きょうの総幹部会も、三百万を見つめた顕正会なればこその、信心の歓喜と広宣流布の大決意みなぎる、素晴らしい総幹部会ですね。大感動いたしました。
その中で、さきほど男子部の内藤正信組長から、細井日達の臨終の相について発表がありましたが、私も始めてこれを聞き、驚きました。
私が、細井日達の臨終について知っていたことは――
総本山近くのフジヤマ病院に入院していたが、退院の前日に激甚の発作を発して倒れ、医師が二人で心臓マッサージを交替で二時間ほど施したが蘇生せず、
その中に、学会の顧問弁護士でありながら学会を裏切って宗門側に付いた山崎正友が、急遽、聖路加病院の日野原院長を呼んで来て診させたが、すでに事切れており、午前五時五分に「死亡確認」となった――ということしか、私は知らなかった。
臨終の相については、宗門側近の誰もが隠して何も言わないので、今日までわからなかった。それを、きょう始めて聞いたのです。
発表した男子部組長のお母さんは、細井日達の縁戚だったことから葬儀に参列したとのことでしたね。そしてお母さんから聞いたその臨終の相は
「今まで見たこともないほどドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相だった」
「母はひと目見た瞬間、あまりの恐ろしさに、親戚の背中に隠れてしまった」
とのことでしたね。
大聖人様は
「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)
と仰せ下されているが、臨終の現証ほど大事なものはないのです。
大聖人様の御遺命に背いたことが、いかに重大なことであったか。しかも末端の者ではない。いちばんの最高責任者が大事な御遺命を破壊したのです。
私は「御遺命の敵になり畢った」と申しましたが、「一切は現証には如かず」です。
まことに大聖人様の厳たるお裁きを拝見した思いであります。
そして最も重大なことは「大事な御相承もなし得なかった」ということです。
このことについては、これまで何度も申しておりますが、下種仏法の血脈は、このようなことがあっても断じて断絶するものではないのです。
「御相承ができなかった」ということは、大聖人様が、御遺命に背いた細井日達に、また次のさらに腹黒く学会にへつらっていた阿部日顕に対して、御相承の「授・受」をお許しにならなかったのです。
しかし血脈は断じて断絶するものではない。御遺命を堅持あそばす貫首上人がお出になれば直ちに蘇る。
まして、まもなく広宣流布の時には日目上人が御出現あそばす。そのとき、血脈は忽ちに蘇るのです。だから少しも心配することはないのです。
「大悪起これば大善きたる」で、広布前夜には正系門家にこのような大悪も起こる。したがって国家も傾く。しかし仏法・世法ともにその大悪を乗り越えて、始めて広宣流布の「大善」が到来するのであります。
私はきょう、細井日達の臨終の相を聞いて、改めて思いました。
臨終だけは、僧俗の別もない、役職も関係ない。すべては信心なのです。信心こそ大切なのです。
だから、常に大聖人様の御眼を恐れて、一生成仏を願い、正直の信心をしなければいけない。
このことを、つくづくと思ったものであります。
さて、先般、九月十二日、竜の口大法難・御報恩勤行会を奉修させて頂きましたが、国家権力も御頸を刎ねて刎ねられず、かえって全員がひれ伏してしまったという、この金剛不壊の大聖人様の御尊容を拝し奉っては、ただただ有難さでいっぱいになったものであります。
このような思議を絶する、荘厳・崇高にして威厳に満ちた光景は、この地球上において、人類の史上において、どこにもないのです。
しかもこの大現証が、単なる言い伝えではなく、大聖人様の御筆によって具さに活写されていることは、なんと有難く、重いことかと、私は拝しております。
やがて全世界の人々がこの御文を拝して、心から大聖人様の絶大威徳にひれ伏し、南無妙法蓮華経と唱え奉るようになるのであります。
いいですか。下種本仏成道御書には、このときの状況を次のごとく活写あそばされている。
「江の島のかたより、月のごとく光りたる物 鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。
十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて、人々の面もみな見ゆ。
太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり。
日蓮申すやう、いかに殿原かかる大禍ある召人には遠のくぞ、近く打ち寄れや、打ち寄れやと高々とよばわれども、いそぎよる人もなし。
さて夜あけばいかにいかに、頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなんと勧めしかども、とかくのへんじもなし」と。
なんと重い、末法万年に伝わる重大な御文であろうか。
将来、日本国中の人たちが、いや全世界の人々がこの御文を拝して、
「こんな不思議なことがあるのか」
「こんな絶大威徳の御方がましますのか」
「キリストなどは磔になって死んでしまった」
「このような絶大威徳の仏様であればこそ、全人類を現当二世にお救い下さることができるのだ」
と、すべての人々がわかる時が必ず来る。
まことに何とも荘厳・崇高な光景です。国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切ることができず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。
そしてこのとき、大聖人様は宇宙法界を即我が身と開く、久遠元初の自受用身と成り給い、成道を遂げ給うたのであります。
全人類は誰ひとりとして仏に成る道を知らない。その中で日蓮大聖人ただ御一人が、生命の極理を証得されて御本仏に成り給うたということは、やがて全人類が成仏させて頂けるということなのです。
大聖人様の御意は、何としても一切衆生を仏に成らしめんとの大慈悲以外にはない。
ここに大聖人様は大慈悲を起こされ、竜の口で証得された御自身のお覚りの全体を一幅の御本尊に図顕され、末法の全人類に授与して下さった。
そのことを観心本尊抄の末文には
「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」
と仰せ下されている。
その御本尊こそ、実に弘安二年十月十二日に御図顕された「本門戒壇の大御本尊」であられる。
いいですか。
日蓮大聖人の一代御化導における二つの最大事とは、まさしく竜の口において久遠元初の自受用身に成り給うたことと、弘安二年に本門戒壇の大御本尊を建立あそばされたことであります。
この本門戒壇の大御本尊がいかに尊いかについて、その所以を日寛上人は観心本尊抄文段に
「是れ則ち諸仏・諸経の能生の根源にして、諸仏・諸経の帰趣する処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸く此の文底下種の本尊に帰せざる莫し。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し」と。
この大宇宙には釈迦仏のような仏は星の数ほどもある。これらの諸仏を三世十方の諸仏というが、これら諸仏はことごとく、この大御本尊を対境として仏に成ることができたのです。
ゆえに秋元御書には
「三世十方の仏は、必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」
と仰せられている。
だからこの大御本尊は、諸仏・諸経を生ぜしめた根源であり、また諸仏・諸経が帰趣するところである。ゆえに十方三世の無数の諸仏の功徳も、十方三世の微塵の経々の功徳も、みなことごとくこの文底下種の御本尊すなわち戒壇の大御本尊に帰するのである。たとえば百千の枝葉がすべて一つの根から発し、一つの根に収まるようなものである――と。
さらに日寛上人は、この戒壇の大御本尊の無量無辺の功徳について、次のごとく仰せられている。
「故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるは無く、罪として滅せざるは無く、福として来らざるは無く、理として顕われざるは無きなり」と。
何と尊無過上、有難い御本尊であられるか。さればこの「本門戒壇の大御本尊」こそ、日蓮大聖人の出世の御本懐であり、また我ら末法の一切衆生が成仏させて頂ける根源の法体であられる。
ゆえに大聖人様は出世本懐成就御書において
「立宗より二十七年の弘安二年に出世の本懐を遂げたり」(取意)との重大なる御宣言をあそばされている。
また日寛上人は観心本尊抄文段において
「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」と。
まさしく弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」こそ、御本仏の出世の御本懐にして、一切衆生成仏の根源の法体なのであります。
しかるにいま池田大作は、この「本門戒壇の大御本尊」を、八百万学会員に捨てさせてしまった。念仏宗の法然が無智の大衆をたぶらかして法華経を捨てさせたように、池田大作は用意周到・巧妙なる手口を以て、この大御本尊を捨てさせたのです。
これ第六天の魔王が池田大作の身に入ったからです。ゆえに「形は人なれども力は第六天の力」(上野抄)となって、このような大それた悪事ができたのであります。
では、池田大作はどのような手口で、全学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせたのか――。それは次の三段階を経ているのです。
その最初は、正本堂が完成する数年前のことであった。
彼は偽戒壇・正本堂の落慶式に、ローマ法王庁の高位の神父を招こうとして交渉し、その条件として
「板漫荼羅に偏狭にこだわらない」と申し出た。
その結果、神父を招くことに成功した。
そしてこの事実を、池田大作は平成5年5月3日の学会「5月3日記念集会」において、自慢げに発表しているのです。
いいですか。戒壇の大御本尊以外に成仏の法はないと、一筋に信じ奉るのが真の仏弟子なのです。
しかるに池田大作は「偏狭にこだわらない」と言った。彼はすでに大聖人様の弟子ではないのです。
しかも謗法の神父を正本堂完工式の最前列に並べて、大御本尊の御座所を前もって穢し奉った。
これが池田大作の、大御本尊否定の最初の行動です。今から四十数年前のことであった。
次に彼は、学会版経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の九文字を抜き取って、全学会員に戒壇の大御本尊様を忘れさせようとした。
九文字を抜き取ったあとの観念文は、こうなっている。
「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊に南無し、報恩感謝申し上げます」と。
このたばかりの観念文によって、全学会員はいつのまにか、戒壇の大御本尊様を忘れてしまったのです。
そのうえで平成26年(2014年)の11月7日、創価学会会長・原田稔は、全国総県長会議において
「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」
との、大それたことを公表した。この発表は創価学会の機関決定としてなされたものです。
ここに学会はあろうことか、ついに大聖人出世の御本懐であり、一切衆生成仏の法体たる「本門戒壇の大御本尊」を捨て奉ったのです。これこそ極限の大謗法であります。
法華経の譬喩品には
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。
この意は、いま末法においては、もし戒壇の大御本尊を信ぜずに謗る者は阿鼻獄に入る――ということです。
「阿鼻獄」とは「無間地獄」のことです。無間とは、耐えがたい苦痛が一瞬の間も無く襲うから無間地獄というのです。
経文には八大地獄のうち、七大地獄まではくわしく説かれているが、最後の無間地獄の大苦だけは具さに説かれていない。
大聖人様はそのわけを顕謗法抄に
「若し仏、此の地獄の苦を具に説かせ給わば、人聴いて血を吐いて死すべき故に、くわしく仏説き給わず」と仰せ下されている。
私は学会員を不憫に思う。
せっかく日蓮大聖人の仏法に縁しながら、悪師にたぶらかされて戒壇の大御本尊を捨て奉ったゆえに、いま「入阿鼻獄」の道を進んでいるのです。無間地獄に堕ちてしまったら、取り返しがつかないではないか。
無間地獄の寿命は「一中劫」すなわち三億二千万年とされている。このような長い年月この地獄にあって出られぬとは、その大苦はまさに想像を絶する。
しかしこの「一中劫」は、五逆罪を犯して無間地獄に堕ちた場合の寿命です。五逆罪とは、父を殺し、母を殺し、仏弟子を殺し、仏弟子の集団を破壊し、仏の身より血を出だすの逆罪です。この五逆罪を犯した者は一中劫の間、無間地獄に堕ちる。
だが、もし戒壇の大御本尊に背いて無間地獄に堕ちた者は、一中劫では済まない。経文には「展転して無数劫に至らん」とある。だから私は「取り返しがつかない」というのです。
私は早く八百万学会員を救いたい。一日も早く戒壇の大御本尊様に繋がる遥拝勤行に励み、ともに国立戒壇建立に戦う同志となってほしい。
不憫ですよ。せっかく信心を起こして大聖人様に縁をしたのに、悪師にたぶらかされて無間地獄に堕ちる。これほど悲しいことはない。
どうか、学会員を憎むのでなく、顕正会員こそ慈悲の心をもって早く救ってあげてほしいと、私は強く念願しております。
さて、次に安倍首相のこと――。
彼は総裁選では、あらゆる手練手管を使ってどうやら三選を果たしたが、これが終わりの始まりだと、私は思っております。これから化けの皮がいよいよ剥がれてくるのです。
アベノミクスの異次元金融緩和ひとつ見ても、こんなまやかしがいつまでも続くわけがない。
そうでしょ。政府の借金はすべて日銀にお札を刷らせて賄い、借金は増える一方ですよ。来年度の当初予算は100兆円超と言われているが、税収はわずか60兆円ほどしかない。不足分の40兆円はまた国債を発行して日銀に買わせる。すでに1200兆円を超える大借金があるのに、そのうえに国の借金は毎年増える一方なのです。
遠からず、必ずハイパーインフレが始まり財政は破綻する。そしてその尻ぬぐいはすべて国民が背負わされることになるのです。
安倍晋三には財政再建の意欲など全く見られない。こんな無責任な総理大臣はない。しかしまもなく、にっちもさっちも行かなくなるから、見ててごらんなさい。
また森友学園問題を見ても、安倍晋三は
「私や妻が関係していたら、総理大臣はもちろん国会議員もやめる」
と大見栄を切っていたでしょ。
しかし妻・昭恵が開設予定の小学校の名誉校長に就任していたし、さらに彼女の指示で、秘書の谷査恵子が国有地払い下げについて財務省と交渉していた記録がファックスに残っているので、もう関与は否定できなくなってしまった。
そこで安倍晋三は何をしたかというと、国有地取引に関する決裁文書の改ざんを、財務省にやらせたのです。これは国家的な犯罪であります。
そして改ざん後の文書を以て国会を欺き、国民を騙し、財務省官僚にはウソをつき通させた。
改ざん作業をやらされた近畿財務局の職員は、改ざんの罪に耐えかねて自殺をしてしまったではないか。
お父さんが、深い嘆きと憤りを述べていましたね。「文藝春秋」5月号に、8ページにわたって載っております。
「息子は、狡いことや、卑怯なこと、筋の曲ったことは絶対にしない男です。自分だけの判断で公文書を改ざんするわけがありません。……私には息子の気持ちが分かります。上からの指示があったとはいえ、自分が関与してしまった不正な行為の重さに耐えられなかったのだと思います」
「今回の件で一番、辛い思いをしているのは間違いなく、嫁だと思います。夫を喪った彼女の気持ちを考えると、私は、胸が張り裂けんばかりです」
「誰が、何のために、改ざんするような指示をくだしたのか。真相を究明してもらいたいと願います。責任の所在を有耶無耶にされたまま、終わらせては絶対にいけないと思います」と。
安倍晋三は悔やみの一言でも言ったか、この死を悼む言葉の一言でも発したか。まことに冷酷極まる男であります。
また彼は口を開けば「丁寧に、謙虚に、真摯に説明する」などと繰り返していたが、何ひとつ説明したことがない。よくヌケヌケとウソが言える。まさにウソまみれの総理大臣であります。
今月の7日、衆議院事務局に30年余も勤務し、元参議院議員であった平野貞夫さんが、安倍首相を「内乱予備罪」で、最高検察庁の検事総長宛てで告発しましたね。
その内容は、三つの理由を挙げて「憲法の定める統治の基本秩序を壊乱した」としている。
最高検がこれを受理するかどうかはまだ不明ですが、このような、止むにやまれぬ告発がなされるのも、平野さんがいかに憤っているかの表われ。そして安倍政権の終末が近づいたことを物語っているものと、私は思っております。
また外交問題も行き詰まってますね。
今月12日、ロシアのウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」で、プーチン大統領はいきなり安倍首相に対し「一切の条件なしで、年内に平和条約を締結しよう」と提案して来た。隣席には中国の習近平国家主席もいた。
これまで平和条約は「北方四島の領土問題を解決してから」というのが日ロ両国の暗黙の認識であったから、安倍総理大臣は直ちに反論をすると思われた。ところが彼は、当惑したような薄ら笑いを浮かべただけで、全く反論しなかった。
これは一国の総理大臣として、まことに重大な外交的失態、屈辱的外交であります。なぜなら、条件なしでの平和条約の締結では、領土要求の全面放棄になってしまうからです。
プーチン大統領の姿勢は明確ですよ。彼には領土問題を解決する意志など、始めから全くないのです。
このことは、彼がこれまで何度も「北方領土は、第二次世界大戦に勝利した結果、ロシアの領土になった。これは国際的にも認められている」などの発言を繰り返していることからも分かる。
だがこれを聞いても、安倍首相は全く反論してこなかった。そしてただ「プーチンとの会談がこれで22回になった」とか、「信頼関係が築けた」とか、つまらぬことばかりを自慢している。
この姿勢は「外交の安倍」などとは言うも愚か、一国の総理として、無責任の限りなのです。
なぜ安倍首相は、歴史の真実と正しい道理に基づき、日本の立場を主張しないのか。
いいですか。
北方領土は、日本固有の領土なのですよ。このことは1855年の日ロ通好条約で確定しているのです。
この日本固有の領土が、昭和20年の敗戦時に、理不尽にもロシアの前身であるソ連によって略奪され、今日に至っているのです。
この歴史的事実を、なぜ安倍首相はプーチンに言わないのか、世界に向って発信しないのか。
このこと、私は前にも総幹部会で説明しましたが、大事なことなので、きょう重ねて述べます。
日本とソ連との間には「日ソ不可侵条約」が結ばれていたのです。この条約は昭和16年に締結され、期限は昭和21年までの5年であった。日本が敗戦したのは昭和20年8月15日であるから、まだ条約期限は1年間もあった。
日本は、敗戦9日前の8月6日には広島に、さらに8月9日には長崎に原子爆弾を投下された。このとき日本はすでに継戦能力を失っていた。そこで中立条約を結んでいたソ連に、講和の仲介まで依頼していたのです。
ところがソ連の首相スターリンは、日本が負けることを見越して漁夫の利を得ようとしたのです。彼は日ソ不可侵条約を無視して、突如、満州・樺太・千島に攻め込んで来た。これが終戦6日前の8月9日です。
さらにソ連軍は終戦の13日後に、北方四島を略奪してそのまま居座った。この不法占拠が、今にいたるまで続けられているのです。まさに卑劣な火事場泥棒そのものです。
それだけではない。
ソ連軍は満州になだれ込んだとき、155万人の日本人居留民に対し、どれほどの残虐な行為をしたことか。
日本人の民家に押し入ったソ連兵は、銃で脅して金品を奪い、殺害し、婦女子を陵辱した。この残虐行為により、命を奪われた日本人は24万人。
南樺太・真岡市の電話局に勤務していた、うら若き9人の日本女性が、「ソ連兵が近づいて来ました。これが最後の交信です」と伝えたのち、全員が自決したのも、この時のことです。
それだけではない。
ソ連は国際法を無視して、武装解除して捕虜にした日本軍の兵士約70万人を、貨物列車でシベリアの奥地に運び、奴隷のように酷使した。かくて極寒と飢えと病気により、10万人が死亡した。日本のふるさとを瞼に浮かべながら、10万人が無念の死を遂げたのです。
安倍首相には、この鬼哭啾啾の声が聞こえないのか。
このような非道・暴虐が許されていいはずがない。安倍首相はなぜ毅然とこの事実をプーチンに伝え、道理を世界に向けて発信しないのか。
プーチンはすでに北方領土に軍事基地を築き要塞化を進めている。この一事を見ても、返還する意志などは全くないことがわかる。
しかるに安倍首相は「北方領土開発のため」として、3000億円もの経済支援を決めてプーチンのご機嫌をとっている。そうすれば北方領土を返してくれるのではないかなどと、甘い見通しをしている。こんなへつらい外交では、プーチンに舐められるだけです。
見てごらんなさい。プーチンにどれほど舐められているか。プーチンは安倍晋三との会談において、前回も今回も、3時間近く遅刻しているではないか。こんなことで、北方領土が返ってくるはずがないのです。
だが、それよりもさらに、日本にとって憂うべきことがある。
それは、ロシアが先日の「東方経済フォーラム」と並行して、超巨大軍事演習を実施していたことです。
この軍事演習がどれほど大規模であったかというと、ロシア軍のすべての空挺部隊を含んだ30万人のロシア軍将兵と、900両の戦車を始めとする3万6000両の各種車両と、1000機の航空機などが動員され、
さらに海上においては、ロシア太平洋艦隊とロシア北方艦隊に所属する戦闘艦艇など計80隻のロシア海軍艦艇が、オホーツク海、ベーリング海、そして東方経済フォーラムが開催されているウラジオストク沖の日本海で、演習を実施したのです。まさに史上最大規模の超巨大軍事演習であった。
そして注目すべきは、この軍事演習に、中国人民解放軍が参加していたことです。
中国軍は3200名の機械化精鋭部隊と、戦車・装甲車・自走砲など900両にものぼる戦闘車両と、30機の航空機などを派遣した。
中国がこれだけの規模の軍隊を海外での演習に派遣するのは、今回が初めてです。
これについて中国軍当局は次のように発表している。
「今回、中国軍が参加した目的は、中国とロシアの親密な戦略的相互関係を醸成し、中国軍とロシア軍の実戦的協働関係を構築するためである」と。
この発表には「軍事同盟」という言葉こそないが、これはまさしく事実上の「中ロ軍事同盟」のスタートです。
では、この超巨大軍事演習は何のために行われたのか―。それは、アメリカを威嚇し、さらにアメリカの属国化している日本を脅すためです。
いま中国とアメリカの貿易戦争はすでに危険水域に入りつつある。ここ一両日、中国が、保有している米国債を売り出したという情報も流れている。この貿易戦争が長びけば、世界恐慌に発展する恐れもある。
またロシアもアメリカの経済制裁によって苦境に陥っている。
中・ロ両国は、アメリカの覇権を崩壊させ、新しい世界秩序を作らんとしている。
だがアメリカは断じてこれを容認しない。ゆえにいま、中・ロ両国を凌ぐ戦略体勢を構築しつつある。
ここに相互の憎悪と疑心暗鬼が増幅し、ついには核を用いての世界規模の大闘諍が起こるのです。
これこそ、大聖人様が広布前夜に必ず起こると御予言の「前代未聞の大闘諍」であり、日本への「他国来難」であります。
この大闘諍は「仏法より事起こる」ものであれば、政治の力も及ばない、いかなる仏・菩薩・神々に祈るとも虚しい。
そして、もしこの大闘諍が起これば、人類は絶滅する。日本も亡びる。
この大惨禍をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳と大慈大悲まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
ゆえに新尼抄には
「一閻浮提の人々各々甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時
諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時
諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時
此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
また日本を亡ぼす「他国来難」については四十九院申状に
「第三の秘法 今に残す所なり。是れ偏に、末法闘諍の始め、他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と。
「第三の秘法」とは、文底深秘の大法のこと。その体は本門戒壇の大御本尊であられる。
この新尼抄と四十九院申状における御断言は、竜の口における絶大威徳と、諸天に申しつけて起こし給うた「蒙古の責め」の大現証を拝見するならば、深く信じ奉ることができる。
まさに、諸天に申しつけ給う絶大威徳と大慈大悲は、大聖人様だけが有しておられるのです。
ゆえに日蓮大聖人に背けば国が亡び、信じ奉るとき国家は安泰になる。このことを大聖人様は
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
と仰せ下されたのであります。
いいですか。日本国は七百年前、日蓮大聖人の御頸を刎ね奉るという、血の凍るような大逆罪を犯している。下山抄には
この「大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」
と仰せられている。
「現」の罰は御在世における大蒙古の責め。そして「当」の罰こそ、今まさに起こらんとしている「前代未聞の大闘諍」「他国来難」であります。
このとき、大慈大悲の日蓮大聖人は、この大罰を用いて日本一同を改悔せしめ、広宣流布をあそばす。
この重大御化導のお手伝いを申し上げるのは、御遺命を守護し奉り一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外には、あるべくもない。
顕正会こそ命を賭して、日蓮大聖人の大恩徳を一国に顕わし、広宣流布の御奉公を貫かなくてはなりません。
いま広告文と遥拝勤行により、広宣流布の道は豁然と開かれて来ました。この大道こそ、大聖人様がお教え下さったものです。
広告文によって人々に信心を起こさしめ、遥拝勤行を実践せしめる。この大規模な活動が広布最終段階の戦いなのであります。
いいですか。
遥拝勤行とは、末法の三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊様に繋ぎまいらせる秘術なのです。
大御本尊と繋がれば、その人はもうただの素凡夫ではない。
「濁水心無けれども、月を得て自ら清めり」と。
大聖人様の御心を三毒の心に宿せば、その人はもう地涌の菩薩であります。
この地涌の菩薩が、三百万、五百万、一千万、六千万となって国立戒壇を熱願すれば、必ず一国が動く。
このこと、すべては大聖人様の大悲願力によって、成されるのであります。
大聖人様は、顕正会の前進をお待ちあそばす。
さあ、三百万への初陣、地涌の菩薩の鉄の団結と、大地ゆるがす大行進を以て、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。
以上。(大拍手)