本日の総幹部会も大熱気が滾り、ことに一人ひとりの思いのこもる登壇に胸が熱くなりました。
この十月は、仏弟子にとって最も大事な御大会式と、浅井先生の三回忌法要が奉修された顕正会「第二の原点の月」でありました。
御大会式と三回忌法要ともに、全顕正会の涙の出るような赤誠を以てご報恩に擬し奉ることが叶い、感無量であります。
まず、先生の三回忌法要においては、この二年を戦い抜いてきた全班長とともに奉修することができた有難さは筆舌に尽くせません。
先生のご遺志を継いで御遺命の国立戒壇建立に驀進するこの顕正会の姿を先生がごらんになれば、必ずやお頷き下さるに違いないと私は確信しております。
席上、私は、先生の仏法上の重大なるお立場とそのお徳について述べさせて頂きました。
末法下種の御本仏・日蓮大聖人に命尽くまで忠誠を貫き通された先生の六十六年の激闘は、今後、顕正会の前進が月々に加速し、三百万・五百万・一千万となるに従い、ますます燦然と輝くものになること疑いありません。
その大前進をなすことこそが先生へのご報恩であります。
心を沈めて思うに――
先生の戦いは、大聖人様の順縁広布の御化導そのもの。
先生こそ久遠元初以来、大聖人様に随伴してこられたお方と拝するほかはありません。
やがて全日本人いや全人類が、広布前夜に重大使命を果された先生の偉大さ、その大忠誠に涙する日が必ずまいります。
そして、何の行功なき私たちが、御本仏日蓮大聖人の御心のままの信行が叶い、今生は宿命が変わって幸せになり、後生には永遠に崩れぬ大仏果を得させて頂けることは、決して当り前ではありません。
すべては先生のご信心に守って頂ければこそであり、かかる甚重の師恩「何を以てか此を報ぜん」との思いが衝き上げてまいります。
まさに三回忌法要は、全顕正会が先生へのご報恩の思いの中、国立戒壇建立への誓いを新たにした重大な儀式でありました。
この大事な節目を刻んだ今、いよいよ「強盛の御志」に立って一切の油断を排し、さらなる大前進をなしていきたい。
また、仏弟子にとって最も大事な儀式たる御大会式を十月十三日に謹んで奉修させて頂きました。
いま思い起こすは、毎年の御大会式に、身も心も整えて臨んでおられた先生の峻厳極まるお姿であります。
先生は、大聖人御入滅という深い悲しみを懐かれる中に、正系門家の濁乱と亡国迫る客観情勢をごらんになり、ただお一人御遺命成就への堅きご決意を懐いておられました。
毎年、御大会式を終えて、そのお礼を申し上げるために先生のところへ伺うと、必ず先生は
「このような厳粛な御大会式を奉修しているのは顕正会だけだ。
学会はそもそも御大会式などは行わない。宗門の坊さんは御会式に託けて供養を貪り、その後に飲み食いするために行なっている。
深い悲しみの中に御遺命成就を誓い奉っているのは、まさに顕正会だけだ」
と仰っておられました。
その時の何ともいえない先生のご温顔を、私は決して忘れるものではありません。
そこに私は、本年の御大会式において、先生のご遺志を継ぐ弟子として、学会・宗門の濁乱極まる為体と、激動の客観情勢を大聖人様にご報告申し上げました。
ことに、池田大作ならびにその一党が犯した「御遺命破壊」「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」という「三大謗法」の実態を大聖人様がごらんあそばせば、いかに憤り悲しみ給うかと思っては、胸が締めつけられました。
一方、宗門も未だに御遺命違背の大罪を懺悔せず、戒壇の大御本尊を「営利の具」とする無道心です。
余談ですが、福島県会津若松市にある宗門末寺では、大事の十月十三日に地域のイベントの一環で、なんと寺の境内で「コスプレ大会」なるものが行われておりました。
その広告チラシを見て目を疑いました。
そこには
「必ず遊び倒す みんなでコスプレ大集合 大町通り秋の歩行者天国 in 実成寺」
との文字が躍り、コスプレをしたバカげた写真が掲げられていたのです。
当日の催しは「ハロウィンコスプレ」「実成寺参道での縁日」「ダンス披露」などのほかに、これは実際、行われなかったようですが、事前に公開されていた予定では「お経体験」と「住職講話」なるものが組まれていました。
御本仏が御入滅あそばされた十月十三日に、このような下卑たイベントに協力した宗門坊主の無信心には、言葉にならない憤りが込み上げてまいりました。
先般の破廉恥行為で逮捕・起訴された青森の元住職といい、一事が万事、これが宗門僧侶の腐り切った実態です。
大聖人様の広布の仏勅に応え奉る団体は、もう顕正会以外にないのであります。
本年の御大会式を迎えるにあたって、私は先生がどれほど「富士大石寺の源流」を仰ぎ、身を捨てて戦ってこられたのか、改めて思いを巡らせました。
かつて先生は、日興上人・日目上人がいかに十月十三日を大事にしておられたのかについて、かく指導下さいました。
「日興上人・日目上人は、十月十三日を夢寐にも忘れ給うことがなかった。
大聖人様の御葬送のとき、日興上人・日目上人は御柩を輿に載せまいらせ、肩に担い奉った。この時の御心を恐れながら拝し奉れば
『御本仏の大事の御遺命、この身命を捨てても必ずや実現し奉る』
この思い以外には断じてあられないと拝し奉る。
そしてこの御心が、日興上人の身延離山となり、四十数度の国主諫暁となり、列島全域への死身弘法となり、さらに日目上人の身命を捨てての最後の天奏となり、その時の申状の『日目、先師の地望を遂げんがために……』の御文となっているのである」と。
先生は、毎年十月十三日を迎えるたびに、大聖人御葬送の折の日興上人・日目上人の御心を仰がれ、御遺命成就へのご決意を堅めておられたものと拝察いたします。
ここに簡略に、日興上人の身延離山と列島全域に及んだ死身弘法、ならびに日目上人の国諫と最後の天奏について拝します。
身延の地頭・波木井実長の信心が逸脱し、身延山が謗法汚濁の地と化したため、日興上人は
「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由」(美作房御返事)
との大聖人様の御遺言のまま、前途多難を御覚悟の上で身延離山をなされたのであります。
清信に住していた波木井実長の子息に宛てた原殿御返事には、身延離山にあたっての情理を尽くした御心が認められている。
「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候へども、打ち還し案じ候へば、いずくにても、聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候へ。
さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意忘るること無く候」と。
すなわち、身延の沢を離れるに至ったこと、その面目なさ、本意なさは、とうてい言葉には尽くしがたい。しかしよくよく案ずるに、いかなる所でも、大聖人の正義を相継ぎ一国に立てることこそ究極の大事である。
その決意を以て見るに、いま門下の御弟子はことごとく大聖人に背く師敵対となってしまった。
ここに日興一人、大聖人の正義を知り本懐を遂げ奉るべき人に相当っていれば、その本意たる国立戒壇建立の御遺命を忘れることはない――と。
たとえ前途に困難が待ち受けようとも、大聖人様より「本門戒壇の大御本尊」を付嘱されて「本門弘通の大導師」と成り給うた日興上人の、いかなる情にも流されない、聊かの妥協や狎れ合いもない、厳格極まるその無限の責任感・孤高の忠誠心には熱涙を禁じ得ません。
また日興上人・日目上人は、列島全域への驚異的な弘通をなされました。
堀日亨上人は
「日興上人の御門下においては“広宣流布 朝夕近し”の情熱が満ちていた」
と仰せられております。
ゆえに、現在のような交通機関も通信技術もなく、徒歩で移動する以外にない当時の環境で、北は東北から南は四国・九州にいたるまでの驚くべき弘通をなされたのであります。
ことに日目上人は、大聖人の百箇日法要を終えるや、日興上人のお許しを得て、多くの親類・縁者が住む東北弘通の御決意に立たれた。
当時、身延から奥州までは徒歩で二十余日、山には狼や山賊がおり、その難儀は想像を絶するものがある。
その中、日目上人は幾たびも奥州に下っては弘通され、いくつもの法華堂を建立されたのであります。
さらに、日目上人は日蓮大聖人・日興上人の代奏として、身命も惜しまず、公家・武家への国家諫暁をなされ、その諫奏は実に四十二度に及んでおります。
弘安四年に大聖人様の御命令によって、京都の後宇多天皇に申状を奏進されたことをはじめとして、大聖人御入滅後においては日興上人の代奏として国諫をされている。
一国が逆縁であれば、一回一回の国諫はまさに命がけです。
しかも日目上人は、未だ国諫の成果が得られぬことを煩悶しておられたという。
そして最後の国家諫暁が、京都の後醍醐天皇への申状奏進であります。
このとき日目上人は、すでに七十四歳の御老齢、加えて長年の東奔西走によって踝を痛めておられ、お身体もお弱りになっておられた。
しかるに日目上人は、長途の天奏を御決意されたのであります。
正慶二年二月七日、日興上人が御遷化された。その年の十月十三日、日目上人はご自身でお勤めになった、最初で最後の御大会式を奉修され、直ちに申状を認められた。
そして寒風吹きすさぶ中、日尊・日郷の弟子を杖と頼み、老弱の足を踏みしめて、再び大石寺に帰る能わざるを御覚悟の上で、最後の天奏に旅立たれたのでした。
そのときにご所持の申状の末文には
「日目、先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ」と。
「先師の地望」とは、日蓮大聖人の唯一の大願たる国立戒壇建立以外にはない。大聖人様のこの大願を天子の耳に入れしむるべく、いまこの天奏をなしたのである――と。
まさに
「大聖人様の御心に応え奉らん」とのご一念だけで、身命を抛たれたのであります。
なんという深く堅き大忠誠でありましょうか。
これらが「富士大石寺の源流」であります。
すべては、大聖人御葬送の折の、紅の涙の中に堅めた、御遺命成就への誓いから発しているのであります。
翻って、先生の戦いを思うに――
濁れる安易を捨てて末寺住職と決別し、前途多難をご覚悟の上で顕正会を発足されたこと。
また死罪に等しい解散処分や公権力による不当なる弾圧等、あらゆる困難を乗り越え、遥拝勤行による死身弘法を全国規模で展開され、ついに三百万にならんとする仏弟子の大集団を築かれたこと。
さらに、二度の一国諫暁のほか、一億部を優に超す「広告文」や毎月の「特集号」を以て、御在世以来のスケールで
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の重大御聖意を一国に顕わされたこと。
そして御逝去の五ヶ月前、体力の衰えが窺われる中、あえて愛媛会館御入仏式を強行される等、命尽くまで戦われたこと。
この浅井先生の六十六年の激闘こそ、「富士大石寺の源流」を広布前夜の今に体現されたものに他なりません。
かつて先生は叫ばれました。
「広宣流布の前夜の濁乱のときに、この富士大石寺の清らかな源流は必ず蘇る。また蘇らなければ広宣流布はあり得ない。いま顕正会こそ、よく日興上人・日目上人の御精神を深く拝して、改めて不惜身命の御奉公に立たなければいけない」と。
私たちは、かかる先生のお心をよくよく噛みしめ、先生が御逝去された折の、深い悲しみの中に堅めた「紅涙の誓い」を夢寐にも忘れず、先生が命を焦がして熱願された広宣流布・国立戒壇建立に身を捨てて戦う決意を堅めていきたい。
大事の御大会式と先生の三回忌法要を終えた今こそ、全顕正会員が先生のご願業成就に向け、大前進をなしてまいろうではありませんか。
話は変わります。
先月の総幹部会で池田大作が悪師たることを示す三つの現証を挙げましたが、ことに「五百万学会員を救わん」特集号3の第4面に掲載された写真や図表により、これまで頑なに入会を拒んでいた学会員が、続々と断疑生信してきております。
正しい道理や文証を示してもわからない者には、現証を示すのが一番わかりやすい。
大聖人様は御書のいたるところに「現証」の大事を仰せ給うておられる。
教行証御書には
「一切は現証には如かず」と。
観心本尊抄には
「此等の現証を以て之を信ず可きなり」と。
三三蔵祈雨事には
「道理・証文よりも現証にはすぎず」と。
法蓮抄には
「近き現証を引いて、遠き信を取るべし」と。
妙一女御返事には
「羅什には現証あり、不空には現証なし」と。
大聖人様がいかに現証を重んじておられたのかが拝せられます。
池田大作が悪師たることを示す三つの現証とは
一つに「偽戒壇・正本堂の崩壊」
二つに「池田大作の悪臨終」
三つに「学会の崩壊」
であります。
これはいかなる学会員も否定できない。
大事なことゆえ、改めてこの三大現証を具に見ていきたい。
まず、一つ目の「偽戒壇・正本堂の崩壊」。
正本堂崩壊の大現証は、正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、御本仏一期の御遺命を破壊せんとした池田大作が悪師であること、そして身命を賭して御遺命を守り奉られた浅井先生こそが正しき師匠であることの何よりの証拠であります。
国立戒壇こそ、御本仏日蓮大聖人が日本および全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済するために、別しては日興上人に、総じては門下一同に御遺命あそばされた究極の大願であります。
ゆえに一期弘法付嘱書には
「日蓮一期の弘法 白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中、我が門弟等此の状を守るべきなり」
と仰せ給う。
この御付嘱状に背く者は大聖人の弟子ではない。
しかるを、池田大作は国立戒壇が世間の批判を招き選挙に不利をもたらすと見るや、それを否定し、国立戒壇にかわる偽戒壇・正本堂を建設した。
池田はこの誑惑をなすにあたって、誰人も背けぬ「時の貫首」の権威を利用して「正本堂は御遺命の戒壇である」と承認させた。
悲しいかな、細井日達・阿部日顕の二代の貫首は池田大作にへつらい、この誑惑を助けたのであります。
池田大作はこう謀った。
「本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」(立正安国論講義・昭和41年)と。
また
「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文・昭和42年10月)と。
さらに細井日達は
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華201号)と。
そして昭和四十七年の「訓諭」において「後代の誠証となす」との断わりをつけて
「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
と偽った。
また阿部教学部長は
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」
とへつらい、正本堂を御遺命の戒壇と直截に断じた。
そのほか宗門高僧らも先を争って池田に迎合し、正本堂を御遺命の戒壇とする諛言を述べたのであります。
そして池田大作は、昭和四十二年十月の正本堂「発願式」から、昭和四十七年の完成まで実に十数回、毎年毎年仰々しい法要をくり返し行い、正本堂を大宣伝した。
正本堂完成を記念して発刊された写真集をみると、正系門家を覆い尽くしたその異様なまでの空気を感じます。
その中で、先生ただお一人、身を捨てて諫暁に立たれたのであります。
当時、学会・宗門が集めた正本堂の供養は三百五十五億円、物価変動を考慮して現在の貨幣価値に換算すると優に一千億円を超す金額です。
このような莫大な供養を以て建てられ、まして誰人も背けぬ絶対権威の「法主」と、最高権力を有する池田大作が「御遺命の戒壇」と意義づけた正本堂を、誰人が撤去などできましょうか。
だから、先生の
「誑惑の正本堂を撤去せよ」
との諫暁に対し、宗門僧侶はことごとく
「日は西から昇るとも、河が逆しまに流れるとも、正本堂が壊わされるはずがない」
と嘲笑った。
しかるに、先生の諫暁によって池田大作と阿部日顕の間に深刻な亀裂が生じた。
それは当時、テレビのワイドショーで連日報じられるほど醜悪にして凄絶な大抗争へと発展。
かくてついに、正本堂は打ち壊わされてしまった。
これまさに、大聖人様の絶大威徳、大忠誠の先生の捨身の諫暁によるのであります。すなわち
大聖人様は正本堂の大誑惑を許し給わず。ゆえに浅井先生をして諫暁せしめ、諸天をして宗門・学会を自界叛逆せしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うたのであります。
この凡慮を絶する大現証を拝見すれば、御本仏一期の御遺命を破壊せんとした池田大作こそ師敵対・大謗法の悪師であり、浅井先生こそ正しき師匠であること明らかであります。
次に、二つ目の「池田大作の悪臨終」。
池田大作は、先ほど述べたとおり「正本堂の大誑惑」をなして御本仏の御遺命を破壊せんとし
また平成二十六年には学会会長・原田稔に
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」
と言わしめて「極限の大謗法」を犯し
さらには、池田大作が監修したとされる「創価学会教学要綱」において、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身にてましますことを否定した。
仏法の道理に照らして、かかる「三大謗法」を犯した輩が悪臨終を遂げぬはずは断じてない。
よく学会員や宗門僧俗は
「顕正会員は臨終にこだわり過ぎる」「臨終のことしか言わない」などとバカなことを言っていると耳にします。
この者たちは臨終の大事が全くわかっていない。
大聖人様は臨終をいかに重視あそばしておられるのか。その仰せは御書のいたるところにあり、枚挙に暇がありません。
そのうちの二・三をここに挙げれば――
妙法尼御前御返事には
「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と。
すなわち臨終の解決こそ人生の最優先課題としておられます。
また下種本仏成道御書には
「眼前の現証あり。いのもりの円頓房、清澄の西尭房・道義房、かたうみの実智房等は尊とかりし僧ぞかし。此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし」と。
大聖人様は、安房で信心に励んでいた弟子に対し、大聖人を憎嫉した悪僧たちの臨終は果してどうであったかと尋ねておられる。
さらに千日尼御前御返事には
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」と。
地獄に堕ちる者と成仏する者の遺体がどのような姿になるのかを克明に教示し給うておられる。
他ならぬ池田大作自身、昭和三十年代には次のような言葉を述べていた。
「善無畏三蔵が死んだ時、その身が縮まり、色が黒くなり、骨があらわになってきたというのは……地獄の相である。
死相については、御書に数多くの仰せがある。……およそ仏法は師弟相対である。師匠が地獄に堕ちれば、弟子もまた地獄に堕ちざるをえない。真言、念仏、禅宗等の中国や日本における元祖は、いずれも堕地獄の相を現じたことを、よくよく思うべきではないか」(報恩抄講義・昭和39年)と。
このように邪宗の元祖が悉く悪臨終であることを示し、師匠が地獄に堕ちれば弟子もまた地獄に堕ちることを明言しているのです。
近年、学会が臨終の相にふれないのは、三大謗法の罰でみな臨終が悪いから、それにふれられないのです。
ここで改めて、池田大作の臨終について触れておきたい。
令和五年十一月十八日の午後、会長の原田稔と、池田大作の長男で主任副会長の博正は談話を公開した。
その動画の中で、池田大作がその三日前の十一月十五日夜半に死亡したこと、そして翌々日の十七日の午後に家族葬を行い、翌十八日の午前すなわちこの動画を公開した当日に、荼毘に付したことを明かしました。
この動画に出ている二人には悲哀などの感情は微塵も窺われない。まことに空々しいまでに淡々と発表するそのさまは、誰もが違和感をおぼえました。
何よりもこの動画は、あまりにも訝しいシロモノでした。
最初に談話を読み上げた池田博正はこのように伝えた。
「昨日(十七日)午後、原田会長の導師で家族葬を行い……」と。
しかし、その後に談話を読み上げた当の原田稔はこう述べた。
「只今、池田主任副会長から突然の訃報を伺い、大変に驚くとともに深い悲しみをおさえることができません」と。
博正が「前日の家族葬で原田稔が導師を務めた」と述べているのに対し、当の原田は「只今、突然の訃報を伺い……」と、まるで今はじめて訃報を耳にしたかのような辻褄が合わないことを言っているのです。
「只今」とは「ほんの少し前」のことを指し、前日のことを「只今」とは言わない。
この矛盾に気づいたのか、学会執行部は慌ててこの動画を非公開にしてしまいました。
そして家族葬に参列したとされる原田稔や池田博正、その他の大幹部も誰ひとりとして池田の臨終の相については一切ふれない。まことに不可解・不自然です。
いずれにしても、池田大作は誰にも見せられないほどの悪臨終だったことだけは間違いありません。
御金言どおりの妙相を現じられた浅井先生の臨終の相は「特別追悼号」を見れば一目瞭然であります。
学会員はよくよく刮目しなければいけない。
ついで、三つ目の「学会の崩壊」。
学会・公明党は「三大政治決戦」と銘打った昨年の衆院選と本年の都議選・参院選において惨敗につぐ大惨敗を喫しました。
昨年の衆院選では、当時代表だった石井啓一をはじめ副代表ならびに中堅幹部が軒並み落選し、「常勝関西」と言われた大阪でも四人の候補全員が落選。
その直後に、学会の重要施設の建設現場で、大型の杭打ち機が横転して道路を隔てた美術館の屋根を破損させるというあり得ない事故が起きました。
そして直近の参院選においては、三年前の参院選から約百万票も減らした過去最低の五二一万票となり、ピークだった二〇〇五年の衆院選の八九八万票からは実に三七七万票、率にして四割以上も減らすという、まさに「つるべ落とし」の様相を呈しております。
かくして公明党は、先の参院選の結果を踏まえ、「党存亡の危機」と総括するまでガタガタになってしまいました。
これ、とりもなおさずその母体である学会の「存亡の危機」にほかなりません。
昨年、大型重機が横転したときに
「近く学会が崩壊することを象徴するような現証」
と断じたことが、今その通りになってきました。
世間では、公明党が凋落した原因を学会組織の高齢化や“自民党の「政治とカネ」の問題に巻き込まれた”などと分析していますが、それは表層の原因でしかない。
かかる「存亡の危機」に陥った根本原因こそ、仏法上の因による。
それこそまさしく池田大作一党が犯した三大謗法であります。
くり返しますが
一つに、日蓮大聖人の御遺命に背いていること。
二つに、日蓮大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨てたこと。
三つに、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定したこと。
かかる三大謗法を犯した学会が、いつまでも栄え続けたら仏法は嘘になる。亡びぬ道理は断じてない。
そのような中に、自民党で「石破おろし」が起こり、新総裁に高市早苗が選出されるや、公明党はこれまで「下駄の雪」と揶揄されながらも二十六年間、一緒にやってきた自民党との連立解消に、踏み切らざるを得ない状況に陥ったのでした。
これこそ、対中強硬派の高市が率いる自民党と、親中・媚中の公明党が分裂するという自界叛逆の大罰であります。
池田大作一党が三大秘法の否定を完結させた大謗法の悪書たる「創価学会教学要綱」を発刊してからわずか二年たらずで、学会の政治部たる公明党がこのような窮地に喘ぐ展開になったこと、諸天の働きを実感するばかりであります。
今回の公明党の連立離脱劇の内情を少しく見てみたい。
メディアの中には「政治とカネ」の問題を改めようとしない高市が率いる自民党執行部に対し、公明党が愛想をつかして自民党に三行半をつきつけ連立を解消したとして、公明党の「英断」などと持てはやす向きもありますが、そのような高尚なものではない。
実際のところは、こうしなければ学会員の反発・離脱に歯止めがかからなくなるゆえの「窮余の策」であります。
今般、首相になった高市早苗は対中強硬派・保守強硬派で知られ、安倍晋三元首相の「後継」を自任する人物です。
海外メディアは「日本の右翼政治家を代表する一人」「強硬保守で極右性向」「女性版安倍晋三」などと評している。
公明党とはイデオロギーがまったく異なり、学会とのパイプも一切ない。
さらに今般、自民党の副総裁に返り咲いて院政を敷く麻生太郎は、大の公明嫌いで、過去に安全保障関連三文書の与党協議をめぐり、当時の公明党の代表だった山口那津男や幹事長だった石井啓一などの党幹部を名指しして
「一番動かなかったガン」
とコケにしていた。また
「公明はいっそのこと出て行けばいい」
などとも痛烈に批判していた。
また、高市早苗の応援団であるジャーナリストの櫻井よしこや門田隆将(門脇護)などは、以前から公明党に対して一貫して「保守政策の足かせ」「親中を地で行く公明党」「中国の利益を代弁してきた公明党」などと言い、連立からの排除を積極的に主張していた。
ちなみに門田隆将なる者は「週刊新潮」の記者時代に大草一党と手を組み、「池田大作にレイプされた」という元学会婦人部幹部の手記を同誌に掲載し、キャンペーン的報道をくり返した人物です。
この元学会婦人部幹部とその夫が池田を訴えた裁判は結局「事実的根拠は極めて乏しい」と虚構性が認定され、「訴権を濫用するもの」として夫妻側の訴えが却下された。
このような経緯もあって、門田は一部の学会員から蛇蝎のごとく嫌われている。
要するに、かような反学会・公明党、対中強硬派の高市自民党と連立は組めないということです。
そして今回の公明党の連立離脱は、学会の会長・原田稔が指示したものと言われている。
「プレジデント・オンライン」によれば、高市早苗が自民党総裁に選出された二日後の十月六日の夜、公明党代表の斉藤鉄夫と幹事長の西田実仁は学会本部に赴き、原田と面会した。そこで原田から「連立を離脱すべし」との強硬な方針が打ち出された。
このときに、離脱の際の理屈やその方法は斉藤鉄夫らに一任されたという。
だから、翌日に行われた公明党常任役員会では、連立離脱に反対する異論が噴出する中にも、最後までその方針は変わらなかった。
結局、斉藤が高市に求めた「政治とカネ」などの問題はもっともらしく後づけした理由でしかなく、最初から連立離脱の「結論ありき」だったのでした。
もし「政治とカネ」が原因なら、岸田政権や石破政権の時になぜそれを厳しく追及して、そのときに連立離脱をしなかったのか。
ほかならぬ斉藤鉄夫自身が、これまで複数回、収支不記載に関する問題を指摘されている。これは萩生田光一らの悪質なものと差異はあるものの、政治資金規正法に抵触する点では変わらない。
また公明党は前回までの選挙で、堂々と自民党の裏金議員を推薦していたのだから「どの口が言う」と言いたい。
「存亡の危機」に瀕した学会にしてみれば、仮にこのような高市に協力すれば組織の不満が爆発してさらに弱体化が加速する。
さりとて連立離脱をすれば、公明党の存在意義すらなくなりかねない茨の道が待ち受けている。まさに苦渋の選択だったと言える。
しかし今般、公明党が野党に転落したことで、学会・公明党の衰退が一気に進むことは不可避な情勢になってしまったのであります。
これまで公明党が政権与党にいたことで、学会執行部は学会の政治的影響力を誇示して選挙を信仰と思い込ませ、学会員を選挙活動に駆り立てることができた。
何より、自民党との連立を組んでいたことで、選挙の際、小選挙区では自民党の候補者を「学会票」で支え、その見返りとして「自民党の比例票」で公明党の候補者が恩恵を受けるという相互依存関係が築きあげられてきた。
しかし自公連立が解消したら、どうなるか。
政策に及ぼす公明党の影響力が小さくなることで、その存在意義が薄れ、学会員の間には何のために公明党に投票するのかという疑問が広がり士気が下がる。
また自民党との選挙協力がなくなれば、公明党が比例票を安定確保していた構造が崩壊する。
まして今後、高市が連立離脱した公明党への報復で「公明候補に対立候補を立てる」としたら、公明党は大打撃を受けることになる。
今回、自民党と日本維新の会は「政治とカネ」の問題を隠すために、国会議員の定数削減を連立政権合意書に謳い、臨時国会で成立をめざすとした。
もしこれが実現したら、中小政党にとっては党の存亡に直結するので、これを受けた公明党関係者は「完全にうち(公明党)への宣戦布告だ。全面戦争になる」と猛反発した。
あるマスコミが試算したところ、比例代表の定数を50減らした場合、自民との選挙協力解消の影響も加味すると、公明党は現有議席の六割を失うという。
こうなれば公明党にとっては死活問題となる。
これ連立離脱をした公明党への、高市の意趣返しと見る向きも少なくない。
いずれにしても、高市が自民党総裁になったことで、学会・公明党はたちまち窮地に追い込まれ、今後、学会の崩壊がますます加速することは必定であります。
大聖人様は
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」
と仰せ給う。
偽戒壇・正本堂が先生の諫暁により轟音とともに崩壊したごとく、三大謗法を犯した学会も近く必ず崩壊することは疑いない。
以上、池田大作が悪師たることを示す三大現証を改めて挙げましたが
これ大聖人様が五百万学会員をお救い下さるべく現わし給う現証、まさに「常住此説法」であれば、学会員は速やかに悪師・池田大作を捨てて、正しき師匠に師事しなければいけない。
さもなければ入阿鼻獄は必定であります。
いま世界に目を転ずれば、アメリカではトランプ大統領が独裁者のごとく憲法と法律を無視した大統領令を乱発して、やりたい放題の政治を行なっております。
先日もアメリカ国内二千七百箇所で行われた反トランプのデモに七百万人が参加する等、アメリカは社会の分断が深刻化し、いつ内戦状態になっても不思議ではない。
トランプの暴政の影響は同盟国にも及び、自由主義陣営の結束が揺らぎ、国際秩序は音を立てて崩れ出しております。
一方、ロシア・北朝鮮と連携する中国は、台湾の武力統一に向けた準備を加速させています。
軍事演習は常態化し、東シナ海では挑発行動が日々エスカレートしています。
こうした激動・緊迫の情勢の中で、対中強硬派・保守強硬派の高市新政権が誕生しました。
高市自民党執行部の顔ぶれを見るに、日本最大の極右団体「日本会議」の国会議員懇談会の会長・副会長等の幹部でほぼ固められ、また官邸人事をみても安倍政治へ回帰した感がある。
そして高市政権の経済政策は、アベノミクスの路線を引き継ぎ「責任ある積極財政」をめざすという。
しかし「責任ある」と言いつつも、実際にはさらなる財政出動と国債増発を意味しています。
そもそもアベノミクスによる異次元金融緩和で、日銀が大量の国債を保有した結果、金利上昇によって日銀の財務悪化リスクが指摘され、政府債務も千三百兆円を超え、日本は借金大国になっています。
その中での積極財政の継続は、ひとたび市場の信認を失えば、金利の急騰(国債の暴落)や円の暴落を招く可能性があり、国家破産やハイパーインフレを早める恐れがある。
何よりも防衛費の増額・軍備拡大に前のめりの高市政権が中国との緊張を高めることは必至で、台湾有事の際、その対中強硬姿勢が否応なく日本を戦争当事国になさしめる危険をはらんでいます。
そのとき日本は、中国の核ミサイルの標的になり血祭りにあげられる。
20年代後半にいたり、亡国のテンポは加速度をつけて速まっている。
すべては
「仏法より事起こる」
の災厄であれば、いかに日本が防衛力を高めても亡国を避けることはできない。
この亡国日本を救う道はただ一つ。国立戒壇建立以外にはない。
そこに顕正会は急ぎ三百万をなし、第三度の一国諫暁に立たなければならない。
これこそ、御遺命実現に命尽くまで戦われた先生のご遺志であります。
今週の月曜日の時点における全顕正会の弘通は、三万の誓願を突破する三万八百十一名の前進が叶っておりますが、何としても迎える十一月で、四万を大きく突破して、二七〇万を超す大前進をなしていきたい。
さあ、本年の最終法戦も残すところひと月であります。
三回忌で堅めた誓いを胸に全組織が大成長の証を顕わし、霊山にまします浅井先生にお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)