広布の大熱気が滾る本日の総幹部会、まことに大感動を禁じ得ません。
御遺命成就に戦う団体は顕正会以外にはないことを肌身に感じては、凜然たる決意が込み上げました。
浅井先生の百箇日法要の翌日に「三万」の誓願を立てて戦いを開始した本年の初陣、今週の二月一九日の時点において、顕正会全体で一万六千二二三名、誓願に対して五四%と、まことに力強い弘通がなされております。
いま先生は、この顕正会の大前進を霊山よりごらんになり、お頷き下さっておられるに違いありません。
昨年一二月三日から日曜勤行を再開いたしましたが、大事な御書の一節を引かれ、恋慕渇仰の絶対信に立たしめ、広宣流布の大情熱・大確信を与えて下さる先生のご指導を、臨場感あふれる大画面の映像を通して拝し、また日曜勤行の冊子で改めて活字を以て心腑に染める中に、今いたるところで新入信者や未活動者が奮い立ち、戦いの裾野が広がっていること、有難いかぎりであります。
かつて先生は、日曜勤行の大事についてこのように指導下さいました。
「広布の前進において、力強い一週間のリズムが、この日曜勤行から生まれる。また新入信者にとって、この日曜勤行に参加することは、ことに大切なことと思われる。それは大事な勤行をしっかりと身につけるためである」と。
日曜勤行から信心の大歓喜の波動が広がり、力ある広布の人材が育まれ、ひいては三百万への前進が加速していくのであります。
されば、毎週大勢の同志を日曜勤行に参加させて、さらなる大猛進をしてまいらんと決意いたします。
そして本日の総幹部会でも、学会から入会した人たちが何人も登壇しておりました。
ことに最近では、入会するや忽ち御遺命の正義にめざめ、池田大作一党の「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」に憤激し、猛然と立ち上がる姿が多くみられ、まことに「時」を感じるものであります。
大聖人様は一期弘法付嘱書と三大秘法抄の両抄ともに同じように
「時を待つべきのみ」
と仰せ給い、また日寛上人は撰時抄文段に
「順縁広布何ぞ須く之を疑うべけんや。時を待つべきのみ」
と御指南下されております。
時来たれば、大海の潮が一気に満ちるがごとく、広宣流布は一時に成るのであります。
ならばその前に、六百万学会員が正義にめざめ、共に御遺命成就に戦う同志となることは当然であり、今その潮流がいちだんと力強く起き始めていることをヒシヒシと感じます。
先月の総幹部会で私は、池田大作一党が、日蓮大聖人の出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉る「極限の大謗法」を犯した上に、今般ついに、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを否定し、学会が「未曽有の邪教化」に至ったことについて述べました。
私自身、いま胸に迫るは、浅井先生の学会の「未曽有の邪教化」に対する御憤りであり、そして六百万学会員を救わんとのお心であります。
改めて申すまでもなく、先生は常に「大聖人ここにましませば何を命じ給うか」を拝し奉り、戦ってこられました。
以前に先生は、大聖人御入滅後、五老僧がたちまちに退転する中、日興上人は常に「大聖人ここにまします」の御心で仕えておられ「常在此不滅」(常に此に在って滅せず)を如実に拝しておられたことをご教示下さいました。
それを示す事例として、日興上人が信徒の方々の御供養を常に大聖人の御宝前に供え奉り、あたかも大聖人そこにましますがごとくに報告なされ、信徒へのお手紙に
「法主聖人の御宝前に備え進らせ奉り候い了んぬ」
と認められていたことをお教え下さり、また
「当然、門下の情勢も、具さに報告申し上げておられていたに違いない」
と仰せられました。
このように、日興上人の御振舞いは常に、生きておわする大聖人様に仕え奉るごとくであられたのであります。
浅井先生におかれても全く同じで、発足から試練と忍従、御遺命守護の戦い、「本門寺改称」の陰謀粉砕、阿部日顕への対決申し入れ、一国諫暁と、それは終始一貫「大聖人ここにましませば何を命じ給うか」を信心の耳で聞き奉られ、その御命令に殉ぜんとされたものでありました。
また先生は、総幹部会をはじめ地方大会や御入仏式を終えてご自宅に戻られるや必ず持仏堂において大聖人様に報告なされ、また諫暁書や建白書などを認められた際も直ちに御宝前にそれを供え奉っておられ、そのお姿はいかなる時も、大聖人「常に此に在って滅せず」を如実に拝し奉られるがごとくでありました。
そこに今、平成二六年に池田大作一党が犯した「極限の大謗法」をごらんになり、「学会員を救う特集号」を発刊された際の先生の仰せが、強く耳朶を打つものであります。
すなわち
「この大謗法を見て、責めない者は仏弟子ではない、大聖人の弟子ではない。
ゆえに大聖人様は滝泉寺申状に
『法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり』と。
ここに、『学会員を救う特集号』を発刊したのである」と。
かかる先生が、現在の学会のおぞましき実態をごらんになったら
「この未曽有の邪教化を見て、責めない者は仏弟子ではない、大聖人の弟子ではない」
と仰せられるに違いありません。
ゆえに私は、池田大作一党の「極限の大謗法」と併せ、今般の「未曽有の邪教化」の実態を呵責するとともに、この極重の大謗法を全学会員に知らしめ、急ぎ救ってまいらんと決意した次第であります。
何も知らずに「本門戒壇の大御本尊」を捨てさせられ、「日蓮大聖人」を「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」と尊敬せず、「入阿鼻獄」となる学会員は、まことに不憫であります。
先生は学会員に対するお心を、このように仰せ下さいました。
「私は学会員を憎いと思ったことは一度もない。ただ不憫に思っている。
せっかく大聖人様に縁し、戒壇の大御本尊を信ずる身になれたのに、いま悪師にたぶらかされて、今生には功徳を失い、死後には『入阿鼻獄』となる。これほどの悲惨はない」
「無間地獄に堕ちてしまったら、取り返しがつかないではないか。
無間地獄の寿命は『一中劫』すなわち三億二千万年とされている。このような長い年月この地獄にあって出られぬとは、その大苦はまさに想像を絶する。
しかしこの『一中劫』は、五逆罪を犯して無間地獄に堕ちた場合の寿命である。……もし戒壇の大御本尊に背いて無間地獄に堕ちた者は、一中劫では済まない。経文には『展転して無数劫に至らん』とある。だから私は『取り返しがつかない』というのである」
「『学会』だ『顕正会』だというのではない、『日蓮大聖人の弟子』として、一体になって広宣流布の御奉公をするのは当然ではないか」と。
謹んで思うに、学会員に対する先生のご慈愛は、大聖人様の御悲憤を拝し奉られたものにほかなりません。
すなわち、流罪・死罪の大難を耐え忍ばれ、一切衆生に対し「母の赤子の口に乳を入れん」の大慈悲で「南無妙法蓮華経と唱えよ」とお勧め下さった大聖人様が、第六天の魔王その身に入る悪師・池田大作の道連れになり、未来永劫に無間地獄の大苦に呻吟する学会員をいかに不憫と思し召されるかと、その御悲しみ・御憤りを体された先生の忠誠心から発するご慈愛と拝しては、熱涙が込み上げます。
御金言に寸分も違わぬ美事な成仏の妙相を現じられた浅井先生の御逝去の、わずかひと月のちに、悪臨終ゆえに一切そのことにふれられぬ池田大作の死亡が公表されたことこそ、大聖人様の厳たる御仏意であれば、今こそ六百万学会員が救われる「時」と大確信いたします。
さて、池田大作一党は、長い年月をかけて全学会員に「本門戒壇の大御本尊」を捨てさせ、先般発刊された「創価学会教学要綱」においてついに日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをも否定いたしました。
これらの本質を仏法の眼から見れば、仏法を破壊せんとする第六天の魔王の所為であります。
「魔は仏法をにくむ」という。
第六天の魔王がもっとも憎み、失わんとするものは「本門戒壇の大御本尊」であります。
天魔は全人類成仏の大法をもっとも憎むのであります。
ゆえに平成二六年の教義条項改変と同様、今回の教学要綱でも池田大作一党は「本門戒壇の大御本尊」を否定するために
「広宣流布を阻む日蓮正宗の総本山にある『弘安二年の御本尊』は受持の対象としない」
と重ねて悪言を吐いた上で
「御本尊はどれも同じ」
などと謀っているのであります。
先生はこの謀りについて、文永・建治の御本尊と弘安年中の御本尊の相異、就中、弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ究竟の中の究竟、本懐の中の本懐にてましますことを、迂闊に拝することに恐れ多さを覚えるほどの重大事を以て、次のごとく徹底粉砕しておられます。
浅井先生の呵責
「御本尊はどれも同じ」
池田大作一党が戒壇の大御本尊を捨てさせる手口は、こういうものである。
「大聖人の図顕された御本尊はどれも同じである。したがって、弘安二年の御本尊を唯一絶対とする証拠はない。出世の本懐とする文証はない」と。
「御本尊はどれも同じ」こう言って戒壇の大御本尊を捨てさせるのである。
釈迦仏法における謗法の者たちが「法華経も爾前経も同じだ」といって法華経を捨てさせたのと同じ。いや戒壇の大御本尊を捨てさせるのであるから、その罪は百千万億倍、これを極限の謗法というのである。……このような大謗法をする者は、まさに「其の人命終して阿鼻獄に入らん」の大罰を受けるのである。
いいですか。池田大作一党には、大聖人様が顕わされた御本尊において、文永・建治の御本尊と、弘安年間の御本尊に違いのあることがわからない。また一機一縁の御本尊と一閻浮提総与の御本尊の相異がわからない。
大聖人様は竜の口以後、多くの御本尊を顕わしておられる。……その数は現存するもので百数十幅にも及んでいる。
その中で、文永・建治の六年数ヶ月の間に顕わされた御本尊と、弘安元年より五年に至る間に顕わされた御本尊には、大きな相異がある。
文永・建治は未究竟
このことについて日寛上人は観心本尊抄文段に
「問う、文永・建治の御本尊に御本懐を究尽するや。
答う、文永・建治の御本尊、多く分身及び善徳仏を挙ぐ。此れに相伝あり。或いは仍文上を帯するか」と。
文永・建治の御本尊には、多く十方分身の諸仏および東方善徳仏が挙げられている。その所以については相伝がある。あるいはなお文上を帯びているのか――と。
御本尊のことは恐れ多いが、少し説明する。
中央に「南無妙法蓮華経」とお認めがあり、その左右の上部に釈迦・多宝、上行・浄行・安立行・無辺行とある。ところが文永・建治の御本尊には、釈迦・多宝の左右に、十方分身の諸仏・東方善徳仏等のお認めがある。そのことについて日寛上人は
「或いは仍文上を帯するか」と御指南下されている。文底下種の御本尊ではあるが、なお文上を帯びるかと。
弘安の御本尊は終窮究竟の極説
そしてさらに
「問う、弘安の御本尊に御本懐を究尽するや。
答う、実に所問の如し、乃ち是れ終窮究竟の極説なり」と。
弘安の御本尊こそ、御本懐が究め尽くされた最終究極の御本尊である――と仰せられている。
文永・建治の御本尊と弘安の御本尊の相異について、日寛上人はこのように十方分身の諸仏および善徳仏のことだけを挙げられ、他のことは省略されているが、いま、その省略されている部分を拝推し奉れば、さらにこういうことがわかる。
御名・御判形の位置が異なる
大聖人の「日蓮」という御名および御判形の位置が、文永・建治の御本尊と弘安の御本尊では全く異なる。すなわち文永・建治の御本尊においては、「日蓮」の御名も御判形も、中央の「南無妙法蓮華経」から離れて、脇にお認めあそばされている。
御判形も変貌
さらに重大なことは、御判形の相貌が弘安元年七月の御本尊以降、変貌されているのである。御真蹟御書においては、弘安元年六月二十五日の「日女御前御返事」から変貌されている。御判形というのは、平たくいえば大聖人様の実印で、もっとも重大なものである。
なぜこのように、文永・建治の御本尊と弘安の御本尊のお姿に違いがあるのか。
文永・建治の御本尊は上行菩薩のお立場で
謹んでこれを案ずるに、文永・建治の御本尊は、仏勅使・上行菩薩のお立場で御図顕し給い、弘安の御本尊こそ、まさしく久遠元初の自受用身・末法下種の本仏として御図顕あそばされたもの――と私は拝し奉っている。
ゆえに御判形のお姿も変わるのである。
文永・建治の御本尊が上行菩薩のお立場で御図顕されているという証拠は、文永十一年十二月に顕わされた「万年救護御本尊」に明らかである。この御本尊は第一回蒙古襲来の二月後に顕わされたもので、文永・建治の御本尊を代表する大事な御本尊である。
この万年救護御本尊の讃文には……
「後五百歳の時、上行菩薩世に出現し、始めて之を弘宣す」と仰せられている。文永・建治の御本尊が上行菩薩のお立場で顕わし給うておられること、これで明らかである。
弘安の御本尊は御本仏としてご図顕
そして弘安年中の御本尊を拝見すれば、中央の「南無妙法蓮華経」の直下に接続して「日蓮」の御名がましまし、「蓮」の字を覆って左右いっぱいに広がる大いなる判形がまします。
この御判形こそ、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏の御判形である。
まさしく弘安年中の御本尊こそ、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人の一身の御当体であられる。これ終窮究竟の極説である。
戒壇の大御本尊こそ本懐の中の御本懐
そして日寛上人は
「弘安元年已後、究竟の極説なり。就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」
と仰せられる。
弘安元年以後はすでに究竟の極説であるが、その中でも、弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐である。すでに三大秘法の随一である。いわんや一閻浮提総与、すなわち末法の全人類に総じて授与して下さった大御本尊であられるゆえ――と仰せられる。
だからこそ、大いなる御判形の真下に「本門戒壇也」の重大なる金文がまします。
このような大御本尊は、日本国中、どこにもない。ただ富士大石寺に七百年来秘蔵され、広宣流布の時を待っておられるのである。
もしこの大御本尊を否定する者あれば、宗の内外を問わず、その者は御本仏に背くの逆賊、天魔その身に入るの大悪人である。
極限の大謗法を徹底して呵責される先生の護法のご気魄に圧倒されるとともに、なんと甚深そして重大なご教示かと、魂が激しく打ち震える思いであります。
池田大作一党はこれでも「御本尊はどれも同じ」などと言えるのかと言いたい。
日寛上人は御座配に約して、文永・建治の御本尊と弘安元年以降の御本尊の究竟・未究竟を立て分けられました。
いま浅井先生におかれては、日寛上人が略された「日蓮」という御名と御判形の位置と、御判形の相貌を以て、究竟・未究竟を立て分けられ
弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」こそが「究竟の中の究竟、本懐の中の本懐」「三大秘法の随一」「一閻浮提総与」の大御本尊にてましまし、唯一絶対なることを顕わし奉られ、その御威光を輝かしめられたのであります。
これ、先生ならではの活釈であり、先生が大聖人様の御内証の深秘を如実に拝し奉られている証といえ、およそ今生のみのご勉学によるものに非ずと、恐れながら謹んで拝するものであります。
そして今般、池田大作一党が、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをも否定したことは、これまでに述べた通りであります。
池田大作一党は、教学要綱の巻末の注釈にこのように記しました。
「日蓮正宗の教義では、『御本仏』という表現には、日蓮大聖人が根本の仏であり、久遠実成の釈尊も、その仮現(垂迹)であるという含意があるが、創価学会では、『末法という現在において現実に人々を救う教えを説いた仏』という意味で、大聖人を『末法の御本仏』と尊称する」と。
つまり、インドの釈尊から仏教は始まると思っている世間に阿って、五百塵点劫を遡ること復倍上数・久々遠々の久遠元初における最初の仏である「久遠元初の自受用身」を本仏とするその下種の化導を隠し、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の本源の一仏である「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」にてましますことを否定したのであります。
昭和三十九年に発刊された創価学会発行・池田大作監修の「仏教哲学大辞典」には
「久遠元初の自受用身は、いっさい仏法の本源の御本仏である。そして他の諸仏はその迹仏である」として、日蓮大聖人を「久遠元初の自受用身の再誕」と記しているのですから、自家撞着も甚だしいかぎりであります。
さらに今般の教学要綱において池田大作一党は、末法下種の御本仏にてまします日蓮大聖人のことを、なんと「熟脱の迹仏」である釈尊と同列以下、否、恐れ多くも「凡夫」とすら看做しているのであります。
同書には、大聖人様のお立場について、こう記してあります。
「日蓮大聖人は、単に釈尊から託された『南無妙法蓮華経』を弘める菩薩であるにとどまらず、仏と同じ権能を有して、末法の一切衆生を救う教えを説いた教主である」と。
「菩薩であるにとどまらず、仏と同じ権能を有して」とは何という言い草でしょうか。
そして恐れ多くも、このようにも記しております。
「大聖人は……『撰時抄』に『日蓮は凡夫なり』と述べ、『顕仏未来記』に『日蓮は名字の凡夫』と述べられるなど、自身が凡夫であることを強調されている。……まさに、大聖人は、凡夫の成仏の先駆の道を現実に開かれたのである」と。
この文章にある「凡夫」という言葉の解説を巻末の注釈では
「普通の人間。煩悩・業・苦に束縛され、迷いの世界で生死を繰り返す者」
と説明しているのであります。
要は、大聖人様は「普通の人間」という意味での「凡夫」で、「凡夫の成仏の先駆」「凡夫の成仏の道を現実に開いた大聖人を範として、私たち一人一人もまた凡夫として成仏を目指す」などとしているのです。
まったく以て開いた口が塞がりませんでした。
教学要綱のこのくだりについて、創価大学のある名誉教授はこう言ってのけました。
「この視点は、日蓮の人間化とも評価できる」
あるいは
「日蓮も久遠元初仏の再誕とか、上行菩薩の再誕などと神秘化せず……」と。
これ、池田大作一党の本音をいみじくも言い表わしたものといえます。
まさに言語道断、「未曽有の邪教化」というほかに表わす言葉が見つかりません。
先生は御大会式において、「名字即」には「聞名の名字」と「解了の名字」の二義があり、「名字凡身」の御本仏は「解了の名字即」であることを指導下さいました。
すなわち
「『聞名の名字』というのは、初めて仏法を耳にしたというごく初心の位である。
『解了の名字』というのは、総勘文抄にあるごとく、名字凡身のまま
『一切の法は皆是れ仏法なりと通達解了す、是れを名字即と為す。名字即の位より即身成仏す』とあるのがそれである。
大聖人様はこの『解了の名字即』の位において、凡夫身の御身そのままで『南無妙法蓮華経』という生命の極理を証得され、順逆二縁の衆生に下種の化導をあそばす。これを『名字凡身』の御本仏と申し上げるのである」と。
池田大作一党は当然「聞名の名字」と「解了の名字」の違いを知っていながら、世間に阿って大聖人様を凡夫視して貶めているのであります。
甚だしき「摧尊入卑」、大謗法であります。
では、大聖人様が久遠元初の自受用身の御再誕であると、なにゆえ知り奉ることができるのか。
改めて示します。
まず道理。
日寛上人は、これ行位全同のゆえと御指南であります。
すなわち、その御修行も、また名字即という仏法上の位も、久遠元初の自受用身と大聖人様とは全く同じであるから、日蓮大聖人即久遠元初の自受用身なのであります。
次に文証。
本因妙抄には
「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」と。
ここに仰せの「釈尊」とはインド出現の釈尊ではなく、久遠五百塵点劫の当初の釈尊、すなわち久遠元初の自受用身のことであります。
この自受用身は三十二相などで身を荘厳っておらず、名字即の位、凡夫身のお姿で、その御修行は三大秘法であります。
また末法御出現の大聖人様も三十二相など付けぬ名字凡夫のお姿であり、その御修行は三大秘法であります。
このように行も位も全同。すなわち久遠元初の自受用身の御振舞いを、そのまま末法に再現し給うたのが日蓮大聖人であられるのです。
さらに百六箇抄には
「今日蓮が修行は、久遠名字の振舞に芥爾計りも違わざるなり」と。
大聖人の御修行は、久遠元初名字即の釈尊の振舞いといささかも違わぬ――と仰せられる。すなわち久遠元初の再現なのであります。
そして、竜の口大法難の一年八ヶ月後に著わされた義浄房御書には、こう仰せられております。
「寿量品の自我偈に云く『一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず』云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕わすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり、秘すべし秘すべし。乃至
無作の三身の仏果を成就せん事は、恐らくは天台・伝教にも越へ、竜樹・迦葉にも勝れたり」と。
何とも重大な御文であります。
「三大秘法を成就」また「無作の三身の仏果を成就」と仰せられております。
「無作の三身」とは久遠元初の自受用身のこと。これを「成就せり」とは、竜の口において、ついに御本仏の大境界を証得せられたという御宣言であります。
以上のごとく、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身の御再誕であられることを深く拝し奉るべきであります。
また池田大作一党は、戒壇の大御本尊を憎むゆえに、「久遠元初の三宝」も改変するに至りました。
日寛上人は久遠元初の三宝について
「久遠元初の仏・法・僧 則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば、極悪不善の我等 争か即身成仏を得ん。故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし」(当流行事抄)と。
すなわち、末法には久遠元初の仏・法・僧が出現して末法の全人類を利益して下さる。もしこの三宝の御力でなければ、極悪不善の末法の一切衆生、どうして即身成仏を得ることができようか。ゆえに久遠元初の三宝を信じ奉るべきである――と仰せになっておられます。
そして日寛上人はこの久遠元初の三宝について
「久遠元初の仏宝、豈異人ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり」
「久遠元初の法宝とは、即ち是れ本門の大本尊是れなり」
「久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」
とて、「仏宝」は「日蓮大聖人」、「法宝」は「本門戒壇の大御本尊」、「僧宝」は「日興上人」と御指南下されております。
これまで学会においても、「久遠元初の三宝」は日寛上人の御指南をそのまま用いておりました。
しかるに今般、池田大作一党は「創価学会の三宝」なるものを策定し、「仏宝」は「日蓮大聖人」、「法宝」は「南無妙法蓮華経」、「僧宝」は「創価学会」と改変したのであります。
日蓮大聖人を一応「仏宝」としてはいるものの、池田大作一党は、大聖人様が久遠元初の自受用身にてましますことを否定し「御本仏」の定義を変えたので、建前上このようにしているだけであります。
また「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉った学会は、自ずと「法宝」を改変せざるを得なくなり、今般、単なる「南無妙法蓮華経」に変えました。
これだけを見たら、その法体がわからぬゆえに、新興の邪教が唱える「南無妙法蓮華経」なのか、天台等の理の一念三千の「南無妙法蓮華経」なのか、大聖人様の文底深秘の大法・久遠元初の名字の妙法・事の一念三千の「南無妙法蓮華経」なのか、まったく判然としません。
そして「僧宝」を「日興上人」から、なんと「創価学会」に改変したことには愕然といたしました。
池田大作一党は、一応 表向きは日興上人のことを「大聖人の仏法を正しく継承・伝持した」と記してはいるものの、日興上人を「末法下種の僧宝」にすると、大聖人様の御法魂まします正系門家・富士大石寺の正統性が際立ってしまうので、今般 敢えてこれを改変したのであります。
そもそも池田大作一党は、「仏宝」にてまします日蓮大聖人の一期の御遺命を破壊せんとした上に、大聖人様が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをも否定し、さらには「法宝」にてまします本門戒壇の大御本尊を捨て奉ったのであります。
かかる三大秘法破壊の創価学会が、なにゆえ「僧宝」となるのか、悪い冗談でしかありません。
「僧宝」の御徳をひと言でいえば、「仏法を正しく伝えて下さる」御徳であります。
日寛上人は「末法下種の僧宝」の御恩徳について
「仏恩甚深にして法恩も無量なり、然りと雖も若し之れを伝えずんば、則ち末代今時の我等衆生曷ぞ此の大法を信受することを得んや」(当流行事抄)と。
すなわち、御本仏・日蓮大聖人の御恩徳は甚深無量であられる。そして戒壇の大御本尊様の御恩徳もまた無量無辺であられる。しかしこの仏法をもし後世に伝えて下さる御方がおられなかったら、どうして私たちが今この三大秘法を受持することができようか――と御指南下さっておられます。
大聖人様に多くの御弟子ましますといえども、日興上人ただ御一人が大聖人様の深義の御法門を会得領解せられて、末法万年にこれをお伝え下されたのであります。
池田大作一党が僧宝を「日興上人」から「創価学会」に改変した邪な魂胆こそ、先ほど申した通り、正系門家・富士大石寺の正統性を否定するため、すなわち戒壇の大御本尊様に対し奉る異常なまでの憎しみ、強い怨嫉心にほかなりません。
日興上人が御入滅の三月前に認められた「日興跡条々事」という日目上人への御付嘱状があります。
そこにある
「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与す。本門寺に懸け奉るべし」
との仰せこそ、法体付嘱の戒壇の大御本尊を「本門寺に懸け奉るべし」すなわち広宣流布の暁の国立戒壇に安置し奉るべし――とお示し下されたものにほかなりません。
要するに、日興上人を「僧宝」にすると、自ずと戒壇の大御本尊の法体付嘱が出てきてしまうので、学会にとってはいかにも不都合なのであります。
だから「僧宝」を日興上人から創価学会に改変したのであります。
まさしくこれ第六天の魔王の所行であり、無慚の極みであります。
去る今月七日、日興上人御入滅六九二年の御正当にあたり、御報恩のための勤行会を奉修させて頂きました。
その際に拝聴した「末法下種の僧宝」の大恩徳についての先生のご講演は、学会の「未曽有の邪教化」を眼前にしていただけに、いつになく身に迫るものがありました。
ことに竜の口の大法難・佐渡御流罪へ御供なされ、極寒の佐渡において、五老僧が夢にも思わぬ文底深秘の大法を大聖人様と談義し給い、宇宙法界を自身と開かれた久遠元初の自受用身の大法悦の大境界を眼前にせられ
また熱原の法華講衆を出現せしめ、御本仏の出世の御本懐たる戒壇の大御本尊御建立を助けまいらせた日興上人の重きお立場こそ、まさに久遠元初以来の「唯仏与仏」「唯我与我」の師弟不二の御境界と拝しては、名状しがたい大感動に包まれました。
いま私たちは、大聖人様の本弟子の中で、文底深秘の三大秘法の深義を一人知り奉られた日興上人から伝わる御相伝、就中、不世出の大学匠・大智者にてまします日寛上人の御指南により御書の極理を師伝せられた先生のご指導を通して、始めて文底深秘の大法、大聖人様の御内証の深秘を深く知り奉ることができるのであります。
何とも有難い宿縁であります。
いま私は強く思います。
池田大作一党が「極限の大謗法」を犯し、学会が「未曽有の邪教化」に陥った今、もし先生が築きあげられた顕正会が存在しなければ、六百万学会員は否応なしに「入阿鼻獄」になるところ、大聖人様の御意のままに立つ三百万になんなんとする顕正会が正系門家にある以上、六百万学会員は必ず救われるのであります。
かかる広宣流布の一大生命体である顕正会の存在こそが、六百万学会員をお救い下さる大聖人様の厳たる御意志と伏して拝しております。
浅井先生は「基礎教学書」において、またその肝要を端的に記された「広告文」において、真っ正面から、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを顕わしておられます。
その広告文の発行部数は実に1億部になんなんとし、御在世以来のかつてないスケールで広く日本国に浸透しております。
心を沈めて思うに、池田大作一党の「未曽有の邪教化」という大悪が起きたからこそ、先生が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人の大恩徳を、誰人も否定できぬ大現証を以て顕わされた「広告文」の重みが幾重にも増し、かえって大聖人様の御威徳が燦然と輝くのであります。
「臨終」にその人が一生成仏を遂げた証拠が厳然と現われることも
「立正安国論」の御予言が寸分違わず的中したことも
国家権力でも御頸切れずの竜の口の大現証も
すべては、日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の主・師・親、大慈大悲の御本仏にてまします証明にほかなりません。
ことに国家権力が竜の口において、ただ一人の大聖人の御頸を刎ねることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまった、思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景こそ
日蓮大聖人が、立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、名字凡夫の御身の当体が、そのまま久遠元初の自受用身と成って成道を遂げ給うた、その御尊容であられます。
大聖人様は目に灼きつく強烈な大現証を以て、「全人類を救う仏とはかくなるものぞ」ということを一切衆生に見せしめ給うたのであります。
そして
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
との重大聖語こそ、日蓮大聖人が一切衆生が尊敬すべき末法下種の主・師・親、十方三世の諸仏の根源の本仏たる久遠元初の自受用身であられるがゆえの仰せ出しであります。
久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏であられるゆえに、宇宙的スケールの力用を持つ「諸天善神」に申しつけ給う。
だからこそ、大聖人様を信じ奉るか、背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡すらも決するのであります。
まさに学会の「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」という大悪こそ「本門戒壇の大御本尊」の御威徳、そして末法下種の御本仏・日蓮大聖人の大恩徳・絶大威力が一国に輝くの大瑞であります。
そして、それを輝かしめるのが「遥拝勤行」と「広告文」なのであります。
全国の至るところから直接、戒壇の大御本尊を拝みまいらせる恋慕渇仰の「遥拝勤行」と、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏たる日蓮大聖人の大恩徳を、誰人も否定できぬ現証を以て顕わされた「広告文」こそ、広布前夜の時に適った「自行」と「化他」の信行であり、またこれによって六百万学会員が救われるのであります。
先生の
「遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る」
との仰せ、いま深く噛みしめずにはいられません。
すべては大聖人様のお力、先生のご一念によるものであります。
大聖人様は十字御書にこう仰せられております。
「今日本国の、法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねき出だせり。乃至、影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとくわざわい来たるべし」と。
「法華経をかたきとする」とは、下種の法華経の教主・法主であられる日蓮大聖人をかたきとすることであります。
大慈大悲を以て日本および全世界の人々を成仏せしめんと、三大秘法をお残し下された大恩徳まします大聖人様を、当時の日本国は流罪・死罪に処し奉ったのであります。
この大逆罪を見て、諸天は隣国に命じてこれを罰した。かくて磁石が鉄を吸うように、日本は大蒙古の責めを受けたのであります。
今の日本国を見るに、日蓮大聖人の大慈悲の結晶たる「本門戒壇の大御本尊」この国にましますとも、日本一同は未だ信ぜず背き続けております。
さらに重大な失は、正系門家における仏法違背であります。
学会・宗門はこぞって大聖人の御遺命たる国立戒壇を否定したうえに、池田大作一党は戒壇の大御本尊を捨て奉り、ついに日蓮大聖人が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことをも否定しました。
一方、宗門は、謗法の身延派とも連携し、職業坊主の食い扶持かせぎのために信徒に鞭打って登山を強要し、戒壇の大御本尊を「営利の具」とする度し難い無道心であります。
これ「日蓮大聖人をかたきとする」の所行でなくて何でしょうか。
ゆえに
「わざわいを千里の外よりまねき出だせり」とて、いま日本は中国・ロシア・北朝鮮という修羅の軍事独裁国家に取り囲まれ、近い将来、圧倒的な軍事力を持つ中国をはじめとする三国の侵略を招くのであります。
しかし大聖人様は、第一回の蒙古襲来直後の大悪大善御書にこう仰せられております。
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをか嘆かせ給うべき」と。
正系門家の極限の大謗法・師敵対という大悪が起これば大正法は必ず弘まり、「前代未聞の大闘諍」「他国侵逼」が起これば、いよいよ事の広宣流布は近いのであります。
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)
との、大聖人様の重大なる順縁広布の御化導をお手伝い申し上げるのは、顕正会以外にはあるべくもない。
広布前夜の「大悪」が起きた時に生まれ合わせた私たちは「御遺命成就の大善いよいよ近し」の大確信で勇み立つべきであります。
さあ、決戦場第五年の初陣、全組織が誓願を大きく突破する美事なる戦いを以て、霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。以上。(大拍手)