きょうの総幹部会も素晴らしいですね。
登壇の一人ひとりに、清純なる信心と燃えるような広宣流布の大情熱がたぎり、大感動いたしました。
いつも思うことですが、顕正会ほど清らかな団体は日本にないですね。
そうでしょう。政治を見れば、政治家は国を憂えずに名利と利権だけ。そして人々の心は貪欲・瞋恚・愚痴の三毒充満で、凶悪犯罪は相次いでいる。まさに今の日本は末法濁悪そのものです。
その中で、顕正会はなんと清らかな団体なのか。
「蓮華」というのは泥の中に咲いて泥に染まらない。顕正会も世間の濁りには染まらない。いや染まらないだけではない。世の中が濁れば濁るほど、「早く広宣流布しなければ」との大道念に立つ。
このような団体は顕正会以外にはない。まさに大聖人様の弟子の大集団なのだとの思い、いよいよ強まるものであります。
さて、いま顕正新聞には相次いで、教学試験の四級・五級・登用の各設問と正解と合格者が発表されておりますが、ことしの教学はいちだんと熱烈でしたね。
そして教学を学んだ感激が、いま全顕正会にみなぎっていること、ただ有難い。
大聖人様は
「行学の二道をはげみ候べし。乃至、行学は信心よりをこるべく候」
と仰せ下さる。
教学というのは、物知りになるためでもなければ、学者になるためでもない。「絶対信」を得て成仏させて頂くため。また広宣流布に戦うために学ぶのであります。
いま顕正会員は信心より起きた教学で、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身と一筋に信じ奉り、恋慕渇仰して教学に励み、広宣流布に戦っている。
まさしく顕正会こそ、広布前夜に御奉公すべく出現した、仏弟子の大集団・地涌の菩薩の大集団なのであります。
いいですか。恋慕渇仰の信心こそ、凡夫が成仏させて頂ける唯一の道なのです。
この恋慕渇仰の信心について、大聖人様は弘安二年四月二十日、上野殿に賜った御書に次のごとく仰せられている。
「かつへて食をねがい、渇して水をしたうがごとく、恋いて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、乃至、法華経には信心をいたさせ給え。さなくしては後悔あるべし」と。
「かつへて食をねがい」とは、飢えている時に食べ物を切実に求めるようにということ。
「渇して水をしたう」とは、ノドがカラカラに渇いたとき、心から水を求めるようにということ。
「恋いて人を見たきがごとく」とは、恋しい人に何としても会いたいと思うように
「病にくすりをたのむがごとく」とは、病気のときただ薬を頼みとするごとくに、ということ。
このような思いで法華経を信ぜよ。さもなければ後悔するであろう――と。
一生を虚しく過ごしたら、死してのち必ず悪道に堕する。そのときになって後悔してもおそい。だから一生成仏を真剣に求めるのです。
「法華経には信心をいたさせ給え。さなくしては後悔あるべし」との仰せ、心肝に染めてほしい。
この「法華経」とは、釈尊の説いた熟脱の法華経ではない。下種の法華経すなわち南無妙法蓮華経の御本尊の御事です。
大聖人様がここに教えて下さった譬え、まことにわかり易いですね。このとき上野殿はわずか二十一歳。ゆえにわかり易い譬喩を以て懇切にお教え下されたのであります。
いいですか。飢えている時に食べ物を求めるのも、恋する人に会いたいと思うのも、病気のときに薬を頼むのも、すべては自発でしょ。人に命令されたものではない。自らの心の奥から起きてくる切実な思いです。
この思いで、大聖人様を「有難い」「お慕わしい」と恋慕渇仰して勤行を申し上げる。だから勤行はいちばん楽しい、待ち遠しいのです。
「また勤行の時間が来ちゃった」なんて(笑)思うようではいけない。勤行はイソイソとさせて頂くのです。
大聖人様の御当体は即 戒壇の大御本尊であられる。この戒壇の大御本尊を、我が家より直接、距離を乗り越えて恋慕渇仰して拝し奉る。これが遥拝勤行です。
この遥拝勤行により、我が心に仏様が宿って下さる。大聖人様が宿って下さるのです。ゆえに松野殿女房御返事には
「南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う」と。
「日蓮大聖人の御魂は南無妙法蓮華経の大御本尊である」と信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、凡夫の我が心に仏様が宿って下さる。ここに仰せの「釈迦仏」とは、その深意は熟脱の釈迦仏ではなく、本因妙の釈迦仏すなわち久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人の御事であります。
大聖人様が我が心に宿って下されば、その人はもうただの素凡夫ではない。大聖人様の子供であり、分身です。だから必ず一生のうちに成仏させて頂ける。よき臨終を遂げさせて頂ける。これほど有難いことはない。
そして大聖人様の分身ならば、我もまた熱と光を持つ〝小さな太陽〟です。この熱と光で後輩を温かく育て、広宣流布を進める。これが仏弟子の姿であります。
この仏弟子の集団・顕正会は、大聖人様の御守護により間もなく三百万になる。さらに一千万、六千万になり、ついに日本一同が大聖人様を恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉るに至れば、国家意志の表明を手続として本門戒壇が建立され、その国立戒壇に、いよいよ戒壇の大御本尊様がお出ましあそばすのです。
このことは、大聖人様の絶大威徳でなされる御化導であれば、大地を的として必ず成就するのであります。
さて、私は前々から「20年代こそ広宣流布の決戦場である」と思い定めておりましたが、20年代に突入するや、すべての変化が急テンポになって来ましたね。世間の動きも急テンポ、そして広宣流布も必ず急テンポになるのです。
たとえば、津波は沖合にあるときにはゆるやかであっても、入江に入るや急にその勢いを増すのと同じです。
20年代第一年の昨年は、新型コロナウィルスがあっというまに全世界に感染拡大した。世界の感染者数は本年2月23日現在で1億1174万人。死者数は247万人に及んでいる。
この中でアメリカの死者数は50万人を超えた。バイデン大統領は「この数は、第一次世界大戦と第二次世界大戦とベトナム戦争を合わせたよりも多い」といって悲しんでいた。
まことにわずか0・0001ミリのコロナウィルスの力が、いかに凄いかがわかりますね。
それだけではない。この新型コロナがいま、世界経済の崩壊すなわち世界大恐慌を引き起こしつつあるのです。このとき日本はもちろん財政破綻に陥るが、世界全体に対する影響力から見れば、こんどの世界大恐慌の震源地はアメリカです。
どういうことか――
新型コロナ対策で、世界各国は大規模な金融緩和と財政支出をした。そのカネがいま株式市場に流入して、米国は史上最高値となり、日本も30年6ヶ月ぶりに3万円を超す高値を付けている。
だが、アメリカ政府はコロナ以前から大借金を抱えているのです。2019年10月31日時点でその債務は約23兆ドル(約2500兆円)を超えている。
そのうえいま、新型コロナ対策のために借金が約3兆ドル上乗せされた。さらに今後もコロナパンデミックが収まるまで、借金は年々増大せざるを得なくなっている。
アメリカは世界第1位の経済大国ではあるが、無限に借金できるわけではない。
国債というのは政府が発行する借金の証文です。もし「アメリカは危ないのではないか」「国債は返還されないのではないか」と人々が感じ始めたら、アメリカ国債の信認がゆらぐ。
そうなると、マーケットの論理によって国債価格が暴落し、金利が上昇する。その結果、通貨のドルが暴落し、アメリカ株式市場も暴落する。いわゆるトリプル暴落が起こるのです。
前回の世界恐慌は、1929年に始まったアメリカの株式市場の暴落が引き金となったが、今回はアメリカの国債暴落が世界大恐慌の引き金になる。
このアメリカの国債を、日本・中国を始めとして世界各国の政府および年金基金・保険会社などの金融機関が幅広く保有している。
だから、アメリカ国債がもし暴落すれば世界各国が大打撃を受ける。それに加えて基軸通貨であるドルと米国株が暴落したら、世界経済はいったいどうなってしまうか。
一経済学者は「このとき株価は市場全体で5分の1前後にまで暴落する」との予測さえしている。
まさに第二次世界大戦後の世界が、未だ経験したことのない世界大恐慌がここに起こるのです。
それは遠い将来ではない、もう間近に迫っている。いまの米国および日本の株価高騰は、この大恐慌直前に咲いた徒花に過ぎないのであります。
私は仏法の上から、この未曽有の世界大恐慌は、やがて始まる世界大闘諍の前ぶれであると思っております。
そして世界大恐慌の震源地はアメリカであるが、次いで起こる世界大闘諍の震源地は中国であると思っております。
中国は経済力においてはアメリカに次いで世界第2位、軍事力においてもすでにアメリカを脅かしつつある。
そして政治体制は中国共産党の一党独裁で、国内の異論は一切許さない。
その中国共産党にとって、2021年は「結党100周年」に当り、2049年は「建国100周年」すなわち中華人民共和国建国より100周年に当る。
中国は「建国100周年までに世界の覇権を奪取する」という大野心を懐いている。
そのための第一段階がアジアの制覇です。ゆえに次のごとく公言をしている。
「20年代に、アジアから米国勢力を駆逐し、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」
と、これが中国の第一目標です。
中国の領土拡大の執念と残忍さは、世界に類がない。隣国のチベット、ウィグル、香港における行為を見れば一目瞭然ですね。
チベットでは、チベット仏教の僧侶が焼身自殺をして中国の暴虐に抗議をしたこともあった。
また新疆ウィグルでは、少数民族ウィグル人への人権弾圧の惨状が最近明らかになった。英国のBBC放送が報道したからです。
ウィグルでは、中国が「再教育」と称して、ウィグル人を100万人も「再教育施設」に強制収容して、中国の思想を強要しているが、収容されていたウィグル人女性の証言に基づいて、BBC放送がその実態を報道したのです。
それによれば「ウィグル人女性に対し、中国兵は集団で、性的暴行や虐待・拷問を組織的に行ない、毎晩、女性の悲鳴が響き渡っている」という。
アメリカのポンペオ前国務長官は「中国政府は100万人以上を強制収容し、拷問や不妊手術を強要している」として、「ジェノサイド」(大量虐殺)と非難し、来年の北京冬季オリンピックの開催地変更を求めた。
また英国のアダムズ外務閣外相は「BBCの報道が、悪魔の所行を明らかにした」と指摘して国際的調査の必要性を訴えた。さらにバイデン米政権も国際的調査を求めている。
だが、日本の政界からはこのような声は全く聞こえてこない。東京五輪では森喜朗組織委員長の「女性蔑視発言」とかで日本中が非難一色になったが、森が弱いと見れば、池に落ちた犬を叩くようなこの付和雷同、いかにも軽薄で、みっともない。
そして中国のウィグル弾圧には黙っている。黙っていることは与同することになるのです。日本はまことにだらしない。
日本は中国に対しては、属国のように卑屈になっているのです。その卑屈さは、つい最近の一事を見ればよくわかる。
昨年11月24日、中国の王毅外相が来日して茂木外務大臣と会談した。席上、王毅は「尖閣諸島は中国の領土である」と強調したうえで、日本の漁船がこの水域に入ってくることを非難した。だが茂木外相は少しの反論もしなかったという。
さらに会談を終えたのち、王毅と茂木は二人そろって記者会見に臨んだ。ここで王毅は、日本漁船の出入について記者たちにこう述べた。
「真相がわかっていない日本の漁船が〝敏感な水域〟に入る事態が起きている。中国側としては、やむを得ず必要な対応をしなければいけない。中国は引き続き主権を守っていく。敏感な水域で事態を複雑にする行動は避けるべきだ」と。
日本の漁船は、法令に基づいて操業しているのです。その漁船に対し「中国の水域に入ってくるのは怪しからん」との暴言を吐いたのです。
ところが茂木外務大臣はこれを聞いても一言も抗議せず、薄ら笑いを浮かべながらこれを聞いていた。そして記者会見の最後には中国語で「謝 謝(ありがとう)」とお礼まで述べたという。
このような卑屈な日本で、どうして尖閣諸島が守れましょうか。
尖閣諸島は本来、日本固有の領土なのです。しかるに中国は1971年になって、いきなり「中国の領土だ」と言い出した。なぜこんなことを言い出したのかと言えば、その年に、尖閣諸島の周辺海域に海底資源があることがわかったからです。この1971年というのは正本堂完成の前年ですよ。まさに御遺命破壊とともに、日本に危機が迫って来たのです。
また台湾攻略は中国の建国以来の悲願ですが、この台湾攻略には尖閣諸島が戦略的に重要な位置を占めている。ゆえに中国は尖閣の領有権を「核心的利益」という表現を用いてまで、強く主張しているのです。
このように中国共産党は、他国の領土であろうと、必要があれば平然と領有権を主張して侵略することを常套の手段としている。これを「修羅界の国」というのです。
この修羅界の国が、中国共産党「結党100周年」の本年を迎えて、いよいよ東シナ海へ本格的に侵略を始めた。
その号鐘が本年2月1日から施行された「海警法」であります。
この海警法というのは全11章84ヶ条から成る膨大なものですが、その肝要部分を一言でいえば、「尖閣諸島は中国固有の領土である」という大ウソを大前提としたうえで、次のように一方的に取り決めているのです。
「尖閣周辺の中国海域に入り込んだ日本の船舶に対しては、発砲等の武力行使を認める」と。
こんな一方的かつ乱暴な法律がどこにある。これは明らかに国際法にも違反している。まさに日本に対する「宣戦布告」にも等しいものです。
この数年、中国の海警船が尖閣諸島周辺に出没して領海侵入することが常態化していたが、日本は毅然たる対応を全くして来なかった。これでは尖閣周辺海域は「中国管轄海域」になってしまう。
そして本年2月1日から、この海警法が施行されたのです。
さっそく15日から16日にかけて、尖閣周辺の日本領海に中国海警局の船4隻が侵入した。そのうち1隻は機関砲を搭載していたという。すでに中国の海警船には67ミリ砲の艦砲と副砲ならびに2基の対空砲を含む、海軍の艦船並の兵器が搭載されているのです。
日本の海上保安庁巡視船ではもうこれに対応できない。もし海上自衛隊が出動すれば戦闘になるかもしれないが、アメリカに国防を委ねている日本政府に、尖閣諸島を死守する決意はあるのか。
もし優柔不断ならば、次には沖縄が襲われる。そしてついには必ず日本の本土が侵略されること疑いない。
安保条約第五条があっても虚しい。それは先般も申しましたが、米国が来援すれば必ず核の全面戦争を招く。そのような重大な犠牲を払ってまで、米国が日本を助けるわけがないのです。
かくて日本は「自惟孤露・無復恃怙」(自ら惟るに孤露にして復恃怙無し)つまり孤立無援となる。
そして中国の圧倒的な軍事力に蹂躙されて、亡国を招くのであります。
どうしてそうなるのか――。
この根本原因は、世間の智恵ではとうていわからない。すべては「仏法より事起こる」のです。
大蒙古の侵略があった直後の文永十一年十一月、大聖人様は「聖人知三世事」という御書をお認めになられ、次のごとく仰せ下されている。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」と。
まず「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」と仰せられている。
―日蓮大聖人こそ、インドに出現した熟脱の釈迦仏も遠く及ばぬ、実に三世十方の諸仏の本地・根源たる久遠元初の自受用身、末法下種の本仏にてまします。
この御本仏、大悲願力を以て末法に出現し、自ら身命も惜しまず、一切衆生に成仏の大法たる三大秘法を授与し給う。
しかるに、当時の日本国は第六天の魔王にたぶらかされ、上一人より下万民にいたるまで、この大慈大悲の御本仏を軽んじ毀り、竜の口では御頸を刎ね奉らんとし、さらに佐渡に流罪した。
このゆえに、仏法守護の梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は隣国に申しつけて、この日本国を侵略し責めしむるのである――と。
この仰せを拝すれば、当時の日本が、歴史始まって以来の他国侵逼を受けた根本原因が、よーくわかりますね。
まさしく「一閻浮提第一の聖人」を怨むがゆえに、他国侵逼の大難は起きたのであります。
だがその後七百年を経て、日本国は未だに、大聖人様の御頸刎ね奉らんとした血の凍るような大逆罪を改悔していない。
ゆえにこの大禍は「現当二世にのがれがたし」となる。御在世だけでなく、未来日本国も、必ず他国侵逼の大難を受けるのです。
そのうえいま広布前夜にいたって、こんどは正系門家が第六天の魔王にたぶらかされ、学会・宗門ともに唯一の御遺命たる「国立戒壇建立」を抛ち、さらに学会においては、あろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉り、宗門は今この大御本尊様を「営利の具」とし奉っている。
この極限の大謗法・師敵対、諸天どうして許しましょうか。ゆえに諸天は隣国に申しつけて、今この日本を罰せんとしているのです。
ここに報恩抄の
「時に隣国の怨敵、かくの如き念を興さん。当に四兵を具して彼の国土を壊るべし」との仰せが、事実となるのであります。
いいですか。御在世も今も、大聖人様に背き奉るゆえに他国侵逼の大罰が起こるのです。
だが、大聖人様の大慈悲たるや、この大罰を用いて、御在世には逆縁の広宣流布をあそばして、未来に仏に成るべき種を全日本人の心田に下ろして下さった。
そして未来には、いよいよ順縁広布をあそばすのであります。
上野抄に仰せの
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
とはこのことであります。
この順縁広布の時はもう近い。
このとき御奉公を申し上げるのは、御遺命を守護し奉ったゆえに解散処分を受けるとも、一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外にはあるべくもない。
いま濁悪の日本国・濁乱の宗門の中において、大聖人様の御遺命のままに広宣流布・国立戒壇建立に戦う、清純なる二二三万余の仏弟子の大集団が出現したことは、なんと不思議なことか。
これすべては大聖人様の御守護による。
そして、大聖人様が広宣流布をあそばすその最終段階に御奉公が叶うとは、顕正会はなんと有難い宿縁か。
20年代は、世間の動きも急テンポ、広宣流布の戦いも必ず急テンポになる。
日本の傾きが誰の目にも明らかになるにつれ、人々は必ずお救い下さる仏様を、心の奥で求めるようになる。これが「衆生に此の機有って仏を感ず」(御義口伝)ということです。
いまその時が近づきつつある。
顕正会は仏弟子として、早く全日本人に
「日蓮大聖人こそ日本の柱であられる。柱なき日本は亡ぶ」ということを教えなければいけない。そして
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」との大慈悲の師子吼を、全日本人の心魂に徹するまで教えなければいけない。
広宣流布の決戦場たる第二年、最初の法戦の二・三・四月は、二万の誓願を立てて開始しましたが、一昨日の22日現在、すでに誓願の70%を超えております。
一国が総罰に怯える中でのこの大情熱、私はただ有難い。
さあ三月・四月と、さらに勢いを増し、全組織が誓願を大きく突破してほしい。
三百万こそ広宣流布の重大関門であります。
早く御馬前に駒を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)