本日の総幹部会の真剣・熱烈な空気を全身に感じては、顕正会こそが地涌の菩薩の大集団であることを強く確信し、胸の高鳴りを禁じ得ぬものであります。
この六・七月法戦は先ほど発表のとおり、所期の誓願二万五千名を大きく突破する、同法戦としては過去最高の三万二千四一二名の大折伏が敢行されました。
まことにご苦労さまでした。
けさ私は、直ちに先生の御霊前で、全顕正会員の涙の出るような赤誠をご報告申し上げました。
この一名一名の成果の背景には、数え切れないほど多くの逆縁があったでしょうし、さまざまな魔障も競い起きたに違いありません。
あらゆる困難を乗り越え、国立戒壇建立を見つめてけなげに戦う全顕正会員の御奉公を、先生は霊山からごらんになり
「みなさん、よくがんばってくれました」と笑みを湛え、おうなずき下さっておられるに違いありません。
そして今法戦の大折伏によって、本年の目標である二七〇万までの残りは三万八千余名となりました。
ちょうど一年前の七月度総幹部会で、先生が密かに書き留められた三百万へのご決意、すなわち
「あと5年以内に成すべし」
とのご筆記の存在を明かしました。
それより早一年が経ち、瞬く間に過ぎゆく時の早さに驚くばかりでありますが、三百万の弘通を成す2028年、令和10年までの3年で、急ぎ日本のあらゆる地域に、社会のあらゆる階層に力ある広布の人材を糾合し、日本を揺り動かす盤石なる体制を整えていかねばなりません。
ここに迎える「原点の月」八月は、これまでに入信した大勢の人たちを力ある広布の人材に育てるとともに、先生の三回忌を迎える本年の最終法戦をにらみ、油断なく戦いを進めていきたい。
そして先生の三回忌には、一昨年の御逝去からの二年間、そのご遺志を継ぎ脇目も振らずに戦い抜いてきた班長以上の幹部各位とともに、霊山にまします先生にいちだんと成長を刻んだ顕正会の姿を晴れてごらん頂き、御遺命成就への誓いを全員で新たにしてまいらんと心しております。
さて、今月は「上野殿御返事」の講義を拝聴いたしました。
御遺命成就の重大御奉公に立たせて頂く私たちにとって
「魔のたばかりを見抜き捨身の決意に立て」
との、懇切にして大慈悲こもる大聖人様の御指南を先生よりご教示頂けたことは有難さの極みでありました。
富士一帯の人々のリーダーとして、みなの信心を支えていた上野殿に対する大聖人様の格別の御慈愛と、出世の本懐成就という重大事に臨み、弟子一同を「唯願説之」の捨身の信心に立たしめ給う御本仏の御心の一分をも謹んで拝しては、言葉にならぬ感動に全身が包まれました。
同時に胸に迫るは、御遺命破壊という広布前夜の未曽有の魔障が出来したとき、常に下種仏法の清き源流、すなわち御本仏日蓮大聖人と日興上人・日目上人・上野殿の一体不二の御姿を仰がれる先生は、いかばかりのお心で第六天の魔王の大誑惑を劈かれ、身を捨てて戦ってこられたのかということでありました。
御在世の弟子がいかなる天魔の威しにも屈せず、命かけて大聖人様を信じまいらせる「唯願説之・我等当信受仏語」の信心で仏様と一体になった姿と、死罪に等しい解散処分を受けるとも、身命を賭して御遺命を守り奉られた先生のお姿が重なり、これこそが国立戒壇建立への「唯願説之・我等当信受仏語」と命に刻みました。
当時、学会が政府に対し、国家と無関係に建てる正本堂を以て「御遺命の戒壇」と偽り「国立戒壇」を否定する欺瞞回答をしたことについて先生は、鳥取会館御入仏式において
「仏弟子ならば、何よりも仏様の御金言を本としなければいけない。……仏弟子として国立戒壇の本義を述べて、もし政府が増上慢になって『そんなこと認められない』と言って来たら、言い募らなければいけない。そのため『命を取る』と言われたら、取られたらいい。これが大聖人様の弟子の決意ではないか」
と裂帛のご気魄で叫ばれました。
この先生のご精神こそ、上野抄における
「我が命は、事出できたらば上にまいらせ候べしとひとへにおもひきりて、乃至、今度法華経のために命をすつる事ならば、なにかはをしかるべき」
我が命は、もし幕府からの咎めがあったならば、いさぎよく上に差し出すという肚を決め切りなさい。……こんど法華経のために命をすつるのであれば、どうして惜しいことがあろうか――との仰せのままであります。
この御金言について先生は
「なんと重い仰せであろうか。この肚を決め切らなければ、重大な御奉公はできない。仏に成ることもできない」
と仰せられました。
先生におかれては、死罪に等しい解散処分すら「風の前の塵」に等しく、先生の連々たる捨身の諫暁が強烈なる楔となって、それまで一枚岩であった池田大作と阿部日顕に深刻なる仲間割れが起き、ついに偽戒壇・正本堂は音を立てて崩壊したのであります。
さらに先生は、日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に告げ知らしめる一国諫暁を二度にわたって行われました。
かくして、20年代の広布の決戦場に突入し、先生が予てより叫んでこられた「総罰」が一国に現われてきたのであります。
まさに
「虎うそぶけば大風ふく、竜ぎんずれば雲をこる」
との御金言のごとく、先生の「諫臣・争子」としての諫暁は、大聖人の御心に寸分も違わぬゆえに数々の不思議をもたらしたのであります。
これ先生こそ、大聖人様が広布前夜に召し出された「遣使還告」のお方ゆえと拝します。
そして
「殿もせめをとされさせ給うならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし」
との御金言は、組織をお預かりする者として、深く心腑に染めたものであります。
先生は
「これを組織の上に当てはめれば、長の信心が全体に影響を与えるということである。ゆえに長一人が毅然として立つとき、その信心の波動は組織全体に伝わり、広宣流布が進む。
しかし長がもし弱い心を起こしたら、すべてがおかしくなってくる。長が歓喜と確信に立ってこそ、みんなが勇気づけられ、広宣流布は進むのである」
と指導下さいました。
御遺命守護の激烈なる戦いを展開される一方で、弟子の信心を常に温かく励まし、天魔も砕けぬ顕正会を築かれた先生ご自身が身にあてて拝された仰せと拝察しては、泣けてまいりました。
最後に先生は叫ばれました。
「国立戒壇が建立されるとき、再び『唯願説之』たる、日蓮大聖人に南無し奉る切なる大信心が国中にみなぎらずして、どうして戒壇建立があろうか。日本国中に『南無日蓮大聖人』との切なる信心がみなぎったとき、始めて戒壇の大御本尊は国立戒壇にお出ましあそばすのである。
顕正会こそ、この『唯願説之』の大気運のさきがけとならなければならない」と。
先生のご遺志を継ぐ我ら顕正会員こそ、先生の「唯願説之」の大信心を我が命に宿し、いよいよ一国に日蓮大聖人に南無し奉る信心をみなぎらせてまいらねばなりません。
また先般の総幹部会で触れましたが、先生のお徳を傷つけようと、早瀬管長が宗門僧俗に吹聴させた、浅井先生の臨終の相に関する、あり得べからざる悪質なたばかりは、本講義で頂いた魔のたばかりそのものであります。
「大聖人様ほどの徳の高い御方を陥れるには、このような根も葉もないデタラメを言う以外にはない」
との仰せのごとく、先生のお徳を穢すには、もはやウソとデタラメで塗り固めたたばかりを用いる以外になく、今も昔も変わらぬ天魔の手口を眼前にする思いであります。
しかし顕正会は、いかなるたばかりも見抜き、それを断固粉砕する。
同時に、このような卑劣きわまる天魔のたばかりが出来したことこそ、六十六年に及ぶ先生の激闘が大聖人様の御心に適い奉るの証左であり、このたばかりを打ち破って大前進していくところに、広宣流布のさらなる大道が豁然と開けていくものと確信いたします。
されば今般の上野抄講義を通して、一人ひとりが魔のたばかりを見抜いて捨身の信心に立ち、広布最終段階の大事な御奉公を貫いてまいろうではありませんか。
さて、話は変わります。
6月22日には東京都議会選挙が、そして今月20日には参議院選挙が行われ、そのいずれにおいても学会の政治部たる公明党は歴史的大敗を喫しました。
いよいよ学会崩壊の時が到来したごとくであります。
学会・公明党は、昨年の衆院選と、先月の都議選と、今月の参院選を「三大政治決戦」と位置づけ、会長の原田稔が陣頭指揮を執り、連日学会員に檄を飛ばしていましたが、果してどのような結果になったのかを見ていきたい。
すでに周知のとおり、昨年10月の衆院選では、公明党の代表に就任したばかりの石井啓一をはじめ副代表などの党幹部らが落選。
また「常勝関西」と言われる大阪の4選挙区も全敗。
さらに学会の勢力を表わす比例得票数は1996年以降の現行制度で過去最低の596万票でありました。
そしてこの衆院選の直後に、学会創立百周年を記念して建設される「関西池田記念大講堂」の工事現場で起きた、大型の杭打ち機が横転するというあり得ない事故も併せ、これら次々と起こる「まさか」の展開は、学会の崩壊を暗示するものでした。
ついで、先月の都議選はどうだったか。
これまで公明党においては、都議選に臨んだ候補者は「全員当選」していましたが、今回の都議選では36年ぶりに「全員当選」をのがし、その神話が崩れたのでした。
「全員当選」にこだわった公明党は、予め戦況が厳しい選挙区の立候補をやめて、選挙前の23議席から1議席を減らした22人を擁立するという「異例の判断」で臨んだにもかかわらず、それでも3人の落選者を出すにいたりました。
しかも議席を失ったのは、「新宿区」と「大田区」という特別な選挙区でありました。
学会総本部がある新宿区は「本陣中の本陣」と言われ、また大田区は池田大作が生まれた地であります。この大田区では2名が落選しております。
これら学会にとって「聖地」と言われる選挙区で議席を失ったことは、やはり学会崩壊を象徴するものといえます。
過去の都議選の得票数と比べても、それは顕著であります。
これまでで最も得票数が多かったのは、1985年(昭和60年)の95万票、前回の2021年(令和3年)は63万票。
そして今回は53万票でした。
前回と比べて10万票減、ピークだった95万票からは42万票、44%も減らしています。
また今月の参院選でも学会の衰退ぶりがいちだんと鮮明になりました。
公明党は改選数と同じ14議席の確保をめざしたものの6議席も減らし、結党以来最低の8議席しか取れませんでした。
何より比例得票数は700万票を目標に掲げていたものの、1983年の参院比例代表制導入以来、過去最低の521万票でした。
公明党の比例得票数は2005年(平成17年)の衆院選で獲得した898万票がピークで、今回はそれから比べると377万票、42%減、3年前に行われた前回の参院選の618万票からは約100万票も減らしております。
折れ線グラフにするとよく分かりますが、「つるべ落とし」の様相を呈しております。
かくして学会・公明党にとっての「三大政治決戦」は惨敗につぐ大惨敗で、かえって崩壊する学会の実態を浮き彫りにする結果となりました。
ここに、昨年の衆院選と今月の参院選で、いずれも五百万票台になったことで、本日より「六百万学会」を改め、「五百万学会」と呼称することにいたします。
これが四百万になり、三百万になり、二百万になる日もそう遠くはないと確信いたします。
では、なぜ学会がここまで凋落してきたのか――
世間では学会組織の高齢化などをその理由に挙げていますが、それはあくまで表面的な原因でしかない。
その根本原因は、学会の仏法違背による。
具体的には
一つに、日蓮大聖人の御遺命に背いていること。
二つに、日蓮大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨てたこと。
三つに、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定したことであります。
先生はつねづね四条抄における
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」
との仰せを引かれ、池田大作と学会は必ず亡ぶことを断じておられましたが
池田大作はすでに入阿鼻獄となり、次はいよいよ学会が崩壊するのであります。
「日蓮が申す事」の中で、大聖人一代三十年の御化導を要言あそばされた「一期弘法付嘱書」ほど大事なものはない。
御付嘱状を拝し奉れば――
「日蓮一期の弘法 白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中、我が門弟等此の状を守るべきなり」と。
「日蓮一期の弘法」とは、大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」の御事であります。これを日興上人に付嘱し給い、本門弘通の大導師に任じ給うた。
そして
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とて、国立戒壇建立を御遺命あそばされたのであります。
しかるに池田大作は、「選挙に不利になる」との理由で、この御遺命の国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂の大誑惑をなしたうえに、国立戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉った。これこそ御付嘱状に背く大謗法であります。
まして、今や池田大作一党は、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・下種の御本仏にてましますことをも否定し、凡夫視するという邪教化の様相を呈している。
かかる学会がいつまでも栄え続けたら仏法はウソになる。そのような道理は断じてない。
いま学会員は、知らずとはいえ悪師に付くゆえに、今生に功徳を失い、臨終には悪相を現じて阿鼻獄に堕している。
このような罰に苦しむ学会員に、信心の確信や情熱を持てるはずがない。
またこれまで熱心にやってきた選挙活動も、池田大作が死亡した今となっては、何のためにやっているのかすら、わからなくなってしまった。
そこに、顕正会員から折伏を受けた多くの学会員が動執生疑を起こし、学会内部はガタガタになってきているのです。
今こそ五百万学会員を正義にめざめさせ救わねばならない。それは同時に御遺命成就への戦いを加速させることに直結するのであります。
そこで本日は、五百万学会員を救うべく、改めて池田大作一党の「極限の大謗法」と「未曽有の邪教化」の実態と、その恐るべき大罪を詳らかにしていきたい。
先生の諫暁により、学会と宗門が「修羅と悪竜の合戦」を演じて、平成三年に学会が破門となるや、池田大作は戒壇の大御本尊を全学会員に忘れさせるために、翌平成四年には学会版の経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を削除しました。
翌平成五年には、正本堂落成式の数年前に池田がバチカン信徒評議会・評議委員の安斉伸に
「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」
と述べた対談内容を初めて聖教新聞紙上で公表した。
ついで平成十四年には会則を変更し、それまで謳っていた
「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」との文言を
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」と曖昧な言葉に置き換えた。
そして平成二十六年十一月七日、再び会則を変更して「本門戒壇の大御本尊」の意味合いを持つ言葉を完全に消し去り
「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」とした。
この新しい会則の教義条項について会長の原田稔は、全国総県長会議においてこのように述べました。
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と。
これ池田大作が言わせたものであります。
ここに、ついに学会は、日蓮大聖人の出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を捨て奉ったのであります。
しかし池田大作一党がこのような大それた「極限の大謗法」を犯しても、学会員の反応は薄かった。これ俗に言う「ゆでガエル現象」というものです。
カエルはいきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すところ、常温の水に入れて徐々に熱していくと逃げ出すタイミングを失い、そのまま死んでしまうという。
これと同じように、人はゆっくりとした変化には気づきにくく、最終的に致命的な状況にいたっても気づかないという。
池田大作一党は、永らく全学会員が信仰の根本にしてきた本門戒壇の大御本尊を20年以上の歳月をかけて徐々に忘れさせ、ついには何の痛痒も感じさせずに、音もなく捨てさせたのであります。まことに恐るべきことであります。
申すまでもなく、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊こそ、日蓮大聖人の出世の御本懐であられる。
出世本懐成就御書には、こう仰せ給う。
「去ぬる建長五年四月二十八日に、乃至、此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其の中の大難申す計りなし、先々に申すがごとし。
余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」と。
まず御文の冒頭に建長五年の立宗より「今に二十七年、弘安二年なり」と、この年の重大さを標示しておられる。
次に、釈尊は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、それぞれ出世の本懐を遂げたことと対比して
日蓮大聖人は末法の御本仏として、立宗より数えて二十七年目に出世の本懐を遂げたと重大なる御宣言をあそばしておられる。
日寛上人はこの戒壇の大御本尊の重大さについてこう御指南下されている。
「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」と。
弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐である。すでに三大秘法の随一である。いわんや一閻浮提総与、すなわち末法の全人類に総じて授与して下さった大御本尊であられるゆえ――と仰せられる。
だからこそ、本門戒壇の大御本尊の大いなる御判形の真下に「本門戒壇也」の重大なる金文がまします。
出世本懐成就御書の「余は二十七年なり」の聖文と、弘安二年の大御本尊の「本門戒壇也」の金文こそ、紛うかたなき「出世の本懐成就」の重大なる文証であります。
かかる戒壇の大御本尊を捨てさせる所為こそ、第六天の魔王のたばかりなのであります。
ついで池田大作一党は、一昨年の11月18日の池田の死亡公表と同時に「創価学会教学要綱」を発刊しましたが、それより学会は「未曽有の邪教化」の一途をたどっております。
この「教学要綱」では、世間に阿って、信心のない者に受け容れやすい「釈尊」や「法華経」を中心に据え、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の本地・根源の御本仏、「久遠元初の自受用身」にてましますことを完全否定するに至りました。
教学要綱の巻末の注釈に
「日蓮正宗の教学では、『御本仏』という表現には、日蓮大聖人が根本の仏であり、久遠実成の釈尊も、その仮現(垂迹)であるという含意があるが、創価学会では、『末法という現在において現実に人々を救う教えを説いた仏』という意味で、大聖人を『末法の御本仏』と尊称する」
などと臆面もなく記している。
ちなみに、現在学会の教学部長は、会長の原田稔の息子・星一郎なる者が務めておりますが、彼は本年二月に開催した教学部の教授講座で
“大聖人お一人だけが特別な存在ではない”という主旨を述べたり
“釈尊も大聖人も、どちらが本仏か迹仏かといった上下関係や勝劣関係はない。人間に優劣をつけないことと同じ”などと、耳を疑うような大謗法の発言をしたという。
これを「未曽有の邪教化」と言わずして何というのか。
申すまでもなく、日蓮大聖人を外用浅近の辺より拝すれば、釈尊より三大秘法の付嘱を受けた上行菩薩であられる。
さらに内証深秘の辺より拝すれば、大聖人即久遠元初の自受用身であらせられる。
諸抄を拝すれば、上行菩薩の御立場すら重大事なるがゆえに容易く明言し給わず。いわんや内証深秘の御境界においてをやであります。
しかし、大聖人御自ら諸抄に内証深秘の辺を示し給うておられる。
ここにその御文をいくつか謹んで拝し奉ります。
まず諸法実相抄には
「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ。乃至、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」
と、たいへん重大なことをお説きになっておられる。
「釈迦・多宝」の二仏というのも久遠元初の御本仏より垂迹した用の仏。妙法蓮華経こそ本仏である――と。
これ人法体一の上から、南無妙法蓮華経という仏様こそ本仏であると仰せ給う。
「凡夫は体の三身にして本仏、仏は用の三身にして迹仏」
すなわち三十二相をつけた釈尊は熟脱の化仏。
いま名字凡身の日蓮大聖人こそ実に無作の三身、久遠元初の御本仏であるという重大な御文であります。
これ、釈迦を本仏とする身延派などでは意味すらわからない、驚天動地の御指南であります。
次に下山抄には、こう仰せになっておられる。
「教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候わんずらめ」と。
「教主釈尊より大事なる行者」とは
日蓮大聖人こそ釈迦仏が末法御出現を予言した、実に久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられるということ。
この御本仏に対し、当時の日本国は法華経第五の巻で頭を打つ等の狼藉を働き、恐れ多くも竜の口で御頸を刎ね奉った。この大禍は、現当二世にのがれがたし――と仰せ下されている。
この「現当二世」とは、個人に約した現世と当来世のことではなく、大聖人御在世にその大罰が現われるだけではなく、未来の日本もこの大罰まぬがれがたしと国に約しての仰せであります。
大聖人様が久遠元初の自受用身にてましますゆえに、怨をなせばかかる大罰があるのです。
また本因妙抄には
「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」と。
観心本尊抄には
「彼は脱、此れは種なり」と。
さらに諫暁八幡抄には
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらむ云々」と。
いずれも、下種の御本仏・日蓮大聖人と脱益の釈尊との種脱の勝劣を明示し給うておられる。
さらに日寛上人は、日蓮大聖人即久遠元初の自受用身にてまします道理を
「行位全同の故に」
とされ、その御修行も、また名字即という仏法上の位も、久遠元初の自受用身と大聖人様は全く同じであるとして
「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」(本因妙抄)と。
そして
「今日蓮が修行は、久遠名字の振舞に芥爾計りも違わざるなり」(百六箇抄)
との御金言を示しておられる。
まさしく大聖人様の御振舞いは、久遠元初の自受用身の御振舞いを、そのまま末法に再現されたものであります。
このように、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身にてましますことは、これらの御金言に顕然であります。
何より、先生が広告文に記された三つの現証のうち、ことに「立正安国論の御予言的中」と「国家権力も御頸切れず」の現証を拝見すれば、難しい理屈はわからずとも、誰がその絶大威徳と大慈大悲に低頭せぬものなどありましょうか。
すなわち
立正安国論の御予言的中こそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身であられることの証明であるとともに、一切衆生の後生の大苦をお救い下さる大慈大悲であられる。
また、国家権力がただ一人の大聖人の御頸を刎ねることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまった、思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた竜の口の大現証こそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身の成道を遂げ給うた御尊容であられる。
大聖人様は義浄房御書に
「無作の三身の仏果を成就せり」
と明言あそばされている。
そして流罪の地・佐渡において著わされた開目抄の深意を下種本仏成道御書に
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せ給う。
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということ。
これ、大聖人様が宇宙的スケールの力用を持つ梵釈・日月・四天等の諸天に申しつけ給う大境界であられるゆえであります。
かかる大聖人様の重かつ大なる御存在を拝すれば、大聖人様こそが三世十方の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身にてましますこと瞭然であります。
全学会員、いや全日本人は、この絶大威徳・大慈大悲まします久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人を尊崇し奉らなければいけない。
ここに改めて学会の変遷をまとめれば、こういうことです。
まず戒壇の大御本尊の御事について。
学会の第二代会長・戸田城聖はこう述べている。
「日蓮大聖人は……弘安二年十月十二日に至って本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされた。これによって終窮究竟の出世の御本懐を達成せられるとともに、……一切衆生即身成仏の大直道がここに瞭然と開かれたのである」(本尊抄講義録序文)と。
また池田大作監修の仏教哲学大辞典にはこう記されている。
「日蓮大聖人の出世の本懐は、本門戒壇の大御本尊の建立であり、弘安二年十月十二日に成就された」と。
しかるに池田大作一党は
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と、全学会員に捨てさせてしまったのであります。
次に、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身にてましますことについて。
仏教哲学大辞典にはこうある。
「日蓮大聖人は末法において久遠元初の自受用身の再誕として出現された」
「日蓮大聖人を末法の御本仏として信心に励むことが成仏の直道である。もし、これに迷えば無間地獄に堕することになる」と。
しかし池田大作一党は、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の根源の御本仏、久遠元初の自受用身にてましますことを完全に否定した。
これら池田大作一党の所行こそ、「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」であり、すべては第六天の魔王の所為であります。
これでもわからない学会員がいたら、学会の「永遠の師匠」である池田大作の言葉を見よと言いたい。
池田大作が書いたとされ、学会内部では「現代の御書」などと呼ばれている「人間革命」という書籍があります。
その中で池田大作は、学会の第二代会長・戸田城聖の考えとして、間違った宗教の定義を端的に次のごとく記している。
「時代の進展によって変更しなければならない教義や、矛盾に満ちた宗教は、誤れる宗教と断定すべきである」(「人間革命」第二巻・聖教文庫24)と。
これを以てすれば、学会の誤りは明らかであります。
ちなみに「人間革命」のこのくだりは、池田大作一党が「極限の大謗法」を犯した平成26年の前年に改定された「聖教ワイド文庫」の版からコッソリ削除されております。池田大作一党にとって極めて不都合だからでしょう。
五百万学会員は、大聖人出世の御本懐たる戒壇の大御本尊を捨て奉り、大聖人様が久遠元初の自受用身にてましますことを否定し、軽侮する罪がいかに重いものかを、よくよく知るべきであります。
大聖人様は顕立正意抄に
「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」
と厳しく誡め給うておられる。
「阿鼻獄」とは無間地獄のこと。耐えがたい苦痛が間断なく襲うから「無間」という。
法蓮抄にはその大苦を譬えていわく
「人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて頸をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとへば数ならず」と。
人間として、切れ味の悪い刀を使って生爪を引き剥がされ、あるいは鋸を以て頸を切られ、あるいは赫々たる炭火の上を歩かされ、あるいは棘の中に閉じ込められる、なんどする人間の苦は、阿鼻地獄の大苦に比べれば取るに足らないものである――と。
この世の中のいかなる拷問による耐え難い苦痛も、無間地獄の大苦に比べればまるで遊んでいるようなもの。
しかも死後の生命は受け身であるから、生きている時の百千万億倍も過敏に感ずるのです。
そのような状態で耐え難い大苦が間断なく続き、展転無数劫に至るという。心を沈めて考えるだけで、気がふれるほどの大苦であります。
ところが凡夫は“死後のことなどはわからない”というかも知れない。
しかし仏法はすべて証拠を以て論ずる。
その証拠こそ臨終の相であります。
大聖人様は
「人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」(神国王御書)と。
また
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」(千日尼御前御返事)と。
このように、地獄に堕ちる者は死してのち遺体が黒くなるうえ、重くなり、恐ろしい形相となる。
一方、成仏する人は、臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、柔和な相となる。
およそ臨終だけは人の意志の及ぶところではない。この法則性を説ききるのは、日蓮大聖人の仏法以外にはない。
一昨年11月18日に学会執行部により池田大作の死亡が公表されましたが、それはすでに家族葬を行い、荼毘に付したのちに公表するという不自然きわまりないものでありました。
家族葬に参列したという会長の原田稔も、副会長で池田大作の長男の博正も、池田大作の臨終の相については一言たりとも言及しませんでした。正確に言えば、ふれられなかったのでしょう。
このことが何を意味するのかといえば、池田のそれは誰にも見せられないほどの悪臨終だったということです。
そして
「師は針のごとく、弟子は糸のごとし」
であれば、池田大作の悪臨終は池田一人が無間地獄に堕ちて済む問題ではない。とりもなおさず全学会員の堕獄を意味するから、重大なのであります。
ゆえに大聖人様は曽谷抄に
「師なりとも誤りある者をば捨つべし」と。
師匠であっても、間違っていたら捨てよ――と仰せになっておられる。
また最蓮房御返事には
「師に於て、正師・邪師、善師・悪師の不同ある事を知って、邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり」と。
師匠といっても、正しい師匠・邪なる師匠、あるいは善師・悪師もある。その違いのあることを知って、邪で悪い師匠から離れて、正しく善い師匠に近づかなければいけない――と御誡め下さっておられる。
翻って、御本仏の御遺命を守護するために解散処分を蒙るとも、連々たる諫暁を重ねられ、ついに偽戒壇・正本堂を崩壊に至らしめ、御遺命実現に命尽くまで戦い、大聖人様に忠誠を貫き通された浅井先生の臨終の相は、まさに御金言どおりの素晴らしいものでした。
特別追悼号に記されている通りであります。
ここに五百万学会員は第六天の魔王のたばかりを見抜き、速やかに悪師を捨てて、正しき師匠・浅井先生に師事すべきであります。それが入阿鼻獄を遁れる唯一の道であります。
なにも顕正会は、私利私欲や顕正会のために学会員を折伏しているのではない。
猟師が獲物を狙うように学会員の懐を狙う宗門の禿人らの下卑た精神とは違う。
すべては、全学会員を救わんとされた浅井先生のお心を体してのものであります。
先生はかく叫ばれました。
「私は学会員を憎いと思ったことは一度もない。同じく信心をしながら、悪師に付いて功徳を失って、不憫だと思っている。
早く八百万学会員を救いたい。
大聖人様に通ずる恋慕渇仰の信心を教え、成仏の叶う信心を教えて、学会員を救いたい。そして、共に国立戒壇の御遺命成就をめざして戦いたい」と。
また
「『学会』だ『顕正会』だというのではない、『日蓮大聖人の弟子』として、一体になって広宣流布の御奉公をするのは当然ではないか」と。
かかる先生のご一念により、いま心ある学会員が続々と顕正会に入会して、みな「浅井先生に一度でいいからお会いしたかった」と熱涙を滴らせて入阿鼻獄から救って頂いたご報恩の思いで敢然と立ち上がっております。
いま日本一同の仏法違背と正系門家の師敵対によって、核兵器を用いた第三次世界大戦と日本への他国侵逼が刻々と迫っております。これ「仏法より事起こる」の大罰であります。
そして日本の政治も、今後、多極化が進み、政局が不安定になると思われます。
20年代の後半に至り、亡国の様相は月々日々に色濃くなっている。
ゆえに顕正会の三百万が遅れては断じてならないのであります。
さあ、迎える原点の月・八月、先生の三回忌を見つめ、油断なき大前進を展開してまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)