本日の総幹部会も広宣流布の大情熱がみなぎり、大感動を抑えがたきものであります。
顕正会「第二の原点」という大事な節を刻んだ本年の最終法戦、さきほど発表のごとく、誓願の三万を大きく突破する、実に四万四千一〇二名の大法弘通が成し遂げられました。
この大折伏により、年初に掲げた所期の弘通目標二七〇万をみごとに突破することが叶い、感激でいっぱいであります。まことにご苦労さまでした。
本年の大前進により、一昨年の七月に浅井先生が
「あと5年以内に成すべし」
と密かにご決意された二〇二八年、令和十年までの三百万達成は、いよいよ「大地を的」とするところになりました。
けさ私は、先生の御霊前において、全顕正会員の涙の出るような熱誠を謹んでご報告申し上げました。
先生は霊山において我ら弟子一同の御奉公を莞爾と笑みを湛え、お頷き下さっておられるに違いありません。
何より、十月十六日に奉修させて頂いた浅井先生の三回忌法要を以て、先生のご願業成就へ向けた全幹部の決意と情熱がさま変わりしたことを、先生へのご報恩のため、この上なく有難く思った次第であります。
かくしていま顕正会は、先生のご遺志のままに、広宣流布の一大生命体として、御遺命成就へ向けていちだんと力強く前進しております。
その源こそ、大聖人様の大悲願力であり、先生の大聖人様に対し奉る大忠誠心・広宣流布への大道心によるものであります。
大聖人様は、原動力が強ければその影響力が大きい譬えについて、報恩抄にこのように仰せ給うておられる。
「例せば風に随って波の大小あり、薪によって火の高下あり、池に随って蓮の大小あり、雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源遠ければ流れながしというこれなり。周の代の七百年は文王の礼孝による、秦の世ほどもなし始皇の左道なり」と。
例えば風の強さによって波の大小がある。薪の量によって炎の高下が決まる。池の大小によって、そこに咲く蓮の大小がある。雨の大小というのは竜による。すなわち低気圧が大きいか小さいかによって雨の大小も決まる。木の根が深く張っていれば枝葉は豊かに繁る。川の源流が遠く奥深ければ、その流れは尽きることなく長く続くと。
また古代中国の「周」の代は、周を作った文王が非常に礼儀に篤く、孝養心の強い人であったため、その礼孝によって社会の秩序が保たれ、七百年も続いた。
一方、始皇帝が築いた「秦」の代は、中国全土を初めて統一し一時は繁栄したものの、始皇帝の暴政により民衆が苦しみ、始皇帝の死後わずか三年あまりで亡んでしまった――。
そのうえで、かく仰せ給う。
「日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」
日蓮大聖人の慈悲昿大によって、この南無妙法蓮華経の唱えは万年のほか未来までも流れる――と。
すべては大聖人様の大慈悲の昿大さ、その強さ、絶大威徳によるのであると仰せになっておられる。
この仰せを拝するたびに、大聖人様の大慈大悲にただひれ伏すとともに、広布前夜、第六天の魔王に誑かされた正系門家において、命かけて戦われた先生のご存在こそ、まさしく大聖人様の大悲願力によるもの、順縁広布をあそばす大聖人様の御化導そのものと、確信せずにはいられません。
そして、先生が御逝去されたのちも、かかる先生の強き大忠誠心・広布の大道心によって、顕正会は七百年続いた周の代のごとく、ますます力強さを増しているのであります。
片や、師敵対の学会は公明党という政治権力を有し、かつては八百万を誇るとも、池田大作の死亡からわずか二年で瞬く間に「存亡の危機」に瀕している。この姿は始皇帝の没後わずか三年で亡んだ秦の代を彷彿とします。
されば先生が命を焦がして熱願された御遺命成就の戦いの御跡を慕って、そのお手伝いをさせて頂ける私たちの宿縁を噛みしめ、大事の御奉公を貫いてまいろうではありませんか。
ここに迎える十二月は、教学試験と広布御供養の二大綱目を強力に推進する中に、全組織が明年の「広布の決戦場第七年」を睨み、広布の人材を育成して鉄壁の組織を構築していきたい。
まず、教学試験について少しく触れておきます。
教学はなにも物知りになったり、智識を得るために学ぶのではありません。
自身の一生成仏のため、そして広宣流布のために学ぶのであります。
私は先生が著わされた「基礎教学書」を学べることを決して当り前と思ってはいけないと、つねづね思っております。
御書はまことに甚深で、泳ぎ方を知らない者が太平洋に放り出されたら溺れてしまうように、たとえ凡夫が御書を読んでも、日寛上人の智目を通さなければその元意は絶対にわからない。
そこに先生は
「御書を心肝に染め、極理を師伝せよ」
との日興上人の仰せのまま、お若きころから日寛上人の御指南を通して御書の極理を師伝され、あるときはかつての機関誌に仏法の解説書をいくどか認められ、また平成元年には「折伏理論解説書」を発刊され、そしてそれを土台として大幅に筆を加えられ、平成二十七年に基礎教学書を著わして下さったのであります。
激務の合間に暇をみつけては執筆され、実に二年もの歳月を費やして基礎教学書を上梓された先生のお姿、その一文字一文字に込められた大忠誠心を拝察すれば、熱涙が込み上げてまいります。
私は先生が基礎教学書を著わされたのち、事あるたびに大事を留め置くことが叶ったことを「よかったなあ」と安堵されたご様子でお悦びになっておられたそのご表情を忘れることができません。
基礎教学書の発刊にあたり先生は、かく仰せ下さいました。
「私は、何としても全日本人に
日蓮大聖人の大恩徳と、三大秘法の尊さ・有難さをわからせたい――ただこの一念で、心血を注いで書き上げた。
まさに広宣流布のための『基礎教学書』である。
まず全顕正会員が熟読し、心肝に染めてほしいと念願している」と。
謹んで案ずるに、日蓮大聖人の御書を拝読する鍵を、その相伝の極理を不世出の大学匠・日寛上人が六巻抄等に著わされ、そして広布前夜にいたり、浅井先生が広宣流布のために基礎教学書を著わして下さったのであります。
そして、日寛上人が所説の正しさを御自身の臨終を以て証明されたごとく、浅井先生もまたご自身の臨終の証拠を以て、基礎教学書に記された内容は大聖人様の御心に寸分違わぬものであることを証明して下さったのであります。
されば全顕正会員は、基礎教学書こそ、先生が広宣流布のために留め置かれた畢生の重書と心し、深く学んでいかねばなりません。
そして四級試験を受験する幹部においては、先生が平成二年に著わされた「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の一書も併せて学んでほしいと思っております。
先の三回忌法要でもふれましたが、この平成二年の諫暁書こそ、先生が学会・宗門の御遺命違背にトドメを刺されると同時に、国立戒壇への大展望を開かれた歴史的重書であります。
そして偽戒壇・正本堂の崩壊という大現証をもたらした「徴有る文」というべきものであります。
「浅井昭衞先生三回忌法要」特集号に掲載させて頂いた、阿部日顕の悪書の余白に書き込まれた先生の破折のメモと
「為所破持此也(所破の為に此れを持すなり)浅井昭衞」
との雄渾なお文字を拝見すれば、いかに先生が一念に億劫の辛労を尽くして御遺命破壊の大誑惑を徹底粉砕されたのか、その凄まじいまでのご気魄が強烈に命に迫ってまいります。
先生は常々かく仰せになっておられました。
「こと御遺命に関することは、いかなるたばかりをも粉砕する力を持たなければいけない」と。
平成二年の諫暁書を学ぶに当っては、かかる先生のお心を胸に懐いて学び、御遺命たる国立戒壇の本義、その大事を深く命に刻み、いかなる国立戒壇に対する邪難をも破折する「巧於難問答の行者」としての実力を備えてまいらねばなりません。
そのような思いでしっかりと心腑に染めてほしいと思います。
次に広布御供養について。
顕正会の目的は何かと言えば、広宣流布・国立戒壇建立のみであります。
ゆえに先生は、その使命を終えたときのことをかく仰せであります。
「顕正会は、俗にいう『宗教団体』ではない。宗教屋がメシを食うための、坊主がメシを食うための団体ではない。日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立に戦うことを唯一の目的とする仏弟子の集団である。よって、この使命を終えたならば、解散するのが当然ではないかと、私は前々から思っている。
顕正会がなにも永遠である必要はない。永遠なのは、戒壇の大御本尊様と、富士大石寺だけなのである。私たちは仏弟子として、与えられた使命を果たせば、それでよい」と。
そしてその使命を果たし終えて顕正会が解散する暁には、当然、宗門には国立戒壇を堅持する正しき貫首上人がまします。
だから先生は、そのとき顕正会の残余財産はすべて「総本山富士大石寺に供養するものとする」と予め法人規則にお決めになっておられます。
このように清らかで崇高な団体は、顕正会以外には断じてありません。
しかし正系門家のことごとくが師敵対に陥り、未だ広宣流布せざる現在、これを進める団体は顕正会以外にないのであれば、身命を捨てて御遺命成就に戦わねばなりません。
その広宣流布を力強く進めるには、広布御供養がなくてはそれは叶わない。
そこで無理のないよう上限を定め、広布推進に必要な金子をみなで大聖人様に供養し奉り、それを大切に使わせて頂く。これが顕正会の広布御供養の大精神であります。
御遺命に背き奉った宗門の禿人らが、己れの生活・贅沢のために信徒から供養を貪るのとは天地のごとく精神が違う。
浅井先生ご自身、顕正会の会長として毎年率先して多額の御供養をなさっておられた。
そして一切の無駄遣いをせず、広宣流布のためだけにそれを大切にお使いになっておられました。
以前にもお話ししましたが、御入仏式などで地方に赴かれても、先生はご用意した弁当の費用すら、一度たりとも顕正会のおカネを使われたことがない。
どこまでも厳格に公私を立て分けられる清廉潔白なお姿を、私は間近で拝見してまいりました。
そして唯一御遺命成就に戦う顕正会が、広宣流布のためだけに使わせて頂く浄財ゆえに、広布御供養には大功徳がある。必ず我が身に還ってくるのであります。
大聖人様は佐渡御流罪のおり、真心の供養を続けまいらせた四条金吾殿に対し、こう仰せられている。
「何よりも重宝たる銭、山海を尋ぬるとも日蓮が身には時に当たりて大切に候」と。
大聖人の御命を継ぎまいらせる金子であるから「何よりも重宝たる銭」と仰せになっておられる。
顕正会の広布御供養も、同じく大聖人様の御心に通じるものであります。
どうか全員が誇りと確信を以て、「灯火に油を添える」の心で、喜んでこの広布御供養に参加しようではありませんか。
ついで、典礼院別館の建設の予定について発表いたします。
顕正会の納骨堂として平成十五年に開設された典礼院は会員の増加に伴い、すでに収容能力の限界に近づいておりました。
どうしたものかと思料していたところ、たまたま道路を挟んだ典礼院の真向かいのよき土地が購入できたので、そこに三階建てで耐震・耐火、常温・常湿という完璧な設備を整えた典礼院別館を建設することにいたしました。
現在の典礼院が建設された際、先生は万全の機能を備えた所以について
「顕正会においては、亡くなった同志の遺骨を守るにおいてすら、“完璧でなければいけない、万一粗末があったら故人に申しわけない”そういう気持ちから、このような耐震・耐火、常温・常湿にしたのである」
と仰せ下さいました。
広宣流布に戦った同志に対する先生のお心づかいには涙がこぼれてまいります。
私もそのお心のまま、御遺命成就に身を捨てて戦った同志の遺骨を責任をもって守らせて頂きます。
そして後顧の憂いなく御遺命成就に戦っていきたい。
典礼院別館は再来年には完成する予定であります。
さて、話は変わります。
高市政権が発足してひと月余りが経ちましたが、安倍晋三を師と仰ぐ高市早苗が率いる新政権がなさんとする政策等を見るに、経済政策といい、対中強硬姿勢といい、安倍晋三の亡霊に取り憑かれた「亡国政権」と思わずにはいられません。
本日は、それについて少しく触れておきます。
まず高市首相は就任早々、アメリカのトランプ大統領との首脳会談に臨んだ。
その際の高市首相の振舞いは、まことに見苦しいものでした。
日米首脳会談の冒頭、トランプは
「日本が防衛費を増やしてアメリカから戦闘機やミサイルなどの装備品を購入すると聞いている」と述べていましたが、高市は防衛費をGDP比の2%に増額するのを二年前倒しで取り組むと約束し、さらに日本への関税引き下げと引き換えに行うアメリカへの80兆円の投資等、経済・安全保障・貿易の分野で複数の合意を交わした。
その際、高市首相がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦すると述べたことには驚きました。
トランプ大統領の所行を見れば、国際秩序を破壊し、国内外で対立や憎悪を煽り、不当な関税や軍事力を以て圧力外交を展開するなど、ノーベル平和賞とはほど遠い。
しかるに高市首相は、第一次トランプ政権のときにトランプをノーベル平和賞に推薦した安倍晋三にならい、トランプにおべっかを使って媚びへつらった。
そして目を疑ったのは、首脳会談を終えてトランプを見送る際、高市首相がトランプと腕を組んで寄り添って歩いている映像でした。
どうみても銀座のママの「お見送り」にしか見えない(爆笑)。
その後、トランプ大統領と高市首相は「マリーンワン」という大統領専用の米軍ヘリに同乗し、六本木の在日米軍基地から飛び立ち、横須賀基地に停泊中の米海軍の原子力空母「ジョージ・ワシントン」に着艦した。
艦内に居並ぶ数千人の米軍兵士を前に二人は演説をしたが、その際、トランプに紹介された高市首相は、トランプの隣で嬉しくてたまらないような満面の笑顔で、右手を振り上げ小躍りしてぴょんぴょん飛び跳ねていた。
そのハシャギっぷりには開いた口が塞がりませんでした。
これを見た評論家などからは「国辱」「トランプのペット」「正視に堪えない卑屈な媚態」などとこき下ろされている。まさにその通りです。
日本の歴代首相でこのような振舞いをした人物はいない。一国の宰相としての威厳もなにもあったものではない。
かつて先生は、見識も風格も兼ね備えた戦後の総理大臣・吉田茂、池田勇人、佐藤栄作などに比べて最近の総理大臣の軽さを嘆いておられましたが、高市首相のこの軽率極まる姿を先生がごらんになったら、さぞや嘆き呆れ憤られるに違いないと思わずにはいられませんでした。
そして高市首相は、積極財政と異次元金融緩和を推進した悪政「アベノミクス」の路線を引き継ぐ「サナエノミクス」と称する経済政策を強力に推し進め、強い経済を実現するのだという。
自民党所属の七十名ほどの国会議員で構成される「責任ある積極財政を推進する議員連盟」には、講師として黒田東彦元日銀総裁や本田悦朗元内閣官房参与ら、アベノミクスを推し進めた中心人物が名を連ねている。
さらに、首相が議長を務める「経済財政諮問会議」や「日本成長戦略会議」など政府の経済関連会議のメンバーも、「成長投資のために国債発行は躊躇すべきではない」と主張するような積極財政派の経済学者やエコノミストばかりが配置されている。
その顔ぶれを見ただけで、高市政権のめざす方向性が明らかであります。
政権に忖度したメディアの多くは沈黙していますが、いま国民生活を苦しめている深刻な物価高の元凶こそ、安倍晋三と黒田東彦、いわゆる「アベクロ体制」が進めたアベノミクスに他ならない。
その失政を総括することもなく、「サナエノミクス」で同じ誤りを再び進めれば、その行き着く先は、さらなる円安とインフレがもたらされ、国民生活は物価高でいちだんと苦しくなる。
ひいては、国家破産もしくはハイパーインフレに陥るリスクが高まるのであります。
簡略に説明します。
第二次安倍政権が行なった経済政策「アベノミクス」は、「二年でデフレを脱却させる」というものでした。
しかし実際には効果が出ず、ズルズルと十年以上も続けられました。
アベノミクスの「異次元金融緩和」とは、日銀が国債を事実上無制限に買いあげて金利をゼロに押しつぶし、円を安くして景気を刺激しようというものでした。
しかし、これは事実上の「財政ファイナンス」という禁じ手であり、長く続けたら取りかえしのつかない副作用に見舞われる政策でした。
ところが安倍と黒田はこれに依存して十年以上も続けた結果、国の負債は一千三〇〇兆円を超え、GDP比では250%となり、日本は世界で最悪の借金大国となりました。(グラフ①)
「借金が増えても金利が上がらないから大丈夫」という“麻酔”によって、日本の財政規律は歯止めを失ってしまったのです。
そして日銀は国債発行残高の半分を抱えるという異常な体質になった。(グラフ②)
この状況で日銀が政策金利を上げ続けていけば債務超過に陥るので、日銀は金利を上げたくても上げられない状況になってしまったのです。
かくてアベノミクスをはじめた二〇一二年の末頃は、一ドル80円台前半だった円は、今や150円台半ば。十数年で円の価値は約半分になりました。
わかりやすく言えば、十年前は千円で買えた海外のものが、今は二千円を支払わないと買えない国になったということです。
その結果、輸入インフレで食料品・電気代・ガソリン・日用品が値上がりして、国民生活を直撃しているのです。
円安の恩恵を受けたのは一部の輸出企業だけで、痛みを負担しているのは国民全体です。
これこそがアベノミクスのツケであります。
しかも、これで問題は終わりではなく、深刻なのはこれからであります。
アベノミクスの異次元金融緩和とは、世界が低金利のままであることを前提にした政策でした。
もし金利が上昇(国債価格は下落)する局面になると、国がこしらえた一千三〇〇兆円もの大借金の利払いが雪だるま式に膨れあがり、ついには国家財政の破綻をもたらし得る。
また日銀も事実上の債務超過となり、もし市場の信認を失えば円が暴落する。
いずれ国家破産もしくはハイパーインフレに至りかねないのであります。
現在、こうした薄氷を踏むような状況にあるにもかかわらず、高市政権は「成長投資のため」という名目で、赤字国債を躊躇なく発行しようとしているのです。
つまり、借金依存の体質をさらに強化するということです。
先日、高市首相が打ち出した総合経済対策は、補正予算による一般会計で約17・7兆円、総額では約21・3兆円と、コロナ禍後で最大規模となった。
高市首相は石破政権時の13・9兆円を何としても超えないと「積極財政への期待がしぼんでしまう」と、「子ども手当」だ「おこめ券」だと何でもかんでも詰め込み、とにかく規模を無理矢理に膨らませた。
結局は「人気取り」のために大借金をして、その場しのぎのバラマキをしようとしているのであります。
こんな無責任なことはない。
そして象徴的なのは、高市首相が
「基礎的財政収支(プライマリーバランス)を単年度で見るのはやめるべきだ」と公言したことです。
「プライマリーバランス」とは簡単にいうと、税収等でその年の支出(利払いなどの国債費を除く)を賄えるかどうかを示す指標で、税収等で支出をカバーできれば黒字、足りずに赤字国債を発行して補う状態が赤字です。日本はずっと赤字が続いている。
要するに、単年度でプライマリーバランスの黒字化をめざすと、思い通りに赤字国債の発行(借金)ができなくなるから、この縛りを緩くするということです。
家計にたとえると、「今年は赤字でも、おカネが足らなければ借金を増やせばいい」と言っているのと同じです。
これは市場から見れば、「日本政府は財政再建の意志がない」と受け取られてもおかしくない。
この認識が広がれば、いずれ国債が「格下げ」される可能性もある。
そうしたら国債価格は下落し、金利は跳ね上がる。
すると政府の国債の利払い費が増え、国家財政を圧迫する。
そして国債を多く保有している金融機関や生命保険会社の経営を直撃し、日本経済全体が危機に陥る。
実際、すでに市場には財政悪化懸念の兆候が出ております。
高市首相が自民党総裁に選ばれてから、ドル円の為替レートは約10円も円安になり、10年物の国債も投げ売られ、金利は一時十七年半ぶりに1・8%を超え、また30年・40年の超長期の国債も過去最高の金利になりました。(グラフ③)
これは市場の「警告」です。
株価はどれだけ下がっても国家の存立を揺るがすものではない。
しかし今の日本においては、国債価格の下落、すなわち金利の上昇こそが、国家財政を破綻へと導く最大のリスクなのであります。
ドイツ銀行のグローバル為替調査部門責任者・ジョージ・サラベロス氏は、こう警告している。
「高市首相の歳出計画によって、日本国債と円は急落し、二〇二二年に英国債市場を崩壊寸前まで追い込んだトラスショックを彷彿とさせる、無秩序な資本逃避の懸念を高めている」と。
さらに日本総合研究所の河村小百合氏は高市政権の積極財政政策について、先日このように断じていた。
「わが国にとってあり得る最悪の展開は、高市政権が安易に赤字国債を大増発して円売りを招き、日銀が急ピッチの利上げを余儀なくされ、日銀の財務も急激に悪化する事態であろう。
政府全体として十分に検討することもないままそうした事態を招けば、円安のみならず、債券安と株安が同時に起こるトリプル安のような展開も起こりかねない。……
わが国がこれまで長年にわたり続けてきた“アベノミクス”“事実上の財政ファイナンス”の負の側面が、一気に表面化する事態でもある。まさに“日本版トラス・ショック”だ。
わが国の場合、おおもとの財政事情は英国よりはるかに悪いほか、日銀のバランス・シートの状況や正常化に向けての取り組みの進展も、イングランド銀行のそれよりはるかに劣っている。
英国がかろうじて危機を乗り切ったのとは大きく異なる展開になるだろう」と。
この河村氏は財政・金融政策の専門家で、日本の財政に関する分析は信頼を集めている。
かつて先生は、この河村氏のことをたいへん重んじておられました。
この中にでてくる「トラスショック」とは、二〇二二年九月に英国のトラス首相が発表した、財源の裏づけのない“無謀な大規模減税”によって金融市場が大混乱し、英国の国債とポンドと株式が急落し、英国経済に危機が生じた騒動のことです。
これによりトラス首相は、就任からわずかひと月半で辞任に追い込まれた。
もし日本で同じようなショックが起きたら、トラスショックの比ではない激震に襲われることは疑いない。
このまま高市政権が積極財政を続ければ、日本は、先生がかねてから叫び続けてこられた国家破産もしくはハイパーインフレという、取り返しのつかない事態になる危険性がある。
これこそ現代における「大飢渇」であります。
そして、高市首相の対中強硬姿勢が中国による「他国侵逼」を早め、日本を亡国に誘っている。これこそ何よりの悪政であります。
去る十一月七日の衆議院予算委員会における高市首相の不用意きわまる国会答弁によって、日中関係はかつてないレベルの危険水域に入ったといっても過言ではありません。
この日、立憲民主党・岡田克也元外相の台湾有事をめぐる質問に対し、高市首相はこう答弁した。
「戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得る」と。
「存立危機事態」とは、日本と密接な関係にある他国(アメリカ)への武力攻撃の結果、日本の存立が脅かされ、国民の生命等に明白な危険が迫る事態のことをいう。
政府がこの「存立危機事態」と認定したときに、日本は集団的自衛権を行使できる。
この「集団的自衛権」とは、日本が直接攻撃されていなくても、同盟国であるアメリカが攻撃されたとき、日本が共同で反撃できる権利のことです。
要するに、台湾有事の際に来援したアメリカが中国に攻撃されたら、日本も参戦する可能性があることを述べたのでした。
これまでの歴代首相は、この「存立危機事態」については慎重な答弁をくり返し、「個別具体的な状況に即し、すべての情報を総合して判断する」というお決まりのセリフを述べるにとどめ、具体的な明言を避けてきました。
なぜなら、あえて「あいまい」にすることが、外交・安全保障・国内政治・経済等の観点から国益に適うものだからであります。
たとえば、台湾問題を「核心的利益」と位置づける中国の国名を出して「台湾有事が存立危機事態になり得る」などといえば、中国を刺激して外交関係が即時に悪化します。
また台湾を防衛するか否かをあえてハッキリと言わない「あいまい戦略」を取り、中国を牽制しているアメリカの戦略ともズレが生じる。
さらには国内世論の反発を招き、対中貿易に大きく依存する日本の経済にも甚大な影響を与える。
何より、日本の戦略の手の内を明かすことになり、中国に対する抑止効果がなくなるためです。
にもかかわらず、今般、高市首相は、これまでの歴代内閣が取ってきた姿勢から踏み込み、台湾有事は日本の「存立危機事態」になり得ると、日本の首相として初めて明言してしまったのでした。
あの安倍元首相でさえ、首相退任後には「台湾有事は日本有事」と語ったものの、在任中は決してそのことには触れなかった。それが日本を戦争当事国へと一気に押し上げ得る危険なラインであることを弁えていたからです。
ところが高市首相は自分の言葉にこだわり、官僚が事前に準備した答弁書のとおりに答えず、政府内での事前調整も行わず、中国にいかなる刺激を与えるのか、またそれによって蒙る日本への影響も深く考えず、国家安全保障の最重要ラインを踏み越える軽々しい答弁をしてしまったのであります。
くだんの高市発言に対する中国の反応は、戦後に例を見ない激しさでした。
まず薛剣・駐大阪総領事はSNSに
「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか」
という異常な暴言を投稿。
これは単なる一外交官の激しい投稿ではない。習近平政権の意志とみるべきです。
なぜならその後、在日本中国大使館、中国外務省・国防省、人民日報、中国人民解放軍報等も一斉に
「日本が台湾に介入すれば日本全土が戦場となる」「必ず頭を割られ血だらけになる」などと同じように激しい論調で発信しているゆえであります。
さらに中国政府は、中国人に日本への渡航の自粛や留学の再検討を呼びかけ、日本の水産物の事実上の輸入停止も発表。
また今後、日本の商品の不買運動やレアアースの輸出制限をしてくる可能性もある。もしそうなれば、日本の主要産業は大きな打撃を受ける。
本来「存立危機事態」の認定は極めて重い判断であるゆえ、予算委員会などで高市首相が「どう考えても存立危機事態になり得る」などと不用意に発言するべきものではない。
この高市首相の失言によって、中国は「先に日本が台湾情勢に武力介入する意志を示した」と当然に解釈する。
高市首相は中国に対し、日本を攻撃する格好の口実を与えてしまったのであります。
高市首相は、一国会議員だったときの発言と、首相の発言の重みの違いすらわからないらしい。
朝日新聞によれば、高市首相はこの予算委員会での発言ののち「つい言い過ぎた」と周囲に漏らしたという。
高市首相の側近は「ハレーションがどうなるか、確認が甘いままに答えてしまった」と語り、サポート不足を悔やんだという。
自らの右翼的な政治理念と保守派の支持層へのアピールで頭がいっぱいなのか知らないが、国益を損ね、日本を亡国に導くこの短慮は致命的であり、その見識と資質を疑うものです。
このような高市首相の姿を見ていると、蒙古使御書の仰せが脳裏をよぎります。
「一切の大事の中に、国の亡ぶるが第一の大事にて候なり。乃至、一切の悪の中に、国王と成りて政悪しくして、我が国を他国に破らるるが第一の悪しきにて候」と。
国が亡ぶことが最も大事なのである。ゆえに一切の悪の中で、政権を掌握する者が、自らの悪政によって他国の侵略を招くことこそ、最大の悪である――と、為政者の責任の重さを仰せられている。
高市首相はまさに亡国の政治家というべきであります。
かつて先生はかく仰せ下さった。
「保守系の政治家たちは強がりばかり言っている。私はそれを見るたびに『みっともないな、戦争のことも知らないで、ただ強がりばかりで』と思っている。どれもこれも凡夫の浅知恵である。中国の責めの本当の恐ろしさを誰も知らない」と。
高市首相ならびにその応援団やネトウヨらの強がる姿を見ると、かかる先生の仰せがいま千鈞の重みで胸に迫ってまいります。
そして日本への敵意を剥き出しにする一連の中国の反応の底意に、日本侵略への意志を強く感じてなりません。
どういうことかと言えば、中国人民解放軍の機関紙「人民日報」で、今回の高市の発言について、こう言っている。
「決して(高市)単独の政治的妄言ではない」と。
そして
「その背景には……『軍事大国』の地位を追求しようとする日本の右翼勢力の偏執と傲慢さがある」と指摘している。
さらに高市首相が率いる右翼勢力によって日本の軍国主義が復活すると見て、“そのような日本が台湾海峡情勢に武力介入すれば、それは侵略であり、中国は必ず正面から痛撃を加える。火遊びをする者は必ず自らを焼き滅ぼす”と露骨なまでに軍事的脅迫をしているのであります。
また中国の王毅外相は今月二十二日、訪問先のタジキスタンで
「日本の右翼勢力が歴史を逆行させ、軍国主義を復活させることを決して許さない」と批判した。
中国の外相が公の場で、「日本」を名指しして強く批判するのは極めて異例であり、中国が今後、日本を敵国と扱う準備を進めている兆候と言える。
高市首相がトランプに媚びへつらって武器を爆買いし、非核三原則を見直し、米軍の下請けとして日本の自衛隊をそれと一体化させるほどに、中国はますます日本を敵視してくるに違いない。
たとえ今回の日中関係の悪化が、今後、表面的に落ち着いたとしても、中国の意志は変わらない。
自然と中国が日本に対し、侵略の意志を懐くことこそ、まさに「諸天の働き」なのであります。
このように「責任なき放漫財政」を推し進め、対中強硬派・保守強硬派の高市政権が誕生したことで、日本の国家破産・ハイパーインフレが早まり、また中国による他国侵逼が俄に現実味を帯びてきたことも、すべては「仏法より事起こる」の大罰であります。
七百年前の日本は、日蓮大聖人を流罪・死罪に処し奉った。それより七百年を経ても未だに日本一同は日蓮大聖人に背き続けている。
何より一国を諫めるべき正系門家は国立戒壇の御遺命を抛ち、ことに学会は「極限の大謗法」を犯したのみならず、「未曽有の邪教化」に陥るという「三大謗法」を犯し奉っている。
どうして諸天、怒りをなさぬ道理がありましょうか。
この中国による他国侵逼は「諸天の責め」であるならば、日本がいかにアメリカに取り入り、言われるがままに軍備拡張に舵を切り、国の総力をあげて重武装して国防の最善を尽くすとも、日蓮大聖人の仏法を立てない以上、すなわち国立戒壇を建立して諸天の守護を得ない限り、日本は必ず侵略を受けるのであります。
ゆえに撰時抄には
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし」と。
そこに今こそ
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の重大聖語を全日本人に知らしめ、日蓮大聖人こそ日本の柱であられることを教えなければいけない。
この目まぐるしいまでの客観情勢の変化、この諸天の治罰のテンポの速さを見るほどに、「広布の決戦場第七年」の明年がどれほどの激動となるか想像すらつかない。
それだけに、急ぎ三百万をなし、第三度の一国諫暁に立たせて頂かんとの決意が肚の底から衝き上げてまいります。
されば、本年の総仕上げにして明年の序走の月たる十二月、一切の油断を排して二大綱目を強力に推進し、大事の明年の戦いを見つめた油断なき前進をなしてまいろうではありませんか。以上。(大拍手)