本日の総幹部会も大熱気がみなぎり、大感動が込み上げました。
さて、いよいよ本年の最終法戦の戦闘開始であります。
この法戦の最中に迎える先生の三回忌には、全顕正会の見違える成長を以て、先生へのご報恩に擬してまいらんと心しております。
この八月は記録的な猛暑が続く中、ことに九州や北陸などでは観測史上最大級の豪雨で河川の氾濫や土砂災害などが発生しました。
まさに立正安国論に仰せのままの「天地国土亢陽し、炎火洞燃」の殺人的猛暑、そして「江河逆に流れ、山を浮べ石を流す」の大水難であります。
これらの異常気象こそ、日蓮大聖人に背き続ける日本国に対する諸天の警告であれば、ついには国を亡ぼす他国侵逼が起こるのであります。
そこに、先生から最後に頂いた令和五年九月度総幹部会のご講演が耳朶を打つものであります。
「この人類絶滅の大戦乱から、日本を、世界を、お救い下さるのは、大慈大悲と絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
これを知る我ら門下の弟子一同は、ただ随力弘通に徹して、日蓮大聖人の大恩徳を早く全日本人に教えなければいけない。
早く、大聖人様の唯一の御遺命たる国立戒壇建立を実現しなければいけない」
「早く三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参じたい」と。
重ねて「早く」と仰せられた先生のお心こそ、「広宣流布朝夕近し」の大情熱で戦われた日興上人・日目上人の富士大石寺の源流の大精神そのものであります。
されば急ぎ三百万をなし、第三度の一国諫暁に立たせて頂かんと決意するばかりであります。
今月は、かつて先生が下さった「広宣流布を推進するリーダーの心得」についての本部会議のご指導を拝しました。詳細は顕正新聞八月二十五日号に掲載されております。
いよいよ大事の三百万を眼前にした今、一人ひとりの成長こそ急務と心して、よくよく心腑に染めてほしいと思っております。
同時に、昨日の日曜勤行における「生死一大事血脈抄」のご指導を併せ拝しては、異体同心の鉄壁なる組織を構築された先生の深きお心が胸に迫り、身震いする大感動に包まれたものであります。
先生は、大聖人様が熱原の方々を戒壇の大御本尊の「願主」とされた理由、その御心について、かく仰せられました。
「大聖人御門下においては、地頭とか、領主とか、いわゆる地位の勝れた方々も大勢おられた。しかし個人としていかに信心が強くとも、それらの方々を願主とはなさらずに、異体同心にして大聖人様に南無し奉った熱原の方々を願主とあそばしたこと、深くその御聖意を拝し奉らなければならない。
まさしく広宣流布は、組織を以て異体同心の輪を広げる以外には、あり得ないのだ、ということである」と。
大聖人様は、四条殿・富木殿・上野殿という強信の個人の信徒ではなく、日興上人の御教導によって御門下ではじめて組織を作り、励まし合いつつ皆が団結し、御本仏に南無し奉った熱原の方々のその異体同心こそ、未来広宣流布・国立戒壇建立の瑞相・先序とおぼしめされ、熱原の法華講衆を「願主」として「本門戒壇の大御本尊」を顕わし給うたのであります。
翻って先生におかれては、広布前夜における第六天の魔王の大障碍を降され、ついに死罪に等しい解散処分を蒙るともそれを乗り越え、発足以来、孜々営々と死身弘法を展開される中に広布の人材を育成し、ついに大聖人様に南無し奉る三百万にならんとする異体同心の仏弟子の大集団を築かれたのであります。
これまさしく御本仏の甚深の御聖意に適い奉る国立戒壇建立への「唯願説之」と伏して拝しては、先生の透徹のご信心に畏敬の念が込み上げてまいります。
ちなみに学会・宗門などは「城者として城を破るが如し」の「異体異心の者」であります。
そこに、広宣流布の一方の旗頭として、先生から大事な人材・組織をお預かりする全幹部は、先生のお心のままの麗しい異体同心の組織を構築し、大事の御奉公を貫いてまいらねばなりません。
さて、先ほど男子部の浅野第五総部長の活動報告がありましたが、群馬県の宗門末寺の住職が、宗門僧俗が吹聴していた浅井先生の臨終の相に関するデマについて一切反論できなくなり、自ら土下座をして謝罪したという。
この七十代と思しき住職は人としては一分まじめだったのでしょう。内心では、そのあり得ない件のたばかりに対し、許しがたい気持ちを懐いていたものと思われる。
そこにいま不思議にも、宗門僧俗の虚偽を裏付ける証拠が次々と出てきていることに諸天の働きを実感しております。
たとえばつい先日も、先生の御葬儀において会場責任者を務めた人の、貴重な証言が出てまいりました。
後世の証とするためにも、これを明かしておきます。
本年7月末に、ある顕正会員の葬儀が儀礼室によって執り行われました。
そのとき担当した葬儀社が、たまたま先生の御葬儀を行なった会社で、しかもその担当者が先生の御葬儀の会場責任者だったのです。この人は先般伝えた二人とは別の人であります。
儀礼室委員の横田理事がその担当者と話をしたところ、その人は先生のご自宅で行なった納棺の儀にも同席していたのでした。
横田理事との会話の中で、その担当者は次のように話しておりました。
「(浅井会長のご遺体に)お化粧はしていません。会長のご自宅で我々がさせて頂いたのは、ただ御棺をお持ちさせて頂いて、喪主様にお立ち会いを頂いて御棺の中に納めさせて頂くといったことだけでした。……お化粧に関しては一切していません。
もちろん前提として、僕らのほうではできないという形です。
きちんとうちにも納棺師はいますが、(その納棺師は)一切立ち会ってもいないし、関わってもいない」と。
そしてこの担当者は、納棺の儀をはじめとして御通夜の当日も、先生のご自宅から本部会館に御柩をお遷しする際に立ち会うなど、幾度となく先生のご遺体と対面していたので、このような感想も述べておりました。
「(浅井会長の臨終の相は)もう(生前のお姿)そのままです。お変わりもなく、そのままお休みになられているという印象です。
言い方は悪いかもしれませんが、(ご遺体の)状態が悪くなる方もいらっしゃる中で、一切お顔色は変わらずでした。……
(葬儀で)二日間使って頂いた御遺影の写真と変わらずでした。本当にお休みになられているお姿だった。そういう印象でした。
お化粧を施していないことに関しては、『その通り』としか言いようがありません」と。
この担当者は生前の先生のお姿を当然知りませんので、先生の臨終の相を譬えて、特別追悼号にも掲載されている、あの光り輝くような真っ白なお肌をしていらした御遺影のお写真そのものであったと表現したのでした。
六月度総幹部会でふれたとおり、葬儀社の支部の責任者と営業の担当者の二人が
「お化粧をした事実というのは間違いなくない」
等と証言し、今回は会場責任者を務めた人が
「当社の納棺師は立ち会ってもいないし、関わってもいない」
と断言し、また先生の臨終の相についても
「御遺影の写真と変わらずでした。本当にお休みになられているお姿だった」
と第三者の立場で、先生の素晴らしい臨終の妙相を証言したのでした。
これあたかも、法華経が説かれるときに必ず出現して「皆是真実」(皆是れ真実である)と、釈迦仏の所説を第三者の立場で証明する「多宝如来の証明」のごとくであります。
ここに、宗門僧俗が吹聴している浅井先生の臨終の相に関する悪質極まるたばかりは木っ端微塵に粉砕され、彼らはその醜態を満天下に晒したのでした。
仮に今後、宗門僧俗が性懲りもなく下らぬデマを喧伝したとしても、すでにその根が完全に断ち切られた以上、それは詮なきものでしかない。
同時に、先生の成仏の妙相は、第三者による証明も加わり、かえって末法万年にわたって誰人も傷つけることができぬものになったこと、すべては大聖人様の厳たる御仏意と熱涙に咽びました。
話を戻します。
今般の宗門僧俗の悪質な捏造が破綻し、末寺住職が土下座して詫びた姿を見て、私は何よりも、宗門の全僧侶は御遺命違背の大罪を大聖人様にお詫びしなければいけないと、強く思った次第です。
そこに早瀬管長は、大聖人様に対し奉り五体投地の懺悔をし、国立戒壇建立こそ日蓮大聖人の御遺命であると正義を宣示し、宗門を日淳上人の清らかな昔に立ち還らせるべきであります。
それにあたっては、国立戒壇の正義を口で言うだけでは事は済まない。
かつて日蓮正宗の責任役員会という意思決定機関で公式に国立戒壇の放棄を決定した以上、同じく責任役員会の議決を以て、日蓮正宗として長きにわたった御遺命違背の大罪を懺悔し、それを訂正しなければならない。それがケジメというものです。
一方、現在の腐敗堕落の宗門を見るほどに、平成八年、第一回の一国諫暁を前にして顕正会の法人規則を制定された際の先生の仰せが思い起こされます。
このとき先生は規則に次の条文を加えられました。
「この法人は、この法人の目的に賛同する日蓮正宗の寺院および僧侶に対し、資金その他の援助を行うことができる」と。
この「法人の目的」とはこういうことです。
「日蓮大聖人を末法下種の本仏と崇敬し、大聖人出世の本懐たる弘安二年の『本門戒壇の大御本尊』を帰命依止の本尊とし、血脈付法の二祖日興上人を末法下種の僧宝と仰ぎ、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を成就して真の日本国安泰および世界平和を顕現すること」と。
かくも崇高な目的を掲げている法人が日本国のどこにありましょうか。
この顕正会の目的に賛同する寺院および僧侶に対し、資金その他の援助をすることができると定めたお心について先生は、こう述べておられます。
「これは私の日蓮正宗に対する夢である。今でこそ宗門は腐敗堕落の極にあるが、これは第六天の魔王の誑かしによる。正系門家がいつまでもこんなことでいるわけがない。やがて顕正会の正しい力が強くなってきたとき、必ずや日蓮正宗の中に、日目上人の再誕といわれるような聖僧がお出になるに違いない。それまでのあいだ乱れるのである。その間、私は『冨士大石寺顕正会』と名乗って御奉公していきたい。
恐らく、国立戒壇を堅持されるような真面目な僧侶は、宗門でいじめられるに違いない。私はそういうお方を守護したい。よって、まじめな僧侶があるならば、ひそかに顕正会として供養しお守りしようということを、この一条に決めたわけである」と。
正系門家が清浄なる姿に立ち還ることを熱願され、日目上人の御再誕が出現されるとき、その御方を何としてもお守りせんとの先生の忠誠心が胸に迫り、熱涙が込み上げてまいります。
されば「顕正会の正しい力が強くなる」ことが、その実現のカギであれば、死身弘法に徹する中にただ御仏意を待ち、かくして日目上人の御再誕出現の暁には、私は先生の大忠誠の戦いのすべてを具にご報告申し上げる所存であります。
話は変わります。
本日も、学会から入会した方々が正義にめざめた感激を述べておりましたが、いま大勢の学会員が顕正会員の折伏を受けて動執生疑を起こし、断疑生信しております。
先月の総幹部会でも述べましたが、学会・公明党が「三大政治決戦」と位置づけた昨年の衆院選ならびに本年の都議選・参院選において、公明党は惨敗につぐ大惨敗を喫しました。
公明党の比例得票数は、自民党などと違って学会票という組織票で固められているので、その時々の風には左右されない。
それが、あのように底が割れたごとく得票数の激減に歯止めがかからないのは、学会にとってかつてない深刻な事態といえます。
このような状況に陥った根本原因こそ、池田大作一党が犯した「三大謗法」による。
すなわち
一つに、日蓮大聖人の御遺命に背いていること。
二つに、日蓮大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨てたこと。
三つに、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定したこと。
このような大謗法を犯して、大罰が現われぬはずがない。
ゆえに
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」(四条抄)
との仰せのごとく、いよいよ学会は崩壊の時を迎えたのであります。
今こそ、動執生疑を起こしている学会員を「五百万学会員を救わん」特集号等をフル活用して、根こそぎ断疑生信せしめ救っていかねばなりません。
それは同時に御遺命成就への戦いを加速させることに直結するのであります。
ここで、多くの学会員が熱心に取り組んできた学会の選挙活動について、少しくふれておきます。
学会は選挙活動を「信仰の実践」と位置づけ、「選挙活動が功徳になる」と学会員に思い込ませてきました。
もともと学会の第二代会長・戸田城聖は、選挙に出る目的についてこのように述べていた。
「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華63号・昭和30年5月)と。
また池田大作も当初はこう言っていた。
「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのである」(第20回総会・昭和34年5月3日)と。
このように学会は「御遺命の国立戒壇建立のため」というスローガンのもと政治進出を始めたのでした。
ところが共産党や評論家・マスコミなどから
「国立戒壇は政教分離を定めた日本国憲法に違反する」と一斉に批判されるや、池田大作は弊履のごとく御遺命の国立戒壇を捨てたのであります。
本来、国立戒壇は、広宣流布の暁に仏法に基づいて制定される新憲法のもとで建立されるものであるから、「憲法違反」などとの非難はおよそ当らない。
しかしそれが選挙の障害になることを恐れた池田は、国立戒壇を放棄し、偽戒壇・正本堂の大誑惑をなしたのであります。
かくて池田大作は破廉恥にも
「政治進出は(国立)戒壇建立のための手段では絶対にない。あくまでも大衆福祉を目的とするものであって、宗門・学会の事業とは無関係である」(第33回本部総会・昭和45年5月3日)
と前言を翻した。
この無節操・変遷を見ればわかるように、所詮、池田大作は「国立戒壇」の口まねをして、学会員を選挙に駆り立てる口実としたに過ぎなかったのであります。
池田にとっての選挙の目的は、政権を奪取して日本の最高権力者たらんとする野望でしかなかった。その大野心を遂げるための道具が「公明党」であり、そのために全学会員を総動員したのであります。
だから池田大作は大幹部を集めた席でこう言った。
「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(「人間革命をめざす池田大作―その思想と生き方」高瀬広居)と。
正気の沙汰とは思えぬこの大慢心の言辞こそ、天魔その身に入るゆえであります。
そして、池田大作亡き今となっては、政権与党に参画している公明党の権力構造の維持のため、そして学会員を組織につなぎ止めるために選挙活動を行なっているのであります。
これが日蓮大聖人の仏法とは何の関係もない活動であることは言うまでもない。
大聖人様の御心は全人類を仏に成さしめる大慈悲以外にはあられない。
ゆえに教行証御書に、こう仰せ給うておられる。
「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生 仏に成るべき事こそ、有難けれ有難けれ」と。
天台・伝教も弘通しなかった寿量品文底の最大深秘の三大秘法がまずこの日本に広宣流布して、インド・中国・全世界の一切衆生が仏に成ることこそ最も有難いことなのである――と。
この御本仏の全人類救済の崇高なる御化導をお手伝い申し上げるのが地涌の菩薩であります。
ところが学会員は、池田大作一党に、仏法とは全く関係のない選挙が信心活動だと思い込まされているばかりか、三大謗法を犯すがゆえに、今生に功徳を失い、臨終には悪相を現じ、後生は入阿鼻獄となって耐え難い大苦を受けていく。何とも不憫であります。
これ、すべては第六天の魔王の所為にほかならない。
このことを学会員は知るべきであります。
大聖人様は第六天の魔王の働きについて、御書のいたるところに記し給うておられる。
三沢抄には
「提婆達多・阿闍世王の悪事は、ひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみへて候へ」と。
また最蓮房御返事には
「予、日本の体を見るに、第六天の魔王智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。
日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず。故に天魔力及ばずして、王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて、日蓮をあだむなり」と。
釈尊が「九横の大難」を受けたことも
あるいは念仏の法然が「捨・閉・閣・抛」と言い、真言の弘法が「第三の劣」と言い、天台の慈覚・智証が「理同事勝」と言って、いずれも法華経を捨てさせたのも
あるいは大聖人御在世において、良観をはじめ国中の邪法の僧らが大聖人様を憎み、さらに平左衛門等の国家権力者が大聖人の御命を奪わんとしたことも
すべて第六天の魔王の仕業であります。
このように第六天の魔王は、仏様を憎み、仏法を破壊し、正法流布を妨害することを、その能としているのであります。
かかる第六天の魔王が、広布前夜に拱手傍観しているはずがない。御本仏の御遺命成就を妨害しない道理はない。
だからこそ天魔は池田大作の身に入り、正本堂の大誑惑をなして正系門家から国立戒壇建立の御遺命を抜き取り、また御本仏出世の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を全学会員に捨てさせ、さらには日蓮大聖人を末法下種の御本仏と仰ぐことをも妨げるのであります。
中でも池田大作の意向を受けた原田稔らが、戒壇の大御本尊を捨て奉ったその経緯の一端を見れば、天魔の悍ましい実態がよくわかります。
池田大作一党が「極限の大謗法」を犯すその一年ほど前に行われた、教義改変にあたっての「小委員会」の内容が当時流出しました。
それによれば、学会の第五代会長を務め、このとき学会の最高指導会議議長だった秋谷栄之助はその席でこう述べたという。
「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。
日寛上人が『究竟中の究竟』等(と言われたのも)、宗派の確立のために確定されたとも推定される」
「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。……他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」と。
また池田大作の側近副会長は、「余は二十七年なり」との「出世の本懐成就」の御宣言について、このような謗言を吐いたという。
「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるのだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」と。
さらに「末法下種の三宝」の変更にあたっても
「それも変えればいいんだ。何の問題もない」
「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されても構わない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
などと、何度もくり返したという。
これら大謗法の発言には言葉を失い、上野抄の
「第六天の魔王、無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり」
との御金言を目の当りにする思いであります。
これら学会執行部の意見について、原田稔は池田大作の指導を受けて進めていることを述べております。
それは、これまでの池田大作の言動を見ても明らかであります。
池田大作は正本堂完工式にローマ法王庁の神父を招かんとして、正本堂が完成する以前にバチカン信徒評議会・評議員で上智大学名誉教授だった安斉伸と対談し、その際に
「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」
といい
また昭和52年元旦には
「もはや御本尊は全部同じです。どの御本尊も同じです」
といい、戒壇の大御本尊を暗に否定蔑如しているのです。
かくして池田の意を承けて原田稔は平成26年11月7日
「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」
と「極限の大謗法」を犯すに至ったのであります。
そして令和5年11月18日の池田大作の死亡公表と同時に発刊された「創価学会教学要綱」にも
「『戒壇の本尊』を特別な御本尊であるとする解釈は、大聖人の御書にも日興上人の著作類にも見られない説である。大聖人は多くの御本尊を顕されたが、それらの御本尊に優劣を定めるような教示は御書に存在しない」
などと記している。
では、果して池田大作一党が言うように、戒壇の大御本尊様を「特別な御本尊であるとする解釈は、大聖人の御書にも日興上人の著作類にも見られない」のか――
まず、大聖人様から日興上人への御付嘱状を拝する。
「日蓮一期の弘法 白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中、我が門弟等此の状を守るべきなり」と。
ここには「日蓮一期の弘法」とのみ記され、その具体的な固有名詞は省略されている。
この「日蓮一期の弘法」の実体は何かといえば
日興上人が日目上人に付嘱されたその御遺状たる「日興跡条条事」を拝見すれば、太陽のごとく明らかである。すなわち
「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す。本門寺に懸け奉るべし」と。
「日興が身に宛て給わる」の「宛て給わる」とは「特別に授けて下さる」ということ。
この「給わる」という尊敬語があるということは、授与し給うたのは日蓮大聖人であられることは自明であります。
そして「弘安二年の大御本尊」とは、弘安二年十月十二日御図顕の「本門戒壇の大御本尊」以外にはありえない。
つまり大聖人様から日興上人への「法体相承」を意味している。
この日興跡条条事の仰せを通釈すれば、こうなる。
「日蓮大聖人が日興上人に特別に授けて下さった弘安二年の本門戒壇の大御本尊を日目上人に授け与える。これを広宣流布の暁に建立される本門寺の戒壇すなわち国立戒壇に安置し奉りなさい」と。
この一期弘法付嘱書と日興跡条条事を併せ拝すれば、弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ、大聖人様が国立戒壇に安置すべしと日興上人に授け給うた「特別な御本尊」であることは一点の疑いもない。
日興跡条条事は、草案と正本の二通が大石寺に遺されております。これ、紛れもなく日興上人の御直筆であります。
さらに御遺命の本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」を定め給うた三大秘法抄には、その利益の広大について
「三国並びに一閻浮提の人 懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」と。
広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て富士山天生原に建立される御遺命の国立戒壇にこの本門戒壇の大御本尊を安置し奉れば、大御本尊の無量無辺・広大深遠の妙用によって、その利益は日本ないし中国・インドおよび全世界の人々に、いや梵天・帝釈・日月・四天等の天界にまで及ぶことをお示し下さっておられる。
ゆえに日寛上人は観心本尊抄文段に
「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」と。
「一閻浮提総体の本尊」とは一閻浮提総与、すなわち末法の全人類に総じて授与して下さった大御本尊であられるということ。
だから戒壇の大御本尊は「究竟の中の究竟、本懐の中の本懐」と御指南下されている。
日寛上人は、ご自身の臨終正念の姿を証拠として“我が所説が大聖人様の御意に適うことを信ぜよ”と仰せられたお方です。ゆえに日寛上人の仰せを絶対と拝するべきであります。
ここに、大聖人様が出世本懐成就御書に「余は二十七年なり」と出世の本懐成就を御宣言あそばされたこと。
また、戒壇の大御本尊の御判形の真下に「本門戒壇也」の金文がましますことの御聖意は明らかであります。
まさしく、弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ、大聖人様の出世の御本懐、文底深秘の大法の正体、唯授一人の別付嘱の法体、一切衆生成仏の根源の種子にてまします。
池田大作一党よ、これでもなお本門戒壇の大御本尊を「特別な御本尊であるとする解釈は、大聖人の御書にも日興上人の著作類にもみられない」などとたばかるのかと言いたい。
ましてや、ほかならぬ学会はかつて
「日蓮大聖人の出世の本懐は、本門戒壇の大御本尊の建立であり、弘安二年十月十二日に成就された」(仏教哲学大辞典)と明確に述べていた。
これまさに「特別な御本尊」なればこそではないか。
池田大作の
「時代の進展によって変更しなければならない教義や、矛盾に満ちた宗教は、誤れる宗教と断定すべきである」
との「人間革命」(聖教文庫24)の一節に照らせば、学会の誤りは赫々明々であります。
また「未曽有の邪教化」についても重ねて劈いておく。
池田大作一党は
「日蓮大聖人は、釈尊を根本の仏として最大に敬い、その教えを正しく拝したうえで、釈尊から滅後悪世の弘通を託された上行菩薩の使命を自ら果たし……」(男子部教学室論考)
などと釈尊を本仏と位置づけ、大聖人を単に「釈尊の使い」「上行菩薩の働きを行う者」などと貶めている。
さらに
「日蓮正宗は、大聖人を久遠実成の釈尊より先に存在した仏だとして神秘性をことさらに強調し……」(創価新報・令和7年6月号)
などと言っては、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の「人の本尊」にてましますことを否定したのであります。
これまさしく、不相伝の身延派のごとき教義に改変して「未曽有の邪教化」に陥ったというほかはありません。
かつて学会は、池田大作が監修した「仏教哲学大辞典」にこう正論を記していた。
「人の本尊とは久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・大慈大悲の南無日蓮大聖人である。……日蓮大聖人を末法の御本仏として信心に励むことが成仏の直道である。もし、これに迷えば無間地獄に堕すことになる」と。
この以前の正しい教義に照らせば、現在の学会員はことごとく無間地獄に堕ちることになる。
この矛盾を見ただけで、学会の誤りは明白であります。
申すまでもなく、日蓮大聖人は三世十方の諸仏の根源の仏様、久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられる。
大聖人様は、その甚深の御境界について数多の御書に記し給うとも、智恵浅き我ら凡夫には、なかなかわからない。
そこで大聖人様は、誰にもわかる眼前の現証を以て、それを信ぜしめ給う。
ゆえに法蓮抄には
「現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん」と。
この「眼前の証拠」とは、「竜の口の大法難」と「大蒙古の責め」であります。
まず竜の口の大法難。
国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切らんとしたものの、「月のごとく光りたる物」の強烈なる光によって、太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、兵士たちもことごとく逃げ出し砂浜にひれ伏してしまった。
このような不可思議・荘厳な光景は人類史上において未だかつてない。
この大現証を眼前にした兵士たちは、理屈ぬきに御本仏を命で感じ、殺意が一変して帰依したのであります。
もう一つが大蒙古の責めであります。
立正安国論において大聖人様が「他国侵逼」を御予言されたとき、日本国中これを信ぜず、かえって国中が大聖人様を憎み、流罪・死罪に処し奉った。
しかしその御予言は寸分も違わず、立正安国論より十四年後、日本を亡ぼすに足る圧倒的な大蒙古の責めがあった。
このとき国主の北条時宗は改悔しております。
そしてこの蒙古の責めの直後、大聖人様は「聖人知三世事」に次のごとく仰せられている。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀し、刀杖を加え、流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」と。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」とは、日蓮大聖人こそ熟脱の教主釈尊に勝る世界第一の下種の御本仏、久遠元初の自受用身である――ということ。
しかるに、日本国の人々はこれを知らず、国主から万民にいたるまで日蓮大聖人を軽んじ毀り、刀杖を加え流罪・死罪に処するがゆえに、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は、隣国に命じてこの日本を責めしめるのである――と仰せられる。
まさに立正安国論における他国侵逼の御予言的中こそ、日蓮大聖人が「一閻浮提第一の聖人」即久遠元初の自受用身であられることを立証する大現証であります。
このように大聖人様は、「竜の口の大法難」と「大蒙古の責め」という二つの「眼前の証拠」を以て、日蓮大聖人こそ末法の全人類をお救い下さる久遠元初の自受用身であられることをお示し下されたのであります。
そして先生は広告文において、難しい理屈は措き
「日蓮大聖人とはいかなる御方か」について
「臨終の相」「立正安国論の御予言的中」「国家権力も御頸切れず」の、この三つの現証を挙げて
日蓮大聖人こそ三大秘法を以て末法の全人類をお救い下さる久遠元初の自受用身、末法下種の御本仏にてましますことを顕わしておられる。
全学会員は、かかる日蓮大聖人の絶大威徳・大慈大悲をしかと仰ぎ、大聖人を「人の本尊」と尊敬しなければいけない。
ここに、池田大作ならびにその一党の所行を総括します。
まず、大聖人様の御化導における肝要を簡略に示します。
大聖人様は立宗の始めから「南無妙法蓮華経と唱えよ」と、母が赤子の口に乳を含めるの大慈悲を以て、これを一切衆生にお勧め下された。
そして立宗より七年目、立正安国論によって国家諫暁を開始あそばされ、競い起こる「三類の強敵」を用いて、文永八年九月十二日、ついに竜の口の頸の座において三世十方の諸仏の根源の本仏たる「久遠元初の自受用身」の成道を遂げ給うた。
その五ヶ月後、流罪の地・佐渡の、雪に埋もれた塚原三昧堂で著わされた開目抄において
日蓮大聖人こそ末法の一切衆生の主・師・親、すなわち末法下種の「人の本尊」であられることを示し給うた。
ゆえにその結文には
「日蓮は日本国の諸人に主・師・父母なり」と。
主・師・親とは、根本として尊敬すべき本尊を意味する。まさに日蓮大聖人こそ末法下種の「人の本尊」であられる。
ついで開目抄の翌年に著わされた観心本尊抄においては、文底深秘の大法たる「人即法の本尊」を示され、戒壇の大御本尊建立の御宣言をあそばされている。
ゆえに
「此の時 地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」
と仰せ給い、いよいよ他国侵逼その色を増した弘安二年に、出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を御建立あそばされた。
かくて御入滅の年の弘安五年には三大秘法抄を以て「本門戒壇」の具体的内容を示し給い、さらに日興上人に「本門戒壇の大御本尊」を付嘱され、国立戒壇建立を御遺命あそばされたのであります。
このように大聖人様は身命も惜しまず「本門の本尊」と「本門の題目」と「本門の戒壇」この三大秘法を御弘通あそばされたのであります。
しかるに池田大作一党は、竜の口における久遠元初の自受用身の成道の意義を
「釈尊から滅後悪世の弘通を託された……上行菩薩としての役割を果たす立場」になったなどと改変して、大聖人様が「人の本尊」・久遠元初の自受用身であられることを否定した。
また御本仏出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を「受持の対象にはしない」として「法の本尊」を否定した。これらは「本門の本尊」の否定であります。
そして戒壇の大御本尊を信じて題目を唱えぬゆえに、学会のそれは「本門の題目」にはあたらない。
さらに正本堂の誑惑をなし、「本門の戒壇」すなわち国立戒壇建立の御遺命を破壊せんとした。
大聖人様は開目抄にこう仰せ給う。
「法然いたわしともおもわで、乃至、狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに、法華経を抛てさせける心こそ無慚に見へ候へ」と。
法然はいたわしいとも思わずに、日本国中の愚かな子供をたぶらかして宝を捨てさせるように法華経を抛てさせた。この心こそまことに無慈悲の極みである――と。
まさに池田大作一党は、大聖人様が流罪・死罪の大難を耐え忍ばれ顕わされた三大秘法を、法然と同じように無慈悲にも全学会員に捨てさせたのであります。
これを第六天の魔王の所為といわずに何というのか。
比べること自体、恐れ多いことですが――
浅井先生は、御遺命守護のゆえに理不尽極まる死罪に等しい解散処分を受けるとも、戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰をいよいよ深められ、「忠誠の証」たる遥拝勤行で死身弘法を展開され
また亡国迫る日本にあって、全日本人に対し日蓮大聖人こそ全人類が帰依すべき久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを広告文で広く顕わされたのであります。
浅井先生こそ、真の忠誠の仏弟子であります。
五百万学会員は、天魔その身に入りし池田大作一党のたばかりをよくよく見抜き、早く悪師を捨てて、速やかに正しき師匠・浅井先生に師事すべきであります。
さもなければ入阿鼻獄に至ることは必定であります。
かつて先生は、かく仰せられました。
「ひとたび無間地獄に堕ちたら、もう取り返しがつかない。だから私は八百万学会員を痛々しく思う、不憫に思う。何としても救いたい。そして共に御遺命成就に御奉公する同志になってほしいと、思うばかりである」と。
私はかかる先生のお心を体し、前代未聞の大闘諍および日本への他国侵逼迫るいま、悪師に騙されて入阿鼻獄となる五百万学会員を救い、ともに御遺命成就の御奉公をなしていきたいと決意しております。
それこそ大聖人様の御心に適うものであり、かねてより先生が強く念願された戦いであります。
最後に九・十・十一月法戦の折伏誓願を発表します。
男子部一万四千名、女子部一万七百名、婦人部五千三百名。顕正会全体で三万名であります。
さあ、迎える本年の最終法戦、いよいよ大事の三回忌を見つめた怒濤の大折伏を展開し、二七〇万突破の死身弘法を以て、先生へのご報恩としてまいろうではありませんか。以上。
(大拍手)