本日の総幹部会もまことに素晴らしく、大感動を抑えがたきものであります。
顕正会全体の折伏は一昨日の時点で、二万になんなんとする力強い前進が叶っておりますが、いよいよここから戦いのテンポを上げ、この中盤に三万を突破して、二七〇万に限りなく近づけていきたいと決意しております。
ここに迎える七月は、大聖人様が文応元年に、時の国主・北条時頼に立正安国論を奏進あそばされた月であります。
大聖人様は立宗以来、念仏・真言・禅・律等の邪法を破折され、唯一の成仏の大法たる南無妙法蓮華経を一切衆生にお勧め下された。
しかし邪宗の坊主らの煽動によって、日蓮大聖人を憎む声は国中に満ち、迫害は日々に強まった。
その中、正嘉元年八月に起きた前代未聞の巨大地震をごらんになられた大聖人様は「これ仏法より事起こる」と知り給い、もしこのまま正しい仏法に背き続けるならば、日本国の一切衆生は必ず今生には他国の責めを受け、後生には無間地獄に堕つると厳然と予言され、仏国実現を強く国主に促し給うた。
これが立正安国論の御趣旨であります。
この安国論における他国侵逼の御予言は毫末も違わず、その十四年後に蒙古の襲来となって事実になっております。
実にこれ、大聖人様が諸天に申しつけてなさしめ給うた大現証であれば、日蓮大聖人こそ末法下種の御本仏にてましますことの証明であります。
同時に、この大罰を以て一切衆生に改悔の心を生ぜしめ、後生の無間地獄の大苦を今生に消せしめんとの大慈大悲にてまします。このことを深く拝し奉るべきであります。
浅井先生は立正安国論の御意を端的にこう仰せ下さっておられます。
「『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』――この重大事こそ、安国論の御意そのものなのである」と。
その理由について先生は、下種本仏成道御書の
「此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。乃至、平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなく夢のごとくに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国より責めらるべし。例せば立正安国論に委しきがごとし」――。
この一節を以て
「開目抄の心とは『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』ということ。そしてこのことは立正安国論に詳しく示してあると仰せられている」
と指導下さいました。
ゆえに先生は、二度の一国諫暁の書をはじめ、広告文や特集号において
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との立正安国論の御意を日本の人々に広く伝えられたのであります。
そして「立正」とは詮ずるところ「国立戒壇」の建立であります。
日寛上人は「立正」の深意について文段に、かく御指南下されている。
「立とは戒壇を立つるなり。御相承に云く『国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』」と。
かかる一大事を御遺命されたのが、日興上人への御付嘱状であります。
この国立戒壇が建立されるとき始めて日本はいかなる国にも侵されない金剛不壊の仏国となる。
なぜかといえば――
宇宙的スケールの力用を持つ諸天善神が厳然と守護するゆえであります。
この本門戒壇に全世界の人々が詣でるの時いたれば、地球上から戦争も飢餓も疫病も消滅し、まさに事の寂光土となるのであります。
されば、いよいよ「前代未聞の大闘諍」と日本への「他国侵逼」迫る今、先生のご遺志を継いで戦う我ら顕正会員こそ
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語を高らかに叫び、国立戒壇建立に向けた怒濤の大折伏を展開してまいろうではありませんか。
そして、今月は「兄弟抄」講義を拝聴いたしました。
先生の講義を通し、大聖人様が「門家の明鏡」「未来の資糧」と仰せ給うた「魔障の原理」を懇切にご教示頂けた有難さは言葉に尽くせません。
魔障に打ち勝って大事の御奉公を貫けるよう、先生が広布最終段階を戦う我ら弟子一人ひとりに下さったものであれば、本講義を広宣流布の暁まで、そして臨終の夕べまで常に身に体してまいらんと決意いたします。
先生は冒頭、池上兄弟に対する父親の怨嫉の背景についてお教え下さいました。
この池上兄弟をはじめ四条殿や上野殿への怨嫉、そして門下が受けた最大の法難たる熱原の大法難こそ
「第六天の魔王が良観等の身に入り、御本仏の出世の本懐成就を妨害したものに他ならない」と。
いま私たちは、「御在世は今にあり」との先生のご信心を通して始めて、第六天の魔王の激烈なる妨害の中に信心を貫かれた門下の弟子一同の「唯願説之」を眼前に拝し、それを鑑として戦えるのであります。
この第六天の魔王は、あるいは妻子の身に入って親や夫をたぶらかし、あるいは国王の身に入って正法を持つ者を威し、あるいは父母の身に入って孝養の子を責め、あるいは婆羅門となって菩薩の行を成ぜんとする舎利弗に眼を乞うなど、その姿は変幻自在であります。
このことを弁えるとき
「第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり」
との仰せが、実感として身に迫りました。
思うに、御遺命破壊の大悪が起こる以前に、第六天の魔王が宗門の最高権力者・池田大作の身に入り、時の貫首の絶対権威を以て日蓮大聖人一期の御遺命を正系門家の内部から破壊するなど、いったい誰人が想像し得たでしょうか。
その障碍は
「三障四魔紛然として競い起こる」
との仰せのごとく極めて紛らわしいゆえに、八百万学会員および一千名の宗門僧侶のことごとくが容易く誑かされたのでした。
その中で、先生唯お一人がそのたばかりを見抜き、身命を賭して御遺命守護に立たれたのであります。
この戦いをなし得るは、広宣流布の時のために留め置かれた日寛上人の御指南を以て御書の極理を師伝された先生を措いてほかになく、まさに先生こそ、広布前夜の未曽有の大悪出来のときに大聖人様が召し出された久遠元初以来の大宿縁のお方と、拝さずにはいられません。
そして、徹底せる諫暁を貫けば解散処分を蒙ることをかねてよりご覚悟であられた先生の師子王心は
「がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ。例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふるまい・いゐしがごとく、すこしもをづる心なかれ」
すなわち
強盛に奥歯を噛みしめて、たゆむ心があってはいけない。たとえば大聖人様が竜の口法難の際、平左衛門を大音声で叱咤あそばされたごとく、少しも怖じてはいけない――との仰せのごとくであります。
かくして死罪に等しい解散処分を蒙るとも、先生は
「御遺命たる国立戒壇の正義を守って死罪に処せられるなら、これに勝る喜びはない」
とて、解散処分を大聖人様から賜った「勲章」と仰せられましたが、その透徹のご信心、誰人も比肩し得ぬ大忠誠心には、熱涙を禁じ得ぬものであります。
この解散処分によって、かえって先生は広布最終段階の信行たる「遥拝勤行」を確立され、日本列島に恋慕渇仰の信心口唱を漲らせ、また「修羅と悪竜の合戦」のごとき学会・宗門の醜い抗争に一切巻き込まれることなく、顕正会を日本で唯一御遺命を奉じて立つ地涌の菩薩の大集団になさしめられたのであります。
先生の
「『魔障の原理』を心肝に染め、魔を魔と見破らなければいけない。強き信心に立って魔に打ち勝てば、魔障があったおかげで、こんなにも境界を変えることができた、ということになる」
との仰せ、まことに千鈞の重みであります。
そこに第三度の一国諫暁に立って、いよいよ広宣流布眼前になるの時、大なる魔障競い起こること必定であれば、一人ひとりが
「行解既に勤めぬれば、三障四魔紛然として競い起こる」
「此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」
との御金言を身に体していかねばなりません。
されば、今回の「兄弟抄」講義をよくよく心腑に染めて、大事の御奉公を貫かせて頂こうではありませんか。
さて、話は変わります。
本年の一月度総幹部会以降、私は浅井先生のお心のまま、宗門の早瀬日如管長に対し二つの大事を求め、重ねて直諫いたしました。
まず一つに、早瀬管長は、細井日達と阿部日顕の御遺命破壊と自身の与同の大罪を、大聖人様に心からお詫びして、「日蓮大聖人の唯一の御遺命は国立戒壇である」と正義を宣示しなければいけないこと。
二つには、いつ起きてもおかしくない南海トラフ巨大地震に連動する可能性が高い「マグニチュード9台」とも言われる富士川河口断層帯巨大地震の切迫に鑑みて、急ぎ三次元免震システムの新御宝蔵を建設し、近き広宣流布の暁まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ることを、先生の血を吐く思いを体し、強く求めました。
この二つの大事は、顕正会の得手勝手な要求ではありません。
亡国迫る日本において、いつまでもいつまでも正系門家が大事の御遺命に背き続けていることが大聖人様に対し奉り申しわけないとの一念から発するものであります。
また巨大地震によって戒壇の大御本尊に万々一のことあれば、ことは仏法の破滅、全人類の破滅。ゆえにこれ「一閻浮提第一の大事」であれば、あえて強言を構え、重ねて早瀬管長に要請したものであります。
しかるに、早瀬管長は未だに無視をし続けております。
一方、宗門僧俗も、まともな対応をなし得ず
あるいは国立戒壇に関するたばかりが完全に粉砕されて回答不能にもかかわらず改悔をせず
あるいは末寺の入口に「顕正会員お断り」との貼り紙を張り出して顕正会員との接触を拒絶し
あるいは「部外者は関係ない」と逃げを打ち
あるいは何ら科学的根拠を示さず「奉安堂は頑丈だから大丈夫」と強弁するなど、信心の欠片もない為体であります。
そして先ほどの横田理事の発表にあった通り、早瀬管長は言うに事欠いて、顕正会の諫訴から目を逸らすために、あろうことか、浅井先生の臨終の相について許しがたい荒唐無稽な謗言を、宗門僧俗に吹聴させるに至りました。
もとより、このような下らぬ謀りは捨て置いてもよいところ、ことは先生の御臨終に関することであれば、先生のお徳に傷がつくことを恐れ、後世のためにもそれを劈いておく次第であります。
その内容とは――
一つに、先生の告別式の日、葬祭場の火葬炉の前で、私を含めた数名の親族が浅井先生に最期のお別れをした際、ある法華講員がその場に同席を許され、そこで先生のお顔を30センチくらいの至近距離で15秒ほど見たというものです。
その者のいわくには“先生の相は一見穏やかそうに見えたものの、目はしっかりと閉じ、口はキツく横一文字に結ばれ、顔には死化粧が厚く施されていた”と。
また“先生のお顔と喉元が明らかに違う色と質感で、その境目が確認でき、お顔の表面は不自然に白く、粉っぽく見えた”などと、まことしやかに謀っている。
そして、この法華講員が実際にその場にいたことを信じ込ませるために、火葬炉の前で親族が柩を囲むようにしている加工・編集された写真を用意する小細工まで弄している。
二つに、その法華講員が告別式の翌日、先生の葬儀を担当した葬儀社に電話をかけて、先生に死化粧がされていた事実を確認したという。
その者のいわくには“葬儀社が「弊社の納棺師が死化粧をしました」と回答した。やりとりの録音データもある。先生の臨終の相は成仏の相ではなく、死化粧をしていたと断言する”などという。
このようなデマを騒ぎ立てて先生の成仏の妙相を否定すれば、顕正会員が動揺すると思い、また早瀬管長に対する直諫の目くらましになると考えたに違いない。
まことに涙ぐましいまでのたばかりであります。
その一々を破折いたします。
まず一つ目の
“火葬炉の前で先生と最期のお別れをした際、その法華講員が先生のお顔を見た”との内容について。
私をはじめとする数名の親族と横田理事が見守る中、仮に得体の知れない部外者が先生の御柩の至近にいたとしたら、ただちにつまみ出されるに違いなく、そもそもそのような部外者を同席させるわけがない。また誰ひとりとしてそういった輩を見ておりません。
このようなウソを喧伝することは、親族の許可なしに火葬場の奥深くまで不法侵入して盗撮するという、反社会的行為に及んだことを自認するに等しく、それこそ宗門僧俗の異常性・非常識さを天下に晒す自殺行為になることすらわからないらしい。その歪んだ精神構造は理解に苦しむところであります。
そして二つ目の
“葬儀社が「弊社の納棺師が死化粧をしました」と電話で法華講員に言った”とのことについて。
一般的に、人の死を扱う葬儀社の社員には厳格なる守秘義務が課せられており、どこの誰かもわからぬ第三者からの問い合わせに対し、遺族の許可もなく故人に関する情報を開示もしくは漏洩したり、ましてや虚偽を流布したりすることなどあるべきはずがない。
その法華講員と葬儀社のやりとりなるものの録音データが存在したとしても、それは死化粧等についての、ごく一般的な問い合わせをして得られた回答を切り貼りしたものと思われる。
実際、横田理事が葬儀社に問い合わせをして、先生の御葬儀に携わった責任者と担当者の二人に、これら宗門僧俗が吹聴しているデマを伝えてそれぞれ別々に確認したところ、いずれもたいへん驚愕しておりました。
まず担当者に「弊社の納棺師が死化粧をしました」とのデマが吹聴されていることを伝えると、その担当者は間髪入れずにこう回答しておりました。
「そんなことはあり得ないです」「(ご遺体の状態など)言わないです」
「私の記憶が確かであれば、御会の(浅井)会長のご納棺に関しましては、とくにそういった死化粧とかは行わずに、お近いご家族の方にお集まり頂いた中で、丁重に御棺にお納めを差し上げるという形で、会長のご自宅のほうでご納棺を差し上げたと記憶している」
と言い、宗門僧俗が垂れ流すデマの内容は
「あり得ない」「ウソっぱちですね」
と断言しておりました。
またもう一人の責任者はこう言っていた。
「『一般的にはどうなんですか?』という話になれば、『故人さまに死化粧等をさせて頂いて納棺します』とか、もしかしたらそういった会話はするかも知れませんけれども、たとえば『いついつ行われた誰々さまの御葬儀で納棺をした人にお話を伺いたいんですけれども』とか『ぜんぜん家族でもないんだけれども、どういったお化粧をしていますか?』ということには、さすがにお答えできないというか、お答えする筋合いもないですから、そういったことは間違いなくお話しはしない」と。
さらに
「ご納棺に立ち会いさせて頂いたのは(弊社の)三名のスタッフでお手伝いさせて頂いたんですけれども、三人で御棺を(会長のご自宅へ)お持ちして、家族の方にお手伝い頂いた中で、当社のほうは御棺にお納めするのを、その場でお手伝いしただけだったので。実際にお化粧をした事実というのは間違いなくない」と。
そして横田理事に、浅井先生の葬儀に関する記憶を尋ねられると
「憶えてます。(顕正会の)会長様の御葬儀ですから、なかなか当社としてお手伝いさせて頂くことは滅多にないことですから。その中でどういった葬儀をやったかというのは、やはり記憶としては鮮明に残っていまして」
「とくに顕正会様の御葬儀というのは他の御葬儀とお教えも違うところがいろいろとありますので、そういった中で、お化粧直しがどうこうとか、そういったことがもちろん必要ないことはわかっていますから」
と、鮮明な記憶に基づいてハッキリと述べておりました。
またこの葬儀社では、外部からの電話はすべて葬儀ごとに紐付けて記録されるシステムになっており、葬儀社のほうで、法華講員が葬儀社に電話をかけたという日時をはじめ、本年四月に至る一年半の間に、浅井先生の御葬儀に関する問い合わせの有無を調査した結果、顕正会関係者以外には一切記録がないことを教えてくれました。
何より、喪主として葬儀の打ち合わせを行なった私自身が、先生が御逝去された翌日、さきほどの葬儀社の二人と話をする中で、死化粧などは一切施さず、ただ納棺だけをしてくれればいいことを明確に伝えており、またこのようなときのために、動かぬ証拠もいくつか残しております。
以上が事の真相であります。
早瀬管長は、宗門僧俗に浅井先生の御臨終を貶める荒唐無稽な虚偽を流布させて、仏弟子という以前に、人として恥ずかしくないのか。
私が求めた二つの大事についての諫訴がいたたまれないからとはいえ、あろうことか大聖人様に忠誠を貫き通された先生の素晴らしい成仏の妙相を冒涜する所行は、断じて許さない。
大聖人様は御書のいたるところに
「提婆の虚誑罪・倶伽利の欺誑罪」
と仰せ給うておられる。
提婆達多とは釈尊に敵対した大悪人、倶伽利はその弟子であります。虚誑とは妄語(ウソ)を以て人をたぶらかすこと、欺誑とは欺き誑かすこと。
このように提婆と倶伽利はウソとデタラメばかりを吐いて釈尊を落とそうとした。
先生の臨終の相に対する妄言は、まさに提婆・倶伽利のそれを彷彿とさせる謀りであります。
どこまで卑怯で卑劣なのか。恥を知れと言いたい。
そもそも、このような宗門僧俗の異常きわまる体質は、国立戒壇を怨嫉し続け、卑怯千万のたばかりを重ねた天魔その身に入る阿部日顕にその源を発することは言うまでもありません。
阿部日顕は、池田大作にへつらって「国立戒壇は御書にない」とか「国立戒壇は田中智学の模倣」などと言っては御遺命の国立戒壇を否定し、正本堂を「御遺命の戒壇」と詐り、先生の諫暁によって偽戒壇・正本堂が音を立てて崩壊したあともなお「『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」などと無慚無愧・大謗法の言葉を吐いている。
御本仏の「眼をくじり、寿命を絶ち、喉をさく」にあたる御遺命破壊の大罪を犯しておきながら、いささかの懺悔もなく、ウソと詭弁とたばかりで、大勢の学会員と宗門僧俗を入阿鼻獄に導いた謗法闡提であります。
大聖人様は、真言密教の元祖である弘法の法華経誹謗の大罪を責め給うて、報恩抄に
「仏説まことならば、弘法は天魔にあらずや」
と一言のもとに破折しておられる。
この「仏説」とは
「魔が仏の形を現じて、民衆をたぶらかして仏法を破壊する」(取意)との涅槃経の経文です。
大聖人様は、弘法がこの仏説の通りであるゆえに、第六天の魔王その身に入った者であると断じ給うたのであります。
これを以て思うに、阿部日顕も
“「法主」は時の大聖人”などと述べて全僧俗を信伏随従させ、また
「御当代法主上人の御内証は、本門戒壇の大御本尊の御内証と而二不二」すなわち“阿部日顕は戒壇の大御本尊と不二の尊体”などとバカげたことを言わせている。
仏のごとく装った売僧が御遺命の国立戒壇を否定するは、まさに第六天の魔王その身に入るの所為であります。
先ほどの報恩抄の一節をお借りして言わせて頂けば
「仏説まことならば、阿部日顕は天魔にあらずや」
と断じて憚らない。
参考までに弘法のペテンを列挙すれば、このようなものであります。
たとえば疫病が流行ったときに、弘法は
「自分が祈祷したところ、たちまちに病人が多く蘇生して、しかも真夜中に太陽が赫々と輝いた」と言った。
このあり得ない謀りに対して、大聖人様は
「もし真夜中に太陽が出たというならば、それは何れの月、何れの日、何れの時にそれがでたのかを言ってみよ」
と破折しておられる。
またあるとき、弘法が朝廷において、諸宗の僧を集めて印(祈祷の際に両手の指を特定の形で組み合わせたりすること)を結んで南方に向いたら
「面門俄に開いて金色の毘盧遮那という仏に自分がなった」などと戯れ言を言っている。
あるいは、弘法が仏法を習いに中国に渡ったその帰りに、海上の船の上から日本に向かって三鈷という金属でできた仏具を空に向かって投げ、こう言った。
「自分がこれより弘める教えに感応する土地があれば、必ずそこに到達するであろう」と。
そして日本に帰ってから高野山の地面を掘ったら、その三鈷が出てきたという。
大聖人様は
「前以て人を遣わして埋めておいた誑惑である」
と喝破あそばされている。
このように第六天の魔王その身に入った者は、己れを仏のごとく見せかけて、デタラメな謀りで民衆をたぶらかして仏法を破壊せんとする。
天魔その身に入る阿部日顕の亡霊に支配された現在の宗門僧俗の悪質きわまる謀りは、まことに提婆の虚誑罪・倶伽利の欺誑罪、あるいは弘法のそれに勝るとも劣らぬペテンであります。
改めて申すまでもなく、浅井先生の御臨終の相は、御金言に寸分違わぬ素晴らしいものであり、千日尼御前御返事の
「善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」
との仰せの通りでありました。
先生のご表情は柔和そのもので、御葬儀までの数日間、折にふれて唱題回向を重ねるたびに、お肌の色はますます白さを増し、唇は深紅となり、私はその素晴らしい妙相を眼前にするたびに感嘆の溜息が漏れるのを抑えられませんでした。
そして納棺の際には、身体がしなやかに曲がるほど柔らかく、しかも軽く、そのお姿と私の手に残る感触は、今でも忘れるものではありません。
先生との今生のお別れは言葉にできぬほど悲しいものでしたが、先生の成仏の妙相を拝見した瞬間、底知れぬ哀惜の念は
「御本尊様は絶対」
「先生が指さされるまま前進すれば広宣流布は必ず成る」
との揺るぎない大確信に変わったことをハッキリと憶えております。
第六天の魔王にしてみれば、かかる先生の素晴らしき成仏の妙相が「特別追悼号」で広く日本の人々に伝わり、日蓮大聖人の仏法の有難さ、顕正会の正しさにめざめる人たちが跡を絶たないことが、憎くて仕方なく、妬ましくて仕方なく、悔しくて仕方ないに違いない。
そして先生の成仏の妙相は、六十六年に及ぶ先生の激闘の正しさを証明する何よりの現証であれば、ウソでも何でもでっち上げて、それを否定しなければならないのでしょう。
しかし、今般の悪辣な謀略によって、かえって先生の御臨終の素晴らしさが葬儀社という第三者の証言によっても証明され、いっそうの輝きを増したことは
「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」
の姿そのものであります。
私は早瀬管長に強く言いたい。
いつまでも顕正会の諫訴を無視し続けるばかりか、宗門僧俗にこのようなバカげたことをやらせていたら
「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」
とて、大聖人様の御罰を蒙り、かえって宗門が一国に赤っ恥を晒すことになることをよくよく弁えるべきであると。
そうしたところ、たちまち宗門に罰が現われてまいりました。
今月五日、青森県むつ市にある宗門末寺「法浄寺」の住職・水野良章という46歳の男が、青森県警本部の53歳の警部補と共謀して女性に性的暴行を働いたとして、不同意性交等の容疑で逮捕されたのです。
報道によれば、昨年十一月、住職がアプリで知り合った当時女子高校生だった女性をレンタルルームに誘い、あとから合流した警部補とともに、同意なく猥褻行為に及んだという。
その翌月、女子高校生の親族から警察に被害の相談があり、捜査が進められていた。
警察の調べに対し、住職は一部否認しているものの、その場にいた警部補は「間違いありません」と容疑を認めているという。
現職警察官の破廉恥な罪状での逮捕という異常事態を受け、青森県警のトップである本部長は
「法の執行者たる警察官としてあってはならない行為であり、警察本部長として非常に重く受け止めております。被害者及びご家族、そして県民のみなさまに深くお詫び申し上げます」と、沈痛な面持ちで陳謝した。
当初、この事件の住職は「日蓮正宗」の僧侶とは報道されていなかったところ、「週刊文春」の六月十九日号で
「《青森JK不同意性交》妻が嗚咽 日蓮正宗エロ坊主の評判」
というショッキングな見出しで報じられたので、全国の耳目に晒されることになってしまいました。
週刊文春の記事では
「不逞警官と破戒僧の道に外れた行い。マッポウの世とはこのことである」などと揶揄されていた。
また邪宗・日蓮宗の坊主からも
「『日蓮宗』と『日蓮正宗』は違います」「名前は似てるけど、間違えないで」
と迷惑がられる始末。
まことに、日蓮大聖人の正系門家の住職がこのような醜態を晒して、恥ずかしい限りであります。
御本仏の「御遺命」を論ずる以前に、このような輩は信心の欠片もなく、ただ職業として出家して信徒の供養を貪って世を渡る禿人に過ぎない。
大聖人様は松野抄において、腐敗堕落の僧侶をこのように厳しく誡め給うておられる。
「受けがたき人身を得て適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒に遊戯雑談のみして明かし暮さん者は、法師の皮を著たる畜生なり。
法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし」と。
この青森の破廉恥坊主をはじめ、大聖人様への忠誠心もなく、御遺命を破壊して恬として恥じず、広宣流布の道念もない僧侶は、もとより出家する理由などどこにもない。すべて還俗すべきであります。
また、こんな下らぬ禿人を養うために年中供養を強いられる法華講員は、いい加減、目を覚ませと言いたい。
かくして、今回の末寺住職の不祥事によって宗門の信用が地に堕ちたことこそ、まさしく、早瀬管長が顕正会の諫訴を無視して、いつまでも御本仏の御遺命に背き続けるのみならず、巨大地震が切迫しているにもかかわらず、戒壇の大御本尊の御安危を憂えることすらしない大罰。
また、この二つの大事から目を逸らすために、あろうことか浅井先生の臨終の相について許しがたい虚言を吹聴させたことに対する「還著於本人」の大罰でなくて何か。
大聖人様が宗門の腐りきった度しがたい実態を、誰にでもわかる現証を以て一国に知らしめ給うたものと、私は拝しております。
大聖人様は弘安二年の出世本懐成就御書に
「今は各々はげむらむ」
と仰せになっておられますが、広宣流布が近づき、いよいよ賞罰の出方が早くなっていることを確信いたします。
この罰を見て、宗門僧俗は大聖人様の御眼を恐れなければいけない。
何より早瀬管長は、急ぎ五体投地の懺悔をなし、速やかに御遺命たる国立戒壇の正義を宣示し、三次元免震システムの万全なる新御宝蔵を建設し、戒壇の大御本尊を秘蔵厳護しなければいけない。
なおも顕正会の衷心からの諫訴を嘲るならば
「今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし」(開目抄)
とて、宗門の衰退はますます加速し、後生の入阿鼻獄は必定であります。
それにつけても、止まるところを知らぬ宗門の腐敗堕落を見るほどに、「富士大石寺」を冠して立たれた先生の深きご見識とご英断に、ひれ伏す思いであります。
平成九年の第一回の一国諫暁に臨むに当り先生は、その前年の平成八年十二月度総幹部会において、それまでの「日蓮正宗顕正会」の名称を「冨士大石寺顕正会」に改め、仏法上の立場を明確にされました。
その際、先生はかく仰せられました。
「私は、今の宗門があまりに腐敗堕落しているので、『日蓮正宗』と名乗ることが恥ずかしい」
「日蓮正宗の名において、国立戒壇建立の御遺命を捨ててしまった。……このことを、私は何より恥ずかしく思う。まことに御本仏日蓮大聖人を蔑め奉ること、これに過ぐるものはない。この御遺命を捨てた恥しらずの宗門の名を、どうして一国諫暁に立つ顕正会が名乗れようか」と。
さらに
「御遺命を捨てた罰により学会と宗門はいま仲間割れをし、『修羅と悪竜の合戦』を繰り広げ、互いの醜い実態を日本国中、いや、全世界にさらし、嘲笑の的となっている。これまた日蓮大聖人の御徳を穢し、日興上人・日目上人の御精神を穢し奉るもの。何とも大聖人の弟子として、恥ずかしく思うものである」と。
現在の宗門の腐敗堕落は、それにも増して目にあまるものがある。
この「冨士大石寺顕正会」の名称こそ、日蓮大聖人の弟子、日興上人・日目上人の末流という仏法上の立場を顕わすものであります。
日興上人は
「富士の立義、聊も先師の御弘通に違せざる事」と。
また日興上人の日目上人への御付嘱状には
「大石寺は御堂と云い墓所と云い……」
と仰せられている。
ゆえに宗門上代の信徒が授与された御本尊の脇書には
「富士大石寺門徒」「富士大石寺信徒」などと、ことごとく「富士大石寺」と記されている。
また日寛上人の観心本尊抄文段の御署名には
「冨士山大石寺 廿六世 日寛」とある。顕正会本部正門の門柱に掲げられた標札は、その御文字を拝借したものであります。
さらに日霑上人は国諫状に「大石寺 日霑」と署名されている。
宗門が「日蓮正宗」と名乗る以前の六百二十余年の間は、すべて「富士大石寺」と名乗っていたのであります。
いま富士大石寺の源流に立ち還り、濁りきった宗門を眼下に見おろし、大聖人様の御心のまま
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の重大聖語を一国に叫ばせて頂けること、この上ない誇りであります。
そして日本一同の謗法に加えて、正系門家の違背により、20年代に入ってからの世界情勢は月々日々に緊迫の度を増し、「前代未聞の大闘諍」と日本への「他国侵逼」がいよいよ迫ってきております。
今月十三日に、イランの核開発能力の徹底排除とイスラム体制の転覆を目論むイスラエルがイランの核施設などへの先制攻撃を行い、即日イランも報復攻撃に踏みきり、互いの応酬がエスカレートしていたところ、イスラエルを支持するアメリカのトランプ大統領もイランに対し、さまざまな圧力をかけて「無条件降伏」を求めておりました。
そうした中、去る二十二日、アメリカは最新のバンカーバスター(地中貫通爆弾)でイランの三箇所の核施設を攻撃した。
アメリカによるイラン領内への攻撃は初めてであります。
中東諸国を巻き込んだ大規模な戦争への拡大や、原油輸送の要衝と言われるホルムズ海峡の封鎖なども現実味を帯びるほど緊迫した状況になる中、昨日、イスラエルとイランの停戦が合意されたようですが、当面は停戦が守られたとしても、これがいつまで維持されるかはわからない。
まして今後、イランの現体制が核開発を加速させれば、中東情勢はこれまでにも増して不安定化することは容易に想像できます。
今回のトランプ政権によるイラン攻撃で危惧されるべきことは、トランプ大統領の行動が戦後の国際秩序を崩壊させ、世界を「弱肉強食の時代」に導いたことであります。
トランプ大統領が行なったイラン攻撃は、武力行使を制限する国際法や国連憲章に違反するものであります。
これまでアメリカはロシアのウクライナ侵攻を「国連憲章違反」などとして強く非難して経済制裁等を加えてきたので、今回のイラン攻撃は「ダブルスタンダード」と言われても仕方ない。
また核拡散防止条約(NPT)に未加盟のまま核兵器を保有しているイスラエルに歩調を合わせて、NPTに批准しているイランの核保有を許さずに、国際法を無視して一方的にイランの核施設を攻撃したことも「ダブルスタンダード」の謗りを免れない。
今回、力の論理を優先したアメリカによる恣意的な攻撃が許される前例が作られたことで、今後、中国・ロシア・北朝鮮などもそれに倣い、世界は混沌と激動の様相を呈することは疑いない。
ロシアはウクライナ侵攻を正当化し、さらに他の国にも触手を伸ばし、ことに中国は台湾を武力統一する際の口実にするに違いない。
近年、中国は台湾侵攻の準備を着々と加速させ、その好機を窺っております。
台湾周辺での軍事演習は頻度を増し、ことに昨年十月と本年四月には、台湾を取り囲むように大規模な演習を実施しております。
これらの演習では台湾海峡の封鎖を想定して、空母を含む艦隊、陸・海・空軍、ロケット軍が参加している。
また今月中旬には、中国海軍の空母「遼寧」と「山東」が西太平洋で初の同時訓練を行い、二隻が搭載する戦闘機などの発着艦の回数は一千回以上も確認されている。
ことに遼寧が初めて小笠原諸島とグアムを結ぶ第二列島線を越え、山東も同列島線周辺まで進出している。
これは台湾侵攻の際、米軍や自衛隊の介入を阻止する狙いと言われている。
そして近く就役する三隻目の空母「福建」は、米国を除けば世界最大級で、「遼寧」と「山東」を上回わる性能を有しており、中国の台湾侵攻能力が質的・量的に向上すると見られている。
米軍のサミュエル・パパロ・インド太平洋軍司令官は本年二月
「台湾周辺で行われている中国の攻撃的な行動は、彼らが言うところの演習ではなく、台湾を中国本土に強制的に統一するためのリハーサルだ」
と、中国による台湾周辺の軍事活動のエスカレートに強い懸念を表明しております。
いよいよ中国による台湾侵攻が事実になれば、トランプ大統領は日本に対して「自衛隊が最前線で戦え」と言うに違いない。
そのとき日本は戦争の当事国となり、ここに中国の侵略が事実となるのです。
大聖人様が御予言下された広布前夜の「前代未聞の大闘諍」と日本への「他国来難」という恐るべき大難がいま刻々と迫りつつあるのであります。
この大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申し付ける絶大威徳・大慈大悲まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに大聖人様は
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せ給う。
また四十九院申状には
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
「第三の秘法」とは文底深秘の大法のこと、すなわち本門戒壇の大御本尊の御事です。
さらに新尼抄には
「一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
今、大聖人様の重き重き御存在を、全日本人に教え知らせるのは、解散処分を受けるとも御遺命を命かけて守り奉られた浅井先生が築かれた顕正会以外にはあるべくもない。
御遺命に背いて師敵対に陥った学会・宗門には、すでにその資格も力もない。
浅井先生が昭和三十二年の発足から一昨年に御逝去されるまでの六十六年もの長きにわたり、見つめ続けてこられた戦いこそ、この「前代未聞の大闘諍」「他国侵逼」の大難の中、日本国一同に日蓮大聖人への絶対帰依を迫る御奉公であります。
ゆえに三百万への前進が遅れては断じてならないのであります。
しかし大罰のテンポが早まるにつれて、みな人生の杖・柱を求め、命かけて信じ切れる「唯我一人能為救護」の仏様を必ず求めるようになる。
これが
「衆生に此の機有って仏を感ず」ということ。
大聖人様があそばす広宣流布であれば、必ず成るのであります。
さあ、迎える立正安国論の月・七月、先生の三回忌を見つめた怒濤の大前進をなし、以て霊山にまします浅井先生にお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)