きょうの総幹部会も、一人ひとりの登壇 まことに素晴らしい。大感動いたしました。
いま顕正会にみなぎる、この清純な信心と広宣流布の大情熱を見るとき、もう顕正会以外に広宣流布の御奉公をする団体はないと、ひしひしと感ずるものであります。
さて、二〇年代に入るや否や、突如として新型コロナが発生して世界中に感染拡大し、今や世界大恐慌が起こらんとしている。こんなこと、いったい誰が想像できたでしょうか。
一方、安倍政権は、ここに来てさまざまな悪事が次々と露見し、いよいよこれも末期症状になってきましたね。
いま黒川某の賭けマージャンなどは小さなことです。このような輩を任命して、政権の悪行を隠蔽させようとしたのは誰ですか。
国家に対し、最大の悪行をなし、国家を害しているのは、まさに総理大臣・安倍晋三ではないか。
先月の総幹部会でも申しましたが――
1月に中国の春節で訪日客92万人の入国を許したのは、安倍首相の習近平へのへつらいからであった。これが日本における感染拡大の始めだった。
また福島原発事故でも、共産党の吉井英勝衆院議員の「質問主意書」を全く無視した結果、指摘されたごとく「バックアップ電源の喪失」により、世界を震撼させるような重大事故を招いた。
また日本を世界一の1267兆円の大借金国家にしてしまったこと。まもなくハイパー(超)インフレが起こり、国民はこのハイパーインフレと重税で塗炭の苦に陥るのです。
さらに森友問題では国有財産をタダ同然で払い下げてしまった。
その動機は、幼稚園児に教育勅語を暗唱させていることを知った安倍首相が、「そのような愛国小学校を設立するなら」と、財務省を通して便宜を図ってやった。そのことを国会で野党から追及されるや
「私や妻がもし関与していたらば、総理大臣はもちろん、国会議員も辞める」
と開き直り、その裏で密かに財務省に公文書の改ざんをさせていたのです。
この改ざんを強要されて、最先端で実行に当った近畿財務局の上席国有財産管理官・赤木俊夫さんは、自責の念にかられて痛ましくも自殺してしまった。しかし上層幹部38人は全員不起訴になって、今、のうのうとしている。
このような安倍政権の悪事を隠すのに「余人をもってかえがたし」として用いられたのが黒川であった。
だが賭けマージャンで安倍の目論見ははずれた。安倍政権もいよいよ末期症状になってきたのであります。
このような濁悪そして騒然たる中に、広宣流布がしんしんと進んでいること、私はただ有難いと思っております。
顕正新聞の「コロナ大恐慌」特集号は、発刊されてあっというまに無くなり、三十万部も増刷したとのことです。
また、全日本人の目を開かせ日蓮大聖人の大恩徳を教える「広告文」は、5月19日現在で、ついに四千九百万部に達したとの報告を受けました。
この広告文を配布されても、まだ無関心な人々も多い。あるいは反発する人々も多いでしょう。
しかし、眼前の日本の急速なる傾きを見るとき、人々は心の奥で「これはいったいどうしたことか」「日本はこれからどうなるのか」と、誰もその原因をわかる者はない。ゆえにみな心の奥で、お救い下さる仏様を必ず求めるようになる。
それが
「衆生に此の機有って仏を感ず」(御義口伝)
ということなのであります。
そしていよいよ大聖人様が諸天に申し付けて、人々が信ぜざるを得ぬ客観情勢を作らしめ給うとき、人々はお救い下さる仏様を求めて、「自分も入信したい」との大きな流れが起きてくる。そのとき、広宣流布は一気に加速度が付いてくるのです。
すべては大聖人様のお力、慈悲昿大によるのであります。
さて、いよいよ本年中盤の六・七月の法戦開始であります。
この法戦の誓願は「二万」といたします。
大疫病で一国が慄く中、顕正会員は人を救い、国を救うこの戦いを、用心深く、しなやかに、仏弟子としての使命を果していきたい。
さっきも話が出ましたね。この「大疫病」の総罰を見て、学会ではすべての活動を停止したという。学会は本部をはじめとして全国の地方会館まですべて門扉を閉じ、「活動してはいけない」「訪問指導もしてはいけない」ということに、なっているそうです。
仏法に背いたゆえにいま総罰が起きた。それを見て仏弟子なら、人を救い、国を救う戦いの決意に立って当然です。ところが引っ込んじゃって、小池都知事の真似して「ステイ・ホーム」を実行しちゃっている(爆笑)。これは仏弟子ではない。
しかしよくよく考えれば、彼らは、自分たちが御遺命に背いたゆえに総罰が起きたのだから、今さら自分たちが出て行くわけにいかん(大爆笑)、というわけなのかも知れない(爆笑)。
いずれにしてもこれは仏弟子ではない。
そこに今、大聖人様の御心のままに毅然と立ち上がっているのは、顕正会だけなのであります。
そして七月は「立正安国論」の月であれば、全顕正会員、改めて立正安国論の御聖意を心肝に染めて、随力弘通の誠を尽くしていきたい。
いいですか。立正安国論は、立宗より七年目の文応元年に、時の国主・北条時頼に宛てられた、国家諫暁の重大なる一書であります。
当時の日本はどのような状況であったかと言えば――
正嘉元年に前代未聞の巨大地震が発生した。以来 連々と大風・大飢饉等の災難が続き、さらに大疫病が二年にわたって国中を襲った。ために国民の大半が死にいたるという大惨事が現出したのです。
立正安国論御勘由来には、次のように仰せられている。
「正嘉元年丁太 巳歳八月廿三日戍亥の時 前代に超えたる大地振、同二年午戊八月一日大風、同三年未己大飢饉、正元元年未己大疫病、同二年申庚四季に亘りて大疫已まず、万民既に大半に超えて死を招き了んぬ」と。
このときの大疫病は、恐らく今の新型コロナウィルスのようなものと思われるが、国民の大半が死に至ったとの仰せを拝すれば、極めて致死率の高い強毒性のものだったと思われる。
このような連々たる大災難はなぜ起きたのか。日本国中、誰も知る者はいない。
ただ日蓮大聖人御一人、その根源を知り給うた。すなわちこれ、一国の謗法に依ると、深く深く知り給うたのであります。
では、その謗法とは何か。
弥陀・念仏に執着して、釈尊・法華経に背くのは謗法である。ただしこの謗法は未だ罪が浅い。
真の謗法とは、いま末法に久遠元初の自受用身出現して、三大秘法を以て全人類を救わんとあそばすに、一国こぞってこの大慈大悲の御本仏を憎み、謗り、迫害することこそ、極重の謗法であります。
当時の日本は、念仏・真言等の邪法の悪僧たちの煽動によって、国主以下全民衆がこの極重の謗法を犯していたのです。一国こぞって大慈大悲の御本仏を憎み、怨み、悪口したのです。
この極重の謗法を見て、仏法を守護する諸天善神は一国を罰した。それが正嘉元年の巨大地震となり、大疫病等の大災難となったのです。
この大災難をごらんになり、大聖人様は、立正安国論を以て国主を諫暁し給うたのであります。
この立正安国論において大聖人様は、重大な御予言をあそばされている。
それは――
もし邪法に強く執着して正しい仏法に背き続けるならば、日本一同、必ず今生には他国侵逼・自界叛逆の大難を受け、後生には阿鼻地獄に堕つるであろう――ということです。
まず他国侵逼・自界叛逆の御予言については
「先難是れ明かなり、後災何ぞ疑わん。若し残る所の難、悪法の科に依つて並び起り競い来らば、其の時何んが為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」
と仰せられている。
この御予言は寸分も違わず、自界叛逆はそれより十二年後の文永九年に北条一門の内戦となって現われ、他国侵逼はさらに二年後の文永十一年と弘安四年に、二度にわたる大蒙古の責めとなって現われている。
「三世を知るを聖人という」(撰時抄)と。
まさしくこの他国侵逼・自界叛逆の御予言的中こそ、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられることを証明するものであります。
また後生堕獄については
「就中人の世に在るや各後生を恐る、是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷うことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀む、何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん」
と御予言されている。
佐渡御書には
「現世に云をく言の違わざらんをもて、後生の疑いをなすべからず」と。
すなわち現世の二難の予言的中を以て、後生の堕獄も疑ってはならぬと、大慈悲の仰せを下されている。
そして立正安国論の結文(結びの御文)には
「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。
然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん。
此の詞此の言、信ずべく崇むべし」
と仰せられ、仏国の実現を強く促し給うておられる。
この中の「実乗の一善」とは、御文の表面の意は、爾前権経に対して実大乗の法華経を指すが、元意すなわち究極の深意は、まさしく本門寿量品の文底に秘沈された大法、その体は実に「本門戒壇の大御本尊」であられる。
この大御本尊を日本一同に信じ奉り国立戒壇に安置し奉れば、日本は金剛不壊の仏国となる。されば「実乗の一善に帰せよ」とは、早く国立戒壇を建立して日本を仏国にせよ――との仏勅なのであります。
そして深く拝すべきは、この立正安国論の御諫暁は単なる学説の発表ではない。この御諫暁がどれほど大聖人の御身に危険をもたらすものであったかを、深く拝し奉るべきであります。
当時の日本は国主をはじめ全民衆が邪法を信じていた。その中で「一切の邪法を捨て、正法に帰せよ」との御諫暁は必ず身命に及ぶ。
ゆえに大聖人様は教機時国抄に
「身命定めて喪わんか」
と仰せられている。この身命を惜しみ給わぬ大慈大悲を拝し奉れば……ただひれ伏すのみであります。
さて大聖人様は、出世の本懐をお遂げあそばす弘安二年に、再び日本国に現われた総罰の姿をお示し下されております。すなわち出世本懐成就御書には
「日本国の大疫病と、大飢渇と、同士討ちと、他国より責めらるるは総罰なり」と。
そのさまは、先月の総幹部会でも説明いたしましたが
「日本国の一切衆生、すでに三分が二はやみぬ。又半分は死しぬ」(日女御前御返事)
と仰せられるほどの凄まじさだったのです。そのうえ人々は大飢饉で飢え、さらに自界叛逆の内戦と、大蒙古による侵略に怯えた。これが御在世における総罰でありました。
そして今、この総罰、すなわち「大疫病と、大飢渇と、同士討ちと、他国より責められる」が、いま日本に現われつつある。
私はこれこそ、「広宣流布いよいよ近し」の前相であると確信しております。
いいですか。大聖人様は流罪・死罪の大難を忍ばれて、全人類成仏の大法をこの日本国に留め置き下された。
しかるに、この大恩徳まします日蓮大聖人を、日本一同は未だ信ぜず、背き奉っている。その間すでに七百年。もういつまでも諸天は許さない。ゆえにいま罰が現われて来たのです。
そのうえ、この日本一同の罪よりも、さらに重大な悪がある。それが正系門家の御遺命違背であります。
正系門家・富士大石寺は、日興上人・日目上人以来七百年、ただ日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布の暁の国立戒壇建立を、唯一の悲願・宿願として来た、清らかなる宗門であった。
しかるに、広宣流布前夜の今になって、国立戒壇建立の重き御遺命を抛ってしまったのである。
なぜ、このような大それた違背がなされたのか――。
それは、創価学会の池田大作の強大な権力と金力に、宗門がへつらってしまったからです。
政治野心に燃える池田大作は、昭和三十九年五月の学会本部総会で、公明党(当時、公明政治連盟)の衆議院進出を宣言した。これに対し、政治評論家やマスコミは一斉に、それまで学会が主張していた「国立戒壇」を取り上げ、次のような批判を盛んにした。
「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する。ゆえにこの国立戒壇を目的とする創価学会もまた憲法違反である」と。
その批判を、憲法を主とし仏法を従とする妄見に囚われ、かつ臆病な池田大作は強く恐れたのです。
たちまち彼は「国立戒壇」を捨てて俄に偽戒壇・正本堂を建て、これを時の貫首・細井日達に「御遺命の戒壇である」と言わしめた。
さらに池田は、当時 教学部長であった阿部日顕にも二冊の悪書を書かしめた。
阿部日顕はこの中で、言葉巧みに国立戒壇を否定し、正本堂を御遺命の戒壇と称讃して、池田大作にへつらった。
かくて正系門家から、国立戒壇建立の御遺命は完全に抹殺されてしまったのです。何たる師敵対でありましょうか。
「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家が大聖人様に背き奉って、日本が傾かぬはずがない、亡びぬ道理がない。
その前相として、いま「大疫病」「大飢渇」(経済崩壊)等の総罰が現われて来たのであります。
二〇年代に突入するや、突如、新型コロナウィルスが発生したのも、まさに諸天の働きですね。諸天の中でも「大日天子」すなわち太陽の働きによるものと、私は思っております。
この感染力の強大なることただ驚異です。わずか0・0001ミリほどのコロナウィルスが、あっというまに増殖を繰り返して今や全地球上を覆い、世界経済をも崩壊せしめんとしているのです。
世界経済の牽引車はアメリカですよ。そのアメリカがいま新型コロナの蔓延で経済活動がほぼ停止し、今や雇用危機に陥っている。
米労働省が5月8日に発表した雇用統計によれば、4月の雇用者数は前月より2050万人も減少し、失業率も前月の4・4%から14・7%に急上昇したという。共に戦後最悪の数字です。
この失業率は、12年前のリーマン・ショックの時や、第二次世界大戦直後の最悪期をもはるかに超え、まさに1929年の大恐慌以来の歴史的な水準なのです。
しかもアメリカのこの雇用危機は底が見えず、「長期化の恐れがある」と伝えられている。
米国の雇用危機が長引けば、世界経済も深刻なる打撃を受ける。ことに米国経済と深く結びついている日本の受ける打撃は大きい。今後、日本でも大企業の倒産やリストラが相次ぐでしょう。
大和総研の試算によれば、日・米・欧の感染拡大が12月末まで続くと、日本国内で約301万人の雇用が失われ、失業率は6・7%に達する可能性があるという。
また株式相場を見れば、3月には新型コロナの不安から、世界同時の株安となった。ことに3月16日のニューヨーク市場では、わずか1日で2997ドルという歴史的な大暴落があった。この大暴落こそ世界大恐慌の前触れです。いま一旦は下げ止まっているが、やがて二番底・三番底が必ずやって来る。
恐ろしいのは、今の世界には、90年前の大恐慌の時にはなかった「デリバティブ」という派生金融商品が、我が物顔で蔓延っていることです。
先般も申しましたが、このデリバティブなるものは、投資家の貪欲に付け込んで、レバレッジを効かせたハイリスク・ハイリターンの金融商品です。危険はあるがひとたび当れば大儲けできるという大博打的な金融商品です。欲に釣られて、このデリバティブはいま全世界の金融機関も購入している。その総額はなんと6京円にも達している。
もしこの6京円のデリバティブが今後、二度・三度と起こるであろう世界同時の株・債券等の大暴落を機に爆発したらば、世界経済は完全に崩壊する。その衝撃の凄まじさはリーマン・ショックの数十倍、大恐慌の時をも大きく超えると思われる。
まさに「飢渇は大貪より起こり」との仰せのままであります。
このとき、世界中で大企業の倒産が続出し、街は失業者であふれ、暴動も頻発する。いま米国・中国の対立が月々日々に尖鋭化しておりますが、この憎悪と疑心暗鬼が極限に達すれば、ついには核を用いての最終戦争が始まる。
この大戦乱こそ、大聖人様が予言し給うた広布前夜の「前代未聞の大闘諍」であります。
この大闘諍が起これば人類は絶滅する。日本も亡ぶ。
しかしこの大難は「仏法より事起こる」ものであれば、いかなる政治の力・経済の力も解決ができない。またいかなる仏・菩薩・神々に祈るとも虚しい。
この大惨禍をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に申しつける、絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
しかし、世間の人々は、まだこの重大なる理を知らない。理解できない。
それは諸天の存在を知らず、大聖人様の絶大威徳も知らないからです。
私は顕正会こそ、この重大事を全日本人に教えなければならぬその立場にある――と思っております。
よって本日は、改めてこのことを説明したいと思っております。
まず諸天善神の存在について説明します。
諸天とは、その名を挙げれば、大梵天・帝釈天・日天・月天・明星天・四大天王等ですね。これを大宇宙の十界の上から論ずるならば、まさしく諸天は天上界に属する衆生です。仏法を守護する功徳によって、天上界の果報を得ているのです。
この諸天の中でも、私たちの眼に見える諸天は、日天(太陽)月天(月)明星天(金星)の三つだけ。この三つは地球に近い天体で、最も大きな影響を及ぼしている。これを「三光天子」という。
また善神とは、天照太神・八幡大菩薩をいう。神といってもキリスト教における「ゴッド」とは全く異なる。ゴッドは人間が想像した架空の存在であるが、仏法上の善神は実在です。
すなわち天照太神は皇室の祖先で日本国最初の国主であり、八幡大菩薩は第十六代・応神天皇のことです。
この天照太神・八幡大菩薩がなぜ仏法に関わりがあるのかといえば
日本は久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御出現あそばす仏法有縁の国である。ゆえにこの御本仏を守護し奉るために、前もって日本国の国主として出現したのが、天照太神・八幡大菩薩なのであります。
大聖人様はこの二神の本地について、次のごとく御教示を下されている。
「天照太神・八幡大菩薩も、其の本地は教主釈尊なり」(日眼女抄)
また産湯相承事には
「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神…天照太神」と。
このように、天照太神・八幡大菩薩は共に釈尊の垂迹であり、久遠元初の御本仏・日蓮大聖人を守護し奉るために、日本に出現されたのであります。これらの善神の力用も、突き詰めれば諸天の力用と異なるところはない。
次に諸天の力用について述べれば
諸天は日蓮大聖人の御化導を助けまいらせるために、もし大聖人を怨嫉・迫害する国があれば、宇宙的力用を以てその国を罰する。
その罰は、まず天変地夭すなわち異常気象・大地震、次に大疫病・大飢渇等を以て一国を諫める。
しかしなお国中がこの諸天の諫めを用いなければ、諸天は人の心に入って自界叛逆を起こさしめ、ついには隣国の王の心に入って謗法の国を責めしむる。これが諸天の力用です。
ゆえに撰時抄には
「国主等其のいさめを用いずば、隣国に仰せつけて彼々の国々の悪王・悪比丘等を責めらるるならば、前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし」
と仰せ下されている。
次に
日蓮大聖人には、諸天に申しつける絶大威徳がまします――を拝し奉る。
このことについては、誰人も否定できない厳然たる三つの現証を以て拝し奉る。
その「一」は、竜の口に向かう途中、大聖人様は八幡大菩薩を叱責され、直ちに守護すべき旨を申しつけ給うた。
そしてその直後、御頸まさに刎ねられんとした時、「月のごとく光りたる物」が突如出現して、太刀取りも警護の兵士たちもすべてひれ伏してしまった。これまさしく、大聖人様の申しつけによって諸天が動いた現証であります。
この日、大聖人様は多数の兵士に囲まれて竜の口の刑場に向かう途中、八幡宮の前に至ったとき、馬を止められた。
「何ごと…」と驚きさわぐ兵士たちを制して大聖人様は
「各々さわがせ給うな。別の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事あり」
とて馬より下り、凛々たる御声で、八幡大菩薩が釈迦仏との誓いを果さぬその怠慢を叱責された。この叱責は、八幡大菩薩を対告衆として、宇宙法界の諸天善神すべてに対しなされたものです。
いいですか。大聖人様はこう仰せ下されたのです。
「いかに八幡大菩薩はまことの神か。……
今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。
其の上、釈迦仏 法華経を説き給いしかば、……無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、急ぎ急ぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきに、いかに此の処には落ちあわせ給はぬぞ。……
日蓮今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請を用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計いあるべし」と。
この仰せは「どうか守ってほしい」などという歎願ではない。「なぜ守らぬのか」とその怠慢を責め、「急ぎ急ぎ計うべし」と申し付け給うたのです。
なぜこのような「申し付け」ができるのか――。
それは、日蓮大聖人こそ「日本第一の法華経の行者」すなわち久遠元初の自受用身・末法下種の本仏であられるからであります。
「二」には、佐渡御流罪のとき、大聖人様は日天・月天に申しつけられ、忽ちに北条一門の「同士討ち」すなわち自界叛逆を起こさしめ給うておられる。
撰時抄には次のごとく仰せられている。
「若し日蓮法華経の行者ならば、忽ちに国にしるしを見せ給へ。
若ししからずば、今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと、声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界叛逆の難なり」と。
もし五年・六年と流罪が長引いたら、大聖人様の御化導に差し障りが生ずる。ゆえに日天・月天に「忽ちに国にしるしを見せ給へ」と申しつけ給うたと拝し奉る。
なんと強いお叱りか、なんと厳しいお申しつけであられるか。
この御文を拝せば、佐渡御流罪三ヶ月後に起きた北条一門の同士討ち・自界叛逆は、まさしくこの強き「申しつけ」によって起きたこと明々白々であります。
ゆえに文永九年四月の最蓮房御返事にはこう仰せられている。
「鎌倉殿はゆるさじと、の給い候とも、諸天等に申して鎌倉に帰り…」と。
鎌倉殿とは、大聖人を流罪に処した北条時宗のことです。―たとえ鎌倉殿が許さないと言っても、諸天に申しつけて必ず帰る――と断言し給うておられる。
実は北条時宗はこの自界叛逆を見て驚き、他国侵逼も必ず事実になると怖じ恐れ、一分の改悔を起こして、大聖人様を佐渡から還し奉ったのであります。
「三」には、蒙古の責め、すなわち他国侵逼も、大聖人様の諸天への申しつけによって起きているのです。
建治二年四月に四条金吾殿に賜った「王舎城事」にはこう仰せられている。
「後生はさてをきぬ。今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天 罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
―後生のことはさておく。今生に「法華経の敵となりし人」すなわち大聖人を憎み南無妙法蓮華経に敵対した者たちを、梵天・帝釈・日月・四天はこれを罰して、みな一同に見懲りさせよと申しつけた――と仰せ下されている。
これすなわち、大蒙古の責めを諸天に申し付け給うたのです。そして
「日蓮 法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし」
と御断言下されている。
さらに
「あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
当時 日本国の人々は、ただ念仏・真言等の悪坊主どもに誑かされ、日蓮大聖人を憎み南無妙法蓮華経に敵対したのです。そのことがどれほどの罪業になるのかも知らない。死してのち必ず無間地獄に堕ちて大苦悩を受けることも知らない。無間地獄に堕ちてしまったらもう取り返しが付かない。
ここに大聖人様は、諸天に申しつけて大蒙古の責めを起こさしめ、この現世の大罰を以て人々を改悔せしめ、無間地獄の大苦を今生に消せしめんとあそばされたのです。これほどの大慈大悲がありましょうか。
このように、諸天に申しつけて他国侵逼の大罰を起こさしめる絶大威徳は、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人以外にはあられない。
しかもこの他国侵逼においては、亡んで当然の日本国を、なお諸天に命じて冥冥のうちに御守護下されているのであります。
以上、竜の口の「頸の座」直前における八幡大菩薩への「お申し付け」と、佐渡における日・月天への「お申し付け」と、他国侵逼における「お申し付け」――。
この三つの大現証を拝すれば、大聖人様の諸天に申し付け給うの絶大威徳は、誰人もひれ伏して拝する以外にない。
この絶大威徳・大慈大悲を、一言でお示し下されたのが
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大な仰せであります。すなわち
日蓮大聖人を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する――ということです。
まさに日蓮大聖人の御存在は、日本にとって全人類にとって、これほど重大なのであります。
しかるに広布前夜の今、正系門家は第六天の魔王に誑かされて御遺命に背き奉った。また安倍政権は御本仏を無視して明治の「国家神道」への回帰を画策している。
ここに御在世の「大疫病・大飢渇・自界叛逆・他国侵逼」の総罰が、再び現われて来たのであります。
まもなく新型コロナの第二波・第三波が引き金となって、世界大恐慌がこれから始まる。
このとき世界最大の借金国家となってしまった日本は、まずハイパー(超)インフレに見舞われる。日銀はなす術もなく、国家破産となる。大企業も相次いで倒産し、失業者は街にあふれ、暴動が発生する。
さらに世界を見れば、米国と中国の相互憎悪・疑心暗鬼は日ごと月ごと深まり、ついには核を用いての世界最終戦争が始まる。
この大闘諍こそ、大聖人御予言の「前代未聞の大闘諍」であります。この大闘諍が始まれば、人類は滅亡する、日本も亡ぶ。
このときお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに新尼御前御返事には
「諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
「此の五字の大曼荼羅」とは、大聖人様が全人類の現当二世のために留め置かれた「本門戒壇の大御本尊」の御事であります。
―たとえ、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨が激しく降るごとくであっても、この大御本尊を命かけて信じ奉るならば、諸王はその国を助けることができ、万民は難をのがれることができる――と大聖人様は御断言下されております。
そしてこの大闘諍のとき、大聖人様はいよいよ広宣流布をあそばすのです。
大聖人様はこのとき諸天をして、いよいよ全日本人が信ぜざるを得ない客観情勢を作らしめ、同時に無数の地涌の菩薩を召し出だし、一国を諫暁せしめられる。
この仏弟子の大集団こそ顕正会であります。
顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに、理不尽なる解散処分を受けた。
だが、戒壇の大御本尊様への信はいよいよ深く、いよいよ堅い。
そして解散処分を受けたときはわずか一万二千であったが、今ついに二百十六万仏弟子の大集団となった。
大聖人様の御守護なくして、どうしてこの不思議があり得ましょうか。
この仏弟子の大集団は、早く三百万・五百万となって日本国を揺り動かし、大聖人様に応え奉らなければならない。
いよいよ二〇年代こそ、広宣流布の決戦場であります。
さあ、迎える六・七月法戦、共に励まし、共にいたわり、何としても「二万」の誓願を大きく突破し、全員で、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)