きょうの総幹部会も素晴らしいですね。私は一人ひとりの登壇を聞いていて、胸を打たれた。
まことに御本尊様の功徳の有難さ、そして広宣流布に対する熱烈なる情熱、これを聞いているうちに「顕正会の信心で必ず広宣流布ができる」との思いが、改めて強く胸に込み上げてまいりました。
総幹部会こそ顕正会の命です。月々に総幹部会を開くたびに、私は広宣流布の軸が大きく回わりゆくを、ひしひしと感じます。
この六・七月法戦は「一万三千」を誓願して前進を開始いたしましたが、今週月曜日の六月二一日現在で、一万〇二九〇名、七九%までの弘通がなされております。まことに凄いですね。
一国総罰の中で、この力強い大法弘通。私は全顕正会員の信心の真心、ただ有難く思っております。
今の日本を見てごらんなさい。
「大疫病」のコロナはいよいよ「七・八月にかけて変異株の感染爆発が始まる」と専門家がみな口をそろえているのに、政府は国民の命を無視してオリンピックを強行せんとしている。
その裏には、利権の巣窟と化している「IOC」と一体になって、名誉心と利権を貪る日本の政治家どもの醜い姿がちらつきます。
日本はいま世界最悪の財政状況に陥っているのですよ。オリンピックに三兆・四兆というムダガネを使うゆとりなどないのです。そのうえ首都圏直下・南海トラフの巨大地震は足下に迫り、他国侵逼も刻々と近づきつつある。
しかるに、国家の安危も忘れてオリンピックに現を抜かす政治家どもは、まさに「佞人は危うきに居て安きを欲う」(富木殿御書)の、佞人そのものと言わねばなりません。
この濁悪の世で、大聖人様の御遺命のままに、人を救い国を救わんと広宣流布・国立戒壇建立に身を捨てて立つ顕正会こそ、日本で唯一の仏弟子の大集団なのであります。
さてこの七月は、大聖人様が「立正安国論」を以て始めて国主を諫暁あそばされた月であれば、本日は、立正安国論の御意を謹んで拝し奉りたいと思っております。
立正安国論は、立宗より七年後の御年三十九歳の大聖人様が、文応元年七月十六日に時の国主・北条時頼(最明寺時頼)に宛てられた、国家諫暁の一大重書であります。
この三年前の正嘉元年には、五月・八月・十一月と三度も大地震があった。とりわけ八月二十三日の地震は前代未聞の激烈さで、鎌倉中の寺社が倒壊し、家屋の下敷きになって惨死した者は無数。さらにこの大地震を機として、天地が狂ったように大風・大洪水・大火・大飢饉・大疫病等が続き、ために死者は巷にあふれ、ついに国中の過半の人々が死を招くに至ったのです。
このさまを「安国論御勘由来」には、次のごとく仰せられている。
「正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戍亥の時 前代に超えたる大地振、同二年戊午八月一日大風、同三年己未大飢饉、正元元年己未大疫病、同二年庚申四季に亘って大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ」と。
この大災難は何ゆえ起きたのか。日本国にこのことを知る者は一人もいない。
ただ日蓮大聖人御一人、その根源を知り給うた。すなわち、これ「一国の謗法に依る」と、深く深く知り給うたのであります。
では、その謗法とは何か――。
謗法の罪にも浅深・軽重がある。弥陀・念仏等に執着して釈尊・法華経に背くのは謗法である。だがこの謗法はその罪は未だ軽い。
極重の謗法とは、いま末法に久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人出現して、大慈大悲を以て三大秘法をお勧め下さるに、邪法の悪僧らに誑かされて、一国こぞって日蓮大聖人と南無妙法蓮華経を憎み謗り奉る。これこそ極重の謗法である。このゆえに正嘉元年以来の大災難は起きたのであります。
大聖人様はこの大災難をごらんになって
もし謗法を止めなければ、必ず自界叛逆・他国侵逼の二難が起こることを厳然と予言し給い、早く邪法を捨てて正法を立て、金剛不壊の仏国を実現せよと国主を諫暁あそばされた。これが立正安国論であります。
思うに、当時の独裁武断政治の下において、邪法を深く信じている国主に対して「邪法を捨てて正法を立てよ」と諫暁し給うことが、どれほど御命の危険を招くことか。ゆえに教機時国抄には
「身命定めて喪わんか」と仰せられている。
この仰せのごとくに、立正安国論奏進の翌月には、念仏者数千人が夜中に松葉ヶ谷の草庵を襲い、大聖人を殺害せんとした。
さらにその翌月には、国家権力による伊豆流罪があった。
伊豆よりお還りになった翌文永元年には、小松原の剣難があった。地頭・東条景信が数百人の武装兵士を引き連れて小松原に待ち伏せし、大聖人の御命を奪わんとした。
そして文永八年には、あの絶体絶命の竜の口の大法難があり、引き続き極寒の地・佐渡に流罪された。
まさに命がいくつあっても足りないような大難が、立正安国論のご諫暁を機に波のごとくに起きたのです。
まことに、一切衆生を現当二世に救わんと、身命をも惜しみ給わぬこの大慈大悲を拝すれば、ただひれ伏して合掌し奉るのみであります。
御予言 一分も違わずそして、二難の御予言のうち、自界叛逆の難は、立正安国論奏進十二年後の文永九年に北条一門の同士討ちとなって現われた。また他国侵逼は、その二年後の文永十一年に大蒙古の責めとなって現われている。
御予言は一分も違わず符合したのです。
ゆえに大聖人様は「此の書は徴有る文なり」と仰せられている。
まさに立正安国論こそ、理論と現証の一致を以てお示し下された、未来永遠にわたる国家安泰・世界平和の一大明鏡、全人類を現当二世にお救い下さる根源の指南書であります。
ゆえに人類の存する限り、国家の在る限り、立正安国論にお示し下された法則のままに、国家も、人類も、動いていくのであります。
次に、大聖人様の一代御化導において、この立正安国論はいかなる位置にあるかを拝します。
大聖人一代御化導の目的は、三大秘法を以て日本および全世界の一切衆生を現当二世にお救い下さるにあられる。すなわち仏国の実現です。そして、この仏国を実現する一大指南書が実に立正安国論なのです。ゆえに大聖人様の一代御化導は、そのまま立正安国論の実践であられる。
されば立正安国論こそ、大聖人一代御化導を貫く大綱の御書であります。大綱とは、大づな・大本の意です。
では、他の御書との関係はいかにと申せば
竜の口以降に著わされた開目抄・観心本尊抄・法華取要抄・撰時抄・報恩抄・三大秘法抄等の重要御書は、御化導の進展に伴って、それまで御胸中に秘しておられた三大秘法の実体を明かし給うておられるのです。
いいですか。立正安国論においては、「立正」の「正」についても、未だその内容を明かしておられないのです。
結文において「実乗の一善に帰せよ」と示されるとも、これは爾前権経に執する念仏等を破する立場、すなわち権実相対の立場で仰せられた御表現で、未だ、御本意の寿量品・文底秘沈の三大秘法を「正」とは明かしておられない。
それは、立宗早々であり、未だ身業読誦も終わらず、よって、これを深く胸中に秘められ、「正」の内容はその後の重要御書において、御化導の進展とともに顕わし給うのです。
ゆえに佐渡御流罪直後の開目抄を拝すれば、まず三大秘法の中の「人の本尊」をお示し下されている。すなわち結文において
「日蓮は日本国の諸人に主・師・父母なり」と仰せられている。主・師・親の三徳は、即「人の本尊」ということです。これは日寛上人の御指南です。
さらに下種本仏成道御書にはこの開目抄の御意を、次のごとく仰せられている。
「開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘へたり。
此の文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。
平左衛門既に日本の柱を倒しぬ。只今、世乱れてそれともなく夢のごとくに妄語出来して此の御一門同士討ちして、後には他国より責めらるべし。例せば立正安国論に委しきがごとし」と。
このように開目抄と立正安国論との関係をお示し下されている。
また三大秘法の中の「法の本尊」については、観心本尊抄において
「本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊 此の国に立つべし」と。
この仰せは実に「本門戒壇の大御本尊を建立すべし」との御予言であります。
さらに身延ご入山後の法華取要抄においては三大秘法の内容を「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と明示され
撰時抄においては「最大の深秘の正法」と示され
さらに御入滅の年の弘安五年四月の三大秘法抄に至っては、それまで深く胸中に秘し給うておられた「本門の戒壇」について、始めてその内容を説き明かし給うておられる。
このように、竜の口以後の重要御書は、まさしく「立正」の二字の深意を開示し給うた重書であります。
されば
これら重要御書を横糸として攝し、縦に一代御化導を貫く立正安国論こそ、御書四百余篇の首位・代表と拝すべきであります。
ゆえに日寛上人は「此の論、首に居く事」と題して、次のごとく御指南下されている。
「およそ此の論はこれ国主諫暁の書、兼讖(予言)差わざるの判なり。いわんや句法玉を潤し、義勢地を震う。ゆえに師 自讃して云く『白楽天の楽府にも越え、仏の未来記にも劣らず』と。乃至、他国侵逼・自界叛逆の兼讖秋毫も差わず、寧ろ仏の未来記にも劣らざるにあらずや。この論・首に居すること、誰かこれを疑うべけんや」と。
「首」とは最上位ということ。立正安国論は御書四百余篇の最上位に位置すると仰せられているのです。
以上のごとく、立正安国論は一代御化導を貫く大綱であれば、大聖人の御一代は、まさに立正安国論に始まり立正安国論に終わっておられる。
すなわち
立宗より七年目、立正安国論によって国家諫暁は開始され、それより三類の強敵が競い起こった。大聖人はこの三類の強敵を用いて、竜の口において久遠元初の自受用身と成り給い、成道を遂げ給うた。
また立正安国論に予言された自界叛逆・他国侵逼の的中により、末法下種の御本仏・一閻浮提第一の聖人であられることが立証された。
さらにこの二難現前の大現証を期として、未来国立戒壇に安置し奉る「本門戒壇の大御本尊」は建立された。
かくて出世の御本懐を遂げ給うたのち、弘安五年の御入滅に際して門下一同に講じ給うたのが、この立正安国論であられた。この最後の御講義こそ、「国立戒壇を建立して仏国を実現せよ」との、門下一同に対する御遺命であります。
以上のごとく拝すれば、大聖人様の一代御化導は、まさに立正安国論に始まり立正安国論に終わるを知り奉ることができる。さればこの一書に、大聖人様の御願業のすべてがこめられているのであります。
さて、立正安国論の自界叛逆・他国侵逼の御予言は、なぜ一分も違わずに符合したのでありましょうか。
世間の人々は、海外からの情報を知り得たのではないか、などと憶測するかもしれないが、そんな浅薄なものではない。
いいですか。
大聖人様は実に、諸天に申しつけて自界叛逆と他国侵逼を起こさしめ給うた。だから御予言は一分も違わないのです。
大聖人様は諸天に申しつけて御化導をあそばす。これが仏様の絶大威徳であられる。
このことについて、誰人も否定できない現証を三つ挙げます。
国家権力による死刑は絶体絶命です。だから当時日本の人々は、大聖人の御頸は必ず刎ねられると思っていたに違いない。
だが、大聖人様は竜の口の刑場に向かう途中、八幡宮の前で馬を止めさせ、八幡大菩薩を大音声で叱責された。すなわち早々に守護すべき旨を申しつけておられるのです。
八幡大菩薩というのは、第十六代の応神天皇のこと。実在の天皇です。
日本においては八幡大菩薩・天照太神を「神」と言う。ただしこの神はキリスト教の「ゴッド」とは違う。「ゴッド」などは、実には存在しない想像上の架空のものです。
仏法でいう神は、高徳の国主が崩御されたのち、その国主を尊敬して「神」と称する。だから実在です。
天照太神は日本国最初の国主、そして八幡大菩薩は第十六代・応神天皇。天照太神も八幡大菩薩も本地は教主釈尊であり、その垂迹なのです。ゆえに日眼女抄には
「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり」と仰せられている。
この日本は、久遠元初の自受用身が御出現になる国であるから、この御本仏を守護するために、釈迦仏が垂迹して日本に天照太神・八幡大菩薩となって現われるのです。
そして法華経の会座においては、天照太神も八幡大菩薩も、末法出現の御本仏を守護し奉るとの誓いを立てている。
ゆえに大聖人様は竜の口刑場に赴かれる直前、八幡宮の社前において、こう仰せになっておられる。
「日蓮、今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請(誓約)を用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計いあるべし」と申しつけられた。まさに御命令です。
そしてその直後、御頸まさに刎ねられんとしたとき、「月のごとく光りたる物」が突如出現して、太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、警護の武士たちもことごとくひれ伏してしまったという大現証が起きた。
これまさしく、大聖人様の申しつけ、御命令によって、諸天が守護し奉った大現証であります。
また佐渡御流罪のときには、大聖人様は昼は日天に対し、夜は月天に対して、「忽ちに国にしるしを見せ給へ」と申し付けておられる。
その結果、北条一門の「同士討ち」すなわち自界叛逆がたちまち起き、わずか二年六ヶ月で、堂々と佐渡から鎌倉にお還りあそばされているのです。
そして第三の現証は、いよいよ大蒙古の責め、すなわち他国侵逼であります。これも大聖人様の諸天への申しつけによって起きている。
建治二年四月に四条殿に下された「王舎城事」という御書には、こう仰せ下されている。
「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天 罰し給いて、皆人に見懲りさせ給え、と申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは、是れにて御覧あるべし。乃至、あへて憎みては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
「法華経の敵となりし人」とは、大聖人を憎み南無妙法蓮華経に敵対した人々のこと。これらの人々を、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は罰して、みな一同に見懲りさせよと、「申しつけて候」と仰せられている。
これ大蒙古の責めを、大聖人様が諸天に申しつけ給うた重大な文証であります。
そして次文には
「あへて憎みては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
当時、日本国中の人々は念仏・真言等の悪僧どもに誑かされて、日蓮大聖人に敵対した。だが人々は、それがどれほどの罪業になるかを知らない。死してのち無間地獄に堕つることも知らない。無間地獄に堕ちてしまったら、もう取り返しがつかないのです。
ここに大聖人様は大慈大悲を起こされ、諸天に申しつけて他国侵逼を起こさしめ、この現世の大罰を以て人々を改悔せしめ、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとあそばされた。
これほどの透徹した大慈大悲がありましょうか。
もし一分でも改悔すれば、それが下種となって未来に仏に成ることができる。これが大聖人御在世の逆縁広宣流布です。これほどの大慈大悲はないのです。
さらに、大蒙古の責めにより亡んで当然であった日本国をも、諸天に申しつけて冥々のうちに守護下された。
二度の蒙古の襲来を見てごらんなさい。蒙古の軍勢は圧倒的で、とうてい日本が勝てる相手ではない。日本は戦って勝ったのではない。二度が二度とも、猛烈な大風が蒙古軍を襲い、その結果、大蒙古の軍勢は本国に引き揚げたのです。
これも大聖人様が諸天に申しつけて、冥々のうちに日本国を守護して下さったのです。
まさしく大聖人様は諸天に申しつけて御化導をあそばすのです。だから御予言は寸分も違わない。この絶大威徳は、久遠元初の自受用身なればこその御威徳であります。
では最後に、立正安国論の「奥書」を拝します。
この奥書とはどういうものかと申せば――
立正安国論奏進九ヶ年のちに、大蒙古国から侵略の意志を示した国書が到来した。さらに翌文永六年にも再び同様の国書が到来した。このとき大聖人様は、改めて立正安国論を御自ら書写され、その文末に所感を記入あそばされた。それがこの「奥書」であります。
では、その全文を拝読いたします。
「文応元年太歳庚申之を勘う。正嘉より之を始め、文応元年に勘え畢んぬ。
去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う。其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以て宿屋禅門に付して故最明寺入道殿(北条時頼)に奉れり。其の後文永元年太歳甲子七月五日大明星の時、弥々此の災の根源を知る。文応元年太歳庚申より文永五年太歳戊辰後の正月十八日に至るまで九ヶ年を経て、西方大蒙古国自り我が朝を襲う可きの由牒状之を渡す。又同六年重ねて牒状之を渡す。既に勘文之に叶う。之に准じて之を思うに、未来亦然る可きか。
此の書は徴有る文なり。是れ偏に日蓮の力に非ず、法華経の真文の感応の至す所か。
文永六年太歳己巳十二月八日之を写す」と。
冒頭に
「正嘉より之を始め、文応元年に勘え畢んぬ」とあります。
一筆万言たちどころに成る大聖人様が、正嘉の大地震より満三年の沈思黙考を経られたのちに、この立正安国論を著わしておられるのです。以てこの一書の容易ならざる重大さを拝すべきです。
まさに立正安国論こそ一代御化導を貫く大綱の御書であり、御本仏の大願はこの一書にこめられていることを、ひしひしと感ずるものであります。
さらに奥書には、こう仰せられている。
「文永元年太歳甲子七月五日大明星の時、弥々此の災の根源を知る」と。
この「大明星」は俗に言う「宵の明星」の金星ではない。大彗星を指すのです。
文永元年七月の大彗星は、七六年周期のハレー彗星などとも異る。
この文永元年の大彗星は「長さ一天にわたる」といわれている。まさに全天空を横断するほどの長大な大彗星だったのです。
この大彗星は正嘉の大地震とともに、仏法上の深い謂れより出現したのです。
いかなる謂れかといえば、法蓮抄には
「予、不肖の身なれども法華経を弘通する行者を、王臣人民之を怨む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるひ、天神身より光を出して此の国をおどす。いかに諫むれども用いざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし」と。
すなわち、御本仏出現して大慈悲を以て南無妙法蓮華経を勧め給うに、国主・万民かえって怨をなせば、諸天はまず前代未聞の天変地夭を以てその大謗法を諫め、もしこの諫めを用いなければ、自界叛逆・他国侵逼を起こさしめる。
まさに正嘉の大地震・文永の大彗星は、諸天が天変地夭を以て一国の謗法を罰した姿であり、同時に自界叛逆・他国侵逼の前相・予兆であったのです。
ゆえに大聖人様は正嘉の大地震をごらんになって立正安国論を認められ、文永の大彗星をごらんになって「弥々此の災の根源を知る」と仰せ給うたのであります。
さらに奥書には
「既に勘文之に叶う。之に准じて之を思うに、未来亦然る可きか。此の書は徴有る文なり」と。
大聖人様が立正安国論に「他国侵逼の難」を予言された時、日本中の誰がこれを信じたであろうか。
そうでしょ。日本は四方を海で囲まれているのです。開闢以来未だ曽て外敵に侵略されたことがない。ゆえにこの御予言は荒唐無稽の威しとも取られたに違いない。
だがそれより九ヶ年を経て、大蒙古国から日本国を襲うべき由の国書が到来し、その六年後の文永十一年には、ついに大蒙古国の軍船が海を覆って日本に襲来した。御予言は一分も違わず符合したのです。
まさに立正安国論は理論と現証の一致を以て示された国家安泰・世界平和の一大指南書である。ゆえに未来も亦、この法則のままに、国家も人類も動いていくのであります。
ことに「未来亦然るべきか」との仰せは、未来広宣流布の前夜に、再び日本国に、立正安国論に御示しの深刻なる自他の二難が起こることを、兼ねて仰せ給うたものであると、私は深く拝しております。
見てごらんなさい。いま全世界を巻き込む「前代未聞の大闘諍」は、刻々とその姿を現わしつつあるでしょう。
それが、アメリカと中国の抜き差しならぬ対決です。これは世界の覇権を賭しての対決であるから容易なことではない。深刻です。
中国は、共産党が独裁体制を敷いて「世界制覇」を国家目標に掲げる、極めて侵略性の強い「修羅の国」です。
国力も近年急速に強大化し、20年代の終わりまでには、経済規模もアメリカを抜き、軍事力においてもアメリカを凌駕すると豪語している。その侵略はすでに東シナ海・南シナ海一帯に及ばんとしている。
これに対抗してアメリカは、日本・韓国・インド・豪州に呼びかけて対中包囲網を築かんとしている。一方 中国はロシア・北朝鮮その他の諸国と連携して米国と対決せんとしている。
ここに今、世界を二分しての「前代未聞の大闘諍」が近づきつつあるのです。
中国の核多弾頭ミサイルは、すでにアメリカの主要都市を同時に潰滅することができる。アメリカも同等以上の核戦力を持っている。だから先制攻撃をすれば相手国を潰滅させることができるのです。
だが、その先制攻撃に対しては、両国ともに、海中に姿を隠している潜水艦からの核弾頭発射で報復攻撃ができるのです。よって双方ともに、迂闊には手が出せない。
この「恐怖の均衡」により、辛うじて平和が保たれているというのが、世界の現状なのです。
しかし恐怖は核戦争だけではない。今や宇宙戦・サイバー戦・電子戦もこれに加わる。
宇宙戦は、人工衛星を使用して敵国の情報収集・通信を妨害する戦い。電子戦とは電磁波による通信妨害。
いま北朝鮮は電磁波を使って核弾頭を上空で爆発させることに成功したと発表している。もしこれが行われたら、日本全土が一瞬で潰滅するといわれる。
そしてサイバー攻撃とは、コンピューターやコンピューターネットワークのサイバー空間に不正に侵入して、敵国のコンピューターを不正操作する攻撃です。
今年の5月7日、米国の東側海岸にある最大級の石油パイプラインがこのサイバー攻撃を受けて供給停止となり大混乱が生じた。これを見て世界中が驚愕したですね。
このサイバー攻撃を用いれば、原子力関連施設や、航空管制施設や、電気・水道関連施設などの重要インフラを、音もなく機能停止させることができる。原発などは爆発事故さえ起こすに至るという。
いいですか。第一次世界大戦においては毒ガスが始めて使用された。
第二次世界大戦においては、開発早々の原子爆弾が始めて使用された。
そして第三次世界大戦では、想像を絶する破壊力を持つ核兵器に加えて、いま述べたとおりの宇宙戦・サイバー戦・電子戦などもこれに加わる。
もしこの第三次世界大戦が始まったら、人類は絶滅する――。
この大戦争こそ、大聖人様が広宣流布の前夜に起こると御予言下された「前代未聞の大闘諍」そのものであります。
この大闘諍は何ゆえ起こるのか。
それは立正安国論にお示しのごとく
「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」
のゆえであります。
いいですか。大聖人御入滅よりすでに七百年です。しかるに日本一同は未だに大慈大悲の御本仏を信じない、背き続けている。どうして諸天がこの長きにわたる不信・違背を見逃そうか。
その中で、この日本国を諫めるべき正系門家はいま、大聖人様の御遺命に背き奉っている。これほど重大な師敵対はない。
すなわち
創価学会・池田大作は、政治野心のために御本仏の唯一の御遺命たる国立戒壇を捨て、俄に建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
そのうえ「時の貫首」は池田にへつらってこの大悪を承認してしまった。
この罰により、学会・宗門は仲間割れに陥った。
すると池田大作はあろうことか、恐れ多くも戒壇の大御本尊をも捨て奉った。
一方、宗門の阿部日顕は対学会抗争のために、戒壇の大御本尊に敵対している身延派とも連携した。さらに今、恐れ多くも戒壇の大御本尊様を「営利の具」として、御開扉料稼ぎに狂奔している。
学会・宗門のこのような師敵対・極限の大謗法は、正系門家七百年の歴史において未だ曽てない。まさに日本で唯一の正系門家から、御本仏の唯一の御遺命が消滅してしまったのである。
「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家が大聖人様に背き奉って、日本が亡びぬ道理はない。
このゆえに、いま日本国に他国侵逼の大難が刻々と迫りつつあるのです。
この大難は諸天の責めであるから、いかなる手段・方法を以てしても遁れることはできない。
この亡国の大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
このとき、大聖人様はいよいよ日本国の広宣流布をあそばすのです。
ゆえに上野抄には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
そしてこのとき、いよいよ立正安国論の御聖意のままに国立戒壇が建立され、日本は金剛不壊の仏国となるのです。
この重大御化導を、お手伝いし奉る仏弟子の集団は、御遺命のゆえに解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き通し、ついにいま三百万の仏弟子の大集団と成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。
さあ立正安国論の月・七月、いよいよ共に励まし明るく広宣流布を進め
何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)