大なことは、正系門家の師敵対であります。
学会は偽戒壇・正本堂の誑惑をなして御遺命を破壊しただけでなく、戒壇の大御本尊を捨て奉るという極限の大謗法を犯し、さらに大聖人様を凡夫視する未曽有の邪教化に陥った。
かたや宗門は、池田大作にへつらって御遺命破壊に協力したうえに、正本堂なきあとも国立戒壇に異常なまでの怨嫉を懐き、戒壇の大御本尊を営利の具とする無道心である。
日本一同の謗法は永くて広い。
しかし、正系門家の違背は狭くとも深い。
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」
とて、日本の命運は富士大石寺の信心にかかっている。
もし唯一の正系門家の信心が濁乱すれば、国は必ず亡ぶのであります。
しかし大聖人様は、一閻浮提の大闘諍・他国侵逼を免れる術を四十九院申状にかく仰せ給う。
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
法華経迹門の大法を第一とし、本門の大法を第二とし、文底深秘の大法を「第三の秘法」と仰せられる。その実体はまさしく「本門戒壇の大御本尊」であられる。
もし日本一同に本門戒壇の大御本尊を命かけて信じ奉るならば、亡国の大難たる他国侵逼をも、必ず免れることができる――と仰せ下されているのです。
そこに国亡ぶ大難が起こる前に、全日本人に
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との御本仏の大師子吼を心魂に徹するまで教える第三度の一国諫暁に立たねばならぬ所以があるのであります。
先生が過去二度の一国諫暁で告げ知らしめた亡国の大難が、すべて事実になってきていることを全日本人に教え、日蓮大聖人への絶対帰依を迫るのであります。
私は五月を迎えるたびに、二年前の愛媛会館御入仏式を思い出し、粛然たる気持ちに包まれます。
御逝去の五ヶ月前、そのときすでに先生は体力の衰えが窺われていたにもかかわらず、何としても西日本広布の楔を打ち込まんと、そして先生をお迎えせんと真剣勝負の気魄で寝食を忘れて戦ってきた弟子の真心に応えんと、ご難儀を承知のうえで、あえて愛媛行きを決行されました。
御入仏式を終えて、松山空港から羽田空港に到着された先生は、飛行機の到着ゲートから送迎車が寄せられている場所までの、長い長い通路を、休みながら歩まれました。
そのときの先生のお姿は、今でも鮮明におぼえております。
私は、先生の広宣流布への無限の責任感と、弟子の真心を大事に思われる深きご慈愛を、夢寐にも忘れたことはありません。
かかる先生が現在の激動の世界情勢と亡国迫る日本の姿をごらんになれば、いかなる戦いを起こされるのか、私が見つめるはただこの一事のみであります。
まさしく第三度の一国諫暁こそ「仏法を得べき便り」と心しております。
そこに、二〇二八年までの三百万を睨みつつ、まずは本年十月十六日の先生の三回忌までに見違える大成長を遂げ、霊山にまします先生に全顕正会の赤誠をごらん頂かんと決意しております。
最後に六・七月法戦の折伏誓願を発表いたします。
男子部一万一千七〇〇名、女子部八千八〇〇名、婦人部四千五〇〇名。顕正会全体で二万五千名であります。
ここに迎える本年の中盤も、本日より戦闘開始であります。
されば全組織が誓願を大きく突破する美事なる戦いを展開し、以て全員で浅井先生にお応えしてまいろうではありませんか。以上。(大拍手)