きょうの総幹部会も素晴らしいですね。清らかなる信心と燃えるような広宣流布の情熱がたぎり、大感動いたしました。
この六・七月法戦は「二万」を誓願して戦っておりますが、一昨日 二二日の月曜報告において、すでに一万二千二七名の大法弘通がなされているとのことであります。
いま日本国中が新型コロナと経済崩壊で怯えている中で、このように広宣流布がしんしんと進んでいること、何より有難く思うものであります。
この総罰がなぜ起きたのかといえば
日本一同が未だに大慈大悲の日蓮大聖人を信ぜず、背き続けていること。
とりわけ正系門家が、大聖人様の唯一の御遺命たる「国立戒壇建立」を抛ち、師敵対に陥っているゆえであります。
この総罰の中、学会と宗門は萎縮して今すべての活動を中止しているとのことですが、顕正会だけは「この総罰こそ広宣流布近しの前相」として、いよいよ人を救い国を救う戦いに、毅然と立っている。
この姿こそ、顕正会が大聖人様の真の弟子、地涌の菩薩の大集団であるということの証であります。
さて、顕正会の集会はこのところ、新型コロナの感染拡大に対応して、総幹部会も本部会館で首都圏の代表幹部だけで参加して開催し、これをオンラインで全国に放映し、また各部の集会も、ごく少数の幹部だけの話し合いに抑えてまいりました。
しかし、いよいよこの七月から、男子部・女子部・婦人部ともに、それぞれ総部単位で、班長以上の幹部が参加して、歓喜と情熱の集会を開いていきたいと思っております。
本部会館をはじめ全国の地方会館は、完全なる換気能力を備えております。そのうえ適切な間隔を空けて座り、勤行はきちんと申し上げるが「時ぞ来たりぬ」等の合唱はしない。会館内では登壇者を除いて全員マスク。そして終了後も密着の打ち合わせはしない――。これで大丈夫ですね。
用心深く、しかもしなやかに、総罰の中にしんしんと広宣流布を進め、何としても大聖人様に応え奉りたいと強く念願しておりますが、みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さて、「二〇年代こそ広宣流布の決戦場である」ことについて、改めて説明いたします。
私は前々から、二〇年代こそ広宣流布の決戦場であると、思い定めておりました。
そのわけは、正系門家の御遺命違背すなわち大聖人様への師敵対が、すでに極限に達している。もう日本は保たないと感じていたからであります。
その「極限に達した師敵対」とはどのようなものか。具体的にいえば次のごとくです。
広宣流布の前夜にいたって、第六天の魔王は政治野心に燃える創価学会第三代会長・池田大作の身に入った。
すると池田はたちまち「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、国立戒壇を否定し始めた。何度も「国立戒壇は御書にない」と言っては、国立戒壇を否定しはじめた。これが昭和三十九年ごろであります。
日蓮大聖人の御遺命が広宣流布の暁の国立戒壇建立であることは、池田は百も承知です。ゆえに彼は曽ては、学会の機関誌に次のように書いていた。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と。
しかし天魔がその身に入れば、忽ちに大事な御遺命にも背くのです。これが第六天の魔王の働きです。名利が強く信心が弱ければ、忽ちこのように信心が狂っていくのです。
やがて池田は「国立戒壇」を口で否定するだけではなく、正本堂という偽戒壇を大石寺境内に建て、これを時の貫首・細井日達に「御遺命の戒壇である」と宣言させた。
さらに池田は、当時宗門の教学部長であった阿部信雄に二冊の悪書を書かせ、国立戒壇の否定と正本堂が御遺命の戒壇に当る旨を徹底させた。この阿部信雄が次の貫首・日顕となる。
細井日達・阿部日顕という二代の貫首が口をそろえて国立戒壇を否定し、正本堂を御遺命の戒壇とたばかれば、誰がこれに異を唱えられようか。かくて正系門家から、国立戒壇建立の御遺命は完全に消滅してしまったのであります。
この御遺命破壊を眼前にして私は「この大悪を見ながら知りながら、もし黙っていたら、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる」と思い、身を捨てて諫暁に立ち上がった。これが昭和四十五年三月です。
諫暁は文書と論判で幾たびも激しく繰り返された。八百万学会には強大な権力がある。「時の貫首」には誰人も背けぬ絶対の権威がある。しかし
「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つ物なり」(四条抄)
との仰せのごとく、正しい道理に勝てる権力も権威もない。
学会はついに屈伏して、文書で正本堂の誑惑を二度も訂正し、細井日達もまた正本堂の意義を定めた「訓諭」の訂正文を書いて、本山で直接、私に手渡してくれた。
だが、彼らの訂正は心からの改悔ではなかった。やがて正本堂の落成式が終わると、再び誑惑を始めた。
そのうえ池田大作は、「顕正会が宗門に存在する以上、いつかは正本堂のたばかりは露見する」と恐れ、細井日達に解散処分を下さしめた。これが昭和四十九年八月十二日。しかし顕正会は微動もしなかった。
そして不思議にも、顕正会の連々たる諫暁を機として、学会と宗門の間に深刻な亀裂が生じてきたのです。
池田大作は、細井日達が顕正会の主張に心を動かして学会を裏切るのではないかと疑心暗鬼を懐き、宗門支配の完全を期するために経済封鎖を目論んだ。その手段が「月例登山」の縮小です。「本山は学会の登山で保っているんじゃないか。月例登山会を縮小するのが、本山にとっていちばん痛い。何でも言うことを聞くであろう」と思ったのでしょう。
ところが細井日達は御遺命破壊には平然と協力したが、「収入が減る」経済封鎖には猛烈に反発をした。
これを見て、細井日達のもとには大勢の若手僧侶が結集して「反学会」の烽火を上げた。ここに宗門対学会の抗争が始まったのです。
だが、その抗争の真っ最中に、細井日達は心臓発作で急死した。それは、大事な「御相承をもなし得ず」の急死であった。このこと、私は大聖人様の深い思し召しによると、拝しております。
次いで、池田に擁立された阿部日顕が六十七世の猊座に登った。以来二人は、十一年後の平成二年の「大石寺開創七百年」をめざして、「本門寺改称」の陰謀を実現すべく、心を合わせて突き進んだ。
「本門寺改称」の陰謀とは、大石寺の名称を「本門寺」と改めようとする企みです。本来、「本門寺」というのは、広宣流布の暁の国立戒壇を意味する。これは一期弘法付嘱書に明々白々です。しかるに池田は、偽りの「広宣流布達成」を平成二年に宗門で宣言したうえで、大石寺を「本門寺」と改称しようと企んだのです。
もしこの改称が実現する時、大石寺の正本堂はそのまま「本門寺本堂」となり、この正本堂を百六箇抄の「富士山本門寺本堂」すなわち御付嘱状の「本門寺の戒壇」と偽ることができる。このとき正本堂の誑惑は完結する――これが池田大作の執念、最後の陰謀だったのであります。
もしこの陰謀が実現したら、御遺命はどうなるか。
いいですか。三大秘法抄には克明に、御遺命の戒壇は、いかなる時、いかなる手続を以て、いかなる場所に建てられるべきかが、定められているのです。すなわち
「時」については、広宣流布の暁に、天皇も大臣もことごとく三大秘法を受持して、「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と。有徳王とは、仏法守護のためには身命も惜しまなかった過去の国主です。このような不惜身命の護法心が一国に満ちた時、これが戒壇建立の時である、と定められている。
「手続」については、日蓮大聖人の仏法を守護し奉るとの国家意志を「勅宣並びに御教書」(天皇の詔勅と行政府の文書)として発布することと、定められている。
「場所」については「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。この地は日興上人の御指南によれば「富士山天生原」です。
このように、御遺命の本門戒壇とはまさしく
「広宣流布の暁に、仏法守護の国家意志の表明を必要手続として、富士山天生原に建立される戒壇」
であります。この戒壇を国立戒壇と称するのです。
ところが今、時も来ない、場所も違う、必要手続もない。そのような偽戒壇を池田大作が「御遺命の戒壇」と称し、時の貫首がそれを承認したら、大聖人様の御遺命は完全に破壊されてしまうではないか。
平成二年の四月、私は心血を注いで「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を認め、阿部日顕と池田大作に送付した。
この書の内容は、阿部日顕が曽て著わした「二冊の悪書」すなわち「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」における邪義を一々に挙げ、その誑惑の根を断ち切ったうえで「速やかに偽戒壇・正本堂を撤去せよ」――と迫ったものであります。
この諫状は阿部日顕の肺腑を抉り、心に怖畏を生ぜしめた。
そして不思議なことがまたも起こった――。
それまで二人三脚で一体のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間に、またも細井日達の時と同様の疑心暗鬼が生じたのです。やがて始まった抗争はまさに「修羅と悪竜の合戦」そのもので、その激しさは細井管長のときの抗争とは比べものにならなかった。
池田が日顕を猊座から引きずり下ろそうとして「相承なき詐称法主」と罵れば、日顕は池田の法華講総講頭職を剥奪し、創価学会を破門にし、さらに池田を信徒除名処分にした。これが平成二年の暮れから平成三年にかけてのことです。
そして重大なことは――この醜い抗争の中で、池田大作と阿部日顕には、共に「戒壇の大御本尊様に対し奉る信心が全くない」ことが、ハッキリしたことであります。
いいですか。
池田大作はついに「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉ったのです。平成二十六年十一月七日、池田は第六代会長の原田稔をして、全国総県長会議において
「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」
と言わしめ、これを翌八日の聖教新聞に掲載せしめた。これ八百万学会員に「戒壇の大御本尊を捨てよ」と騙したのです。これこそ極限の大謗法・師敵対でなくて何か。
一方、阿部日顕も、反学会闘争のためには手段を選ばなかった。彼は戒壇の大御本尊を最も怨嫉している身延派と連携し、また戒壇の大御本尊を誹謗する山崎正友とも手を組んだのです。
山崎正友という人物、あー、さきほど女子部の一区長から山崎正友の臨終について報告がありましたが、時とともにすべてが顕われてくるのですね。
この山崎正友は、曽ては学会副理事長も務め、学会の顧問弁護士でもあった。しかし信心は全くない。彼は末寺に参詣しても、御本尊に手を合わせ頭を下げることもなく、平然と御本尊を眺めているような男であったという。
この男、学会の顧問弁護士でありながら、学会の悪事を知る立場を利用して学会を恐喝し、三億円を出させ、「懲役三年」の実刑判決を受けて栃木の黒羽刑務所に収監され、平成五年四月に仮出所した。
この男を阿部日顕は利用したのです。
その目的は、二つあった。一つは身延派との連携を進めさせること。
もう一つは、細井日達管長のそばに侍り指南役でもあった山崎正友が、細井日達死去の直後、週刊誌等に「阿部日顕は御相承を受けてない」と発表して騒いだが、その山崎に、「実は御相承はされていた」と証明させる、つまり「御相承の偽証」をさせようとしたのです。
かくて平成六年、阿部日顕と心を通じて宗門復帰を果した山崎は、日顕直属の謀略集団「妙観講」に籍を置き、直ちに身延派工作を推進するようになった。
その結果、平成六年十一月五日には、身延派坊主・山梨県布教師会長の佐藤順映以下八人が大石寺を始めて訪問した。このようなことは宗門七百年、曽てなかったことです。
さらに平成七年六月六日には、身延派管長に就任する直前の田中日淳一行が大石寺に招かれた。このときは、本宗能化の高野日海が袈裟衣を着けた正装で出迎えたうえ、本山内をくまなく案内し、さらに蓮葉庵において饗応している。
いいですか。日興上人が義絶し離山あそばされた謗法の山・身延派、その悪僧どもを阿部日顕は自らの保身のために大石寺に招いたのです。何たる無道心、何たる腐敗堕落か。
さらに山崎においては、平成六年十一月二十四日、身延派・山梨県連合布教会の集会に講師として出席して「今こそ日蓮宗(身延派)から論争を提起して頂きたい」と宣べて煽動した。
そのうえ山崎は翌月六日、身延派・京浜教区教化会議で講演し、あろうことか、次のごとく大謗法の悪言を吐いた。
「『板本尊偽作論』も、その後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしい」と。
この「板本尊偽作論」というのは、昭和三十一年に身延派の坊主の安永弁哲が、恐れ多くも戒壇の大御本尊を怨嫉して口汚なく誹謗した悪書、口にするのも汚らわしい悪書であります。
当時すでに日淳上人が直ちに「悪書・板本尊偽作論を粉砕す」の一書を以てこれを粉砕されている。しかしいま山崎正友はこの悪書を再び持ち出し
「もっとこの板本尊偽作論を掘り下げて、戒壇の御本尊を攻撃せよ」
と身延派坊主に嗾けたのです。これほどの大悪党はいない。だが阿部日顕は、この大謗法者を側近として重用し、対学会抗争に利用したのです。
この一事を見れば、阿部日顕には「学会憎し」の思いはあっても、戒壇の大御本尊に対し奉る信心は、池田大作と同じく全くなかったことがわかる。彼らには大聖人の御眼を恐れる道念など、微塵もなかったのであります。
いいですか。富士大石寺は日興上人・日目上人以来七百年、ひたすら日蓮大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を秘蔵厳護し奉り、御遺命たる「国立戒壇建立」を唯一の使命・宿願としてきた清らかな正系門家であります。
しかるにこの正系門家において
池田大作は国立戒壇を否定するために偽戒壇・正本堂を建て、細井日達・阿部日顕の二代にわたる貫首はこのたばかりに協力した。
そのうえあろうことか、池田大作はついに戒壇の大御本尊をも捨て奉った。また阿部日顕は「戒壇の大御本尊を攻撃せよ」と身延派坊主に嗾けた大謗法者・山崎正友とも平然と手を組んだのであります。
以上が、極限に達した師敵対の実態であります。
「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家がこのように濁乱すれば、日本はもう保たない――。
ゆえに私は「二〇年代こそ広宣流布の決戦場」と思い定めて、この二〇年代突入までに何としても二百万を成し遂げて御奉公したい。同時に、全組織を強き信心で打ち固め、全顕正会員が仏弟子としての強き自覚に立ってほしいと念願した。
そこでまず男子部・女子部・婦人部の大会を順次開催した。すなわち、二〇一二年(平成二十四年)には婦人部大会を、翌一三年には女子部大会を、そして一四年には五万人の男子部大会を開催した。
さらにその翌年から、日本列島を大きな八つのブロックに分けて、地方大会を順次開催した。その最初が二〇一五年の南東北大会、次いで一六年には九州大会と近畿大会、一七年には中部大会と中国・四国大会、一八年には北関東大会と新潟大会、そして昨年一九年の北東北大会を以て地方大会のすべてを終え、本年いよいよ「広宣流布の決戦場たる二〇年代」に臨んだのであります。
そしていま二〇年代に突入するや、突如として新型コロナウィルスが発生した。それはあっというまに全地球上に感染拡大し、世界経済をも崩壊せしめんとしている。
わずか0・0001ミリの小さな生命体が、このような大きな力を発揮して世界経済をも崩壊させてしまう。
こんな事態を誰が予想できたか、まことに驚くほかはない。ひとたび諸天が動けばこういうことになる。これが「総罰」なのであります。
安倍政権はいま緊急事態宣言を解除し、経済活動に舵を切らんとしているが、新型コロナはそんな甘いものではない。
WHOのテドロス事務局長は6月19日の記者会見で、南米・北米大陸や南アジア・中東を中心に新型コロナのパンデミックが加速している、との認識を示したうえで
「世界は新たに危険な局面に突入している」
と言って、各国に最大限の警戒を呼びかけた。「危険はこれからだ」と言っているのです。
大聖人御在世の弘安元年から三年にかけての大疫病も、弘安元年十月の「上野殿御返事」を拝見すれば
「疫病もしばらくは止みてみえしかども、鬼神返り入るかのゆへに、北国も東国も西国も南国も、一同に病みなげくよし、きこへ候」と。
―大疫病もしばらくは止んだごとくに見えていたが、鬼神(大疫病のウィルス)がまた返り入るかのゆえに、北国も東国も西国も南国も、みな一同に病み歎いているとのことが、聞こえてくる――と仰せ下されている。
この仰せを拝すれば、今の新型コロナウィルスも、いったんは収まったように見えても、第二波・第三波があって長引くことになるかもしれない。
この新型コロナは、ヒト・カネ・モノの流れを止めてしまった。世界のサプライチェーン(部品供給網)も寸断されてしまった。グローバル化している現在の世界ではこれは致命的になる。これがやがて世界大恐慌を招くのです。
その中でことに日本は、安倍政権の財政規律を無視した無責任なアベノミクスによって、対GDP比において、世界最大の借金国家になってしまった。
まもなく通貨の信認が失われ、円も国債も暴落し、金利は暴騰する。そのときハイパーインフレで国民は苦しめられる。
しかし相場維持のために株も国債も目いっぱい購入し、すでに債務超過に陥らんとしている日銀には、これを制御する能力がない。ここに財政破綻・国家破産がいよいよ起こるのです。
いま、私が最も気にしているのは、巨大地震の発生です。もし巨大地震が発生したら、国家破産寸前の日本はそれで止どめを刺される。
歴史を見れば、巨大地震は国家の大変動のとき、その先兆として起きている。これは依正不二の原理の上からも当然のことです。
幕末の安政元年十一月四日には、マグニチュード8・4の安政東海地震が起き、その翌日、正確には三十時間のち、再びマグニチュード8・4の安政南海地震が発生した。そして長きにわたる徳川幕府はついに崩壊している。
また日本が敗戦したのは昭和二十年八月ですが、その前年の昭和十九年に昭和東南海地震が起き、翌二十年一月に昭和南海地震が発生し、同年八月に敗戦となっている。
このように国家の大変動のときには、その先兆として必ず巨大地震が起きているのです。
さらに御在世を拝見すれば、大聖人様は正嘉元年の前代未聞の超巨大地震をごらんになって
「他国より此の国を破るべき先相なり」(安国論御勘由来)と断言あそばされている。
いま正系門家の御遺命破壊・師敵対によって日本国が亡びんとするとき、その先相として巨大地震の連発が起こらぬはずがない。
よって私は平成十六年四月、「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の一書を以て一国を諫暁し、その冒頭に次のように記した。
「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえば――
まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆(国内の分裂抗争)と他国侵逼(外敵の侵略)が起こるのである」と。
そしてその七年後の平成二十三年(二〇一一年)三月一一日、観測史上の最大といわれるマグニチュード9・0の東日本超巨大地震が発生した。
さらにいま、日本列島は毎日のように不気味に揺れ動いている。気象庁によれば「5月にマグニチュード4・0以上の地震は35回だったが、6月は16日までに26回も発生している。直近では6月12日から毎日起きている。16日までの5日間で計15回に上っている」とのことです。
6月4日には、三浦半島で原因不明の異臭騒ぎが起きたが、これも専門家によれば「相模トラフ由来の地殻変動がもたらした可能性がある」とのことです。地震や地滑りなどの地殻変動にともなって岩石が崩壊し、焦げたような臭いが発生することがある。一九九五年の阪神・淡路大震災のときも、断続的に焦げたような臭いがしたことが確認されているとのことです。
いま日本列島に頻発している地震について、多くの専門家がそれぞれの根拠を挙げて巨大地震の切迫を口々に訴えているが、その中でことに著名な立命館大学特任教授の高橋学氏(災害リスクマネージメント)は次のごとく述べている。
「私は数年以内に、相模トラフと南海トラフで超巨大地震が発生すると考えています」と。これは容易ならざる予告です。
相模トラフを震源とする地震とは、関東大震災と同じく、首都直下地震に他ならない。あと数年以内に首都圏直下地震と南海トラフの超巨大地震が発生すると、高橋学氏は警告しているのです。
まさに巨大地震の連発がいよいよ始まるのです。そしてそれ以後、世界恐慌に陥り、ことに日本は大聖人仰せのごとく「同士討ち」と「他国から責められる」のです。
この「同士討ち」とは、日本国を二分しての親中派と親米派の争いであると私は思っている。また「他国より責められる」とは、いよいよ中国から脅かされるのです。「言うことをきかなければ核ミサイルを打ち込むぞ」といって責められ、侵略されるのです。
私は二〇年代に入って、諸天の動きが急ピッチであることを、強く感じております。これも二〇年代が広宣流布の決戦場なるがゆえと思っております。
日本のまわりを見てごらんなさい。
すぐ隣りの朝鮮半島が急に慌ただしくなって来たでしょう。日清・日露の両戦役を見てもわかるように、朝鮮半島の不安定は日本の安危に重大な関わりを持っているのです。それというのも、その背後に大国の思惑が動いているからです。現在、その大国は中国とロシアであります。
さらに中国の侵略的膨張を見てごらんなさい。
チベットとウィグルにおいて残虐な弾圧を続けていると思っていたら、いま海軍力の強化とともにいよいよ西太平洋に進出し、東シナ海と南シナ海に緊張をもたらしている。
尖閣諸島の周辺海域では、中国海警局の公船が65日間も張りついたままになっている。いつ尖閣諸島が奪取されても不思議はない。
また中国海軍は本年4月には、航空母艦「遼寧」など6隻の艦隊を沖縄本島付近の宮古海峡を通過させている。
中国はやがて尖閣諸島を奪い、台湾を攻略する。さらにいま、南シナ海をも中国の領海とすべく、フィリピンの東側の浅瀬に強大な軍事基地を構築している。さらに香港では、一国二制度の約束を反故にして、香港を中国本土に組み入れようとしている。
このような中国の侵略的膨張は、必ずアメリカと衝突する。かくて、抜き差しならぬ、全世界を巻き込んだ大戦争が、諸天の働きにより自然と起きてくる。磁石が鉄を吸うように、自然とそのようになってくるのです。
この大闘諍こそ、まさしく大聖人様が広宣流布の前夜には必ず起こると御予言下された「前代未聞の大闘諍」であります。
この大闘諍には、地球をも破壊するような破滅的な核兵器が必ず使用される。ゆえにこの大闘諍が始まれば、日本は亡び、人類は絶滅する。
この大闘諍は「仏法より事起こる」ものであれば、いかなる政治力も経済力もこれを止め得ず、いかなる仏・菩薩・神々に祈るとも虚しい。
このとき、日本および全人類をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に申し付ける、絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
この大闘諍が起きたとき、人々は国亡び我が命を失う恐怖から、あらゆるものにすがる。しかしその結果は絶望以外にはない。そしてこの絶望の中に、人々は始めて日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲を知り
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との、重き重き御存在にひれ伏す。かくて日本をはじめ全世界一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る時が必ず来る。すべては日蓮大聖人の慈悲昿大によるのであります。
ゆえに撰時抄を拝見すれば
「前代未聞の大闘諍 一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼の憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等、八万の大王等、一切の万民、皆頭を地につけ掌を合せて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」
と仰せあそばす。
また上野殿御返事には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
もう広宣流布は、日蓮大聖人の絶大威徳と大慈大悲により成就することは、決まっているのです。
このとき、大聖人様は諸天に申し付けて、全日本人が信ぜざるを得ない客観情勢を作らしめ、同時に無数の地涌の菩薩を召し出だして一国を諫暁せしめられる。
この地涌の菩薩の大集団こそ、顕正会であります。
顕正会は「国立戒壇建立」の御遺命を守り奉ったゆえに解散処分を受けたが、微動もせず、戒壇の大御本尊様に対し奉る信心はいよいよ堅く、いよいよ澄み切っている。
そして解散処分を受けたときはわずか一万二千であったが、今ついに二百十八万の仏弟子の大集団となった。この不思議、ただただ大聖人様の御守護以外にはない。
日本は日蓮大聖人御出現の本国である。大聖人様は流罪・死罪の大難を忍び給うて、この国に全人類成仏の三大秘法をお留め下された。
しかるに日本の人々は未だ信ぜず背き続け、就中 あろうことか正系門家が御遺命に背いている。ゆえにいま時来たって、国亡ぶの「総罰」を受けているのです。
顕正会の使命は、日蓮大聖人のこの偉大な大恩徳を全日本人に教え、帰依せしむるところにある。
御遺命に背いた学会・宗門には、すでにこの資格も力もない。
顕正会が身を捨てて立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。
いよいよ二〇年代こそ広宣流布の決戦場であります。
このときに生まれ合わせたということは、お互いに、何たる宿縁か。
さあ、三百万の大事な節をめざして師子王のごとく前進し、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)